村上水軍と河野氏、そして土佐の長宗我部氏との関係 4

今日は、”「伊予国」の中世期”において、大きな影響を与えた「土佐国」の”長宗我部元親”のことを少し掘り下げてみましょう。


長宗我部元親””は、天文8年(1539年)岡豊城、長宗我部氏第20代当主・長宗我部国親の長男として生まれました。

高地側28
(この画像は四国山地、愛媛県と高知県の県境付近の山々です)

元親(もとちか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した戦国武将ですが、この当時自国(彼の場合は土佐国)だけでなく、日本国全土を統一征服し、日本国に君臨するという野望を持っていた数少ない武将でした。


その当時、戦国時代の名のある武将の多くは、京に上り天皇を立てて室町幕府を倒し、天下に号令をかけたいという野心をもっていたことは事実です。


でも、それを具体的に戦略的に考えていたのは、私見ですが、”織田信長”と”長宗我部元親”、後は強いて挙げるとするなら”伊達正宗”の3人だけではなかったでしょうか。


長宗我部元親”が天下を狙っていたという証拠は、自分の正室(正妻)に、当時織田信長の有力家臣であった”明智光秀”の筆頭家老になった”斎藤利三”の娘”菜々”を迎えていることなどでうかがえます。


当時の地方豪族は、自国を守るために近隣の地方豪族の娘と政略結婚するのが普通でした。


ところが、元親はそれを敢えて避けて、将来自分の最大のライバルとなると見取った”織田信長”の有力家臣であった”明智光秀”とは縁続きの娘を正室に迎え入れたのです。(元親は信長の5歳年下)


しかし、このこのことが”明智光秀”が”本能寺”で謀反を起こし”織田信長”の野望を挫いた遠因となったことは、歴史の皮肉でしょうか。(この辺りの因縁・事情は、又触れる機会があれば書きます)

高地側27
(この画像は四国山地、愛媛県と高知県の県境付近の山々です)

また、”長宗我部元親”は自分の嫡子(長男)が元服するとき”織田信長”を烏帽子親(えぼしおや=元服を行う際に特定の人物に依頼して仮親になってもらう、その仮親のこと)に選び、信長の一字””をもらって嫡子を”長宗我部信親”(ちょうそかべ のぶちか)と名乗らせています。


将来、自分が四国を統一した時に、美濃・尾張を本拠地としていた”織田信長”と同盟を結び、自分は西日本を、信長には東日本を切り取らせ、最終的には日本を統合して号令をかけるための戦略意識を、元親は20代の頃から持ていたのです。

高知側29
古来、日本では戦国時代に入るまでは、自国の領域を超えて他国に攻め入り支配しようという発想を持たなかった民族です。

ですから、当時自分が「日本人」だと思っている人など、まず一人もおりませんでした。仮にいたとしたらそれは例外に近いと言うことです。


ところが戦国時代に入り、自国の領域以外にも別の国があって、別の豪族が支配していることを知るに至ります。そしてそこに侵攻し自国の支配地としようという発想が生まれたのです。


ところが、自国の隣の国に行くにも、地図があるわけでなし、道路があるわけではりません。事前に間者(今で言う調査員)を放って、隣国の兵力や地形は情報として入手し兵を挙げても、隣国に辿りつくだけでも一大事業です。


しかも、他国に攻め入るには自国の通常兵力(伝統的な武士団)だけでは到底足りません。


そこで、”長宗我部元親”は彼の独創的発想で、土佐国に”一領具足”(いちりょうぐそく)という制度を作ったのです。この独創的な制度を作ったのは後にも先にも土佐の”長宗我部元親”ただ一人です。


一領具足”とは屯田兵(とんでんへい)のことで、平素は田畑を耕す。田には槍を突き立て槍の先には兵糧(兵糧=戦時の食糧)をつけておき、城から動員を知らせる法螺貝の音が聞こえた時は、農耕馬を乗り馬にして駆けつけ戦場を駆け巡りました。


後世、この階層が”郷士”になり、幕末この階層から土佐藩の勤皇の志士がほとんど出たのです。

韮ケ崎峠30
(上の画像は、坂本竜馬が土佐を脱藩して伊予に入るときに通った”韮ケ崎峠”です。なお別ルートであったという説もあります)

幕末の英雄”坂本竜馬”もこの郷士でした。


なお”坂本竜馬”の家祖は、琵琶湖のほとりの”坂本城”に在城していた武士であった”明智左馬助光春”だと言われています。


明智光秀が本能寺の変を起こし滅亡したあと、明智光春の庶子太郎五郎が土佐に逃れて長岡郡才谷村に住み、長宗我部家の”一領具足”になりました。


坂本姓を名乗るようになったのは、家祖の”明智左馬助光春”が琵琶湖のほとり”坂本城”に在城していたことに因(ちな)んだものだといわれています。


坂本家”の家紋は、明智光秀と同じ”明智の桔梗”(水色の布地に白色)と言われるものです。


長宗我部元親”が明智光秀の筆頭家老の娘を正室に向かえ、”坂本竜馬”の家祖が明智光秀とは縁続きの”明智光春”であったことに、何か因縁めいたものを感じます。


さて、明日は5回シリーズの最終回です。


最終回では、土佐の”長宗我部元親”が、土佐を統一しその勢いを持っていよいよ四国統一の行動を起こしたことから筆を起こしましょう。


元親の四国統一はなった、と言う説と、統一はならなかったという説があります。


そのどちらが正しいのか、ワタシには分かりませんが、何れにせよ”長宗我部元親”の”四国統一という野望”の前に大きく立ちふさがり、遂にはその野望を完全に打つ砕くことになる”織田信長”と”豊臣秀吉”の”四国攻め”の様子は明日の最終回の話です。




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村上水軍・河野氏・長宗我部氏と豊臣秀吉の四国攻め 5

今日が、村上水軍と河野氏等の「家紋」を巡って書き始めた”伊予国中世期”の歴史の最終回です。


最初の3日間で”村上水軍”と”河野氏”との関係を”家紋”をキーワードにして書いてきました。


そして、昨日は”伊予国中世期”に大きな影響を及ぼした、お隣「土佐国」の”長宗我部元親”のことを少し詳しく書きました。

石鎚山3
(上の画像は高知県と愛媛県の県境にまたがる四国山地です左端には石鎚山が写っています。本文とは直接の関係はありません)

さて、”長宗我部元親”は土佐の本山氏、一条氏、安芸氏との間の死闘を制して、土佐の豪族をことごとく降し土佐を統一したあと、いよいよ四国統一へと兵を進めます。


先ず阿波の”三好氏”を倒し阿波国を支配下に置き、次に阿波の三好氏の一党でもあった讃岐の”十河氏”を制し、讃岐もほぼ手中に収めました。

石鎚山4
(上の画像は高知県と愛媛県の県境にまたがる四国山地です。本文とは直接の関係はありませんが、元親率いる土佐兵は、この山地の道なき道を乗り越えて伊予に攻め込みました)

次は伊予国へは土佐幡多郡方面から攻め入りました。


伊予の南から攻め入ると同時に、雪に埋まっていた四国山脈を越え、土佐兵たちは、次々と伊予の城々を落とし始めたのです。


時に天正3年(1575年)、”長篠の戦い”が起こった年のことです、その年は、織田・徳川連合軍が武田軍を破り、天下にその名を轟かせた年でもあります。


織田信長”がいよいよ日本の歴史上で燦然とその名を輝かせ始めたころ、土佐の”長宗我部元親”は四国統一の野望をほぼ手中に収めていました。


長宗我部元親”に破れ、あるいは圧倒された阿波の”三好笑巌”(みよししょうがん)や讃岐の”十河存保”(そごうながやす)、更には伊予で微かに生き残っていた唯一の豪族”河野通直”(こうのみちなお)らは一斉に”織田信長”に泣き付き援助を乞いました。


織田信長”は四国征伐の絶好のチャンスとばかりに彼等の求めに応じて、”長宗我部元親”に対して土佐一国は安堵(領有を認めるという意味)する代わりに、手に入れた阿波と讃岐は元の当主に戻し、伊予からは兵を引けと命じました。


元親は、自分の生涯を通じて切り取った四国を手放し元の土佐一国に戻れというのは、承服できぬと徹底抗戦の腹を決めました。しかし、それは同時に自分を含めて土佐一国が全て織田軍に殲滅(せんめつ=せめほろぼされること)させられることを意味することも知っていました。


元親が死を覚悟し、徹底抗戦に立ち上がろうとしたその時、歴史の皮肉とでも言うべきか”明智光秀の本能寺の変”で織田信長が倒されたのです。


時に、天正10年(1582年、今から430年前)の6月21日のことです。信長が”四国討伐”の軍令を出したのが6月2日でした。


四国討伐の軍令を発してから僅か19日後に”織田信長”は、”長宗我部元親”の正妻とは縁続きの”明智光秀”によって倒されたのです。


元親が織田信長の四国侵攻を免れ、命拾いをしたとホッとしたのもホンの束の間のことでした。


元親が生き残れたと思った頃には、今度は電光石火の速さで”羽柴秀吉”が天下を統一し”豊臣秀吉”となります。

秀吉四国攻め絵31
(上の画像は、”秀吉四国攻め絵”と名づけられたもので、今治に秀吉勢が結集したことを書いています)

豊臣秀吉は、元親が勢力を回復しないうちに”四国征伐”を決め、1585年(天正13年)5月4日、黒田孝高に四国攻めの先鋒として淡路に出るよう命じました。


いよいよ秀吉の”四国攻め”が始まったのです。


長宗我部元親は、”関白”にまで昇りつめた”秀吉”の四国攻めに備えて、土佐勢6,000を含む2万から4万の軍勢を動員して秀吉を待ち構えました。


それに対し、”秀吉軍”は、讃岐には宇喜多秀家・蜂須賀正勝・黒田孝高らが率いる計2万3000(1万5000とも)の軍、また阿波には、羽柴秀長が率いる軍勢3万、羽柴秀次が率いる兵3万の両軍が、大小800余艘の船団で阿波の土佐泊へ上陸し、”長宗我部元親同盟軍”に襲い掛かったのです。元親同盟軍はひとたまりもありません。

来島海峡1
(上の画像は”来島海峡”の現在の画像です。本文とは直接は関係ありません。ただ、この海峡を秀吉の伊予攻めの命を受けた毛利輝元配下の中国8カ国の軍船が埋め尽くしました)


伊予の状況はと言うと、河野氏と同盟関係にあった毛利勢が秀吉側に廻ったため、元親同盟軍は最初から守勢にならざるを得ないところに追い詰められていました。


つまり、毛利輝元配下の中国8ヶ国の軍勢は、3万から4万(2万5,000とも)に達した他、6月27日に小早川隆景の第一軍が今治浦(現在の今治港)に上陸します。


そして宇摩・新居郡を実質支配していた東予の”金子元宅”に襲い掛かります。金子勢は奮戦したものの全滅します。


その後、小早川軍は周敷・桑村・越智・野間・風早郡を制圧して道後平野に達し、8月末には”河野通直”の湯築城が攻囲され、小早川隆景の薦めにより開城し、通直は道後の町に蟄居しました。ここに”河野氏”の守護大名としての地位は終わったのです。


同時に南予の西園寺公広・大野直昌は小早川隆景の元に赴いて降伏し、大野直之・曾根宣高らは捕らえられ、伊予全域の制圧が完了しました。

法華津湾日没9
(上の画像が宇和島市吉田町の法華津湾の夕日です。本文とは直接は関係ありません)

それらの結果を受け、遂に長宗我部元親は秀吉軍に降伏し、土佐一国に押し込められます。ここに、秀吉の四国攻めが完了した事になります。


その結果の伊予国への影響は、9月17日の「伊予の豪族河野氏の歴史と善応寺 3」で詳しいことは書きました。伊予古来の豪族、他国から入ってきて伊予の豪族となっていたものたちは全て滅んだのです。


駆け足で、伊予国の中世期の隙間を埋めてきました。この作業は、言わば”歴史のパッチワーク”、あるいは”歴史のジグソーパズル”に似ています。


断片的な資料や知識を、伊予という国に関連させながら継ぎ合わせていく。もちろん、十分なものには仕上がりませんでした。


仮に最後まで目を通していただいた方がいらっしゃったとしたら、感謝いたします。


最後に、この稿を書くに当たり様々な情報提供を頂いた、ブログ友:ファットマンさんに深甚なる謝意を表して本稿を終えることにします。


ありがとうございました。




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「焼肉 井ノ口」・「愛媛グルメ紀行」 429

今日は、伊予市下吾川にある”焼肉 井ノ口”さんをご紹介しましょう。


このお店は、ブログ友:ファットマンさんの11月27日の”井ノ口でクリーミーなちゃんぽん焼きそば”という記事を見て、その日の内に訪問しました。


このところ様々な方のこういう情報を参考に、新しいお店を訪問するということが多くなっています。


新しいお店の情報開拓には、こういう情報はありがたい限りです。

看板1
場所は、県道伊予松山港線沿いにあって、お店の直ぐ東側を伊予鉄郡中線が通っています。


松山から伊予市に向かって県道伊予松山港線を南下すると、郡中線の新川駅を過ぎて川を渡れば直ぐに進行方向の左手にお店が見えてきます。


焼肉屋さんですが、昼間は午前11時からお店をやっていて、近隣で働いている方々のお昼の食堂的な役割りをも担っておられます。


昼時は、お客さんが次から次へと来店されていました。

店内3
店内では創業者と二代目、それに創業者の娘さん?(あるいは二代目の奥さんかも知れませんが)、この3人でお昼の体制を支えておられました。


注文を取りにこられた娘さんに「このお店は、何時頃開業なさいましたか?」と尋ねてみました。


すると奥の厨房に向かって大きな声で「オトーサン、この店開いてもう30年にはなるよねー?」と娘さん。


開業30年超えは立派な老舗、更に二代目が育っています。

メニュー4
このお店のメインメニューの”焼肉”には目もくれず、ファットマンさんの記事にあった”チャンポン焼きそば”600円を注文しました。


そして、注文を聞いた娘さんに「”チャンポン焼きそば”というメニューは初めて頂きます」と伝えたところ、厨房から店主さんが出てこられました。


「その”チャンポン焼きそば”は、実はウチの新メニューなんですよ。昨年の9月に伊予市の下三谷にある”ウェルピア伊予”で地元イベントとして”B級グルメ大会”がありましてね」とオトーサンがお話をしていただきました。


「その時は、富士宮からも参加してくれたんですよ」とオトーサンが続けられます。


富士宮焼きそば”と言えば”B-1グランプリ”で初代チャンピオンに輝いたB級グルメのスターです。

チャンポン焼きそば5
などと、オトーサンが話している内に”チャンポン焼きそば”が運ばれてきました。


見た目は、我々が”焼きそば”でイメージする色合いに比べると、ちょっとボンヤリとした感じです。


焼きそば”から受ける色合いのイメージは、ソース焼きそばにしろ、鉄板焼きそばにしろ、もっと茶色系の濃い色をイメージすると思います。


ところがこちらの焼きそばには、ソースの代わりにチャンポンのスープで炒められていて、全体の色合いが白っぽかった。

チャンポン焼きそば6
「それでね、ウチもそのB級グランプリに参加し、このメニューを出品したんですよ」と、オトーサンの説明は続きます。


「その大会で、これが結構評判が良くてね!それでレギュラーメニューに加えたんです。ですから、このメニューが世に出て、まだ1年とちょっと」と、オトーサン、鼻をピクッと動かせながら説明された。


具材は、キャベツ、モヤシ、青いネギ、タマネギ、それにホルモン(モツ)と、至ってシンプル。


「焼きそばに”ホルモン”が入っているのも初めてです」とワタシが言いますと。


「伊予市には昔からラーメンやチャンポンの具材にホルモン(モツ)を入れるお店がありましてね、お客さんは食べたことありませんか?」とオトーサン。


「国道56線沿いにある”みかさ”というお店でモツ入りの中華そば(”みかさ”さんでは、それを単純に”そば”と言っています)を食べたことはありますが、あのお店だけです、食べた経験は」とワタシ。


「あの”そば”(モツ入り)のお味はどうでした?」と、オトーサンに笑顔で問いかけられました。


「うーーーん、正直言いますと、あのモツの味が強烈で、ワタシにはちょっと・・・・・」と口ごもってしまいました。


するとオトーサン、笑顔で「あの味は好き嫌いが極端に分かれますね。好きな人は病みつきになるけど・・・。あのお店、ウチの親戚なんですよ」と。

縦7
チャンポン焼きそば”は、実にシッカリ味付けがなされています。人によっては”辛い”と感じるかも知れません。辛さの元は、塩味と胡椒。


でも、ワタシは好きな味の一つでした。第一、チャンポンのスープで炒められているのですが、そのスープの味が美味しかった。汁沢(つゆだく)の、ちょっと他所では味わえない個性的な味です。


「なぜ焼きそばにホルモン(モツ)を入れようと考えられたんですか?」と、ワタシが食べながら話を続けました。


「店によっては豚肉を入れるのですが、当時は豚肉が高くて材料として使えなかったんです」とオトーサン。

アップ8
「その点、”ホルモン”はタダみたいに安かった。だから入れたんです。ところが、今はホルモンがめちゃくちゃ高くなって。お客さん知っています?小腸で脂の乗っている部位なんて、グラム200円もするようになった。」と、話が次第に熱を帯びてきた。


「それで、その小腸でも脂の乗ったいい部位を使うと、一人前40円の原材料費になってしまうんです」と、話は細部に分け入っていく。


「でも、ウチはそれでもそれを仕入れて使っています」と、やや胸を張られた。

麺9
麺は、黄色さが目立つ中太の中華麺を使っておられます。汁沢(つゆだく)スープに馴染んでいます。


このお店の量なら平気で平らげることが出来た。


「うーーん、初めての味でしたが、ワタシには美味しかった。特にスープの味がいいのと、ホルモンの複雑な食感が面白かった」と、店主さんに告げた。


すると「このメニューはまたまだ開発途上なんです。もっともっと改良を重ねて、次にこられた時はもっと美味しいと思ってもらえるように頑張ります」と、オトーサンの笑顔が弾けた。


お店を始められて30年を超えられた店主さんをして、この前向きな姿勢です。その横で二代目の目も光りました。


このお店は、更に飛躍を目差して親子で目を輝かせておられる。感動させられました。


「ご馳走様でした」の言葉を後にお店を後にしました。もう師走の風が吹いていました。




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「ミニショップ ていきびん」・「愛媛グルメ紀行」 430

今日は、ちょっと不思議なお店をご紹介しましょう。

それは、国道56号線を市内から伊予市に向かい、重信川を越える”出合大橋”を越えて松前町に入った直ぐの国道沿いにある”ミニショップ ていきびん”さんです。単に”ていきびん”とも言う。

