「松山市の地名・町名由来」・ 「神田町・宮田町・久米窪田町・宮西町」 37

今日「松山市の地名・町名由来」の37番目は、田や当時の交通に関係している地名をまとめてご紹介しましょう。


なおこの37号が終わりますと、残り3回、つまり12月23日にアップ予定の40号でこのシリーズの幕を閉じようと思っています。


まだまだ多くの町や地区が松山にはありますが、ワタシらしい記事が書けるのの限界かな?って感じるようになってきたからです。

神田町表示1
さて上の画像は、「三津地区」にある「神田町」(かんだまち)の表示です。


日本の農業は、稲の伝来によって国の文化を形作るのに大きな影響を与えました。


その結果、日本には””に関係のある地名が数多く残っています。松山も例外ではありません。

山門1 
これは三津の「神田町」にある”厳島神社”の本殿です。


この”厳島神社”は、6世紀後半の”崇峻天皇”(すしゅんてんのう)の時代に、筑紫国(今の福岡県)の宗像大社の神を勧請したのが始まりとされています。


更に、文武天皇の時代(7世紀後半)、東山の地(現在の古三津地区新屋敷方面)に神殿が新築されました。


なお、”文武天皇”は”日本”という国号と、”天皇”という敬称を日本で初めて名乗った”天武天皇”の孫です。この時代のことは、来年1月1日から6回のシリーズでご紹介します。


つまり三津の”厳島神社”は、まだ今の日本が”倭国”と名乗っていた時代に起源を持つ、古い歴史と重みをもつ神社だということです。


その後、応仁元年(1467年)、湯築城にいた河野家宗家”河野通教”(こうの みちのり)と鋭く対立ししていた”河野氏”の分家”河野通春”(こうの みちはる)が神殿を造営し、更に慶長7年(1602年)、現在地へ移転されました。


その”厳島神社”がもっていた””が由来となって「神田町」となったのです。

宮田町バス停表示3
さてこちらは、「宮田町」(みやたまち)のバス停表示です。


この「宮田町」の町名由来も、神社がもっていた””に由来する町名です。


この神社がどこの神社であったのかは、正式には分かりませんが、ワタシの想像では後に出てくる”阿沼美神社”(あぬみじんじゃ)ではないかと思います。

宮西表示6
こちらは「宮西」(みやにし)を表す表示です。今は町がつかず、1丁目から3丁目に分かれています。


この「宮西」の町名由来も、神社が関係しています。

阿沼美神社7
その神社は、味酒町にある画像の”阿沼美神社”(あぬみじんじゃ)です。


松山の秋祭りを彩る”喧嘩神輿”の”八角さん・四角さん”で有名ですね。


「宮西」は、”阿沼美神社”の西にあることからついた町名です。元々は「辻」と呼ばれていた町です。

久米窪田町バス停表示4
さて画像は「久米窪田町」(くめくぼたまち)を示すバス停表示です。


高岡町の南にある「久保田町」(くぼたまち)の町名由来と同じですが、どちらも”くぼ田”、つまり窪んだ田や平坦な盆地にある””を意味する地名です。

久米窪田町田5
上の画像は、現在の「久米窪田町」の田園風景です。


別に窪んだところにある田には見えませんので、平坦な盆地にある”田”を意味する地名だと思われます。


次回「松山市の地名・町名由来」の38番目は、「森松町・竹原町・土橋町・梅本町等」をまとめてご紹介します。




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「再訪 186 四川の泰」・「愛媛グルメ紀行」 639

今日は、国道317号線につながる県道松山東環状線の、愛媛大学農学部西信号から西に入った”ベルエアー樽味”というマンションの1階にある中華料理店の”四川の泰”(しせんのたい)さんの、三度目のご紹介です。


一回目は2012年6月5日でした。(「四川の泰(たい)」・「愛媛グルメ紀行」 304


二回目は2013年3月13日。(「再訪 91 四川の泰(たい)」・「愛媛グルメ紀行」 494

玄関1
このお店は2012年4月に開店されました。この地以外にも、エミフル(松前町)のフードコート内と、シネマサンシャイン衣山のフードコートにもお店があります。


こちら樽味にあるお店は、一般住宅地の中にあり、県道などの主要道に面している訳ではありません。


中々微妙な立地ですが、以前にあった洋食屋”キートン”さんが撤退された後を、居抜きで借りてオープンされました。出店コストという点に大きな魅力があったのでしょう。

店内2
広い店内なので、ランチタイムに客が埋まるという状態ではありませんでした。


それは過去2回の訪問時と同じ状況です。さて、夜中心のお店なんでしょうか?


ワタシはお店の外に掲げてあった”海鮮宇和海チャンポン”の言葉と写真に引きつけられてお店に入りました。

外メニュー3
その”海鮮宇和海チャンポン”は、玄関前のこのメニュー看板にも大きく掲示してあります。


なお、店内のメニューには”宇和海海鮮チャンポン”と表示されています。お値段は、堂々の880円。


チャンポン”で880円という価格ですから、期待は高まります。このお店のキャッチコピーには、「宇和海の、海の幸を、ふんだんに使用して、二日間じっくり煮出した、白湯スープと、魚介スープ」というもの。


そもそも”白湯スープ”とは、魚介類豚骨などを強い火力で長時間煮込み、白濁させて仕上げたスープの総称で、上のキャッチコピーは、細かいことを言えば、白湯スープと魚介スープを分かち書きする性格のものではないはずなのですが・・・・・

チャンポン4
さて、上の外部看板メニューにあった写真の現物がこちら。


撮影環境が違いますので、単純な比較はできません。


当然に撮影用に盛りつけられたものと、目の前で”炎の芸術”と呼ばれる華麗な”中華鍋”捌きで瞬時に作られて盛りつけられたものが同じになるはずもありません。


なお、ワタシは一人ですのでいつもの様にカウンター席に座った。従って調理過程が目の前で展開され、それをジックリ観察できた。お見事だと思った。その動きに一部のムダもない。


何度も何度も味見されて、丁寧に作られた。カウンター席で観察するだけでははく、調理人さんに話しかけてその意図をも汲み取ったらどうか?とアドバイスを頂いた方がいた。


でもランチタイムの忙しい時に、調理人さんに話しかける方が失礼だと、ワタシは考えている。

チャンポン5
白湯スープ”は、ラーメンやチャンポンでは一般的に使われているスープです。


チャンポンがカウンター席に運ばれてきた瞬間から、豚骨と魚介のいいスープの香りが一斉に鼻孔を襲う。


自然に笑みが漏れる。スープと麺と具材の見た目ももバランスもいい。食べる前から美味しさを予感させてくれた。

チャンポン6
スープを啜っった。うーーーん、味に深みがある。いーーーいスープです。


具材は、白菜、ニラ、玉ねぎ、人参、ブナシメジ、カマボコ、じゃこ天、イカ、むきエビ、タコ、ヒオウギガイの貝柱とその紐、うずらの卵です。


ただし、これで”宇和海海鮮チャンポン”と謳(うた)うのは、うーーん、ちょっと大げさかな?個人的にはそう思った。

アップ7
もちろん、具材も豊富な種類を投入したし、愛南町で養殖されている”ヒオウギ貝”の貝柱やじゃこ天など、宇和海を意識されて使われていることは分かります。


でも、これで880円という価格はいかがか?(具材のメインはじゃこ天とかまぼこでしかない)


広い店内に店員さんも多い。空間を贅沢に使ってある店作りなので、コスト高は否めないところでしょう。


さあ、これで消費税が10%に上がってどうなるか?価格的には、お客さんを惹きつける更に大きなインパクトが必要かもしれませんね。

麺8
”もいい麺を使っておられて美味しかった。味については全く不満はない。


価格については、ちょっとどうなか?と思った程度。


でも、それら以前に気になったことが二点ある。

カウンター9
その第一点がこのカウンター席の、メニュー表の取り扱い。


長いカウンター席に、全部で4セットのメニュー表が置いてあった。一番奥にあるメニュー表は、先客の器を下げる時に、乱れを整えられた。


その帰りに、他のメニュー表の乱れに気が付かない。店員の誰も、揃えようとはしない。些細なことかも知れない。


そこで以下の画像を見ていただきたい。

店内2
これはラーメン店の”りょう花・フライブルグ店”のカウンター席です。(「再訪 146 らーめん工房 りょう花」・「愛媛グルメ紀行」 575


画像ではメニューが2セットしか写っていませんが、このお店も確か4セット程同じカウンター席に置いてあった。


とことがこの”りょう花”さん、記事にも書きましたが、メニューの表面を全部同じメニューで統一して表示されている、もちろん乱れも曲がりも全くない。


店員さんが細かくチェックさて、何時も「今、このお店はこのメニューをお薦めしています」というお店のメッセージが客に伝わるように気を配れていた。この”りょう花”さんは、その点が大変優れていた。


もう一点気になったのは、レジ奥の店員同士の私語が延々と続いていた。従業員に既に”気の緩み”が出ていたように思えるのですが、店長さんはそれすら気が付かない。ましてやカウンター席のメニュー表の乱れなど、無関心なんでしょう。


このお店は、”味以前”に大きく欠けているものがある、というのがワタシが感じたところ。余計なことだったのでしょうが、小さい声で、副店長さん格に、上の二点、「ちょっと気を配られたほうがいいのでは?」っとだけお伝えしてお店を出た。


「うるさい年寄りが!」っと立腹されたか?それはわからない。


さて、果たしてこのお店に”将来”はあるのでしょうか?飲食店がそれほどイージーだとは思えないのですが。




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「博多之風 らーめん大郷」・「愛媛グルメ紀行」 640

今日は、国道56号線沿いの、大洲市若宮にある”博多之風 らーめん大郷”をご紹介しましょう。帰郷した帰りに寄りました。


このお店、隣にあるうどんとそばのお店”水郷”さんとは同系列のお店のようでした。この地のお店を出されて12~13年だそうです。


このお店の存在を知ったのは、ブログをリンクさせていただいている”大洲のひで”さんの以下の記事でした。(大洲市若宮「博多乃風 らーめん大郷」にて、寒さを吹っ飛ばす昼飯!

玄関1
こちらが、国道56号線の面したお店です。


お隣の”水郷”さんを併せれば、うどん・そば・ラーメンの日本の”三大麺”を扱っておられるお店です。


松山でも、”三大麺”全てを同じ敷地内で扱っておられるお店はないと思います。そういう意味では”大洲市”を代表する”麺王国”を形成されたお店なんでしょう。それはそれで”凄い”と思います。

薬味入れ2
このお店は、”大洲のひで”さんの記事によると、”博多ラーメン”を全国区に押し上げた”一風堂”さんの流れを組んでいるそうです。


このシリーズを書き始めた頃は”豚骨ラーメン”は苦手ですしたが、今はそんなことは全くありません。(久留米ラーメンを除けば)


ただ、””こそ”千差万別”、”万人幾万別”の世界です。個人的嗜好の最たるものの世界が”味の世界”です。


このお店はいかがでしょう。期待してお店に入りました。ただしカウンター席の、”博多ラーメン”をウリにしているお店には付き物の、”高菜”や”千切り紅生姜”を入れている容器のフタの乱れ!


些細なことです。


些細な事ではありますが、「些細な事だからいいではないか、気にすることではない!」っと、考える人と、「些細な事すら出来ないお店はどうなんだ?」っと捉える人との価値観の相違でしょう。ワタシは、ちょっと気になりました。

メニュー3
さてこのお店は、年齢、性別を超えて万遍ない客層に支持されているようにお見受けしました。


店員さんの元気な声が飛び交っています。


そこで、ワタシは一人客ですから厨房真ん前のカウンター席に座りました。

ニンニク投入
注文したのは”野菜たっぷり”とキャッチコピーされた”とんこつチャンポン”です。お値段750円です。


ここでちょっと予期していなかったことに遭遇しました。お店の方が、「ニンニク、抜かれますか?」っと言われたのです。


いままで経験したことがない質問でしたので、「いえ、抜かなくても結構です」っと答えました。


すると、上の画像です。”とんこつチャンポン”が出来上がって席まで運ばれてきた時、いきなり目の前で”ニンニクすり潰し器”のようなものに、”生ニンニク”を入れて、チャンポンが入っている器にぎゅう~っとすりつぶして投入されました。


一瞬の出来事でしたので、やや呆然としました。ワタシは勝手に「ニンニク入り」は、調理の過程で野菜などと同時に調理されて混入しているとばかりに、思い込んでいたからです。

とんこつチャンポン5
そういえば、松山にある”一風堂”さんのテーブルにも、”生ニンニク”を置いてあって、それをする潰す画像の器具も置いてあったことを思い出しました。


ただ松山の”一風堂”さんは、お客さん各自がその行為をやっていたような・・・・・


そこで慌ててスープをレンゲで掬って飲んでみました。「アハ~~・・・・美味しいスープがダイナシになった!」っと、これが正直なワタシの感想です。


でも、逆に「ナマのこれをこうやって、たっぷり潰し入れなきゃ、”博多ラーメン”じゃないよな!」って思う方もいることでしょう。単なる個人的嗜好の問題に過ぎません。

とんこつチャンポン6
さて、注文した”野菜たっぷり”とキャッチコピーされた”とんこつチャンポン”、750円です。


昨日アップしたばかりの”四川の泰”さんでいただいた”宇和海海鮮チャンポン”のお値段が880円でした。


そしてそのお値段設定に、いささか疑問を呈したばかりです。


ですが、このお店の”とんこつチャンポン”のお値段設定、750円と比較しますと、”四川の泰”さんの”宇和海海鮮チャンポン”のお値段設定が、その”内容面”に於いてどうやら割安ではなかったか?ということに気付かされます。


このお店の具材は至って平凡。チクワ、カマボコ、イカゲソ、豚バラ、後はモヤシとキャベツと玉ねぎと長ネギ。これで750円なら、昨日の”宇和海海鮮チャンポン”の方が、内容的にはお得なのではないか?


味につきましてば、冒頭でも書きましたように”千差万別”の世界ですから、一回食べたくらいで他のお店と比較して甲乙をつけることなど出来ないでしょう。

アップ7
ただ生ニンニクよりも、気になったのが、器の表面全体に見える”黒いつぶつぶ”でした。


考えられることは、”黒胡椒”を粗挽きしたものでしょうか。


そのことを確認することは、三連休の最終日の正午。お客さんが多くて、厨房内はてんてこ舞いでしたのでできませんでした。

麺8
”は、美味しかった。いい”麺”を使っておられると思った。


特別な食材を使っておられるわけではありませんが、スープ、麺、具材、味付けのそれぞれにバランスが取れているという印象です。

一口餃子9
ワタシが注文したもう一つの品が上の画像。博多名物の”一口餃子”です。お値段320円。


餃子の皮(ピー)がカリカリで、手軽に食べることができるサイズです。


けっこう刺激的な味に仕上げてありましたが、難なくペロリと平らげました。ただ、皮が結構焦げていました。こういう焼き方が、このお店の流儀なのでしょうか?


やはり地元の人気店だけあって、顧客の回転率もよくて、活気に満ち溢れていました。店員さんたちの挨拶の声も小気味いい。その人気ぶりがうかがえました。




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「再訪 187 焼き肉 井ノ口」・「愛媛グルメ紀行」 641

今日は、伊予市下吾川にある”焼肉 井ノ口”さんの二度目のご紹介です。


最初の記事は、2012年12月3日でした。(「焼肉 井ノ口」・「愛媛グルメ紀行」 429


その時いただいたのは、”チャンポン焼きそば”でした。その時の印象をこう書いています。<”チャンポン焼きそば”は、実にシッカリ味付けがなされています。人によっては”辛い”と感じるかも知れません。辛さの元は、塩味と胡椒。>


<でも、ワタシは好きな味の一つでした。第一、チャンポンのスープで炒められているのですが、そのスープの味が美味しかった。汁沢(つゆだく)の、ちょっと他所では味わえない個性的な味です。>(前回記事より引用)



そこで、次に来る時は”チャンポン”にしようと決めていました。

玄関1
こちらがお店の玄関です。注文しようとメニューを見ていると、店主さんがお水を運んでこられました。


そこで「アノー、国道56号線沿いにある”みかさ”さんとはご親戚ということですが、あのお店の”中華そば”にはモツがいっぱい入っていて個性的な味でしたが、あれと比べるとこのお店の”チャンポン”はどうなんでしょう?」っと、お尋ねしてみました。


すると「ええ、ウチのチャンポンにもモツが入っていますが、あのお店ほど大量ではないし、第一ウチの方が薄いというかアッサリしているというか・・・・」っと店主さん。

メニュー2
「じゃあ、このお店の”チャンポン”お願いします。実は前回来た時にいただいた”チャンポン焼きそば”が随分美味しくて、次に来た時は”チャンポン”って決めていたんです」っとワタシ。


すると店主さん、笑顔で「以前も来ていただいた。それはどうもありがとうございます。じゃあ今日は、”ウチのチャンポン”試してみますか?」っと答えられた。


そして、注文を厨房に通した後持ってこられたのが下の画像のもの。

伊予市料飲組合パンフ3
「お客さんのように、色々食べ歩かれている方にぜひご覧になっていただきたいものがあります」と言って、手渡されたのが上の画像。


「これは、伊予市の飲食店全部ということではなく、”料飲組合”に入っているお店を紹介したマップなんです」っと店主さん。


マップの裏表紙に画像入りで紹介されているお店が18店、伊予市のマップの上に配されて記されているお店が50店掲載されているものでした。


「これはありがたいですね!ここに掲載されている”川崎屋”さんや”味芳”さん、更には”ラーメン館 麺人”さんなど行きました。」っとワタシ。


そこで店主さんと、ひとしきり伊予市の飲食店業界の話で盛り上がりました。

チャンポン4
そこに”チャンポン”が運ばれてきました。他のお客さんも入ってこられたので、店主さんとのおしゃべりを終えて、”チャンポン”にとりかかることにしました。お値段は、何と550円です。


一昨日の”四川の泰”さんのそれが880円、昨日の大洲の”博多之風 大郷”さんのそれが750円でした。それらとは比較にならぬ位に安い。


終戦からしばらくした後で開店されたこのお店や、ご親戚の”みかさ”さん、「安い値段で、栄養のあるものを食べて欲しかった」っと、ラーメンに安い”鶏のモツ”を入れられた。


今は、逆に豚肉よりモツの方が仕入れが高くなってしまったけれど、その当時の意思というか伝統を崩すことなく今でも”鶏のモツ”を使っておられる。

そば5
上の画像が、ご親戚の”みかさ”さんで出しておられる”中華そば”(「中華そば専門店 みかさ」・「愛媛グルメ紀行」 198


みかさ”さんは、これを単に”そば”と掲示してあってほとんどのお客さんがこれを注文されています。お値段は650円でした。


確かに外見はよく似ていました。ただこの画像の”中華そば”、強烈な個性を放っていました。ちょっとワタシは苦手でした。

チャンポン5
それに比べると、このお店の”チャンポン”は、随分優しい味でした。全く抵抗なく、スルスルいけました。


スープがまろやかで美味しんです。具材のメインは、あくまでも大量の野菜です。


野菜の甘さが、スープに出ていて、スープと麺と具材のバランスが極めていい。皆、仲良しなんです。

アップ7
深い器に入っていますから、見た目より量はたっぷりです。


でも、驚くほどスルスル入っていく。”チャンポン”ばかり3店続けましたが、個人的な嗜好で言いますと、このお店の”チャンポン”が一番馴染みました。


しかも、圧倒的にこちらのほうがお安い。飲食店の値段の付け方は、素人では理解できません。

モツ8
この画像が、”鶏のモツ”です。”みかさ”さんほど強烈に自己主張されていません。


オレ様が主役なんだ!”っとばかりに、他を圧倒することなく、皆と仲良く手をつないでニコニコしている風でした。


やはり、食品はバランスなんだな!って納得させられる”チャンポン”の出来でした。

麺9
”は、しっかし腰があって、いい”麺”を使っておられることがうかがえます。


もう夢中でいただきました。量的にはかなりありましたが、アッという間に全部胃に収まりました。


満足しました。ニコニコ食べているワタシの様子を、店主さんが厨房から覗いて笑顔で見ておられました。

完食10
そりゃあ、アッという間に”完食”ですよ。


この3日連続で”チャンポン”を続けました。


気が付かれた方がいらっしゃるかも知れませんが、その3軒の中で、空っぽになった丼を画像でご紹介したのはこのお店だけです。


つまり、他の2店は完食できなかったということです。量的には、このお店が一番多かったのですが、気が付かぬ内に”完食”していました。


”って、正直ですね!




