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「再訪 141 ラーメン・餃子 かめ福」・「愛媛グルメ紀行」 569

今日は”再訪シリーズ”141番目のお店、昨年8月1日にご紹介した”フジグラン松山”の西側にある”デオデオ松山店”の交差点を西に向かい、JRの線路を越えてしばらく行った道路沿いの南側にあります”ラーメン・餃子 かめ福”さんの三度目のご紹介です。


最初にご紹介したのは、2011年12月22日のことでした。(「かめ福」・ 「愛媛グルメ紀行」 195


2回目にご紹介したのは、昨年8月1日でした。(「再訪11 ラーメン・餃子 かめ福」・「愛媛グルメ紀行」 344


ブログ友:”乱 駆郎”さん(門前雀羅)が、昨年ご提唱なさった”冷たいうどん・冷たいラーメン”の狂想曲が吹き荒れる中での再訪でした。


冷しラーメン5
上の画像は、昨年夏2回目を訪問したとき注文したもので、お店では”冷やしラーメン”と呼んでおられます。


画像右上に見えますのが、ワタシが”スープ氷”と呼んでいるスグレモノです。新鮮なアイデアに衝撃を受けたこと、昨日の様に鮮やかに覚えております。

玄関1
こちらがお店の玄関。お店の立地は、決して一等地とは言いかねます。


ところが昼時になると三々五々、皆さん一体どこからやってくるのか?っと思うくらい人が集まります。


皆さんお店に入ると、真っ先に新聞雑誌コーナーに立ち寄って銘々がスポーツ新聞などを手に席に付かれ、それから注文!という慣れた手順です。

メニュー2
今日このお店をお訪ねした目的は”かめ福夏の涼麺”と呼ばれている”夏季特別メニュー”をいただくことです。


昨年は上に書きました様に”冷たく冷やされたスープに”スープ氷”を入れたアイデアが光る”冷やしラーメン”をいただきました。


かめ福夏の涼麺”は、大きく分けて4種あります。残りは”冷やし中華”と”広島風つけ麺 辛麺”、それに”冷やしつけ麺”。そこで”冷やしつけ麺”を注文しました。お値段は720円。

つけ麺3
この画像が”冷やしつけ麺”の通常サイズで、麺は1.5玉入っています。小の1玉にしようとも考えたましたが、スープがない分大丈夫だろうと思いました。


でもこの1.5玉、結構胃にこたえました。縮んだものです、ワタシの胃。


お店の方は、麺が入っている器とつけ汁が入っている器の並び方を画像の様に出されました。


ただ、ワタシは右利きなのでこの並びは左利き用の方向けではないか?っと思って入れ替えました。

つけ麺の麺5
麺の上には、”味付け煮卵”と大振りの”チャーシュー”と、ミニトマト1個、ワカメとシナチクと湯掻いたモヤシ、一番手前には下ろし生姜が少々。


麺の頂上にはカイワレが一つまみ。”冷やしラーメン”の姿を初めて見たときの衝撃はありません。


大変に真っ当な、別の言い方をすれば平凡な姿のようにお見受けしました。””は細麺の縮れ麺を使っておられます。

煮卵6
こちらが”味付け煮卵”を切り分けられてもの。いい具合に半熟となっています。


しかし、この”味付け煮卵”は個人的には味が濃い(辛い)過ぎるように思いました。


食事を終わったお客さん(カウンター席の隣に座っておられた)が、勘定を済ませる時、書籍のようなものを一緒にレジに出さましれた。良く見ると”ランチパスポート”っと書いてあり、初めて目にしました。

ワカメとシナチク7
こちらは、柔らかく煮られた”ワカメ”と、真竹(まちく)の繊維も瑞々しく残っている”シナチク”です。


初めて目にした”ランチパスポート”4版は、想像してたものより大きくて立派でした。


お店の奥さんと、その”ランチパスポート”について、色々お話をおうかがいしたが、その内容は記しません。

つけ汁8
麺の上に乗せられた具材を適宜、つけ汁に移しながら麺をいただきます。


ところが、麺が細麺で縮れ麺だから、見る見る水分が蒸発して乾いていきます。ゴタゴタ言わず、さっさと食べ切らないと、麺の水分が飛んでしまいます。


つけ汁は、当然に酢味で清涼感溢れる仕上がりでした。夏メニューに相応しい風味が、何とも言えずいいですね。


ただ残念なことは、添えられている下ろし生姜の量が僅か過ぎて、つけ汁の酸味に負けて、生姜に”いい仕事”をさせていないことだとおもいました。

麺9
何時も画像に撮る””は、つけ汁に漬ける前の姿を撮っています。


ところが、つけ汁に漬ける前の麺は乾いていて無残な姿になっていましたので、今回はつけ汁に漬した状態の麺を撮りました。


このことが、このメニューにイマイチ感を感じたところです。アイデア豊富で有名な店主さんとしては、麺の水分を余り早く飛ばさない工夫があっていいのかな?っと思いました。


でも、この問題の一番の解決策は、麺が乾かないうちにさっさと食べ切ってしまえば何等問題とはなりません。ワタシの様に、グズグズ画像を何枚も撮っている方が悪いのです。

完食10
で、もちろん”完食”です。つけ汁も余さずそのまま飲み干しました。


このお店の”つけ汁”。「優れたつけ汁とは?」っという命題に対して、ワタシは麺を食べ終わった後の”つけ汁”に何も足さず、何も引かずそのまま飲み干せるものという考えを持っております。


これがワタシが定義する”優れたつけ汁”です。もちろん、個々人によってその定義が違って当たり前です。


で、このお店の場合何も足さず何も引かず、最後の一滴まで美味しく飲み干せました。満足しました。




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「再訪 142 中華料理 縁中縁」・「愛媛グルメ紀行」 570

今日の”再訪シリーズ”142番目のお店は、昨年12月7日にご紹介した”中華料理 縁中縁”さんを再度ご紹介しましょう。(「中華料理 縁中縁」・「愛媛グルメ紀行」 433


お店は通称中央通りから三津に繋がる国道437号線沿い、”ナンカイゴルフガーデン”の入り口にあり、昨年11月初めにオープンしたお店です。


今回再訪した動機は、何時も貴重な情報を頂く:”のしうめ”さんの以下の記事でした。(縁中縁さんの 自慢の涼麺(是非食べていただきたい)


今回、のしうめさんの記事にあった”肉味噌ジャージャー麺”を注文することは、お店に入る前から決めていました。


ジャージャー麺を初めていただいたのは、昨年7月26日にご紹介した”四川旬菜 アスター”さんです。(「再訪9 四川旬菜 アスター」・「愛媛グルメ紀行」 340

ジャージャー麺4
”四川旬菜 アスター”さんでいただいた”ジャージャー麺”は、上の画像の通りです。


今回で”愛媛グルメ紀行”も570回を迎えましたが、その中で”ジャージャー麺”をいただいたのは、”四川旬菜 アスター”さんに続いて2回目です。


今回の”縁中縁”さんの”肉味噌ジャージャー麺”と、”四川旬菜 アスター”さんのそれとをよく見比べてみて下さい。見た目も味も、なかり違ったものでした。

玄関1
こちらがお店の玄関。


オーナーシェフは13年前に中国から茨城県水戸市に来日され、各地を移動しながら10年前に愛媛に来られ、ここ松山で初めて自分のお店を持たれたことは前回書きました。


ですから厨房内では中国語が飛び交っています。フロアー係りは全員日本人なので、意思の疎通には全く問題ありません。

夏メニュー2
”のしうめ”さんの記事で、このお店の”夏メニュー”(7品)は知っていました。


ですから、初めから決めていた通りに”肉味噌ジャージャー麺”を注文しました。お値段は650円です。


この”肉味噌ジャージャー麺”は、中国のどの地方で食べられているのかをお聞きしたところ、フロアー係りの女性を通じて「北京の周辺で主に食べられている」というお答えでした。


前回”四川旬菜 アスター”の時の記事にも、<ジャージャー麺は、元はと言えば中国北部、主に北京近辺の家庭料理の一つで、漢字では”炸醤麺”と表記され、日本で食べられているものよりは随分塩辛い。>と書きましたが、それが合っていたことが確認できました。

肉味噌ジャアジャア麺3
さて、上の画像が”肉味噌ジャージャー麺”です。”四川旬菜 アスター”さんのものと見比べてみて下さい。


そもそも”ジャージャー麺”を漢字で表記すると”炸醤麺”(ジャージアンミエン)ですが、その”炸醤”とは豚のひき肉と細かく切ったタケノコ、シイタケなどを豆味噌や豆豉醤で炒めて作った”肉味噌”のことを言います。


その”肉味噌”に何を入れるかで、味も色も変わってきます。”四川旬菜 アスター”さんと”縁中縁”さんの”肉味噌”の大きな違いは、このお店では”豆豉”(とうち)を使った”豆豉醤”(とうちじゃん)を大量に使っていることでしょう。

肉味噌ジャアジャア麺4
上に書いた”豆豉”(とうち)とは”黒大豆”のことで、発酵させた黒大豆を塩漬けにして干した味噌を、すりつぶして、にんにく、しょうゆ、油などと合わせて”豆豉醤”(とうちじゃん)を作りますが、このお店はその”豆豉醤”をしっかり使ってあります。


より北京の家庭料理に近いものを、日本人向けに味にやや甘さを加えて食べ易く調理されたのでしょう。


”四川旬菜 アスター”さんの”ジャージャー麺”は日本人的上品さがありますが、このお店のそれはパワフルでシッカリ濃い味に仕上がっています。

肉味噌アップ5
中国の”炸醤麺”(ジャージアンミエン)の麺は、カンスイを入れない、やや白っぽい色をしていますが、日本のものはカンスイを入れた中華麺が使われていますから、”豆豉醤”(とうちじゃん)の力強い””と、中華麺の”黄色”と彩りも鮮やかです。


これにキュウリの””も加わりますから、キャンパスにチューブから絵の具を思いっきり絞りだした感があります。


しかもこの”肉味噌”、一筋縄ではいかない強烈な個性を持っています。ラー油もしっかり効かせてありますし、何よりも四川風の”花椒”(かしょう)がタップリ入っています。


見ただけで味が分らないのは当然ですが、この”肉味噌”をしっかり混ぜて麺も具材も一緒に食べますと、食べた後”舌の痺れ”で「???アレ???アレ???コレハ・・・・・・」っと戸惑われるでしょう。

モヤシ6
この”舌の痺れ”は、大街道の一本西に南北に通る通りの第二スズランビル1階にある”一天張”さんの”担担麺”の味を経験された方ならわかると思います。(「一天張」・「愛媛グルメ紀行」 274


日本の”山椒”などとは、到底比較にならないほど口腔内が痺れに痺れます。”山椒”の仲間”花椒”(かしょう)の仕業(しわざ)です。


ですから、上の画像の湯掻かれたモヤシなどは、それを和らげる効果を期待されているのでは?と思うほどです。

混ぜた7
このジャージャー麺は、徹底的に混ぜる。混ぜに混ぜて原形を留めないほど情け容赦なく混ぜきる。


そこで初めて、”肉味噌ジャージャー麺”の味が出てきます。麺にチロッと肉味噌をつけて、チュルチュル啜り、具材は具材でおかず的に食べるなどという食べ方では、ジャージャー麺の本来の味を味わうことは不可能です。


郷に入れば郷に従え”です。見た目がどうも・・・・・などと言ってはいけません。

混ぜたアップ8
混ぜに混ぜた”ジャージャー麺”を口に運ぶと、間違いなく口の周りが赤黒く汚れます。


赤は”ラー油”、黒は”豆豉醤”(とうちじゃん)の色です。これがベタベタと唇を汚します。でも恐れてはいけません。


大地からの恵み、豆と小麦と野菜類。そして人類が生み出した”発酵”という手法。これを味わいつくすのです。

麺9
こちらが”豆豉醤”にまみれた””です。少しだけ甘く、後は辛く熱く痺れる。そして”発酵食品”が持つ味の深まりを味わいます。


人類は、食品が”腐る”ことに目をつけました。それも太古の昔から。そして、上手に腐らせる技法を確立しました。上手に腐らせると(実は腐る一歩手前で腐敗を止める)、生で食べるより更に旨く、しかも冷蔵庫などなくても長期保存ができる。


その”発酵技術”は、主に東洋で進化しました。中国・朝鮮半島・日本などで。


ただ切っただけの”刺身”、素材を焼いたり揚げたりと、熱を加えて調理する方法、それに比べて”発酵”は、熱を使うことなく”発酵菌”を使って静かに静かに熟成させる。日本の味噌や豆腐や醤油や鰹節など、優れた”発酵食品”を上げていけば切がありません。


醤油”など、今や世界的に使われています。

完食10
余談が長くなりました。この”肉味噌ジャージャー麺”も、様々な”発酵食品”が使われています。


だから味が深い、余韻のある味とも言えますし、その余韻の中には”舌の痺れ”も入っているのです。


何時も人類の英知を思わざるを得ません。これら発酵食品が生み出した旨味に接する度に。


その”英知”を持ってしてもコントロールできないのが”原子力”。果たして仲良く手を組んで付き合える相手なんでしょうか。




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「愛媛グルメ紀行を振り返る」 71

今週の土曜日も”愛媛グルメ紀行”シリーズを振り返ってみましょう。

今日振り返るのは、昨年の年初めにアップした211号から213号までのお店です。



先ず最初に振り返るお店は、昨年1月24日にシリーズ211番目のお店としてご紹介した、大街道3丁目、ロープウェイ街に一昨年4月、二番町から移転オープンしたばかりのラーメン屋さん”ラーメン骨太味覚 本店”さんさんです。(「ラーメン骨太味覚」・「愛媛グルメ紀行」 211

松山市が進める”坂の上の雲”事業の一環として、街並みが整備されて以来、お洒落でレトロな街に変身した”ロープウェイ街”の中ほどにあります。

玄関1
店構えは、至って普通の”ラーメン屋”さんです。

派手な”能書き”など一切ありません。

このお店は、醤油豚骨ラーメンで、麺は中太麺を使っているのが特徴です。

ラーメン5
さて、こちらが注文した”ラーメン”(無料トッピングなし)です。お値段は650円(内税)です。

具材は、大ぶりのチャーシューに、大きな海苔、刻みねぎに、大量のモヤシとキャベツです。

この、大量の野菜がこのお店の一つの特徴のようで、今まであまりお目にかかったことのないタイプです。

コクがあって、しかもまろやかな味のスープです。大量の野菜は決して邪魔にはならず、食べる人の健康志向に合わせてのことではないかと思いました。

今まで食べたことのないラーメンですが、素直に美味しくいただけました。

ただこのお店は再訪しません。特別の理由はありませんが、是非にと言う気持ちにもならなかったからです。


二番目に振り返るのは、昨年1月25日にシリーズ212番目にご紹介した、湊町4丁目、銀天街の一本南の通り、銀天街のタナカかばん店を南に入った角にある”らーめん 炎や(えんや)”さんです。(「らーめん 炎や(えんや) 」・「愛媛グルメ紀行」 212

このお店のキャッチフレーズは”京都屋台味”です。

ラーメン4
そこで注文したのが、お店の名前を冠した”炎やらーめん”と”餃子”です。

それぞれお値段が、580円と250円(内税)です、うれしいお値段ではありませんか。

具材は、メンマにチャーシュー(焼豚)、それに刻みねぎだけです。

京都ラーメンの”天下一品”さんほどはドロドロしていませんが、スープの色は似ています。

そこで、このお店のスープについても教えていただきました。

「豚骨スープを土台に、うちは鶏の足先、通称”もみじ”と呼ばれている部分を大量に入れてスープをとっています。タレは醤油ベースです」

「”もみじ”には、”ゼラチン”が多く含まれていて、京都ラーメンの特徴であるスープに粘りと言うか腰というか、独特の”トロミ”がでます」

親切にも丁寧に教えていただきました。

なお、このお店も再訪しません。京都ラーメンそのものが、あまり好きな部類ではありませんので。


最後に振り返るのは、昨年1月26日にシリーズ213番目のお店としてご紹介した、枝松5丁目にある愛媛飼料ビルの建物の中にある中華料理店の”龍花(りょうか)”さんです。(「龍花(りょうか)」・「愛媛グルメ紀行」 213

こちらの”龍花(りょうか)”さんは開店して4年目に入る、比較的新しいお店です。

玄関1
このお店の特徴は、お昼時はとにかく混むことです。玄関前に何時でも行列が出来ています。

ほとんどの客が、”日替わり定食”600円を注文していました。600円でコーヒー付きですから、うれしいじゃありませんか。

エビ天ランチ4
ということで注文したのが”日替わり定食”で、当日は”エビ天定食”がそれに当たっていました。

大き目の”エビ天”のボリュームがあって、これでコーヒーが付いて600円ですよ。

食べてみますと、大きめと見えたのは実は衣で、中身の”エビ”は至って普通サイズでした。

でも、この値段なら文句は言えません。

なお、このお店も再訪しません。余りに混雑していて、落ち着いて取材が出来ないからです。



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「松山市の地名・町名由来」・ 「桑原」 19

松山市の地名・町名由来」の第19回目は、「桑原」(くわばら)の町名由来をご紹介しましょう。

この「桑原」は、伊予国では最古の地名としてこのシリーズの1番目にご紹介した「久米」と並んで、伊予国の中でも最も古い地名の一つです。

平安時代の記録で、既に「温泉郡桑原郷」(ゆのこうり くわばらのさと)と呼ばれていたとありますから、起源はもっと遡(さかのぼ)るのでしょう。

元々は、中国から伝わった養蚕(ようさん=蚕を飼って絹織物を作る)技術とともに””(くわ)も伝わり、この地区にはその”桑畑”が多かったことから付いた地名です。全国に「桑原」という地名が多いのはそのためです。

更に、戦国時代に伊予の”守護大名”として名を馳せた”河野氏”が重視した十六将の中に、この地を領地としていた”出雲房宋賢”がいましたが、領地の地名を姓として”桑原出雲房宋賢”(くわばら いずものぼう むねかた?)と名乗りました。

本日ご紹介する際に”基本資料”として使わせていただいたのは、「ふるさと桑原」と名づけられた”みんなでつくる住みよい桑原地区委員会”が資料を集め編集し、”松山市桑原公民館”から昭和56年3月30日に出版された小冊子です。

本日ご紹介する「桑原」と次回ご紹介予定の「松末」に関しましては、上に書きました「ふるさと桑原」を基本資料として使わせて頂きます。

この資料は、久万高原町在住の”兒玉さんご夫妻”にご紹介され、わざわざ小冊子の全部を一枚一枚コピーして頂きました。ご主人は木工作家さん、奥様は漆芸家というご夫妻です。お二人には、深甚なる謝意を表するものです

経石山古墳
この地に古くから住民が住み村落を形成していたことは、桑原4丁目にある、上の画像の”経石山古墳”(きょうせきざんこふん)の存在でも証明されています。愛媛県指定記念物(史跡)でもあります。

前方後円墳”で、今は公園になっています。また、畑寺町にも”三島神社古墳”がありましたが、今は記録だけが残っていて形は残っていません。

何時頃作られたのかは分かっていませんが、今から約1500年ほど前の”古墳時代”のものでしょう。

桑原町表示板1
さて「桑原」の歴史を、やや詳しくご説明しましょう。

645年の”大化の改新”以降”律令制”が確立し、全国の行政区画も整備されていきますが、古代の”和名抄”(わみょうしょう)によりますと”温泉郡”(ゆのこうり)には五つの郷(さと、或はごう)があり、”桑原郷”はその一つです。

後に”桑原郷”は、正円寺村樽味村松末村三町村東野村畑寺村新百姓村(今の束本町)、小坂村枝松村中村の十一か村に区分されました。

そして昭和15年に”桑原郷”は松山市に編入合併されました。

現在、「桑原」は人口増加に伴って町名表示から”町”が取れて1丁目から7丁目までに分かれています。

桑原寺2
上の画像は”桑原寺”の現在の様子です。

この”桑原寺”には、”桑原城”がありました。”桑原城”を築きここを本拠としたのは、冒頭に書きました”河野氏”十六将の一人”桑原出雲房宋賢”です。

”出雲房宋賢”は名前からも想像がつくように、元々は僧侶でしたが、力も抜きん出て強く軍功もあったので”河野氏”が武将に採り上げ、十六将に列しました。

桑原寺3
桑原出雲房宋賢”以降、その子孫が代々”桑原城”を治めていました。

しかし時代は下って、”桑原河内守通興”(くわばら かわちのかみ みちおき)の代(その当時の”河野氏”の頭領は”河野通之”)に、東予の河野氏の領地を土佐勢と讃岐勢が狙っていることが分りました。

そこで”河野通之”は、土佐勢と讃岐勢に対抗するため武勇高かった”桑原河内守通興”を桑村郡壬生川に”鷺森城”(さぎもりじょう)を築き居城させました。

”桑原河内守通興”が去った後”桑原城”は、桑原氏の一族譜代の”松末氏”が城主となり、その体制は天正13年(1585年)”河野氏”滅亡まで続きました。


次回20回の「松山市の地名・町名由来」は、今日「桑原」で出てきた”桑原氏”が去った後”桑原城”城主となった”松末氏”と関係のある「松末」と、河野氏の家臣団の中の御家人に因む「久万ノ台」をご紹介します。




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「再訪 143 レストラン 野咲」・「愛媛グルメ紀行」 571 

今日は3度目となりますが、千舟町3丁目、”千舟町通り”の南側、藤村住宅ビルの1階にあります”レストラン 野咲”さんをご紹介します。


このお店を最初にご紹介したのは2011年2月3日、”愛媛グルメ紀行”シリーズでもまだ10番目のお店としてでした。(「野咲」 真っ当な「B級グルメ店」⑩

野咲特製ランチ縮小
その時に注文したのがハンバーグとエビフライ、それにオムレツという洋食の定番三点セットの”特製ランチ”。


20代後半と40代後半の、計20年余り、このお店に通っていました。時には毎日の時もありました。その時、一貫してこのメニューを注文し続けました。ワタシは、毎日同じメニューでも一向に平気です。