場所は、松前町西高柳の”豚太郎松前町店”の向かい側です。

国道を通る車からも、国道沿いのお店ですからよく見えるのですが、一体どういうお店なのかの想像が付きにくいお店です。

玄関1
こちらが国道から見えるお店の玄関です。

確かに、これを見ただけではどういう種類のお店か判断が付きにくい。

ワタシも、ブログ友:乱 駆郎さんが採り上げなかったら、先ずお訪ねすることはなかったでしょう。

乱さんは、珍しくオヤジギャグを用いず「隠れ名店『ていきびん』の中華そば」と題して、このお店を紹介されていた。

店内2
店の外観から、どういうお店で何を提供しているのかが分かりにくいだけではない。

「このお店は・・一体・・・ナニ???」と戸惑うのは、実は店内に入ってから。

ざっと見回すと、中途半端な雑貨屋さん?あるいは、閉店間際の田舎の万屋(よおろずや=何でも売っている店)のようにも見える。

というのは、扱っている商品(主には食品)の種類も数も極端に少ないから。このコンビニ全盛時代に。

でもお店にはカウンターがあって、カウンターの前には”オデン桶”がドン!と据えられている。

カウンターの内側には、一種独特の風体をしたオヤジ(ワタシよりかなりご年配に見受けた)が、口を大きく開いて、2人の常連客と先週行ったゴルフの話しをしている。

メニュー3
このお店が”中華そば”を出すことは乱さんのブログで知っていた。一応、メニューを見渡すと店の壁に札が張ってある。

メニューらしいものはこれだけ。まあ、最初から注文するものは決めていたので関係ないといえば言えなくもない。

迷わず「中華そば!」っと、厨房のオヤジと常連さんの会話に割り込んで注文を通した。お値段は嬉しい450円(内税)。

メニューから言えば、街の食堂のそれ。

おでん4
ワタシが座ったカウンター席の隣に”オデン桶”から湯気が立ち昇っていたので、オデンを2本を勝手に取った。

1本が90円。味は特にどうと言うほどのものではないけど、これから寒くなたら自然に手が出そう。

お水は当然セルフサービス。

オヤジは、常連客とゴルフ談議を交わしながら、意外に手さばきよく”中華そば”を作っていく。その動作には年輪が刻まれていると見た。

中華そば上5
これがその手業に年輪を感じた、オヤジが作った”中華そば”です。

これは”愛媛グルメ紀行”で、7月18日にシリーズ334番目のお店としてご紹介した、余戸駅前にある老舗”お食事処 かわぐち”さんと同じ手法になる”中華そば”です。

「最近のラーメン屋さんのように、予め具材は用意していて、麺が湯がけたら用意した具材をその上に形よく乗せていく方法とは違う。」

「老舗の町の食堂に共通した、『具材フライパン炒め、後乗せ方法』とでも言うか。」っと説明したアレです。

中華そば6
ただし、このお店の具材は”かわぐち”さんよりずっとシンプル。

フライパンで炒める具材は豚バラとモヤシだけ。それを、ラーメン丼に並々と張った豚骨ベースのスープに湯掻いた麺をほぐし入れ、そこの炒めた具材と刻みネギとカマボコを2切れ乗せるだけ。

もちろん、堂々とした”化学調味料”のお世話になっている伝統手法。

味?

先ず正統派の”中華そば”の味です。唸るほどのものではないけれど。もちろん不味くはない。

アップ7
でも、結構スープは濃い。このワタシがスープを三分の二ほど残した。

全部飲み干すと、もう一度セルフのお水を取りに行かなければなくなるから。

「オヤジさん、このお店を始められたのは何時頃のことですか?」っとこの一言が、お店の中の今までの雰囲気を一変させた。

オヤジさん「良くぞ、お尋ねイタダキヤシタ!・・・・・・」と言わんばかりに、常連客をホッポリ出して語りに語った。

常連客の二人はオヤジさんに見放されたように、静かに新聞をやテレビを見ながら黙々と食べ始めた。

麺8
「もう、ソーデスネー、かれこれ30年は遥かに超したでしょうか・・・・・」っと、出店当時の事に思いを募らせ語った。

「いえねー、初めは”ナイトショップ”始めたンですよー、友達が”ナイトショップさくら”をやっていたので。場所は、ええココで始めた」

「ここは主に息子にやらせて、ワタシは南黒田で別のお店をやってて、もう掛け持ちですよー、夜中の2時まで店、やっていた。その内朝までやるようになって、生活が昼夜逆転しちゃって・・・・」

「ソリャー、その当時ナイトショップなんていう店はこの辺りにはなかったし、第一夜中の2時まで開けている店なんてなかった。随分珍しがられたモンですよー」

「そして、勢いに乗ってねー、松山の高砂町で”焼肉どんべい”を出しましてねー。更に、店を手伝っていた子に本町で同じ焼肉店出させましてネー!」

「ソリャー、忙しかった。その頃この店は息子がレストランに改装してやってたんですよー。裏のトンガリ帽子の屋根、アレネー、その頃の名残・・・・」っと、目を宙に這わせながら語り続けた。

「でねーー、マア、色々あって、今はこの店でこうやって・・・。この店だけはずっとやり続けた、ウチの原点ですからネー!」っと、表情を輝かせながら一気にココまで語った。

ワタシの後に入ってきた常連客が、オヤジの何時にない饒舌(じょうぜつ=おしゃべり)の合間を縫って「オヤジー、ナンか飯もん、作ってよー」っと、申し訳なさそうに小声で注文した。

オヤジのほとばしる言葉の勢いに気おされたのか、特定のメニューなど言えないと感じ取ったようで、「ナンか飯もん・・・・」という言葉の裏には「何でもエエケン・・・」という願いが込められていた。

オヤジは、その客には一瞥(いちべつ=一目見ただけ)をくれただけ、相変わらず回顧談が続いた。

ワタシも、オヤジの回顧談に聞き入っていて、オヤジの細かい手作業には注意が及ばなかった。

ととこが・・・である。

上の会話が終わった途端、「ハイこれねー!」っと、後から小声で注文した客に”秋刀魚の塩焼き定食”らしき”飯もん”をさっと出した。メニューには載っていない。でも”秋刀魚”は今が旬!

話している最中にも、手と体を動かしてちゃんと調理してたんだーー!ワタシは気がつきませんでした。

このオヤジ、中々やりますよ!




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「KIKUEI Kafe + そば」・「愛媛グルメ紀行」 431

今日は、山越4丁目、国道196号線沿いの”河上ビル”1階に今年6月14日にオープンされた”KIKUEI(きくえい) Kafe + そば”さんをご紹介しましょう。


この”河上ビル”と言えば、地下に”オロチョンラーメン”のお店が入っています。


以前は確か”菊榮”というお店があったところなので、店名を変えて”蕎麦”やコーヒー、夜はワインなどを提供する”Kafe”(カフェ)スタイルに業態を変えられての再出発のようです。(ただし、本人に確認できていませんので間違っていたらゴメンナサイですが)

玄関1
こちらが、国道196号線に面したお店の玄関です。


ちょっと見には、とても本格的なお蕎麦をいただけるお店の店構えには見えません。


完全に”カフェ”スタイルです。でも6月にオープン以来、口コミなどでお蕎麦の味の評判を聞き付けたお客さんで店内はほぼ満席でした。


ワタシは一人客なのでカウンター席に案内されました。

店内2
店内は広々としていますが、店内の空間を贅沢に使っていて客席は20席余りです。


店内の厨房には店主の”キクちゃん”こと店主を含め3人が入り、フロアー係りは責任者風の女性と若い女性の5人体制の様にお見受けしました。


店内カウンター奥のボードにはワインボトルが並び、店主さんが新しいスタイルで”蕎麦”を提供したいと言う意欲は十分に伝わります。

メニュー3
メニューを見ていますと、フロアー係り責任者風の(ひょっとしたら、店主の奥様かも知れません)女性が近づいてきて「今なら、期間限定の10割蕎麦をお召し上がりになれます」と、耳元で囁(ささや)かれた。


「ホー!十割蕎麦とは珍しいですね。お薦めということならぜひそれをいただかなくちゃ!」と、こちらもやや囁き加減で言った。


そしてメニューにあった”つけ麺 10割 黒極み鴨せいろ”を頼んだ。(この表記、”つけ麺”は馴染まないと思ったが・・・・)


国産粉10割を使っているなら、その量が推測できますので、大盛+200円を頼んだ。合計1450円。


決して手軽な価格ではない。でも、そこが国産蕎麦粉を使っているお店の通り相場なのです。

キクちゃん4
このイラストが店主の”キクちゃん”らしい。


そういえば、厨房で帽子をかぶった男性が、割烹着ではなく普通の綿シャツを着て蕎麦を配膳されていた。


イラストの下には「蕎麦のことなら何でも聞いてね!」とあった。かなり蕎麦を研究なさったご様子。


蕎麦後進県の愛媛で、新しい”蕎麦の名店”新発見となるか?期待が高まる。

鴨せいろ5
さて、これが注文した”つけ麺 10割 黒極み鴨せいろ”と名づけられたものの大盛り。


確かに”蕎麦”の色が黒い。これは”田舎蕎麦”だと見た。


それと見慣れない器が、右手前済に置いてあった。


するとそれを見ていた瞬間、フロアー係り責任者風の女性が近づいてきて「10割蕎麦なら、ぜひこちらの岩塩でお試し下さい!」と胸を張ってお勧めになった。


「ただし、岩塩はほんのちょっとお付けになって」と言い添えられた。

岩塩6
赤い漆塗りの平器の脇に、”岩塩”が入った容器があって、それを胡椒を削りだす要領でその赤い器に削り出した。


美味しい天婦羅はお塩でいただくこともあるけれど、”蕎麦”を塩でいただいた経験は全くない。


好奇心一杯で、”田舎蕎麦”を一掬い取り岩塩をほんの少し付けて口に含んでみた。


蕎麦粉の香りが口中に広がった。


田舎蕎麦”、”更科蕎麦”、”藪蕎麦”の三種に、蕎麦粉の引き方使い方で分類するとすれば、”田舎蕎麦”が一番蕎麦の香りが高い。それは分かった。


10割蕎麦をお塩でいただく、店主の独自な工夫と発見と仰ったけど、他にもそういうお店はあります。


有名なお店では、長野県の”時香忘”(ときごぼう)さんなど、十割蕎麦を三種のお塩でいただけます。その中には、もちろんこのお店のように”岩塩”も含まれています。


なお、この長野県の蕎麦の名店”時香忘”(ときごぼう)さんは、蕎麦を美味しくいただく三条件と言われている”挽き立て”・”切り立て”・”湯掻きたて”という、よく言われる”三たて”以外に、練った蕎麦粉を”熟成”(ねかし)という過程を経て出すお蕎麦があることでも有名です。


何れにせよ、お塩で食べるという食べ方は”田舎蕎麦”という香りの高いお蕎麦だからこそ味わえる食べ方です。

出汁7
こちらが、フランス産の”マグレカナール産の鴨”を使った出汁。


”マグレカナール産の鴨”とは、本来フォアグラ用に育てられたミュラー鴨のことで、元々フォアグラの副産物として生産農家で食べられていた鴨のこと。


ところが、その美味しさ故に偽者が出回るようになり、現在では「マグレ」と名乗れる明確な規定が設けられた、高級鴨の代名詞的鴨を言います。


そこに、ちゃんと焼き目を付けて甘さを引き出した太ネギ(ねぶか)が入れられていて、出汁のいい香りが鼻腔を刺激してくれた。


出汁は実に濃厚で芳醇、この出汁は実に優れものでした。

柚子味噌8
画像の赤っぽいものは”柚子味噌”か?


すこし掬って出汁に投入すると、柚子の香りが広がった。面白い趣向だと思いました。


マグレカナール産の鴨”の鴨肉から溶け出した油を、この柚子がうまく引き立ててくれる。

せいろ9
さて、こちらが国産蕎麦粉10割の”田舎蕎麦”です、全体が黒味を帯びています。


この黒味を帯びた色と蕎麦の香り高いのが”田舎蕎麦”の特徴です。


でも、残念なことに照明が暗かったので上手く写せていません。


蕎麦粉100%の蕎麦は、小麦粉と言うつなぎを使っていないということなので、蕎麦の一本一本はややボサボサした感じの食感です。それ自体は唸るほど旨いというものではありません。


蕎麦の香りは十分楽しめました。

蕎麦湯10
最後に”蕎麦湯”と、デザート代わりの”羊羹”が出されます。蕎麦屋で”羊羹”をいただいたのも初めての経験です。


蕎麦湯は、白く濁っていてドロッとしていました。10割蕎麦のそば湯は、本来は透明でやや緑がかった色をしています。


それが、このお店の様に白濁してして、しかもトロミがついているという事は、本来の蕎麦湯に細工がしてあると言うこと。恐らく、蕎麦湯に蕎麦粉をお湯あるいは水で練ったものを加えたのではないかと思いました。


で、蕎麦湯を飲んでみました。ところが、猪口(ちょこ)に予め入れられた出汁がほんの少しか入っていませんでしたので、蕎麦湯に旨味が足りません。仕方なく、鴨出汁の残りをスプーンで掬って加えてみました。


すると、極めて美味しくいただけました。


最後にフロアー責任者風の女性に「こちらの蕎麦は黒っぽいですね。これは所謂(いわゆる)”田舎蕎麦”ですね」と確認した。


すると、彼女はこう答えた。「うちは黒い蕎麦を使っていますから」っと。ここでワタシは??????状態になった。


田舎蕎麦”の色が黒い原因は、「蕎麦の実の蕎麦殻(そばがら)を挽き込んでいる為」というのがワタシの認識です。


黒い蕎麦”を使っているから黒く見えるとお答えになった。


次に「蕎麦粉はどこのものをお使いですか?」とおたずねしてみた。すると「うちは信州のものを使っております」と。


普通国産蕎麦粉100%を売り物にするお店は、例えば信州なら戸隠のものを・・」とか、生産地で答える。それを「信州のものを」と。・・・・・・・?????


メニューには”八ヶ岳山麓”のものだけを使っていると、ちゃんと表記してあると言うのに・・・・・・。


確かに黒い蕎麦がないわけではない。例えば””という品種の蕎麦は黒い粒(蕎麦殻)が入っている。


彼女は上のことを言ったのか?


ただし、このお店のメニューには「うちは”田舎蕎麦”を出します」とちゃんと表示してある。


お店のメニューの一部に「蕎麦のことなら何でも”キクちゃん”にお聞き下さい!」とあった。


だからと言って、厨房を忙しそうに動き回る店主さんに気軽に”蕎麦”のことを聞ける道理がない。


すると、「お聞き下さい!」宣言を果たすには、このフロアー長的女性が担うしかない。


それを担うには、先ずは自分のお店で出している”蕎麦”のことを店主に近い知識で満たしていないと代わりは勤まらないのではありませんか?


ただ単に、店主の蕎麦に対する知識・見識が十分にこの女性に伝わっていなかった、で済ませたのでは”蕎麦の名店”とは、とても呼べない。


幾つかの疑問が残った。これは再訪してその”疑問”を晴らさないわけにはいかなくなった。


ですから”新しい蕎麦の名店発見”かどうかは保留と言うことに。




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「チャイナハウス すけろく束本店」・「愛媛グルメ紀行」 432

今日は、今年の夏にワタシの行っている会社から直ぐ近くに移転オープンされた、愛媛の中華ファミリー料理レストランチェーンでは最大手の”チャイナハウス すけろく束本店”さんをご紹介しましょう。


実はこの束本店、旧国道11号線(現県道松山川内線)沿いの南久米町にあった久米店が移転してきたもの。


そして、移転前の久米店には昨年の9月15日にお伺いし、”愛媛グルメ紀行”131番目のお店としてアップしました。


ただ”ファミリーマート束本二丁目店”が、枝松に移転し再オープンした跡にこのお店が移転改装開店されましたので、別のお店として採り上げます。

玄関1
移転され改装開店された場所は、県道松山川内線沿いの束本2丁目、松山松末郵便局の北隣です。


以前の久米店に比べたら、全体がひと回り小さくなった感があります。ただ例によって、昼時は駐車場が満杯になります。ウエイティングシートに名前を記し、待つこともあります。


どのお店も繁盛している”チャイナハウス すけろく”や、”余戸の”元気いちばん亭”、更にはインター近くの”紅麺 松山インター店”などを運営する母体である”助六食品工業株式会社”さんは創業が昭和25年、既に62年を経過した老舗です。

店内2
この”チャイナハウス すけろく束本店”さんを中心とした半径1キロ以内に、”無添 くら寿司松山枝松店、その隣の”マクドナルド松山枝松店”さんが徒歩圏内で競い合っています。


更には南環状線と東環状線沿い(半径1キロ以内)に、”スシロー”や、”なか卯”、”吉野家”、”すき家”、”回転寿司くじら丸”、”りょう花”、”うどん瓢月”、”回転寿司 すし水軍”、更には12月頭に牛丼の”松屋”が開店されたばかりと、松山一の飲食店最激戦地区の真っ只中に移転開店されたのです。


日清・日露戦争と第一次・第二次世界大戦が一度に起こった、あるいは映画にもなり暴力団同士が血で血を洗った”仁義なき闘い”の再来か!