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「再訪 188 手打ちうどん ぎゃてい」・「愛媛グルメ紀行」 642

今日は、先月の11月12日にアップしたばかりの、国道33号線沿いにある”砥部町庁舎”の隣にある”手打ちうどん ぎゃてい”さんを再度ご紹介しましょう。


短期間で再訪したのは、”ぎゃてい”という店名の由来に迫りたかったからです。


前回の記事の最後に、<ところで”般若心経”というお経の一節に、「羯諦羯諦 波羅羯諦」(ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい)というのがあります。ここに「羯諦」(ぎゃてい)という言葉が使われています。>(前記事より引用)


<この「羯諦」(ぎゃてい)という言葉の意味は、「羯」は、行きなさいという意味、「諦」は、悟りの世界という意味です。つまり「悟りの世界にいきなさい」という意味です。さて・・・・・>(前記事より引用)

玄関1
こちらが、国道33号線沿いではなく、砥部町役場側にある玄関です。


この日、お訪ねしたのは平日(火曜日)の午前11時40分。


まだ店内は、お客さんが集中する前でした。ですから、店主さんなど、お店の方と多少お話が出来ました。

配席表2
前回の記事で、このお店の優れたポイントと、更に考えに考え抜かれたシステムをこう書いております。


<このお店は、店主さんと若い男性の2人でやっておられます。ですから徹底的に省力化され、2人で全てのお客さんの注文に対応できる”仕組み”を作られました。>(今回は、若い方に変わって、ワタシよりやや年下の男性との組み合わせでした)


<とことんセルフサービス体制に徹せられていて、うどんの価格もセルフサービス店のソレです。ただし、このお店は、お店の中でうどんを打たれ、直ぐに湯がかれ、湯がかれたものが”活きた状態”で出されます。>っと。


このことが、このお店の”コンセプト”だと思いました。

食券販売機3
これは、その”安価でセルフだけど、活きたうどんを食べていただきたい”という店主さんのコンセプトを象徴するものの一例でしょう。


つまり”食券販売機”です。


これで、このお店のメニューラインナップと、その価格帯が意味するところを御覧ください。


店主さんに話しかけてみました。丁度、お客さんが途切れ、お店には店主さんともう一人の男性スタッフ、それに新たにお店に入ってこられた、お店の関係者と思しき若者とワタシの4人になったからです。


お店のランチタイム、繁忙時間帯に店主さんに話しかけるなどのマナー違反は意識して謹んでいます。


「お店の店名”ぎゃてい”とは、”般若心経”(はんにゃしんぎょう)の「羯諦」(ぎゃてい)という言葉と関係しているではありませんか?」っと。

ざるうどん4
すると、ワタシの言葉に一番鋭く反応されたのは、後からお店に入ってこられた、お店の関係者と思(おぼ)しき若者でした。


ウッ!」っと、一瞬詰まられました。そして「お客さん、鋭いですねーーーーーー!」っと、大きなため息をつかれた。


店主さんも「ええ、その通りです。正に”羯諦羯諦 波羅羯諦”(ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい)の”羯諦”(ぎゃてい)です」っと、驚愕の表情を浮かべられた。


「なるほど、このお店のコンセプトを想像すれば、”羯諦”(ぎゃてい)、即ち”悟りの道に行きなさい”、この”うどんで悟りの境地を目指したい”という、店主さんの思いは存分に伝わります」っと、ワタシ。

ざる5
この”生き生きとした活きうどん”を、まあご覧になって下さい。画像のものは、”ざるうどん”でお値段350円(二玉)です。


生きたままの鮮魚を”活魚”と呼ぶなら、まだ生きている(鮮度を失っていない)うどんを”活きうどん”と呼んで、何ら差し支えないでしょう。


店名を”ぎゃてい”とされ、安い値段でピチピチ艶やかな”活きたうどん”を提供なさる、そこに店主さんの目指されている”悟りの世界”を見た思いがします。


「フーーー、旨いですねーーー、うどんがまだ活きていますね!」っと言いますと、店主さんは満面の笑み。「分かっていただいてうれしいです」という表情に見えました。

天ぷら6
なお、前回来た時も”天ぷら”をいただきましたが、その天ぷらを揚げるシーンには出会いませんでした。


その時は、目の前で”かき揚げ”を揚げておられました。また、鶏天は揚げ置きだったことは書きました。


でも”えび天”がどうだか?の確認が出来ていませんでしたので詳しくは書きませんでした。結論は、”えび天”は”鶏天”と同じく揚げ置きでした。


でもあ揚げられてから、そう時間は経っていません。気にする程のものではありませんでしたので、美味しくいただきました。

つけ出汁7
こちらは、やや濃厚目の”つけ出汁”です。でも、国産の昆布とイリコと鰹節等の天然素材で丁寧にいい出汁をとっておられます。


それに、薬味に刻みネギやおろし生姜はもちろんですが、おろし大根や天カス、酢橘、すりゴマ等々もちゃんと用意されていて、その”つけ出汁”一つを取ってみても、広範囲な気配り加減が見て取れます。


安い”セルフうどん業態”をチェーン展開させ、全国のあまねくに”安いうどん”を提供するということも、もちろん社会的意義があるでしょう。


でも、”本当に活きたうどん”、旨いうどんというものはこういう味がするんだ!ということを地道に実践されている店主さんに、ワタシはより深い敬意を表したいと思います。

麺アップ8
どうです!このうどん麺の”色と艶と張り”。もうとびっきりピッチピチでしょう!


ワタシが提唱している”愛媛艶うどん”の系譜からすると、その”男麺”を代表する””であると思います。


この”ざるうどん”二玉をぺろっと食べ終えて、「店主さん、今日は”ぶっかけ”もいただきたい気分なのですが、通常に頼めば”ぶっかけ”も二玉ですよね?」っとお尋ねしてみた。


「はい、うちの基本は二玉ですから。でもいいですよ!ちょっと少なめにお出しすればいいんですね!」っと、ワタシの意図をスッと汲み取って頂けた。ありがたい!

ぶっかけ9
さあて、上の画像が”冷たいぶっっかけ”(心持ち少なめ)、お値段350円です。


ワタシこの”愛媛グルメ紀行”を書き始めて、この号で延べ642番目ですが、一つのお店で二つのメニューを一時(いちどき)に”はしご”したのは初めてです。


ワタシのブログ友で、一つのお店で二つ以上のメニューを”はしご”しなかったことがないという友人もいますが。

ぶっかけ10
この”真っ白な柔肌”に”艶然”(えんぜん=あでやかに微笑むさま)と見つめられたら、そりゃあ、吸い込まれるように向かいますよ。


何時も言うことですが、”優れた食品”とは会話が成り立つ。でもこの艶(あで)やかな”柔肌”さんとの会話は、ここでは公表しないことにしました。


そ、「二人だけの  ヒ   ミ   ツ・・・・・・」っと。




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「愛媛グルメ紀行」を振り返る 87

今週の土曜日も”愛媛グルメ紀行”シリーズを振り返ってみましょう。

今日振り返るのは、昨年の春にアップした259号から261号までのお店です。

先ず最初>”に振り返るお店は、昨年4月3日にシリーズ259番目のお店としてご紹介した、花園町のアーケード街にある”カフェテラスレストラン あむーる”さんです。(「カフェテラスレストラン あむーる」・「愛媛グルメ紀行」 259

昔懐かしいスタイルの本格的喫茶店で、レストランメニューも豊富です。この地に開業して、はや30年が経過する老舗(しにせ)のお店です。

玄関1
花園町アーケード街は、アーケードの修繕が長い間できていませんので、アーケードの天井には錆が目立っています。

しかも、閉店したままになっているお店もあって、必ずしも活気溢れる・・・とは言いがたい街で30年も続いてる理由はどこにあるのでしょう。

店内を流れるBGMは、”ジャズのスタンダードナンバー”です。

お店の窓はステンドグラス、どれをとってもワタシのような年代には懐かしい。

ホタテドリア5
注文したのは”ホタテドリア”で、お値段は800円(内税)です。

ワタシの感覚では、お手軽なランチメニュー価格とはちょっと言えないのですが、そういうメニュー構成と価格帯でも30年続いている秘密はどこにあるのでしょう。

お昼の12時を過ぎますと、首に社員証をぶら下げた周辺の大手企業のサラリーマンや官公庁の職員が花園町に溢れています。

これらの職員さんたちお昼の憩いの場所として、花園町アーケード街に完全に溶け込んでいるお店です。

その当たりが、30年間も続いている秘密の一つかも知れないですね。

ただ”再訪はしません”。ワタシは喫茶店で食事をする習慣がないからです。


二番目”に振り返るのは、昨年4月4日にシリーズ260番目にご紹介した、山越4丁目の国道196号線沿い”河上ビル地下”にある”オロチョンラーメン”さんです。(「オロチョンラーメン」・「愛媛グルメ紀行」 260

こんなにラーメン屋さんの数が増える前からある、一種の”老舗”ラーメン屋さんでしょうか。

こちらは、山越から姫原を通って北条に至る国道196号線沿いにありますが、お店はラーメン屋さんにしては珍しくビルの”地下”にありますから、知っている方でないと行きにくいかもも知れないですね。

看板1
この看板に、このお店の正式な店名である”maricaricurica(マリカリクリカ)”と表示してありますが、正式名称で覚えておられるお客さんはいるのでしょうか?

夜は”もつ鍋”や”焼肉”などで一杯飲む居酒屋になるようですから、普通のラーメン屋さんの雰囲気とは違っています。

ラーメン5
さて、こちらがお目当ての”オロチョンラーメン”です。

スープは”豚骨ベース”ですが、九州のラーメンに見られる豚骨特有の”匂い”は全くありません。お値段は、690円(内税)です。

このラーメンの特徴は、何と言っても”大量の唐辛子”と”モツ”と”ニンニク”です。

真っ赤に盛り上がった”唐辛子”も、想像では韓国のものを使っているのではないかと思うくらいに、辛いけど奥深い辛さ、ちょっと甘みすら感じる上質な辛さです。

辛さは全く気にはならず、むしろこのラーメンの重要なポイントとなっています。

でも”再訪はしません”。メニューの数が少ないからです。


最後”に振り返るお店は、昨年4月5日にシリーズ261番目のお店としてご紹介した、東石井3丁目の住宅街の中にある”お食事処 おらんだかん”さんです。(「お食事処 おらんだかん」・「愛媛グルメ紀行」 261

場所は、”寺子屋本部”、そうあの”ユーフォー”の外観で有名な建物のまん前にあります。

玄関1
こちらがお店の玄関の様子です。外観は一種の”居酒屋”さんです。

事情をおうかがいしましたところ「いえねー、元々は”喫茶店”やったんヨー!ここで喫茶店始めタンが、59年やケン、もう30年(正確には28年前)近く前ヨ!」っと。

中華そば5
こちらが注文した”中華そば”。お値段は550円(当然内税です)です。

スープを飲んでみると意外とアッサリしていて美味しいのです。

「スープがアッサリしていて美味しいですね!」っと声を掛けると。

「そりゃあソーヨ!”ラーメン”やないんやケン!”チューカそば”やケンネ!」とはママさん。

でもこのお店は”再訪しません”。お昼にいただくメニューが少ないからです。




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「松山市の地名・町名由来」・「森松町・竹原町・土橋町・梅本町等」 38

今日の「松山市の地名・町名由来」シリーズは38番目、この号を終われば、後は来週の39番目と再来週の40番目でこのシリーズを終えることにします。


今日の「松山市の地名・町名由来」シリーズは、主に”植物”や”施設”に由来する町名です。

森松町バス停表示1
こちらは、国道33号線が砥部町方面に伸びていますが、その砥部町との町境にある「森松町」(もりまつまち)を示すバス停表示です。


「森松町」の”森”には”岡”という意味があって、それが区画された岡を意味するといいます。

森松町風景2
この画像は、重信川の土手沿いの道から写した「森松町」の一部風景です。


うーーーん・・・・・”区画された岡”が「森松町」の由来だそうですが、この画像だけはちょっとピンとはきませんね。

築山町表示3
こちらは”県立松山東高等学校”の南にある「築山町」(つきやまちょう)を示す表示です。


この「築山町」には、松山藩の”お囲い池”があり、この池の築山が町名由来となりました。


この辺りは、松山藩のお花畑(松平家の別荘)があって、その中に石手川の豊富な伏流水を引き込んだ灌漑池(かんがいいけ)が掘られていました。

築山町青少年センター4
その”お囲い池”は、時代が下って、寛政9(1797年)年藩主”松平定国”が大洲藩より”伊東祐根”を招き、藩士に神伝流の水泳指南を行い、松山藩の水練場としても利用されていたといいます。


その伝統が、明治にこの池が松山市に寄付され、松山市高等小学校の水泳場になり生きました。


昭和37(1962年)年、松山市が埋め立てて後に、現在”松山市青少年センター”が建てられています。

土橋駅5
さて、この画像は伊予鉄郡中線”土橋駅”の表示です。


「土橋町」(どばしまち)の由来は、「千舟町」の町名由来の時ご紹介した”中の川”が関係しています。(「千舟町由来 15」・「再訪 128 ラ・セーラ 」・「愛媛グルメ紀行」 554

土橋町中ノ川6
これは、現在の”中の川”の様子です。松山市コミュニティーセンターの南側で撮りました。


この”中の川”に土を盛った木の橋が架かっていたことから「土橋町」という町名がつきました。


今の時代では、ちょっと想像できませんが。

梅本町表示7
ドンドン行きます。画像は”梅本町”(うめもとまち)を示す表示です。


現在は「北梅本町」(きたうめもとまち)と「南梅本町」(みなみうめもとまち)の2つの町に分かれています。

梅本町小野川8
この「梅本町」の町名は、”埋元”が由来です。


どういうことかと言いますと、画像の”小野川”から流れてきた土砂で”埋まった土地”という意味です。


別の説もあって、江戸時代にこの地には”梅林”が広がっていたからという説です。どちらが本当なのかは分かりません。

竹原町バス停表示9
上の画像は「竹原町」(たけわらまち)を示すバス停表示です。


この「竹原町」は、複雑な別れ方をしている町です。単独の「竹原町」以外に「竹原町1丁目」という町があり、更には下に町がつかない「竹原」もあって、こちらは2丁目から4丁目まであります。

竹原町風景10
こちらが現在の「竹原町」の風景。


ここ「竹原」は、むかしたくさんの””が生えていたから、それが町名由来になりました。


ただし別説もあります。それは、「竹原」は”高原”が転訛(てんか)したものという説です。本当のところは分かりません。


次回「松山市の地名・町名由来」の39番目は最終回の一回前の号で、「屋敷町と町人町の、それぞれの町づくり」と題したものをご紹介します。





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「麺家 なかむら」・「愛媛グルメ紀行」 643

今日は、丁度1ヶ月前の”11月10日”に開店されたばかりの”麺家 なかむら”さんをご紹介しましょう。


場所は国道196号線沿いの谷町にあります。この場所には、以前記事として採り上げた事がある”中華厨房 友”さんがあったところです。(「中華厨房 友」 ・「愛媛グルメ紀行」 165


このお店の情報は、ブログで時々互いにコメントを交換しあっている:”のしうめ”さんの11月13日の記事でした。その記事を読んだその日に訪問したという訳です。(「麺家なかむら」さん 2店舗め 昨日オープン ♪


つまり、このお店が開店されて3日目にワタシも訪問したことになります。

玄関1
なるほど”のしうめ”さんが書いておられた、店名の頭に”Rock’n Roll”の文字が冠してあります。


そして店名の後にも何やら”THANKS”の文字が表記してあります。つまり、”ロックンロールとサンクス”です。


”サンクス”にしても、単純に和訳すれば「ありがとう」ですが、ロックンロールと絡めばどういう意味なのか?

