明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます

今年の干支は”ウサギ”年だそうで。ウサギ1縮小   ちょこっと、”砥部動物園”の兎君を借りてきて、瞬間芸として登場してもらいました。

今年は、この業界に入って大きな転換点の年となります。白兎15縮小    この白兎君のように、精一杯背伸びするぞ、と覚悟を新たにしたところです。

自分のこれまで培(つちか)ってきた力量が試される年でもあります。白兎16縮小   でも、白兎君のように余り血走った目になると、足元を大きくすくわれそう。

ですから、余りピョンピョン飛び跳ねることは慎み、ソロリソロリと確かめながら歩もうと思っています。

皆様にとっていいお年となりますよう祈っています

じゅんのつぶやき”を今年もよろしくお願いします。白兎4縮小     今年も、色々出かけ、経験し、味わったものを画像ととともにお届けします。

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初夢

女優の鈴木京香さんは、撮影に入ると自然に役が体に染み付き、意識しなくても演じられる“自動操縦”に切り替わるそうです。

不惑を過ぎた女優の本能とも言うべき能力なのでしょう。

語学、例えば英語をマスターする過程では、寝言で英語をしゃべり、夢の中でも英語で会話するようになったとき急に上達するといいます。


さて、ブログを書き始めて600回近くになります。

ところが、これだけ毎日書き続けても夢の中でブログの内容となるエピソードは出てきたことがない

ましてや、ブログを書いている夢も見たことがない。

実に情けない。

達人になるには道遠しというところ。

余りに自分がふがいなく悔しいので、思わず唸り声を上げてしまった・・・・ラ・シ・イ・。

その唸り声で今朝は目が覚めた

さて、今年も、”地元愛媛”の記事を中心に、つたないブログを書き綴ることにします。

正夢となりますか。


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「伊予灘の夜景」

今日はまだ松の内、正月休みですが、夜景をお届けします。

「松山自動車道」の”伊予灘SA”から見た”夜景”です。夜景まとも縮小
伊予灘SA”は、言わずと知れた”夜景”の名所。

画像の上のほうで丸く輝いているのが”高島屋のクルリン”です。

初めての夜景撮影だったのですが、意外にこれが難しい。

以下はその失敗作です。夜景「5」縮小
「夜景モード」で撮影するには、やはり三脚が必要ですね。この画像は光の軌跡が数字の””に見えています。

手だけでは、カメラを固定できずに動いてしまうんです。夜景「j」縮小
この画像は、あえて言えばアルファベットの””でしょうか?夜景「Σ」縮小
これはギリシャ文字の”Σ”かな?夜景「音符」縮小
これなど”音符”に見えませんか?夜景「回転寿司」縮小
最後はさしずめ「高速回転寿司」です。

このように、今年も”失敗作”を含めて様々な分野にチャレンジしてアップしていくつもりです。

なお、今年からは日曜日と祝祭日のアップはお休みし、週5日間、画像中心のアップを続けます。

また、昨年は一日2回、”文章編”と”画像編”のアップを続けてきました。

今年は、様々な理由で、当面は画像中心となります。

出来るだけ早く、文章ブログを復活したいと考えています。

年明け早々には「600号」を越えます。今年もよろしくお付き合い下さい。



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「大洲城」①

今日からはしばらく”大洲城”をアップしていきます。


昨年の暮れ、28日に「松山城余話」と題して”松山城”と”今治城”そして”大洲城”の3つの城に共通する人物として”藤堂高虎”を挙げました。


そこで、”大洲城”のことを次のように書きました。

「大洲藩は、江戸時代に米子藩から”加藤貞泰”が入り、明治まで12代に渡って続いた藩です。ところが、今の”大洲城”を実質的に築城したのは、やはり”藤堂高虎”でした。もともとあった大洲城を大幅に改築し今の威容を形作ったのです」と。
大洲城遠景5縮小
先ずは”大洲城”の遠景です。


大洲藩は6万石の藩領でした。


作家の司馬良太郎氏は、その著書「街道をゆく」の”南伊予・西土佐の道”で大洲城のことをこう書いています。


「日本の旧城下町で、これほど美しい一角を持った土地はないと思った」と。


肱川が大きく湾曲して美しい淵を作っているところに大洲城は立っています。
大洲城遠景9縮小 この「画像は、国道56号線が肱川を越える”肱川橋”の橋脚の間から撮った画像です。


画像の上部に横切の黒い部分は、肱川橋の橋脚の桟です。


この日も大洲には深い霧が巻いていました。


冬場は毎日のように午前中は霧の中です。
逆光の大洲城縮小
逆光の中の大洲城です。暗くて見え辛いですね。


でも、東の空から太陽が顔を出しそうになっていました。





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「大洲城」②

今日は”大洲城”を間近に見ます。


大洲藩の加藤氏はもと織田家の家臣で、後に秀吉に仕えた加藤光泰(みつやす)が祖です。


大洲に封じられたのはその子の貞泰(さだやす)で、元和3年(1617年)はじめて山国の大洲にやってきました。
大洲城6縮小
加藤家は大洲に落ち着くまでに、近江、播磨、甲府、美濃、米子そして大洲という風に6度も封地を変わっています。


大洲に封じられるまでは穀倉地帯を主な領地としていて、大洲という山間部の田舎は初めてだったので、藩の財政運営に苦労したとされます。
大洲城3縮小
松山市のお隣の砥部町はもともと大洲藩の領地。


ここで砥部焼きを始めさせたのが大洲藩の加藤泰候で、焼き物の先進地である九州の肥前や筑前に人をやって技術を学ばせました。


砥部町は平安時代から”砥石”の産地として有名で、その砥石を材料にして更に付加価値の高い焼き物を作らせ財政を安定化させました。
大洲城天守閣1縮小
そのお陰もあって、加藤家は明治期まで続きました。