メニュー3
っと、まあ大げさなことは抜きにしてメニューです。この秋、”すけろく”さんは”天津飯フェア”を開催中でした。


メインは、”海老と白菜の広東風天津飯”と”なすとベーコンのナポリタン風天津飯”、更には”牛肉ときのこの台湾風天津飯”の三本立て。


ワタシは迷うことなく”なすとベーコンのナポリタン風天津飯”を注文しました。ワタシ、基本はイタリアン好きなのです。

スープ4
これは一緒についている”スープ”です。


このお店の一つの特徴に、店内にサラダバーと、コーヒースタンドがあり、サラダもコーヒーもセルフサービスで、食べ放題・飲み放題というのがあります。


ワタシはメニュー画像を見て、天津飯”が中途半端でなく多いと思ったので、サラダバー食べ放題は放棄しましたが、多くのお客さんは嬉々として”サラダ大盛り”を楽しんでおられました。

天津飯5
さてこの画像が”なすとベーコンのナポリタン風天津飯”です。単品でお値段880円。


単品の値段として安くはありませんが、料理の内容とボリューム、更に味まで付け加えると妥当な値段だと気が付きます。


中華料理のご飯物メニューの中では最も好きな”天津飯”です。それがナント”ナポリタン風”にアレンジされていました。初めて目にするメニューです。

天津飯6
具材は、生のトマトを湯通ししたもの、ナスを一度揚げたもの、大き目のベーコン、タマネギ、ピーマン、マッシュルーム、唐辛子1本、そしてフワフワ卵。


これらの上にトマト味ベースの餡がタップリ廻しかけられています。この新鮮なメニューの切り口、運営する企業の現社長の研究熱心さが見事に結実されているではありませんか。


年に数回は東京や全国各地の名店を訪ね、味のコンサルタントも雇って、新メニューの開発に余念がありません。その研究熱心さは業界でも有名です。


こういう研究開発の継続が、チェーン店の成功に胡坐(あぐら)をかくことなく、日々積み重ねられています。

アップ7
元々、このお店の味の基本になる”スープ”の旨さには定評があります。


それをベースにして、中華料理の定番”天津飯"を見事なイタリアンに変身させた。湯通ししたトマトの、まあ新鮮なこと。ベーコンだって惜しげもなく大胆に使ってあります。


茄子(なす)も、その料理素材としての万能性をギリギリまで引き出して、立派な主役に採り上げた。


もちろん、”天津飯”の最大の特徴である”フワフワ卵”と、トマト味の”甘酢餡”の基本がシッカリ土台を支えている。旨くないわけがない。


全国からナショナルチェーン店が続々と闘いを挑んでくる。このグループは、それを真正面から受けて立ち、決して怯むところなどない。


ナショナルチェーン店の強さの秘密は、メニューの開発力と、食材を全世界から調達してくることから得られる価格破壊力。


しかしこのお店を始めとする”すけろくグループ”は、それらに一歩も引けを取らない。


ぜひぜひ、これからもローカルチェーン店だからこそ出来るサービスやメニュー、そして味に磨きをかけていただきたい、心の中でそう祈りつつお店を後にしました。




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「中華料理 縁中縁」・「愛媛グルメ紀行」 433

今日は、通称中央通りから三津に繋がる国道437号線沿い、”ナンカイゴルフガーデン”の入り口に、11月初めにオープンした新しいお店”中華料理 縁中縁(えんちゅうえん)”さんをご紹介します。


場所は久万ノ台で、中央通りから三津に向かって松山聖陵高校を過ぎて久万ノ台緑地公園を過ぎて直ぐ、道路の南側にあります。


お互いのブログでリンクし合っている”きくりん”さん(ブログ名:「愛媛さすらい日記」)の11月9日の記事で教えていただきました。

看板1
この看板が目印です。


ナンカイゴルフガーデン”、ゴルフの打ちっぱなし練習場の入り口に立っています。

玄関2
こちらがお店の玄関です。


以前もうどん屋さんかラーメン屋さんだったかがあったお店を改装されて、11月初めにオープンされました。


店内では厨房に2人、フロアー係りに2人の男性陣だけの布陣でお店をスタートされたようです。(ただし、お伺いしたのはランチタイムで、夜はまた別の体制かも知れません)

店内3
こちらが厨房の望む店内の様子です。


オーナーシェフは13年前に中国から茨城県水戸市に来日され、各地を移動しながら10年前に愛媛に来られました。


それ以降コツコツとお金を貯められ、今回初めて自分のお店を開店することが出来ました。


店名の”縁中縁”(えんちゅうえん)は、中国から来日しやっと自分のお店をもてるようになった。それも人と人の””のお陰。


ですから””と””の間に中国の””を挟まれた。これからも皆さんとの”ご縁”でお店をやっていきたいというシェフの思いが店名に込められた。


先月、11月12日にこのシリーズ415番目のお店としてご紹介した”Chinese Cafe DINING 茶縁”さんも、中国茶で日本の人たちとの””を広げたいと店名を付けられた。


この”縁中縁”さんと思いは同じですね。

メニュー4
北土居2丁目の”茶縁”さんは”四川の家庭料理専門店”でした。


このお店のメニューを拝見すると、より幅広いメニューをラインナップに掲げられているようでした。


何時もは真っ先に麺類を注文するのですが、この日は”五目あんかけ御飯”を注文しました、ただし御飯少なめにと。


店内のフロアー係りは日本人男性なので、細かい注文にも対応できます。

五目餡かけ5
これが注文した”五目あんかけ御飯”(御飯少な目)で、お値段は680円です。


もちろん単品での注文です。今やセットメニューなど望むべくもありません。


フロアー係りの若いお兄さんは、しきりにセットメニューの方がお得になっていることを説明していただきましたが、今の胃では食べきれません。

五目餡かけ6
少な目の御飯の上に、「これでもか!」という位に多くの具材が乗り、その上にいい香りのする餡がタップリ廻しかけられています。


具材は、エビ、イカ、青梗菜(ちんげんさい)、レンコン、豚ばら肉、白菜、大き目のキクラゲ、フクロタケ、タケノコ、ニンジンなど、五目ならぬ十目と、至って豪華です。


それらの具材が強い火力でもって、大き目の中華鍋で素早く炒められ、そこに水溶き片栗粉を廻しかけトロミを付けて、更に味付けがなされて出来上がりです。


実に素早い手業は見事でした。

スープ7
こちらのスープも、溶き卵が程よく解けていて、上品な味のスープに仕上がっていました。


スープの味を味わうと、シェフがどのくらい、スープ作りに力を注いでいるのかがよく分かります。


ひどいお店になると、スープの素にお湯を注いだだけ?というものも出てきますが、このお店のスープはシッカリした味に仕上がっていました。

アップ8
そして肝心の”五目あんかけ御飯”、こちらの味付けが実にアッサリしています。上品と言ってもいい。


もっと濃厚な味付けかな、と思っていましたが、色合いの通りに薄味です。品格を感じました。


ただし、体を使っている仕事、昼ごはんを即戦力とされている方には物足りないかも知れません。

烏龍茶9
こちらは、開店サービスとしてついている”烏龍茶”です。


これで口中の油っぽさを綺麗さっぱり洗い流します。


店内には、開店から間がないお店ですが、様々な客層のお客さんで6割方埋まっていました。


近隣には”雁飯店久万ノ台店”や”丸坊主”といったライバル店があります。


それらのお店に伍してやっていけるのか、これからの更なる精進が明暗を分けると思いました。




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「滑川渓谷」の紅葉を 1

今日と明日、それに来週の土日の4日間は東温市明河(みょうが)にある”滑川渓谷”の晩秋の風景をお届けします。


ワタシのブログは、文字数が多くやたらと理屈っぽいと感じておられる方も多いでしょう。


その点で、上に書いた4日間は風景の画像をアップし、文字数は極力抑えます。頭を空っぽにして、ただただ風景に見入るのも良いかも知れません。

ススキと山1
これが”滑川渓谷”に至る道筋での風景です。


撮影したのは11月下旬でした。


ススキの遠くに見える山々は、四国山地の山裾にある”青滝山”の方向です。

農村2
こちらが、東温市明河地区の集落の一部です。


今年の明河地区は、何度も大雨に見舞われました。


その都度県道302号が寸断され、何日間も”陸の孤島”と化しました。

紅葉3
この”滑川渓谷”へは、国道11号線を西条市に向かい、小松のかなり手前から県道302号に入ります。


国道からは車で、約18キロで到着します。

逆光紅葉4
既に紅葉は盛りを過ぎ、葉が黄色に変わりつつありました。


この渓谷は、四季折々植物たちが様々な風景で出迎えてくれます。

紅葉と緑5
松山市内から30分足らずで訪れることが出来ます。


ワタシも、ここには何度も訪れ、ブログにもアップしました。

紅葉と流れ6
来週の日曜日には、”奥の滝”と呼ばれる光景をお届けします。


知らない方なら、ちょっと想像できない光景がそこには広がっています。

紅葉薄日7
その最終目的地”奥の滝”への旅路を、しばらくお付き合い下さい。


ワタシは写真には全く自信がありません。

紅葉曲線8
コンデジで捉えた、ある意味ぎこちない画像です。


ただ、山に入りますと頭の中は空っぽになれます。


それが嬉しいのです。明日はマクロ(接写)の世界をお届けします。




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「滑川渓谷」のマクロな風景 2

今日も東温市明河にある”滑川渓谷”の晩秋の風景をお届けします。


今日は、昨日の”紅葉”の風景の途中で出会った可愛い”マクロの世界”をお届けします。

ツツジ1
これは、来週の土曜日にお届けする予定の”滑川小学校”の校庭の片隅に咲いていました。


これは”ツツジ”でしょうか、それとも”サツキ”でしょうか。


いずれも、11月下旬に写した画像ですが”季節はずれ”でしょう。

コスモス2
これも”滑川小学校”の校庭の片隅に咲いていました。”コスモス”です。


なお”旧川内町立滑川小学校”は、1976年東谷小学校へ統合され廃校となりました。

どんぐり3
奥の滝”に至る旅路で見かけたどんぐりたちです。


杉苔のベッドで優しく守られ、来春の発芽を静かに待っています。

杉新芽4
来春まで待てない子たちもいます。


そう、たくましくも”杉の発芽”です。杉の切り株から芽を出していました。

野いちご6
野イチゴ”が一粒だけ残ってくれていました。


まるで、宝石の”ルビー”ではありませんか。


でも、甘酸っぱい香りが懐かしい。

葉と滝7
これが最終目的地”奥の滝”の光景の一部です。


言わば、来週日曜日の予告編です。


もう少し、”奥の滝までの旅路”をお付き合い下さい。




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「再訪69 もみじゅう」・「愛媛グルメ紀行」 434

今日は”再訪シリーズ”の69番目のお店です。


それは、昨年4月8日に”愛媛グルメ紀行”シリーズ30番目のお店としてご紹介した、石手川の土手の道沿いにある、お好み焼き”もみじゅう”さんです。(「もみじゅう」 真っ当な「B級グルメ店」・29 「親から子へ②」


場所は新立から土手道沿いの道を西に向かうと、石手寺に至る手前、道路の南側(石手川側)にお店はあります。

玄関1
こちらが、土手の道に面した玄関です。


二番町1丁目で、今から38年前に開店した中華そばのお店”豚珍行”(とんちんこう)さんの創業者の次男さんがこのお店をやっておられます。


その”豚珍行”を現在継いでいるのが、創業者の長男さん。三男さんは大街道ロープーウェー街で蕎麦屋をやっています。

夫婦2
こちらが、このお店の店主ご夫婦です。お2人で今から13年前にこの地で開業なさいました。


前回来たときは、関西風”えび玉”でした。


お店には、ご近所のご婦人仲間や持ち帰りの注文を取りに来た制服姿の若い女性社員など、多様な客層のお客さんが集まるお店になりました。

メニュー3
実はこのお店の開店以来の人気メニュー、豆腐と明太子を出汁醤油でいただく”豆腐めんたい”を今度こそいただこうと再訪しました。お値段は520円です。


メニューは、関西風お好み焼きと広島風お好み焼き、それに各種鉄板焼きのメニューが並んでいます。


若い店主さんに話をお聞きすると、関西風と広島風は半々で注文が入り、どちらかに偏ることはないという。


また、長男が創業店主から受け継いでいる”豚珍行”の自家製卵麺を使用している”焼きそば”もこのお店の人気メニューです。

豆腐4
さて、注文した”豆腐めんたい”を目に前の鉄板で作り始めました。


注文した時、店主が「量は少ないですけど、単品でいいですか?」と念押しされました。


確かに材料は、木綿豆腐が一丁だけなので、お昼御飯と言うより、本来はお酒やビールのアテとしての注文が多いのでしょう。

豆腐5
作り方は至って簡単。木綿豆腐を鉄板の上で、大きなヘラで適当な大きなに崩して、そこに特性の”出汁醤油”をかける。


後は、その出汁醤油が豆腐に染みこみ豆腐に焼き色が着くまで鉄板の上でコロコロ転がすように焼いていく。

豆腐明太6
焼きあがったら、チューブに入れた”辛子明太子”を焼かれた豆腐に廻しかける。


ご存知の方のほうがもう多いと思いますが、”辛子明太子”の”明太子”は、”スケトウダラ”の卵の塩辛のことですね。


もともと中国語で、スケトウダラを「明太」(ミンタイ)もしくは「明太魚」(ミンタイユー)と呼んでいたことに由来とする説から、さらに朝鮮半島ではスケトウダラの事を「明太(ミョンテ)」と呼び、その子だから「明太子」とされたとする説などがあります。


それが朝鮮半島の対岸である山口県下関市に明太子が大量に輸入され、山口でも名産になっている他、福岡県で塩漬けしたたらこを唐辛子調味液に入れて二次漬けする現在の”辛子明太子”が生まれたとされ、博多名物ともなっています。

豆腐明太8
さあ、鉄板で焼いた豆腐に明太子を廻しかけ、マヨネーズを投入し更に鉄板の上で全体を馴染ませ、その上に更に明太子を乗せてネギをかけて出来上がりです。


出汁醤油”の焦げたいい香りが鼻腔をくすぐります。


見た瞬間、そして食べて直ぐに思いました。「あああ、この瞬間に冷えた生ビールのジョッキがあったらどんなにか幸せだろうに!」っと。

アップ9
この、メニューに絹ゴシ豆腐は合わない。木綿豆腐でないとシッカリした形が残らない。


また味の決め手は”出汁醤油”にある。


日本人は、醤油の焦げた匂いに郷愁を覚えるものらしい。お祭りの焼きイカの匂いがその代表。


口の中で、豆腐の柔らかい食感と焼けた辛子明太子のプチプチ感、生の辛子明太子のネットリピリピリ感を味わった。


実にシンプルな料理です。原料の豆腐一丁の値段なんてたかが知れてる。それがメニュー通りに仕上がると520円になる。


それだったら家でも出来るのでは?と思って、家でもやってみた。出来ません。何度やっても同じ味にはならない。


やはり、このメニュー、このお店に来るしかない。


なおこのお店の帰り道、コンビニに寄って”おにぎり”1個を購入したことを告白します。





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「多磨屋(本店)」・「愛媛グルメ紀行」 435

今日は、JR三津浜駅構内にあるうどん店の”多磨屋”(たまや)さんをご紹介しましょう。


昨年9月9日に”愛媛グルメ紀行”シリーズの127番目のお店としてご紹介した、国道56号線沿いの、保免中2丁目にある”多磨屋(たまや)”さんは上に書いた本店の支店にあたりますので、別のお店としてご紹介します。


場所は三津の会津町、JR三津浜駅の一角にあります。

玄関1
こちらが、JR三津浜駅の駅舎内に併設されている玄関です。


JR三津浜駅”は1927年(昭和2年)4月3日に、予讃線の伊予北条~松山間の開業と同時に駅が設置開業された、予讃線の中でも古い駅です。


でも今は無人駅となっていて、駅前のかつての賑わいは、今ではその痕跡すら残っていません。

店内2
店舗内には古民具などがディスプレイされ、お店の外側の外壁も黒板張りで古いお店の様に見えますが、開業されてやっと10年が来ようという、比較的新しいお店です。


客層は近隣に働く方が圧倒的に多く、男性客ばかりです。女性の一人客であれば、常連さんならともかくちょっと入り辛いかも知れませんね。


フロアー係りは3人の女性、厨房にも複数の人がいて、結構陣容は整っている様子でした。座敷も用意されています。

メニュー3
単品メニューもあるのですが、多くのお客さんはセットメニューを選ばれているようでした。


私は”「自家製ごま豆腐」のランチ”と名づけられたメニューの中で、”Aランチ”と名づけられたセットを注文しました。お値段はうどんベースで680円です。蕎麦ベースを選べば、これが790円になります。

天ぷらうどんセット4
こちらが”Aランチ”です。


内容は、海老天うどんに自家製ごま豆腐、それに手作り昆布の佃煮で構成されています。


海老天は地味で、蕎麦屋でよく見かける技法で、天婦羅粉を溶いたものを油で揚げている過程でエビに張り付ける”はり付け”はなされていません。

天ぷらうどん5
こちらが、その”海老天うどん”です。


具材は至ってシンプル、海老天にカマボコ2キレと刻みネギだけ。でも、いい出汁の香りに包まれます。


うどんの麺は、極めて太い麺を使ってあります。


麺は、ワタシの好みの麺ではありませんでしたが、このお店の”出汁”は出色の出来です。

麺6
”は、艶はいいのですが弾力に乏しい。


ワタシがうどん屋さんの”麺”を語るとき、箸を持って片手の指の力だけで麺を断ち切れるかどうかを一つの基準としています。


弾力がある麺は、箸に力を入れると麺は凹みますが指の力を緩めると直ぐに元の状態に復元します。


ところが、このお店の麺は容易に断ち切れます。そこの微妙な弾力の加減がうどん麺の命です。


でも、このお店のうどんは目を見張る美味しさの”出汁”で救われています。

胡麻豆腐7
こちらが”自家製ごま豆腐”です。


ちょこっと山葵が添えられていますので、それに付けながらいただきました。


ネットリした食感を楽しみました。こういう手作りの品を、さりげなく添えてくれるとことが嬉しいですね。

昆布佃煮8
こちらも手作りと言う”昆布の佃煮”です。


塩加減が絶妙でした。うどんを啜る合間合間に、合いの手としていただきました。


このうどんによく合っていて、アクセントになっています。

完食9
当然の様に”完食”しました。美味しい出汁は残せません。


今年の9月25日に、同じ三津地区にあるうどん屋さんの”福磯”さんをご紹介したとき、”アカネット”さんと仰る方からコメントをいただきました。


それには「三津でうどんなら私は多磨屋の方に行ってしまいます。そこが満員ならば福磯、という感じです。」とありました。


上のコメント、ハイ”納得”しました。




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「再訪(番外)うどん味十味」・「愛媛グルメ紀行」 436

今日は南高井町にある、うどんの名店”うどん味十味”(あじとみ)さんをご紹介します。


実はこのお店、昨年3月22日に”愛媛グルメ紀行”シリーズの251番目のお店として既にご紹介し、更に今年の8月28日に”再訪シリーズ”の23番目のお店としてご紹介しています。(「うどん 味十味(あじとみ)」・「愛媛グルメ紀行」 251)・(急告!「再訪23 うどん味十味」・「愛媛グルメ紀行」363


愛媛グルメ紀行”が300回を過ぎて以降、もう一度訪ねたいお店を”再訪シリーズ”として採り上げていますが、まだ2回目の訪問を記事としてアップ中です。ですから3回目の訪問を記事としたことはありません(1店舗の例外を除いて)。


もちろん、3回目、4回目と訪問しているお店は何店舗かありますが記事にはしていません。ですが、このお店は2つ目の例外として3回目の訪問を記事とします。(番外編として)

玄関1
場所は南高井町の第四十八番札所”西林寺”のほぼ向かい側、県道松山東部環状線沿いにあります。


冒頭に書いたことなど、細かく書く必要はないと思うのですが、ワタシは自分で決めた事に自分で捉われてしまう性格です。


毎日アップしようと決めた、300回以降は2回目訪問を”再訪シリーズ”としてアップしようと決めた、これらのことは自分の胸の内で決めただけのことです。


ところが一度自分で決めますと、それに縛られてしまう性格なのです。


ですから、ブログ友:ファットマンさんが10月9日にこのお店の”しっぽくうどん”の記事を書かれたときに、その記事の描写の見事さに打たれ、直ぐに訪問しました。


でも、訪問するけどまだ記事にはアップできないと決めていたのです。

火鉢2
こちらは玄関を入ったところの、待ち席の前に置いてある”火鉢”です。


このお店は、昼時には順番待ちの人が出ます。その人が待っている椅子の前に、「寒い思いはさせたくない」という店主の思いから、この季節”火鉢”が置かれ、丹念に炭を継ぎ足されています。