店内2
店内の壁には、ワタシには意味がわからないTシャツが飾られています。お店の奥には、プロレス興業のポスターなども見えています。


雰囲気的には、一種独特のものが漂っていました。それに第一、男性店員の挨拶の声が、異様に大きい!叫んでいるかのよう。


ところが、その日訪れていた店員の関係者さんと思える女の子2人組には「ここが終わったら、その足でパチンコしに行くンヤロー!」っと、これも異様に優しい声で話しかける。

メニュー3
お店の事情のことは考えないことにして、メニューを見た。そのメニューのまあ何とシンプルなことと言ったら!


のしうめ”さんの記事にコメントされていた”ファットマン”さんによればこのお店の本店は、三番町と千舟町通りの間にあって、ある意味”夜の街の人気ラーメン店”だとか。


とすると、夜の飲み客の〆の一杯を提供するラーメン屋さんスタイル。メニューの極めてシンプルなこともうなずけます。


そしてこのお店の特徴は、上に掲げた単品メニューにあるのではなく、単品メニューの裏に表示してある”セットメニュー”をウリにしようとしておられるようです。


例えば、単品であれば690円の”塩ラーメン”に、後100円プラスして790円払えば、”餃子”(5個)あるいは”鶏から”(3個)が付いて、ご飯もサービスという。

塩ラーメン4
さて、そこで”のしうめ”さんに見習って”塩ラーメン”の単品を注文しました。690円です。


お店の女性は”セットメニュー”がお得だと、薦めていただきましたが。


それで運ばれたのが、上の画像の”塩ラーメン”。

塩ラーメン5
先ず見た目が、”シンプル&ビューティフル”ですねー!出汁のいい香りが一斉に漂ってきます。


具材は、チャーシューと湯がいたモヤシと刻みネギだけという、最小限に抑えられています。


これで十分だと思うんです。「過剰な飾り立てなど全く不要!」というお店のスタンス、これには同感です。

アップ6
スープの表面を覆い尽くしている”油膜”、ウフフフ、期待が一気に膨らみます。ここまでシンプルにまとめられたのですから、”味=勝負”と潔い。


先ずスープを啜ってみました。・・・・・・・・うーーーーん・・・・・


雑味など一切なしのスッキリした味わいなのに、実にコク(濃く)があります。最近”塩ラーメン”に開眼したのですが、かつて”醤油ラーメン”オンリーであった時代を後悔しています。


結局、ラーメンは”スープ料理”。そのスープの出汁に、お店はそのほとんどの勢力とコストを掛けておられます。


その丹精込めて、凝りに凝られて、こだわり抜かれて抽出された”旨み”が凝縮されたスープ、そこへ醤油とか味噌とかを入れると、出汁の旨味が相殺されるのではないか?最近、そう思えるようになったのです。


そういう”出汁”に””を合わせると、喧嘩することなく、逆に”出汁の旨み”を一層際立たせてくれている。このお店のスープを味わいながら、そうシミジミ感じました。

チャーシュー7
チャーシュー”だって、ちゃんと表面を炙って、豚の油の旨みと香ばしさを出されている。


手抜きすることなく、きちんと仕事を詰めてやっておられることがうかがえます。


この”豚バラ”(三枚肉)も、全体のバランスを支える大きな役割を担っていて、一切過不足がりません。


モヤシ”の湯掻き加減もちょうどいい。小気味いいくらいにシャキシャキ感を残されています。

麺8
そこに、この””です。細麺のストレート麺。湯掻かれる前に、軽く揉まれて、上品にカーブしていますが、そこに”旨み”の乗ったスープがよく絡んでいます。


理想的な塩梅ですね、これは。いい仕上がりで、文句のつけようがありません。


お店の方とは一切会話を交わさず、目の前の”塩ラーメン”に全精力と注意力を持って挑みました。満足させて頂きました。

完食9
ですから、舐め取るように”完食”です。当然です。確かに健康面では・・・・・・でも”完食”してしまいます。


美味しさに関する礼儀だと考えているからです。


ですから、完璧に満足しました。ただ、このお店、市内の北の端にあります。ワタシの場合は、城山を超えて市内を縦断しなければなりません。それをおして、再訪を繰り返すか?その結論は、この日、まだ出せませんでした。

石ヤキ製麺所閉店のお知らせ10
さて、お店を後にして市内を目指しました。そして、ふと、気になったお店に寄ってみました。


ワタシが、”愛媛グルメ紀行”シリーズの562番目に採り上げたお店です。今年の7月19日のことでした。「石ヤキ製麺所」・「愛媛グルメ紀行」 562


その時、このお店のことをこう書いておりました。<メニューの数が極めて少ないのは事実です。この新しい”石焼き麺”という分野で、このメニュー数でお客様の関心を引き続けておくことが果たして可能でしょうかか?>


しかも、味に関してこの程度の掘り下げ方で、飲食業が成り立つ?><飲食業って、それほど”イージー”な業態でしょうか?もちろん素人目での感想ですが・・・・・>っと。(過去記事の引用)


そして最後にこう書きました。<このお店の今後の行方に注目したいと思いました>っと。それで帰りに立ち寄ってみたのです。


すると、上の画像の張り紙です・・・・・・・このお店は今年の3月15日にオープンしたばかり。僅か8ヶ月の営業でした。


そして閉店日が、今日ご紹介した”麺家 なかむら”さんが開店されたのと全く同じ日、つまり”11月10日”です。


やはり、そう甘くはなかったようです。”栄華盛衰”が、目の前で回転灯のように繰り返されている現実を見た思いがしました。




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「雁飯店 久万ノ台店」・「愛媛グルメ紀行」 644

今日は久万ノ台、県道松山港線沿いで松山聖陵高校前にある”雁飯店 久万ノ台店”さんをお訪ねしました。本店は木屋町にあって、何度もお訪ねしていますが、このお店は初めてでした。


実は、当日の本来の目的は、古三津1丁目にあって極めて探し出しにくいお店”手打ちうどん わきた”さんをお訪ねするつもりでした。


”手打ちうどん わきた”さんのことは、ワタシがブログをリンクしている:”みゆ”さん(ブログ名:気まま日記♪)(2012.12.23 わきたさんへ。)の、この記事を拝見してお訪ねしようと思い立った訳です。


ところがお店の場所が大変に分かりづらく、今回2度目のチャレンジでやっと行き着きました。行き着きましたが、今年の9月ごろ閉店されたと、お隣でお聞きしたのです。

玄関1
そこで、急遽近くにあるこのお店に来たという訳です。


元々このお店、久万ノ台から古三津地区一体にかけての一番の繁盛店で、なおかつ中華料理店としては古参組です。


ですから、お店の前の駐車場の台数が多くないこともあって、何時も駐車場は満杯、昼時にお店に入るのは容易ではありません。

セットメニュー2
たまたま、目的地だった古三津からUターンしてこのお店の前を通りかかったところ、偶然に駐車場が空いていたので滑り込んだ形になりました。


木屋町の本店には何度も足を運んでいます。”愛媛グルメ紀行”を書き始めるずっと以前からです。


ですから、オーナシェフさんの”大岩”さんも、若い頃から知っています。従ってメニューも見聞きしていました。特徴は、画像にある”セットメニュー”と、500円でいただける”日替わり定食”でしょう。

メニュー3
それらの定番メニューの大半はいただいた経験がありますので、店内を見回しました。


そして目に飛び込んできたのが、本場四川のサブタイトル付きの”汁なし担々麺”でした。


迷わず”汁なし担々麺”の単品を頼みました。

汁なし担々麺4
そして出されたのがこの画像。お値段は530円。


?????????     ン    ン   ン・・・・・・・・


想像していたものとはまるでイメージが違うものが出てきました。もちろん、本場四川省で”担々麺”を食べた経験などありませんから、本場のものがどうか?は知りません。


そしてこのメニューにも書いてある通り、現代の日本で出されているものの多くは、”陳建民”氏が日本向けにアレンジされたものであることも先刻承知のうえです。

汁なし担々麺5
その”陳建民氏流”が、様々にアレンジされて、色々なお店が様々な”担々麺”にしろ”汁なし担々麺”などを出していることも知っています。


でも今日目にしたのは、明らかに”雁飯店流”と言っていいのでしょう。


四川風の”花椒”と”ラー油の風味”を利かせた醤油系の少なめのたれに、茹でた麺を和えて食べるのが本式だということも、四川料理を学んだ方からおうかがいしています。

汁なし担々麺6
どうやら、このお店の”汁なし担々麺”は、上に書いた本場志向というより、このお店流に創作されたもののようにお見受けしました。


食べてみますと、”担々麺”の特徴というか決定打という四川風の”花椒”の香りも、その独特の痺れもありません。


ラー油の風味も感じませんでした。

混ぜた7
取敢えず、本式に混ぜに混ぜてみました。その姿は上の画像の通り。


正直に言いますと、落胆させられました。これが・・・・・・・言葉が続きません。


雁飯店の大岩氏の力量には定評があり、今までも何度もその優れた腕に唸らさせた経験があります。


でもこれは、一時期流行った”油そば”にミンチとネギ多目、という程度のもののように思えました。

混ぜたアップ8
これはメニュー選択の誤りでしょうか?何しろこのお店、相変わらずの超繁盛店なんです。


この日も既に満席で、テーブル席の相席も当たり前、立って待っているお客さんもありました。


ですから、長年に渡って多くの客さんの支持を集め続けているお店であることは確かです。


と、ここまで書いてきて、このお店に入るときすれ違った女性客2人の仕草を鮮明に思い出してしまいました。


その女性客2人の手には、あの”ランチパスポート”がしっかり握られていました。

麺9
来店客は沸き返っている原因、あれはひょっとすると”ランチパスポート”効果なのか?


ランチパスポート”については、利用した経験がないので意見を差し挟む立場ではありません。ですから、素朴な個人的感想ですが、老舗店でしかも繁盛店であるお店が”ランチパスポート”を採り入れるでしょうか?


新規出店のお店で、お店の名前や味や位置や存在価値が、市場で十分に行き渡っていないお店なら”広告宣伝費”を使うことに意味があるでしょう。


つまり”ランチパスポート”という制度は、無料広告のように装っていますが、明らかにお店としては、かなりの”広告宣伝費”を支払う覚悟が必要です。要は原価スレスレで利益の出ない商売を3ヶ月続けるということは、経理的にも経営的にも”広告宣伝費”を支出していることと同じです。


その”広告宣伝費”をかける必要がないお店は採用しないでしょう。すると、このお店に当てはめて、上のことを考えてみたらどうなるか?


知名度があって、安定した集客が続いていたら、わざわざ広告宣伝はしなくて済むはずです。では何故(なぜ)”ランチパスポート”を採用したか?


考えられるのは、売上が落ちて来店客が減ったということではないか?もし、そうだとしますと(これは、あくまでも仮定の話です)メニューの単価を一時期下げることで、来店客数の将来の増加に結びつくのか?


答えは””(いな)でしょう。ただし、重複しますがあくまで素人の個人的仮定を元にしたお話です。


ただ偶然かも知れませんが、この”汁なし担々麺”は凡庸(ぼんよう=平凡でとりえのないこと)に過ぎると思いました。なお、何時も言うことですが、あくまで味覚は千差万別ということを前提とした感想に過ぎません。


隣で食べていた青年が注文したメニュー”長崎皿うどん”は、とっても美味しそうに見えました。


恐らく、ワタシの注文ミスだったのでしょう。なお、”ランチパスポート”が終わった後の結果がどう出ますか?


そのワタシの注文ミスを差し引いても、このお店にその美味しそうだった”長崎皿うどん”を再び食べに来ることはないでしょう。





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「再訪 189 味千拉麺」・「愛媛グルメ紀行」 645

今日は南環状線沿いの、ナショナルチェーン店、熊本ラーメンを代表する”味千拉麺”(あじせんらーめん)さんをご紹介しましょう。


熊本を代表すると書きましたが、今や”日本を代表する”ナショナルチェーンとなっておられて、世界中で店舗展開なさっています。


今日で3度目のご紹介となります。一度目は2011年10月4日でした。(「味千拉麺 朝生田店」 ・「愛媛グルメ紀行」 142


二度目は、今年の3月1日のことでした。(「再訪 87 味千拉麺」・「愛媛グルメ紀行」 486


全国展開しているフランチャイズ店で、3度もご紹介するのは珍しいことです。しかも、”豚骨ラーメン”系のお店ではちょっと考えられないことです。


ただ、ブログ友:”乱 駆郎”さんの以下の記事に(渡辺徹も絶賛!! 塩こうじラーメン)背中を押されました。

玄関1
こちらが、南環状線沿いの朝生田町交差点角にあるお店です。


このお店は、2011年7月にオープンされましたから、現在3年目に入っています。


周囲には会社の事務所も多く、すっかりお馴染みのお店として地域で溶け込んでおられます。

お茶2
このお店のお茶は、このような容器に入ったものが各テーブルに運ばれます。


このお茶は、香りが実にいいんです。


恐らく”ジャスミンティー”を使っておられるのではないかと推察しました。ラーメンを含めまして中華系のお料理にはピッタリのお茶です。

メニュー3
さすがにナショナルチェーン店だけあって、メニューのラインナップは揃っています。


しかも新メニュー開発は、ナショナルチェーンの持つ最大の強みでもあります。この点、個人でやられているお店にとっては脅威でしょう。


一方、全国どこへ行っても同じ味を安心して楽しめるというのが強みでもありますが、同時に、個性的なメニューや味で勝負する個人の専門店を選択する方も多く、弱みにつながる恐れもあるのではないでしょうか。

塩こうじラーメン4
さて、画像の”塩こうじラーメン”が、乱さんの採り上げられていたメニューです。


乱さんご推奨、というより、お店に大きく表示してあるのが”渡辺徹も絶賛!!”というキャッチコピー。


そりゃあタレントさんですから、オファーがあれば何でも絶賛されるとはおもいますが。

アップ6
ただ、ワタシ、このところ”塩ラーメン”の良さを発見し、ちょっと凝っています。


その意味で、純粋に「一体どういうお味なんだろう?しかもただの塩ラーメンではなく”塩こうじ”とされた!普通の塩ラーメンと、どこがどう違うんだろう?」と、興味津々でおうかがいしました。


なるほど、香りがいい。そこはかとなく、上品な雰囲気までしています。


スープのベースは、もちろん”豚骨スープ”。でも、豚骨独特の香りも、実に上品に調整されています。

チャーシュー7
このチャーシュー、脂身の割合が丁度いい。しかも炙ってあるから、その香りが香ばしい。


口の中に入れれば、ハラリと解けます。


洗練された仕上がりです。マニュアルが、よほどシッカリしているのでしょう。


全国展開のお店で、北海道系のラーメン店は、主だったところがことごとく松山から撤退しています。


ところが九州系のラーメン店は、すっかりこの松山に定着された。松山人の口に合ったということでしょう。

煮玉子8
この”煮玉子”・・・・・・フフフ・・・・フフフ・・・・マッタリと美味しい。


燻製にされているのか、やや塩加減がきついけど気になるほどではありません。


ワタシは半熟卵が好きではありませんが、スルリと収まった。


さてスープです。熟成されたこの”豚骨スープ”、どう表現したらいいのでしょう?

麺9
普通の”塩ラーメン”との明確な違いは分かりませんでしたが、スープの味がよりまろやかなように感じました。


如何にも上品に仕上がっていました。ただ・・・・・まあ渡辺徹さんほど絶賛はしませんが。


要は、普通に美味しい、当たり前に美味しい、不満なく美味しい、と言ったところでしょうか。


この細麺も、スルスルスルスルと口に吸い込まれていきます。カンスイを余り効かされていないので、麺に個性があるという訳ではありませんが。

完食10
かくして、かつては苦手であった”豚骨系ラーメン”も”完食”できるようになった。


これは”乱 駆郎”さんのお陰でもあります。ワタシの食の領域を広げて頂きました。ここに、改めて感謝の意を捧げます。(ただし、久留米ラーメンは今もって無理ですが)


珍しく仕事が忙しい時におじゃましました。ですから、周囲を舐め回すように観察する余力はありませんでした。


ただひたすら、空腹を満たすために、普通に美味しくいただきました。この品よく仕上げられたアッサリスープのように、今日のワタシの記事もアッサリ系でまとめました。




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愛媛県外特別編・山陰」・「愛媛グルメ紀行」 646

今日は、”愛媛グルメ紀行・特別編”として、先月”出雲”を取材旅行する際に立ち寄ったお店の中の3軒のメニューをご紹介しましょう。


県外編なので、この記事をご覧になって自分も訪ねてみようということにはならないと思いますが、自称”人類ならぬ麺類”のワタシ、ご紹介する3店は、全て麺類のお店です。


先ずは、兵庫県豊岡市出石町(とよおかし いずしちょう)の名物”出石そば”の名店をご紹介しましょう。

出石皿そば南枝玄関1
上の画像が、”出石そば”の元祖を誇ります”出石そば 南枝本店”(なんし ほんてん)の玄関です。このお店の創業は、江戸時代に遡ります。


創業”宝永3年”(1706年)と言いますから、今から何と307年前です。”出石そば”の始まりは、”仙石越前守政明”(せんごく えちぜんのかみ まさあき)が信州上田城より国替えとして但馬国出石藩の”出石城主”となったことに由来します。


なお、上に書いた信州上田城の城主”仙石越前守政明”(せんごくひ えちぜんのかみ まさあき)ですが、その祖は美濃出身の”仙石秀久”(せんごくひでひさ)(仙石政明の曽祖父)です。その”仙石秀久”の三男が”仙石秀重”(せんごく ひでしげ)です。


なぜ上のような細かい事を書いたかと言いますと、今の松山市「束本町」の町名由来となった人物こそ上記した”仙石秀重”(せんごくひでしげ=後の”束本秀重”)に他ならないからです。この事は、以下の「松山市の地名・町名由来」で採り上げています。(「松山市の地名・町名由来」・ 「束本町・樽味町」 33