2回目にご紹介したのは2012年11月1日でした。(「再訪55 野咲」・「愛媛グルメ紀行」 408)。


この時は、コックさんとして師匠を同じくし、またご親戚でもある、空港通り6丁目にある”クレピス”さんと、同じメニューを対比させながらご紹介しました。

野咲ランチ4
その時に注文したのが、画像の”野咲ランチ”です。クレピスさんにも、内容が似ている”クレピスランチ”があります。


千舟町にお店を出されて、今年が確か39年ないし40年目という”洋食屋”の老舗です。


このお店の店主さんは、シェフなどと言う呼び名より”コック”さんと呼んだほうが自然に耳に馴染みます。既に後継者のコックさんも育っています。

玄関1
40年程前も、お店の感じはこんなだったような気がします。


このお店の前に立つと、まるでタイムスリップして30年か40年前に戻った感じになるから不思議です。


レジ兼フロアー係りの奥様や店主さん(コックさん)など、あの頃のままの風貌を保たれてているように感じるんです、不思議ですが。

店内2
なぜこのお店の人たちは年を取らないんだろう?素朴にそう感じます。


店内は、ワタシの目と言うフィルターを通して見ると、モノトーンのセピア色に見えます。


この空間だけが、時間が止まっているかのように、ゆっくりスローモーションで動いている、非現実的かも知れませんがそれが実感です。

メニュー3
メニューも、殆ど当時のままではないでしょうか。


当時は”特性ランチ”、或は”スペシャルランチ”、そして”野咲ランチ”しか頼んだことがなかったけれど、今回は”カツスパ”にしました。お値段は580円。


このメニューを注文したのは二つの理由があります。一つはブログ友:”ファットマン”さんがアップされた以下の記事です。(野咲でカツスパ(ナイフは贅沢品か)

コーラ4
もう一つの理由は、”愛媛グルメ紀行”シリーズも、このお店で延べで571番目のお店になりました。


その間に、同じ店を再訪もしています。中には、既に4回もアップしたお店も出てきています。


でも”再訪”したお店では、一度たりとも”同じメニュー”で記事にしたことはありません。それもあって、このお店の注文は、延べ20年余り通いましたが、初めての注文となります”カツスパ”にしたと言うわけです。


お店の厨房側のカウンターには、懐かしい”コカ・コーラ”の瓶が並んでいます。これは、お客さんが飲んだ後の瓶をボトラーに一旦返却し、再度中味を充填されたものを特別に仕入れているもので、市販されてはいないそうです。


コカ・コーラが日本に初めて輸入されたのは、大正時代と言われています。ですが、ワタシの記憶では”加山雄三”さんが”コカ・コーラ”の初代CMタレントとして颯爽と登場した頃に初めて出会いました。高校時代でした。


その時は、画像の分厚いガラス製の瓶の時代でした。自販機などまだない時代です。上の画像は、このお店の歴史を象徴するシーンでしょう。

カツスパ5
さあて”カツスパ”です。


まず、ワタシの記憶の中で初めて”スパゲティー”が登場したのは、まだ中学時代。南予の田舎で暮らしていましたから、テレビで見たことはありますが食べたことなどありませんでした。


ところが高校は松山に出てきました。すると、その当時の”喫茶店”の花形メニューが”スパゲティーナポリタン”であることに気が付き、出会いました。目も眩む出会いでした。


その当時のスパゲティーと言えば、”ナポリタン”(その当時は、単に”スパゲティー”と言っていた)だけしかない時代でした。


ワタシの”スパゲティー”との人生初めての出会いは、当時高校では禁止されていた”喫茶店”に隠れるように入って食べた”ナポリタン”。これは「西洋ケチャップ炒めうどんだ!」っと思いました。


もともと”細い紐”という意味の”スパゲティー”の歴史は古くはありません。スパゲティーの本場イタリアで、スパゲティーが一般的に食べられる様になったのは、今から僅か80年前ほどでしかありません。


スパゲティー”という言葉ができたのは、今世紀になってからのことで、工場で作る乾燥パスタを”スパゲティー”と言いました。ですから手打ち生パスタは厳密に言えば”スパゲティー”のカテゴリーには本来入りません。

カツスパ6
考えてみれば、今ワタシは、自称「人類ならぬ麺類」と言っていますが、その土壌となったのが”西洋ケッチャップ炒めうどん”でした。


イタリアにおいても最初に食べられた”スパゲティー”は、南イタリアの”ナポリ”で生まれました。


その”スパゲティー”が”ナポリ”で、南米産の”トマト”と出会って”ナポリタン”が生まれました。これは一種の奇跡的出会いでした。この出会いが無ければ、今日の”スパゲティー”の隆盛はなかったでしょう。


イタリアの”スパゲティー”が大衆化したスタートは、トマト味だったのです。


そういう歴史を持つスパゲティー、ワタシにとって出会った当初は”うどん”や”素麺”・”冷や麦”の一種だったのです。


ですから、このお店の”カツスパ”が美味しいかどうか?などということは、ワタシの頭にはありません。


ただただ懐かしさあるのみです。時間が止まってしまったというのは、正にそこにあります。

カツスパ7
厨房内の二人のコックさんは、無言で絶妙な連係プレイを演じます。店主コックさんが、使いに使ったフライパンに油を引き、そこに茹で置きスパをタマネギの櫛切りと共に投入して炒め始めます。途中で塩コショウをしてケチャップをタップリ廻し掛けて、仕上げにかかります。


既に、スパを炒め終るタイミングを逆算されて、若いコックさんが”薄いカツ”を3枚取って生パン粉が大量に入った中でパン粉をまぶし、スパを炒めているガスコンロの前の大きなフライヤーに投入されています。


何時か聞いたことがあるんですが、コックさんは”フライ”の揚がり加減を「パチパチ」と爆(は)ぜる油の音の変化で瞬時に判断されるそうです。(この話は、天麩羅屋さんのことかも知れませんが)


スパゲティーとタマネギが炒め上がってお皿に移されます。そして直ぐに、程良く揚がったカツが取り出されスパに乗せられて、このお店のオリジナルソースを掛け廻せば出来上がりです。

アップ8
このお店は”カツスパ”にはフォークだけしか付いていません。ナイフがないので、この薄切りとは言え”カツ”を一口で食べてしまうのには難渋します。


ファットマンさんが「ナイフは贅沢品か」と書かれた意味が、ここでやっと実感できました。全く同感です。


今や、”ケチャップ炒めスパゲティー”より美味しい”スパゲティー”が、世の中には幾らでもあるということを知りました。


けれど、その美味しいスパももちろん好きですが、今の私が”人類ならぬ麺類”を自認することになるきっかけを作ってくれたこの”ケチャップ炒めスパ”、エエ、理屈抜きで好きです!




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「おが多」・「愛媛グルメ紀行」 572

伊予市の鳥ノ木団地で焼き鳥屋さんをしている”おが多”さんが、一時松山市内にラーメン店の”おが多”というお店を何店舗か出しておられました。

ワタシもこのシリーズで、2011年12月26日に、フジグラン 重信”の敷地内にあるラーメンの”おが多”さんをご紹介しました。(「おが多」・ 「愛媛グルメ紀行」 196

ところが、そのお店は今年に入って閉店なさっています。”再訪”するつもりでした。

すると、何時も閉店したお店の情報を補足していただいたり、記事の間違いを「そっと、静かに指摘して頂いている」” 四楓院”というハンドルネームの読者さんから「おが多さん キスケBOX内のテナントとしてあるのでラーメンだけ食べて帰っても大丈夫です」という情報をいただきました。

ワタシの記事は、こうやって「そっとささやく様に、コメントを下さる」読者さんや、コメントまでは書かないけど毎日日課のように見ていただいている多数の読者の方々に支えられて、書き続けることが出来ております。

改めまして、ワタシのちょっと独断と偏見に満ちた記事を、辛抱強く見ていただいている全ての読者の方々に御礼を申し上げたいと思います。皆様のお陰で、書き続ける勇気とエネルギーを頂いております。謝意に絶えません。

さて今日はその情報に沿って、宮田町(JR駅前)にある”キスケボックス”の1階に入っておられる”おが多”さんをお訪ねしました。

同じお店でも、場所が違うと”新店”扱いとしていますので、”再訪”は付けません。

玄関1
情報を頂いた” 四楓院”さんも、「ただ、ゲームセンターの前にあるので騒々しいですが^^; 」と書いてありましたが、まさにその言葉通りでした。


1階の同じフロアーの大部分を”ゲームセンター”が占めていますから、その騒々しさといったら半端ではありませんでした。


しかし、平日の昼間からゲームセンターで遊んでおられる方の多いことと言ったら!どういう方々が、どういう事情でその時間帯にゲーム機が出す、一種の爆音のような騒音に身を任せておられるのでしょう?

店外メニュー2
同じ施設内に、”うどんのかめや”さんもテナントとして入っておられますので、これらの料飲分野のお店は、キスケボックスに入館される方がお客さんの殆どのようでした。


ワタシのように、わざわざこのお店に”ラーメン”を食べに足を運ぶというのは、物好きといえば物好きで、通常の感覚ではありませんね。


なお、駐車料金は、お店に駐車カードを提出すれば、1時間は無料となります。


メニューは店外に分かりやすく看板がでていました。それを見た瞬間、注文は決まりました。

店内3
このキスケボックス内の”おが多”さんは、現在ラーメン店として残っておる唯一のお店です。


またこのお店の店長さんのお父さんが、伊予市の鳥ノ木団地で焼き鳥屋さんをしている”おが多”の店主さです。


店内の厨房には、若い男性が何人も入っておられます。


店長さんに「市内にお店が色々あって、便利でしたが・・・・」っと、問いかけますと「ええ、もちろん、またお店は出しますよ。今、探しているところです!」っと力強くお答えになった。厨房内の若い男性諸氏は、その時の為の準備ということかも知れません。

冷麺4
さて、これが注文した”冷麺・並盛”です。お値段は630円です。


店内の張り紙で、「最近の小麦価格の高騰により、8月1日からそれぞれ20円の値上げをお願いします」とありました。”アベ○ミ○ス”の裏側で広がりつつある中小零細の現場は厳しい!


このお店の”冷麺”、お店のキャッチコピーは「野菜たっぷり サラダ風冷麺」とありました。


確かに、豊富な野菜類に隠れて麺が見えません。

冷麺5
大ぶりに千切ったレタスの上に、これも大きめの真っ赤に熟した”トマト”の輪切で一種の壁を作り、その中に冷え冷えに冷えた中華麺が入っています。


その中華麺の上に、”玉ねぎを輪切りマリネ”(オニオンリング状)にされたものがうず高く盛られています。


そしてその頂上には”大葉”を刻んだものがタップリと乗せられています。今まで初めて見る形態の”冷麺”がそこにはありました。

冷麺6
麺が表面に一切見えない”冷麺”、”チョモランマ”(英名:エベレスト)が屹立(きつりつ=高くそびえ立つ)の様相を呈した様(さま=状況)は、中々に壮観でした。


しかし、”冷麺”から漂ってくる香りは、玉ねぎの輪切りのマリネ群から酸っぱい香りが。そしてその頂上の”大葉”からの清新な香りとが、味の出来栄えを予感させてくれます。


冷麺”というメニューの一般的イメージを全く突き破る、若き店主さんの意欲作なのでしょう。


他のお店ではあった”手羽先”などのメニューはすっぱり切り取られて、ラーメンを含んだ少数精鋭のメニューで挑まれて、すでに10年が過ぎました。

アップ7
雌伏”(しふく=実力を養いながら活躍の機会をじっと待つこと)の時は、そう長くはないっと感じました。


再び”おが多”さんの店名が市内に灯(あか)りを灯(とも)す時が、必ずややってくることでしょう。


さて、レタスとトマトとオニオンマリネの硬いガードに阻まれた、秘密のベールを覗いて見るとこにしましょう。

トマト8
玉ねぎを輪切りマリネ”の山を崩し麺に向かおうとするのですが、その前に”麺”をしっかりガードしているのが”トマト輪切り”。


しかもこのトマト、かなり分厚く切ってあります。しかも、香草やワインビネガーやオリーブオイルなどにたっぷり浸され”マリネ”されていいます。


こうなりますと、一種のお洒落な”イタリアン”の香りが漂う”ニューウェーブ冷麺”の様相です。


既に”焼き鳥のおが多”のお父さんの世界から、大きく羽ばたいている店長さんの勇姿をそこに見た思いがしました。

混ぜた9
さあて、やっと””が姿を表してくれました。細麺のチョイ縮れ麺でした。


この”麺”が、氷水にたっぷり潜らされて、シコシコとした食感を演出されました。


もうこうなると使ってある麺が、カンスイを効かせた中華麺を使っているというだけで、後は完全に”イタリアンテイスト”が香る”野菜サラダ”です。


酢加減がいいのと、大葉の清新な香りが漂っていますし、第一””がキリキリに冷やされていますので、この異常とも言える夏の暑さの中では、ありがたいメニューです。幾らでもスルスル入ります。

麺10
この””を、まあ見てください!


艶といい弾力といい、小麦粉のいい香りといい、酢との相性といい、文句の付け所がありません。


まるで麺自体に意思があるかのように、自らスルスル口腔に吸い込まれてくれます。普通の胃を持った方なら、この””の量では物足りなく感じるに違いありません。


ワタシの胃をもってしても、スープがない分、麺はもう少し多くても大丈夫だと思いました。

完食11
もう器(お洒落な器でしょう!)を舐めたように、綺麗に完食です。当然でしょう。


スープがありませんのでレンゲなどはついておりません。薄手の器を両手に持って、唇を器に直接つけて酢仕様のドレッシングを啜りました。


そういうワタシの姿を見ていた店主さんの自然な笑顔。言葉など交わさなくても、優れた食品を通じて会話はできるのです。


大満足してお店を後にしたのは言うまでもありません。貴重な情報を頂いた” 四楓院”さん、ありがとうございました。


このお店で、実は”不思議”な体験をしました。お店に入って”冷麺”が出てくるまでは耳をつんざくゲーム機の騒音がうるさくて。


ところが”冷麺”を一心に頂いている時だけは、その騒音が全く耳に入らないのです。静寂の中で冷麺をいただきました。


アレ?っと思いながらお勘定を済ませた途端に、耳に飛び込んできたのが”ギューーーン”、”ビビビビビ”、”ガガガガガ”、”ドンドンドンドン”という、騒音の洪水です。


このお店の一連の出来事は”真夏の夜の夢”だったのでしょうか?



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「再訪 144 そば町谷」・「愛媛グルメ紀行」 573

今日の”再訪シリーズ”144番目のお店は、東温市則之内の”JAえひめ中央三内支所”敷地内にある本格的蕎麦屋の”そば 町谷(まちや)”さんを再びご紹介しましょう。


このお店は、今年の5月9日にご紹介したばかりです。(「そば 町谷(まちや)」・「愛媛グルメ紀行」 524


時をおかずして再訪したのは、梅雨も開け”夏大根”が辛くなる頃になったと思ったからです。この判断が余りにも甘かった!っと分かったのは、”おろしそば”をいただいた瞬間に分かりました。詳しくは後ほど。

玄関1
これがお店の風景です。外観は、国道11号線沿いにある実に平凡な”そば屋”です。


ところがこのお店、”決して侮ること無かれ”っというお店です。


その意味は、このお店が松山市内や中予地区でも珍しい”そば粉10割”の、いわゆる”生粉打ち”(きこうち)の蕎麦を出されます。

店内2
これが店内の様子。お店に入ったのは午前11時30分。ワタシのお昼の定刻です。


なぜ、正午前にお店に入るのか?それは繁忙時を避けて、店主さんとの”会話”を楽しみたいからです。


ワタシにとっては、店主さんとの”会話・対話”は取材の大切な手段です。ワタシはお昼の食事で様々なお店を回りますが、食事をすること以上に記事を書くための”取材”をしたいが為です。


ワタシにとっては、店主さんとの”会話はワタシの記事の命”なんです。


また会話が出来ない環境では、店主さんの調理の過程やお客さんの表情をつぶさに”観察”します。読んで頂いている方の中には、調理の方法などには興味がない方のほうが多いかも知れないですね。でもこの”観察もワタシの記事の命”です。

メニュー3
さて、”メニュー”を御覧ください。メニューのトップは、当然に店主さんがお客さんに一番食べてほしいメニューが載っています。


それが今回注文した”おろしそば”です。初めてこのお店に来た時、隣の方がこの”おろしそば”を食べておられました。


何と!”おろしそば”には、大根が半分添えられていて、自分で大根を下ろすことになっています。これに仰天し、次にお訪ねしたときはこの”おろしそば”を注文しようと決めていました。お値段は700円。


その時に見た大根は、ごく普通の”青首大根”の様に見えました。ですから、大根半分の量でも”辛くはない”んだなって思ったのです。この判断がいかに甘かったかということに、この後すぐに気が付きました。

そば打ち台4
このお店は、女性2人でやっておられます。店主さんは、ほっそりとして小柄な女性です。


その店主さんが、一人で朝からこの”そば打ち台”で、そば粉100%の”生粉打ち”(きこうち)をなさいます。


その”生粉打ち”の大変さを、前回の記事では以下のように書いています。<蕎麦粉は実に厄介な粉です。水に容易には混ざらないんです。蕎麦屋の職人泣かせ!なんです。>


<幾ら”水廻し”という過程を経ても、何時までたっても”蕎麦粉”は頑として水と馴染もうとせず、パラパラの状態が続きます。根気と性根を入れた心構えと技術をとことん要求されます。>(前回記事より)


そして、ご自身が心身込めて打たれた”蕎麦”が終わった時点でその日の営業は終わりです。


それに比べて、回転している寿司屋は、厨房の奥まで続いてるベルトコンベアーの先で”ロボット”が寿司を握っています。スイッチを切るまで握り続けています・・・・・・・・・

大根5
さあて、これが”問題の大根”です。スクっと屹立(きつりつ=そびえたつ)様をご覧になって下さい。

そば屋にしろうどん屋にしろ、過去に数々の”おろしそば”や”おろしうどん”を頂いて来ましたが、大根の半分が出てきたのは初めてです。

「この大根の種類は何ですか?」という質問に「エエ、フツーの大根ですよ。ただし”夏大根”ですから”辛い”ですよ!」っと店主さん。

その時、心のなかでは「普通の大根ということは”青首大根”。だったら幾ら”夏大根”と言っても、その辛さなんてたかが知れている」っと思い込んでいました。この”素人の思い込み”が大間違いだったことはこの直後に分かりました。

ワタシが大根を下ろしていると、フロアー係のおばちゃんが飛んできて「お客さん!お客さん!大根をおろすのは、そんなんではありませんよ!」っと。

そしてワタシから大根を引き取って、大根を下ろす見本を教えて頂きました。「大根はおろし器に対して直角に!そうしてこうやって大きく力強くおろすんです!」っと。

お「なぜそうやって、おろし器に直角になるように大根を立てるのですか?」

「美味しいからです!大根の繊維を断ち切るようにおろすんです!」っと。

おろしそば6
などと言っているソバから”蕎麦”が出された。これには慌てた。大根もまだ、ほとんどおろしていない。

「ああああ・・・・蕎麦が来ちゃった!アレレレ、まだ写真も撮っていないのに・・・・・アレアレアレ・・・」っと慌てていると「じゃあ、私が代わりに大根をおろしてあげるから、その間にやることをやって下さい」っとおばちゃん。

完全に主導権を握られてしまった。慌てふためいて写真を撮った。っと、その頃合いを見計らうかのように「大根、この位でいい?足りなかったら更におろして。それでも足りなかったら何本でも持ってくるから」っと、完全におばちゃんのペース。

店主さんは厨房から、それら一連のやり取りを柔和に微笑みながら見ておられた。

そば7
これがこのお店の、そば粉100%のそばです。


柔和で小柄で細くて儚(はかな)げな女性店主さんが打ったとは思えないほど、剛直な蕎麦です。この蕎麦からは、底知れぬパワーを頂ける、そういう感じのパワフルなお蕎麦です。


蕎麦1本1本の幅が不揃いです。でも、そこに野性味を感じます。一本口に含んでみました。確かな蕎麦の味がします。

アップ8
蕎麦に、一部黒い点が見えると思いますが、これはそば殻(から)です。この蕎麦は、蕎麦殻(そばがら)も挽き込んだ”田舎蕎麦”でしょう。


蕎麦の風味を一番感じ取れるのが”田舎蕎麦”です。何時も思うのですが、この田舎蕎麦をいただく度に、高原を吹き渡る一陣の風を感じます。

おろし9
さて、穏やかに進んだのはそこまででした。田舎蕎麦の上に、おばちゃんに手伝ってもらいながらおろした大根をたっぷり掛けました。しかも、大根の辛味は”絞り汁”に流れ出ますから、おろした大根だけではなく下ろし器の底に溜まった絞り汁も残さず掛けました。


やや黒みを帯びた、野性的な”田舎蕎麦”。そしてその上にタップリ掛けられた白雪のような”おろし大根”。綺麗なコントラストを目で楽しんだのはここまで。


蕎麦を一本だけ箸で掬っておろし大根をつけて啜ってみた。「ウッ!・・・・・・・・」声が詰まった。


           ・・・・・           ・・・・・・・・」声が出ない。

かけた10
慌てて”出汁醤油”を掛け回して、焼味のネギも入れて、おろし大根が均等に混ざるように混ぜに混ぜた。


辛さよ!!辛さ様よ!どうかお鎮まり下さい!」っという切ない願いを込めて。


そして恐る恐る蕎麦を食べてみた。その様子を店主さんとおばちゃんがニコニコしながら見ておられた。そういう視線を感じた。


とにかく「辛ーーーーーい!!!!」。しかも、蕎麦を食べ進む内に、あろうことか!舌先が痺れてきた。あの”一天張”さんの”担々麺”を頂いて”花椒”(かしょう)の痺れを味わって以来の経験。


椿神社参道にあるそば屋の名店”無着庵”さんでいただいた、”辛味そば”の辛さより辛い。本物の”辛味大根”を凌駕する辛さだった。


正直に言って、”青首大根”をナメていた。「アオクビ君、ゴメンナサイ」っと、少し頭を垂れた。


出汁”の味で、辛うじて食べ切った。その瞬間だった。店主さんがワタシを見て「辛かったでしょう^^^?」っと微笑まれた。


天使の微笑みだったが、その心根に「だから言ったでしょう!カライって!」という言葉が潜んでいることは分かった。


「夏大根は本当に辛いんです!でもね、これが辛くなければ蕎麦が美味しく頂けない!」とキッパリ言われた店主さんの表情は爽やかだった



「そば湯をお持ちしますから、そば湯で残った汁やおろし大根を薄めて飲んで見て下さい。サッパリしますから」っと。「大根が足りなければ何本でもお持ちしますよ!」のおばちゃんも優しく笑っておられた。

そば湯11
そば湯を、出汁やおろし大根が残った器に注いで飲んでみた。


地獄に仏」・・・・・・・。爽やかさが残った。あれほど暑かった体が、ヒンヤリと冷えているかのようだった。

素人が知ったかぶりをして挑む、無謀さ加減を教訓として得た。


勘定を払ったら、「これからが夏本番ですよ!団扇(だんせん=うちわ)を差し上げますから、暑さを凌いでがんばって下さいね!」っと、おばちゃんに諭された。


今日は完敗だった。ただし心地いい”完敗”だった。


家に帰って夕食時に、冷たく冷やした第三のビールもどきで、お店のお二人に向かって、密やかに”乾杯”した。




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「再訪 145 四川飯店 菜温」・「愛媛グルメ紀行」 574

今日は今年の4月24日にお訪ねしたばかりの、通称道後樋又通り(県道六軒屋石手線)沿いにある”四川飯店 菜温”さんを再びご紹介しましょう。

このお店は”愛媛グルメ紀行”シリーズ515番目のお店としてご紹介したばかりです。(「四川飯店 菜温」・「愛媛グルメ紀行」 515

また、もともとはブログ友:”乱 駆郎”さんの4月4日の記事に触発されての訪問でした。(「四川飯店 菜温」の什景湯麺

その記事の中で、乱さんが絶賛されていたメニューが”什景湯麺”。今回はそれをいただきに来ました。

玄関1
こちらが通称道後樋又通りに面して、ひっそりと佇むお店の玄関。


本当に美味しいものを出すお店は味に自信があるから、大きな”看板類”や”プレート”を恥ずかしげもなくベタベタ”大書”するお店の作りとはまるで違います。


「ヤレ小麦は〇〇産のもの、醤油は□□商店のものを使っています!」とお店の壁に大書している店を見ると、気が小さいスピッツがやたらとキャンキャン吠えている姿が目に浮んでならない。恥ずかしくないのでしょうか?