この一点を取っても、このお店のお客さんに対する思いを知ることが出来ます。


くどいようですが先ほどの続きです。最初は取材の対象とせず、ただ淡々とファットマンさんお薦めの”しっぽくうどん”をいただいて帰るつもりでした。事実、最初はそうしたのです。


ところがいただいた”しっぽくうどん”があまりに美味しく、これは自分で自分に課したルールを守るより、皆さんにこの美味しさを伝えることのほうが大切だと思い、連続してお店を訪れ、今度は記事にするつもりで写真も撮ったのです。実に不器用なワタシなのです。

カレンダーメニュー3
いただいた”しっぽくうどん”はレギュラーメニューにはありません。


ですからメニュー表には表示されていませんので、玄関入り口の黒板にチョークで書かれている他、店内にはお孫さんがカレンダーの裏に書いた手書きのメニューが掛けられています。


ワタシがこのカレンダーメニューを写そうとすると、「裏のカレンダーが写ってしまうから恥ずかしい」とお母さんが仰いました。


「恥ずかしいだなんで、そんなことないじゃないですか!ご家族総出でお店をやっておられることがよく出てていいですよ!」っと言いながらシャッターを切りました。

おでん桶4
考えてみれば、このお店では”冷たいうどん”しかいただいたことはありません。最初が”天ざるうどん”、2回目が”冷し生野菜ぶっかけうどん”でした。


ですから温かいうふどんをいただくのは初めてです。


すると、急に”おでん桶”が目に入りました。今までは、”おでん”があること事態に気がついていませんでした。

おでん5
そうです、”おでん”が恋しい季節にこのお店に行ったのは初めてだということです。


さっそく”揚げ豆腐”をいただきました。


出汁の味が染みて、まあ美味しいのなんのって。うどんが出来上がるまでの一時(ひととき)、おでんで微笑むことができました。

しっぽく6
さて、これがファットマンさんお薦めの”しっぽくうどん”です。お値段は690円。


ワタシは国道11号線沿い、小坂3丁目の”手打ちうどん ごろびつ庵”の”しっぽくうどん”をこよなく愛していますが、このお店に”しっぽくうどん”があるとは知りませんでした。


このお店の具材は、里芋、人参、刻み揚げ、桂むきした大根、野菜天(じゃこのすり身)、ニラ、シメジ、長ネギです。まあ野菜のてんこ盛り。


なお、ワタシお気に入りの”ごろびつ庵”の”しっぽくうどん”の具材は、しめじ・しいたけ・海老・細ねぎ・揚巻・麩・三つ葉で、お値段は650円です。

薬味7漬物8
このお店には、”薬味”は当然のこととして、それ以外に手作りの”漬物”が付きます。嬉しいですね。


さてこの薬味の中で、しっぽくうどんの味を劇的に変化させるのは”生姜”です。


”しっぽくうどん”をしばらく食べていて、途中で薬味の”生姜”を投入してみて味の変化をお楽しみ下さい。


大人しい印象だった出汁が、急に刺激的で複雑で奥深い味に激変します。


”ごろびつ庵”では”鴨なんうどん”に”生姜”が薬味としてつきますが、同じ効果です。

しっぽくうどん9
これがこのお店の”しっぽくうどん”です。この”しっぽくうどん”の起源は今年8月16日に書いた”ごろびつ庵”でも書きました。


もう一度再掲しますと、”しっぽく”は”食卓”の漢音読みです。つまり一言で言うと”しっぽく”は中華料理を指す言葉でした。(今では卓袱という字を当てる)


これを長崎の”佐野屋嘉兵衛”が江戸時代に京都に出て食卓料理屋(しっぽくりょうりや)を開業したのですが、これが今のうどんや蕎麦に取り入れられ”しっぽく”の由来となりました。

アップ10
まあ、この湯気の中に浮かぶ”しっぽくうどん”を見て下さい。


まるで”野菜煮込みうどん”じゃないですか。里芋など、今が旬です、ホクホクして甘くて、出汁が染みて実に美味しいんです。


大根だって、短冊切りにせず”桂むき”にしてから切っています。ジメジだって人参だって、それに長ネギだってそれぞれの味が生きている。野菜天と刻み揚げから滲み出た油が、出汁の旨味を閉じ込めています。


”冷し生野菜ぶっかけうどん”が夏の限定メニューなら、この温か”しっぽくうどん”は冬限定メニューです。


湯気でメガネが曇るので、フーフー湯気を吹き吹きうどんを啜ります。生姜が入っていますから、体が内側から温まってくるのが分かります。

麺11
このお店の””は、ワタシの中では萱町の”どん”さんに次ぐ一品です。


この艶と照り、しなやかさを見て下さい。讃岐うどん気取り(讃岐うどんもどき)で、ただ単に硬いだけのうどんなど、ここの麺に比べたら、食べられたもんではありません。


食べ終えるまで、スープの一滴を飲み干すまで湯気が立ち昇り続けます。そりゃあこれからの季節にありがたいですよ。


もちろん、出汁の最後の一滴まで啜って完食しました。


3回目を記事にしたのは、ワタシの一番好きなスパゲティー専門店の”フォンターナ”さんに次いで2店目です。(フォンターナさんの3回目の記事は、400号記念として”出会いと旅立ち”と題してアップした舞台として登場させました)


そしてこの”うどん味十味”さんは、その”フォンターナ”さんに紹介していただいたお店です。言わば”麺”つながりが”ご縁”になったお店です。


お勘定を払うと「おでんは1本ですね?だから合計で744円です」と言われましたのでそれを払ってお店を出ました。


お店を出た後、744円-690円=54円。「え???おでんは1本54円???」どうしても計算が出来ませんでした。




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「再訪70 中国料理 香港」・「愛媛グルメ紀行」 437

今日は”再訪シリーズ”70番目のお店、空港通り4丁目にある老舗の”中国料理 香港”さんをご紹介しましょう。


場所は空港通4丁目、旧空港通りにある”あんにょん”さんの南側にあります。


このお店は、昨年7月1日に”愛媛グルメ紀行”シリーズ78番目のお店としてご紹介しました。


今のお店に建て直したのが平成元年ですから、それからでももう24年目。通算では軽く30年は経っている、旧空港通りの中華料理店ではきっての”老舗”です。

玄関1
こちらがお店の玄関です。広い駐車場を準備されているお店です。


旧空港通りには直接は面しておらず、少し入っているというのに昼時は駐車場がほぼ埋まります。


しかもその集客力は、景気動向などには影響されず、また中央から多数進出しているナショナルチェーン店の動向にも左右されることなく、実に安定しています。

店内2
前回は、何故(なぜ)安定的に30年以上生き残れておるのか?その謎に迫るために訪れました。


前回頼んだのは”ちゃんぽん”で、値段は500円でした。今もそれは同じです。


そしてその時の結論は”安くて旨い料理を素早く提供する”から、客を引きつけて止まないでした。


2階の宴会部屋まで数えると、優に100席はあろうかという大型店。その客のほとんどは、近隣に勤めている男性客で占められています。女性客は、家族連れ以外の単独客はまず見かけないお店です。

メニュー3
こちらが”麺類”のメニューです。


その他にも、もちろん”御飯類”メニューや、単品メニューが用意されています。メニュー構成はもう何年も変わっていないでしょう。


新しいナショナルチェーン店が、どんどんシンメニューを開発して競争を繰り広げている中で、無駄な力は一切使わず、百年一日が如くの歩みです。


でも、それがこのお店の”安くて旨い料理を素早く提供する”というコンセプトを支え続けています。

ビーフン上4
今回は小麦粉を使わない麺類にしようと、お店に入る前から決めていました。


そこで迷わず、画像に見える”米粉(ビーフン)”を選びました。お値段は550円です。


このお店では、”日替ランチ”が圧倒的人気メニューで、大方のお客さんはこれを選ばれます。


主菜と、副菜とサラダとスープ、それに食後のコーヒーが付いてて550円です。


足繁くこのお店に通う方は、その日に頼むメニュー選びに迷わなくてもいいのです。

ビーフン5
さて、迷わず選んだこの”米粉”(ビーフン)です。


ビーフンは、中国福建省で生まれた食べ物で、うるち米を挽いて濾過したデンプンを蒸して、小さい穴がいっぱいある容器から熱湯に中に落として、それを乾燥させたもの。


ワタシはがそれを初めて食べたのは台湾でした。これは瑞々しくて美味しかった。


そこで、先月11月26日に”再訪シリーズ”の68番目にご紹介したばかりの”中華大扇”さんで”米粉”(ビーフン)を試してみた。ダメでした。


このお店の具材は、キャベツ、エビ、豚肉、人参、キクラゲ、ニラなどです。


”大扇”さんでも感じましたが、このお店の”米粉”(ビーフン)にも色彩感が乏しい

アップ6
で、早速食べてみた・・・・・・・・・。ン???   ンンン????


薄味と言えば言えなくないが、味作りに芯がない。どういう調味料で、どういう方向で味を作っていくかの柱がない。ワタシにはそう思えた。


もちろん不味くはないけど、旨いとも言い切れない、実に中途半端な味だった・・・・・・・。


量も今のワタシには多かったので、これは食べ残してしまうと不安になった。でも、この味付けのままでは食べきれない。


そこで、とうとう禁じ手を使った、お店の人には隠れるようにしながら。


まず、米粉の一部を皿の片隅に寄せて、各テーブルに置いてある調味料セットの中から醤油を選んで掛けてみた。(日本人だったら、先ずは醤油でしょう)で・・・・・・・全くダメだった。ただ単に塩辛くなっただけ。

麺7
次に、またビーフンの一部を皿の片隅に移動させ、そこにウスターソースを掛けてみた。


これは醤油よりはマシだったけど、残り全部を食べきれるほどの力はなかった。


遂に、最後の禁じ手の中の禁じ手を繰り出した。お店の方が時々、ワタシが座っているテーブル前を通る。


米粉(ビーフン)に覆いかぶさるようにして、例によって米粉を皿の片隅に一部移動。そこにマヨネーズウスターソースを垂らして混ぜて食べた。(ウフフ・・・・・・チョット・・・・・イケル・・・・)


かくして、残り全部にマヨネーズを大量に投入、そこにウスターソースをゴボゴボ入れて、一気にかき回した。惨めな色合いになった。


で、お店の人が横を通り過ぎた瞬間、一気呵成にかっ込んだ。何とか全部、口に押し込んだ。


そしてむせ返りそうになりながら、大量の水で胃に流し込んだ。こんなに苦労するとは・・・・・


幸い、お店の方にはそれら一連の秘密動作は悟られずに済んだ。お店の料理人が自信をもって味付けしたものに、素人のワタシが・・・・・ゴメンナサイ・・・・。


出された米粉(ビーフン)を大量に残すより、料理人に心の中で詫びながらも完食する道を選んだ。


少なくとも、このお店の”米粉(ビーフン)”は”安くて旨い料理を素早く提供する”というお店にコンセプトの中の、”旨い”にだけは該当しなかったようで、これは例外に違いない。


でも、でももうこれからは、どのお店でも”米粉”(ビーフン)には手を出さないことを心に固く誓った。




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「刀削麺  溢香 (イーシャン) 」・「愛媛グルメ紀行」 438

今日は平和通5丁目、通りの南側に今年新しく開店された”刀削麺  溢香 (イーシャン) ”さんをご紹介します。


既に、地元テレビ局などで何度か放映された、松山初登場の”刀削麺”(とうしょうめん)の専門店です。


場所は、平和通りと本町通りの交差点から東に約200m程行ったビルの1階に開店されました。

玄関1
こちらがお店の玄関。


店名の”溢香 ”(イーシャン)ですが、””という字は日本語の発音(但し漢音で=漢字の発音を日本語で発音する時には漢音と呉音の二種がある)では”イツ”と言い、満ちるとかあふれるという意味です。


この漢字を使った日本語では、例えば”脳溢血”(のういっけつ)などがあり、脳の血管が破れ血液が溢(あふ)れ出る症状の時に使ったりします。


つまり、店名”溢香 ”(イーシャン)の意味は、香りがあふれる、あるいは香り高いとう意味です。


日本でも中国でも、中華料理店ではよく使われる店名です。

メニュー2
メニューを見ますと、”刀削麺”をメインにした中華料理店のそれです。


そこで、メニューのトップに書いてあった”醤油刀削麺”700円を、メニュー指差し方式で注文しました。


すると、女性の店主(女将)が、「ハンチャンカ?」と、何度もワタシに尋ねる。


「ハンチャン・・・・・????」っと、顔中だらけの顔で女将を見つめた。


今度は女将、メニューを指差し炒飯(チャーハン)のところで指を止めた。そして「ハンチャンカ!」と二度三度詰め寄られた。


思わず、ワタシも女将に釣られて「ハンチャン・・・・ナイヨー!」っと、怪しげな日本語で応えた。


なにしろ、店内(厨房に男性2人の調理人、女将と、後はいかにも中国美人的フロアー係りのお姉さんの4人でやっている)は、ワタシたち座った客の頭上を甲高く鋭い中国語が飛び交っている。


客がいようがいまいが、それは関係ない。その4人の会話の、まあ激しいことと言ったら・・・・・。

麺削3
刀削麺”は中国でも東北部に位置する”山西省”を代表する麺料理。


皆さんも、テレビなど見られたことがあると思いますが、”刀削麺”の作り方は一種独特。


小麦粉を水で練った生地の塊を持って、湯の沸いた鍋の前に立ち、くの字型に曲がった包丁を用いて生地を麺状に削り落として直接鍋の中に入れ、茹でて作る。


これが、小麦粉を練ったものを板に乗せて、くの字型に曲がった包丁でリズミカルにお湯が沸騰している鍋に削ぎ切りしている場面。


この画像だって、今の”日中関係”に悪い影響を与えてはいけないと、女将に手まね身ぶりと、分けが分からない日本語で許可を得て撮影した。


両手を使い、麺を刀で削り取る仕草を真似ながら「メン・・・・カット    カメラ   OKか?」っと。


すると、女将、全く無表情で一言「イイヨ!

刀削麺4
出来上がったものがこれ。


まあ、器からはみ出そうなくらいに山盛りに盛り付けられた”刀削麺”がやってきた。


出された途端に「ああ~、これはトテモ食べきれない!」と覚悟を決めた。


手前に見える青梗菜(?)だって、生半可な量ではない。


料理が出された瞬間、独特の香りが鼻に届いた、刺激した。恐らく、中国調味料の代表格の一つである”八角”を含んだ”五香粉”の香りではないかと思った。

刀削麺5
それらのことを、お店の方に尋ねようとしても、客の存在など目に入らないかのように、お店の4人だけで激しい中国語が空中を飛び交っていて、その会話の中に割って入れる隙など全くない。


午前11時30分から正午までいましたが、客は日本人(多分)カップル一組と、ワタシ一人。


”もぎたて”などのテレビで放映された今年の春は、店の前に行列が出来ていた。


しばらくの間は、平和通を車で通る度に店の客の入りを見ていたけど、結構多くの客で沸いていた。


で、このお店に行ったのは10月の終わりのこと。ガラガラだった。これは、例の”尖閣列島”問題以降の日中関係の冷え込みの影響なんだろうか?

アップ6
まあ、それを語り始めると話しが長くなる。今日のテーマともずれる。


肝心のお味です。醤油味の、実に、実に濃厚なスープの中に麺と具材が山の様に盛り込まれている。


むせ返るように濃厚な中国調味料の香り、恐らく”五香粉”が大量に。


青梗菜の一山を片付けて麺に取り掛かった。”刀削麺”は初めて口にする麺で、何と表現すればいいのか?


きし麺をもっと粘り強くしたものか、或は腰の強い粘りのあるうどんを平たく延ばしたような、そういう食感とでも言おうか。


”山西省”の刀削麺は、現地では釜茹で麺に酸味の利いたトマトソースをかけたり、豚肉の脂身とニンニクの芽が入った肉あんをかけて食べることが多い。


だから、醤油ベースのスープに入って出てきたこの”刀削麺”は日本向けにアレンジされたものかも知れない。

麺7
だけど、”刀削麺”の特徴は、平たく延ばしてあるためその表面積が他の麺に比べて格段に広いところにある。


つまり、スープのノリが抜群にいいということ。すると、あのむせ返るような濃厚な(塩辛いのではない)スープがどっぷりと麺に絡んで喉にズルズルと入ってくる。


これを毎日食べろと言われれば、ちょっとではなく、大いに辛いに違いない。


もちろん、美味しくないというのでは決してない。過酷な労働を強いられる時には、大量の炭水化物を要する。この麺は、そのエネルギー補給に画期的な役割りを果たすに違いない。


2枚付いている叉焼(チャーシュー)だって、噛みでがあるほど分厚く切ってある。


日本のラーメン屋によく見かける、紙のように薄くスライスしたチャーシューとは完全に別物。八角(香辛料)の香りが際立っていた。

残った9
かくして、出された時の予感どおり”残った


ちょうどそこに、玄関に入るなり甲高い中国語をまくし立てる4人組の女性陣が入ってきた。大きな花束を持っていた。

女性店主に花束を渡して、大きな声で会話している。

中国では、誕生日に親しい友人の誕生日に”花束”を贈る習慣でもあるのか?