つまり、兵庫県豊岡市出石城主となった”仙石政明”と、松山市の束本町の町名由来となった”束本秀重”(元の”仙石秀重”)とは、縁続きなのです。


四国伊予国という島国にあってもなお、全国各地の歴史と決して無縁ではあり得ないということです。


話を元に戻します。さてその折に、信州のそば処にあった”上田城”から国替えになった城主の”仙石越前守政明”(せんごく えちぜんのかみ まさあき)は、お国のそば職人を”出石城”に伴ってやってきました。


その”仙石氏”と共にそば打職人として家臣等に随伴して出石城にやってきて、初め”大黒屋”と称し出石に最初のそば店を創業したのがこのお店の由来です。


その後、嘉永6年(1853年)に、出石藩主より「南枝(なんし)」の店名をいただき、今日に至り”出石そば”の基礎を築いたお店です。

出石皿そば南枝そば2
このお店は、観光客が集まるところから言えばやや離れた所にります。


このお店の息子さんが”南枝 小人店”を、”出石城”近くの観光の中心地に出しておられますが、地元のおばちゃんに取材したところ、やはり”本店”さんにはまだ敵わないとのことでしたので、少し歩いて本店まで来たという訳です。


出石そば”の特徴は、通常1人前5皿で供されるところにあります。ただ、1皿に盛られた蕎麦の量は大人なら2~3口程度で食べられる量なので、それだけでは量的には心もとない。


そこで、1皿単位での追加注文も可能な店が多いようです。ですから、お店では60皿食べたとか、80皿達成などの色紙が壁面をにぎわすことになります。


蕎麦は実を丸引きしており、所謂(いわゆる)”田舎蕎麦”が特徴であるので、蕎麦の色は茶褐色をしています。


それに加えて、徳利に入った出汁と、薬味として刻みネギ・おろしワサビ・トロロ・うずらの卵1個が出されました。お店によって、それらの薬味類には多少の違いがあるようです。

出石皿そば南枝皿そば3
さあて、これが1人前5皿で供せられた”出石そば”です。このお店、立地から言えば言わば”場末”にありますが、さすがに出石そばの元祖を名乗るお店、客が次から次へと詰めかけます。


すると、絶えず”湯がきたて”の”活きた蕎麦”がいただけるということです。


このお店の店主さんは、今はワタシの母親年代よりやや年上ではないかと思える(80代後半ではないか)おばあちゃんで、やや腰を曲げながらも、次から次へと舞い込む注文を的確にこなされています。


頭が自然に下がりました。「おばあちゃん、ありがとう」ってお声を掛けたくなりましたが、昼時の厨房は戦場です。控えました。

出石皿そば南枝皿そば4
当然に手打ちですから、蕎麦の幅は不揃いですが、どうです?この”瑞瑞しさ”(みずみずしさ)


蕎麦は、蕎麦粉に挽(ひ)くときの挽き方で、そば殻毎挽(そばがらごとひ)くとこの蕎麦のように黒っぽい”田舎蕎麦”になります。


蕎麦粉の中心部分だけを挽くと、白っぽい”更科蕎麦”(さらしなそば)に、蕎麦の実の甘皮部分も一緒に挽くと鶯色(うぐいすいろ)の”藪蕎麦”(やぶそば)になります。


蕎麦の風味が一番強いのが”田舎蕎麦”です。まあ、アッという間に1人前を平らげました。

出石皿そば南枝皿10枚5
迷うことなく、5皿を追加して注文。それも、アッという間に胃に収まりました。


ウン、間違いなく美味しかった!300年を超える伝統、さすがですね。

出雲そばメニュー6
さて、こちらは島根県安来市(やすし)にある”吾妻そば”という蕎麦屋さんです。”足立美術館”の隣にありますので、観光客で満席状態が続くお店です。


ここでは”出雲蕎麦”をいただきました。”出雲蕎麦”とは、日本の三大蕎麦の一つで、全国でも有数の蕎麦処です。


なお三大蕎麦の残りの二つは、岩手の”わんこそば”と、信州の”戸隠蕎麦”(とがくしそば)と言われています。ワタシは”蕎麦好き”なので、わざわざ岩手県盛岡市まで行って”わんこそば”も食べていますし、もちろん信州(長野県)の”戸隠蕎麦”も食べています。それぞれ2回行っています。


また”出雲蕎麦”を食べたのは、これで3度目(上に書きました”出石そば”も3度目です)という、まあ一種の”蕎麦マニア”でしょう。

出雲そば割子そば7
出雲蕎麦”は、一般的には”割子そば”(わりごそば)が出雲の郷土料理で、その他に”釜揚げそば”という食べ方も、出雲地方の郷土料理です。


四国に住んでいる我々は”釜あげうどん”なら一般的ですが、”釜揚げそば”には馴染みがありませんね。


でも”釜あげうどん”とて四国の郷土料理で、”釜あげうどん”を食べている県は四国四県と宮崎県だけなんです。(「再訪 179 七里茶屋」・「愛媛グルメ紀行」 630


出雲の”割子そば”は、三段の丸い漆器にそばを盛って出す”割子”(わりご)そばがもっとも有名な形ですが、このお店もその伝統を守っています。

出雲そば割子そば8
割子そば”の食べ方は、ちょっと変わっています。他の地方の蕎麦に比べて、出汁の掛け方が違うのです。


一般的には、”ざるそば”や”せいろそば”で食べる時の食べ方は、蕎麦をだし汁の中に入れる場合が多いですね。ところが出雲そばの場合、だし汁自体を漆器の器に入れて食べます。初めての方は戸惑うでしょう。(いわゆる、ぶっかけというスタイルで頂きます)


なお、”割子”(わりご)とは、一般的に言う”重箱”に相当します。


江戸時代、”松平不昧公”(まつだいら ふまいこう=「ふまいこう」というのは茶人の号で、松江藩藩主だった方です。同時に「ふまいこう」は、江戸期を代表する茶人でした)つまり”松平 治郷”(まつだいら はるさと)が出雲松江藩の第7代藩主であったころ、松江に”茶の湯文化”が花開きました。


その頃、生まれたのが”割子そば”で、当時の文化人や商人たちは”出雲蕎麦”を”割子”に入れて、野外で食べたのが始まりです。


なおこのお店の”割子そば”は、唸るほどのものではありませんでした。

蒜山焼きそば9
最後にご紹介するのが、岡山県真庭市の”蒜山焼きそば”(ひるぜん)です。


画像の”蒜山焼きそば”(ひるぜん)は、、岡山県真庭市蒜山地方のご当地グルメの”焼きそば”を言います。愛媛で言いますと今治市の”焼豚玉子飯”や、八幡浜の”八幡浜チャンポン”に当たります。


この”蒜山焼きそば”(ひるぜん)。2011年11月12・13日に開催された第6回B-1グランプリで(兵庫県姫路市で開かれた)1位の”ゴールドグランプリ”に輝きました。


2006年から毎年開催されているB-1グランプリで、西日本勢のゴールドグランプリは初めてという快挙を成し遂げられました。


なお、わが愛媛今治の”焼豚玉子飯”は、2012年(平成244年)近畿・中国・四国B-1グランプリin鳥取で、先ず”ゴールドグランプリ”(優勝)を獲得し、、北九州市で行われた、第7回B-1グランプリでは、2度目の出場ながらも、”ブロンズグランプリ”(第3位)に輝いています。

蒜山焼きそばアップ10
画像の郷土料理””蒜山焼きそば”(ひるぜん)は、ジンギスカンのタレや味噌だれを用い、具材にカシワ肉(親鶏の肉)を使うことが特徴です。


それに近年では、”蒜山高原産のキャベツ”も必須の食材となっていまして、画像を見ていただいたら分かる通り、しっかりカシワ(親鳥肉)とキャベツが具材で輝いています。


この焼きそばに掛かっているタレが独特で、我々愛媛県はどちらかと言うと広島食文化の影響を微かに受け、焼きそばには広島産の”オタフクソース”を使う場合が多くなっていますが、こちらはジンギスカンのタレ。


同じように見えても、全く別の食品であることに気が付きます。でも、味は好き好きなので、”蕎麦”の様に、遠くまでわざわざ食べに行くというワタシの個人的執念をかきたてる程のものではありませんでした。


さて、駆け足で”麺料理”ばかり3種ご紹介しました。食の文化は当然ながら、地域が変わればまた違った味わいのものになります。この経験で、また今年も1年の齢(よわい)を重ねようとしております。





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「愛媛県外特別編」・「兵庫県豊岡市・出石町」

今日は、先月”出雲の歴史”を取材する為に小旅行した際に、途中で通過した町、兵庫県豊岡市”出石町”(いずしまち)をご紹介しましょう。


昨日一足お先に、出石町名物の”皿そば”をご紹介したばかりです。その際に、城下町”出石町”を散策しましたご紹介です。


この”出石町”を含む”但馬国”(たじまこく)は、「古事記」「日本書紀」にも名前の見える歴史の古い町です。


但馬開発の祖神ともいわれる新羅(しらぎ=朝鮮王朝の一つで国府は今の慶州)の王子”天日槍”(あめのひぼこ)が、垂仁天皇3年(第11代天皇)に渡来してこの地を拓いたと伝えられ、出石町の町名も、”天日槍”(あめのひぼこ)の宝物である”出石小刀”に起因したといわれています。


現在の兵庫県豊岡市出石は、人口僅か1万人余りの町ですが、旧”出石藩”の城下町です。現在も残る風情のある町並みは、「但馬の小京都」と呼ばれて、土日ともなると多くの観光客でにぎわいます。

出石町辰鼓楼(しんこうろう)1
上の画像は、”辰鼓楼”(しんこうろう)と呼ばれるもので、明治時代初期の時計台です。豊岡市出石伝統的建造物群保存地区を代表する建造物で、”出石町観光”は、先ずこの時計台からスタートです。


この時計台は、1871年(明治4年)完成しています。完成当時のこの時計台の目的は、辰の刻(7時から9時)の城主登城を知らせる太鼓を叩く””として建てられたもの。


なお、上の説明で”城主”の名前が出てきますが、藩が廃止され、全国に県が置かれた明治の”廃藩置県”も、この時計台が完成した時と同じ1871年(明治4年)のことです。


この、”辰鼓楼”(しんこうろう)が完成した年に廃藩置県が行われましたが、藩と県が併存した端境期にあったために、まだ”藩主”(後に旧藩主となりますが)の存在があったのでしょう。

出石町辰鼓楼(しんこうろう)2
この”辰鼓楼”(しんこうろう)は、”日本最古の時計台”とされることが多いのですが、北海道の札幌農学校演武場に”時計塔”(現在札幌の時計台)が設置されたのもほぼ同時期で、どちらが最古であるかを確定するのは難しいようです。


ただ、建物から独立した”洋式時計台”、更には一般市民が時刻を共有するための洋式時計台としては、最古のものと一般的に言われ、市民からも親しまれているところです。

出石町おりゅう灯籠3
上の画像は”おりゅう灯籠”と言われているもので、出石町にある”船着場の灯台”、常夜灯です。


出石町は山の中にある町ですから、”船着場の灯台”と言われれば???となるかも知れませんね。


この”おりゅう灯籠”の脇を流れる谷山川(旧出石川)は、かつて川幅も広く水深も深くて、日本海から三十石船が入れるほど広かったのです。ここの船着場から、米や木材などを三十石船に積んで日本海に運び、下関から瀬戸内海を廻って大阪・京都に荷揚げしていたのではないでしょうか。


なお”おりゅう”という名前は、鎌倉時代の悲恋物語の主人公”おりゅう”に因んだものとされていて、灯籠のすぐそばには柳の木があり、おりゅうと恋人が寄り添う様子を表したものです。

出石城址4
この画像が、”辰鼓楼”(しんこうろう)近くの広場(旧出石町役場近く)から見た”出石城址”です。


”出石”の由来は、日本がまだ”倭国”と言われ、天皇はまだ”大君”と呼ばれていた時代に遡ることは冒頭に書きました。


さて、旧国名で言えば”但馬国”(たじまこく)に属していた”出石”の歴史はどうだったのかを以下に書いていきます。

出石城址5
画像で見えるのは”出石城址”ですが、天守閣は残っていません。画像は”隅櫓”(すみやぐら)です。


さて、この”出石町”は、古くは鎌倉時代に清和源氏系統の大名として名を起こし、南北朝時代(14世紀)に全盛期を迎え”山陰の勇”として名を馳(は)せた”山名氏”(やまな し)一族が支配していた地域です。


その山陰の名族であり支配者となった”山名氏”は、一時期”室町幕府”を開いた”足利尊氏”(あしかがたかうじ)の傘下でした。


その最盛期には、全国66か国中11か国の守護職を務める”六分の一殿”と称されて権勢を誇りました。

出石城址6
しかし室町時代末期から戦国時代を経て、勢力を徐々に落とします。その後戦国時代の荒波を経て、江戸時代にやっと安定期を迎えます。(明治期まで続いた山名家は、明治に入って男爵に叙せられています)


それが、昨日も書きました”宝永3年”(1706年)、”仙石越前守政明”(せんごくえちぜんのかみまさき)が信州上田城より国替えとして、但馬国出石藩の”出石城主”となり、以降”仙石氏”の時代が明治期まで続きました。


この信州上田城に端を発する”仙石氏”の一族の中の””仙石秀重”(せんごく ひでしげ=後の束本秀重)が、松山城を築いた”加藤嘉明”に伴って伊予国松山に来たことは、「松山市の地名・町名由来」に書いています。(「松山市の地名・町名由来」・ 「束本町・樽味町」 33

出石城址7
江戸時代は”仙石家”の城下町となって発展した出石ですが、明治9年の大火により80%以上の建造物を焼失したという過去を持っている町でもあります。


その後の出石の町並み再建には、1810年(文化7年)の町割絵図が残っていたため、その町割絵図に従って江戸時代の町並みの状態をほぼ完全に再現されました。


しかし、ここ出石は出石郡の中心地であったために、町の近代化とともに歴史的建造物の建替えが進むという事態に直面しました。


そこで町として、”重要伝統的建造物群保存地区”選定の申し出(平成19年文部科学大臣選定)をするなど、景観の保護を法的に強化しておられ、今日もなお江戸時代の町並みが残る貴重な地域となっています。

出石城址8
なお、この”出石町”のような古い町並みを今に保存している地区が愛媛にもありますね。


それが”内子町”です。内子には、「国選定・重要伝統的建造物群保存地区」に指定された”内子町八日市護国伝統的建造物群保存地区”が今も残っていて、江戸時代の息吹を今に伝えてくれています。


なお”内子町”の町並みは、今年の10月15日に記事としてアップしております。(「再訪 167 内子町 片岡食堂」・「愛媛グルメ紀行」 613


しかし、”出石町”と”内子町”では、世間の注目度も違いますしそこに訪れる観光客の数では到底比較対象にはなりません。単に本州と四国という地理的条件の違いだけでしょうか。

出石城址10
この画像は、”出石城跡”から””辰鼓楼”(しんこうろう)を望んだ風景です。


”出石町”というところは、狭い小さな町ですが、”重要伝統的建造物群保存地区”を中心としてその界隈に”出石そば”を出す50軒弱の”蕎麦屋”が軒を連ねています。


出石町の名産は、出石そばを始めとして、出石焼・但馬ちりめん(出石ちりめん)・出石たくあんなどで、決して派手で目立つものではありません。


それでも、京阪神からだけではなく全国から多くの観光客を呼ぶ理由は何でしょう?