藩風も穏やかだったのでしょう。今でも、そのような風土を感じさせる町ですね。


ところで、大洲城は”四重四階”(しじゅうしかい)といわれ、珍しい作りなのです。


普通、お城は奇数を好み、天守閣は三重か五重に決まったものでした。


一番初めにここに城を築いたのは近江から入封した”脇坂安治”ですが、安治は”誰に””何を”気使って四重にしたのでしょうか。


江戸時代は、戦国時代と比較するとはるかに安定した時代ではありました。


しかし、一方で”徳川家”の永遠を願う幕藩体制は、全国の大名に例外なく精神的・財政的圧迫を与え続けることになります。


戦国時代の雄の仙台伊達藩や、100万石という大藩であった加賀の前田藩でも例外ではありませんでした。


大洲城シリーズ”の後は、”宇和島城シリーズ”を採り上げますが、その中で江戸幕府から次々と要求される普請事業で藩の財政が圧迫されたことの悲劇に触れる予定です。




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「大洲城」③

今日は、”大洲城”の周辺をアップします。


先ずは"大洲城”から見た”肱川”です。
大洲城から肱川4縮小
肱川は大洲城の辺りで大きく湾曲しているので、ここに古くから川港としての””があり、かつては”大津”と呼ばれていたそうです。

大洲鵜飼舟5縮小
そこに、慶長14年(1609年)脇坂安治(わきさか・やすはる)が入封して”大洲”と改めてのだそうです。


というには、安治はもともと近江の人なので、郷里の大津の方が頭にあり、紛らわしいということで大津を大洲にしたのでしょう。


川面には大洲名物の”鵜飼舟”が舫(もや)っています。


夏には、かがり火を焚きながら一斉に肱川に繰り出し、””を巧みに操りながら鮎を捕ります。
霧の富士山縮小
霧に隠れていますが、春のツツジの名所”冨士山”(とみすやま)がうっすらと見えています。


富士山にその山の形が似ていることから名づけられたそうです。


標高は320mですが、春には全山がツツジで染まります。  





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「大洲城」④

今日は”大洲城”で見かけた鳥をアップします。

まずは”ひよどり”です。ひよどり縮小   昨年にも一度”ひよどり”をアップしました。

平地ではよく見かける鳥です。「ヒーヨ、ヒーヨ」と、その鳴き声のうるさいことで名高い鳥ですね。

”大洲城”の入口に無粋に建っている”大洲市民会館”の近くで見かけました。メジロ2縮小   次は”メジロ”です。

大洲城天守閣で見かけました。木の枝の陰にいるので、なかなかシャッターチャンスがありません。

近づくと直ぐに飛び立ってしまいます。メジロ3縮小   ワタシが子供の頃は、近くの山によく”メジロ”を捕りに出かけたものです。

今は捕獲できない鳥になってしまいました。

菜っ葉に水を加えて練り餌を作り、家で飼ってその鳴き声を楽しんだものです。

今は昔のお話になってしまいました。

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「大洲城」⑤(最後)

今日は”大洲城”の近くにある”亀山公園”の風景をアップします。
シダ水滴3縮小   肱川の南側、”臥龍山荘”の近くにあります。

シダの葉先に、早朝の霧を集めて水滴が育っていました。

残念ながら、ワタシのコンデジと腕前では、この水滴の表面にワタシの姿を写し込むだけの技量と機能が足りません。水滴4縮小   こちらの枝先の水滴でも挑戦してみましたが・・・・・

でも、既に小枝の先には花の芽が膨らんできていました。

今年の冬は厳冬になるとか。

どうか、春先まで耐えて花を咲かせて欲しいと、自分の身にことよせて祈りました。

年明けには、仕事の面で幾つかのツボミを温めて、必ずや花咲かせなきゃマンリョウアップ縮小   そして、この”マンリョウ”のような、プリプリした”実”を実らせたいものです。

”マンリョウ”はセンリョウとともに、お正月の縁起物です。石仏7縮小   このお地蔵さんにもこっそりと祈りました。

「ニッコリ」と微笑んでくれたのは、ワタシの気のせいでしょうか。

これで”大洲城”シリーズを終えて、次は”宇和島城”をシリーズでアップする予定です。


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「宇和島城」①

今日からしばらく”宇和島城”をアップします。


先ずは、宇和島城天守閣に至る石段からご紹介します。
宇和島城石段1縮小
宇和島を中心とした南伊予は、室町時代に京都からの食い詰め公卿(くぎょう)”西園寺”氏をありがたく担いで、のんびりと時代を過ごしていました。


その後、江戸期に入る前に、戸田氏、藤堂氏、富田氏らが短い期間領主についていた時代があります。
宇和島城石垣2縮小
徳川の時代に入ると、その宇和島に、慶長19年(1614年)伊達氏が転封されます。


あの奥州の雄である”伊達”氏です。


その後転封されることなく、明治4年(1871年)の廃藩置県まで宇和島藩の伊達氏時代は続きました。


伊達氏の転封が、結果としてこの地で後世まで語り継がれる”悲劇”を生むことになります。


ワタシは南予人ですから、その語り継がれている悲劇の内容を知っています。


それは、後で触れるとして、天守閣まで続く急な石段を登っていると・・・
奇怪な根眼2縮小
奇妙な顔をした”宇宙人の干物”に出会いました。


二体の干物が石段の隅に無造作に転がっていました。
奇怪な根眼3縮小
一体は、宇宙船が地球に墜落したときの衝撃からか、顔の半分が吹っ飛んだ状態でワタシをじっと見つめていたのです。


これは”宇宙人の潰れた干物”か?


それとも”山家清兵衛”(やんべ・せいべい)のタタリ・・・・・・か? 