会話の内容を想像すると、店主が盛んに「ありがとう」という雰囲気の中国語を話して”花束”を受け取った。

開店祝いには遅すぎる花束、店主の誕生日に違いない。

その喧騒の中に割って入るようにして、不味いから残したのではないと、女将に説明しようと「実は、食べ残して・・・・」っとここまで言うと「イイヨ!」と、とっさに言葉が爆弾のうような勢いで跳ね返ってきたので、弱弱しい言い訳は諦めた。

700円を払ってお店を出た。


背後の店内では、巻き舌の中国語が激しく飛び交い続けていた。




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「滑川渓谷」・「滑川小学校」 3

先週の土日に引き続き、今日と明日も東温市明河にある”滑川渓谷”の晩秋の風景をお届けします。


特に今日は、”旧川内町立滑川小学校”の今の姿をご紹介しましょう。


”滑川小学校”は、2010年の11月14日と15日にアップしております。二度目になります。

校門1
校門には”川内町立滑川小学校”の碑文字が残っています。


この学校が現在の東温市立東谷小学校に統合され閉校になったのは、1976年(昭和51年)のことです。

正面校舎2
地方人口の減少傾向が顕著になって、先ず”昭和の大合併”期を経て、全国の市町村は約三分の一にまで減少しました。


滑川小学校”の閉校は、それから少し遅れてなされました。

左前校舎3
滑川小学校”が閉校された昭和51年とは、カナダのインスブルックで冬季オリンピックが開幕され、ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕された年でもありました。


今は静かに佇むこの木造校舎。

左後校舎4
今年、国の内外から注目を集めた”木造校舎”の小学校があります。


それは”八幡浜市立日土小学校”です。1956年竣工の中校舎と1958年竣工の東校舎の二つの校舎は、いずれも2階建て木造建築です。

校舎山空5
この”八幡浜市立日土小学校”はその保存活動と成果が評価され、今年の4月に”日本建築学会賞”を受賞しました。


更には、10月に歴史的建造物や文化遺産の保護・保全を目的とする非営利団体ワールド・モニュメント財団の”モダニズム賞”を受賞したことは記憶に新しい。

右後校舎6
しかし、この”滑川小学校”にはそのチャンスがありませんでした。


でも、今でもここから巣立って言った数多くの卒業生にとっては貴重な思い出の建物です。

下から校舎9
ここにこうやって、取り壊されずに残っていることそのものが貴重です。


ぜひ、このままこの地域のシンボルとして保存していただきたいものです。

廊下10
ワタシは、小学校4年生になったとき、郷里の”野村小学校”から、当時同じ東宇和郡であった明浜町立狩江小学校に転校しました。今年6月に90歳で亡くなった父が小学校の教諭をしていたからです。


その”狩江小学校”も、もちろん”木造校舎”でしたが、教室の窓は”障子紙”でした。ガラス窓ではなく紙製の窓ですよ。


こうやって、小学校の廊下を走ると、窓に張ってある障子紙が揺れて動きました。

廊下11
でも、木と紙で出来た小学校に響き渡る音や声、優しかった。


その小学校も転校して1年後には鉄筋コンクリート製の小学校に建て代わりました。


もう年末の冬休み前に、各教室の障子の張替えはしなくてよくなりました。

どんぐりと校舎12
どうかどうか、取り壊されずに生き残って欲しいと、心から念じて”滑川小学校”を後にしました。


明日は、今回の”滑川渓谷”ミニシリーズの最後、”奥の滝への旅路”の最終回です。




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「滑川渓谷・奥の滝への旅路」 4

先週の土曜日から書き始めた”滑川渓谷”の風景のご紹介、今日が最後です。


今日は旅路の最終目的地”奥の滝”に至る風景です。

紅葉と流れ1
今年、この地区は異例なほどの雨が降りました。


地区が完全に孤立したことが何度もありました。

紅葉流れ2
ですから、落葉した”紅葉(もみじ)の葉”が流れる水量はこの季節としては多い。


周りの景色の色を取り込んで、季節ごとに川の表情は変わります。

流れ3
癒しの流れにもなりますし、人々の生活を脅かす驚異の川にもなります。


でも、今は静かに清らかに、そして豊かに流れています。

岩肌4
太古の時代から、流れる水流で削り取られ、更に風雨に晒されて角の取れた”岩肌”が両側に横たわっています。


うねる様に、唸る様にずっと続いています、”奥の滝”まで。

岩肌5
そして、その両側の岩肌は次第に狭まっていきます。


次第に”奥の滝”に近づいている証拠です。

丸岩6
その間には、まるで巨大なボール状の岩が顔を覗かせます。


どういう自然な力が加わればこういう形になるのでしょうか。

流れ7
流れは、何段もの川床を穿(うが)ちながらうねり流れ落ちます。


川床の段差が大きいところには、大小の滝壺状の窪みが出来ています。

流れ8
水の力の凄まじさが垣間見れます。


世界中のどんな大河も、こういう川幅の狭い源流から命を発しているのです。

石積10
そして、いよいよ”奥の滝”に至ります。

真っ先に目にするのは、この”石積み”です。一種異様な光景です。

そうです、これはまさに”賽の河原”(さいのかわら)での光景です。

”賽の河原”というのは、仏教で言うところの”三途の川”(さんずのかわ)にある河原のことです。

三途の川とは、此岸(しがん=現世・この世)と彼岸(ひがん=あの世)との分け目にある川とされています。

滝11
あの世に向かう人は、この河原で残していく親を供養しようと、石を積み上げます。


ところが、やっと石を積み上げたと思ったら””がやってきて石積みを壊してしまいます。


また、最初から、延々と石を積み上げ、最後は「地蔵菩薩」に救われて、あの世に渡ると言い伝えられてきました。


ここを訪れた人の中には、この地を”三途の川”と見立てて、懸命に石を積んだ方もあったということでしょう。

石積と滝12
仏教で言う”賽の河原”は、親に先立つ不幸を受けたものを救うための考え方です。


でも、ワタシの両親は長生きしてくれました。母は86歳、父は90歳まで。


つまり私たち兄妹弟(きょうだい)は、”親に先立つ”という不幸を味わうことなく生きることが出来ました。


今年はワタシにとっても特別な年になりました。


それらのことどもを考えながら、今年の晩秋、”奥の滝”の前に立ち尽くしました。




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「お食事処 勝山協食」・「愛媛グルメ紀行」 439

今日は愛媛大学や松山大学、あるいは松山赤十字看護専門学校を卒業なさった方なら懐かしいお店かもしれません。清水町3丁目にある”お食事処 勝山協食”さんをご紹介しましょう。


場所は、”松山赤十字看護専門学校”の北側の住宅地の中にあります。通称”護国神社通り”の清水小学校の北側にある”松村動物病院”と”ホットモット”との間の細い道を北に上がって、”松山赤十字看護専門学校学生寮”を過ぎた辺りに下の画像の看板が路上で見えます。

看板1
これが、駐車場脇に置いてある”路上看板”です。普通、お店の看板は市道の上に置いたりはしません。


でも、これが古くからの住宅街の細い市道なので、とがめだてする人はいないのでしょう。


警察関係者だって、松山市役所関係の方だって、この”勝山協食”さんのお世話になった方は少なくはないはずです。


「公道上に看板をおいてはいけな・・・・」などという野暮は通用しない世界で40年を遥かに越える昔からここでこうやって”食堂”をやっておられるのです。

玄関2
こちらがお店の玄関。

玄関にある看板には”中華料理”の表示がなされています。でも、中華料理と言うよりは、明らかに”街の食堂”です。

先日、お気に入りのスパゲティー専門店”フォンターナ”さんでお昼を食べていたら、一度フォンターナさんでニアミスし、改めて再会したカップルが入ってこられました。

ワタシが、”愛媛グルメ紀行”シリーズの400号記念の舞台として”フォンターナ”さんを選び、「出会いと旅立ち」という題で記事をアップしたときにコメントをいただいた”くく”さんご夫妻です。

そのラブラブごの”くく”さんご夫婦と、お店のカウンターで食事をしながらお話をしていて、このお店の名前が出てきました。(”くく”さん、このお店ではなかったのならゴメンナサイ)

実はこのお店、ワタシの前々職の若い頃、定期的に集金に行っていたお店だったのです。そこで本日の訪問となりました。

店内3
店内は見かけより広いのですが、テーブルの一部は物置と化していました。


でも、丁度お昼時でしたが、若い男性のサラリーマン風の客が3人、思い思いに漫画を見ながら食事をしていました。


もう40年近く前に出入りしていましたので、店内の記憶は全くありません。


間違いなく古ぼけた”食堂”ですが厨房には3人布陣し、駐車場もお店の前に2台確保されています。

メニュー4
メニューは、厨房の横に張り出された木製の”メニュー板”だけです。値段変更の紙が妙にリアル。


メニュー構成を見ると、中華風食堂の面目躍如といったところ。”本日の日替わり定食”は480円。


それを食べている若者横を通った時、”本日の日替わり定食”をチラリと横目で見た。御飯などは超大盛り。全体的にも、あのワタシが酷評する、復活した幻の”〇〇軒”並です。


でも、このお店は決して安易に冷凍食品などは使われていない。あくまでも愚直に一品一品厨房で手作り。だから”チン”という音はしない。


厨房に向かって”ちゃんぽん”っと注文を告げると、ワタシよりは年下風のおばちゃんが出てきて、ニコニコしながら、しかもワタシを包み込むような口調で「ウンウン、サムーーなったけん、”ちゃんぽん”がエーーーナーー!」と言った。

おでん桶5
店内を見渡すと、堂々と”おでん桶”が置いてあって、ワタシを誘うかのように湯気を立てていた。


フラフラっと、誘い込まれる様に”おでん桶”からおでんを取って席に着いた。先ほど注文した”ちゃんぽん”はお値段450円。この”おでん”はどれでも1本80円、もちろんすべて内税。

おでん6
コンビニだっておでんは売っている時代。別に珍しくはないけど、店内でメガネを曇らせながらおでんをフーフー言って突っ突くのは嬉しい。


特別唸るほどの味ではないけれど、どことなく懐かしい。


包み込むような笑顔で、ワタシより年下風のおばちゃんが近づいてきたので尋ねた。


「このお店、随分昔の話しやけど通っとったことがあるんよー。お店が出来て何年になりますか?」っと。


すると、「それは何年前ゴロの話しナーーン?」っておばさんが。


「そうよねー、40年近く前のことやったろかー?」っとワタシ。


「ああ、そのころやったら〇〇さん夫婦がやりよった時代やねーー。〇〇さん夫婦知っとるやろー?」と。


「いやーー、もう忘れたなーー」っとワタシ。


「そうなーん?じゃったら、〇〇さん夫婦、今も元気で居るケン、行ってみる?直ぐ近くに住んどるよ!」っと、ワタシの手を引っ張りかねない勢いで迫られた。

ちゃんぽん上7
それらの会話の間に”ちゃんぽん”が出来た。それがこの画像。


口が広く背丈の低い平皿で”ちゃんぽん”が出てきた。温かい湯気が出ている。スープは豚骨系の様にやや白濁している。野菜の甘い香りが鼻腔を刺激する。


サア食べようと思った瞬間「それでねー、このお店はワタシラで3代目なんよー」とおばちゃんが話を続ける。


「三代目ユーーテもなーー、引き継いでからもう30年以上経った!」と、目を宙に這わせた。

ちゃんぽん8
いい香りが食欲をそそる。この量なら完食できるに違いないと、ちょっと安心した。


そろそろスープを啜ってみようと思った瞬間「それでナー、昔このお店に来とったころは、このお店半分位の広さやったろー」っと話を続けられるので、ちゃんぽんに手が出せない。


「私らがお店引き受けた後、隣の・・・」と言って、移動を始めたおばちゃん。


今がチャンスと、スープを啜った。「ウフーー、温かい!そして結構いける!」と思った瞬間、移動を終えたおばちゃんが振り返った。


「そう、ここから先を継ぎ足して、お店を倍の広さに広げタンヨーー!」と、やや誇らしげ。


でも広げたという半分は、今は物置の一部と・・・・・・・。

アップ9
おばちゃんとの会話が途切れた瞬間を捉え、一気呵成にちゃんぽんをかっ込んだ。


もう”ちゃんぽん”は、難なくかっ込めるほど冷めていたし、麺は延びていた。


うん、見かけより旨い!と思った。でも唸るほどのものではない。でもでも野菜の甘さがタップリ染み出していて、豚骨系のスープによく合ってる。

麺10
優しい優しいスープを啜りに啜った。


伸びた麺もズルズル吸い込んだ。おばちゃんが話しかけて来ない間に。極々普通の中華麺だった。


「でも40年も前やったら、この店の場所覚えとった?」っと、おばちゃんが再び加わった。


「いやーー、細い路地をアチコチ迷いましたよ」っとワタシが言うと。


おばちゃん満面の笑みで「でも、それでも見つかった!!この店あって良かったねーーー!!」っと。


「やけん、また来てね!」と、ゾクッとする笑顔で微笑まれた。ワタシはこの言葉に弱い。


このおばちゃん、一瞬にしてワタシの弱みを見破った。


こんな入り組んだ細い路地、行き止まりの道に囲まれた住宅街にあって、なおかつ40年以上生き残っている。その秘密を垣間見た。




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年末の石鎚山とコンデジ(遊びごと)

この記事は”遊び”です。


先週の金曜日、松山市の久米窪田町の田を見に行きました。仕事です。


すると、目の前に”冠雪した石鎚山”の姿が。


そこで、何の考えもなく愛用のコンデジでシャッターを切りました。

石鎚1
画像のはるか遠くに、微かに”冠雪した石鎚山”が見えます。


松山市内から、肉眼ではこの位の大きさと距離感で”石鎚山”を捉えることが出来ます。

石鎚2
同じ場所に立って、コンデジで近寄ってみました。


ごくありきたりの田園風景の向こうに”石鎚山”がだいぶ近寄ってきました。

石鎚3
さらに、同じ場所に立って、コンデジで近寄ってみます。


ワタシは、何の芸もなく、ただ突っ立ってコンデジのカメラを合わせるだけです。

石鎚4
普通の民家の屋根に覆いかぶさるように”石鎚山”が近寄ってきてくれました。


空気が澄んでいますと、途中に障害物さえなければ、松山市内のどこからでも眺められる光景です。

石鎚5
別に珍しい光景ではありません。


東京だって、晴れていて空気が澄んでいれば富士山を捉えることが出来るのですから。


でも”石鎚山”は意外に手近なところにありました。


ただそれだけです。



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「いなか家」・「愛媛グルメ紀行」 440

今日は県道伊予川内線沿いの、松山市中野町にある小さな小さなお蕎麦屋さん”いなか家”さんをご紹介します。


同じ県道沿いにある”うどんの里 耕庵”さんより松山寄りです。


県道伊予川内線は、国道56号線と33号線更には国道11号線を繋ぐ重要な県道で、別名”トラック街道”と呼ばれ、大型トラックが昼夜を問わず疾走する道路です。


飲食店の中には広い駐車場を用意し、昼時には大型トラックが勢ぞろいしているお店もありますが、このお店の駐車場に大型トラックは入れません。

看板1
この、小さな看板が目印です。


ですが、極めて目立たない。よほど目を凝らして車を走らせていないと見過ごしてしまいます。


それにこの看板では、”手打ちそば”の文字が小さく書かれてはいますが、このお店がどういうお店であるか分かりにくい。

玄関2
この玄関の、暖簾に”そば”と染め抜かれている。


このお店の駐車場に、複数の車がとまっている事は珍しい。


これで、お客さんをどう拾うのか?ちょっと謎めいたお店だった。

薪ストーブ3
店内に入ると、玄関のすぐ先には大きな”火鉢”が置かれ、炭には火が入っている。


更に、お店の中央には画像の”薪ストーブ”が据えられ、ストーブの中には大きめの薪がくべられて暖かい炎が上がってる。


松山市内で”薪ストーブ”とは????と思ったが、その理由は後ほど判明します。

メニュー4
メニューは?っと店内を見渡しても、それらしいものは何ひとつ見当たらない。

ワタシよりやや年上かな?とお見受けしたおばちゃんが暖かいほうじ茶を持ってこられた。

店内には、これも年配の女性客が一人静かに”掛けそば”を啜っていた。

「メニューはありませんか?」と尋ねてみた。

すると、「蕎麦とうどんしかありません」と言いながら、上の伝票を示された。

なるほど、基本はそばとうどんだけ。それをざるでいただくか、このお店で表示されている”煮込み”でいただくか。つまり冷たいのか暖かいのかの2種類だけ。

後は、それに御飯を加えるかどうかだけという超シンプルなメニュー。

「”ざるそば”を大盛りで」と、ワタシが注文すると、おばちゃんいささか驚いたように「え?ざる・・・・・ですか・・・・・」と。

蕎麦セット5
そのまま黙って厨房に帰られ、しばらく出てこられなかった。

どうやら、このお店はおばちゃん一人でやっているようだった。

先客の女性客が勘定を払ってお店を出た。

そして、おばちゃんがもってこられたのがこの画像。

何と!大盛りに盛られた”田舎蕎麦”と、脇には”煮物”と手作りと一目で分かる”漬物”まで付いていた。

煮つけ6漬物7
”煮物”だって、里芋やこんにゃく、大根などを丁寧に煮込んである。これも明らかに手作り。


”漬物”だって、11月30日の”愛媛グルメ紀行”428号でアップした”浜のごっつぉう 魚たけ”で出された、ビニールパックから菜箸でつまんで皿に盛った風の”漬物”では決してない。


おばちゃん一人がコツコツと仕込みをし、お客さんが来てくれたら食べてもらおうと心を込められて盛られている。

蕎麦8
これが、このお店で呼んでいる”そば”。色合いからすれば”田舎蕎麦”。


ところが、これが文字通りの”田舎蕎麦”であることが分かったのはもう少し後のこと。


ワタシがこの蕎麦と対面している頃に、老夫婦が入ってきてうどんを注文した。


その注文をこなして、おばちゃんが一段落したところで話しかけた。

アップ9
「このお店は何時始められたのですか?」

「やっと3年がきます」

「なぜお蕎麦を?」

「いやー、遊んどるよりはいいと思って」

「御自分で蕎麦を打たれているんですか?」

「はい、蕎麦だけは自分で打って、うどんは業者から仕入れたものを・・・」

「蕎麦は二八で打たれている?」

え???お客さん、あのーーーー、そば・・・の人?」と、おばちゃんに困惑の表情が浮かんだ。

「二八より、もう少し”つなぎ”が入っているかも・・・・。つなぎ入れんと、上手くそばがまとまらんので・・・」っと、おばちゃん至って正直。

「じゃあ、蕎麦打ちは誰かに教わって蕎麦屋を始められた?」と、ワタシ。

「私は田舎から出てきたんよ。田舎では、どの家でもそばを自宅で打って食べとったケン・・・・」

「田舎って?」

「上浮穴の・・・・・そう、その一番奥の”柳谷”から出てきて・・・」

「柳谷なら蕎麦を畑で作っていたんでしょう」っとワタシ。

「え?お客さん、柳谷なんて、知っとるん???」と不思議そうな目で。

知っとるよーーー、柳谷を越えて山に上がると”大野ヶ原”があるでしょう。ワタシは大野ヶ原よりは下やけど、その大野ヶ原がある野村が出身ヤケン!」

すると、おばちゃんの顔に笑顔が花咲いた。

麺10
蕎麦は、太い部分あり細い部分あり。懸命に、でもぎこちなく包丁で切ったことが分かる。

そのことをおばちゃんに伝えると、「何べんやっても、上手く切れんのよー、包丁が悪いんかも知れん」と。

「蕎麦の太さが不ぞろいでもいいんですよ。蕎麦の美味しさには変わりはない」とワタシが言うともばちゃんに再び笑顔が。

「蕎麦湯は出しとられるんですか?」とワタシが尋ねると、「蕎麦湯は出しとらんのよ」とおばちゃん。

これで全ての疑問が一気に解けた。

薪ストーブ”は、柳谷では当たり前。火鉢だって、今でも現役で活躍しているのかも知れない。

蕎麦を打てるのが、柳谷の主婦の条件。そして、どの家でもそばを”ざる”では食べない。みな温かいそばで食べる。だから、蕎麦湯をとる習慣がない。

田舎蕎麦”は、粉の挽き方も然ることながら、文字通り”柳谷”の田舎のそばという意味。

子供の頃おじいちゃんの家に行くと、おばあちゃんが自分で打った”うどん”を出してくれた。これがすこぶる美味しかった。

野福峠
その”手打ちうどん”食べたさに、小学校4年生の夏休み、西予市の明浜町狩江という村から、子供用の小さい小さい自転車で野福峠を押して越え、宇和町を通って野村まで一人で帰ったことを思いました。28キロ余りある、高低差も大きい。