近隣に散在する、”出雲大社”や”足立美術館”、更には”鳥取砂丘”や”山陰海岸ジオパーク”など、”山陰地方の総合力”、優れたエネルギーとパワーを感じずにはおれませんでした。


わが愛媛の観光に於いても、学ぶべきところが一杯に詰まった魅力的な町でした。





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「松山市の地名・町名由来」・「屋敷町と町人町の、それぞれの町づくり」 39

今日の「松山市の地名・町名由来」39番目は、豊臣秀吉の股肱の臣(ここうのしん=最も頼りとなる家臣)であった”加藤嘉明”が、関ヶ原の戦いの戦功によって伊予国正木城(今の伊予郡松前町)10万石の城主から20万石に加増されて松山に移り”松山城”を築城した際に、松山の城下町づくりも行いましたが、その内容をご紹介しましょう。


その際に加藤嘉明は、慶長7年(1602年)1月15日から”武家屋敷”の”地割り”(町づくり)から城下町づくりにとりかかっています。


また”町人町”の町づくりは、同じく慶長7年の6月1日から地割り(町づくり)を始めています。今日は、そのそれぞれの町づくりをご紹介しましょう。

松山城1
画像は、”松山城”、又の名を”勝山城”、或いは”金亀城”とも言われるお城の天守閣です。


松山城”については、2010年11月24日から全10回の画像中心のシリーズとしてご紹介しています。(「松山城」①)この頃の記事は、実にアッサリしたものでしたが。


画像に見える天守閣は、全国の12ヵ所にしか現存していない12城の内の一つです。なお愛媛には”現存12城”の内の一つ、”宇和島城”もありますから、珍しい県でもあります。

松山城遠望2
上の画像は、松山市役所前から北の方角に見た”松山城”の姿です。


お城山の敷地一帯は国の史跡に指定されていて、建造物21棟は”国の重要文化財”に指定されています。


また、ミシュランの観光版(ギード・ベール)日本編では二つ星に選定され、”道後温泉”とともに松山市のシンボルとなっています。

松山城南部3
さて、上の画像は松山城から市の南側を写したものです。この松山城の南部が、加藤嘉明が行った”武家屋敷”地割りの中心部になりました。


まず重臣の屋敷は、”武家屋敷”の北郭(きたのくるわ)に1万石の蒲生源左衛門が、東郭には4200石の稲田家。現在の県庁の辺りには4500石の本山家と2500石の梅原家。


現在のNTT辺りには3000石の蒲生家と天野家など。2000石の片岡家は「堀之内」。2200石の結解家(けっけけ)が「西堀端」、その他北川家と蒲生家は城西の「六軒屋」に配されています。

松山城南東部4
「堀之内」には、2000石以下の武家が集まりました。画像にある城の南には、ほとんどが500石以上1000石未満の武家屋敷が並んでいました。


「二番町」は300石から400石の武家屋敷、「三番町」「四番町」はすべて100石取りの武家屋敷。これらの町は、別名”代官山”とも呼ばれていたそうです。


「番町」は武家の組織である”大番組”から名付けられた町名です。


100石以下の下級武士の内、徒歩(かち)は「歩行町」(かちまち)の小屋敷に住んでいましたし、足軽。中間(ちゅうげん)は「八坂町」「柳井町」「藤原町」などの棟割り長屋などに住んでいました。

松山城西部5
この画像は、天守閣広場から西の方角を見たものです。


この城山から見で西の地区は、慶長7年(1602年)6月からは”町人町”の地割りをした地域です。「古町地区」です。30の町割りが行われたという記録が残っています。


今までのこのシリーズでも、既に何度か採り上げています。(「松山市の地名・町名由来」・ 「味酒町・萱町・味生地区」 10)・(「松山市の地名・町名由来」・ 「志津川町・松前町」 8


古町30町は、同じ職業の人たちが集まり、店舗を連ねていました。町人町として、今はもう町名として残っていない町もありますが、鍛冶屋町、畳屋町、紺屋町、利屋町(とぎやまち)、傘屋町などがありました。


また商人町として、呉服町、茅町(かやまち=萱町)、魚屋町、米屋町などです。

花園町8
なお上の画像は、「花園町」です。


この「花園町」の由来は、江戸時代に松山藩の花畑があったことから名付けられました。

南江戸表示9
なお、加藤嘉明が城下町の地割りをしたころより、ずっと時代が下りますと、それらの町の周辺部にもどんどん町が広がっていきました。


元禄時代になりますと、道後町、今市町、木屋町、江戸町、末広町、河原町、清水町などの町名が出てきます。


更にその外周に、三津口町、宮之前町、永町、柳井町、新立町、御宝町、一万町などの町名が生まれています。


さて次回の「松山市の地名・町名由来」40番目が、このシリーズの最終回です。「道後」をご紹介してシリーズを締めくくることにいたします。




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「再訪 190 ぐリーンカフェM2」・「愛媛グルメ紀行」 647

今日ご紹介するお店は4度目のご紹介となります、古川西2丁目で昨年5月にリニューアルオープンしたお洒落な”ぐリーンカフェM2”さんです。


1回目のご紹介は、今年1月22日でした。(「ぐリーンカフェM2」・「愛媛グルメ紀行」 459)。2回目のご紹介は、今年の10月1日のこと。(「再訪 162 ぐリーンカフェM2」・「愛媛グルメ紀行」 605


そして3回目にご紹介したのは、今年の10月31日のことでした。(「再訪 175 ぐリーンカフェM2」・「愛媛グルメ紀行」 623


今までに同じお店を4回ご紹介したお店は、全部で11店ありますが、このように、短期間で4回ご紹介したお店はワタシとしては大変に珍しくて、(「再訪 135 Chinese Cafe DINING 茶縁」・「愛媛グルメ紀行」 563)さんと、(「再訪 170 ちゃんぽん食堂 てっちゃん」・「愛媛グルメ紀行」 616)、そして(「再訪160 愛 LOVE ハンバーグ」・「愛媛グルメ紀行」600 ・「朝生田町由来」26)など、ほんの例外のお店だけです。


さてワタシがこの記事を書くために再訪したのは、先月11月16日の土曜日でした。

玄関1
その土曜日の夜のテレビ番組、愛媛朝日放送で午後7時頃放送された「関ジャニの仕分け・第1回カラオケ得点ワールドカップ」を見ました。


テレビはほとんど見ませんし、ましてや”カラオケ”は苦手中の苦手。ところが、この番組は妙に好きで時折見ます。この番組は、カラオケ装置を使って歌い、それをカラオケの機械が採点して歌の出来栄えを点数で示すというもの。


カラオケ採点システムは、音程や声量、ビブラート、シャクリなど何項目かの定められた採点ポイントに従って点数を弾き出し、それを合計して表示しその点数を競うというゲームです。


その夜は8人の歌手が出場し、決戦に残ったのはアメリカ代表としてミュージカルのプロ女性歌手と、台湾のカラオケの帝王(?)と呼ばれる男性歌手でした。

店内2
結果は、驚異的な点数を弾き出した台湾のカラオケ名人が優勝ということになりました。確かにお上手でした。


でも、この番組を見て何時も思うのです。人が声を出して詩にメロディーをつけて巧みに歌う。それは、聞く者の心を打つ。聞く人ごとに、それらの歌が与える感激や感動は違ってあたり前。


つまり、カラオケシステムが幾ら微細にシステマティックに採点して点数を表示したとしても、実はそれらの歌を聞いた人にとっては”カラオケ採点数”による結果以外の感想を持つこともあります。


聞いた人の心にダイレクトにうったえて、様々な感動を生むのは歌の上手い下手、或いはそれを点数化したもの以外の要素が多くあると思うのです。


歌の表現力が優れているということは、人の心を打つ大きな要素にはなり得たとしても、それが全てであったり絶対ではあり得ないということです。

ワタシ個人であの番組を聞いた範囲では、カナダ代表というバックコーラスをしている女性歌手の歌に心打たれました。

メニュー3
さて、お話をこのお店に戻しましょう。今日のAランチのメニューは、メインの”チキンカツ”を始めとして”おでん風大根と蓮根の炊いたん”と、このお店お得意の”ぐリーンカフェサラダ”、更には”パンプキンスープ”と”ご飯”と”漬物”でした。お値段は700円です。


上のメニューの内容は、このお店のシェフ兼奥様御自身のブログで3日分毎にアップされています。(予報あたってる・・・(>_<)


この他にも、ピザやスパゲッティやオムライスなどのメニューを用意されています。ワタシはいつもの様に”Aランチ”を注文しました。

ランチ4
その日の”Aランチ”がこちら。この画像を見ていただいて分かるように、特別に珍しい食材を使っているのでもなし、また高価な食材を使っておられるものでもありません。


また、調理法が想像出来ないほどのプロフェッショナルな調理技術が駆使されているものでもありません。


見ただけでハットし、思わずお料理に魅入られるような演出もありません。


でも・・・・・・・・・いえ、本当に・・・・・でも・・・・・・・・・なんです。

パンプキンスープ5
例えばこの”パンプキンスープ”ですよ。


パンプキン”、つまりかぼちゃですね。この”かぼちゃ”という食材は、そのまま煮物にしても甘くて極めて美味しい。


日本には”冬至”にかぼちゃを食べる風習があります。収穫は秋ですが、保存期間を長く置けば置くほど甘さが増すので”冬野菜”の代表選手の一つです。


スープを静かに啜ってみました。フーーーー、ホッコリする甘さがあって、しかも濃く(コク)があるんです。手間隙かけられて、かぼちゃの旨みとトロミと、クリーミーさを余すところ無く引き出せれています。これを”料理する”と言うのだと思います。

サラダ7
これがこのお店の基盤をなす、そして誇りともする”サラダ”です。”新鮮で体に優しい”を旨とされたものです。


自分の孫には、体に優しい物を食べてほしいとの一心で素材を選ばれ、鮮度を損なうことなく供せられたもの。


ここに、このお店のもう”一本の味の柱”、”ヤンニンジャン”を加えていただきますと、一気に味に深みと奥行きが増します。ふくよかな味となるのです。


調理の方法としては、決して唸るほどのものではありません。でも、でもこの”サラダ”を通じて、シェフの信条・心情がヒシヒシと伝わるのです。

大根おでん8
こちらが、”おでん風大根と蓮根の炊いたん”と表現されたお料理です。


食材としては、大根とレンコンとコンニャクと竹輪です。ただそれだけに過ぎません。実にありきたりの食材ですね。華やかさなどとは無縁です。


ところが、いえいえ本当に”ところが!”なんです。


これらを煮ているお出汁が素晴らしい。そのお出汁の味を、食材君たちが、自分の立場立場で自分に取り込んだ。


すると、先ず”お大根”、ニクイですね!もうトロトロに煮られていて、出汁を同じ食材君の中で一番欲張って吸い込んだ。逆に言えば味が染み込んだ。ある地方では”味がシュミコんだ”とも。


コンニャク”は、プリプリとした食感を忘れてはいません。でもなおかつ出汁が染み込んでいる。彼は控え目だったに違いない。


レンコン”、これは大根に次いで味を染み込ませた。レンコンの繊維は、泥池の中から、清らかな水分だけを通して地上の”蓮の花”に届ける役目を完璧に担っているのですから、出汁の染み込ませなどお手の物なんです。

チキンカツ9
さて、メインディッシュの”チキンカツ”です。鶏のササミは淡白です。その真っ白な繊維から出来ているササミに、どう味を付けるか?


小麦粉を薄くまとわせ、美味しさと接着剤の役割を溶き卵に負わせ、そして新鮮なパン粉をまぶされてカラッと揚げられた。つまり、最後に油の旨みを乗せて仕上げられました。


チキンカツの奥にはピーマンが、サッと炒められて添えられています。ピーマンのシャキシャキした食感を生かし切って添えられました。


パン粉が新鮮なので、パン粉のカリカリ感が活きていて、おとなしく目立ちにくいササミを大人に成熟させました。もとちろん掛け回されたソースの熟した味も大きな役割を担ってくれています。全員が自分の役割を最大限に発揮させた。


それは兎にも角にも”コンダクター”(総指揮者=シェフ)の仕事です。これを”いい仕事”と言います。

完食10
もちろん”完食”ですよ。


ワタシが”完食”したことを表すために空になった器を写すのは、全て麺類の丼だけでした。


この様に、チキンカツのソースや、”おでん風大根と蓮根の炊いたん”の出汁を舐め取るようにいただいたシーンを示す器を画像にしたのは初めてかも知れません。


ここで冒頭書いた事を、もう一度思い出して頂きたい。つまり、<聞いた人の心にダイレクトにうったえて、様々な感動を生むのは歌の上手い下手、或いはそれを点数化したもの以外の要素が多くあると思うのです。>


<歌の表現力が優れているということは、人の心を打つ大きな要素にはなり得たとしても、それが全てであったり絶対ではあり得ないということです。>という件(くだり)です。


食材に高級品を使い、調理の修行を積みに積んだ調理人が取得した調理法の秘術を凝らして調理し、目も鮮やかに盛り付ける。見ただけで、そして食べて息を呑ませる。そりゃあ美味しいですよ。


でもいただく人の心に届くかどうかは、また別の要素があるということをワタシは言いたかったがためにテレビの話を冒頭に持ちだした。このお店の料理に接する度に、人の心の奥底に届くお料理は何か?ということを考えざるをえないのです。


少なくともワタシの心に奥底には、間違いなく作り手の調理の課程やお料理の意図、そしてお料理に賭ける心根、間違いなく届きました。ご馳走様でした!




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「和食 みよし」・「愛媛グルメ紀行」 648

今日は千舟町3丁目、千舟町通りのみずほ銀行松山支店の東隣りにあるビルの1階にある”和食 みよし”さんをご紹介しましょう。


ワタシがお気に入りのイタリンレスロラン”il Bevitore”(イル・ベヴィトーレ)さんが、同じビルの2階に入っています。

玄関1
この千舟町通りから見える景色を見れば、場所の見当はつくでしょう。


同じビルの1階に”和食 みよし”さんが、2階に”il Bevitore”さんという配置です。


il Bevitore”さんは、過去2回ご紹介しています。(「再訪 88 il Bevitore(イル・ベヴィトーレ)」・「愛媛グルメ紀行」 487)・(「il Bevitore(イル・ベヴィトーレ)」・「愛媛グルメ紀行」 399


さてこのお店、ここ千舟町通りに和食のお店を出されて、今月で3年を超え、4年目に入ったお店です。

メニュー2
こちらがメニューです。ランチメニューは2種類です。


一つは”点心”と名づけらた”ミニコース料理”で、お値段1360円。


もう一つは”天ぷら定食”と名付けられた料理で、お値段840円。迷わす、こちらを注文しました。店内に入ったのは午前11時30分。


私は例によって一人ですからカウンター席の一番奥に。ワタシに遅れること10分、ワタシよりやや上のご婦人3人が、ワタシが座ったカウンター席の隣に陣取った。


その後別の4人の客が、テーブル席に落ち着いた。

配膳前3
ワタシの横に座った、ご婦人3人の話が否が応でも伝わってきた。着こなしから見て、ひと目で彼女たちの階層が想像できた。


その中のリーダー格が言った。「ねえねえ三越って、最近スーパーみたいになっちゃったの?お夕食のお買い物の時にネー!   お買物カゴに、それぞれがビニールの袋に入れるんですって!」


「だから、”ウチに来る三越の人”が来た時、聞いたノーー!”あれじゃ、スーパーじゃない”って」


「すると、”ウチに来る三越の人”コーーーユーーノーーー、ネーーーー!聞いいて!!」


この高級な会話を聞いた瞬間、「アハー~、場違いな所に来ちゃった!」っと、完全に白けてしまった。


いや、お隣に座った3人の悪口を言う積りはサラサラないし、このお店と関係付けるつもりもない。ただ、お三方の住む世界とワタシが住む世界が違うというだけで、羨ましいなどという気はない。

天ぷら定食4
さて、注文した”天ぷら定食”840円。


この時点で、このお店に居合わせたのは、ワタシと3人組の奥様方、そしてテーブル席の4人組。この4人も皆さん御婦人方だった。


ワタシ以外の7人は、全員”点心”の1360円を注文されたそれも、別に不思議な出来事ではない、よくあること。ランチ価格としては、「おおおお」っと、肝を据えなければならないとは思うけれど。


なお、”点心”を横から拝見すると、文字通り、それぞれ宝の小箱を覗いたように、手をかけられた和食がミニお重のような器に見事に散りばめられていた。


和食は正に芸術だと思った。”和食”が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の”無形文化遺産”に登録される見通しとなったことは、等を得ていると誇らしい気持ちにさせられた。

赤だし5
さて、ワタシが注文した”天ぷら定食”に視点を戻しましょう。


この”赤だし”、実に真っ当に美味しい!


いやいや、さすが和食食人が手がけられたもの、旨い!でも、唸るほどの感動ではない。

水菜の小鉢6
水菜の小鉢”だって、出汁はいいし、水菜だってシャキシャキだ。


間違いなく美味しい。こういう小品だって美味しい!


だからこのお店の板さんの腕前、間違いなく大したものなのでしょう。

香の物7
香の物”・・・・・・・・文句は何一つない。


でも、ただそれだけだ。

ご飯8
ご飯”だって、米が粒立っている。いいコメをお使いになっているに違いない。


ご飯に塩振り掛けただけで食べられる、その位にレベルが高い。


でも、何故か感動が沸かない。ブログ友:”ファットマン”さんが、コメントで書かれたことがある。「感動で言葉が出ないなどという瞬間は、せいぜい2年に1回ほど。じゅんさんのように毎回それを求めると、それは大変!」っという趣旨だったと思う。

天ぷら9
さて、メインの”天ぷら”がこちら。


海老が二尾、魚一種、野菜が4種。申し分ない。揚げたてだから当然に旨い。冷えたって旨いに違いない!


でも、心が揺れない、手練(てだれ=修行を積まれた技を持った)の職人の技を前にして。

天ぷら魚10
昨日書いた”ぐリーンカフェM2”さんの記事を思い出していただければ幸いです。


恐らく、”カラオケ採点機”なら、このお店のお料理”94,375点”を弾きだしていて当然でしょう。


これなら、昨日触れた「関ジャニの仕分け・第1回カラオケ得点ワールドカップ」の第一回戦の、台湾のカラオケ王”リン・ユー・チュン”の点数に匹敵するに違いない。


でも、その”カラオケ採点マシーン”の採点が、虚しい。心を全く打たない。何故なんだろう?


かくして、”食べ物の世界”を語るのは、ム   ツ   カ   シ   イ・・・・・・・




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「再訪 191 中国料理 梁山泊」・「愛媛グルメ紀行」 649

今日649号を迎える”愛媛グルメ紀行”は、3年近く前の2011年1月24日にアップしたこのお店、”中国料理 梁山泊”さんで始まりました。(「梁山泊」 真っ当な「B級グルメ店」①


当時のこのシリーズ名は、”真っ当なB級グルメ”と言っていた時代でした。


その後、当時よくコメントをいただいていた方から、「いつまでもB級と言い続けては、お店に対して失礼ではないか」とのご指摘を受け、途中から今のシリーズ名に変えました。

玄関1
これが平和通に面して、萱町商店街入口近くにあるお店の玄関です。


3年近くの年月が経ったのに、今まで再訪しなかったのは美味しくないお店だからではありません。


イエイエ、20年以上前には、ほぼ5年間近く毎日に近い位に通いに通ったお店で、このお店の料理の味は大好きなのです。

カウンター3
では3年間も”再訪”しなかったのはなぜか?