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「宇和島城」②

今日は”宇和島城”の天守閣をご紹介しましょう。


宇和島藩は10万石の藩領です。


昨年暮れ28日の「松山城余話」で書きましたように、”宇和島城”は築城の名手”藤堂高虎”の手によって築かれました。天下の名城の一つです。


その後、伊達氏の時代に入って、2代目の”伊達宗利”(だて・むねとし)によって3重3階の”総塗籠式・層塔型”に再建されたものが今の天守閣です。
宇和島城遠景縮小
当時(寛文年間、1666年)の姿のままで現存する全国12城のうちの一つです。


当然、国の重要文化財です。
宇和島城1縮小
3重3階の美しい姿をし、別名「鶴島城」とも呼ばれています。


さて、宇和島城に最初に入部したのは、奥州の雄である”伊達政宗”の長男(第一子)である”秀宗”(ひでむね)です。


奥州(仙台)の伊達家本家を継いだのは伊達正宗の次男(第二子)”忠宗”(ただむね)です。


なぜ、第一子である秀宗が本家の仙台伊達家を継がず、はるか宇和島まできたのか?


色々な説がありますが、真相は分かりません。
宇和島城5縮小
しかし、このことが後に宇和島藩最大の悲劇の遠因となったことだけは間違いないでしょう。


父親の”伊達政宗”は長男(第一子)である”秀宗”を心配し、六万両を貸して宇和島に入部させました。


江戸初期の六万両がどれほどの価値があるのかは、知りません。


しかし幾ら仙台伊達家が大大名といえども、当時これだけの現金を用意できたことは並大抵のことではありません。


この大金が後に悲劇の引き金となりました。
宇和島城天守閣2縮小
今の宇和島城は、”血を血で洗う惨劇”があったことを忘れたかのように、静かに、奥ゆかしく、そしてこじんまりと残っています。


春には天守閣の周りは桜で囲まれます。宇和島市民のお花見所として賑わいを見せます。





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「宇和島城」③

今日は”宇和島城”の内部をご紹介します。


天守閣には200円の拝観料を支払えば入れます。
宇和島城模型縮小
先ず目に入るのは、宇和島城の骨格模型です。

  
さて、”秀宗”は、生まれたときから人質としてではありますが、豊臣家の奥で、”豊臣秀頼”の遊び友達として栄華に囲まれて贅沢に育てられていました。


時の天下人”豊臣秀吉”に可愛がられ、秀吉の名の一字をもらって”秀宗”と名乗ります。


そういう育ち方をした長男の秀宗です。
宇和島城窓縮小
「贅沢な暮らしに慣れた息子に、四国の田舎暮らしができようか?」


そのことを父の正宗は心配したのでしょう。


正宗は、家老から家臣団まで全てを自らが人選し”秀宗”に付けてやりました。


その家老団の下に、財務長官的な役柄に大抜擢された”山家清兵衛”(やんべ・せいべい)がいました。
宇和島城内5縮小
山家清兵衛は、元はといえば仙台伊達家の”算用頭”(さんようがしら=今で言う経理課長程度)です。


位はせいぜい中級家臣でした。


正宗は「山家清兵衛の言うことはわしの言葉と思え」と皆に言い渡して、多くの家臣団とともに宇和島に送り込んだのです。


筆頭家老は桜田玄蕃(さくらだ・げんば)、他に有力家老として桑折左衛門(こおり=さえもん)の名前が見えます。


余談ですが、桑折(こおり)氏の末は医者になりました。
宇和島城内8縮小
天守閣は思った以上に狭く、階段などは上り下りに苦労するくらいに急です。


当時は大名でも、暮らし向きは質素でした。


ましてや農民や町民の暮らしは、現在の感覚でいえば貧しいを通り越したもので、山家清兵衛は民政者として心を砕きました。


領民達の山家を慕う気持ちは日増しに募りましたが、それは同時に山家の上役達の嫉妬をかうことにもなりました。


そこにも”悲劇”の芽が育っていたことを山家清兵衛自身は気が付いていませんでした。




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「宇和島城」④

今日は”宇和島城”から見た宇和島市の風景をご紹介します。


先ずは、城山から東の方角にある”鬼ケ城山”です。
宇和島城から鬼ケ城山縮小
天守閣の窓から見ました。


標高は1,151mです。鬼ケ城山の南側にある八面山(1,155m)と並んで、宇和島を守る屏風のようにそびえています。
宇和島城から宇和島湾縮小
こちらは、城山から北西の方向にある”宇和島湾”です。


宇和島湾の正面に見えるのは”九島”でしょう。宇和島港からはフェリーが出ています。
宇和島城から市内
こちらは城山から東の方角をみた町並みです。天神町辺りでしょうか?


さて、伊達政宗から惣奉行(そうぶぎょう)として宇和島に送り込まれた”山家清兵衛”です。


彼は農民に対する税率を、前時代から比べて思いっきり引き下げました。


それでも領民の暮らしが回復しないのを見て、租税を納める能力のない農民には取立てを免除しました。


領内の自治組織も整備し、不正がないよう、また暮らし向きを正確に把握するために心を配りました。


直接領民に接する役人たちの教育は彼自身が受け持ったと言われています。


そういう年月が6年間続き、荒廃した領内が息を吹き返しかけた頃のことです。


遂に、後世まで語り伝えられることになる”悲劇””惨劇”の日が近づいてきました。


宇和島に真夏の太陽が照りつけ、夜は寝苦しくなる7月の夜の出来事です。


明日は”宇和島城”シリーズの最終回です。



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「宇和島城」⑤(最後)

今日が”宇和島城”シリーズの最後です。

”悲劇”の直接の引き金になったのは、仙台伊達家”伊達政宗”が、秀宗に貸し付けた六万両です。秀宗が宇和島に入部する際のことです。

この”六万両”が”山家清兵衛”の命取りになりました。

仙台伊達家から、「あれは貸した金だから返せ」という督促があったのです。和霊神社3縮小   新藩の運営ですので、宇和島城に蓄えなどできようはずもありません。

おまけに徳川幕府からは大阪城の改築費用の分担を命じられるなど、出費を重ねざるを得ない状況が続いていました。

藩の家老達は「返せといっても親子の間の貸し借りだから、今の財政事情が苦しいことを仙台に説明して、いっそもらったことにしてはどうか」という意見でした。

ところが山家清兵衛は「借りたものは返さなければならない」と主張し、筆頭家老の桜田玄蕃と対立します。

また、「領民をもっと絞るべきだ」という意見が藩の重役たちの主流意見でしたが、山家は頑としてその意見も退けます。和霊神社遠景縮小   家老の桜田玄蕃は山家清兵衛の取り扱いに困ったということになっています。