上の画像は小学4年生の時に、半ズボンとランニングシャツ、それにゴムサンダルで子供用自転車を押して超えた”野福峠”。立ちはだかる巨大な壁だった、子供には。

両親が、ワタシが行方不明になったと警察に連絡。警察はワタシが野村に向かったと見て、要所要所で検問体制を敷いた。

とこが、ワタシはどうやら検問を敷く前、前にそこを通過したことを知ったのは後の話。警察は小学4年生が子供用自転車で、と判断し手配が後手に廻った。

今考えると、その当時から”美味しいものには目がなかった”ようです。そのおばあちゃんの打った”うどん”を思い起こさせてもらった。

「本当に懐かしい味を頂きました。ご馳走さまでした」と言ってお店を後にした。

「お客さん、この辺にまた来ることがあったら寄ってや!」というおばちゃんの声に、笑顔でうなずいた。



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「気楽中華 楽仔(ろくちゃい)」・「愛媛グルメ紀行」 441

今日は、来住町の農免通り沿いにある中華料理店”気楽中華 楽仔(ろくちゃい)”さんをご紹介しましょう。


お店は長らく休まれていて、今年の1月末に再開されました。閉店されていた理由はお伺い出来ませんでした。


農免通り沿いに駐車場が9台あり、お店はその奥にあります。

玄関1
店舗を外観から見ると、さほど大きなお店には見えなかったのですが、店内に入るとおおよそ40人前後は入ると思われるほどの規模でした。


厨房には調理を担当する男性の料理人が2人、その他フロアー係りの女性が2人の4人でやっておられました。


午前11時30分にお店に入った時は、お店の人数が多すぎるのではないかと思いましたが、正午頃になると男性客を中心に続々客がお店に入ってきます。

厨房2
余り目立つお店とは言えないのに、お客さんが詰め掛ける秘密は何だろう?と好奇心が沸いてきたほどです。


厨房も広く、2人の調理人が忙しそうに、大きな中華なべを振っています。


店内はロの字型のカウンター席と、椅子席と、掘りごたつ式の座席があり、皆さん思い思いに座って料理を待っています。

メニュー3
メニューを見ると、本格的中華料理店のそれです。


店名の”名乗り”である”気楽中華”といった感じのメニューではありません。


店名の”楽仔(ろくちゃい)”は、皆でワイワイ言いながら食事を楽しもうというほどの意味です。


”は中国語の略字体で表記されていますが、と発音し、”幼仔 ”と書いたら動物の赤ちゃんの意味です。概ね子供を意味する言葉でしょう。


メニューは迷わず、このお店の看板料理”チャンポン”を注文しました。お値段は740円(内税)です。


当日の”ランチ”は、その”チャンポン”と大き目の唐揚げ3個と大盛りのご飯と漬物が付いて700円。


単体で頼むよりずっとお得なので、多くのお客さんはそれを注文していましたが、今のワタシでは到底無理な話。

チャンポン上4
これが、お店で”本場チャンポン”の昇り旗に掲げられた”チャンポン”です。


特大の砥部焼きの器一杯の”チャンポン”を見たときは、これは単品でも食べきれないかもという不安がよぎりました。


麺が隠れて見えないほどの大量の野菜中心の具材が山盛りです。

チャンポン5
湯気が立ち昇る中で具材をのぞくと、キャベツ、太いモヤシ、キクラゲ、ニンジン、豚バラ、イカ、鶉の卵、エビなどが、これでもか!という位に満載です。


具材を掻き分け掻き分け、食べても食べても麺に到達できません。


そして、このスープが美味しいんです、コクがあって。上品さはありませんが、逆に下品さの中に力強さを感じる、実にシッカリしたスープです。このように、品はないけど旨い味の事を”下手味”(げてみ)と言います。


「オッ!これは拾い物をした、メッケモノのお店を発見したぞ!」という感じがして、ワクワクしながら大量のチャンポンに挑み続けました。

アップ6
野菜など、全ての具材は大きな中華並べて大きく煽り立てるように、強力な火力で炒めてありますが、決して炒め過ぎていない。


キャベツの太モヤシも、まあシャキシャキです。「ウフフフ・・・・体に良さそう!」と思わされました。


エビもイカもプリプリです。

アップ7
全体の塩加減もまあ完璧。このお店の調理人の腕、実に確かです。


スープに野菜の甘味が出て、このスープならご飯をぶち込んでウハウハ食べたら美味しいだろうなと思いました。


魚介と野菜のバランスも最適です。

麺8
やっと””が顔を出してくれました。「おい、待ち遠しかったよ!」と声を掛けたくなります。


”は弾力が合って、いい中華麺を使っておられるのが直ぐに分かりました。


色々なお店を廻っていますと、出会うんですねー、こういう”隠れたる名店”に。


さすがにスープまで全て完食というわけには行きませんでしたが(量が多すぎて)、身も心も満足してお店を後にしました。


新しい”出会い”をアリガトウ、っと心の中でつぶやきながら。





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「キッチンDame dam(ダムダム)」・「愛媛グルメ紀行」 442

今日は市内高砂町1丁目にある”キッチンDame dam”(ダムダム)さんをご紹介しましょう。


このお店のことは、お互いのブログでリンクし合っている:きくりんさん(ブロブ名:愛媛さすらい日記)の10月23日の記事を拝見して知りました。


この辺りは前々職の時によく廻っていた地区ですが、このお店の記憶はありませんでした。

玄関1
こちらがお店の玄関です。


愛媛大学と松山大学の学生達の街でしょう。きくりんさんの記事を見なければ、ちょっと気がつかなかったと思います。


玄関前には電柱があって、中の様子が余計に分かりにくくなっています。

店内2
こちらが店内の様子です。”キッチン”と名乗りにありますが、店内の様子は喫茶店風。


お店は、ワタシとほぼ同年代かもしれない女性が一人でやっておられます。


店内には、予想通り男子学生が2人席に着いていました。その内の一人は、ワタシと交代するようにお店を出て行きました。


店主の女性が、残った一人に「〇〇君、どうしたの?どこに行ったの?」と声を掛けます。


「うん、忘れ物したらしくて取りに返って・・・・」と男子学生。


「走って出て行ったけど、遠いの?知ってたら自転車貸してあげたのに」と、こういう会話が飛び交うお店です。

メニュー3
「お薦めのメニューは何ですか?」っと、店主の女性に尋ねたところ、この手書きメニューを示されました。


「これがセットになっていて、一番よく出るのよ」と。


そこで”なすのミートかけ ハンバーグ、ソーセージエッグ”650円を注文した。


店内には気だるいモダンジャズのBGMが流れている。

空気入れ4
店内には、傘立ての横に自転車の”空気入れ”が置いてある。


いかにも学生街の喫茶店(本当はキッチン)らしい。


「お客さんは、圧倒的に学生さん?」っとお尋ねしてみた。


すると「昔はほとんど学生さんばかりだったけど、最近はこの辺りの会社員がお昼を食べに来る」との答え。


開店して30年が過ぎた。その間に社会状況も変化し、それに応じてお客さんの層にも変化があったということか。

ランチ上5
これが注文した”なすのミートかけ ハンバーグ、ソーセージエッグ”650円。


ナスを一本皮を剥き、切り分けてフライパンで炒めて、ストックしてあるミートソースをかけた。


次にソーセージと卵をフライパンで焼いて、最後に手作りのハンバーグのネタを同じフライパンでソテーされた。

ハンバーグ等6
ナスはソテーされている。それにかけられたミートソースは、かなり濃厚な味。


学生達にはお母さんの味だろう。


遅れてお店に入ってきた男子学生2人と戻ってきた男子学生で、合計4人になった彼等は、期末試験の出題範囲の話に始終している。


「今度の試験ってー、暗記モンだろーー、そんな時に俺等、こんなとこでノンビリ飯食ってていいのかなー」だとか。


「オール(どうも徹夜のことらしい)だったから、もう眠くって。次の授業って、昼寝できるんだっけ?」とか、他愛もない話がダラダラ続く。


箸もまともに持てていないから、チキンカツまで口を持っていって、直接食いついた。見ていてため息が出る。

ハンバーグ9
ハンバーグ”からは、肉が焦げたいい匂いが漂ってくる。ハンバーグはこのお店の最大のウリ。学生達にも受けがいいに違いない。


店名の由来を、意味を聞いてみた。


すると「それ聞かれると弱いンヨー!」と不思議なお答え。「意味なんてないんよー、ゴロ合わせみたいなもんよー。でもねー、ある人が、お店の名前にを加えると”淑女”っていう意味になるらしいンヨー!」っと。


英語で淑女と言えば”Lady”だから英語ではない。


フランス語で淑女を意味する言葉は、確かに”Dame”(ダム)だけど、それを二つ重ねては使わない。どちらにせよ、お店の雰囲気には程遠いような・・・・・

肉汁10
でも、この”ハンバーグ”が結構いけました。箸を入れると、一斉に”肉汁”が流れ出た。


ちょっと焼きすぎだったけど、間違いなく学生達のお袋の味になるに違いない。


女性の細腕で、30年を超えて学際や近辺の若いサラリーマンの食欲を支えてこられた。


もう、それだけで拍手を贈りたい。ご馳走様でした!




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「大洲炉端 油屋」・「愛媛グルメ紀行」 443

今日は大洲市のレトロな街で、装いも新たに再出発した”大洲炉端 油屋”さんをご紹介しましょう。


油屋”の由来については、小説家の司馬良太郎氏が「街道を行く」というシリーズの中の14編(文庫版)「南伊予・西土佐の道」の文中で触れておられます。


それによりますと、”油屋”は旅館として江戸末期に油井久馬という人が始められたという。


その歴史ある”油屋旅館”は遂に閉館となり、昨年春、元の”油屋旅館”の蔵であったものを改装し和食料理から薬膳カレー料理のお店にリニューアルされたと聞きました。


それが今度は今年の9月3日に、東京で鉄板焼きなどを運営している”ラウンドテーブル”という会社が新しい大洲市の指定管理者となり、再度開店されたもの。


ですから、今では客席数80で、市内や県内産にこだわった野菜や魚介がメーンの炉端焼きを提供するお店となっています。

建物1
こちらが、元の”油屋旅館”の蔵を改装したという建物です。


ワタシのブログホームページにリンクしている”大洲のひでさん”も、9月に記事としてアップされています。


その”大洲のひで”さんのお薦めもあって、初めて訪問してみました。

玄関2
こちらが、お店の玄関。


なるほど、蔵の雰囲気を残していて、中々に風情のある佇まいです。

メニュー4
お昼は5種の”ランチメニュー”から選ぶ事になっていて、早速”温かいさつま汁定食”900円(内税)と注文しました。

さつま汁”は、その名前から九州の薩摩(鹿児島県)から伝わったという通説や、元々南宇和郡の漁村で自然発生したものと言う説などがあって、よくはわかりません。

鹿児島県に今伝わっている鹿児島県を代表する郷土料理”さつま汁”は、”さつま鶏”を使うことに由来していると伝えられています。

江戸時代に薩摩藩で武士の士気を高めるために催されていた闘鶏で、負けた鶏を野菜と一緒に煮込んで食べたのが始まりと言われています。

みそ味の濃厚な汁で鶏の骨付きぶつ切り肉を使うのが特徴ですから、南伊予に伝わっている”さつま汁”とは随分趣を事にします。

一方、ワタシが小学校時代に住んでいた西予市明浜町では”ひゅうが飯”という地元料理がありました。

この”ひゅうが飯”は、元々宇和島の沖にある”日振島”に伝わった料理で、火を一切使用せず、新鮮なアジなどを三枚におろして刺身にする。

それに炒った白ごまをすりつぶし、刻んだネギ、みじん切りにしたミカンの皮を、みりん、醤油、酒などを混ぜ合わせものに卵をときほぐし、調味料と混ぜ、味をなじませた後、炊き立てのご飯の上にかけて食べる料理です。

”さつま汁”も”ひゅうが飯”も何れも南予に伝わっている郷土料理で、ワタシは漁師料理の一種ではないかと想像しています。

大洲城3
店内からは、”藤堂高虎”が近世の城郭として整備したと伝えられる、4重4階という珍しい構造をもった天守閣を望むことが出来ます。


現在の天守は、2004年(平成16年)に復元されたもので、日本100名城に指定されています。


肱川の川面に映える”大洲城天守閣”は、大洲市民の誇りでもあります。

さつま汁定食上5
さつま汁定食”は、さつま汁と煮もの、和もの、麦ごはん、御菜、汁ものからなっています。

さつま汁”は、おろした魚をすりつぶし、軽く炙る。

ワタシが子供の時には、すり鉢におろした魚を入れてすりこ木ですりつぶしていたことを思い出しました。


味噌をそのすり鉢に塗りこんで、逆さまにして炭火で炙って焼き味噌を作り、すりつぶした魚を加え、さらに焼く。

そこにだし汁でのばし、味を付けたこんにゃくやキュウリを混ぜ、麦飯にぶっ掛けて食べていました。薬味として好みにより、ミカンの皮を干し乾かしたものを削ったものや刻みネギなどをかけました。

麦御飯6
こちらが”麦ごはん”です。

でも、一般に食べられていた”麦飯”は、決してこのような白い色などはしていませんでした。これは、麦飯を使うという形だけなぞったもの、ワタシにはそう見えました。

”さつま汁”を掛けて食べる”麦飯”は、もっともっと黒々としていました。白米などは、申し訳程度にいれていました。でも、こちらは、麦を申し訳程度に入れたもので、南予で食べられていたものとは別物です。

しかもこの”さつま汁”には温州みかん(うんしゅう)の皮を干したもの(漢方では、ミカンの皮を干して粉末にしたものを”陳皮”=ちんぴ、という)が入れられていないのではないかと感じた。

貧しい南予地域では、ミカンを剥いて出た皮も決して捨てたりはしなかった。各家庭で天日に干し、乾燥させたものを薬味などに混ぜて使っていました。

さつま汁”にそれを入れると、味に若干の”苦味”がはいり、味の奥行きが出る。味が立体的になる。

ところが、出された”さつま汁”にはその陳皮が入れられていない、もしくは入れられている量が極微量であるため、味が平面的に感じた、立体的深みが感じられない。

もちろん、これが間違っていると言うのではありません。これがこのお店の味なのでしょうから。

少なくとも900円を頂く料理に仕上げるために料理屋料理に仕上げられた。

ミズナジャコ7
こちらはミズナにジャコを混ぜたもの。


まあ、上品な付き出しの役割りを担っているのでしょうか。上品過ぎて、南予の香りがしませんでしたが。

カボチャ8香の物9
こちらは、カボチャの煮ものと、キュウリの酢の物です。


キュウリには、魚を焼いて解したものが混ぜられています。これらも、板場料理でしょう。

さつま汁10
少なくとも地元で元々伝えられた漁師料理の香りを抜いて、料理屋の料理にしたもの。


でも、多くのお客さんはこれが「アノ南予に伝えられた!”さつま汁”料理」だと満足しておられる。


ですから、それはそれでいいのでしょう。南予の漁村で育った私には懐かしさの欠けらもありませんでしたが。

御飯11
でも、もう地元でも昔ながらの”さつま汁”を提供してくれるお店が一体何軒あるのでしょうか。


しかも”さつま汁”や”ひゅうが飯”を作るには、実に手間隙が掛かります。


昔でも、何かのお祝い事やお祭りなどでしか一般家庭では作っていなかったのですから、今ではこういうお店に来る他は、食べられない。ですから、これはこれでありがたいことです。

レンガ館12
お店の前は、大洲観光の一つの目玉である”大洲赤煉瓦館”が立っています。


この建物は、明治34年に”大洲商業銀行”として建築されたもので、1922年(大正11年)まで使われていました。


その後は、警察庁舎や商工会議所などとして利用され、1991年(平成3年)に、”大洲赤煉瓦館”として再出発し、現在はお土産品や歴史書籍などが売られています。


今回の最大の収穫は、ここで愛媛の歴史に関して以前から探していた書籍を発見し買い求めたことです。


ワタシが書く”伊予の歴史”モノは、余り人気があるシリーズではありませんが、これで次に書くテーマが見つかりました。




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「伊予国中世期・余話」 宇和海の日暮れを背景に

今年は「伊予国の歴史」をテーマに、数多くの記事を書きました。ブログを書き始めてやっと4年目に入りましたが、今までのどの年よりも多く書いたように思います。


11月23日からの3日間と12月1日からの2日間の計5日間で、「伊予国」が日本の歴史にきちんとして記録が残っている”古墳時代”に、愛媛最古の豪族”越智氏”が登場した頃から、豊臣秀吉の四国侵攻にによって四国内の既存勢力・豪族・守護大名たちが全て滅んだところまで書きました。(村上水軍と河野氏・「家紋」を巡って 1


古代から中世期までの愛媛の歴史を集中的に書いたのは、中世期が終わり近世期に入りますと、「伊予国」の歴史も中央においても地方においても多く記録が残されています。


ですから、ワタシが敢えて書かなくても、調べる気さえあればどなたでも「伊予国」の歴史に触れることができると考えたからです。


ところが書き終えてみて、ふと、自分の郷里である南予の中世期についてほとんど触れていないことに気がつきました。

宇和海小島1
そこで今日は、西予市三瓶町から明浜町高山の晩秋の日暮れの風景を背景に、愛媛南予地方、特にワタシの郷里の”宇和地方”の中世期の歴史について、ワタシが現時点で知っていることだけを”伊予国中世期・余話”として整理しておきたいと思います。


画像は今日書く事とは直接関係がありませんので、画像をアップするだけで内容には触れません。宇和海を臨む”西予市三瓶町”の晩秋の日暮れ前の風景です。


「伊予国」の”宇和地方”で、日本の歴史上始めて影響力を持ったのは、伊予国最古の豪族であった”越智氏”ではなかったかという説があります。


それは、”宇和郡”から越智氏に対して貢物(みつぎもの)を送ったという木簡(木の板に記された記録)が数点出土していることを根拠としています。

宇和海夕暮れ2
越智氏”は今までに書いてきましたように、今の東予地域(今治地域)から興った愛媛最古の豪族で、大和朝廷からも認められた名族です。


その東予地域の豪族がなぜ、南予地域の宇和郡から貢ぎ物を得ていたかというと、当時の交通手段は海上交易です。


燧灘(ひうちなだ)から伊予灘を通り、佐田の岬を回ればそこはもう”宇和海”です。


今、画像で示している当たりを、”このしろ”という小魚や”魚を干した海山物”を積んだ小船が、海岸線に沿って出港し、燧灘の今治の浜を目指したのでしょう。

岐路漁船3
しかし、越智氏が伊予国で勢力を保っていたのは平安末期までです。


次に伊予国の守護大名に伸し上がっていったのは、風早の里から出た”河野氏”で、東国鎌倉で兵を挙げた源頼朝の”源氏方”に味方して”治承・寿永の乱”(じしょう・じゅえいのらん=一般に言う源平の戦い)で活躍したことにより、鎌倉幕府を開いた源頼朝に認められ、伊予国の今で言う中予地域と東予地域の覇者になります。