それは、ただひたすらこのお店の単品の””だったんです。通っていた当時は40代の前半で、言ってみれば”働き盛り”という年代でした。


でも、既にその年代ですら”完食”することは、かなり気を入れてかからないと難しいという状況でした。ワタシは決して小食ではなかったのです。


しかし今となっては完食は到底無理、と訪問を控えてきました。


「余りに”小食”と書かれ続けると鼻につく。量を求めている客だって多いはず。余り”小食”という記事が目立ちすぎると、単なる”老人”の一方的な独り言になる」というコメントとを頂いたことがあります。


それ以降、そういう書き方は意識して遠慮しています。でも、実は私は”老人”には違いないのです。残念ながら、もう背伸びできる年代ではなくなっていますので悪しからず。

メニュー2
当時のメニューとほとんど変わっていないと思います。このメニューの中で、ただひたすら、ほぼ毎日同じメニュー”尼崎チャンポン”を食べ続けていました。


来る日も来る日も。寒い日も熱い日も。違うメニューを注文したことなど、ほとんどありませんでした。

梁山泊尼崎チャンポン4縮小
この画像が、5年近く毎日食べ続けていたという”尼崎チャンポン”です。


これが旨い!んです。毎日食べても食べても、決して飽きがきませんでした。


片栗粉でトロミをつけた餡スープがべらぼうに美味しいのです。ところが、”愛媛グルメ紀行”を書き続けている内に、自分で決めたことがあります。


それは「仮に同じお店を訪問しても、同じメニューは決して記事にしない」ということです。

五目そば4
だから、久しぶりに再訪した今回でも本音は”チャンポン”が食べたかったんです。でも、画像の”五目そば”にしました。お値段600円。


自分で決めたルールなら、自分で変えればいいのでは?と、普通はそう思いますよね。ところがそれがワタシには中々出来ない。


それと、”チャンポン”はトロミ餡がたっぷりかかっていますから、他の麺メニューよりボリュウムが数段多いのです。

五目そば5
こちらが注文した”五目そば”です。湯気が盛んに立ち上っています。


このお店は照明が弱いので、画像的には明瞭なものが望めません。


しかも、店内は雑然としていて、お世辞にも綺麗とは言えません。これは20年前から同じで、それにやや輪をかけた状態でした。鮮明な画像は、却ってこのお店のためになりません。

五目そば6
久しぶりにカウンター席について「久しぶりに来た!」っと、ワタシがお店の奥さんに言いますと「ウンウン!それで今日は何にスル??」っと笑顔。


このお店も、まるで時間が止まっているかのよう。お店は相変わらず出前をやっておられました。


当日は雨でしたが、配達係の若い子が黒いレインコートを着て、行き先とお釣りを確認して店から慌ただしくバイクで出ていきます。

アップ7
同じ職場の4人組の男性は、お店へ入るなり奥様に向かって顎をシャクリました。


これは「2階は空いている?」という無言のサイン。奥様は、その無言のサインに対して「ウン、4人さんね!2階空いとるよ!」っと。


2階は畳敷きの座敷になっていて、銘々があぐらを組んでスポーツ新聞など読んで料理を待つ。20年前と全く同じ光景が、今も変わらず続いていた。

アップ8
野菜、特に白菜たっぷりの”五目そば”、スープはあっさりしていて極めて美味しい。


でも、上3分の1を食べても、まだ麺に届かない。””は細麺のストレート麺が使われています。


具材のイカや海老だって、恐らく冷凍モノ。それに豚バラが入り、人参とタケノコが絡んでいる。


このお店には、三越で夕食を買う奥様方は来られない、来られたら卒倒して顔を背けるに違いない。


でも、コレガまあ旨いのなんのって!自然に顔がニヤつく。懐かしさも含めてお腹イッパイになった。


このお店は、安いお値段で、美味しく、しかも腹いっぱい食べたいという方には絶好のお薦めです。特に特に”尼崎チャンポン”は、喉をほって自信を持って言います!"お薦め"です。


勘定するとき奥さんに「ゴメン、残してシモーーテ!」っと言うと「何時も多すぎてゴメンナサイ!」って笑顔で謝られた。ちゃんと、20年前の客を覚えておられた。




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「ラーメンバル lavrar(ラウ゛ラール)」・「愛媛グルメ紀行」 650

今日は花園町の東側の通りに面した松本ビルの2階にある、”ラーメンバル lavrar(ラウ゛ラール)”さんをご紹介しましょう。


実は花園町の駐車場に車を止めて、この近くにある別のお店を目指して歩いていて、このお店の存在に気が付きました。

外看板1
歩道を歩いていて見つけたきっかけは、この歩道上の”外看板”。車で走っていたのでは、決して見つけられなかったでしょう。


この”外看板”に気になる表記がありました。


光に反射して見えづらいのですが、右の黒板に白い文字で”瓢系中華そば”の文字が。


この時、どなたかのブログ、ないしはコメントで「最近瓢系中華そばのお店が新しくできた!」ということが書いてあったことを、かすかに思い出しました。どこで、どなたの記事を見たのはは忘れておりますが。

玄関2
お店は、この画像の階段を上がって突き当りにあるようでした。


階段の奥に、横文字で店名看板は見えました。


ワタシも一時期”瓢系中華そば”という言葉を使ったことがありますが、現在はその表現に違和感を感じています。詳細は後ほど。

玄関3
何れにしても大変に気になったので、目的としていたお店は後回しにして、今日はこのお店に入ることに決めました。

一体誰が?どういう経過で””瓢系中華そば”を名乗ってお店を出されたのか?

巷間(こうかん=ちまたで)言れている”瓢系中華そば”とは、恐らく”瓢太”さんと”瓢華”さんを指して言われているのだと思います。

ただ、元をたどれば”ロシナンテ”というパン屋さんのお父さんが屋台を引きながら開発された”中華そば”に端を発したもの。

あの”独特の中華そば”を直弟子として学び継承されたのはただ一人、花園町の日本政策投資銀行前にある”瓢太”さんの創業者である”K氏”だけ。

瓢華”さんの創業者は、”ロシナンテ”というパン屋さんのお父さんとは乗馬友達で、見よう見まねで習われた。従って、”瓢太”さんのラーメンと”瓢華”さんのラーメンは、似てはいるものの継承の仕方が違うので、味も具材も微妙に違う。

なお”瓢太”さんの”中華そば”の強い個性は、ワタシの経験(北海道から鹿児島まで食べ歩いた経験)でも、また”日本ラーメン党総裁”を名乗っておられる落語家の”林家木久扇”氏(前 林家木久蔵氏)も認められているところです。

メニュー4
さて、以上のことを踏まえた上でこのお店のことをお話しましょう。

お店に入ると(午前11時30分の開店直後)、男性と女性の2人がやっておられました。

そこでワタシは、開口一番に「外の看板に”瓢系中華そば”とありましたが、あれはどういった事情なんでしょう?」っとお尋ねしました。

すると、「ええ、私は”瓢太”創業者の息子です」っと。驚きました。「じゃあ貴方は”K氏”の息子さん?」っとワタシ。

「はい、そうです!」    「じゃあ今の”瓢太”さんはどなたが?」   「ええ、あれは私の弟がやっています」っと。

ここで、思わず唸って言葉が途切れてしまいました。・・・・・・・・奇遇という他ない。

中華そば5
「実は、お父さんとは親しくお付き合いさせていただいていました。一緒にゴルフをしたこともあります」とワタシ。


今度はお店の厨房の2人が顔を見つめられて、呆然とした表情に。「そうでしたか・・・・・・・・・」っと、後は言葉にならない。


それ以降様々に話しましたが、プライバシーに属することなので書けません。


「では、このお店は何時開店されたのですか?」    「ええ、今年の4月にオープンしたばかりです」と。


お店を見渡すと、完全に洋風。「瓢太さんは、瀬戸の小魚を肴に焼酎を引っ掛け、〆に”中華そば”ですね!」


そしてこのお店は「洋風の料理に、ウイスキーを初めとする洋酒で一杯というお店にされたのですね?」

中華そば6
「ええ、やはり親父のお店の路線とは変えてみたかったんです。洋風料理は完全に独学です。ですが、お客さんの中には”焼酎”を!っという方も、実際は多くて」っと息子さん。

そう言われてみれば、”瓢太”創業者の”K氏”に面影がよく似ていらっしゃる。

「今年の夏、久しぶりに”瓢太”さんにおじゃましたところ、お母さんのお顔をお見かけしませんでしたが」っとワタシ。

「ええ、母は2年前に亡くなりました」っと。ここでも言葉を失いました。様々な思い出といいますかシーンが走馬灯のように浮かんできました。

アップ7
「ほーーー、これがお父さんが創業し、今は弟さんが跡を継がれている”瓢太の中華そば”なんですね!」っとワタシ。値段は600円で、煮玉子をトッピングしましたから、700円です。

「はい、でもこの店では、あのスープの甘さは抑えています」っと店主さん。

「””は同じものを?」    「いえ、やや細目にしています」っと会話が続く。

なるほど、お父さんが”ロシナンテお父さん”から直接伝授され”瓢太”を立ち上げられて、それに磨きをかけられた。その”瓢太”さんの”中華そば”とは、微妙に味が違っている。

豚の角煮と言ってもいい”チャーシュー”と”シナチク”以外は、わずかに味を変えられた。

アップ8
また、”瓢太”さんに馴染みのある瀬戸内小魚料理は、”地中海料理”に装いを変えられた。

店名の”ラーメンバル”は、言ってみれば”ラーメン居酒屋”のこと。

また”lavrar(ラウ゛ラール)”とは、ポルトガル語で”耕す”(たがやす)という意味だという。

新しい航海に乗り出された勇気に賛辞を贈りたい。

でも、花園町の2階という難しいい立地を選ばれた。また、ワタシのような”瓢太”さんのオールドファンにとっては、あの喉が痛いほど甘い”中華そば”のスープに馴染んでいる。

言わば”瓢太”というブランドを捨てての再出発。

そこで、冒頭に書いた”瓢系中華そば”という言葉の意味を理解できた。

普通○○系と言えば、同様のものを何店舗かで提供しているその総称を意味することが多い。

でも”瓢太”と”瓢華”さんは、その継承経過も味も微妙に違うので、厳密に言えば”瓢系”というひとくくりには出来ないと思っています。

そこでこのお店、”瓢太”創業者の”K氏”の長男さんで”瓢太”さんの味を継承されながら、敢えて味に変化をつけられ、独自の世界を開かれようとされている。これこそ”瓢系中華そば”と呼ぶのに相応しいのではないか。

麺9
なるほど、”麺”は瓢太さんのそれよりやや細い。


2階での営業は、先ず通行客に2階のお店を認知させることからスーターとしなければならない。


このお店のわずかに北には、”伊予源氏車”という、昼には行列ができる驚異的なライバル店がある。


もちろん、弟さんが跡を継がれた”瓢太”さんそのものも強力なライバル。これらライバル店は1階にある路地店舗。


今花園町は、地域活性化に力を入れられ、各種イベントも多い。でもイベント便りでは心もとない。

完食10
もちろん”完食”した。


”瓢太”さんとは、器も変えられた。”瓢太”の器は”伝統的な砥部焼”。このお店の器も”砥部焼”ですが、薄手の、言わば”ニューウェーブ砥部焼”にされた。ここにも店主さんの覚悟を見た思いがした。


「2階のこの店舗が認知されるまでの間、如何に我慢できるかが勝負ですね」っとワタシ。


「仰るとおりです!ええ、それは分かっています!」と力強く応えられた。


「ここの”中華そば”は、3代目に入っています。でもどうか、それを4代目につなげてくださいね」っとお願いしてお店を後にした。頂いた名刺を握りしめて。




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「愛媛グルメ紀行」を振り返る 88

今週の土曜日も”愛媛グルメ紀行”シリーズを振り返ってみましょう。

今日振り返るのは、昨年の春頃にアップした262号から264号までのお店です。

先ず最初”に振り返るお店は、昨年4月3日にシリーズ262番目のお店としてご紹介した、空港通6丁目(旧空港通)の”ジョイランド21”の中に、昨年11月にオープンしたばかりの新しいお店”Waーdining さつき”さんです。(「Waーdining さつき」・「愛媛グルメ紀行」 262

”ジョイランド21”には、他に何軒か飲食業態のお店が入っていて、入り口には”500円ランチ”の上り旗を、「周囲の美観など関係ない」という感じで見苦しいほど立てている飲食店もあります。

玄関1
その点で言えば、このお店はその商業施設の一番奥に、目立たないのでは?と、逆にこちらが心配になるくらいさりげなくお店を開き、ちょうど4ヶ月目になります。(この記事を書いた当時)

お店の名乗りは”Waーdining”(和ダイニング)なので、”和食”のお店かな?と連想はできますが。

ランチ5
そこで注文したのが”特性SATSUKIランチ”です。

お値段は、何と”1000円”(内税)の設定です。

お昼のランチに、当たり前のようにコンスタントに1000円出せる客が、多くいるんだろうか?と、思いながら先ず食べてみました。

朱塗りのお重の真ん中に、ワタシが選んだお魚のメイン、当日は”海老マヨ味噌ネーズ”が入り、その四隅には4種類の副菜がこじんまりとまとまって入っています。

美味しく頂きましたが、コストパフォーマンスという点でこの時代にずっと客を引き続けられるか・・・・

それで、このお店は”再訪出来ません”。既に閉店されてしまったからです。


二番目”に振り返るお店は、昨年4月8日にシリーズ263番目にご紹介した、石手川沿いの石手1丁目にある”料理旅館 栴檀(せんだん)”のお花見弁当です。(「料理旅館 栴檀のお花見弁当」・「愛媛グルメ紀行」263

栴檀”さんは今年で44年を迎える老舗料理旅館です。

栴檀玄関1
創業した”大女将”は、松山の和食業界では知らない人はいない、いわば割烹業界のドンのような存在です。

今は娘さんの”女将”が取り仕切っておられますが、”大女将”も立派な現役で、今でも座敷に出てお客様を迎えます。

弁当5
こちらが”栴檀”の”お花見弁当”です。

昨年までは三段のお弁当でした。今年は初めての一段弁当、今の時勢を反映したのかも知れないですね。

懐石を基本とし、汁物以外は”八寸”に盛られる酒の肴となる珍味、焼物、揚げ物、香の物などが全て盛り込まれています。

まさに”箱庭”や”盆栽”の世界に通じる世界観が表わされています。

さてこのお店とお弁当、”再訪すると思います”。毎年、会社がここのお花見弁当でお花見を続けていますから。


”最後”に振り返るお店は、昨年4月9日にシリーズ264番目のお店としてご紹介した、西垣生町の県道伊予松山港線沿いにある”ラーメン工房 夢来人(むらびと)”さんです。(「ラーメン工房 夢来人(むらびと)」・「愛媛グルメ紀行」 264

場所は、松山空港の東側を南下して川口大橋を通って松前町に向かう県道の、今津港に西進する交差点の南西側にある”ミスタータイヤマン垣生店”の南隣です。

玄関2
入ったのは、飲食店にとっては一番の稼ぎ時である正午過ぎ。お店にはお客さんが一人、ラーメンをすすっておられました。

「ん??・・・ゴールデンタイムのはずなのに・・・・」っと。

鍋焼きラーメン5
店主さんに色々話しかけてみましたが、会話が全く噛み合いませんでした。

会話を諦めたころ、画像の”鍋焼きラーメン”が出てきた。この間、わずか5分足らず。お値段は600円(内税)です。

 ラーメンを鍋に入れたのは、それはそれなりの理由があって、その理由が故に”普通の醤油ラーメン”とは違うはず・・・・と、こちらとしては”勝手に”そう期待していました。

でも、生卵が、生から半熟過程になる、その過程にそってラーメンを食べるだけの、ただの普通のラーメンでした。

ラーメンを鍋に入れた意図と効果が全く感じさせられませんでした。

このお店は”再訪できません”。ワタシがこのお店をお訪ねした直ぐ後、このお店は閉店されたからです。




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「松山市の地名・町名由来」・「道後」 40

今日でこの「松山市の地名・町名由来」最終回とします。最終回の地名由来で選んだのが「道後」地区です。


このシリーズは、今年の3月25日「久米町・来住町」を第一回として書き始め、今日で40回となりシリーズを終えます。(「松山市の地名・町名由来」・ 「久米町・来住町」 1


書き始めた当初は、何回のシリーズにするのか?どの町を採り上げるにか?などを決めておらず、ただ漠然と年内いっぱいは書き続けようと思っていた程度でした。


ところが、いざ書き始めると次第に面白くなって、一回の記事に盛り込む情報量がドンドン増えてきました。でも書き続けている内に、ここらが限界かな?って考えてシリーズを終えることにしました。

道後公園駅1
上の画像は、今日ご紹介する「道後地区」の表玄関、伊予鉄市内電車の”道後公園駅”です。「道後町1丁目」にあります。


この”道後温泉駅”は、1895年(明治28年)8月22日に開業されました。今から118年前のことです。


そして1986年(昭和61年)5月31日に、 駅舎の老朽化に伴い、一部建材を再利用・旧駅舎を忠実に再現する形で新築された駅舎完成しました。それが画像の駅舎です。

道後公園放生園2
この画像は、道後温泉駅の正面、道後温泉商店街の入り口にあります”放生園”(ほうじょうえん)です。


建武年間(1326年~1334年)に、伊佐爾波神社が現在の場所に移転された時、境内の御手洗川の引水をたたえて池がつくられました。この池を”放生池”と言い、清浄の池とされていましたが、道後公園駅前の整備に伴ってその”放生池”は埋め立てられました。


道後温泉の始まりという伝説に基づく”鷺石”や、明治24年から昭和29年まで使われていた”湯釜”があります。


なお、道後温泉伝説とは、一羽の傷ついた白鷺が湧き出る湯で傷を癒やしたというものです。

道後公園本館玄関3
こちらが”道後温泉本館”の正面です。逆光でしたからちょっと見えづらいのですが、ミシュランの観光版(ギード・ベール)日本編では二つ星に選定され、”松山城”とともに松山市のシンボルとなっています。


また、この”道後温泉本館”の”神の湯”は、1994年に国の重要文化財(文化施設)に指定されています。


今日はこの”道後温泉本館”周辺を巡りながら、「道後」の地区名由来をご紹介しましょう。


既に一度、「道後」の由来については今年の1月31日に簡単に触れています。(「茶房 ひょん」・「愛媛グルメ紀行」 466


その中でも触れています通り、「道後」という言葉は、”大化の改新”(655年)の翌年に出された詔(みことのり=天皇の命令)で、都と地方の国府(こくふ)を一本の道で結ぶという命令から付いた言葉です。

道後温泉本館4
その道は七街道設けられました。つまり、東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道で、伊予の道はその中の”南海道”でした。


その一本の道には”駅馬伝馬(えきばでんま)を置き、鈴契(すずしるし=駅馬・伝馬を利用する際の証明)をつくる”ことが定められました。


四国への”南海道”は、都から紀伊、淡路、阿波、讃岐と通じ、現在の今治・桜井にあった”伊予国府”とつながっていました。当時の伊予国の”国府”は松山ではなく、”今治”にあったのです。