しかし、一番困ったのは藩主の秀宗だったのではないでしょうか。

なにしろ山家は、父が指名した惣奉行なので、藩主の意見を諌める場面も多々あったようです。

山家清兵衛の運命はこの時点で決まりました。

桜田玄蕃が刺客団を仕向け斬殺したことになっていますが、本当は秀宗の”上意討ち”だったのでしょう。

真夏7月の暑い夜、刺殺団が山家清兵衛家を襲いました。

刺殺団は、蚊帳の中に寝ている山家清兵衛一家を、蚊帳の四隅の吊手を切り落とし、蚊帳に押し込めてそのまま斬殺しました。

3人の幼子ともどもです。

一人の子が蚊帳から逃げましたが、直ぐに捉えられ、井戸に吊るされ、吊るし斬りにされたといいます。

清兵衛42歳の時のことです。

殺し方が余りに残酷であったため、後に山家清兵衛の”タタリ”と信じられる不吉な出来事が宇和島藩を襲います。和霊神社山門縮小   タタリの噂といい、日増しに清兵衛の死を悼む領民の声に、秀宗の気持ちは揺らぎに揺らいだに違いありません。

とうとう、山家清兵衛を神として祭ることにしました。

一番上の画像が、山家清兵衛の屋敷跡に建てられたという”和霊神社”です。

その後、現在の和霊町に移され現在に至っています。和霊神社本殿縮小   和霊神社の分霊を祭る神社が四国地方を中心に全国にあります。

秀宗は、和霊神社を作るに際して、単なる地方神とはせず、京都から奉幣使(ほうへいし)を招いたといいます。和霊神社本殿内部縮小   7月23日と24日の”和霊大祭”には、今でも旧宇和島藩の領地であった町々の人々が多数集まります。

ワタシも子供の時代、明浜町に住んでいたころは漁船に大漁旗をなびかせて、村中総出で宇和島に向かったものです。

宇和島湾は、近隣の村や町から繰り出した漁船で埋まりました。

和霊大祭が終われば、南予に夏が訪れるという決まりだったのです。

宇和島城の天守閣に至る石段にあった奇怪なモノは、”宇宙人の干物”か?

それとも清兵衛のタタリを封じる”呪い木”か?・・・・・

これで「宇和島城」シリーズを終わります。

さて、今の日本の政治の世界に”山家清兵衛”はいないものか?


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<母を看取る①>

松山にいるワタシの携帯に連絡があったのは、昨年の暮れに近いある日の午前5時16分でした。

母はその時、狭心症の持病で地元の病院に入院して1週間目でした。

その病棟の婦長さんからの電話です。

「お母さんが心臓発作を起こしています。今、手術ができる他の病院を探しています。直ぐに帰ってください」

予期していたこととはいえ、動揺しました。

丁度松山自動車道を南に向かっていた午前5時55分です。

今度は主治医からの電話です。

「手術を受け入れてくれる病院が見つかりました。大洲市の病院です。今から救急車で搬送しますので、そちらで待機していてください」

寒風が吹きすさぶ中を救急車が着いたのが午前7時5分。

意識はありませんでした。

直ぐに手術室に運ばれました。

運ばれる途中の廊下で、手術を担当する主治医から慌(あわただ)しい説明を受けました。

「心筋梗塞の疑いがあります。今から至急、手術ができるかどうかも含めて心臓にカテーテルを入れて検査をします。それに当たっては、2点確認していただきたいことがあります」

「お母さんは、先ず肺炎を起こしています。今から直ぐに人工呼吸器をつけなければ検査も出来ませんし、生命が危険です。二つ目は、お母さんは一度心臓が止まったので多臓器不全の状態になっています」

「また腎臓はほとんど機能しておりません。カテーテル検査をすると腎臓に負担がかかり、病状が回復しても直ちに人工透析を続けることになります。同意いただけますか」

「はい。先生お願いします」

動転していましたので思わずそう答えました。

ワタシの、このとっさの判断が後々ワタシを悩ませることになろうとは、このときは全く理解できていませんでした。

この瞬間からです、母の看取りが始まったのは。

浅海の海岸で「かもめ」

国道196号線を松山から今治に向かいますと、途中に旧北条市(現在は合併されて松山市)の”浅海海岸”を通ります。

この海岸を過ぎれば瓦の町”菊間”(現在の今治市菊間)に至ります。

冬の海岸は人寂しいものです。かもめ飛翔縮小  菊間の手前”大浦”の海岸で”かもめ”を見かけました。

消波ブロックで何時も羽を休めている彼女達。

一斉に飛び立ち、餌の小魚を狙います。かもめ水没縮小  これは、狙いの小魚を見つけたから海中にダイブしたわけではなさそうでした。

というのは、頭からは突っ込まず、足からソロっと着水しましたから。かもめ海上縮小       一斉に飛び立ったかもめは、一部は海上を漂い、一部は海岸の浅瀬に降り立ちました。かもめアップ4縮小  押し寄せる、瀬戸内の静かな波をじっと見つめるかもめたち。

彼女達が目にしているのは、瀬戸内海の”斎灘”です。かもめ波縮小  何をおしゃべりしていたのでしょう。

波の音と彼女達のさざめきが重なり合って、静かで穏やかな年明けの風景でした。

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<母を看取る②>

カテーテルの検査や、緊急の処置が終わり、主治医から再び説明を受けたのは、その日の午後のことです。

母の心臓の鼓動を、ディスプレイを通じて動画の状態で見ながら主治医の説明を聞きました。

「手術をして、心臓動脈のバイパスの処置などは可能です。ただ、心臓が回復しても腎臓が完全に機能を失っていますので、その後ずっと人工透析の治療が必要です」

「当面お母さんお体力の回復状況を見ながら判断することにししてはどうかと思います。今は肺の機能が極端に落ちていますので酸素濃度100%の人工呼吸器に頼っている状態です」