日没漁船4
では南予はどうであったかというと、鎌倉時代から室町時代にかけては大きな支配者はいない状態が続いていました。


ところが、室町時代から戦国時代にかけて、京都の公家(くげ=朝廷に仕える貴族や上級官人)であった”西園寺氏”の一族が宇和郡まで流れてきて支配するようになりました。


最初に居付いたのは、鎌倉時代中期の”西園寺公経”(さいおんじし きんとう)で、宇和郡は西園寺家によってほとんど横領に近い形で所領とされます。

雲間光5
鎌倉時代から室町時代にかけて、京都の公家崩れが地方に流れていき、その地方を支配したのは伊予国宇和郡の”西園寺氏”と、土佐国幡多郡(現在の四万十市)に流れ支配者になった”土佐一条氏”です。


更には飛騨国に”姉小路氏”(あねがこうじし)が流れ着き支配者となりましたが、上に書いた2人を含めてこの3人(3地方)だけだったと、司馬遼太郎氏は”街道をゆく”の第14編で書かれています。


さて、”西園寺公経”(さいおんじ きんとう)は予てより狙いをつけていた伊予国宇和の庄の支配を鎌倉幕府に強く望み、公経の子である”常磐井入道実氏”(みちうじ)の時代に正式に宇和郡が西園寺氏の所領となりました。


しかし、当初は西園寺氏は宇和郡を支配するといっても、代官に統治させ、宇和庄を領家として経営しておりました。


実際に現地に土着するようになるのは、実氏の後裔で西園寺家の庶流”公良”からです。


南北朝時代から伊予の西園寺氏の活動が始り、本拠とした”松葉城”(現在の西予市宇和町にあった)に拠って、宇和地方の在地豪族を傘下におさめ、守護大名的な活躍をするようになります。


なお、宇和地方の北隣には、大洲を本領として喜多地域を支配した”伊予宇都宮氏”がいました。戦国時代のことです。


この”伊予宇都宮氏”は、元々は”下野宇都宮氏”(しもつけうつのみやし=今の栃木県宇都宮市を本領していた)という名族の流れで、筑後(今の福岡県南部)宇都宮氏の一部が伊予に流れてきたもの。


伊予宇都宮氏”は宇都宮豊房を初代とし、八代目の宇都宮豊綱の代に、毛利氏・河野氏連合軍との”鳥坂峠の戦い”(翌永禄11年=1568年)で、反毛利・河野連合軍であった土佐の長宗我部・一条軍に加担していたため破れ滅亡しています。

雲間光
さて、宇和地方で勢力を振るった”西園寺氏”は、戦国時代に入ると、伊予国東部の河野氏と土佐国の一条氏に挟み撃ちのように攻撃されます。


更には、九州の豊後国(今の大分県)の大友氏の侵攻に遭って次第に衰退していきます。


そして、致命傷を負ったのが1584年(天正12年)、土佐国”長宗我部元親”の四国統一を目指した侵攻でした。


当時の宇和郡の当主であった”西園寺公広”は長宗我部氏に降伏します。

虹6
ところが西園寺氏を下した長宗我部元親も、1585年(天正13年)豊臣秀吉の四国侵攻に遭って本国土佐を除く3国を没収されると、西園寺氏は今度は豊臣秀吉氏に降伏します。


いよいよ西園寺氏の最後です。


宇和には新領主として”戸田勝隆”(豊臣秀吉配下の武将であった)が封じられ、1587年(天正15年)に公広が戸田勝隆に殺害されるに及んで伊予西園寺氏は滅亡しました。


宇和島を本拠とし南予地方に君臨した戸田勝隆は、言わば狂気の人でした。領民の首をはねることなど日常茶飯事のこと、最後には妊婦の腹を割いて、中の嬰児まで殺害した男です。


南予地方の安泰は、慶長19年(1614年)伊達政宗の庶長子”伊達秀宗”が宇和島に10万石で入封し、南予地域に善政を治めるまで待たなくてはなりませんでした。(「宇和島城」①



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東宇和郡明浜町狩江から

今日は、ワタシが小学4年生の春から中学2年生を終える5年間過ごした”東宇和郡明浜町狩江”の風景をお届けします。

突堤1
ところが現在は、市町村の合併によって”西予市明浜町狩江”になっています。


しかし、昨日「伊予中世期・余話」でも書きましたように、日本の歴史上で初めて登場するこの地域の地名が”宇和”であったことは、発掘されている木簡(もっかん=木の板に記された記録)によっても明らかです。


ですから、市町村の合併によってこの地域の地域名が(宇和町は一行政単位としてその名前が残ったに過ぎず、広い地域名としての”宇和”は消滅した)が消え去ったことは、実に愚かなことをしたものだと思い、呆然とします。

枝浦1
その”宇和”地域の中で、ここ”狩江”は、宇和島伊達藩の”狩場”であったため、その名が残っています。


ここ狩江の両隣は、”俵津”(たわらず)と”高山”地区がありますが、その”俵津”は、リアス式海岸線と海に落ち込む山との間にわずかに残った田に稲を植え、収穫された米をこそぎ取るように集めて俵に詰め、伊達藩への年貢米として送り出した場所であったことに由来した地名です。


また”高山”は、背後に高い山並みを持っていることに因(ちな)んだ地名でしょう。

本浦2
だた、いずれにしろ小さな貧しい漁村でした。主な産業は”漁業”で、後に”真珠の養殖業”が生まれますが、それも今は産業としては生き残ってはいません。

本裏3
ワタシがまだ小学生のころは、大きな網元がこの地区でも幾つかあって、地域の大半の人たちはその網元に雇われ、船団を組んで”鰯漁”に従事していました。


鰯漁”の最盛期は春から初夏にかけてですが、その頃は地域にある平地と言う平地には”鰯”を浜茹でされた”イリコ”が天日で干すために所狭しと並べられていました。

お伊勢山3
村全体が貧しくテレビなど、村の郵便局長さんや、校長先生の家にあるくらい。


ですから夕刻の7時が過ぎて、各家庭で夕食を早めに済ませて、地域の人たちはテレビがある家庭に出かけて行って、2時間以上もテレビを楽しみ、9時過ぎにはそれぞれの家族で自宅に帰るという日々でした。


そういうテレビがある家庭では、多くのご近所さんが押しかけますから、広い座敷を開放してお茶などを出して皆で見ていた、そういう時代をここで過ごしました。


まるで”ALWAYS三丁目の夕日”そのものの時代でした。

狩江小学校5
そういう時代の小学4年生の春に行った”狩江小学校”です。

狩江小学校4
ワタシがこの学校に登校した初めは木造の校舎で、廊下と教室を遮る窓は”障子紙”でした。


紙ですから、すぐに破けます。ですから、窓の障子紙は補修した穴だらけ。

虹6
でも、その当時は”いじめ”などという問題はありませんでした。

島虹7
皆が仲良く、元気に屋外を走り回って、上級生が下級生の面倒を見るのは当たり前の時代です。


この小学4年生から、狩江を離れる中学2年生までの5年間同じクラスだった子(2クラスしかありませんでしたが)は、今でも”親友”です。

海虹8
もうお互い還暦をとうに過ぎましたが、今でもメールの交換が続いています。


中学3年生で野村中学校に転校してからは、ずっと”手紙”での文通が続きました。

浜虹8
ここ”狩江”で過ごした5年間、ワタシはずっと毎日”日記”を書き綴りました。一日も休んだことはありません。


毎日日記に書くことが多くて、一日分のページに埋まりきらず、裏にも欄外にもはみ出して日記を綴り続けました。

浅野家9
それが、ワタシの一日終わりの日課でした。


ちっとも苦に思ったことなどありません。親から言われて書いたのでもありません。

浅野家6
書きたいことが多すぎて、自然と文章がほとばしり出るように書き続けました。手紙も何百通書いたのか数え切れません。

浅野家玄関5
そして、還暦を過ぎたころから、このブログを毎朝7時にアップし続けています。


このブログと出会ったお陰で、あの頃の自分が取り戻せました。ありがたいと思う日々を送っています。





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郷里 野村町のスリスマスイルミネーション

今日はクリスマスイブ


松山市内のあちこちで、夜間になるとイルミネーションが目立つ季節ですね。


でも今日はワタシの郷里、西予市野村町の野村ダムにある”朝霧湖湖畔”に毎年飾られる”クリスマスイルミネーション”をご紹介しましょう。

ツリー正面1
この画像は、メインツリーを正面から見たものです。


このツリーが11月下旬から飾られます。

牛2
メインツリーの奥には、何と”乳牛”の巨大なモニュメントが異彩を放っています。


何しろ、郷里の”野村町”は”ミルクとシルクの町”がキャッチフレーズの町です。


野村町ならではの”ホルスタイン”のモニュメントですね。


”ホルスタイン”の左手には、2頭の”トナカイ”を模した電飾がダムに向かって走っている様子、分かります?

トナカイ4
こちらの画像のほうが”トナカイ”の姿がより明瞭に確認できると思います。


”トナカイ”さんの巨大な角が、華麗に輝いています。

紅葉ライトアップ5
そして、”朝霧湖公園”に植えられている”紅葉”もこの期間ライトアップされます。


既に”紅葉”の盛りは過ぎていますが、ライトアップされた紅葉はきらめいていました。


ツリーが飾り付けられている期間には、町の内外から多くの人々がここに足を運び、盛んにカメラのシャッターを切る姿を目にします。

逆さツリー6
特に若いカップル達にとっては、お互いの愛を語らうには絶好のロケーションです。


現に、この光景を撮影するワタシの周囲には、寒空の中にも関わらず熱い吐息を白くしながら数組のカップル達が、ラブラブムードを高めあう微笑ましいシーンに満たされていました。

天空ネオン7
還暦過ぎのオッサンは、一人ですから何をしても自由。


地面に寝転がって、空を見上げてみました。


すると、電飾の輝きは一瞬で夜空に散りばめられた”流星群と星座たち”に早変わりです。

アップ8
そして、今度は電飾にくっついて見ました。


すると、先ほどの星座群はたちまち真夏の”源氏ホタル”の華麗な舞姿に変身してくれました。


子供心に戻れた一時でした。

句碑9
そして、それらの輝く電飾の下には、昨年と今年、相次いで亡くなった両親の”句碑”が浮かび上がっていました。


これが、人生の後半を”川柳三昧”で過ごした二人の、郷里での”墓碑銘”です。


多くの方のご尽力を得て、ここにこうやって立ち続けています。


今頃この墓碑銘の下で、二人は輝かしい電飾の光群に目をシロクロさせていることでしょう。


静かに両手を合わせました。




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「再訪71 豊来(ほうらい)」・「愛媛グルメ紀行」 444

今日は”再訪シリーズ”71番目のお店、伊予郡砥部町の県道伊予川内線沿いにある、ラーメン・餃子の”豊来”さんをご紹介します。


このお店は今年1月11日に、”愛媛グルメ紀行”シリーズの202番目のお店としてご紹介しています。(「豊来」・「愛媛グルメ紀行」 202

玄関1
このお店の前を通る県道伊予川内線は、通称”トラック街道”。駐車場は7台用意されているけれど、車の出入りには神経を使う。


この地に開業して16年余り、この街道を毎日の様に通る営業関係者のお昼時の憩いの場となる。


店内は、調理人の店主のその奥さんの二人でやっておられて、お二人とも多分私よりは年上に見受けました。


お店に入るなり、いきなりおばちゃんに「何人?」の一言で迎えられる。カウンター席はない。


「どこでも空いとるところに座って!」が、おばちゃんの二言目。

メニュー2
メニューは一応見たけど、実は前回来たときから次に来た時に頼むメニューは決めてあった。


前回来たときは”醤油ラーメン”と”餃子”をいただいた。その時、隣で食べていた人の”日替わり定食”が美味しそうだった。


それは火曜日の”日替わり定食”で、”海老天”と”麻婆豆腐”とライスとスープが付いているものだった。


だから、わざわざ火曜日にこの店を再訪した。迷わずそれを注文した。お値段は650円(内税)。

めだか3うぐい4
店内では”めだか”と、それよりやや大きい淡水魚が水槽で泳いでいた。


おばちゃんに、「こっちはめだかだと分かるけど、こちらのやや大きい魚は何なの?」と聞いてみた。


すると「お客さんから”めだか”やけん!ってもろうたんよ。でも飼いよったらどんどん大きくなってきて、めだかじゃないことが分かったんよ!」と言う。


近寄ってみると”おいかわ”に見えた。おばちゃんが「この辺では”はや”言うんらしいんよ」と言った。


”うぐい”にも似ているけど、お腹周りの模様から言えば”おいかわ”(愛媛では”はや”)に違いない。

スープ5
座ったら、1分足らずで”スープ”が出された。


スープを入れる器に、刻みネギを手でパラぱらっと入れて、保温のポットの上を押すと、温かいスープが出てくる。


次に二人客が入ってきた。おばちゃん、例によって「何人?」っと、これだけ。


客が二人だと告げると、今度は「奥、右!」これが二言目。


そして、客が奥の小上がりの席に座るか座り終わる前に「注文何にする?日替わりか?海老天と麻婆豆腐が付いとるけんよかろ?」っと言った。


一人の客は、おばちゃんの誘導に引きずり込まれたように「うん、それ!」と応えると、もう一人も「うん、同じモンでええ!」と、この会話で注文が決まった。


二人が座って1分で2人のスープを運んだ。

ランチ上6
これが、火曜日の”日替わり定食”。御飯は、隣の人のを見るとお皿にてんこ盛りだったので、「アレの三分の一」と頼んだ。


一人のおじいちゃんが食べ終わって席を立って勘定を済ませようとした。


「余り長いこと来とらんけん、ナンボやったか、忘れた」と言った。


おばちゃん、すかざず「650円!


そして「そうよ、長いこと顔見せなんだなー!でも生きとってよかったヤン」と、語尾をぶつ切りにしたような口調で言った。

エビ天他7
さて、こちらが7個も付いている”海老天”。揚げたてだから、まだ湯気が出ている。


食べてみた。「クーーーー、旨い!!!


この、何でもない、清潔とも言えない、そして愛想もなにもないお店が・・・・・。


でも間違いなく、こ れ が・・・・旨いんです!

エビ天断面8
海老天を割ってみた。剥き海老が2~3尾づつ衣に中に入っている。


海老が素材だから、海老が美味しいというのは、多分日本人に共通してる。でも、海老も旨いけど、何よりのそれを包んでいる””が美味しい。


アメリカのロサンゼルス在住の、ブログ友:Kaoriさんから、今度愛媛に帰るから、お薦めの”中華料理店”を教えて欲しい旨の話があった。


そこで何店舗か候補を連絡した。すると「外見が綺麗なお店ではなく、見た目はちょっと不潔に見えるようなお店のほうが中華料理は美味しいと思っているから、そういうお店の情報を!」と再度連絡がきた。


Kaoriさんもワタシのブログを見ているので、お店の外見は写真で知っている。


なるほど、そういう見方があるのか!と思った。

麻婆豆腐9
こちらの”麻婆豆腐”だって、しっかり味が付いていて文句ない。


Kaori”さんが言うところのお店は、こういう店のことを言うのかと、合点がいった。

麻婆豆腐アップ10
やや小ぶりの皿に入ってはいるけど、これなら普通の食欲をお持ちの方で、御飯を丼一杯はいけるに違いない。


御飯を三分の一にしたことを、やや後悔した。これなら二分の一にするんだった、と。


勘定を払おうと立ち上がった。


おばさんが、にじり寄ってきて耳元で囁(ささや)いた。


「ウフフフ・・・写真一杯撮りよったネーー!ウフ、お店の宣伝、しっかりしてネ」っと。


おばさんの笑顔をこのとき初めて見た。迫力があった。




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「うどん処 庵」・「愛媛グルメ紀行」 445

今日は、東部環状線沿いの束本1丁目にある”うどん処 庵”さんをご紹介しましょう。


ここには今年の9月まで”うどんの里 耕庵”があったところで、”耕庵”さんが閉店後の9月中旬にオープンされました。


しかも”うどん処 庵”さんは、元々余戸中6丁目、伊予鉄郡中線沿いに走る県道松山松前伊予線のゼットワイ余戸店内で”めん工房 家族庵”さんという屋号でやっておられたのを閉店され、こちらに移ってこられました。

玄関1
こちらがお店の玄関です。


普通お店を移転オープンする場合、”店名”は変えないと思うのですが、このお店は敢えて店名も名乗りも変えられた。

その理由は分かりません。”家族庵”の”家族”を敢えて外された。


しかもその”家族庵”さんは、今年の3月に余戸で開店されたばかりなので、余戸では僅か半年しか営業されなかったことになります。見切りを付けられたのが驚異的に早い!このことが何を意味するのか、謎です。

店内2
こちらが店内の様子。ワタシは今、不動産関係の仕事をしていますので、店舗の移転などは数多く手がけてきました。


以前あったお店の内装や装備品をそのまま活用して新しいお店にすることを”居抜き”と表現します。


このお店は、不動産関係の教科書を作るとしたら”居抜き例”として採り上げたくなるほどに、見事に以前の”うどんの里 耕庵”の内装・装備品をそのまま利用されています。


ほとんど、以前の耕庵さんをそのまま残された。我々の常識では、以前のお店の匂い(具体的な匂いではなく雰囲気のことをいう)を可能な限り消して、自分のお店の色を出したいもの。


それが全く見受けられない。

メニュー3
さて、メニューを拝見しました。


余戸で半年間営業されていた時は、”うどん・蕎麦・ラーメン”を全て手打ちされているという、俄(にわ)かには信じがたい点を売り物になさっていました。


今度のお店は、さすがに上の”麺三強”の中から”ラーメン”だけが外され、”うどん・蕎麦”の営業となっていました。半年で何かを学ばれたのか。

おでん4
なお上の画像は、愛媛のうどん屋やラーメン屋に定番の”おでん”です。それなりの味でした。1本100円。


なお、”家族庵”と言っていた頃のお店にも行って、今年の6月12日に記事としてアップしておりますが、その時は”釜揚げうどん”をいただきました。


その時の印象を以下の様に書いています。


<”釜揚げうどん”に求められる、本来の”滑(ぬめ)り”がほとんどありません。


麺そのものが・・・・艶(なまめ)かしいほどの弾力と艶に欠けるような・・・・マ、これはワタシ個人の食感に過ぎません。


しかし敢えて厳しい言い方をすれば、滑(ぬめ)りのない”釜揚げうどん”なんて、単なる”湯漬けうどん”に過ぎない>と。


上のように書いていますから、決していい印象をもったお店ではありませんでした。

鍋焼き5
そこで、ここでは季節柄もあって”なべ焼きげうどん”を頼みました。お値段は750円です。


上の画像のようなとてつもなく大きい鍋で出てきました。うどんのスープがまだグラグラ沸いていて、麺も具材も踊っていました。


立ち昇る湯気の、まあ勇ましいことと言ったら。でもうどんの出汁のいい香りが漂っていました。

鍋焼き6
この器が1玉様の鍋。このお店は、1玉を標準として、1.5玉も2玉も同じ値段です。


この1玉の鍋を見ただけで「ああ~・・・・これは食べ切れるか???」とため息をついていた、その時です。


ワタシの隣に、細くて小柄な青年が座りました。カウンター席です。彼は平然と「なべ焼きうどん、2玉で!」と注文。


しばらくすると、その”なべ焼きうどん 2玉で!”が隣の席に運ばれました。


ウッ!」っと、声を詰まらせました。なんと、盥(たらい)のような巨大な鍋が運ばれました。


全部食べたら、胃が倍以上に拡張するに違いないと思わせる量です。細くて小柄なんです、彼は。


ワタシのブログ友にも、細くて「痩せの大〇〇」という人がいますが、彼等の胃は一体どうなっているのでしょうか?