カウンター2
こちらがスッキリしたカウンター席。このお店はカウンター席とテーブル席、それに僅かの小上がりがあるだけの小体(こてい=小ぶりな)なお店。


店内はシェフ兼店主さんと、その奥様と思(おぼ)しい女性と、若いフロアー係りの女性の3人でやっておられます。


ここのシェフは、元々は徳島そごうの中にあった”四川飯店”で修行をスタートされたそうです。(そのお店は、現在は閉店されています)


次ぎに松山の高島屋の中にある”赤坂四川飯店”で腕を磨かれた、真っ当な”四川料理”を得意分野とする職人さんです。(全日空と言われたかも知れない。聞き違いであったらご勘弁を)

メニュー3
さてメニューを見た。見る前から注文するものは”什景湯麺”に決めていました。


前回は下の画像の”葱糸湯麺”を注文しました。読み方は分りません。

ネギそば4
これがその”葱糸湯麺”で、お店の方は”ネギそば”と呼んでおられます。こちらは醤油味。


ところが乱さんがお薦めだったのは”什景湯麺”、しかもその”塩味”でした。


だから今回はお薦め通りに””什景湯麺”(スーチータンメン)の塩を頼みました。お値段は680円。


このお店のメニューの特質は、メニューの全てに英語で併記されていること。ここがやや異質。

スーチタンメン4
上の画像が注文した”什景湯麺(スーチータンメン)。日本語風読み方をシェフにお訪ねすると、横から奥様と思しき人が日本語読みを教えて頂きました。


また、シェフの修行歴も全てその女性の説明です。シェフは殆ど無言で淡々とお料理をこなされています。


今日は厨房が覗ける位置に座りました、ワタシが一番好きな位置です。


調理の様子が手に取るように見えるからです。調理の様子は以下の通りです。先ず、大きな中華鍋に油を廻し空焼きをされた後、一度油入れに戻します。


そこにタップリの油を注ぎいれて白菜を投入。それはさっと引き上げて油入れの上にある”穴あきボール”に入れて余分な油を切ります。


油を全て油入れに戻して、そこに透明のスープを張ります。そして塩を中心に調味料で味付け。中華お玉でスープを一掬いして何度も味見をして調味料を加減していかれます。

スーチータンメン5
その調理過程を見ていた奥様と思しき女性、タイミングを見図られて麺を湯掻き始めます。


麺が茹で上がりそうになると、何度も麺を数本、菜箸で掬(すく)って、麺の色合いをテリを確認されていました。麺の茹で上がりは、その麺の表面の変化で見極めておられるようでした。


麺が茹で上がって器に入れられた瞬間に、シェフが出来上がったスープを器に注ぎ完成です。絶妙のコンビネーションを見せて頂きました。その間に二人は全く無言です。


スープを啜ってみました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


言葉になりません。スープは澄んだスープなので、それの代表である”清湯スープ”(チンタンスープ)の中でも一番高級とされる”上湯スープ”(シャンタンスープ)ではないかと思いました。


実に気品に満ち溢れています。スープの味に深みと広がりがあるのです。けれど雑味は一切なし。このスープは塩を選んで正解です。


これが醤油だと、大豆を発酵させて作った醤油の味が勝ってしまって、この透明で雑味のない深い味を殺してしまうでしょう。

アップ6
頭の中が透明になるか、と思うほどの贅沢さを感じました。


スープの材料として惜しげもなく使った豪華な中国ハムなどの、素材の微妙な味が見事に溶け込んだスープでした。


具材は、白菜、キクラゲ、飾り包丁を見事に入れられたニンジン、名前が分からなかった葉物の中国野菜、エビ、鶉の卵、飾り包丁が入ったイカ、豚バラなど大よそ十種類程度が入っています。


それをこのお店では”五目そば”と呼んでいます。実に控え目。

アップ7
それら具材の持ち味を、塩で調整されたスープが支えている。引き出しているんです。1+1が、単純に2になるのではなく、5にも6にもなる調理の出来具合だと感じました。


余りの見事さに、全く一言も発することが出来ませんでした。


ただただ無言でスープと麺を啜って、具材のそれぞれの持ち味を堪能しました。

イカ5
まあこのイカとニンジンをみて下さいよ。


それぞれに細かく、根気良く”飾り包丁”の目が入れてあります。


一切手抜きしていない証拠でしょう。職人のプライドをそこに見ました。


一瞬で食べられ、目に止まらないかもしれない食材にまで手を込められてる。ホンモノですよ。

麺9
麺は細麺のストレート麺。


この麺がスープによく絡みます。ラーメン屋さんは、麺にスープが絡み易くする為に、麺を手で揉んで”縮れ麺”を開発されました。


でもこの””は、細身で真っ直ぐな麺なのに、そういう手間をかけなくてもスープがよく絡む、不思議です。

完食10
そりゃあ完食ですよ。


レンゲがついていたけど、そんなものに用はありません。器を両手で持ち上げて、最後のスープの一滴まで舐めて飲み干しました。


勘定を払う時、初めて言葉が出ました。「完璧に美味しかった!」っと。


すると奥様と思しき女性、隣に立っているシェフに向かって「お客様が、美味しかったって!」っと、まるで通訳をしているように伝えられた。


その瞬間、今まで全く無言であったシェフの顔にハニカミが生まれました。まるで”天使のハニカミ”の様に美しい表情でした。


その微かな含羞(がんしゅう=はにかみ、恥じらいの表情)の色は、かつての日本には多く見られた表情ですが、それを実に久しぶりに見た思いがしました。




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「愛媛グルメ紀行」を振り返る 72

今週の土曜日も”愛媛グルメ紀行”シリーズを振り返ってみましょう。

今日振り返るのは、昨年の年初めにアップした214号から216号までのお店です。


先ず最初に振り返るお店は、昨年1月27日にシリーズ214番目のお店としてご紹介した、山越6丁目にある”華龍飯店”さんです。(「華龍飯店」・「愛媛グルメ紀行」 214

場所は、中央通りの大きな交差点、”メガネの三城中央通店”を北に上がると左手に”白鳳会館”が見えてきます。

その”白鳳会館”の北側の交差点を左折(西に)すると、直ぐにあります。

玄関1
店内は、テーブル席とカウンター席、それに小上がりの部屋があって、中規模よりやや大きいといった店構えです。

客層は、家族客が中心で、昼時は待ち席で待たされることを覚悟しなければなりません。城北地区ではよく知られたお店です。

お昼には6種類の”ランチメニュー”が用意されていて、迷わずに選べるようになっています。”ランチメニュー”のお値段は、何と630円です。

セット上5
そこで選んだのが”オムレツのチリソースかけ”です。この画像が、そのセットの全容です。

エエエ・・・・これで630円ナノデスヨ、ドーです。文句ないでしょう!

この堂々とした”オムレツチリソースかけ”。

どっしりしていて、その味がまた美味しいのです。中華料理店で本格的”オムレツ”をいただくのは初めてでした。

このお店は既に再訪しました。ただし再再訪の予定はありません。再訪した時に再再訪の意欲がわかなかったからです。


二番目に振り返るのは、昨年1月30日にシリーズ215番目にご紹介した、平和通3丁目にありますラーメン店の”骨太BUTAMEN平和通店”さんです。(「骨太BUTAMEN」・「愛媛グルメ紀行」 215

実はこの”愛媛グルメ紀行”で、1月24日に211番目のお店としてご紹介した大街道3丁目(ロープウェイ街)にある”ラーメン骨太味覚本店”さんと、同系列のお店です。

玄関1
お店は10人も入れば満席に近くなる、小ぶりなお店で、駐車場も店の横に2台、平和通の向かい側に2台の4台です。

お客さんは、圧倒的に近くの愛媛大学、もしくは松山大学の学生が中心で、しかも男子学生が9割以上を占めるのでは?という感じのお店です。

ラーメン5
さて、これが注文した”ラーメン”です。

スープが乳白色の色をしていますが、醤油豚骨スープです。

特徴は、大量の野菜(特に、モヤシ)と、豚の”背油”が浮き出たスープ、それにしっかりコシのある”中太ちじれ麺”にあります。

確かに”背油”効果でコッテリ味に仕上がっています。麺は”中太ちじれ麺”で、スープによく絡んでいます。

見た目ほど、スープはくどくはなく、”豚骨ラーメン”のような独特のクセもありません。

このお店は再訪しません。ワタシの好みでは全くないからです。


最後にご紹介するのは、昨年1月31日にシリーズ216番目にご紹介した、花園町の電車通りと三番町通りが交差する交差点の東南の角地にあるラーメン店”伊予源氏車”さんです。(「伊予源氏車」・「愛媛グルメ紀行」 216

上にご紹介した”骨太BATAMEN”さんと、その本店である”ラーメン骨太味覚本店”さんと、オーナーを同じくするお店です。

玄関1
同じオーナーでも”骨太系”の2店は、店名も似ていますが、味も具材も値段も微妙な違いがあります。

そしてこちらのお店、店名はもちろん、味もまったく違うお店だと聞いてやってきました。

つけめん5
トッピングに”味玉”を選んで”つけめん”の温かいのの普通盛りを注文しました。

お値段は750円。(内税)このお値段が高いのか安いのかは後ほど。

で、麺を見て先ず驚きました。麺がラーメン特有の黄色い色をしていません。灰汁(あく)を使った”チャンポン麺”のように、やや灰色に近い茶色をしています。

おまけに、太麺のストレートに近い縮れ麺です。その圧倒的な迫力にたじろぎました。

また、スープには「これでもか!」という程の大量の”魚粉”が浮いているではありませんか。

個人的にはこの”魚粉”が下品に思えてなりません。最後まで食べとおすことができませんでした。

従って当然にこのお店は再訪しません。あの魚粉には二度とお目にかかりたくないからです。



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「松山市の地名・町名由来」・ 「松末・久万ノ台」 20

松山市の地名・町名由来」の第20回目は、松山の中世期にそれぞれの地を支配していた人物の名前に因むという共通点を持っている「松末」(まつすえ)と「久万ノ台」(くまのだい)の町名由来をご紹介しましょう。

なお今日採り上げる「松末」に関する”基本資料”として使わせていただいたのは、「ふるさと桑原」と名づけられた”みんなでつくる住みよい桑原地区委員会”が資料を集め編集し、”松山市桑原公民館”から昭和56年3月30日に出版された小冊子です。

この資料は、久万高原町在住の”兒玉さんご夫妻”にご紹介され、そのコピーを頂いたものです。

これ以降も、古くは”温泉郡桑原郷”(ゆのこうり くわばらのさと)の一部であって、後に桑原村、正円寺村、樽味村、松末村、三町村、東野村、畑寺村、新百姓村(今の束本町)、小坂村、枝松村、中村の十一か村に区分された町名由来を書くときは、上に書きました「ふるさと桑原」と名づけられた小冊子を資料として使わせて頂きます。(ただし、既に正円寺はご紹介済です)

伊予国中予の戦国時代中期は、守護大名”河野氏”が道後の”湯月城”に居城して中予一体を支配していました。

その守護大名”河野氏”の戦国中期の”天文年間”(1532年~1555年)の河野氏の当主は”河野通道(こうのみちなお)”(弾正少弼)の時代でした。

なお、”河野通道”は河野氏家系の中で同じ名前が2人いて、もう一人の”河野通道”が河野家最後の当主です。同じ名前を名乗った人物が2人いたために、その当時の”官位名”で天文年間の当主であった”河野通道”を”弾正少弼”(だじょうしょうひつ)と呼び、河野家の最後の当主となった永禄年間の”河野通道”を”伊予守”(いよのかみ)と言います。

松末町表示板1
これが現在の「松末」の町名標識で、「松末」も町名に最後に””が付かない町になり、1丁目から2丁目まであります。

さて天文年間の”河野氏”の家臣団ですが、当時の資料によりますと”旗本衆”として、今回ご紹介する「松末町」の由来となった”松末筑前守”(まつすえ ちくぜんのかみ)を含めて12人の名前が残っております。(松末町の由来となったのは”松末美濃守”という説もあります)

”松末筑前守”の名前以外では、その”旗本12人衆”の中に”枝松由並”という「枝松」の由来となった名前も残されています。このことは、項を改めましてご紹介します。

松末神社跡1
さて上の画像は、松末1丁目にある”松末神社”です。

この神社は”松末美濃守通為”(まつすえ みののかみ みちため)の霊を祀っています。

松末美濃守通為”は、前回の18回でご紹介した「桑原」で、”桑原氏”が桑村郡壬生川の”鷺森城”に移った後”桑原城主”になった武将です。

”守護大名”であった”河野氏”の、当時の御侍大将十八家の一人に数えられていた重臣です。(河野氏一門三十二将の一人という言い方もあるようです)

その”松末美濃守通為”が地元に残した功績が大きかったので、この地の人々が崇敬して”松末神社”を造ったと言われています。

松末神社寺紋2
なお、この神社の”寺紋”は、”大山祗神社”の”寺紋”と同じ”折敷に縮三文字”です。

これは伊予最古の名族”越智氏”や、その”越智氏”の流れを組むと称した”河野氏”も”家紋”に使っています。

松末氏”は、河野氏氏から””の一字を貰って代々”通〇”という名を伝えていることからでも分るように、”河野氏”一門であったために家紋に”折敷に縮三文字”を使うことを許されていたのでしょう。

なお、主君など上位者の名前の一文字をもらうことを”偏諱”(へんき)と言います。”偏諱”は「偏諱(かたいみな)」を与えると表現したりします。

桑原公民館松末分館3
上の画像は、現在の”桑原公民館松末分館”です。ここには”清盛寺”がありました。

その”清盛寺”は”松末氏”の氏寺(うじでら)でしたが、現在は廃寺となっています。

記録によりますと”清盛寺”は、”繁多寺”の末寺であったそうです。何れにしても、この地に於ける”松末氏”の影響の大きさを物語るものでしょう。

松末館跡4
上の画像は、現在の”松山城東病院”です。元は”松末病院”という名前でした。

ここに”松末館”(まつすえのやかた)がありました。”松末館”は、上に書きました”松末美濃守通為”の屋敷でした。松末氏の本拠地であったところです。

それが前回19回で書きました様に、”桑原氏”が桑村郡壬生川の”鷺森城”に移った後”桑原城主”にもなりましたから、”松末美濃守通為”は”桑原城”と”松末館”を併せ持つ武将になったわけです。

なお河野氏の旗本衆の一人であった”松末氏”は、”松末筑前守”を名乗ったものや”松末美濃守”を名乗ったものなど、何代にも渡って続いています。

その中で”松末美濃守通為”の家臣”井出若狭守”が九ヶ年の歳月をかけて湯山から三町まで約四kmの”市乃井出水路”を建設したことでも名前が残っています。

なお”旗本衆”というのは、河野氏の一族か譜代衆を言いますが、松末氏は譜代衆でした。(河野氏勃興の時代から代々仕えていた古い家臣団)

久万ノ台表示板3
次には「久万ノ台」です。この「久万ノ台」も町名の最後に””という表示がない町です。丁目という区分もありません。久万ノ台という表示の後にいきなり地番が続きます。


松山の西部の小高い丘にあって、三津地区とを分けている境目の町です。

久万ノ台成願寺山門4
「久万ノ台」の町名由来は、この地区に河野氏の家臣団の中の御家人であった”久万高盛”(くまたかもり)と”久万永助”(くまながすけ)の館がこの地にあったことが町名由来となりました。


なお、上の画像は「久万ノ台」にある”願寺山”(じょうがんじ)の山門です。


恐らく”久万高盛”などの館があったかも知れない(未確認ですが)小高い丘の中ほどにあります。

久万ノ台成願寺本堂5
「久万ノ台」にある”願寺山”一帯は”久万ノ台公園”となっていて、松山市内を一望できます。


この”願寺山”自体の創立年代は不明ですが、奈良時代に”僧行基”が”虚空菩薩像”を安置したことが起源という伝承が残されています。


なお、現在も”願寺山”のご本尊は”虚空菩薩像”です。

久万ノ台成願寺扁額6
また、画像の”願寺山”の”扁額”は、”加藤嘉昭”が松山城築城に際して、この寺を松山城の乾方面(いぬいのほうめん=北西の方角)の守護神と定めて”満景山”の”山号”を贈ったことに由来します。


加藤氏が去った後に松山城主となった松平氏(久松家)の歴代の藩主もこの寺に帰依しました。


次回21回の「松山市の地名・町名由来」は、「恵原町」(えばらまち)をご紹介します。



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「再訪 146 らーめん工房 りょう花」・「愛媛グルメ紀行」 575

今日は”再訪シリーズ”の146番目のお店、二度目のご紹介となります” らーめん工房 りょう花”さんです。


場所は西部環状線沿いの南江戸3丁目、お店では”フライブルグ店”と呼んでおられます。


前回は、昨年5月31日に”愛媛グルメ紀行”の301番目のお店としてご紹介しています。(「らーめん工房 りょう花」・「愛媛グルメ紀行」 301


愛媛では一番有名で人気がある”ラーメン店”で、更に最大規模の”ローカルチェーン”でもあります。ネットでの会社案内によりますと、運営している法人名は”株式会社ブシド”と言って、本社は松山市にあります。代表者のご出身は高知とお伺いしています。


法人としての創業は1992年、今から21年前で、”りょう花”としての1号店は1999年、平井にオープンされています。その後、四国や広島県などで21店舗を展開されています。その他に”お好み焼き”や”鉄板焼き”や”洋食屋”などの複数の業態を展開されています。

玄関1
さてこちらが玄関。実は昨年、ブログ友:”乱 駆郎”さん(門前雀羅)さんがご提唱された”冷たいラーメン・うどん”を求めて、昨年夏は一気に駆け抜けました。


その夏が終る頃、このお店で”冷たいスープ麺”の幟を見たのですが、その時は既に限定期間を過ぎていたため「来年来よう!」っと、2年掛りの訪問となりました。


このお店は午前11時からやっておられ、ワタシは11時半に入ったのですがお客さんの状況は相変わらず好調のようでした。

店内2
こちらは一人客ですから、当然にカウンター席に案内されました。


その時に気が付いたことがあります。それは2ヶ所に別れたカウンター席に置いてある”メニュー”です。


メニューとしての綴りは、夏季限定のメニューやレギュラーメニューの冊子など数種類がブックエンドにまとめて置いてありますが、そのメニューの表(おもて)は全て同じメニューとなるようセットされているではありませんか。


店員さんをよく見ていますと、食事を終えてお客さんが席を立ちますと、器や水や箸などは直ぐに片付けられますが、それと同時にメニュー表をチェックして、ある特定メニューが一番前に来るように必ず調整されています。

メニュー3
どの席に座っても、必ずメニュー表の一番表に出ていて、真っ先に目に飛び込んでくる”メニュー”が上の画像です。


そうです”冷やし 鶏塩 らーめん”です。夏季限定メニューの一つです。他には”出汁の効いた スープ冷麺”です。メニュー表の2番目に必ず来るようにセットしてあります。


つまり、このお店は「今、一番お客さんに食べていただきたいメニュー」を戦略的に決めて、それを前面に押し出す戦術を徹底されているのです。


出汁の効いた スープ冷麺”のキャッチコピーは「冷麺嫌いな社長が考えた あっさり優しい スープ冷麺」ですよ!憎い演出ではありませんか。

冷やし鶏塩らーめん4
さてこれが、今このお店で一番お客さんに食べて欲しいと定めた”冷やし 鶏塩 らーめん”です。お値段は、やや高目の780円です。メニューへの自信が溢れている値付けだと思いました。


そしてこのメニューのキャチコピーが「ぷるんっ ぷるんっの すだちジュレ」です。このコピーを見て「なるほどなー、うまいなー!」っと、正直に思いました。いただく前から「参りました!」っていう感じなんです。


具材として、手前に”梅干し”が見えますね。


そして、らーめん(このお店は”らーめん”と表記しておられますので、それに従います)の器の右側に小さく白い器(皿)が目に入ると思いますが、皆さん、コレって何のために用意されているかお分かりでしょうか。


これは、具材に入っている”梅干し”の””を入れるために用意されている”小皿”です。マア何と芸が細かい!この事一つとっても、このお店の只ならぬ水準を感じます。

冷やし鶏塩らーめん5
もう少し近寄って見てみましょう。


先ず具材です。手前から時計回りに、”梅干し”、そして”すだち”の左手に透明の”すだちのジュレ”が見えますでしょうか?


ジュレ”というのは、”凍らせたもの”という意味のフランス語です。英語で言えば”ゼリー”、イラリア語では”ジェラート”に当たります。後でもう一度触れます。


中央は”白髪ネギ”、その奥に厚目にそぎ切りした”鰹節”(さば節かも?)と”シナチク”、そして右手に”オクラ”、右下に”蒸し鶏肉”を細かく解(ほぐ)したものが入っています。


レンゲでスープを一口啜ってみました。いい出汁が出ていて、塩気を微かに感じます。これは、醤油やましては味噌とは合わないスープ、塩でしか味わえないスープです。微かに酸味も効いています。”すだち”の香りもほのかに漂ってきます。

すだちジュレ6
さて、上の画像が”すだちのジェル”です。”すだち果汁をジェルに”する、これ凄いアイデアですね!