説明を受けた後、集中治療室の母を見ました。

86歳も半ばを越えた母です。

口には人工呼吸器が取り付けられ、規則的に呼吸を続けています。

体中に10本に余る点滴用の管をつけられベッドで意識のない状態で横たわっています。

手足を見ると、ベッドに拘束されていました。

看護師さんの説明によると、人工呼吸器の装着は本人には強いストレスとなり、無意識に呼吸器を外そうとするので拘束せざるを得ないということでした。

時折顔をしかめて苦痛の表情をしますが、人工呼吸器が口に入っているので声は全く出せません。

まんじりとも出来ない夜が過ぎました。

西林山「浄土寺」

今日は、四国八十八箇所の第49番札所、”西林山浄土寺”の風景です。

旧11号線(現在の県道松山東部環状線)の鷹子町にあって、春先はお遍路さんで賑わいます。浄土寺扁額縮小  浄土宗豊山派のお寺で、ご本尊は”釈迦如来”です。

48番の西林寺と、50番の繁多寺の中間所にあります。

ワタシの家からは歩いて14分。浄土寺本堂縮小  本堂は文明十四年(西暦1482年)領主河野通宣が再建したもので、国の重要文化財です。浄土寺右二王縮小  仁王門は大正11年に再建されました。

左右の仁王様の表情は、金網越しに見ても迫力が伝わります。浄土寺左二王縮小  もともと、空也上人に関係が深く、天徳年間(西暦960年ごろ)空也上人が3年ほど滞在したという記録が残っています。

空也上人が念仏を唱えると、念仏の一つ一つが小さな仏像となって口から出てきたそうで、その様が木彫品として残っていることでも有名なお寺です。浄土寺鐘縮小  梵鐘を大きく鳴らして、今年の平安を祈りました。


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<母を看取る③>

母が、日本解剖学会の協力団体である“愛媛大学医学部白菊会”に“献体”の登録をし、会員になったのは昭和の終わりごろです。

母、60代前半の時です。

母が死後の自分の体を献体し、医学生の解剖実験に役立てたいと考え、自ら愛媛大学医学部に手続きをしていました。

母は、それ以降、折に触れて自分の死について語るようになりました。



また、若いときから愛媛新聞の「てかがみ」や朝日新聞の読者投稿欄に投稿を続けていました。

県内では、主婦が新聞に定期的に投稿することの草分け的な存在ではなかったかと思います。

そこで多くの知己を得た母は、次第に視野を広げることになります。



そして、行き着いたのが「短詩」の世界です。

和歌や俳句、そして最後に「川柳」という「17文字」に思いを凝縮して表現するという方法で、自分の生きる道を見出しました。

そういう生き様の中で、自分の死について明確な意思を持ち続けていました。



それは、死に際して延命措置は採らぬこと。

死後直ちに、愛媛大学白菊会に連絡をし、献体の手続きを行うこと。

葬式など必要なく、愛大医学部から遺骨で帰ったとき、子と孫だけで墓石の下で眠らせて欲しいこと。

宗教は無宗教であるので、戒名等は必要ないこと。

「サヨナラを言いたい」と思ってくださる方がいたとしたら、手ぶらで来ていただき旅立ちを見送ってほしいこと。



そう言い続けてきた母が・・・・。

目の前で人工呼吸器に喘ぎ

何本もの点滴の管が体中に刺さって

ベッドに横たわっていました。

八幡神社

今日は久米の”日尾八幡神社”の風景をアップします。

東雲大学から県道東部環状線を南東の方向に走り、県道松山川内線と出合ったところにあります。八幡寺鳥居縮小  元々は、大分にある”宇佐八幡神社”が元で、8世紀に建てられた古い神社だそうです。

その後、松山の”伊予比古命”(いよずひこのみこと、夫婦神とされる)と共に伊予国の地神として、また”久米氏”の祖神として祭られています。八幡寺正門縮小  本殿を前にした楼門が立派です。八幡寺狛犬縮小  これが”狛犬”なのか?は知りません。

狛犬だとしたら可愛いですね。おみくじ縮小  おみくじが、境内に結ばれていて、その結び輪の間から太陽が顔をのぞかせていました。

おみくじに、今年の自分の願いを託して、そこに書かれていた言葉を噛み締めたことでしょう。

さて、その思いや願いはどうなりますか。


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<母を看取る④>

母が緊急入院した翌日です。

午前9時50分でした。

それまで何度声をかけても反応がなかった母が、微かに目を開けようと顔の表情を変えたのは。

思わず母の耳元で呼びかけました。

バアチャン、聞こえる?○○ヨー!」

「・・・」

声は出ませんが明確にうなずきました。

返事が初めて返ってきました



それまで、ワタシは涙を出す余裕すらありませんでしたが、その母の反応を見て一気に声を上げて泣きました。

生きていたー」と思って。

そして手を握りながら「バアチャン、気がついてよかったね」と耳元で何度も呼びかけました。



そこからです、母の本当の意思の強さ を思い知らされたのは。

ワタシが幾ら「ヨカッタネー」と呼びかけても「・・・・」母は頭を横に振る のです。

「バアチャン、頑張ろうね。皆が助けてくれるからね」と呼びかけますと、頭を横に振るのです。


「ええー?バアチャン、頑張らンのー?頑張るの嫌なン?」

すると、明確に首を縦に振り“頑張りを拒絶する”という意思表示。



そのとき、初めて母が常々言ってきた“母の死に方”がワタシの頭をよぎったのです。


それから、延々と母との対話が始まりました。

冠雪「石鎚山」

昨年暮れにもアップした”石鎚山”の冠雪風景をアップします。

東温市から、国道11号線沿いに見ました。

この辺りの人たちは、ここが絶景のビューポイントだと、誇りを持って石鎚山を愛(め)でています。石鎚山遠景1縮小  本州の人は、ここが南国四国だとは想像できないでしょうね。石鎚山遠景4縮小  左側に見える最高峰の”天狗岳”(1982m)の山頂は雲に隠れています。