鍋焼き7
アッ!そうそう、肝心の”なべ焼きうどん”のお味です。


先ず””は、ワタシの好みではありませんが、うどんの出汁(スープ)がすこぶる美味しい。ちょっと今までいただいた出汁では味わった経験がない味でした。


この出汁だけで、この”なべ焼きうどん"は値打ちがあると思わせる旨さでした。

麺9
この麺の凡庸さを補って余りある出汁でした。


”釜揚げうどん”は、麺の凡庸さを補うものがありません。素材だけで勝負と言うメニューです。


でもこの麺は、惚れ惚れするような”出汁”の旨さで救われました。


隣では、細くて小柄な青年が、あのバケツのような器のうどんをほぼ食べ終わっていて、平然としています。


「到底敵わない・・・・・・」っと、勘定を済ませてお店を出ました。


外は、本格的冬将軍の到来。冷たい風が一陣駆け抜けました。


「おおおサブー!」




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「麺工房 茜屋(あかねや)」・「愛媛グルメ紀行」 446

今日は、県道松山東部環状線沿いに北久米町にある”麺工房 茜屋”(あかねや)さんをご紹介しましょう。


県道松山東部環状線と言えば、久米の八幡神社から石手寺に至る道路で、四国八十八ヶ所の”浄土寺”から”繁多寺”を経て”石手寺”に至る遍路道にも当たります。


このお店は、お互いのブログでリンクし合っている:きくりんさん(ブログ名:愛媛さすらい日記)の11月22日号を拝見して訪れました。

玄関1
こちらが県道沿いのお店です。1階が店舗、2階を住居にされているようでした。


ワタシがお尋ねしたのは、午前11時45分です。当たり前であれば、店内はお昼時ですから客で埋まっていなければいけない時間帯。


ところが、店内はコック服とコック帽をビシッと決めた店主さんただ一人。ワタシも一人ですからカウンター席につきました。


実はこのお店、自宅から近いこともあって開店当時に一度訪れています。その時、店内は客また客でした。


ところが、ラーメンをいただいて、その”魚介系”のスープの濃さに驚き、自分の好みではないと、それ以降は一度も訪れたことがありませんでした。

メニュー2
そこで、メニューを見ながら、店主さんに話を切り出しました。

「このお店は、もう開店されてから10年は経ちましたね」と。

すると「ええ、今年で11年です」と、短く応えられました。

「実は開店当初、一度お伺いしたことがあるのですが・・・・」とワタシは語尾を濁しました。

今度は笑顔になって「ああ、あの頃ですか。あの頃なら、”魚介系”のスープでやっていた時代ですね」とスラスラと話が続きます。

「ええ、実はその”魚介系”のスープの味、好みが分かれるのでは?と思いました」と、正直にお話しました。

「確かにそうでした。ですからスープの味を全面的に見直したのです」と続きます。

「ところで、ある方の紹介で再度このお店に来ましたが、どうやらイタリアンのお味のラーメンがあるとか」と。きくりんさんは、メニューにある”ボンゴレ”を記事になさっていました。

「ええ、様々な味に挑戦しています。そこのメニューにあるように、イタリアン系も3種用意しております」と。

そこで、ネーミングが面白かったので”モッツァレ”ら”-メン”の醤油味、お値段930円を注文しました。

厨房3
店主さんは、さっそく麺茹でに入ります。

他に客はいませんから、調理中の店主さんに更に話しかけました。

「ワタシは色々なお店を食べ歩いていまして、それが一種の趣味といいますか。その中で、イタリアン系のラーメンに挑戦なさったラーメン屋さんを2軒知っています」

「その内1軒はお店を閉められました。もう一軒はラーメン専門店から元々やっておられた中華料理店に業態変換をなさいました。」

「その2軒目の店主さんにお話をお伺いしたのですが、イタリアン系に挑戦して評判は大変良かったけど、採算が合わなかったことと仕込みに手間がかかり過ぎたというお話でした」と続けました。

すると「その意味はよく分かります。ですから私はメニューを考える時、先ず採算に合うかどうかを考えます」と、話を切り出されました。

ラーメン上4
これが”モッツァレ”ら”-メン”の醤油味です。

ラーメンの上に大量の白髪ネギとパプリカをスライスしたものとカイワレが乗せられています。”白髪ネギ”は、今年の10月23日にアップした”一閃”さんでいただいた””とりねぎらーめん”の時にご紹介しました。

葱の太い根元部分の根の部分を切り落として、適当な長さに切り芯を取り除き、繊維に沿って”千切り”にし、それを水にさらして絞ってアクというか、葱の持つ”エグミ”を取り除いたものが”白髪葱”です。

この”白髪ネギ”は、水にさらす、そのさらし加減が難しい。さらし過ぎると、ネギの風味がなくなるし、さらしが足りないと今度はネギの”エグミ”が残る。”一閃”さんのさらし加減は絶妙でした。

このお店のさらし加減は、ネギの”エグミ”をやや強めに残してあります。好みが大きく分かれるところでしょう。

ラーメン5
「その採算と仕込みを考える時、先ず一つの材料を他にも使い回せないかを考えます」と、店長の話は続いています。

「次に、その材料の賞味期限と一日に使う量を考えます。例えば、そのメニューにある”ボンゴレ”に使うアサリです」と、話の熱が次第に上がっていきます。

「そりゃあ、”アサリ”は生を使ったほうが断然美味しい。それは分かりきっています。味が歴然と違う。でも、一日の消費量を考えると、生のアサリを消費しきれない日も必ず出てきます」

「ですから、他に使い回しの効かないアサリは冷凍モノに頼らざるを得ません」と続けられます。

アップ6
お話の途中に、そっとスープを啜ってみた。そして、ちょっと呻いた。

「お話の途中ですが、このスープは素晴らしい出来ですね!醤油ベースの味ながら、そこにオリーブオイルが効いていて、味がまろやかで深くなっていますね」と、話を遮るようにスープ味の感想をお話した。

「ええ、ありがとうございます。オリーブオイル以外にチーズの味も溶け出して混ざった味になっています」と、胸を張られた。

「ただ、この”白髪ネギ”のさらし加減に好みが大きく分かれるかも知れませんね」と、正直にお話した。

すると「確かに言われるとおりかも知れません。しかし、味に関しては、お客さんの反応は様々です。お客さんに迎合し過ぎると、味に迷いが出て定まらなくなります」と、ワタシの正面に立たれた。

ここに店主さんのプライドを見せられた。でもこのプライドが、このお店を支え続けて11年を経過した。その意気や大いに良し!と思った。

そこでちょっと話題をずらせて「ところで、この県道沿いは中々ご商売が難しいのではありませんか?」と。

「ええ、そうなんです。でもこういう場所で5年も保てば、私は成功だと思います。そこで、うちのお店の客層を逆にこちらで想定したのです」

「ウチのメニューの値段は敢えて高く設定しました。その時に決めたのです、この価格でもウチに来ていただける客層は成熟なさった年齢層だと。若い方では来にくいし、一過性のお客さんも定着しないだろうと考えて」

スープ7
店主さんが話をされている間にも、その合間を縫うように食べ続けました。

先ずチーズとオリーブオイルと醤油ベースの渾然一体となった、複雑でなおかつまろやかなこちらのスープは実に秀逸でした。

「それでですね」と、店主さんの話は続きます。

「今月はエスニックな”トムヤククン”をスープのベースにして出してみました。そして来月は”グリーンカレー”で勝負しようと思っているんです」と、子供の目の様に目を輝かせられた。

「”トムヤムクン”は世界三代スープの一つですから、ラーメンには合うでしょう。でも”グリーンカレー”はどうでしょう?扱いが難しいのではありませんか?」とお尋ねしました。

すると「仰るように、”トムヤムクン”も香辛料タップリで扱いは難しいのですが、ウチのスープはトムヤククンの香辛料の個性に負けなかったのです。」

「でも、”グリーンカレー”は扱いによっては、ウチのスープでは負けるんです。ですから更に工夫をしました。12月はこれで勝負です!」と、力強く宣言なさった。

麺8
その間も、食べ続けました。


また、麺が実にモッチリしたいい麺を使っておられます。


また店主さんの話を折るように「ところで、この””、いい麺を使っておられますね!」と目を輝かせて話しかけた。


「はい、とびっきりいい麺を使っています。分かりますか?」と再び胸を張られた。


「分かりますとも!この麺の色艶を一目見ただけで、その質と食感が想像できます」と応えました。

完食9
あっという間に”完食”です。


それを見た店主さん「今度来られたときは、ぜひ”トムヤククン”を試して見て下さい」と顔を輝かされた。


「でも、お店のポスターを拝見すると”トムヤムクン”は11月限定とありますね」と、ワタシ。


すると「いえ、”トムヤムクン”は評判が良かったし、自信作です。ですからレギュラーメニューとして残しましす」と、一層大きく胸を張られた。


「分かりました。必ずまたいただきにきます」とお約束をしてお店を後にしました。


ほぼ入れ違いに、ワタシと同年代の男性一人客がお店に入られた。




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「愛媛グルメ紀行」を振り返る 32

さて、今日と明日は今年最後の”愛媛グルメ紀行を振り返る”シリーズです。

このシリーズを書き始めて気がついたのですが、400号を越えるシリーズの中で前半の200号位までは、見ていただく人が今より随分少なかった。

ですから、途中から見ていただくようになった方にとって、初めの頃はどういうお店を訪ねていたのかを知るきっかけとなっているようです。

さて、今日振り返るのは95号から97号で採り上げたお店です。



先ず最初は95番目のお店です。それは昨年7月26日にご紹介した、県道和気衣山線沿いの安城寺町にある”創彩ダイニング結の樹(ゆうのじゅ)”さんです。(「結の樹」 真っ当な「B級グルメ店」 94

玄関1 
直ぐ近くに久枝幼稚園や久枝小学校がある県道沿いです。


以前は”オムライス専門店”があった場所です。


今のお店は今から4年前にオープンしました。今年で5年目というわけです。”創彩ダイニング結の樹(ゆうのじゅ)”さんは一種のチェーン店で、市内にこのお店を含めて4店舗あります。

ランチ上4 
ワタシは”今日のおすすめランチ”を選びました。お値段は850円です。

メインは”豚ヒレミソカツ”、”海鮮カルパッチョ”、”小鉢”、”サラダ”に、後は味噌汁とご飯、おまけにアフターコーヒーまで付いています。

厚めに切った”ヒレカツ”を”アッサリした味噌ダレ”で味わうという、シェフの工夫でしょう。

大変美味しく頂きました。

このお店の”海鮮カルパッチョ”は、マグロとサーモンのスライスにオリーブオイルと酢を混ぜたものをかけて出されました。お洒落な演出でした。

このお店は再訪しません。大変美味しくいただきましたが、もう一度是非、というものがなかったからです。



次は96番目のお店です。それは昨年7月27日にご紹介していた、石手川にかかる”湯渡橋”の南側の袂、樽味1丁目にある”風風亭”さんです。(「風風亭」 真っ当な「B級グルメ店」 95

JA愛媛中央農協桑原支所の東隣で、交差点の角ですから目立つ場所で目にされた方も多いと思います。

玄関1
本業の製麺所に飽き足らず、自分のところで打った麺を直接お客様に食べていただき、その反応を参考に麺によりをかける、そういう目的もあって自ら”ラーメン屋”を開業されました。


製麺所は今もやっておられますが、この”風風亭”を開店されたのが今から20年前になります。ですから今年は開業21年目のお店です。

ラーメン4
注文したのはこのお店の看板メニュー”風風ラーメン”です。お値段は550円。

具材は、大量のモヤシに刻みネギとキクラゲ、それにゆで卵スライスとチャーシュー2切れです。

意外にアッサリ味の”豚骨スープ”に仕上がっています。

麺は、豚骨スープにお約束の極細麺というほど細くはなく、普通の細麺でした。味は、唸るというほどのものではなく、ごくフツーの豚骨ラーメンでした。

このお店の味を”フツーのラーメン"だったと書きましたところ、このお店のラーメンが好きという方から「フツーとはどういうことか?そういうありきたりの表現では何も分からないではないか!」という猛烈な抗議のコメントを頂いたことを今のように覚えております。

その方は、少しでも気に入らないところがあると、事細かにチェックしたことをコメントいただいていました。

ワタシがコメントをいただくようになった方で、初めての常連さんでした。このところ、コメントは頂いていませんが。お元気でしょうか?

この方のお陰で、このシリーズのテーマ名を”真っ当な「B級グルメ店」”から”愛媛グルメ紀行”に変えたきっかけとなった方です。ワタシにとっては感謝してもし足りない方でした。

このお店は再訪しません。いただいたラーメンが全くフツーの味だったからです。



最後は97番目のお店です。それは昨年7月28日にご紹介した、県道松山北条線沿いの祝谷6丁目にある”亜洲茶館 ロータス”です。(「アジアンカフェ ロータス」 真っ当な「B級グルメ店」 96

県民文化会館から北条に抜ける県道が拡幅整備されて依頼、祝谷界隈はにわかにお洒落なお店が進出してきました。

その中にあっても、ひときわ異彩を放つお店が”アジアンカフェ ロータス”さんでした。過去形で書いたのは、このお店は既に閉店されたからです。

店舗2
店舗は、”インドネシア風”の”茅葺屋根”でしたので、近隣でも注目を一身に集めるお店でした。

ナシゴレン5
インドネシアとマレーシアの代表的料理と言えば、”ナシゴレン”(インドネシア風焼き飯)と”ミーゴレン"(インドネシア風焼きそば)でしょう。

ということで迷いなく”ナシゴレン”を注文しました。

値段は単品で680円、スープとサラダと飲み物のついたセットで930円です。

具材は野菜中心ですが、”ムスリム(イスラム教徒)”が多いインドネシアでは豚肉は使わないので鶏肉が使われています。

温泉卵風の目玉焼きの半熟状態の黄身を混ぜると、別の味を楽しめる趣向です。

でもこのお店はもう再訪出来ません。今では別のお店(別の業態)に改装されています。残念です。




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「愛媛グルメ紀行」を振り返る 33

今日が今年最後の”愛媛グルメ紀行を振り返る”シリーズです。

今日は、98番目のお店から100番目のお店を振り返ってみましょう。とうとう100番目に至りました。



先ず98番目のお店です。それは昨年7月29日にご紹介した、国道56号線沿いの藤原2丁目にある”創作和食ダイニング IRGOHAN(愛あるごはん)”さんです。(「愛あるごはん」 真っ当な「B級グルメ店」 97

丁度、”パルティーフジ藤原”が国道を挟んで向かい側にあります。

以前は”焼肉さくら”があったお店を改装して、昨年の4月23日午後5時にオープンしたばかりの新しいお店です。

玄関1
1階が駐車場になっていて、お店は2階にあります。

この界隈は、南隣に喫茶店の”羅座亜留藤原店”が、更にその南隣には7月11日にアップしたラーメン店の”ラーメン大魔王”が並んでいます。

その中にあって、このお店は2階にあります。2階までお客様を引き上げるのは中々難しいものです。

塩さば定食5
さて、ワタシが注文したのは”塩さば定食”です。お値段は730円。

間もなく100店目のお店になりますが、その中で初めて採り上げた”和食の店”です。

なぜ和食のお店を採り上げないか?それは、ワタシの”刺身嫌い”と値段の高さにあります。

でも、この”さばの塩焼き”は、油が乗っていて本当に美味しかった。

肉厚のさばの半身を使って、和食の職人が丁寧に焼き上げています。

でもこのお店は再訪しません。和食のお店には魅力を感じないからです。



次は99番目のお店です。それは昨年8月1日にご紹介した、六軒屋町にある、”胡麻ラーメン”をウリにした”のっぴんラーメン”さん。(「のっぴんラーメン」 真っ当な「B級グルメ店」 98

場所は、伊予鉄高浜線の高架と県道が交差した所の東側角のガード下にあります。

玄関1
このお店は、独自に開発した”胡麻ペースト”をスープのベースに使った”胡麻味ラーメン”に徹底的にこだわりを持ったお店として有名です。

”のっぴんラーメン”は、1994年7月清水町で開店し、その後この地に移ってこられました。

ですから、今年で開業17年目を迎えました。

冷やし中華上5
さて、ワタシは胡麻が苦手なので、”冷やし中華”を注文しました。お値段は750円です。

盛り付けに品があって、端正な顔立ちをした”冷やし中華”に仕上げっています。

具材は、たっぷりのチャーシュー、キュウリ、カイワレ、トマト、サラシネギ、錦糸卵、それに燻製の半熟卵1/2個分です。

添えられた燻製卵(クンタマ)の半熟卵1個を半分に切ったものの、まあ美味しいこと美味しいこと、驚きました。

と言いますか、初めての味で興奮させられました。

従ってこのお店は既に再訪しました。それは、既に今年の7月31日に”再訪シリーズ”10番目のお店としてご紹介しています。



最後は、とうとう100店目になりました。それは、昨年8月2日にご紹介した、千舟町3丁目の鴻池ビル2階にある”ラ・セーラ”さんです。(「ラ・セーラ」 真っ当な「B級グルメ店」 100(本当は99)

 大きい千舟町通りにありますが、お店が2階なので、通りがかりにフラッと入ると言うお店ではありません。

玄関1
「今日は自分にご褒美を、よし!じゃあ”ラ・セーラ”にするか!」という感じのお店です。

昼間はランチ中心ですが、夜はきちんとしたイタリアンのコース料理を出すお店です。

若鶏グリル7
ワタシが注文したのは”若鶏のオーブン焼きバルサミコソース”です。お値段は1,000円。

”ライス”と”サラダ”がつきます。

メインディッシュに添えられている”温野菜”が半端ではありません。

ジャガイモを丸ごと蒸して、半分に切り分けられているもの。皮がしっかりついていますので、ジャガイモの美味しさが逃げていません。

この”若鶏のオーブン焼き”は、皮に丁寧にオイルと”バルサミコ酢”が塗ってあります。

バルサミコはブドウの濃縮果汁を長期間樽で熟成させたお酢です。

若鶏なので、身が弾けて皮からはみ出しています。

もう、皮の焦げた香ばしさだけで、ご飯が3杯は食べることが出来そうです。

100回目に選んだだけの価値は十分の料理です。

ですから、このお店は是非再訪したいと思っています。やはり記念の100店目の選んだお店ですから。




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プロフィール

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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