すだちの果汁に、ゼラチンなどのゲル化剤を添加して固めたものだと想像しましたが、具体的な作り方は素人の領域ではないので分かりません。


すだち果汁だけだと酸っぱさが勝ちすぎるでしょうから、微かに砂糖などで調整されているのではないでしょうか。


この”ジェル”をスープに混ぜ溶かしていくと、スープ全体に酢橘(すだち)の香りが漂い行き渡っていきます。

オクラ7
夏季限定メニュー”だから湯がいた麺を氷水で締めて、更に冷たく冷やしたスープでいただくという発想はどのお店においてもそれぞれに工夫されています。


しかしこのお店、”すだち”や画像の”オクラ”などで”季節を食べる”というシーンを演出なさいました。発想が非凡ですね。今まで目にしたことがないシーンでした。


麺とスープと具材のバランスも素晴らしい。それぞれの持ち味がしっかりしている上に、それぞれが見事に補完しあっています。

シナチク8
画像の”シナチク”も厚めの鰹節(鯖節?)の血合いの部分にも実にいい仕事をさせています。


”シナチク”(=メンマ)も、やや濃い目に味付けされています。シナチク自身の存在感が高いのです。


食べ進むうちに、フト思い出しました、”梅干し”の存在を。そこで、途中で梅干しを解してスープに混ぜてみました。


スルト!するとなんです!!今までのスープの基本酢味とすだちの香りが乗ったスープが、今度は梅干しの酸っぱさに微妙に変化していきます。


このメニューのスープは3種類の酢味を楽しめる三層構造でした。しかも、時間の経過とともに酢味が変化して行くのです。もう唸る他ありません。

麺9
”も、実にモッチリ感があって、見事だとしか言い様がありません。いい”麺”を使っておられる上に、湯がき方、氷水での締め方も完璧でした。


こういう”麺”に出会いますと、”人類ならぬ麺類”を自称しているワタシとしては、ただただニコニコして黙っていただくばかりです。夢中で食べました。


こういうメニューの開発力、個人でやられているお店では望むべくもないでしょう。だから価格を高く付けても客が離れないのでしょう。

完食10
量も、この位なら今のワタシでも大丈夫です。


あっという間の”完食”でした。満足しました。


これは、時を置かずして”出汁の効いた スープ冷麺”をいただきに来ることになると思います。


その「冷麺嫌いな社長が考えた あっさり優しい スープ冷麺」というキャッチコピーを試したくなりました。




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「再訪 147 手打ちそば 無着庵」・「愛媛グルメ紀行」 576

今日の”再訪シリーズ”147番目のお店は、三度目のご紹介となります、椿参道沿いにある蕎麦屋の名店”手打ちそば 無着庵”さんです。


場所は、国道33号線の「椿神社入り口」交差点を西に入る椿参道(県道久米垣生線)の中ほどにあります。


このお店を最初にご紹介したのは、2011年5月19日でした。(「無着庵」 真っ当な「B級グルメ店」 47)”愛媛グルメ紀行”を書き始めて、まだ47番目のお店でした。

2回目にご紹介したのは、2012年8月21日のことでした。(「再訪20 無着庵」・「愛媛グルメ紀行」 358

玄関1
これが椿神社表参道沿いにあるお店の玄関です。


このタイミングでこのお店を訪ねようと思ったのは、昨日ご紹介した”らーめん工房 りょう花”さんでいただいた”冷やし 鶏塩 らーめん”の”すだちジュレ”の味に魅せられたからです。


と言いますのは、この”無着庵”さんには”すだちそば”というメニューががあることを知っていたからです。まだいただいたことがありませんので、丁度いい機会だと思ってお訪ねしました。

メニュー2
ところがです。ところがこの画像のメニューを見た途端、瞬時に”心変わり”しました。


意志薄弱典型のような男なんです、ワタシ、ハイ。簡単に決意が歪むのです。決意を歪ませた理由は、メニュー表の右1ページに大きく掲げられていた”夏限定メニュー”の文字でした。


この”限定”という文字に弱いんです。しかも、”駿河湾産 桜えびおろし”の文字と画像が燦然(さんぜん=キラリと光輝く)と輝いていて、目に飛び込んで来ました。


既に”すだちそば”を注文していた後に、「あ  アッ  アノー・・・・”桜えびおろし”って、美味しそーですねーー!・・・・・・」と呟いてしまいました。


するとすかさず、注文を聞いたフロアー係のおばさん、「ウフフ、そりゃー、美味しいですよ!そちらになさいますか?」っと迫られた。思わず「ウン、ソレ、それにします」と、いとも簡単に注文を訂正。


すると、そのおばさん「ウフフ・・・これでもう一度”すだちそば”食べに来なきゃいけなくなりましたね!」っと、完全にワタシの心の中を見通された。

桜えびおろし3
ご覧になって下さい、これが”桜えびのかき揚げ”をふんだんに使って、しかも中央に”辛味大根”をおろしたものが乗せてある”桜えびおろし”です。


これに”蕎麦汁”(そばつゆ)をぶっかけていただくという、豪快なメニューです。


今年”富士山”が世界遺産に登録されました。その際に、”富士山”だけではなく”駿河湾”の西岸にある”三保の松原”も世界遺産に登録されたことは記憶に新しいことです。


つまり”駿河湾”からの眺めも、世界遺産に相応しいものという評価でした。今日のメニューの主役である”桜えび”は、日本では”駿河湾”だけで漁が行われているものです。


桜えび”漁で揚げられたものは、透き通ったピンク色をしていて、地元の由比港と大井川港では生の桜えびを山葵醤油でいただく”桜えび丼”が有名です。

桜えびおろし4
桜えび単体では、せいぜい4cm程しかないので、多くは軽く塩ゆでして”釜揚げ桜えび”として店頭に並びます。


また瞬間冷凍されたものや、干したものが全国に流通しています。生は地元でしか食べられないので、こうやって地方ではかき揚げにしていただくことが多いですね。


この”桜えびのかき揚げ”が、実に香ばしくっていいんです!儚(はかな)げなピンク色に染まった桜えび。


桜えび”自身は身が殆ど無いので、その柔らかな甲殻のカラッと揚がった香りとカリカリした食感を楽しみます。

混ぜた5
ハイ、混ぜました。”蕎麦汁”(そばつゆ)をタップリ廻しかけ、”辛味大根”も全体に馴染ませます。


桜えびかき揚げ”の香りとカリカリした食感、そこに美味しい”蕎麦汁”が掛かって、しかも”辛味大根”のピリピリする刺激とほろ苦さを同時に味わいます。


もちろん主役は”蕎麦”ですから、蕎麦自体が旨くなけりゃ話になりませんが、このお店の蕎麦は大変好きな部類の蕎麦なので、ただただ夢中で掻っ込みました。


まあ、旨いのナンノッテ!”桜えび”は生(しょう=命)を受けて僅か15ヶ月しか生きていません。1年で産卵し、産卵が終われば2~3ヶ月でその生涯を終えます。


その儚(はかな)い桜えびの、生(しょう)をいただくのです。美味しい旨いと感嘆しながらいただいてあげたい、そういう気持ちにさせられます。


駿河湾”で生を受け、富士山を見ながらその生涯を終えることが出来なかった彼らに、心の中でそっと感謝の手を合わせました

おろしアップ7
この画像が、”桜えびのかき揚げ”と、辛味大根、それに薬味の刻みネギと刻み海苔です。


辛味大根”は、桜えびの香りを殺さないように、辛味の元であるおろし汁がやや絞ってあります。これが”辛味大根そば”になりますと、コレでもか!っという風に、絞り汁もタップリ入っていて、その辛さに顔を歪める程です。


合わせる食材とその食材の調理の仕方によって、お互いの持ち味を喧嘩させないように微妙な調整が図られています。職人さんの技の、その繊細さには唸るばかりです。

麺アップ8
蕎麦は、手打ちそばの定法通りそばを2・8で打っています。(そば粉8対小麦粉2の割合)


お師匠さんの”高橋翁”に習った蕎麦を、毎日愚直に打ち続けられています。このお店の店主さんの来歴は、すでに2度ご紹介した記事に書いています通りです。


蕎麦教室もやられていて、技の伝統を次の世代に、或いは広い世代に伝えたいという意思をお持ちです。中々出来る事ではありません。


この”蕎麦”をご覧になって下さい。生きている蕎麦です。蕎麦の香りと桜えびの香り、やや辛さを抑えられた辛味大根のピリカラ刺激でいただきます。大人の蕎麦です。

麺9
蕎麦は”田舎蕎麦”です。そば殻も一緒に挽き込んだ、香りの高い蕎麦です。毎日、石臼でひかれています。


店内は、決して混んでいるわけではありませんが、予約の家族連れ客、男性客が4人(ワタシを含めて)黙々と蕎麦を啜っていました。落ち着いて、ユッタリした気持ちで蕎麦だけを堪能しました。

そば湯10
さあて、”そば湯”です。フロアー係のおばさんが、「”蕎麦猪口”に入った”蕎麦汁”を少し残しておいて下さい。後でそば湯を持って参りますから、そちらも味わってみて下さい」っと、親切丁寧き説明されていました。


ただこの”桜えびおろし”の、そば湯の楽しみ方は、残しておいた蕎麦汁とそば湯を単純に合わせていただくだけでは余りに勿体ないのです。


そうです!”桜えびおろし”の”桜えびかき揚げ”を3~4匹分と、器の底に微かに残った”辛味大根”を蕎麦猪口に入れます。そしてその上に、残しておいた蕎麦汁を注ぎ、更にそこにそば湯を注ぎ入れるのです。


画像がそれです。これで”桜えびかき揚げ”の香ばしい香りと、蕎麦汁の旨味、それに辛味大根の微かに残った刺激を楽しめる”お吸い物”が出来上がるのです。


もし、このお店のこのメニューを試されるとしたら、上に書いたそば湯の美味しい召し上がり方を試してみるといいと思います。目を見はって「オーーーーー、コレだったのか!!」と得心されること請け合いです。


当然に、出されましたもの全てを、舐めるように綺麗にいただき尽くしました。ご馳走様でした。これで”すだちそば”という宿題を残すのみとなりました。





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「再訪 148 北斗七星」・「愛媛グルメ紀行」 577

今日の”再訪シリーズ”148番目お店は、国道33号線沿いの東石井2丁目、スーパーセブンスター石井店の敷地内にある”北斗七星”さんを再度ご紹介しましょう。


初めてご紹介したのは、昨年1月20日のことでした。(「北斗七星」・「愛媛グルメ紀行」 209

定食4
その時に注文したのが上の画像、”特性ハンバーグ定食”です。お値段は1,080円(内税)でした。


その記事の中で、<ワタシが”愛媛グルメ紀行”シリーズを書いていなければ、先ず入らないお店かも>と書きました。

つまり、再訪する予定はありませんでした。美味しくないから、という理由ではありません。

余りに有名で巨大なレストランなので、ワタシの記事に仕上げることが難しいからです。お店の方ともお話できませんし、調理の過程を覗くことも出来ません。

メニューも、和食、洋食、鍋料理、お子様向け、それに”北斗”名物の”タラバガニ”メニューから単品メニューまで、ナンデモアリで実に幅広く対応されています。

そして前回いただいたハンバーグの出来栄えも、全くソツがありません。

では、なぜ再訪したのか?それは、国道33号線沿いに立っていた”のぼり旗”を目にしたからです。

玄関1
こちらが玄関。巨大なファミリーレストランです。

国道33号線から目にした”のぼり旗”には”そうめん”の文字がはためいていました。

「え?えええ???”そうめん”って、あのソーメン・素麺のこと???」っと。このお店で延べ577店目になりますが、今まで一度だって”そうめん”のメニューをご紹介したことがありません。

そうめん”なんて家庭で食べるもので、まさかレストランメニューになっているとは???!っと、驚き、同時に、「では、プロの調理人なら”そうめん”をどう調理し、お金が取れるメニューにどう仕上げるのだろう?」っという好奇心が湧いたのです。

店内2
麺類”をどう分類するかについては諸説あるようです。

ここでは、民族学博物館教授の”石毛直道”先生(今は別の肩書きになられているかも知れませんが)の分類をご紹介しましょう。それに拠れば、①手延べラーメン系列、②そうめん系列、③切り麺系列、④押し出し麺系列、⑤河粉系列の5種に分類されています。

その中で、”そうめん”の名前が文献で出てくる最初は、中国の北宋時代(960年~1127年)の頃で、当時”索麺”(スゥオメエン)とあり、そうめんの作り方が書かれています。

その具体的作り方は省略しますが、今の日本で作られている”そうめん”とほとんど同じです。つまり、日本の”そうめん”は、中国の”索麺”がその源で、音も中国音がなまったものでしょう。

我が国日本で”そうめん”に関する記録が現れるのは、昌泰年間(898年~901年・平安時代)のことで、中国の記録にある”索麺”を”牟義縄”(むぎなわ)と和名を当てています。

奈良時代から鎌倉時代にかけて”麦縄”(むぎなわ)という言葉でしばしば登場しています。

奈良の東大寺を建立するとき、大量の”麦縄”を購入したという記録も残っています。

つまり、現代の”そうめん”とは、日本では古くは”麦縄”と呼ばれていて、日本で”麺類”として初めて登場し定着したのは”そうめん”だった訳です。

涼風メニュー3
ところで日本の素麺発祥の地は、奈良県桜井市三輪地区です。”三輪素麺”は、全国で最古の”素麺ブランド”です。

また、日本国内1位の生産高を誇るのは播州の兵庫県たつの市、宍粟市、姫路市などでブランド名が”揖保乃糸”(いぼのいと)。

全国第2位の生産量は、九州の長崎県南島原市などで”島原素麺”のブランド名で知られています。

四国では香川県の”小豆島素麺”や、徳島県の”半田素麺”、さらには我が愛媛県には”五色素麺”が有名ですね。

素麺は麺類の中でも一番早く中国から伝わりましたので、全国各地で様々なご当地素麺があります。

今回はそうめんメニューの中で、ご飯物とのセットになってない唯一のメニュー”そうめん&天ぷらセット”を注文しました。お値段は850円。素麺で850円も・・・・・よく取れるもんだ!っと驚きました。

そうめんセット4
さて画像が注文した”そうめん&天ぷらセット”です。驚くほど当たり前、よく言えばシンプルですね。


内容は、素麺に天ぷら。それぞれのつけ汁と薬味だけ。これで850円。工夫らしく工夫といえば、素麺を乗せた笊にクラッシュ氷を敷いた程度。

この程度の工夫なら、今や多くのラーメン屋さんで出されている”冷麺”にもよく見られる工夫でしょう。

そうめん5
こちらが”そうめん”を単品で見たもの。調理のプロの仕事だと感じたのは、敢えて言えば”椎茸”の煮物でしょう。


後は、紅葉葉とキュウリの千切りをあしらいに付けて、彩りにミニトマト1個。


素麺を食べてみて分かったのですが、素麺の湯がき加減はさすがにプロだと感じました。我々が家庭で素麺を茹でると、大概茹で過ぎて、素麺のコシをなくしてしまいます。


でもこのお店の素麺は、こんなに細い麺にも関わらず、麺にちゃんとコシを残しておられます。これは真似できないでしょう。

天ぷら6
こちらは、もう一つのメインである”天ぷら”です。そば屋やうどん屋が”種物”に使う天ぷらではなく、天ぷら屋さんが出す”天ぷら”でした。


第一、天ぷらの衣の色が白くて軽くて上品。天ぷら油もいいものが使われている証拠です。もちろん、揚げたてで美味しい。


内容は、シシトウとカボチャとエビ3尾と、後は何だったか?天汁(てんつゆ)の加減も申し分ありません。

そうめんアップ7
この”そうめん”の麺を見て下さい。こんなに細いのに、しっかりした食感を持っています。コシが残っているのです。


先ほど書いた茹で加減だけが、この素麺の決め手なのか?疑問に思いました。間違いなくこの素麺、何時も食べている味とは次元が違うような気がしました。


そこで「どのこ素麺をお使いでしょうか?」っと、お尋ねしてみました。

麺8
すると厨房に聞きに行ったフロアー係の女性、「奈良県の三輪素麺を使っているそうです」とのお答え。


日本で一番有名な素麺製造業者は、奈良県の”株式会社三輪そうめん山本”でしょう。創業は亨保2年(1717年)で、戦前は宮内庁御用達として名高い会社です。


この”株式会社三輪そうめん山本”の代表的商品は”白龍”という極細麺で、平成21年から今年にかけて3年間連続の”モンドセレクション最高金賞受賞”商品として有名です。”白鬚”という”超極細麺”も有名です。


なるほど、自信を持って850円取るだけの値打ちはあると思いました。たかがそうめんですが、次元が違うそうめんもあるということを初めて知りました。

完食9
そりゃあ”完食”でしょう。その理由は二点。量が少なかったことと、美味しかったこと。


愛媛グルメ紀行”シリーズを600回近く書き続けてきました。しかも私は自称”人類ならぬ麺類”です。


でも、でもまだまだ知らなかった世界がありました。麺の世界も実に奥が深い、正直にそう実感しました。


明日、お訪ねするお店がこの時点で決まりました。それはまた明日に。


そして、この”そうめん”にまつわる話は、全く意外な展開を辿(たど)ることになります。この記事を書いた時点では予想もしていなかった”動顛の展開”(どうてんのてんかい=想像もできなかった話のつながり)です。


それは明日の更に明日、つまり明後日(あさって)のお話です。







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この記事で1600号! 「郷土料理 五志喜」・「愛媛グルメ紀行」 578

今日は、昨日ご紹介した”北斗七星”でいただいた”そうめん”の関連で、伊予名物”五色そうめん”を食べさて頂ける”郷土料理 五志喜”さんをご紹介します。

ワタシが、実質的にこの”じゅんのつぶやき”というブログを書き始めたのは、2009年11月2日からです。(秋ですね

それ以降満4年(今年の11月で満4年)になろうとしていますが、今日の記事で通算”1600号”になりました。ただし、通過点です。

この”1600号”を全て読んだ方を、お一人だけは具体的に知っています。今回の記事は、その方に捧げます。また、時折りしも”お盆”です。一昨年と昨年に亡くなった父と母にも捧げたいと思います。

さて”郷土料理 五志喜”さんの場所は三番町3丁目で、松山中央郵便局の近くにあります。私が”愛媛グルメ紀行”を書いていなければ、先ずお訪ねすることはないお店でしょう。

松山を観光で訪れた方々が、愛媛の郷土料理は?っと、食べに来られるお店だという認識があるからです。

玄関1
これが、東方向への一方通行である三番町通りに面しているお店の玄関です。大規模なお店で、2階には大小の個室や座敷があって、宴会もできます。


このお店は、伊予名物”五色そうめん”を製造している”株式会社森川”の直営店です。


五色そうめん”のルーツは、寛永12年(1635年)にまで遡(さかのぼ)ります。江戸時代が始まり、松山城城主として”松平定行”が伊勢桑名から国替えによって入府しました。


その時に、桑名から諸勢を引き連れて松山に入府しますが、その中に”長門屋市兵衛”という人がいまして、その人が”五色そうめん”の始祖だそうです。(森川の小冊子から)

店内2
昨日の記事で、<日本で一番有名な素麺製造業者は、奈良県の”株式会社三輪そうめん山本”でしょう。創業は亨保2年(1717年)>と書きました。

”株式会社森川”の創業は、その”株式会社三輪そうめん山本”より更に80年余り古い歴史を持っていることになります。

元々、日本において大和朝廷が始まったは、今の奈良県で”飛鳥時代”が幕開けしました。

古墳時代と奈良時代をつなぐ時代です。その頃に、既に中国から今の”そうめん”の元となる”索麺”が伝わっていたと思われ、それを和名で”麦縄”(むぎなわ)と呼んだことは昨日詳しく書いた通りです。

つまり、日本の”そうめん”発祥の地である奈良県桜井市三輪地区と言われていますが、伊予の”五色そうめん”もそのルーツ(伊勢桑名がルーツ。地域的には同じルーツでしょう)に大きな隔たりはないようです。

なお上の画像は、実際の”五色そうめん”を使って店内を飾ったディスプレイです。どうです!見事なものでしょう。

メニュー3
さて冒頭でも書きましたように、このお店は多数の観光客がやってきます。


ですから、メニューには一通り伊予の郷土料理が並んでいますが、注文したのは”鯛そうめん”です。お値段は1280円です。観光客価格でしょう。


注文した理由は、郷土の南予地域に昔から伝わる”鯛そうめん”が懐かしく、食べたかったからです。果たしてこのお店はどういう料理を出して頂けるかどうか、期待が高まります。

鯛そうめん4
上の画像が”鯛そうめん”です。南予地方に伝わり、お祭り料理には欠かせない”鯛そうめん”とは、かなり様相を異にしたものが出されました。


もともと”鯛そうめん”は、広く瀬戸内海沿岸で昔から伝えられている郷土料理で、 岡山県、広島県、愛媛県、大分県(大分県はうどんを使う)などで、それぞれの地方で微妙に違うものとして伝わっています。”鯛麺”と呼ぶところもります。


南予では””は煮たものを用い、鯛を煮た煮汁を、湯掻いて冷ましたそうめんに掛け回します。そうです、南予では”ぶっかけ”風にしていただく料理です。

鯛そうめん5
ところがこのお店は、鯛を焼いてあります。また、そうめんは”つけ汁”に漬けて、つけ麺風に食べる、とお客に食べ方を説明しておられました。


この画像を見て、つけ麺風にして食べて下さいと言われなければ、大半のお客さんは所謂(いわゆる)”ぶっけか”風に、出汁を満遍なくそうめんに回し掛けて食べられるのではないでしょうか。


南予では、鯛を1尾姿煮にしたものを、茹でた素麺と一緒に大皿へと盛りつけ、鯛の煮汁は”かけ汁”として食べていた記憶があります。それに、錦糸卵、細切りして煮た椎茸を付け合わせとして、葱や生姜などの薬味を加えて食べていました。


煮られた鯛は、切り身風に切られていて、それをそうめんに取って、身を解(ほぐ)して出汁と合わせていただいていました。


つけ麺風に食べるより、ずっと美味しい食べ方だと思っていますし、今日のこの料理にも掛け汁をタップリ回し掛けて、全体を混ぜに混ぜていただきました。


ところでお互いのブログをリンクし合って、時折コメントを交換しあっている東京は吉祥寺にお住まいの:”ぴんくモッチー”(4season)さん、上に書きましたのが何時ぞや”鯛そうめん”の作り方をお教えしましょうと書きましたものです。


ぴんくモッチー”さんは、今難局に見舞われています。四国の片隅から、何のお力にもなれませんがささやかなエールを送らせて頂きます。「柳に風、頑張り過ぎないように。そしてファイト!!