その右側にかすかに見える山頂の建物の影は”弥山の石鎚神社山頂社”の影ではないか?と思います。石鎚山12縮小  石鎚山は言わずと知れた西日本最高峰。

また、約1,300年前に”役小角”(えんのおずぬ)が開いた修験道のメッカでもあり、お山開きには賑わいます。雲に覆われる石鎚山縮小  こちらが最高峰の”天狗岳”です。神々しく雪に輝いています。

松山市内からもこの光景が間近に見えるのですから、松山の”田舎力”はエライ

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<母を看取る⑤>

母が倒れたとき、父は88歳。

年が明けて89歳になりました。

自宅近くの「グループホーム」に入所し、介護を受けながら生活しています。

兄弟妹3人は郷里には住んでいません。

つまり、86歳であった母は、自宅で”独居老人”の暮らしを続けていました。



他県に嫁いでいる妹が年に何度か、1ヶ月前後、母と暮らしてくれるという生活が続いていました。

母に「松山に来ないか?」とか、「ジーチャンと同じグループホームに入らないか?」と幾ら提案しても、頑として聞き入れませんでした。

「自分の面倒を自分が看ることが出来る間は自宅で頑張る」

そして、「毎日届く郵便物の返事を、私が書かなければ誰が書くの?」というのが母の言い分です。



それと、「川柳」を通じた友人知人が「元気かナー?」と言って訪ねていただいていました。

また、ご近所の方が毎日様子を見に来ていただいていて、「今日はお寿司をつけたから、食べてヤー」と色々なものを持ってきてくださるという生活でした。



子供たちの支えなど何一つ及びもしない、周囲の方々の手厚い”お助けとお気持ち”で生かせていただいていたというのが実態です。

住んでいるところが田舎でなければ、とうの昔に命を枯らしていたことは間違いありません。



母との会話を続けました。

それは「母の死に方」に対する確認というより、「母の生き方」をもう一度なぞる会話でした。


明日を「母を看取る」の最終回にします。

「線路」は続く

今日は伊予鉄横河原線の”鷹子駅”近くの踏切から線路を望みました。

確かに線路は続いています。横河原線縮小 こちらは、伊予鉄横河原線の下り方面を望んだもの。

横河原方面は蜃気楼の中。城北線3縮小  こちらは市内電車の城北線です。

日赤前”から鉄砲町を望みました。

オットトット・・・向うから電車が接近。予讃線上り縮小  さて、こちらは予讃線の上り方向です。

すぐ向うに”市坪駅”があるのですが、”坊ちゃんスタジアム”の途中頃から線路の勾配が下がっているので”駅舎”は見えません。予讃線下り2縮小  最後は、予讃線の下り方向です。

重信川に架かる”重信川橋梁”を望みました。

「線路は続くよ どこまでも・・・・」と歌っても、終点駅は”宇和島駅”なんですよね。


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<母を看取る⑥>最後

「バアチャン、今、どうして欲しいン?」

と問いかけると、拘束されている手と指を懸命に動かし、点滴の管を抜こうとします。

「点滴をやめて欲しいの?」とたずねると、首を縦に明確に振って「そうだ」と。

「点滴を外すと、あちらの世界に行っちゃうよ、そうなったら、もう二度とこちらには帰レンノヨー、それでいいン?」

「 イ イ ヨ 」



「先生に治療してもろうて、元気になって」と呼びかけても、ただ首を横に振り続けるばかり。

約束が違うじゃないか」・・・と言わんばかりのしぐさが続きます。

「周りの人が皆、バアチャンを助けようとして精一杯努力してくれよるンよ。そのことは感謝しとるンヤロ?」

「ウン」

これには母もうなずきました。

「だったら、もう一回頑張ローヤー!」

でも、首を明確に横に振ります。



「じゃあ、本当に治療はせんでイインヤネ?」

と聞くと 「ウン」と力強くうなずく。

「何時も言っていたように愛大に献体するンヤネ?」

「ウン」

「葬式はせず、戒名もいらんノヤネ?」

「ウン」

「墓碑銘は自分の名前と、前から聞いていた川柳を墓石に刻むことでエエンヤネ?」

「ウン、その通りでエエ」・・・明確にうなずくのです。



それ以降、医者に特別な延命措置を断りました。

ただ、本人に苦痛のないよう痛みのコントロールを完璧にしていただくことも併せて頼みました。

それから18日後、年が明けて間もなく、子供たちや孫達、そして89歳の父との会話を終え母は眠るように旅立ちました。



自分の”死に方”、”死んだ後の手配”を自分で決め、そしてその通りに母は逝きました。



私たち子供にとっては巨木のような存在でしたが、その巨木が徐々に枯れて、最後は音もなく、スローモーションのようなスピードで地上に倒れるような、そんな逝き方でした。



母が倒れて逝くまでの18日間


家族にとって、その18日間という時間は、母の死を正面から受け入れるのに、必要で充分な時間だったように思います。

ただし、母に感謝の言葉を送り続けるには余りにも短い時間でした。



読経も遺体もないお別れ会も先日終えました。

様々な形で弔慰を示していただいた全ての方々に深く感謝いたします。

ありがとうございました。



ブログにこのようなことを書くにはいかがなものかと悩みましたが、文章を綴ることを教えてくれたのは母です。

その母に敬意と弔意を示す意味で母の最期をまとめました。



最後に、母の墓碑銘の川柳(うた)です。

  灯台のよう 
        ふるさとに
             母が居る

冬も今が盛り

連日寒い日が続いています。

小野川の至るところで”セグロセキレイ”が餌を啄(つい)ばんでいます。

ブログ画像を写しはじめて気がついたことですが、セグロセキレイって本当に身近な存在なんです。セグロセキレイ縮小  至るところで、尾っぽをチョンンチョンと上下させて餌を探している光景を眼にします。

飛ぶことも上手ですが、むしろ地上を走ることが上手な鳥ですね。浅野亭水盤縮小  こちらは、”祝谷”にあるお客様の玄関先で見かけた、早朝凍っていた氷が解けた水盤の水草です。