ですから、”国府”を中心に、都側を”道前”といい”みちのくち”を表し、「道後」は”みちのしり”を表わした言葉です。都から遠い地域をそう呼びました。


これらの駅路は官道(かんどう=現在の国道)ですから、現代の高速道路のように2車線~4車線幅のまっすぐな道でした。地形によって曲がった道を作ったほうが安上がりに出来たはずですが、愚直なまでに直線で貫いて作られました。当時の道幅は16mです。


なおここ”道後”を含む”伊予国”は、今の奈良地方で”ヤマト政権”が誕生するまでは、日本海側の今の島根県にあった”出雲王国”の影響を長らく受けていた時代がありました。そのことは、来年3月に予定しています”出雲国の歴史”で再度触れるつもりです。

道後温泉本館5
「道後」は今治にあった国府の西側の広い地域全体を示していました。そして中世には”道後七郡”として、松山周辺から今治周辺までを含んでいました。


「道後」が温泉周辺の地域を指すようになったのは、伊予国の中世期に守護大名であった”河野氏”が"道後湯築城”をつくって、その一体を支配するようになってからのことです。


それまでは、今の”道後温泉”は、”伊予の湯”とか”熟田津の石湯”(にきたつのいわゆ)などと呼ばれ記されていました。


なお6世紀から7世紀の初頭、時代区分から言えば”飛鳥時代”に、”聖徳太子”は太子の師であった高句麗僧の慧慈(えじ)らとともに、この地に遊行(ゆうこう=旅行)しています。

道後温泉本館6
そして”聖徳太子”は太子自身の政治に対する考え方や覚悟を記した”碑文”をここ道後の地に残しました。(ただし現在、現物は残っていませんが、その原文が「続日本紀」<しょくにほんき>に残されています)


その頃の風土記(ふどき)によりますと、伊予の道後温泉は”湯の郡”(ゆのこおり)と記されています。


道後には伝説によりますと”神功皇后”(じんぐうこうごう)が来たとか、様々な王族が来たことになっていますが、正史に記されている人物で道後に初めて来たのは”聖徳太子”とされています。


既に6世紀から7世紀初頭には、京(当時はヤマト、中でも飛鳥)でも聞こえていた地であった訳です。ただ、この地が「道後」と記されたには江戸時代になってからのことです。

道後温泉本館7
そして「道後」の名前を全国的に広め有名にしたのは、当時の道後町長であった”伊佐庭如矢”(いさには ゆきや)氏の功績です。


まず伊佐庭如矢氏が取り組んだのが養生湯の改装と有料化です。当時は無料でお遍路さんや湯治客や地元に人々に開放されていました。


有料化するに対しては、”松湯”という無料の温泉を事前に作っています。有料化反対論への配慮です。


そして”道後温泉本館”である”神の湯”の改築を行いました。また温泉の改築だけではなく、道後と城下を結ぶ軽便鉄道を開通させたり、道後公園に日本庭園を作るなどしています。


なおこの画像の”道後温泉本館”は1894年(明治27年)に建築されたものです。来年で筑後120年を迎えます。老朽化も進んでおり、改築計画も持ち上がっています。ただ、この雰囲気を残した建物が再現できるのでしょうか、危惧しております。

道後温泉白鷺8
この”道後温泉本館”には、道後温泉を象徴する”白鷺”が青空に映えるように天高く掲げられています。


なお、全国的には”愛媛”という県名よりは「道後」という名前のほうがよく知られているのです。


「道後」をここまで全国的に有名にしたのは、”夏目漱石”の”坊っちゃん”効果でしょう。夏目漱石は、必ずも「道後」を印象のいい町とは書いておりません。


むしろ、江戸っ子である漱石には「道後」の伊予人たちとのテンポが合いませんでした。ですから散々に伊予人をこき下ろしています。でも、その内容よりも、「道後」という名前を全国区的な地名とした功績は否定できません。

道後温泉湯釜9
なおこの画像は、愛媛県有形文化財に指定されている”石造 湯釜”です。道後公園の北口、湯築城跡に至る登り口にあります。


この石造りの”湯釜”は、浴槽内の温泉の湧出口の設置されるもので、現在の道後温泉本館が出来た明治27年(1894年)まで使用されていたものです。


花崗岩でできているこの”湯釜”は、奈良時代の天平勝宝年間(749年~757年)に作られたものと伝えられています。

湯築城跡から松山城10
この画像は、”道後湯築城跡”から、”松山城”を臨んだ光景です。


さて、今日までにご紹介してきたのは、今日も含めて”104町名”と”9地区名”の、合計”113町・地区”で、今の松山市にある町のホンの一部をご紹介したに過ぎません。


ただ取材の為に様々な町や地区をお訪ねし、自分でも知らなかった事実や施設や寺社などを見聞きすることが出来ました。このシリーズを書かなかったら、生涯知ることはなかったでしょう。


また書き進めていく過程で、多くの方から貴重な情報提供やアイデアをいただきました。感謝の念でいっぱいです。


と同時に、こういう地味で退屈なシリーズにまで目を通していただきました皆様に対しましても最後に熱く御礼申し上げて筆を置くことにします。


ありがとうございました。


<追記>

「松山の地名・町名由来」シリーズの34号「生石町と生石地区」(「松山市の地名・町名由来」・「生石町・生石地区」 34)の記事の内容の中で、「生石町」(いくしまち)の町名由来は間違っているというご指摘を「O氏」から頂きました。

更に、「生石町」の町名由来となったとされている<阿弥陀如来像>は、写真文章とも完全に間違っていて、伝承されてきた石仏は、建物の中に置かれている」というご指摘でした。

そういうご指摘を頂いたこと自体、ワタシの書きました記事を真剣に読んでいただいたということであり「O氏」に、深甚なる謝意を表するとともに、以下の文章を付け食わせさせていただきます。

①「町名由来」に関する説は諸説あって、ワタシが紹介したのはその中の一つに過ぎないことを、改めまして書いておきます。

②「阿弥陀如来像」の写真と画像とも違っているというご指摘があったことをご紹介しますとともに、では伝承されてきたという「阿弥陀如来像」はどこに保管されているのかは分からず仕舞でした。

以上2点を追記させていただきます。




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郷里 野村町のクリスマス・イルミネーション 2013

今年、2013年も余すところ後僅かになりました。

今年も、郷里である「西予市野村町」にあります”朝霧湖湖畔”の年末の夜を彩る”クリスマス・イルミネーション”をお届けします。

今日の画像は、東京で今、大変厳しい戦いに立ち向かっておられる”同郷の親友”に捧げます。その親友には、昨年年末もここ野村町から”イルミネーション”画像と、今年のお正月にアップしました”大野ヶ原の動物たち”の画像を捧げました。(郷里 野村町のスリスマスイルミネーション)・(「新年 大野ヶ原 動物達 3」)・(「新年 大野ヶ原 動物達 4」

でも、来年のお正月は「日本の夜明け」と題します歴史シリーズを6回連続でアップしますので、今日のこの画像だけになります。

トナカイ1
なお今日は、何時もの私のブログとは趣を変えまして、多くの言葉は記しません。


朝霧湖湖畔”に夜の帳(とばり=幕)が降りる頃、漆黒の闇を一瞬の内に”お伽話”の世界に変えてくれる”光の妖精たちの表情”を示すだけにします。

トナカイ2
撮影データを見てみますと、昨年撮影のために帰郷した日と、ほぼ同じ日に”朝霧湖湖畔”に立っていました。

不思議な巡り合わせに、ちょっと呆然としました。

なお、今年の”郷里のイルミネーション”撮影の背中をそっと押していただいたのは、リンクさせて頂いていて東京吉祥寺にお住まいの:”ぴんくモッチー”さんの以下の記事でした。(丸の内イルミネーション2013)ここに深甚なるお礼を申し上げます。ありがとうございました。

上からツリー3
イルミネーションで有名な”神戸ルミナリエ”も見に行ったことがあります。


都会の”イルミネーション”は、周囲をネオンサインに彩られた中で華麗に、豪華に輝いていました。

中心4
もちろん周囲のネオンサインの明かりに負けじ、とするかのような、その明るさや艶やかさに目を見張りました。


と同時に、人・人・人・・・・・押し合いへし合いの人の群れの中での見学になりました。

イルミネーション5
ところが、人口僅か1万人余りの小さな山村の”イルミネーション”です。


周囲の闇に溶け込んでいて、都会の華麗なイルミネーションとは随分趣が違います。

逆さ紅葉6
当然に、観客も子供連れ、孫連れの数人、若いカップルなどが時折通り過ぎながら”感嘆の声”を放つだけ。


撮影するワタシは、イルミネーションの中まで入り込んで自由に撮影できます。

ホタル7
と・・・・・・     この辺りまでは、極普通に撮影を続けていました。


ところが、燦然と輝くイルミネーションの光の中から、突然に”ホタルの群れ”が出現したのです。

線描8
「アレ?????・・・・・」っと、呆然と立ち尽くしました。


すると、突然”光の妖精たちの乱舞”が始まったのです。急な目眩(めまい)に襲われたのでしょうか。

点描9
ワタシは立っていられなくなって、その場にしゃがみ込みました。


見る見る間に、周囲を”光の妖精たち”に取り囲まれていました。

スジ描10
光の妖精たち”の、自由奔放なダンスが始まっていました。


ワタシはしゃがみこんだまま、ただただ彼女たちの舞姿に酔い痴れました。

V描11
これは・・・・・・歓迎してくれているということなのか?・・・・・・


時には激しく、また時には優雅に舞います。

勾玉描写12
来年3月アップする予定の”出雲国の歴史・外史”を取材する為に、先月出雲を旅しました。

その時”玉造温泉”の傍を通りましたが、あの地は出雲国時代に”勾玉”(まがたま)を作っていたところです。

上の画像は、まるで出雲国で作られていた”勾玉”のように見えました。

線描13
光の妖精たち”の乱舞はいきなり始まりましたが、終わりも唐突でした。

”光の妖精たち”は、音も合図もなく、すーーーっと集まりました。

そして”カモメ”の姿になって、一斉に飛び立ったのです。

「来年もまた来てねーーーー・・・・    」って言ったのか?

最後に、”この記事を捧げた親友に告ぐ、人は、決して孤立無援ではない”ことを。

安寧なるお年”をお迎え下さい。どういう状況であっても、安寧を祈り念じている人が、あなたに周りには沢山いることに思いを致して下さい。




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「トラットリア ヴェント・ディ・マーレ」・「愛媛グルメ紀行」 652 

今日は花園町の東側商店街、森ビル1階にある”Trattoria Vento di Mare”(トラットリア ヴェント・ディ・マーレ)さんをご紹介しましょう。


このお店は、昨年6月にオープンされ、既にかなりのお客さんをつかんでおられるご様子でした。


なお店名の一部”Trattoria”(トラットリア)とは、気軽に入れる、比較的小さくて大衆的なイタリア料理店という意味です。


また”Vento di Mare”(ヴェント・ディ・マーレ)は、ヴェントはイタリア語で””を意味し”Mare”はラテン語を語源とする言葉で””という意味。つまり”海の風”を意味しています。

玄関1
玄関は見ての通り間口が狭いので、車で花園町を走っていては発見できにくく、歩かないと気が付かないと思います。


偶然にこのお店の前を歩いていて見つけました。


このブログを書き始めた頃は、ネットで行く先を探していたこともありますが、今はネット検索することは全くありません。全て自分で歩いて見つけたか、ブロブ友の紹介や、様々な読者の方々からの情報提供に依っております。

店内2
店内に入りますと、この様に奥行きが長いお店であることに気が付きます。収容できるお客さんの数も、かなりいけますね。


店内は若い男性シェフと、後は厨房内と外に1名ずつの女性スタッフで対応されています。


ワタシは入り口に一番近く、しかもシェフが調理をしておられる真ん前のカウンター席に座りました。

店内3
お店の開業年月日や、店名の意味などは目の前で忙しく立ち振る舞うシェフに直々にお伺いしました。


もちろん、客がたて込む前の一瞬の隙をついてのことです。


ワタシの場合、初めてお伺いするお店であろうが、そのお店の方からお話を聞かなくては、ワタシの記事にはなりません。その時一番気を使うのは、”お店の方にご迷惑をお掛けするようなタイミングと内容での質問をしてはならない”ということです。


神経を研ぎ澄まして、一瞬の隙を突いて話をお伺いすることに、全精力を傾けております。ランチタイムに入った時に、料理人さんに話しかけるということは、ワタシには出来ません。


目の前は、画像のように高い衝立板壁があって、その上には様々な新鮮さを誇示するばかりの食材が並んでいます。ですから、シェフの手元での調理過程は観察できない厨房構造になっています。

メニュー4
なお”ランチメニュー”は二つです。その一つは”ヴェントピアット”と名付けられた、メインディッシュに肉料理などを取り込んだ豪華版。お値段850円。


そしてもうひと品は”パスタピアット”と名づけらたパスタ料理です。お値段720円です。これは”本日のパスタ”と、後は”スープ”と”サラダ”から成り立っています。


なお、メニューに付いている”ピアット”という言葉の意味ですが、イタリア語で” 皿に盛られた料理”を意味します。つまり”パスタピアット”とは、パスタの一品料理という程の意味でしょうか。


メニューをひと目見ただけでは、”本日の”と銘打たれて、毎日メインディッシュやパスタの内容が変わるとは見えないのですが、このメニュー表を目を凝らして見て頂くと、毎日その内容が変わるという仕組みに気が付きます。


つまり、メニュー表で白く見えている部分が”紙芝居方式”になっていまして、メニュー表の二つの空洞の中は、後ろの毎日書き換えるメニューが挟まれている構造になっているのです。考えられましたね。

スープ5
そこで私が注文したのが、本日の”パスタピアット”と言われるもので、当日のパスタは”サーモンとポテトのシソクリームソース”と名付けられたものでした。お値段は720円です。


そして画像が”スープ”です。この”スープ”・・・・・・・・・・・”絶品だった!


中身は人参とキノコにパセリを散らせてあったけど、そのスープ自体が奥深い味でコクがあった。これ一つとっても、このシェフの手腕に並々ならぬものを感じ取った。

グリッシーニ付きサラダ6
こちらがサラダ。”グリッシーニ付きサラダ”と呼ばれていました。


グリッシーニ”とは、画像にも見えるスティック状の細長いパンのことです。イタリアのレストランではこれを、卓上パンとしてかご盛りにして出したり、これに生ハムを巻きつけて食べるそうです。


彩りと言い、新鮮さといい、やや酸っぱいドレッシングの相性といい文句なしのバランスの良さです。まあキュウリを見て下さいよ。ちゃんと飾り包丁の目が入っています。サラダ一つとっても手が込んでいます。

パスタ7
そしてこれが当日のパスタ、”サーモンとポテトのシソクリームソース”です。


供せられた瞬間に、”シソ”の微かな香りが漂ってきました。”シソ”君から「コンニチハ!今日はよくイラッシャイました!!」って挨拶された気分にさせられます。


そして、実に大胆に”サーモン”と”ポテト”がゴロゴロと散りばめられています。

パスタ8
シェフの手が瞬間ですが空いて、視線があった時に「まあ何と、贅沢というか大胆というか・・・・サーモンとポテトの塊を惜しげも無く投入されましたね!」っと、お声を掛けてみた。


すると「ええ、どうせ食べていただくなら、タップリと食べていただきたいですもんね!」っと笑顔が弾けた。


このお店の”パスタピアット”は、上乗せ価格なしで増量も頼める。この気風(きっぷ)の良さに、シェフの”食べ物観”が出ているようで、実に好ましかった。

アップ9
味ですよ、味。シソが入ったクリームソースが、当たり前かもしてないけどシッカリとクリーミーに仕上がっている。サラットもし過ぎず、かと言ってネットリもしていない。


そして、紫蘇の香り仄かに爽やかに漂うクリームソースとパスタの相性も抜群だった。


おまけに、サーモンとホコホコしたポテトとパスタの相性も、これもまたいい。これぞ、”喉をほって”褒め称えたい味と仕上がり具合です。


ただ、通常食べている”スパゲッティ”(直径2.0mm)より、心持ち太いような食感だった。それが味に影響はしないけど。スパゲッティよりやや太めの(2.08mm~2.14mm)”ヴェルミチェッリ”サイズかな?っという程度の感覚です。

麺アップ10
これがその”パスタ”です。そこでシェフに余裕が出来た瞬間に「このパスタ、通常のスパゲッティより心持ち太いようですが?」っとお尋ねしてみた。


すると「いえ、スパゲッティを使っています。恐らく市販のものがやや細いのでしょう」っというお答え。


そして「お客さん!”パスタ”がお好きなんですか?」っと逆に尋ねられた。


そこで、顔中シワだらけにして頭全体で大きく頷いたワタシ。シェフは「ウフフフ、思った通り!」っと言わんばかりの笑顔でした。


「このお料理、ちょっと息を呑むほど美味しかったです」っと率直に感想を告げたら、シェフに最敬礼された。シェフは、松山市内の各店で修行を積まれたそうです。


このお店、帰る前にiPhone5のメモ欄の”再訪リスト”に登録し、同時にパスタの画像を”ツイッター”にアップしてお店を後にました。


なお、還暦をとうに越したワタシが”ツイッター”まで始めました。ツイッターのアカウントは @hyouga0620です。やればできるもんですね。




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「再訪 192 お好み焼・鉄板焼 HARU」・「愛媛グルメ紀行」 653

今日の記事が、今年の”愛媛グルメ紀行”に於ける最後の記事となります。今年最後の記事は、いかにも”ワタシらしい記事”で締めくくることにしましょう。なお、来年年明けの”愛媛グルメ紀行”は1月8日からです。


この来年1月8日の記事は、特に全力を上げて、新年に相応しい記事に!っという思いで書きました。こちらの記事も”乞うご期待!”です。


さて本年最後の記事に、と選んだお店です。それは、西石井6丁目の普通の住宅街に2012年6月にオープンして3年目に入った”お好み焼・鉄板焼 HARU”さんの三度目のご紹介です。