そうめんアップ6
これが”五色そうめん”です。お店の小冊子に依りますと、亨保7年(1722年)のことでした。


この当時は八代目長門屋の時代ですが、その八代目の娘がお店の商売繁盛を祈るために”椿神社”(正式には伊予豆比古命神社)に毎日参っていました。


そんなある日、娘の下駄にどこからともなく美しい五色の糸が絡みついたと言います。娘はそれを神様のお告げと思い、八代目の父に「そうめんに五色の色を付けてみてはどうか?」と提案したそうです。


父の市左衛門(初代が”市兵衛”で、八代を”市左衛門”と書きましたのは、森川さんで頂いた小冊子にそう表記してあるからです)はそれから研究に研究を重ね、数ヶ月を要してやっと五色の麺を完成させたそうです。


はべに花から、はクチナシから、濃紺はタカナから、そしてはクチナシとタカナを合わせて使うことで見事に麺が発色したのです。


それに従来通りにを加えた五色のそうめんが生まれました。

鯛切り身7
こちらは、鯛の切り身を焼いてあります。綺麗な焼き色が付いていますが、鯛を煮てその煮汁を活用する南予風の食べ方のほうが合理的なように思いました。


と言いますか、ワザワザ出汁を別に作るとなると、更に鰹節やら鯖節、あるいはイリコが必要となってきます。


南予は貧しい地域でしたから、年に一度のお祭の時だけ””を買って、それから出汁も身も取る。


更には、干し椎茸を戻して、それも出汁に使う。出汁を取るために干し椎茸を煮る訳ですが、その煮汁と鯛の煮汁を合わせて使ったものだと思います。


煮た後の干し椎茸は具材として細切りにして使います。何もかも使いまわして無駄を出しません。南予人の知恵だったのではないかと思います。


なお上に書いた”鯛そうめん”の作り方と食べ方は、ワタシの父方の祖母が作っていた方法です。南予では全てそう作られていたという訳ではありません。それぞれの家庭によって違っていたことでしょう。

生姜8
生姜も貴重な薬味です。このお料理には”生姜”と”ネギ”は欠かせません。


今思いますと、うどんなども、祖母は自分で手打ちしたものを私達孫に食べさせてくれていました。


それが、子供心にも堪らなく美味しいものであった記憶が舌に残っています。ワタシが”人類ならぬ麺類”を自称するようになった遠因は、ワタシがおばあちゃんの味に慣れ親しんだ為かも知れませんね。

掛けた10
この画像が、出汁を”鯛そうめん”全体に回し掛けた時のものです。


器全体に出汁が行き渡ったら、鯛の身を解しながら全体を大きく混ぜます。麺にも鯛の身にも出汁が完全に染み渡るように。


確かに、混ぜ終わった後の見た目はいいものではありません。日本料理は目でも楽しむものですから、こういう料理屋さんでは”つけ麺”風でお召し上がり下さいと言っているのでしょう。


ただ見た目を除けば、混ぜに混ぜたほうが確実に均等に美味しくなります。

完食11
ですから、当然に完食しました。


ただ麺の出来ですが、昨日いただいた”北斗七星”さんの”三輪そうめん”は、確実に家庭で食べているものとは素材も茹で加減も”次元が違う”と唸らされました。


一方、今日のお店のものは、先ず麺の湯がき加減が甘いような感じがしました。コシなどまるでありませんでした。


また””自体の出来も、個人的には”三輪そうめん”の方が好きです。今まで我が家は”揖保乃糸”を使っていましたが、これからは”三輪そうめん”に宗旨変えをしようと思います。


っと、ここまで書いた時点でも”明日の展開”は、自分でもこの記事を書いた時点では全く予想だにしていませんでした。


さて、明日は・・・・・・・。






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県外特別編・奈良「三輪そうめん 山本」・「愛媛グリメ紀行」 579

今日は、毎週土曜日にアップしています”愛媛グルメ紀行を振り返る”シリーズをお休みします。

そして、”県外特別編”として奈良県桜井市箸中にある「株式会社三輪そうめん山本」さんの本社内にある”麺ゆう館”でいただいた”三輪そうめん”(みわそうめん)をご紹介しましょう。

一昨日と昨日に2軒連続で”そうめん”のメニューをご紹介しました。一昨日の8月15日には””北斗七星”さんで使われている”三輪そうめん”のことに触れ、その中で”三輪そうめん山本”さんの事にも触れたばかりです。

また昨日の8月16日には、寛永12年(1635年)の創業(創業以来378年)を誇る「五色そうめん株式会社森川」さんの”五色そうめん”を採り上げました。

今日はその流れで、一気に”そうめん発祥の地”である奈良県桜井に飛びまして、その中でも一番の老舗「株式会社三輪そうめん山本」さんをご紹介します。創業は亨保2年(1717年)で、戦前は宮内庁御用達として名高い会社です。

普通は、幾ら”そうめん”を2日続けてご紹介したからといって、続いて”そうめん発祥の地”の奈良県までは飛べません。ただ今回は偶然にも、父の一周忌と母の二周忌を兼ねて、ワタシと妹と弟の3人で、初めての旅行をしました。

その旅行先が京都と奈良だったという訳です。この”兄弟旅”の事は、一つは”愛媛グルメ紀行”シリーズの県外特別編として、また”日本の歴史”についても”愛媛の歴史”シリーズの特別編として後日改めまして記事アップの予定です。

三輪そうめん屋根裏看板1
こちらが「株式会社三輪そうめん山本」さんの本社内にある”麺ゆう館”さんの入り口です。

奈良県天理市から桜井市に向かう、国道169号線沿いにあります。奈良県桜井市は、”三輪山”の西側に広がる平野部にあって、古くから歴史が開け、”ヤマト政権”誕生の地域の一角にあります。

周囲は、有名な”古墳だらけ!”と言った土地柄で、この地に中国から”そうめん”が伝わりました。

その件は”北斗七星”さんの記事の中でも触れましたが、日本の”そうめん”発祥の地である奈良県桜井市三輪(みわ)地区に、中国から今の”そうめん”の元となる”索麺”が伝わっていたと思われ、それを和名で”麦縄”(むぎなわ)と呼んだと言われています。

その三輪地区にあって、創業が享保2年(1717年)(創業以来296年)というのが、画像の”三輪そうめん山本”さんです。

なお”三輪そうめん”は、かつて忌まわしい”産地偽装事件”が生じました。生産量全国第二を誇る”島原そうめん”との間にです。このことは、昨日コメントを頂いた:”健介”さんのコメントへの返信で詳しく書きました。

”健介”さん、”三輪そうめん”の負の遺産について触れることが出来たこと、感謝致します。

三輪そうめん山本暖簾2
この画像が”三輪そうめん山本”さんの暖簾です。恐らく日本で一番有名なお店です。

そのお店の看板商品が、暖簾に染め抜かれている”白龍”と名付けられた極細のそうめんで、平成21年から今年にかけて3年間連続の”モンドセレクション最高金賞受賞”商品として有名です。

極細の麺ですので、茹で時間は60秒です。”頼りなげに細いのに腰がある”麺です。

その”白龍”は、伝統的製法の”手延べ”に拘って作られていて、11月から3月にかけての寒期に36時間の工程を経て作られています。

しかもその後、そうめん蔵に収め保存されます。これはそうめんが高温多湿の梅雨期を越すことで、コシや風味が高まる効果を利用したもので“厄をこす”と言うそうです。

更に我々の口に入る商品は、この夏に二回目の梅雨を越す古物(ひねもの)と、三回目の梅雨を越す大古物(おおひねもの)だけなので、優れた伝承の技と長い長い時間をかけたられたものなのです。

三輪そうめん古都3
さて、これがこのお店では”三輪そうめん古都”と名付けられたメニューで、そうめんとくず餅と柿の葉寿司で構成されています。


ワタシが注文したのは冷たいそうめんですが、”にゅーめん”と呼ばれる温かいそうめんも選べます。


冷たいそうめんは、中に氷が入った冷水に浮かされて出されます。普通ですと、そうめんは麺類の中では一番細い麺なので、直ぐに伸びてしまいます。


ところが、このお店のそうめんは伸びないのです。ワタシが例によって写真を写してモタモタしていても、キチンとしたコシを保っていました。

三輪そうめん4
日本で一番細い麺を作られるのが、この”三輪そうめん山本”さんで、製品名は超極細麺で有名な”白髪”と言います。


手延べそうめんの基準で「直径が1.7mm未満」とされているのに対し、”白髪”は約0.3mmです。


この”白髪”は、この会社でも特別に契約している”素麺師”さんだけしか作れないと言います。


ワタシは”素麺師”という特別な技能を受け継いだ職人さんがいることを、この旅で初めて知りました。


なお、画像の麺はこのお店の代表的なそうめんである”白龍”を使われています。僅か10gの中に130本の麺が入っています。

麺5
まあ、この真っ白でか細いそうめんをご覧になって下さい。これが、こんなに細いのに”コシ”がシッカリあるんです。


口に含んで麺を噛んでみると「あ、アアア、アレ?・・・・コシがあるではないか!!エーーー!」っていう声が漏れ出るのは必定です。


この麺が、ワザワザ奈良にまで行かなくても、ここ松山でもいただけます。


それは、、国道33号線沿いの東石井2丁目、スーパーセブンスター石井店の敷地内にある”北斗七星”さんに行けばいただけます。


もし、ワタシが”北斗七星”さんの国道33線沿いに揚がっている”幟旗”(のぼりばた)を目にして、そこで”そうめん”を食べていなかったら、ここ奈良県桜井市三輪地区のこのお店に寄ることもなかったでしょう。


ワタシの”愛媛グルメ紀行”は”縁探し”の旅です。様々な””に、旅を重ねる毎に出会って参りました。その意味では、これも一種の””でしょう。

くず餅6
この画像は”くず餅”です。”葛粉”(くずこ)を原料にしています。


ひょっとしたら、”くず餅”の原料である”葛粉”は何から作られるのか?知らない方が増えてきたかも知れません。


葛粉”は、葛(くず)というマメ科の多年草で、そのクズの根(これを塊根と言います)の肥大した部分を、秋から冬にかけて掘り起こしたものを砕いて洗い、精製し”澱粉”(でんぷん)を取ります。これが”葛粉”になります。奈良県の名産特産品です。


抹茶のパウダーが掛けられた”くず餅”は、ホンノリとした上品な甘さで、これならワタシでもいけます。表情が崩れました。

柿の葉寿司7
この画像は”柿の葉寿司”です。この”柿の葉寿司”は、全国でも奈良県と和歌山県と石川県の3県に見られる地域特産です。


奈良と和歌山では、寿司ネタは主に””(さば)を使います。その他には鮭や小鯛なども使います。


保存性を高めるために塩漬けされた”柿の葉”に包んで出されます。


海のない奈良県では、生の鯖を食べることはできませんでした。そこで、鯖に一塩したものを運んできて酢締めにし、殺菌効果がある”柿の葉”に包みました。


すると腐敗が極めて早い””でも、数日間は保存が効くようになります。古来より作られてきた郷土料理です。

鯖寿司8
まあこの鮮やかな”鯖寿司”(さばずし)の色艶をご覧になって下さい。

美味しそうでしょう?ええ、実際に美味しいんです、旨いんです。

鯖からねっとりとした魚の旨味が出て、それが酢飯に実によく馴染んでいます。今でこそ、寿司といえば江戸前の”握り寿司”を思い浮かべますね。

ところが、寿司は元々”なれ鮨”から生まれたもの。”なれ鮨”とは、元々魚を塩と米飯で乳酸発酵させた食品で、今のような酢飯ではありませんでした。

なれ鮨”の原型は、滋賀県琵琶湖周辺で今でも残っている”鮒寿司”(ふなずし)です。

それが、江戸幕府が開かれた時に、江戸前(東京湾)の寿司ネタを使って、握ってその場で食べることが出来る”早寿司”が生まれました。

江戸っ子は、じっくり旨味が増す乳酸発酵など、まどろっこくて待てなかったのです。それが、飯に酢を混ぜて酢飯として生魚を一緒に握る”握り寿司”となり、握られてから直ぐに食べることが出来る寿司になったのです。

江戸時代に生まれた”握り寿司”は、当初は屋台で握られ庶民の味として発展して来ました。今の”回転寿司”は、高級な食べ物に成り果てていた握り寿司”を、本来の姿に戻らせた”食文化の功労者”だと思います。

さて、奈良県は未だに”なれ鮨文化”が生き続けています。歴史の重みが、東京は全く違うのです。

卑弥呼の墓10
さてこの画像は、”三輪そうめん山本”さんと国道169号線を挟んだ向かい側にある、小高い丘です。

実は、この画像は”纏向遺跡”(まきむくこふん。まきという文字はパソコンでは表示出来ないかも知れません)で、この一角にこの所にわかに話題を呼んでいる”箸墓古墳”(はしはかこふん)があります。(詳しくは後日)

つい先ごろ、この古墳は”卑弥呼”(ひみこ)の古墳ではないか?っと、全国に衝撃が走った古墳です。真相はまだ分かりません。

日本の歴史が記録され始めた頃は”倭国”(わこく)と言っていたものを、”日本”というようになったり、それまでは”大王”(おおきみ)と呼ばれていたものを”天皇”と呼ぶようになったのは、ここ大和国(今の奈良県桜井市付近)で”ヤマト政権”が誕生したときからです。

つまり、この場所は日本という国が出来上がっていく原点となった場所です。このことは、後日”愛媛の歴史”シリーズの特別編として、様々な画像を交えて”日本の歴史・夜明け”というテーマで書きたいと考えています。

今回の妹と弟との3兄弟旅で、おおよその取材はできました。これからは、膨大な文献を読み、それを自分の言葉として語れるようになるまで、頭のなかで熟成させていく期間です。

さて何ヶ月かかるのやら、自分でも想像ができません。でも”日本の歴史・夜明け”を語る中で、今までワタシが書いてきた”愛媛の歴史”との相互の関連を考えることができればいいと考えています。

余り面白い話ではありませんが、日本という国の成り立ちを一度整理して考え、皆様にもご紹介したいと考えているところです。






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「松山市の地名・町名由来」・ 「恵原町」 21

松山市の地名・町名由来」の第21回目は、中世期に松山を中心とした中予地方を支配していた守護大名”河野氏”の家臣団の中心的武将が居城としていた”荏原城”(えばらじょう)が町の名由来となった「恵原町」(えばらまち)をご紹介しましょう。

この”恵原町”には、今でもその町名の由来となった”荏原城跡”(えばらじょうし)が残されています。

今日は中世期の後期、”鎌倉時代”が終わりを告げ、次の”豊織の時代”(ほうしょく)、つまり歴史区分で言いますと”安土桃山時代”の幕が開き、更には”江戸時代”へと歴史が動いていった頃の、中予地区の歴史的状況を”荏原城跡”(えばらじょうし)を見ながら振り返ってみましょう。

恵原町バス停標識1
上の画像が、現在の”恵原町”のバス停標識です。松山市の中でも一番東に位置し、恵原町を過ぎて更に東に行くと、浄瑠璃町や久谷町、窪野町を経て、久万高原町に上がっていく県道三坂松山線沿いにある町です。


この県道三坂松山線沿いには、砥部で重信川と合流する”御坂川”が緩やかに流れています。


その”御坂川”の西岸に位置する大きな”東明病院”のほぼ西側に”荏原城跡”がひっそりと眠っています。

荏原城跡石碑2
この画像は”荏原城跡”の入り口に立っている”史跡 荏原城跡”の石碑が立っている場所です。

前回の「松山市の地名・町名由来」第20回目は、「松末・久万ノ台」を採り上げました。

その時に、<さて天文年間の”河野氏”(”河野通道”(こうのみちなお)・(弾正少弼))の家臣団ですが、当時の資料によりますと”旗本衆”として、今回ご紹介する「松末町」の由来となった”松末筑前守”(まつすえ ちくぜんのかみ)を含めて12人の名前が残っております。>(前回記事より)

その時代の河野氏”旗本衆”の中には、まだ”荏原城主”であった”浮穴郡”の”平岡氏”は入っていません。

荏原城”は当時”浮穴郡”一体を支配していた城で、城主は”平岡氏”です。この”平岡氏”が守護大名”河野氏”の家臣団の中で重臣として台頭したのは、”河野氏”の最後の当主となった”河野通道”(こうのみちなお)(伊予守)の時代です。

「松末町」の時に出てきた”河野通道”と、河野氏最後の当主となった”河野通道”は同姓同名ですが別の人物。当時の官名で区分しており前者が”弾正少弼”と呼び、後者を”伊予守”と呼んでいます。

荏原城主”平岡氏が”浮穴郡”を完全に支配し、河野氏家臣団の中でも重臣に台頭していく基礎を築いたのが”平岡房実”(ひらおか ふさざね)です。

荏原城跡石碑3
平岡房実”(ひらおか ふさざね)は、当時はまだ越智郡であった”荏原城主”として活躍し、九州は豊後の戦国大名であった”大友宗麟”、畿内・阿波国の戦国大名であった”三好長慶”、土佐の戦国大名であった”長曽我部元親”らの外敵を迎え、一歩も引かぬ闘いぶりでした。

また、内にあって”河野宗家”(本家)と”予州家”(分家)の対立など内憂外患で河野家も滅亡の淵に瀕した際にも、最後まで忠節を曲げなかった勇将でした。

更に久万大除城主”大野利直”や、南予”大洲地蔵獄”城主”宇都宮豊綱”などと争った武将です。

なお上に書きました”大野利直”や”宇都宮豊綱”のことは、”南予史探訪”と名づけた8回シリーズで5月14日に詳しいことを書きました。(「南予史探訪」・「大洲地蔵ヶ嶽城を巡って」 2

さていよいよ”豊臣秀吉の四国攻め”が1585年(天正13年)5月4日に始まったのです。”河野氏”はこの”秀吉”の命を受けた”小早川隆景”によって隠居させられ、事実上”守護大名・河野氏”の支配は終わりを告げます。

その時に”小早川隆景”と戦った河野氏の家臣団の中心に、”荏原城城主”の”平岡通房”(ひらおか みちふさ)がおりました。

平岡通房”(ひらおか みちふさ)は、1585年「四国討伐(天正の陣)」の時、湯築城二の丸を守りましたが、”小早川隆景”に攻められ遂に落城に追い込まれました。

荏原城跡4
ちょっと話を戻して、もう一度整理してみましょう。

この”秀吉の四国攻め”において、伊予国の守護大名であった”河野氏”の最後の当主””河野通道”(こうのみちなお)・(伊予守)は道後”湯築城”近くに隠居させられましたが、河野氏自身は河野家再興の夢を持ち続けていたことでしょう。

また”小早川隆景”自身も、秀吉の四国攻めが始まる前から土佐の戦国大名”長宗我部元親”に対抗する意味もあって”河野氏”とは姻戚関係を結び、南予の”西園寺氏”らとの親交も結んでおりました。

秀吉の四国攻め”が終わり、”四国国分”(しこくくにわけ=既存勢力の一掃と、豊臣秀吉配下の武将達の四国への配置)が行われます。

当初の秀吉の”四国国分”案では、”四国攻め”に当って無抵抗で降伏した土佐の”長宗我部元親”に土佐一国の安堵(土佐の領有権を認める)と、予(かね)てから元親の野望であった”伊予国支配”をも認めるというものでした。

ところが、伊予国侵攻の最大の功労者であった”小早川隆景”が、”伊予国支配”を自分に賜れない(=もらえない)のであれば筋が通らないと毛利家と共に”四国国分”案の変更を秀吉に申し入れ、それが通って”伊予国”は毛利家のものとなり伊予国国主に”小早川隆景”が就いたのです。

小早川隆景”は、既に姻戚関係を結んでいる”河野氏”と、親交あった南予(宇和郡)の”西園寺氏”については、豊臣秀吉が目論んでいた”九州攻め”、更には”朝鮮半島”を征服して中国の””にまで攻め上るという壮大な構想の中で、河野氏氏や西園寺氏に戦功を上げさせ、御家の再興を考えていたようです。

なお、伊予国南予の”宇和郡”で中世期勢力を誇った”西園寺氏”のことは、”南予史探訪”と名づけた8回シリーズで5月16日に詳しいことを書きました。(「南予史探訪」・「宇和郡 西園寺氏の始まりと終わり」

荏原城跡5
ところが戦乱続く中で”小早川隆景”は、秀吉から”河野氏”との縁切りを迫られる事態に至ったのです。

それは”九州攻め”の戦略の要として”小早川隆景”を更に利用しようと言う秀吉の思惑によるものでした。秀吉は”小早川隆景”の伊予国支配を解き、九州”筑前名島”(今の福岡県福岡市東区名島)行きを命じたのです。

河野通道”は”小早川隆景”の筑前転封を機に、伊予国国主の地位を獲得すべく、”小早川隆景”の力を借りて豊臣秀吉にお目見えし、直接秀吉に直訴するつもりではなかったか、という説があります。

しかし、既に秀吉は”小早川隆景”を筑前に移した後の伊予国の支配については、自分の腹心の部下である”福島正則”を道後の”湯築城”に配することしていました。

そこで”小早川隆景”は秀吉から”河野通道”切捨てを迫られ、苦渋の決断後、河野氏との絶縁を決断します。

道後”湯築城”近くで隠居していた”河野通道”は、”小早川隆景”を追って最後のチャンスとばかり瀬戸内海を渡って”小早川隆景”の本拠地”安芸竹原”まで出向いて、そこで亡くなっています。(自害したとか、謀殺されたという説もあります)

ここで、初代河野通清以来、伊予国守護、国主として二十代続いた河野氏は通直の時代、四百年余の歴史に幕を閉じたのです。

荏原城跡6
さて、ここで伊予国守護大名の最後となった”河野通道”が一番頼りにしていた”荏原城”の当主”平岡氏”に話を戻します。

河野氏の重臣であった”平岡氏”などの河野家家臣団は”河野通道”が隠居させられたあと、伊予国国主になった”小早川隆景”の家臣団に編入されました。

そういう時代経過の後、”豊臣秀吉”が没し、慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)に”関が原の闘い”が勃発します。

伊予においては、東軍(徳川家康側)には”藤堂高虎”や”加藤嘉昭”が、また西軍(豊臣秀頼側)にが毛利家の安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)や池田秀氏や小川裕忠や来島通総が付いて参戦しました。

この闘いの隙間を衝くように、毛利氏は阿波・讃岐・伊予に出兵し瀬戸内海を掌握して、豊臣家を支える西国の覇者になろうと動きます。

荏原城跡土手7
伊予国侵攻戦においては、毛利氏は河野氏再興という大義名分を立てて(実際は秀吉に迫られて河野氏を切り捨てた毛利氏ですが)、宍戸景世(ししど かげよ)を総大将として、東軍(徳川家康側)についた”加藤嘉昭”の留守を襲って”松前城”を接収しようとしました。そこで、毛利軍は三津に上陸し陣を張りました。

当時は、”加藤嘉昭”が熱意を持って取り掛かった”松山城”は、まだ完成していませんでした。加藤嘉昭は松山城の築城の途上で”関が原の戦い”に参戦しています。

留守を守る加藤勢は”湯築城”周辺に軍を展開させ、毛利軍が陣を敷いた三津を急襲し、加藤勢の留守居役”佃十成”(つくだ かずなり)の活躍で、激戦の末毛利側の主要な武将であった”曽根景房”(そね かげふさ)や”村上元吉”(むらかみ もとよし=能島村上水軍を率い”海賊大将軍”と呼ばれた”村上武吉”の嫡男)等を戦死させます。これを”三津刈家口の戦い”と言います。