下側の落ち葉の形が”鯵の塩焼き”に似ていると思ったのでシャッターを。

何でも食べ物に見えている間は健康な証拠かな?水盤めだか縮小  別の水盤では”めだか”が泳いでいました。

金色の”めだか”でした。

寒いでしょうにね。でも、コタツには入れてあげられないし・・・・

もちろん”めだかの塩焼き”も出来そうもないし。


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「梁山泊」 真っ当な「B級グルメ店」①

以前、「B級グルメ?」ということで、””付きのグルメ店を採り上げたことがあります。

今日からは、”抜きの真っ当なB級グルメ店」を順次採り上げます。

ワタシが考えるB級グルメ店とはお値段”と””と”サービス”(量とか、清潔度とか、店員・店主さんの姿勢等)のバランスが適切なお店と考えています。

なお採り上げる順番は、取材が出来た順番です。

美味しさは、甲乙つけがたいので、美味しさで順番はつけられません。

初めに採り上げるのは、平和通にある中華料理屋さん。

萱町商店街の入口付近に昔からある“梁山泊梁山泊玄関縮小
愛媛大学と松山大学、それに堀の内の県警本部等官庁街御用達(ごようたし)のお店です。

このお店の最大の“売り”は、“安くて量が多い“ことでしょう。

味も大変”美味しい

だから、昼時は何時も混雑していますし、出前の注文もひっきりなし。

そうです、このお店は、最近少なくなった出前にも応じています。

「出前に旨いものなし」という格言は、この店の場合当てはまりません。

ワタシが何時も注文するのは”チャンポン

値段は600円です。梁山泊尼崎チャンポン4縮小
最近”B級グルメで町おこし“ブームに乗って、愛媛県でも”八幡浜チャンポン“が話題になっていますが、その八幡浜のチャンポン(八幡浜チャンポンは九州系の味です)とは別物です。

このお店では”尼崎チャンポン“と称していて、片栗粉を溶かし入れた甘酢餡(あまずあん)スープの中に、細麺(ただしチャンポンの麺ではなく、普通の中華麺)と大量の野菜や魚介類を炒めたものが入っています。梁山泊尼崎ちゃんぽん3縮小
以前は一人前を平気で平らげていたのですが、今では三分の一は残してしまいます。

でも、スープに野菜の甘みが溶け出し、濃く(コク)もあって、嬉しい美味しさです。

美味しさと安さは、文句ありません。

ただ、少々残念なことは、店内が清潔でないこと。

雑然としていて、壁や椅子は汚れている。入口には古い少年漫画が乱雑に散らばっている。

忙しいので、そこまで手が回らないというのが本音でしょう。

雑然としたところが気にならない方は、どうか食べに行ってみてください。

美味しくて、お腹一杯になること請け合いです。

B級グルメ”(?のマークは付けません)の称号に相応しいお店です。

ただし、普段着でどうぞ。


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「瓢太」 真っ当な「B級グルメ店」②

昨日は”チャンポン”を採り上げましたので、今日と明日は、そのつながりで”ラーメン”をアップします。

今日のラーメン店は、三番町六丁目、花園町の電車通りを三番町通り西に入った”瓢太”さんです。

”瓢太”では、ラーメンではなく”中華そば”と言います。

元の国民金融公庫、現在の「日本政策金融公庫」の南向かい側にあります。瓢太店頭縮小お昼時は、中華そば店です。

夕方以降は、”中華そば”も出しますが、メインは居酒屋になります。

さて、”瓢太”の”中華そば”です。瓢太1縮小とにかく個性的なラーメンです。

”中華そば”が600円、”中華そば中盛”が700円、大盛は800円です。

賛否両論の味でしょう。甘いんです、これが。

かつては日本全国、北は北海道から南は鹿児島まで、名だたるラーメン所を食べ歩いたこともあります。

でも、”瓢太”の”中華そば”ほど甘いラーメンは、全国でも松山市の湊町4丁目にある”瓢華”さんだけでしょう。

つまり、これが”松山ラーメン”の味と断定していいと思っています。瓢太3縮小保免西に”ロシナンテ”というパン屋さんがありました。

その”ロシナンテ”をやっっていたご夫婦のお父さんが、持ち帰り用の”松山ラーメン”を作り続けていました。

今の”瓢太”さんは”ロシナンテ”の親父さんの孫弟子です。

”瓢華”さんは弟子ではないかと思います。

残念ながら、ロシナンテさんは今はもうありません。

”瓢太”と”瓢華”の”中華そば”の違いは、”瓢華”にはもやしが入ります。

チャーシューは、”瓢太”の方が厚めです。チャーシューというより、完全に角煮です。

日本ラーメン党総裁を自認している、”林家喜久翁”(元、林家喜久蔵さん)さん御推奨のお店です。

喉が痛くなるほど甘いンですが、間を空けると、「アレ?最近食べてないなア。早く食べに行かなきゃ」と思ってしまう、不思議な味です。


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「闘牛」 真っ当な「B級グルメ店」③

今日のラーメン店は、松山で唯一、正統派の東京ラーメンを出します”闘牛”さんをご紹介します。

場所は久万ノ台の「県立松山盲学校」西側にあります。国道196号線東側に面しています。闘牛店頭縮小ここのご主人が、東京で修行し、そのままの味を松山に持ち帰りました。

ご出身は南予なので、宇和島で盛んな”闘牛”を店名としました。

ここのラーメンの真骨頂は、真っ当、正統派、混じりっ気なしの”東京ラーメン”を出してくれるところにあります。

メニューには、味噌ラーメンもありますが、ここは断然”醤油ラーメン”を注文すべきです。闘牛ラーメン縮小これが、正真正銘の”東京ラーメン”、このお店のメニューでは単に”ラーメン”と呼んでいます。

値段は、450円です。

ワタシは上に乗っているカイワレが好きではないので、ワタシが注文したときは予めカイワレを除いた”ラーメン”を出してくれます。闘牛卵ラーメン縮小こちらは、”煮卵”をトッピングした”玉子ラーメン”です。