これに反転攻勢をかけようと、毛利側の総大将宍戸景世(ししど かげよ)は、道後”湯築城”に陣を張りましたが、”加藤嘉昭”の弟”加藤内記”(かとう ないき)や、怪我を押して出陣した加藤嘉昭陣内の留守居役”佃十成”らの奮戦で、毛利軍は敗退し安芸(今の広島県)に敗退しました。

この時は、河野氏旧臣勢力の”荏原城”の城主”平岡善兵衛”らは、伊予の旧勢力が最後の砦とした”荏原城”に籠もりましたが、”関が原の戦い”が東軍(徳川家康側)の勝利に終わったので河野氏旧臣の平岡氏も歴史の舞台から降りることなりました。

荏原城”の存在と意義はこの時点で終焉を迎えた事になります。

なお、当時は”荏原”(えばら)と呼ばれていましたが、その後今の”恵原”(えばら)に変わりました。””から、縁起がいいい””の文字に変わったのでしょう。

今日は、ちょっとした中世期の”歴史絵巻”になってしまて、分かりづらかったかも知れませんが、今静かに佇んでいる”荏原城跡”には、上に書いたような歴史ドラマの舞台となったこともあるということを知っていただきたかったので、長くなりましたが敢えてご紹介しました。

次回の「松山市の地名・町名由来」第22回は、「今出地区」「菅沢町」をご紹介します。




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「再訪 149 ちゃんぽん食堂 てっちゃん」・「愛媛グルメ紀行」 580

今日は、今年の7月26日に再訪したばかりのお店、道後一万町、勝山町の電車通りを北上して平和通と交差する交差点を、そのまま更に北上した県道松山北条線沿いにある”泰州ハイツ”1階に昨年7月にオープンした”ちゃんぽん食堂 てっちゃん”さんの三度目のご紹介です。


初めてご紹介したのは、今年の4月17日のことです。(「ちゃんぽん食堂 てっちゃん」・「愛媛グルメ紀行」 511


そして二度目は7月26日です。(「再訪 138 ちゃんぽん食堂 てっちゃん」・「愛媛グルメ紀行」 566


今回は、前回お伺いした時の”忘れ物”を取りに戻りました。

玄関1
こちらが、ワタシのブログではお馴染みになったお店の玄関です。


玄関ドアを開けますと「ああ、何時もどうも!」という、お二人の笑顔と掛け声が返ってきます。


店内の片隅では、店主さんご夫婦の長男君、小学校2年生の男の子が夏休みの勉強をしていました。微笑ましい光景でした。

メニュー2
今回”忘れ物”と書きましたのは、前回の訪問時に「次回はコレ!」っと決めておりました”冷やしつけめん”のことです。

「今日は、前回から決めていた”冷やしつけめん”をいただコーワイ!」っと注文。

すると奥様「煮玉子とネギとチャーシューがセットになっているトッピングがありますが、どうなさいますか?」と微笑まれながら尋ねられました。

メニューを改めて見ますと、”冷やしつけめん”だけなら、ナント!350円でした。トッピングを頼んでも500円です。最近では驚くべき低価格ではありませんか。当然にトッピングもお願いしました。

そして「前回頂いた”皿うどん・やわ”、あの麺やけど、麺同士がくっついていて食べづらかったなー。あれは一工夫したほうがいいかも知れんネー」と、一言付け加えました。

考えてみればプロに向かって言うことではないですね。「店主さんと奥様、ゴメンナサイ!」でも、このお店が好きなが故の老人の小言です、お許しを。

冷やしつけめん3
さあて、これが楽しみにしていた”冷やしつけめん”です。


シンプルな佇(たたず)まいですが、出された瞬間から”胡麻ダレ”の酢加減の効いた香りが一斉に鼻孔に届きました。


そのオリジナル”胡麻ダレ”を味わってみました。・・・・・・・言葉になりません。


「フフフフ・・・・・ウーーーーーン、いい酢加減ヤネーーー!。これって体が喜ぶね!この暑い夏に、ありがたい」っと、やっと言葉が出てきた。


「ウフフ、ありがとうございます、そう言って頂けて」っと店主さんの笑顔。

つけめん4
この””の色艶を、まあご覧になって下さい。どーーーーーです!いい色してるじゃありませんか。


メニューポスターにも書いてありますが、それでも口をついて出て来ました。「これって、”平打麺”使ってるんですねー!こういうメニュー、お父さんのお店にはありますか?」っとワタシ。


お父さんは高浜で”てっちゃん”という超人気店をやっておられます。このお店はその暖簾分け。


「いえ、親父のお店にはありません!」っと二代目の店主さん、胸を張られた。なぜ胸を張られたのかはよく分かります。


親子のお店の看板メニューは、言わずと知れた”ちゃんぽん”です。


その”ちゃんぽん”、スープこそ親父さんのお店と同じ物を使っておられますが、それ以外はご自分で工夫に工夫を凝らされたオリジナルメニューに仕上げられました。


その自信と誇りでしょう。それが見事に実を結んだメニューになっているんです。

麺アップ5
コレです、これ。この””。製麺屋さんにご自分の思いをきちんと伝えられて、特別に打ってもらった”特性麺”です。


もちろん、看板メニューの”ちゃんぽん”の麺とも違っています。この”冷やしつけめん”には、この麺しか合わないというところまで研ぎ澄まされた””です。


美味しいんです!旨いんです!この”平打麺”が。モッチリした食感なんですが、平打麺ですからスルスル喉を通過していくんです。小麦の味がします。


百聞は一見にしかず”です、一度お食べになればワタシの記述力不足も解消できるでしょう。


そして、”胡麻ダレ”の胡麻の香りと、酢の香りのコラボレーションがこれまた素晴らしい。完成度の高い逸品に仕上げっています。

麺6
ね!誘っているように見えませんか?麺が。


「ウフフ、食べてみる?試してみたい???」って、ささやき声が聞こえませんか。耳を澄ませて見て下さい。


何時も書くことですが、優れた食品とは会話が成り立ちます。心の中で感謝の言葉を食品に掛けるのです。すると、必ず返事が還ってきます。


そういう会話が何時までも続いていて、気が付いた時、食品全部がワタシのお腹に収まった時に会話が終了するんです。

ごまだれ7
この”胡麻ダレ”の酢加減は、絶妙です。これ以上一滴でも酢を加えすぎると酸っぱくなりすぎる、その寸前のところで抑えられています。


「今年の夏は特に暑いでしょうー。もう食欲なんて無くしちゃいます。だから余計にこの酢味、嬉しいです。体が言っています<ありがとう!これなら喜んで食べられる!>って」と、ワタシ。


「ウフフ、そうですよね~分かります、ソレ」っとお二人。

煮玉子8
煮玉子”です。実はワタシは半熟が苦手。


でも、ここの煮玉子は、恐らく醤油ダシに漬け込んで味を卵の中までよく染み渡る様に茹でられています。美味しく頂けました。


もちろん”チャーシュー”も。これ全部で500円!ありがたいお話です。

完食10
当然に”完食”です。綺麗サッパリと。ええ。

「お子さんは、さっきの男のお子さんだけですか?」っとワタシ。

「いえ、3人います」っと可愛い奥様の笑顔が柔和に広がった。

「エーーーーー・・・・3人!!。この少子化の時代に、それは表彰モンですねーー!!。でも、こういうお仕事をされていると、お子さんたちと触れ合う時間づくりが悩みのタネですね」っとワタシ。

「はい、確かにそれはあります」っとお二人に声が揃った。「でも、ウチは日曜日をお休みにさせてもらっています。その時にはタップリと!」っと、今度は奥様。

「それでも、長男なんかは先日高浜のおじいちゃんのところに、一週間も行って泊まって来ました。海でいっぱい泳いで楽しかったと!だからまた明日から行きたいって言っています」と。今度はお父さん。

「それはいいですねー。高浜のおじいちゃんやおばあちゃんは喜ぶし、お子さんは自然にいっぱい触れることが出来て、いい思い出になりますよ」っとワタシ。

会話は尽きませんが、「ご馳走様でした」とご挨拶して、お店を後にしました。更にいいお店に育っていただきたいとの念を強く持ちながら。




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「再訪 150 中華菜館 四川飯店」・「愛媛グルメ紀行」 581

今日の”再訪シリーズ”150番目のお店は、山越1丁目にある中華料理の超人気店”中華菜館 四川飯店”さんの三度目のご紹介です。


場所は北地区、国道196号線を北条方面に進むと、山越2丁目にある”ローソン”手前を西の方向に左折します。そして、富士タクシーをちょっと西に行った北側にあります。


前回は昨年9月4日にご紹介しています。(「再訪27 四川飯店」・「愛媛グルメ紀行」 368
この時にご紹介したのは、”冷やし坦々麺”でした。”坦々麺”の冷たいバージョンは初めての経験でした。

冷し担々麺4
上の画像がそれです。見た目には口から火を吐きそうに思えるほど、辛い辛い”坦々麺”に見えるでしょう。


その時の食後感を以下のように書いています。<真っ赤に燃えているのは唐辛子。でも、これが冷たいんです、しかも見た目ほど辛くない。>


<これなら唐辛子に悶え苦しむ方でも、何の抵抗もなくスルスル進むこと請け合いです。赤い色が気にかかるなら、これは”トマトスープ”だと思えばいいのです。>(前回記事より抜粋)

そして初めてご紹介したのは、一昨年5月16日でした。(「四川飯店」 真っ当な「B級グルメ店」 44

玄関1
こちらがお店の玄関。


このお店の最大の特徴は、何時行っても混んでいること。駐車場はお店の玄関前を含めて3箇所用意されていますが、何時も満車に近い常態です。(駐車可能台数は22台)


ですから、正午過ぎにお店に行くと待たされます。この炎天下でもお客さんは辛抱強く待っておられます。


なぜ、何時行ってもこんなに混んでいるのかは後ほど。

メニュー2
初回訪問時は、”当日のランチ”をいただきました。お値段は650円。メインとサブのお料理にサラダとご飯とスープ。それに5~6種類の中から選べる飲み物が付いています。

このお店が繁盛している秘密は、この”当日のランチ”にあると思いました。概ね8割以上のお客さんが注文されています。

立地的には、国道や主要地方道に面している訳ではありません。普通の住宅街にあります。決して、一般的に言う”一流立地”ではありません。

かと言って、ネットなどで美味しいお店の情報を入手し、そのお店が例え山の奥にあろうが押しかけるというお味でもありません。

上に上げたようなお店は、お客さんに提供する料理を徹底的に磨き、そこに行かなければ他では決して食べることが出来ないという料理を出されます。だから、高性能のカーナビでも辿りつけない立地でも客が列をなすという時代になりました。

ところが、このお店はそうではありません。お料理の味がいいのは当然ですが、かと言って唸ってその場に立ち尽くすほどのレベルではないように感じました。

すると、後は適度に美味しく毎日メニューが変わって品数も量も十分に満足できて30分でお腹一杯になる。しかも漫画雑誌やスポーツ新聞片手に気軽にいただける!待っていても回転が早いから直ぐに食べられる。

ここでしょう!このおみせが”繁盛”を続けておられる理由は。

冷麺3
さて注文したのは、昨年9月4日に再訪した時から、次はコレと決めていた”冷麺”です。お値段は650円。


このお店のお値段は、どれもワンコイン=500円にプラスα程度の設定になっています。それでお昼を、味も量も気軽さも十分に満足できるような設定です。


大きな通りに面していなくても、駐車場をしっかり用意できていれば松山の各所から客を集めるのです。

冷麺4
やや光量不足で暗い画面になりましたが、コレがこのお店の”冷麺”です。


一言で言えば、”最大公約数的”な姿で登場しました。マスタード風の洋辛子は小さなビニールの小袋に入ったものが添えられていました。手は付けません。


多くの中華料理店で、実によく見かける”冷麺”でしょう。このお店ならでは!っというものは全くありません。


食材に特別なものを使っている訳でもありません。”偉大なる平凡さ”とでも言いましょうか。

混ぜた5
何時もなら、使ってある食材・具材の明細を書きましが、このお店は書くほどのものではありません。


ですからいきなり混ぜに混ぜました。この手のメニューは、チマチマ丁寧にお上品に食べては味らしい味になりません。もうグチャグチャに混ぜるに越したことはありません。


混ぜても混ぜなくても、見た目と具材の平凡さは一向に変わりません。でもこれでいいのです。客様が満足されているのですから、それで十分です。

アップ6
ただ、画像の”紅しょうが”これは・・・・・・。彩りに使うにしても・・・・・下品に近いような。


ただキュウリなど、どれも切り口が新鮮です、瑞々しさを感じます。

麺アップ7
そしてこの””です。この”麺”は極めて優れていました。決して平凡な””ではありませんでした。


実にモッチリしていて、弾力に富む麺を使っておられます。しっかりとしたコシもあるので、実に堂々としています。


平凡な具材を、輝かせるほどの存在感がありました。

麺8
全体によく冷やされておりますから、するするスルスルと喉を通り抜けていきます。


酢味が勝ったスープも、個性を発揮していました。


総合点で言いますと、はやり”繁盛店”ならではの出来栄えです。派手では決してありませんし、大向うを唸らせる程の演出もありません。


でも、どんどん詰めかけるお客さんの胃袋の期待にしっかり応える”冷麺”には違いありません。




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「再訪 151 手打ちうどん時屋 つしま亭」・「愛媛グルメ紀行」 582

今日の”再訪シリーズ”は151番目お店、天山1丁目にある「天山安永第一ビル」の1階にテナントとして入っているうどん屋さん”手打うどん 時屋 つしま亭”さんを再度ご紹介します。


初めてご紹介したのは、2011年6月14日でした。(「手打うどん時屋」 真っ当な「B級グルメ店」 65


会社から車で3分位の距離ですが、再訪してから時間がかなり経ちました。”灯台下暗し”とは、正にこのことを言うのでしょう。

玄関1
これがお店の玄関です。


場所は、南環状線で伊予鉄横河原線を越える高架を天山方面に向かって下りたところにあります。


お客さんもすっかり定着し、地域にすっかり溶け込まれているお店でしょう。お店は夫婦と娘さんの3人でやっておられます。(但し、ご本人に確認していませんので間違っていたらごめんさいでですが)

店内2
店内を見渡しますと、昼間は”うどん屋”さん、夜になると”居酒屋”さんに変身する”二毛作店”であることが分かります。


ワタシは、夜は出歩きませんので夜の営業状態は分かりませんが、昼は常連のお客さんが大部分のようにお見受けしました。


主な客層は、近所で勤務されている方が多いようですが、遠くから訪ねてきたお家族連れの客さんとの「アレー、お久しぶりでしたねー、お元気でしたか?今日はお訪ねいただきありがとうございます」という挨拶が交わされていました。

うどんメニュー3
こちらがうどんのメニューです。2年前にお訪ねした時と同じもののようでした。


おおよそ、愛媛の”うどん屋”で見られるメニューは網羅されていますが、最近売り出し中の”気鋭のうどん店”、例えば”麦わら”さんのように、新メニューを開発するという風なお店ではありません。


今回は冷たいうどんの季節なので”梅おろしぶっかけうどん”を選びました。お値段は700円です。


厳しい価格競争にまだ晒されていない、”愛媛”という土地柄を表した値段設定でしょう。

鍋焼きうどん6
初めてお訪ねした時は、6月で既に暑くなっている季節でしたが、その当時は”温かいうどん”一本槍を過ごしていた時代でしたので”鍋焼きうどん”をいただきました。


その時の印象を<鉄鍋のデカイことデカイこと。しかも、具材の種類が多い、コレデモカコレデモカ・・と入れ込んであります>と書いています。


そして多彩な具材とともに印象に残ったのは、出汁が超濃厚だったこと。この点が、このお店が近くにあるにもかかわらず足が遠のいていた理由でした。

梅おろしぶっかけ4
さて、これが注文した”梅おろしぶっかけうどん”です。


鍋焼きうどん”の見た目の印象は”盆と正月が一度にやって来た”という感じでしたが、この”梅おろしぶっかけうどん”は、清楚な佇(たたず)まいです。


この”うどん屋”さんでは、店主さんの娘さん(あくまでも想像)が手伝っておられますが、スラリと背が高く目元が涼やかな方です。


その娘さんの印象をうどんに仕立てた、そういう感じでしょうか。

生姜他6
こちらが、別皿で出された”薬味”です。

見た目通り、”生姜(しょうが)”と、炒った”胡麻”です。胡麻の香ばしい香りが伝わって来ました。

夏うどん”に絶対欠かせない薬味が”生姜”です。暑い夏ですから、どうしても冷たいものを求めてしまいます。

今は何処ででも、冷たく冷えたお茶や炭酸飲料やコーヒー、紅茶などが手軽に飲めます。おまけに氷菓やソフトクリームなどもコンビニなどで直ぐに手に入ります。更に、ワタシのようにこの夏は、徹底して”冷たいうどん”と”冷たいラーメン”に入っています。

すると、体温は暑くても、胃腸は冷えてる場合が多いことになります。その時に、この”生姜”の”生薬(「しょうやく)”としての働きが欠かせないのです。

生姜”の健胃作用が、体調のバランスを整えてくれます。”健胃作用”とは、胃腸の冷えなどによる胃腸機能低下を防止してくれます。

梅7
この””の、マアなんと大きいこと!果肉がタップリ詰まっています。


梅は、中国では紀元前から酸味料として用いられており、塩とともに最古の調味料だとされています。


塩梅(あんばい)”という言葉があり、”いい味加減だとかバランスの良さ”を意味する言葉ですね。それは元々は、最古の調味料であった梅と塩による味付けがうまくいったことを示した言葉からきています。

掛けた8
さて、余計な講釈はそのくらいにして、先ず食べてみましょう。


大きな徳利に入った出汁を、タップリと回し掛けました。画像は、”出汁の海”に浮かぶ”うどんの小島”です。


この時点で既に「ホッホー!やってくれそうじゃないか!」という雰囲気がありました。


うどん、出汁、具材、薬味のバランスがいいんです。おまけに”胡麻”と”梅”と”大根おろし”がどういう働きを見せてくれるか?期待が膨らみます。

麺9
具材の下に隠れている”うどんの麺”を、具材を少し持ち上げて覗いて見ました。


子供の”スカートめくり”にちょっと似た心境で、周囲の人に見つからないように密やかな行為として。


オホッ!!見えました見えました、艶かしいほど色艶のいい””が、ちょっとだけその姿の一部を見せてくれました。


人間の心理としては、この”一部だけ”がチラッと見える!・・・・・・・これに弱いのです。

麺アップ10
全体に”出汁”をよくかき混ぜました。日本人は、この徹底的に”混ぜる”ということを、下品だとか美的感覚を損なうと言って避ける傾向が強いように思います。

でも、混ぜに混ぜたほうが美味しいくいただける場合は、ワタシは情け容赦なく混ぜることにしてます。ただ単純に美味しくいただきたいからに他なりません。

すると、出汁にまみれない前の”麺”は、幾ら艶かしいといっても、それはまだ抑制の効いた艶めかしさです。

ところが、一度出汁の洗礼を受けた”麺”は、その艶めかしさ=成熟の度合いを一気に加速させます。

どうです?まるで誘っているように見えませんか?「フフフフ、来てみる?え?コワイの・・・・?・・フフ」っと。

「フン!怖かなんかナイヤイ!!」とばかりに、一気呵成。

最初は”梅”はそのままにしておき、”おろし”の苦味でうどんを楽しみます。3分の1ほど、それで楽しんだ後は、梅を徐々に解していって、出汁に酸味が染み渡っていく変化を味わいます。

アッという間に完食したのは当然です。

どうしてこうも、”うどん”の話になると、色めき立つのか?自分でも分かりません。

このお店、今年で開店11年目。




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「再訪 152 手打ち うどん坊」・「愛媛グルメ紀行」 583

今日は”再訪シリーズ”152番目のお店、JR予讃線と伊予鉄横河原高浜線が交差する辺りの、伊予鉄横河原高浜線「西衣山駅」前にある”手打ち うどん坊”さんを再度ご紹介しましょう。


初めてご紹介したのは、2011年3月28日のことでした。(「うどん坊」 真っ当な「B級グルメ店」・ 21


愛媛グルメ紀行”シリーズを書き始めて、僅か21番目のお店です。ということは、まだ、よく通っていて知っているお店を順番に当たっていた時代のことです。一時期、随分通ったお店です。


また再訪する気持ちになったのは、ブログ友:”ファットマン”さんの(うどん坊でノスタルジックな焼きめし)という、随分前の記事がきっかけでした。

玄関1
こちらがお店の玄関です。


ファットマンさんの記事を読んでい以降ずっと気になっていて、この暑い季節になってやっと再訪を果たしました。


と言いますのは、今までこのお店に何回通ったのか覚えておりませんが、このお店で”冷たいメニュー”をいただいたことがなかったからです。

店内2
店内には、実にゆったりとした時間が流れています。


お客さんも殆ど常連さんで占められ、皆さん思い思いに新聞など見ながらうどんを啜っています。


このお店に通っていたのは今から10年以上前ですが、その当時と様子は殆ど変わっていません。

メニュー3
こちらが”夏季メニュー”です。


このお店は、普通の”ざるうどん”もありますが、松山では数少ない”冷たい出汁を張って冷たい麺を入れる”という”冷たいメニュー”を出すお店です。


ぶっかけ”の系譜に属する”冷たいメニュー”を出すお店が圧倒的に多い中では、嬉しいお店です。


店内は、創業者の奥様とその息子さん。それに女性1名の家族経営で対応されています。

横6
これは、初回訪問した時に頼んだ”鍋焼きうどん”です。お値段は600円でした。


麺は”松山うどん”の特徴でもある、やや柔らか麺です。


出汁は煮干でとったあっさり味の出汁です。その当時は、このメニューだけをただひたすら注文していました。

冷し田舎5
さて、今回頼んだのは”冷し田舎うどん”と名付けられたメニューです。お値段は550円です。


お店の方に「”冷し田舎うどん”とは、どういう内容のうどんなんですか?」っと、お尋ねしました。


すると「ゴボウとか人参とかの田舎の野菜やなんかが、いっぱい入ったうどんです」とのお答えでした。

冷し田舎6
具材は言われた通り、ゴボウや人参や椎茸が煮られたもの、それに大量のワカメ、小さいお揚げ、錦糸卵少々、蒲鉾2切れ、薬味は大量の刻みネギと煎り胡麻。


それに夏の定番薬味”生姜”が添えられています。


丼一杯に張られた出汁からは、イリコのいい香りが漂っています。”田舎うどん”の名に相応しい出で立ちです。

椎茸とワカメ8
画像に見える”椎茸の煮含め”と”ワカメ”が、実にいい仕事をしています。海のものと山のものとの地味な共演といったところです。


椎茸などの煮物が、甘く柔らかく煮てあります。色で見るほどには辛さはありません。


出汁と具材の相性は抜群です。

麺8
さて、肝心の””です。今年の”夏うどん”に関する私のテーマは、”伊予艶麺”です。


色艶、肌触りと喉越し、それにモッチリした食感のする””を追い求めて彷徨(さまよ)っているところです。


その観点から言えば、このお店の麺は素朴・朴訥な”麺”ではありますが、”官能的”という形容詞には当たらないかも知れません。

麺10
でもこの””の色艶と照りは、「ウフフ、マア、食べてから感想を仰いな!」と、艶然と迫ってきます。


ワタシは、食べる前に何時も”麺”とは無言の対話をすることにしております。


「どう食べて欲しいの?」って。すると、不思議に”麺”自身がワタシに様々なことを語りかけ囁(ささや)いてくれるのです。


「そんな訳はないだろう!」っとお思いでしょううが、毎日のように様々な麺との出会いを繰り返していると、彼女たちや彼らの”囁き”が聞こえるのです。


バランスの取れた美味しいお味でした。唸るほどではりませんが。””だって、見た目以上に艷やかでした。

メニュー2
と、ここまでは”麺”と対話しながら”冷し田舎うどん”をいただいていました。

そして、ふと、何気なく”このメニュー”が目に飛び込んできました。ン?ンンンン・・・・・????

かけうどん300円。これが、このお店の基本メニューです。愛媛では珍しい価格ではありませんか。

ところが、ところがです!”天かすうどん”が250円と表記されています。え?えええ?ここです、不思議だと思ったのは。

店主さんにお聞きしました。「この”天かすうどん”って????なぜ”かけうどん”より安いのですか?麺の量が少ないとか??」っと。

「イヤー、その”天かすうどん”はウチのサービスなんですよ!”かけうどん”を注文されたお客さんが、天かすも入れてくれ、とよく言われていて」

「それでこの店を改装した時に、最初から”天かすうどん”メニューを作ったんです。そしてね!エーーーイ!オマケに50円安くしちゃえ!ってね。ウチのサービスなんですよ!」

業歴は40年を遥かに超えました。そして今や二代目さんの時代です。ご家族だけで頑張っておられます。

この”天かすうどん”メニューに”老舗の心意気”を感じました。お店を出た瞬間に真夏の太陽に照りつけられました。

でも、二代目さんの構えない心意気に接して、爽やかな気持ちにさせられました。ありがたいと思いました。




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「愛媛グルメ紀行」を振り返る 73

今週の土曜日も”愛媛グルメ紀行”シリーズを振り返ってみましょう。

今日振り返るのは、昨年の年初めにアップした217号から219号までのお店です。


先ず最初に振り返るお店は、昨年2月1日にシリーズ217番目のお店としてご紹介した、千舟町4丁目の、千舟町通りからちょっと南に入った路地にあるフレンチのお店”BISTROT LANGUE DE CHAT”さんです。(「BISTROT LANGUE DE CHAT」・「愛媛グルメ紀行」 217

お店の名前の読み方は「ビストロ・ラング・ド・シャ」でしょう。もちろんフランス語です。

意味は、”気軽なフレンチレストラン 猫の舌”という意味だと思います。名前からしてお洒落ですね。

玄関1
先ず場所ですが、千舟町通りの”グランディア千舟”がある交差点の一本東の交差点から南に(湊町商店街の方向に)入ります。

このお店の向こう正面には”かつれつ亭”さんがあり、また北隣にはラーメン店として有名な”瓢華”さんがあります。

なお上に書いた”瓢華”さんは、創業者は溝辺町に移られてここのお店は息子さんが引き継がれたとか。

ワンプレートランチ
コースランチの前菜は3種ですが、その3種に、更に別の3種を加えた6種の前菜が楽しめる”ワンプレートランチ”を注文しました。お値段950円。

それぞれの前菜には材料名を含めた名前があって、お皿の奥右側から時計回りでご紹介しますと以下のようになります。

先ず、小さなカップの中に入っているのは”聖護院大根のコンソメ浸し”、その下は”ラタトゥイェのオムレット”、左に移ると”バルバリー産鴨棟肉のマリネと干し柿のマセレ”、更に左端は”カリフラワーのベニエ ソースタルタル”。

その上に行って”鶏モモ肉の粒マスタード煮込みと白いんげん豆”、上の真ん中は”メークインのポムピューレ 生ハム添え”です。

これに、サラダとスープと、お変わり自由のパンが付きます。当日のスープは”サツマイモのポタージュスープ”でした。

もうこれだけで十分に満腹になり、心から満足しました。とにもかくにも、千舟町通りと湊町通りの間に挟まれた、小さな路地裏で、全く力を抜いていないフランス料理の数々を堪能さてていただけるお店でした。

このお店は再訪しません。ここまで様々なお料理を出されますと、味わう前に取材魂が前に出て食材や調理法にばかり目が行きます。単純に味だけを楽しむことが出来ない性格なものですから。


二番目に振り返るお店は、昨年2月2日にシリーズ218番目のお店としてご紹介した、県道森松重信線(193号線)沿いの”エフコ森松店”東隣のビル1階にある、の”台湾家庭料理店 福味香(ふみか)”さんです。(「福味香(ふみか)」・「愛媛グルメ紀行」 218

一昨年8月にオープンしたばかりの新しいお店です。

玄関1
一歩店内に入りますと、そこは中国?それとも台湾??と、ふと錯覚を覚えること間違いありません。

といいますのは、店内のディスプレイが中国風なだけでなく、店内を飛び交う会話が”中国の言葉”なのです。

メニューですが、メニューの数が多く、それらを組み合わせた各種の定食や、日替わりのランチもありますので選ぶのに迷います。

多くのお客さんは、お得な”ランチメニュー”の中から注文されているようです。

ラーメン5
これが単品で注文した”豚骨台湾ラーメン”です。お値段、580円。お安いと思います。

台湾の屋台などで一番よく食べられている、ラーメンの上にミンチが乗っている”台湾ラーメン”なら、380円ですよ、ドーですか?

乳白色のスープに”オレンジ色の帯”が漂っています。

このオレンジ色の帯の正体は、”ラー油”です。大量のラー油がスープに浮いています。これが刺激的で口の中でピリピリする感はあるのですが、思ったほど辛くはありません。

言ってみれば「辛旨い」とでも言ったらいいのか。そして、大量のミンチも、肉と油の旨みが凝縮していて、不思議に美味しいのです。

ビーフン1
実はこのお店、2日連続でお訪ねして1日の記事にまとめた3軒目のお店となりました。他は、二番町にある”魚介系らーめん あずま家”さんとお気に入りの”フォンターナ”さんだけです。

こちらは翌日食べに行ったときに注文した”焼きビーフン”です。値段は600円です。

日本ではあまり主流と言うほどのメニューではありませんが、台湾では”ラーメン”以上に食べられている食品かもしれません。異国情緒を楽しむにはもってこいのメニューじゃないでしょうか。

従ってこのお店は既に再訪して記事もアップしました。再再訪するかどうかは、今のところ思案中です。


最後に振り返るお店は昨年2月6日にシリーズ219番目のお店としてご紹介した、伊予鉄横河原線の沿線、久米駅近くにあるイタリアンレストラン”Federico(フェデリコ)”さんです。(「Federico(フェデリコ)」・「愛媛グルメ紀行」 219

ワタシが初めて”イタリアンレストラン”の5店舗を特集としてご紹介した、その一店目です。

玄関1
場所は、南久米町町の県道松山川内線沿い、”スーパー日東久米店”の東隣りにある伊賀ビル2階です。

2階に、イタリアンレストランがあると知っている方でないと、ちょっと分かりにくい程、さりげなく店名入りの小さい看板が置いてあります。

前菜上5
ランチタイムには、前菜と3種から選べるパスタのセットで、1000円のメニューが黒板に書かれていて、その黒板を目に前に持ってきてくれます。

この画像がその日の前菜で”地野菜の温サラダ・タプナードソース”でした。

タプナードソース”とは、地中海料理に使う”オリーブペースト”のソースです。

パスタ上6
3種のパスタから、ワタシが選んだのは”広島産牡蠣、白ネギのスパゲティー、アーリオオーリオ”です。

”アーリオオーリオソース”とは、”アーリオ”はニンニクのことで、”オーリオ”とはオリーブオイルのことです。

大振りの”広島産牡蠣”がたっぷりと入っていて、その濃厚な牡蠣のエキスを堪能できました。

それと、白ネギ(根元に近いの太い部分)は、事前に炙られた上で、ソースに和えられているので、ネギの持っている本来の甘さが生きています。

このお店も再訪しました。そして、再再訪もしたいと思っています。とっても素敵なお店でした。一度でファンになりました。



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「松山市の地名・町名由来」・ 「今出地区・菅沢町」 22

松山市の地名・町名由来」の第22回目は、”菅原道真”(すがわら みちざね)に因(ちな)むという共通点を持っている「今出地区」(いまづちく)と「菅沢町」(すげわまち)の町名由来をご紹介しましょう。

実は次回第23回の松山市の地名・町名由来」でご紹介する「衣山町」「水泥町」も、”菅原道真”に因むという共通点を持っています。

ここで”菅原道真”とは一体どういう人だったのかを簡単にご紹介しておきましょう。”菅原道真”という人は平安時代の貴族で、代々家の職である”文章博士”(もんじょうはかせ=簡単に言えば今の大学院大学の教授に当たります)に25歳の若さでなっています。後年(こうねん=後の世に)”学問の神様”と呼ばれるようになりますが、若いときからその片鱗を見せていた一種の天才です。

家柄は決して高くはありませんでしたが、時の”宇多天皇”にその才能を見出され、周囲の貴族達の嫉妬を一身に集めるほど朝廷内で出世街道をばく進した人です。でもその満ち溢れんばかりの才能が、道真の不幸を招くことになりました。

天皇の外戚(がいせき=天皇家に娘を嫁に出し、次の天皇の義父になるという家系)であり、貴族筆頭に位置していた”藤原家”の嫉妬を道真は一身に負います。

時の左大臣藤原時平(ふじわらときひら)に”讒訴”(ざんそ=他人を落としいれようとして事実を曲げて言いつけること)され、九州の大宰府へ権帥(ごんのそつ=大宰府の副司令官)として左遷され、2年後に失意の中で58歳にして没しました。

”菅原道真”の没後、都では大きな被害を出した落雷などの大災害に見舞われ”菅原道真”の祟(たた)りと恐れられ、朝廷は京都の北野に”北野天満宮”を建立して道真の祟りを鎮めようとしました。

道真を”天神さん”と呼ぶようになったのは、落雷の事件から道真の怨霊を雷神と結びつけられたためです。

なお8月の上旬に妹と弟との3人で、4泊5日の京都・奈良への”兄弟旅”をしました。その時に、上に書きました”北野天満宮”へも行きましたので、そのことは”愛媛の歴史・特別編”としてまとめて後日記事アップします。

今出湊バス停標識1
この画像は、松山の西部の西垣生町にある”今出”(いまづ)という地域を示すバス停標識です。

なぜ”今出地区”が、”菅原道真”と関係するのか。

京都から今の九州福岡にある”大宰府”までの行程は、京都から淀川を下って大阪に行き、そこからは瀬戸内海を船旅です。当時の船旅は、大阪から一気に九州までは行けませんでした。

瀬戸内海の各地の港に立ち寄り、風待ち(出港に適した風をとらえる)しながら九州に向かいます。

今出港2
しかも”道真”は立ち寄った港で一度下船し、その土地土地の神社や仏閣に参拝しています。

”菅原道真”の、大宰府行きという左遷に対するせめてもの抵抗をそこに見ることができます。

朝廷からは、早く大宰府に赴(おもむ)くようにという督促の使者が遣(つか)わされたほど、ユックリユックリと進みました。

今出港3
道真は、大宰府に向かう途中で松山にも立ち寄っています。そして大宰府に向けて船出した場所が、ここ吉田浜の「今出」(いまづ)です。

道真を慕い、別れを惜しむ村人に、「私はこの地をて行きます。そして大宰府に向かいますが、もう皆さんには二度とお目にかかることはないでしょう」と別れを告げたと言い伝えられています。

その言い伝えから「今出」(いまづ)という名前で呼ばれるようになったと言う由来を持ちます。

菅沢バス停標識5
また”菅原道真”は父親が”伊予守”(いよのかみ)、本人が”讃岐守”(さぬきのあみ)に任じられていたことから、大宰府流罪以外にも、ここ松山では”道真”縁(ゆかり)の地名が多く残されています。

なお律令制において、役人は四等官制(しとうかんせい)が用いられていました。

特に地方官においては長官=かみ)・次官=すけ)・判官=じょう)・主典=さかん)の四等官(かみ・すけ・じょう・さかん)が定められていました。

つまり”菅原道真”は讃岐を治める長官(守)に任命されていました。(ただし本人が任地に常駐していた訳ではありません)

仏性寺山門6
上の画像は、松山市の東部山間地の「菅沢町」(すげざわまち)にある”佛性寺”(ぶっしょうじ)山門です。

この佛性寺が開かれたのは天長6年(829年) と大変古く、由緒あるお寺です。

”菅原道真”との関わりは、道真が天皇の使者として、十一面観音をここ”佛性寺”に遣わされたという伝承に因(ちな)むものです。

仏性寺本堂7
つまり、道真が天皇から遣わされたことから、”菅原”の””とこの地の””を合わせて「菅沢」(すげざわ)にしたというのが由来です。

上の画像は、”佛性寺”の本堂です。この本堂は明治29年に再建されたものです。

菅沢仏性寺公孫樹8
上の画像は、”佛性寺”のシンボルとなっている”公孫樹”と名づけられている大銀杏(おおいちょう)の大木です。

推定樹齢は大よそ130年とありました。

元々”公孫樹”とは銀杏(いちょう)の別名で、植樹した後、孫の代になって実が食べられるということかわ名づけられた名前です。

次回23回の「松山市の地名・町名由来」は、今回と同じく”菅原道真”が地名の由来となっている「衣山」「水泥町」をご紹介します。



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「再訪 153 手打ちうどん 福楽」・「愛媛グルメ紀行」 584

今日の”再訪シリーズ”153番目のお店も”うどん屋”さんです。このところ、立て続けに”うどん屋”さんばかり回っていて、”冷たいうどん”ばかりいただき続けています。


この夏の暑さで、食欲が落ちたワタシとしては最も取っ付きやすい分野でありメニューでもあります。


今日ご紹介するのは、、国道33号線沿いの東石井6丁目にある”手打ちうどん 福楽”さんです。二度目のご紹介です。


このお店は、2011年5月25日に一度ご紹介しています。(「福楽」 真っ当な「B級グルメ店」 51)このお店も、”愛媛グルメ紀行”シリーズを書き始めた初期にご紹介したお店です。

玄関1
こちらが、国道33号線沿いのお店の玄関です。


丁度お昼時にかかりますと、お店の前の駐車場はいっぱいになりますので、やや早目の時刻にお店に入りました。


このお店は午前11時からの営業なので、その点助かります。

メニュー2
これがお店のメニュー。今日は冷たいうどんをいただきにあがりましたから、”冷きつね”とお店で呼ばれているものを注文しました。お値段は720円、堂々とした”愛媛価格”です。

愛媛でこの価格が通るということは、厳しい価格競争に晒されていないということです。これがいいことかどうか。

幸いなことに”うどん業界”は、全国展開する”大手うどんチェーン”店は限られています。たった一社しかありません。(他にも無いわけではありませんが・・・・)

もともと安い価格設定にしか出来ない”うどん業界”なので、その一社以外は、参入する魅力を感じないのでしょう。

天ざる大盛り
初めてお伺いした時は、このお店のうどんの”標準量”を知らず、”天ざる大盛り”を注文してしまいました。

注文したものが運ばれてきた時、思わず絶句しました。うどんが、うどん自身の重みでざるからはみ出していたのです。

うどんに箸を入れて漬け汁に取ろうとすると、綺麗に積み上げられていたうどんが、その重さで脇に零れ落ちてしまうんです。(前回記事より)

今日は、厨房前のカウンターに座れました。そして見ました!うどんを湯掻いて一人前の量を決めるとき、普通のお店は汁椀にすり切りの量を入れて分けます。

ところがこのお店、汁椀からはみ出る直前まで盛りに盛るのです。店主さんの喜びがそこにあるとばかりに。

厨房を見ていますと、このお店の一種の名物となっている”かき揚げ”。まるで巨大なワラジです。ワラジと言っても分からない方が多いでしょうが、普通のお店の”かき揚げ”のおおよそ2倍半はあるでしょう。”お化け”ですよ。

冷きつね3
お店の女将さんに「お客さん、”冷かき揚げ”じゃなくていいんですね?」っと確認されました。それほど、このお店では”巨大かき揚げ”がウリなんです。

さてこの画像が”冷きつね”を真上から見たものです。

では、甘辛く煮た”お揚げ”さんを入れたうどんや蕎麦を、なぜ”きつね”と称するのか?

同じ物を関東では”きつね”と呼んで、関西でも”うどん”台の場合は”きつね”と呼びますが、同じ”お揚げ”が乗っっても、それが”蕎麦”台になると”たぬき”と呼ぶところもあります。

なお””というのは”かやく”が入る元となる麺の種類を言います。

きつね”となぜ呼ぶのかに付いては、油揚げがキツネの好物とされていることに由来があるという説が一般的です。

なお”きつねうどん”を初めて出したお店は、定説では明治26年創業の大阪市船場のうどん屋”松葉家”が油揚げをのせたうどんを考案したとされていて、ワタシもワザワザそのお店に食べに行ったことがあります。

冷きつね4
このお店の”冷きつね”は実にカラフルですね。赤、緑、黄色、白、黒の五色です。

丁度厨房を覗ける位置に座りましたから、店主さんのうどんの湯がき方、水切りのやり方をつぶさに観察出来ました。

踊るうどん”の前の店主”永木”さんを”静の求道者”だと呼ぶとしたら、このお店の店主さんは”動の求道者”と呼ぶのに相応しいでしょう。

それは湯がき終わったうどんの”水切り”に現れます。うどんを入れた金網ざるを、全身全霊を込めて「エイッ!エイッ!ウッ!ウッ!」(ただし本当は無言です)っとばかりに振って”水切り”をします。

おおよそ20回位、気迫を込めて全力で金ざるを振りますが、その真剣さには近寄りがたいものがあります。

お店の奥さんにそっと聞いてみました。「店主さんの右腕は、左腕より随分太いでしょう?」っと。

すると「そう言えば、右腕の方が太いねー!」っと。そもそもTシャツの下の右肩は、筋肉で盛り上がっています。

揚げ6
これが甘辛く煮含められた”お揚げ”さんです。いい味してるんです、コレが。


この油揚げの色(きつね色)や形がキツネがうずくまる姿に似ているから”きつね”と呼ぶという説もあります。


今まで狐君と友達付き合いをした経験がありませんので、ご本人がこの”お揚げ”さんをどう思っているか?については取材出来ておりません。

椎茸7
この画像で茶色く見えるのは”干し椎茸”を水に戻して柔らかくして煮たものです。生椎茸では、この奥深い味が出ません。


食べ物は不思議なもので、干して乾燥させたほうがその食品本来の味が強くなるものがあります。


この”干し椎茸”が好例ですね。その他には”鰹節”や”干鮑”(ほしあわび)や”フカヒレ”、更には”干しエビ”や”干しナマコ”など、幾らもあります。


この椎茸の煮含め、いい味に仕上がっているんです。この”冷きつね”の味の決め手の役割を立派に果たしています。

混ぜた8
この”冷きつね”は”ぶっかけ”の系譜に属するものですね、ですから当然に混ぜに混ぜました。


そりゃあ、見た目は悪くなります。でも混ぜずにチマチマ食べるなどという愚を犯しては、この”冷きつね”に悪いではありませんか。


食品は、その持ち味が最大限に発揮できる食べ方で遇してあげるべきだと思っています。

麺9
これがこのお店の””です。

いま、ブログ友:”ジンゴズンゴ”さんと【うどん集中講義の旅】を行なっていまして、愛媛の”官能的な麺”に焦点を合わせて巡り歩いています。(現在は、ジンゴズンゴさんご自身がお忙しいので中断中ですが)

ただその観点から言いますと、このお店の””には強い弾力はあるものの”官能的”という表現は当たらないと思います。

ワタシの個人的見解ですが、”官能的麺”にも大きく分けて”男麺”と”女麺”があるように思っています。

今”ジンゴズンゴ”さんと探求しているのは、どちらかと言うと”官能的女麺”です。

その点で言えば、このお店の麺は”男麺”の典型で、しかも”筋肉質体育会系麺”です。店主さんの盛り上がった右肩の筋肉そのままの””でしょう。

だからこそ、このお店は一人で訪れました。”ジンゴズンゴ”さんの言う【うどん集中講義の旅】の対象店ではないことを知っていたからです。

でも、全体的にバランスが取れていて、水準の極めて高い”うどん”には違いありません。心から満足してお店を後にしたのは言うまでもないことです。もちろん、出汁の最後の最後まで啜って”完食”しました。





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「再訪 154 麺屋 夢創」・「愛媛グルメ紀行」 585

今日の”再訪シリーズ”154番目のお店は、昨年7月に国道56号線沿いの藤原町に、砥部町拾町にある”リバーサイドS・C”から移転された”麺屋 夢創”さんを二度目のご紹介です。


移転開店して1年が過ぎました。最初にご紹介したのは、今年の3月7日のことででした。(「麺屋 夢創」 ・「愛媛グルメ紀行」 490


時々お互いにコメントを交換する:”おーちゃん”(NEW! とっても気まぐれおーちゃん。)さんのお薦めで訪問しました。


そして今度も同じ事情で、お薦めのメニューをいただきに来ました。

玄関1
こちらが、国道56号線に面した玄関です。このお店は、お店の駐車場への出入りがやや困難です。


国道の左車線に止めて、そのままバックでお店の駐車場へ入れるには勇気とタイミングが必要です。


でも既に常連のお客さんもいるようで、店内は7部の入りでした。

店内2
店内はこの長いカウンター席と、後は主に4人掛けの椅子席です。


厨房に店主さん、その他フロアー係りの男性の2人体制でやっておられました。(前回は女性でした)