値段は500円です。実にアッサリした味です。

麺は自家製麺の中麺(太さ)で、縮れ麺。スープに麺がよく絡みます。闘牛餃子縮小最後は、これも東京風”餃子”200円です。驚くほどの格安です。

味は、大阪の”餃子の○○ ”の比ではありません。

若者にお奨めは”鳥そば”600円です。

これは”ラーメン”(当然醤油味)の上に、鳥のモモ肉をから揚げにしたものが、揚げたてでドーンと出てきます。

ボリュームがあって、しかもラーメンと鳥のから揚げ油の香ばしさが何ともいえません。

こうやって書いているだけで、また食べたくなります。


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「モダン」 真っ当な「B級グルメ店」④

今日は、三津浜の”お好み焼き”の一種の”モダン焼”を出す”モダン”さんをご紹介します。

友人の紹介で、お昼に食べに行きました。

場所は、”JR三津浜駅”駅前を南に下った一つ目の信号、北東角の”フジケンビル”1階です。

カウンターだけの小ぶりなお店で、マスター一人で全てを切り盛りしています。モダン玄関縮小
「”モダン焼”って何?」ってマスターに聞くと、「出身地の大阪・岸和田では、これが”お好み焼き”という
のです」という答え。

「広島風に似ていますね」と言いますと

「”生地”とソバの上下の位置が違うでしょう」といいながら、その手順を丁寧に見せていただきました。モダンその1縮小
まず、広島風の様に、鉄板に生地を薄く延ばしながら焼いていき土台を作ります。

広島風に比べると、生地が薄いというか、粗めに伸ばしていきます。モダンその2縮小
そこに、鉄板の別の場所で炒めておいた”うどん”、あるいは”そば”をいきなり乗せます。

ここが広島風とは違いますね。広島風は、生地の上に大量のキャベツが乗りますから。モダンその3縮小
”生地”+”うどん”の上にキャベツがドッサリ乗ります。モダンその4縮小
この上に、テンカスや豚バラなどが乗ります。モダンその5縮小
これをコテで上から押さえ、キャベツの水分を飛ばしてから「エイヤッ!」とひっくり返します。

すると、鉄板で焼かれたうどんに生地が絡まって、香ばしい匂いがしている焦げ面が現れます。モダン焼4縮小
この、焦げた面に甘めのお好みソースと青海苔と鰹節の粉をふりかけ出来上がり。

各自は、目の前の鉄板の上で出来上がった”お好み焼き”をヘラで少しづつ切り取って直接口に運びます。

注意しないと、ヘラで唇をヤケドします。皆さん、ヘラを巧みに操って食べています。

上品に箸で食べている人はいません。

お値段は、”モダン焼”が600円。そば入りかうどん入りを選べます。

しかも、それには肉と海老とイカが入ってのお値段です。堂々としたものじゃないですか。

三津浜は広島への玄関口ですから、”関西風お好み焼き”と”広島風お好み焼き”がぶつかる位置にあります。

そこに、「これが本当の”関西風お好み焼き”です」という”モダン焼”を売る店がある。面白い土地柄ですね。

関西地区で発祥したこの”モダン焼”は、”どんどん焼き”とも言われ、後に京都で”一銭洋食”というメニューを生みました。

大阪の岸和田では”かしみん焼”という名前で出されているところもあるそうです。

もちろん、味は、これぞ庶民の味という風に濃厚。都会風にアレンジされた”お好み焼き”のヤワな味ではありません。

正に”B級グルメ”に相応しい味です。一度お試し下さい。


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「どん」 真っ当な「B級グルメ店」⑤

今日から4日間は、松山の”おうどんや”さんを4店舗ご紹介します。

味は、何度も書くように個人差があります。万人向きの味なんて、まずないでしょう。

ただ、これからアップする4店舗は、それぞれに個性的であり、ワタシの”大好き”なお店です。

先ず、”おうどんや”さんのトップバッターは、萱町6丁目、市内電車「萱町6丁目電停」近くの”どん”です。どん玄関縮小ここの”うどん”麺の特徴は、何と言ってもその”なめらかさ”と”もちもち感”です。

やや細めんですが、手打ちです。

店の奥でご主人が黙々と一人麺を打っている姿は、一種の求道者のそれです。

麺はコシ=固さ、と錯覚している数多の”讃岐うどん”を名乗るお店とは完全に一線を画しています。どんざる小縮小麺そのものの美味しさを味わうなら、注文は絶対に”ざるうどん”です。

お値段は、普通盛りで380円です。どうです、B級のお値段でしょう?

大盛りはわずか100円増しで倍のうどんの量になります。良心的なお値段に涙が出そうになる。

麺の””(つや)を見てください。この艶々とした麺は、口に入れると官能的ですらあります。どんざる大縮小出された姿は”端正”なたたずまい。

気品すら漂っています。固すぎもせず、かといって松山うどんの軟弱さは微塵もない。

また、漬けつゆがいい。カツオの出汁が効いていて上品です。

残ったつゆは程よく薄まって、そのまま全部飲み干せます。どん角縮小この麺が、驚くほど”弾力的”で、かつ”長い”ので、小さめの”つゆちょこ”に入れるのが一苦労。

思いっきり箸で持ち上げても切れないんです。腕を一杯に伸ばしても、まだ切れない。

一度、ザルに麺を戻して、箸でうどんを切ろうと思っても、容易には切れない。

どん”のザルうどんを上手に”つゆちょこ”に入れて食べることが出来るようになって初めてここでは一人前の”うどん喰い”と認められます。どん釜縮小これからの季節は”釜揚げうどん”もお奨めです。

釜揚げのタイミングが合わないときは、店の人が申し訳なさそうに

「釜揚げはしばらくお時間をいただきます。”湯だめ”なら直ぐにお召し上がりいただけます」と言います。

大釜でうどんが茹ってくるのを待つべきです。釜揚げは480円です。

自信をもってお奨めします。”どん”は”ワタシが一番好きな”おうどんやさんです。


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プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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