店主さんは前回にご紹介した通り、ラーメンの名店として名高い”らーめん工房 りょう花”さんで修行された方。

メニュー3
今回の”おーちゃん”さんのお薦めメニューは、”梅塩らーめん”でした。


ところが店内に入る前から、お店の外に”つけ麺”や”冷麺”の幟旗がはためいています。

しかも店内のメニューにも、”夏季限定メニュー”として”冷麺”や”冷し担々麺”など4種のメニューが並んでいました。


正直迷いましたが、ここは初心貫徹!”梅塩らーめん”を注文しました。お値段は650円。

ラーメン5
この画像は、前回いただいた”ゆず塩らーめん”です。この画像の下の下に、今回頼んだ”梅塩らーめん”の画像がありますが、外観は全く同じです。


チャーシューや他の具材も同じなら、その配置やレンゲのセットの仕方まで同じです。


スープのベースとなるものも、魚介系の塩ダレ味です。後は、梅の香りがスープにどう出ているか?でしょう。

冷やし鶏塩らーめん5
因みに、上の画像は今月13日にアップしたばかりの”らーめん工房 りょう花”さんの”冷やし 鶏塩 らーめん”です。


スープのベースは、このお店と似ていて魚介系の塩ダレ味。しかもウリは”すだちジュレ”です。この”すだちジュレ”が衝撃的に美味しかった。「”冷たいらーめん”ここに極まれり!!」っという感じでした。


更に、”りょう花”さんは””をスープの上に、形を崩さずに置いた。これは、””を解(ほぐ)しながら、梅の香がスープに広がっていく過程も楽しませようという趣旨に思えた。

梅塩ラーメン4
さてこの画像が、今回注文した”梅塩らーめん”です。


予感というか、梅の取り扱いに”りょう花”さんのイメージが染み付いていたので、この”梅塩らーめん”に”梅”が見当たらなかったことに戸惑った。


「ア、アア、アレ???梅はどうしたんだろう?」っと。

梅塩ラーメン5
それで、スープを啜ってみた。”旨い!!!”間違いなく美味しい。


しかも、このスープは塩ダレでないと合わない!っと思わせる出来でした。微かに”魚粉”の匂いがしたけど全く気にならない。魚粉には干しエビが入っているので、味に深みがある。


そして微かに”梅の香”がした。「ン???、これは”梅の酸味”に違いない!」と思った。でも””の姿は見えない。


「梅くん、君は何処に行っちゃったの?それとも、これは隠れんぼゴッコなの・・??」っと呟いた。

梅7
すると、「アハハハ、ここだよ、ココ!」っと、やっと梅くんが姿を表せてくれた。

そうなんです、””は予(あらかじ)め解(ほぐ)されてスープの底に沈んでいた。

「梅は予め、ちゃんと解してあったんですね!」っと店主さんに確認した。

「ええそうなんです。梅を丸まま入れると、スープに浸透しにくい、そう思ったんです。それで最初から解して、ウチのスープに馴染ませようと」っと店主さん。

これはこれで考え方だと思いました。店主さんには”梅塩らーめん”の完成形の味が頭にあって、それを最初から完成形で客に出された。

一方、”りょう花”さんは、梅を解していく過程で、梅の香のスープへの浸透の変化形をお客さんに楽しんで貰いたいと思った。(これは、あくまで素人的想像です)


かくして、結果として良店とも”梅の香”香る、夏に相応しいらーめんを作り上げられた。

麺8
”は細麺の縮れ麺を使われています。


これがスープによく絡んでいい具合に啜れるんです。らーめんを味わう醍醐味は、スープごと、ズルズルチュルチュルと下品に通じるかも知れないけど、豪快に啜りに啜ることだと思います。


チャーシューだって、口腔内でハラリと解けて、いい脂加減なんです。優れたメニューに仕上げられたと思いました。

完食9
そりゃあ、当然に”完食”ですよ。一滴だって、美味しいスープを器に残したくないじゃありませんか。


残すなんて勿体なさ過ぎます。これは、このメニューを薦めていただいた”おーちゃん”さんに感謝の意を表したいと思います。


また、迷いに迷った”冷麺”系は、後のお楽しみに取っておけばいい。楽しみを後に残してお店を後にしました。


何時もの様に、店主さんに玄関まで見送って頂きました。「ご馳走様でした!




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「再訪 155 うどん 五一」・「愛媛グルメ紀行」 586

今日の”再訪シリーズ”155番目のお店は、国道56号線沿いの保免中1丁目にある”うどん 五一”さんの二度目のご紹介です。


場所はおさらいですが、国道56号線がJRの線路をまたぐ高架橋を宇和島方面に向かって降りた辺りにあります。


このお店を初めてお訪ねしたには、2011年8月10日でした。”愛媛グルメ紀行”でもまだ106番目で、比較的早い時期にお訪ねしたことになります。(「うどん 五一」 ・「愛媛グルメ紀行」 106


ほぼ2年ぶりの訪問となりました。実はこのお店では”宿題”を頂いていたままでしたので、2年ぶりにその”宿題が出来た!”っという思いです。夏休みが終わって、二学期が始まる直前の子供に戻った気持ちです。

玄関1
こちらが国道56号線を市内に向かって走っていると、進行方向左手に見えるお店の玄関です。


そんなに目立つお店でではないので、うっかりすると通りすぎてしまいそうです。


前回お伺いした時、<勘定を払うときに「お店の名前の由来は何ですか?」とお尋ねすると、「特別なものはありません」>(前回記事より)っと言われましたので、今回はその忘れ物を取りに戻ったという感じです。

店内2
店内は24席の小体(こてい)なお店で、ご夫婦お二人でやっておられます。


ワタシがおじゃました時は、午前11時半でしたが、ご近所の老夫婦が仲良く食べておられました。


お客さんが立て込むというお店ではないかも知れませんが、実に堅実にコツコツやられているという感じです。

メニュー3
レキュラーメニューは、木札に書かれています。


ところが季節限定だとか、今お店でお薦めのメニューは、画像のポップ広告の様に手描きで書かれたメニューが表示されています。

五一うどん4
上の画像は前回お伺いした時注文した、お店の名前を冠した”五一うどん”です。


その時の食事感を以下のように書いています。< とにかく、今までに食べたことのない不思議な味のうどんであったことは確かです。>っと。


そして、うどんの加薬(かやく=具材)についても以下のように書いています。<肉うどんに入れる牛肉と、アゲ、カマボコ、野菜のかき揚げ、ワカメ、刻みネギに刺身のつまのような大根の千切り、そしてゆで卵半分です。>


そして<ゆで卵が入ったうどんは初めて食べました。もちろん、大根の千切りが入ったうどんも初めての味です。>っと。


実は前回の記事を再現したのは、今回も全く同様の食後感を抱いたからです。

冷し五一4
こちらが今回注文した”冷し五一”です。そうです、つまりお店の店名を冠した”五一うどん”の冷たい版なんです。お値段は520円。嬉しいお値段設定です。


一つ上の”五一うどん”の画像と、よく見比べて下さい。外観はほとんど同じです。加薬も。


今回はガラスの器で出て来ました。所謂(いわゆる)”ぶっかけ”の系譜に属するものでしょう。


加薬(具材)は、前回同様”ゆで卵”1個分(前回は半個分)を輪切りにしたもの。蒲鉾が2切れ。


刺身のツマのような、千切り差tれた大根。刻みネギ、キュウリの千切り、天かす、それだけです。極めてシンプルではありませんか。


拍子抜けがするほどアッサリしています。ちょっと””が欲しいと思いましたが、このお値段設定です。無理はありませんね。

冷し五一6
ただ、この状態では””が見えませんでした。ですから、どういう””を使われているのかを忘れていました。


ちょっと時間が出来ると、店主さんは寝かせて熟成させておいたものを、綿棒で伸ばしておられます。


もちろん、注文がある都度麺を湯がかれて、冷たいものはそれを流水で締められてから提供されます。新鮮であることは疑う余地がありません。

混ぜた7
そこで”ぶっかけ”系統ですから、例によって混ぜに混ぜました。すると、鮮やかに記憶が蘇りました。このお店の麺は”平打ち麺”だったことを。


今まで”うどん屋”さんも数多くお尋ねしていますが、”平打ち麺”を使っておられるのはワタシの記憶ではこのお店を含めて3軒だけです。


他の2軒は、元々松前町の国道56号線沿いにあって、今は久万ノ台の”松山中央卸売市場中央市場”の北東角の向かい側に移られた”手打ちうどん やしま”さん。(「再訪8 手打うどん やしま」・「愛媛グルメ紀行」 339


それに、その”やしま”さんのあった場所(松前町国道56号線沿い)でお店を出された”本手打ちうどん 一草庵”さんの2軒だけです。


しかも”一草庵”さんは、”やしま”店主さんの弟子筋だそうです。(なお、その一草庵さんは、現在は別の店名に変わっているとか)(「再訪62 本手打ちうどん 一草庵」・「愛媛グルメ紀行」 417

この件は、このお店をお訪ねした翌日に松前町まで確かめに行きました。その結果は、明日の記事でアップします。

麺8
この”麺”を御覧ください。上に書いた2軒のお店の””に極めてよく似ています。

「奥さん、この””は”平打ち麺”というより”きし麺”に近い幅広さですね」っと、お声を掛けてみました。

「そうよねー、ウチは手打ちじゃけん、どうしてもこうなるんよー」っと奥様。

その言葉を聞いて「奥さんは”南予”のご出身ではないですか?ワタシも南予出身なんです!」と追っかけてお尋ねしてみた。

「エ?分かるーー??お客さんは”南予”のどちらですか?」と。で、「ええ、東宇和郡野村町です!」と。

「エーーー、野村!じゃったら隣じゃねー、ウチは城川じゃけん!主人は松山の人やけど」っと、話が弾んだ。

そこで「前回来た時”五一”の店名由来を教えていただけませんでしたが・・・・」っと言い淀んでいますと。

「説明するほどのモンではないんよー。ウチ子供2人おるんやけど、その2人の名前の一字づつを取ってひっつけただけ」っと、やっとここで店名由来が分かった。

完食9
などとお話している間に”完食”しました。実に、実に不思議なうどんでした。何と表現していいのか?さえ思いつきません。


でも1つだけハッキリしていることは、この”うどん”はこのお店に来なければ絶対に他では味わえない、不思議な魅力を秘めた個性的な”うどん”には違いありません。


その”個性的”という表現も、自己主張が強くて嫌味が残るという類ではありません。ご夫婦のお人柄に沿った穏やかさを持ったうどんです。


お店の壁に”豚 つけ麺・限定”の文字がさり気なくありました。また一つ”宿題”が残りました。


このところ、ずっと”再訪シリーズ”を書いていまして、新しいお店には行けていません。でも、再訪してみて、初めて別の面が見えてくるケースが増えています。まだ当分はこのシリーズが続きます。




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「本手打ちうどん 白川」・「愛媛グルメ紀行」 587

今日は、、国道56号線沿いの松前町昌農内にある”本手打ちうどん 白川”さんをご紹介します。


実はこのお店、以前は”本手打ちうどん 一草庵”さんという店名で営業なさっていました。更にその前は、久万ノ台に移転している”手打ちうどん やしま”さんが営業なさっていました。


ところがある方から、最近になって別の店名になっているというコメントを頂いたので、確認に行ったという訳です。

玄関1
これが、現在のお店の玄関です。確かに店名は変わっていますが、建物も内装も何も変わったところはありませんでした。

しかも、店主さんも奥様も(奥様かどうかは確認していないので、間違っていたらゴメンナサイ)見覚えがあります。そこで「アノー、確か以前は”一草庵”という店名でしたね?」っとお尋ねしてみました。

すると、奥様が「ええ、そうでした。ただ山梨県とかあの辺りに、同じ店名のお店があって、そこが”商標登録”している店名だから、同じ店名は使わないようにという申し入れがあって・・・それで仕方なく・・・」っと。

だったら、このお店には三度目の訪問ということになります。最初は2011年8月19日でした。(「本手打ちうどん 一草庵」・「愛媛グルメ紀行」 112

2回目は、2012年11月14日でした。(「再訪62 本手打ちうどん 一草庵」・「愛媛グルメ紀行」 417

ただ、新しい店名に変わりましたので”再訪シリーズ”には入れません。

メニュー2
今日は冷たいメニューをいただきにきました。


更には”やしま”さんとのご関係、そして昨日記事でご紹介した”五一うどん”さんとの関係も確認しておきたかったのです。


と言いますのは、このお店も含めて3軒とも、松山では珍しい”平打ち麺”を使ったおられるからです。


注文は”冷し五目”にしました。お値段は堂々の愛媛価格である900円です。これは正直に言って高い!

冷し五目3
上の画像が、注文した”冷し五目”です。コレを見た途端に、初めてお伺いした時に注文した”五目”を思い出しました。お値段は850円でした。


うどんを入れる器、具材の種類、そしてその具材の配置までソックリ同じでした。


ただ違っているのは、麺を冷水で締められていることと、冷蔵庫で冷やされてる専用出汁の温度の違いだけです。

冷し五目4
このお店も、昨日ご紹介したばかりの”うどん 五一”さんと同様に、お客さんの注文を受けてかうどんを湯搔き始めます。


湯搔き終わったら、一旦流水でうどんのヌメリを取って提供されまいから、うどんが活きています。新鮮です。


ワタシはこういう茹でたて、締めたての新鮮うどんを”うどんの刺身”だと言っています。

ワカメ5
この”ワカメ”、大ぶりで分厚くふっくらと煮上がっています。


この”ワカメ”も新鮮ですから、さっとお湯に潜らせてワカメの色がグリーンに変わった瞬間お湯から引き上げて、醤油を垂らせば”ワカメの刺身”でいただけます。


大きな器(普通のお店の2倍近い大きさ)を彩る、配色の妙の役割も立派に担っています。

刻みあげ6
こちらは、お揚げさんを丁寧に刻んで、それを出汁で煮含めらた”刻みあげ”です。


出汁の旨味をたっぷりと吸って、そして微かに残った脂分が味に深みを与えています。


この”冷し五目”の具材は、どれも主役を張っていて、しかもお互いに補完しあってっているという理想的なキャスティングです。監督たる店主さんの工夫と技量の確かさの証でしょう。

天かす7
この”天かす”は、まるで”白雪姫”です。


あくまでも白く清らかで、うどん全体の気品を高めてくれています。


しかし、単なるお飾りでは決してありません。この”白雪姫”が溶けて解(ほど)けて全体の行き渡りますと、天ぷらを揚げた時の”エビの移り香”が残っていて仄(ほの)かに香るではありませんか。

椎茸8
そして、オールスター揃いの主役たちの中でも、やはり異彩を放ってその存在感を示しているのがこの煮含められた”椎茸”です。


どうです!この色と艶。見事でしょう。この味に重みと深みがある”椎茸”は、例えて言えばオーケストラの”通奏低音”を構成する楽器群の役割を担っているのだと思います。


通奏低音”パートというのは、多くはバロック音楽で演奏される演奏手法の一つで、低音部の旋律に和音を付けて演奏されて、重層的な音の構成の土台を成すパートです。


楽器で言えば、チェンバロやオルガンなどの鍵盤楽器と、リュート、ハープ、ギター、ファゴットやコントラバスなどです。(なお、ワタシは中学・高校とブラスバンドに所属していましたの)


ワカメが”海の香”だとすると、この”椎茸”は”山の香”です。それに”刻みあげ”は大豆という”大地の香”、それに”天かす”は”大地と海の香の融合”です。


ため息が出ます、まだうどんは1本も食べてはいないというのに。

麺10
まあ、この””の”色艶”と”照り”をご覧になって下さい!どうですか!

喉の奥が”ゴクン”と音がしませんでしたか。確かに”平打ち麺”ですが、”五一”さんのそれよりやや幅が狭い感じがしました。

でも、喉をうどん麺が通るときに、この”快感”。

この麺こそ、”愛媛の官能的な麺”に相応しいと実感しました。このお店については”ジンゴズンゴ”さんに提案しようと思っています。

完食11
そりゃあ、当然に”完食”しました!っと、素直に書きたいんです。

ところが、このお店のうどんの量は、普通のお店の約1.5倍。昨日の”うどん 五一”さんと比べれば明らかに2倍はあります。そこに並々とうどん麺と出汁が張ってあるんです。

”完食”するのには難渋しました。まるで拷問でした。でも、美味しいから残せないんです。

奥様に「ここのうどんの量は多いですね。久万ノ台に移られた”やしま”さんも多いけど」と、やしまさんとの関係をさり気なくお聞きしました。

「はい、ウチは”やしま”さんで修行をしましたから弟子ですね。確かに”やしま”さんも麺の量が多いですね。でもウチの方が、まだ多いかも。しかもソレを全部、お汁までも飲んで頂いて!」っと奥様にこぼれんばかりの笑顔が広がった。

なお”うどん 五一”さんとは関係がないようでした。

器12
このお店のうどんの器が尋常な大きさでないことを分かっていただきたいために、器を真横から撮ってみました。


どうです!この器の深さ!勘定をしようと立ち上がると、胃袋がチャプチャプと鳴りました。


久しぶりです、ここまでお腹一杯にいただいたのは。悪いのはこのお店の”美味し過ぎる”うどんのせいです。


すっかり”うどん”の魅力の虜(とりこ)になってしまいました。


店主さんと奥様の「また、ぜひお越しください!」という声に見送られ、心地よくお店を後にしました。





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「愛媛グルメ紀行」を振り返る 74

今週の土曜日も”愛媛グルメ紀行”シリーズを振り返ってみましょう。

今日振り返るのは、昨年の年初めにアップした220号から222号までのお店です。”イタリアン特集”を5回連続でしていたころです。


先ず最初に振り返るお店は、昨年2月8日にシリーズ220番目のお店としてご紹介した、南久米町のイタリアンレストラン”BAL COURNO(バール コーノ)”さんです。(「BAL COURNO(バール コーノ)・「愛媛グルメ紀行」 220

イタリアンの2店目のお店です。場所は、伊予鉄横河原線の久米駅から徒歩2分、ゴトービルの1階にあります。

今年の4月で開店3年目を迎えた、新しいお店です。でも今ではお昼時待っている客が出るほどの、人気店に育ちました。

玄関1 
お店の玄関の上には”イタリアン 旬菜”とあります。

店主さんの実家が農家で、季節季節の野菜を”旬”に合わせて豊富に提供したいという若きシェフさんの心意気が迸(ほとばし)っているお店です。

スープ4
さて、ランチメニューは3種のパスタから選べる”パスタランチセット”が用意されています。毎週火曜日に新しいメニューに代わります。

値段は890円(内税)です。選べるパスタの他には、サラダとスープのどちらかを選べる他、食後の飲み物も6種から選べます。それらの内容から言えば、極めてリーズナブルな価格設定です。

画像は当日のスープ”京ネギと豆乳のスープ”です。

この季節の”京ネギ”は、今が正に”旬(しゅん)”です。その甘さは、感激するほど。

スパゲティー6
さて、こちらは3種のパスタの中から選んだ”真イカとフレッシュトマトのイカスミスパゲティ”です。

コリコリに茹で上がった真イカは、茹で過ぎていないので、真イカの柔らかさとコリコリ感の丁度真ん中という出来具合。

イカスミ特有のネットリ感も味わえる上に、切り分けられたままのフレッシュなトマトの甘酸っぱさ、香りたつチーズと、幾層にも重なった味が堪能できます。

この他に、ご自分で毎朝自分で焼く”フォカッチャ”も付いています。

このお店、もちろん既に再訪しました。たった一度ですっかりファンになりました。再再訪も当然したいと思っています。


二番目に振り返るお店は、昨年2月8日にシリーズ221番目のお店としてご紹介した、砥部町高尾田の県道伊予川内線沿いにある”イタリアンキッチン&バー BUONO!(ボーノ)”さんです。(「イタリアンキッチン&バー BUONO(ボーノ)!」・「愛媛グルメ紀行」 221

お店の看板には、お店の名乗りを”笑顔になるイタリアン”と書いてあります。

場所は、愛媛県立医療技術大学前と言ったほうが分かりやすいかも知れません。

玄関1
県道沿いではありますが、通称トラック街道沿い。決して一等地という立地ではありません。

でもこのお店、何時も様々なお客さんで賑わい、笑顔が飛び交っています。

2005年12月オープンですから、丁度7年が経過し8年目に入ったお店です。

セット7
こちらが注文した”チキンのチーズ焼き ジンジャーソース”とライスのセットです。これに前菜的にパリパリに新鮮な野菜のサラダが付きます。

お値段は、750円+100円の合計850円(珍しく外税)です。

分厚く丸まるとした”チキン”、その皮がパリパリに焦げ目をつけて、皮の焦げた香ばしい匂いが、胃袋に直接届きました。

チーズの白と、チキンとソースの茶、そして野菜の緑が目にも鮮やかです。

ナイフで切り分けて口に運びますと、まあ何とチキンのジューシーなこと。決してぱさついてはいません。

お店の名前”BUONO!(ボーノ)”は、イタリア語で”美味しい!”です。

そのお店の名前に相応しいお料理でした。

当然にこのお店も再訪し、再訪記事もアップしました。このお店の一度でファンになりましたので、再再訪いたします。


最後に振り返るのは、昨年2月9日にシリーズ222番目のお店としてご紹介した、三津の住吉1丁目、”住吉橋”のたもとにある”リトルイタリア FLOR(フロア)”さんです。(「リトルイタリア FLOR(フロア)」・「愛媛グルメ紀行」 222

場所は、伊予鉄三津駅を下りて宮前川に出ますと”住吉橋”が架かっています。

その住吉橋を渡って直ぐ右手角の、喫茶アルプがある建物の2階にあります。

玄関1
このお店も、松山西地区のイタリアンのお店としてはすっかり有名なお店となっています。

ここに、美味しいイタリアン料理を食べさせていただけるお店があることを知っているお客さんで、昼時は直ぐに客席が埋まってしまいます。

ディナータイムには、予約をしておくのが賢明でしょう。

お店のホームページによりますと、シェフは28歳 の時にイタリアに渡り、フィレンツェの郊外のあるお店で料理を修行されたとか。シェフの料理の師匠は、そのお店の”ママン”(お母さん)さん。

パスタ6
パスタランチメニュー”は、7種のパスタから一つを選び、後はデザートや飲み物などをセットして注文します。

こちらが注文した”マリナーラ”(自家製アンチョビとトマト)です。

食後に飲み物とデザートがついている”Cセット”で、お値段は780円(内税)です。このお店も割安な価格設定になっています。

アンチョビ”は塩漬けした”カタクチイワシ”を発酵させて、オリーブオイルなどを加えたものですね。

/2103center/20120121132202c58.jpg" alt="パスタ6" border="0" width="600" height="450" />   ”アンチョビ”を自分で作るばかりではなく、近くに菜園をもっておられて、無農薬で野菜類やローズマリー、タイム、セージ、バジリコ、パセリ、ミントなどの”ハーブ類”を育てて、お店で使っているのです。

テーブルにパスタが運ばれた瞬間、アンチョビとオリーブオイルの芳しい香りが鼻腔に届き、胃を刺激してくれます。

このお店も既に再訪し、再訪記事もアップしました。このお店も一度でファンになりました。当然に再再訪します。



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プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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