このお店を初めてご紹介したのは、以下の記事でした。(「お好み焼・鉄板焼 HARU」・「愛媛グルメ紀行」 303


更に2回目としてご紹介したのは、以下の通りでした。(「再訪 133 お好み焼・鉄板焼 HARU」・「愛媛グルメ紀行」 559


このお店でも、ある意味店主さんとの”衝撃的な出会い”を果たしたしましたので、本年最後のお店に選びました。


その店主さんは、ワタシより年上(一回りとちょっと年上)の女性店主さん。一般的に言えば”ばーちゃん”です。もっとも、その意味で言えばワタシも”じーちゃん”ですが、ワタシには残念ながら孫は未だいない。

玄関1
こちらがお店の玄関。前回お訪ねした時も雨でしたが、当日も雨でした。松山が35年振りに11月中に”初雪をみた”っという日におじゃましました。


その、”ばーちゃん兼お姉さん”との出会いを、なぜ衝撃的と書いたかといいますと、今年の7月16日に二度目の訪問をした時の出来事でした。


先ずは、2回目の訪問はほぼ1年ぶりでしたが、1回切りしかお訪ねをしたことがなかったワタシを明確に、詳細に覚えておられました。


そして2回目の訪問で食事を終え、勘定を済ませる時にその出来事が起こったのです。

メニュー2
それは、このお店の”再訪スタンプカード”が原因でした。ワタシはこういうシリーズを書いていますので、一つのお店を何回でもおじゃまするということが中々出来ません。


ですから、初回訪問した時に渡された”ポイントカード”(30個、スタンプが揃えば一回無料になる)を持ち歩いてはいませんでした。


勘定をした時、”ばーちゃん兼お姉さん”が「”ポイントカード”持ってきた?」っとワタシに尋ねられた。


その問いに、つい「ああ今日は持ってくるの、忘れてしもーーーた!」っと嘘を言ってしまった。


するとその時、”ばーちゃん兼お姉さん”はこう言った。「うん、ええよ!”私の心の中に2個目のスタンプ押した”ケン!忘れんケン!!」この”殺し文句”。


完全にこの殺し文句で”ノックアウト”された。(前回記事を一部引用)


そしてワタシのこの記事を読まれたのが、今年8月に松山に一週間の日程で来られた”横浜の旅人君”。この”横浜の旅人君”も、上の”ばーちゃん兼お姉さん”の言葉にノックアウトされた一人。

天カス乗せ4
松山に来られるまでに、それまでワタシが書いた”愛媛グルメ紀行”の全記事を2回繰り返し読まれて、その中で松山に行ったら行きたいリストをメールで送って来られた。


その筆頭に書かれていて、松山到着直後にワタシが同行したお店がこのお店。彼はひたすら、殺し文句を放った”ばーちゃん”に会いたかったという。(若い彼にとっては、文字通り”ばーちゃん”です)


ところが、彼と共に8月にこのお店をお訪ねした時、”ばーちゃん”はお店におられず、長女さんがおられた。


ばーちゃん”は骨折して入院したという。でも、その長女さんが仰るには、「わざわざこのお店を横浜から訪ねて来られたことを母が知ると、それはもう大喜びするのに!」っと言うことでした。

豚バラ乗せ5
そこで、横浜の旅人と二人でお訪ねしてから3ヶ月後、お店をお訪ねしてみました。すると、ワタシがお店に入るなり「アレーーーー、お元気やったーーーー!」という”ばーちゃん兼お姉さん”の笑顔、また笑顔。


こちらこそ「骨折ってどーーやったん??」っと、いきなり旧知の間柄の会話から3回目の訪問が始まった。


注文したのは、このお店イチオシの”広島お好み焼き”(豚玉そば入り)、700円です。


目の前で”広島お好み焼き”(豚玉そば入り)が、鉄板の上で作られていく。そこに、常連さんが一人入ってきて、同じものを注文された。


「ばーちゃんが長い間休んどったケン、弁当注文していた人等が、皆困っとったデーー!」っと常連さん。


このお店、多くの人の為に”弁当”の注文を受けていて、毎日午前中”ばーちゃん”がそれを作って、職場や家庭に配達されている。


お昼のランチタイムは、それらの注文弁当を届け終わった後にされています。


ばーちゃん”の骨折入院は3ヶ月に及んだ。夏が終わったからと、梯子(はしご)に登ってエアコンの掃除をしていた時に、その梯子から落下し、骨盤などを骨折された。

麺返し7
ばーちゃん”が入院リハビリしていた3ヶ月は、当然に長女さんが弁当も作り、お店もやられていた。そういう時に横浜の旅人と訪れた。


その客が話しを続けた。「ばーちゃんが退院して復帰したと聞いた時、弁当を頼んでいた皆が、ああこれでやっと”ばーちゃん”の弁当が食べられる!っと」


すると”ばーちゃん”、口を尖らせてこう言った。「何イヨーーン!ウチの娘はナーー!料理うまいんよーー!」っと。


「そりゃあ、皆分かっとる!分かっとるけどなーー、ヤッパ、揚げもんが多ーーなって、その内に皆、ああ”ばーちゃん”の弁当が食べたいって言うようになったんよー!」っとお客さん。

卵潰し8
そういう会話の間でも、”ばーちゃん”の手は休むことない。手際よく、長年慣れ親しんだ手順で”広島お好み焼き”を作っていく。


ばーちゃん”は、弁当の話題から戻ってきた。「あのなーー、遠くからわざわざウチにお客さん連れてきてくれた!ユーーテ、娘から話を聞いたんよ!それでなーーー、お礼の電話せないけん思もーーてな!」


「ところがその頃は、まだ骨折の痛みがあって、電話しとーーーでも、体が痛とーーーて、電話よーーせなんだ。ごめんよ!」っと。


涙が出た。「自分の体が第一デショ!」っと歯痒くなった。

大根と人参
このお店に来ると、何時も画像に見られるような”ばーちゃん”手作りの”おかず”を出して頂く。


「これナー、大根と人参と豆腐を炒って、そしてイリコと一緒に炊いてみたんよ!」


「うーーーーーーん、・・・・・・・コレ、やっぱり”ばーちゃん”じゃないと出せん味じゃねー!そりゃあ弁当頼んどるお客さん、”ばーちゃん”じゃないとイケン、ユーーンはよ~分かる!」っとワタシ。


何でもない、その辺りにある素材を使って、それでも”ばーちゃん”じゃないと作れない味を引き出す。


ウフフフ・・・・」っと、可愛くハニカミながら微笑む”ばーちゃん”。

蕪漬け
「それとな!お好み焼き食べたあとで、コレ食べてみて!」っと、また別の”おかず”を出していただいた。決して別料金など取りはしない。


「え”コレは???・・・・」っと、思わず見入ってしまった。


「うん、コレなー、(カブ)なんよ!柚子(ゆず)を買ーてきてな、自分で漬けたんよ。赤いのは鷹の爪!」っと。


手作りの”柚子酢”なので、酸っぱさが尖っていない。でも、鷹の爪がぴりっと効いていて、後味すっきり、旨い!

完成9
さあ、これが目の前で焼かれた”広島お好み焼き”。


ばーちゃん”は元々広島でこの世界に入った。そして、このお店は”76歳の時に開店”された。年季が入っているのです。


お好み焼きに入っている””は、今でも広島から取り寄せている。キャベツも、客の見ている前でシャッシャッシャッっと切り下ろされる。ソースも独自にブレンドされている。


ジューシーで美味しいに決まってる!小さいコテで切り分け、「ハフハフ」言いながら食べた。

断面10
こちらが、お好み焼きの断面。一体何層構造になっているのか?複合の旨さだ!


今年も様々な人と出会った。ほとんどの場合が初対面からのスタート。でも、初対面だからといって、コミュニケーションが取りづらいなどという思いはしたことがない。


そういう様々な出会いの中から、貴重な縁、”朱雀の縁”(すざく=宝物という意味で使った)に恵まれた。


そういった出会いに支えながら、今年もこのシリーズを206回書き綴ることができました。このまま順調に行けば、再来年(2年後)には待望の”1000号”に届くことになります。


来年は、その”1000号”への一里塚を固める年度になりそうです。今年1年、”愛媛グルメ紀行”シリーズをご覧になっていただいて、ありがとうございました。



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「愛媛グルメ紀行」を振り返る 89

今週の土曜日も”愛媛グルメ紀行”シリーズを振り返ってみましょう。

今日振り返るのは、昨年の春頃にアップした265号から267号までのお店です。

先ず最初に”に振り返るシリーズ265番目のお店は、昨年4月10日にシリーズ262番目のお店としてご紹介した、三番町2丁目のイタリアンレストラン”0RSO”さんが1階に入っているビルの2階にある”つけ麺”の専門店”媛乃屋製麺所”さんです。(「媛乃屋製麺所」・「愛媛グルメ紀行」 265

場所は、千舟町から大街道に入り北に上って、東に抜ける一つ目の角に”廣島つけ麺 ばくだん屋”さんがありますが、そこを東に入って3軒目のビルの2階です。

玄関1
入り組んだビルの谷間にある上に、お店は2階です。

飲食店立地で考えますと、2階の店舗は厳しい条件を背負っています。

オーナーは、自分で打った””をこのお店に毎日届けに来る男性で、普段はお店には出ておられないようです。

昨年の11月にオープンしたばかりの、これからのお店です。(記事を書いた時点)

つけ麺5
さて、これがこのお店の軸になっている”つけ麺”です。お値段は680円。

”つけ麺”が運ばれてきた瞬間から、”つけ汁”から濃厚な”魚介系”の香りが立ち昇っています。

先ず、””そのものに””と”弾力”があり、更に小麦粉の香りが活きているのです。

丹精込めて打った”麺”だということは、それを一本口に含んでかみ締めてみるとよく分かります。

でもこのお店は”再訪できません”。既に閉店されたからです。やはり2階でという厳しさが乗りきれなかったのか。


二番目”に振り返るシリーズ266番目のお店は、昨年4月11日にご紹介した、大街道1丁目の”スワンビル”1階に入っている”廣島ばくだん屋松山大街道店”さんです。(「廣島ばくだん屋松山大街道店」・「愛媛グルメ紀行」 266

場所は千舟町通りから大街道に入って城山のほうに向かって進むと、アーケード街の西側に”マツモトキヨシ”がありますが、その東側角です。

このお店は、広島市を本部として広島県や福岡県、大阪府、更にはタイのバンコクなどに32店を展開する”廣島つけ麺”を提供するお店です。

玄関1
こちらがそのお店の玄関です。派手で目立つ看板ですから、分かりやすいお店です。

本部のホームページによりますと、原型は戦時中の中国で作られていた料理が基になっていると伝えられているそうです。

その原型が、昭和60年ごろから”廣島つけ麺”と呼ばれるようになり専門店が登場し、そして今世紀に入り”芸能人”の発言がきっかけで全国のTV番組に登場。一気にブームが巻き起こったといいます。

つけ麺5
初心者や初めて”廣島つけ麺”を食べる人は、全部で20段階に辛さが分けてあるうちの””を、と書いてあります。

ワタシは、辛さは平気なほうなので、初心者クラスの一段上の”辛いの好きな人クラス”の”3~5”を選びました。

そこで出されたのがこの”廣島つけ麺”の並(1.05玉)です。お値段は決して安くはなく、780円(内税)です。

”廣島つけ麺”の辛さ以外の特徴は、冷たい中太ストレート麺、茹でたキャベツ、千切りされたキュウリ、たっぷりと乗せられたネギにあります。

そして”つけダレ”は、魚介系の和風ダレで、大量の胡麻が投入されています。

決して辛くなんてありませんでした。人によるのでしょうが、ワタシには物足りなく思いまいた。

看板で様々に”大書”するほどのものでは全くありませんでした。

従ってこのお店、”再訪しません”。現在、大街道にこのお店はなくなったからです。別のラーメン屋さんが入られていますが、興味はありません。


最後”に振り返るお店は、昨年4月9日にシリーズ267番目のお店としてご紹介した、大街道1丁目”廣島ばくだん屋”さんが入っている”スワンビル”から東に入った直ぐの所にあるイタリアンのお店”cucina Italia ORSO(オルソ)”さんです。(「cucina Italia ORSO(オーソ)」・「愛媛グルメ紀行」 267

店内では、男性のシェフ1人と若い女性スタッフが2人、昼時は3人でお店をやっておられます。

玄関2
こちらがお店の”店頭風景”です。

パリやローマの街々にある”カフェテラス”がしつらえてあります。

昨年9月にオープンしたばかりの新しいお店です。(記事を書いた時点)

パスタ7
こちらが選んだパスタランチの”海老といか、大根、白菜のバジルクリームソース”です。お値段は850円です。

4種類の中から選んだパスタと、スープとサラダ、それにパンがついて850円(内税)です。

大ぶりな海老とイカがゴロゴロ入っていて、それにバジリコのクリームソースがマッタリと絡んでいます。

この味が、実に濃厚です。オリーブオイルがたっぷり効いています。

実は、このソースの”マッタリ感”がシェフのこだわりなのです。

なお、このお店の店名の意味は、過去記事の本文をお読みください。

このお店は”再訪しません”。実はワタシ、オリーブオイルタップリの”マッタリ感”が苦手だからです。


この”愛媛グルメ紀行”を振り返るシリーズ、今年の最後です。


また来年も続けます。






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「愛媛の歴史特別編」・「日本歴史の夜明け・外史」を書くに当たって

来年のお正月、つまり翌々日(あさって)の1月1日から、日曜日の1回のお休みを挟んで6連続で「愛媛の歴史特別編」・「日本歴史の夜明け・外史」をアップします。


これは、今年の8月上旬に4泊5日で、「京都」と「奈良」を巡って妹と弟との「兄弟旅」をした時に取材したものです。


先ず、1日の1回目から途中の日曜日の休みを経て、6回連続で「奈良」を旅したことに基づいて、”日本”という国号が使われるよになり、同時に”天皇”という称号が使われるようになった時代を書きます。


この14回(奈良・京都)のシリーズの中で”最初の4回”がシリーズの、言わば”ハイライト”です。残りの10回は、その4回とは趣を異にした”名所旧跡案内”と言ったものです。


なお何時も「歴史」をテーマに書く時に書くことですが、ワタシは歴史の専門家でも学者でも地域の歴史マニアでもありません。単なる「歴史好き」と言うだけの素人が書きます「歴史外史」です。


また、それに続いて「出雲国の歴史・外史」(仮題)といったものを、3月末まで4回に分けて書きます。


1月1日から書きます、通算18回のシリーズも「これが歴史の真実だ!」などと声猛々に言い募るものではありません。誤解のないように。

石舞台古墳
以下の画像と、今日の記事の内容とは直接は関係していません。従って、画像の詳細な紹介はしません。ただ、1日からの6連続シリーズで書きますポイントとなった場所の画像です。


なおこの画像は、奈良の”石舞台古墳”です。1月1日にアップする記事で詳しくご説明します。


この通算6日間のミニシリーズを書くに当たって、中学・高校で習って来た”日本史”を、もう一度自分の頭に蘇らせたくて、新たに20冊ほど、この時代の歴史を書いた書籍を購入して読みました。何度も何度も読み返しました。


その20冊の殆どが、大学で日本史を専門にされている研究者が書いた本です。それぞれ、自分が専門として研究している時代毎に分担して書いておられます。


ところが、これらの学術書を読みますと、自説を紹介するのに「A氏の説はこういう理由で否定、B氏の説はこういう理由で半分否定、C氏の説はこの点が不足しているので、そこを補強した」と、まあこういう記述で満ちています。


でもその方の説も、何しろ”古代史”を扱っていますので、それに関する文献や資料や遺跡が完璧に揃っているものではありませんから、”これが決定打だ!”という話にはなりません。


これは、地域の歴史をコツコツと研究なさっている方々の意見や見解でも同じことが言えます。


読めば読むほど混乱するばかりでした。ですから、一旦読んだことを全部忘れることにしました。忘れるのは得意ですから。


なお、今回のシリーズを予告したワタシのブログ記事に対して、何時もコメントを寄せていただいています”ファットマン”さんからは貴重なアイデアを寄せて頂きました。


ただ、そのアイデアを今回の記事の中に盛り込むほどの力量がワタシにはなく、活かしきれませんでした。しかし、何れ書きたかったテーマですので、将来書くことになるかも知れません。(この本編14話が終わった後に引き続いて、3月に4回に分けて書くことにしました。その為の現地取材も終えました)


同じく”謙介”さんからは、ご自身の恩師の著作で、ご自身も編集のお手伝いをされたという書籍(日本人の一生:上・下巻、著者 吉田清氏)を推薦していただきました。


その書籍も取り寄せで購入し拝読しましたが、”宗教民俗学”という分野は未知の世界でしたので、残念ながら理解するに至りませんでした。この14回のシリーズで、わずかに引用させていただいたにとどまりました。


お二人には、1日からシリーズを書きます前に、深甚なる敬意と謝意を表します。

文武天皇陵
上の画像は、初めて”日本”という国号を使い、”天皇”と称した飛鳥時代の”天武天皇”(てんむてんのう)の孫、”文武天皇陵”(もんむてんのうりょう)だと言われているものです。


結局、自分の本棚で誇りをかぶっていた「黒岩重吾」氏の、小説群が一番スッと頭に入ってくることに気が付きました。


「黒岩重吾」氏は、皆さんご承知のように”小説家”です。ですが、一方では大学の研究者以上に”日本古代史”を研究された専門家でもあります。黒岩氏の場合は、当初は趣味で、途中から小説の素材にするために研究を続けられた方です。


ですから流石(さすが)といいますか、曖昧模糊(あいまいもこ=漠然とした)とした古代の断片的な資料の中から人間の営みに目をつけられ、生き生きとした”人間史”を描かれています。コレだ!っと思いました。


歴史の学術書では駄目だったんです。(内容が難しくて理解できなかった、という訳ではありません)


従って、1回目~4回目までの記事の内容は、「黒岩重吾」氏の著作を参考にさせて頂きました。つまり4日間の記述の出典は、「黒岩重吾」氏の小説群に依るところが大です。「黒岩重吾」氏に敬意と謝意を表すものです。

藤原京大玉殿跡
上の画像は、”天武天皇”の后で、天武天皇の次を継いだ”持統天皇(女帝)”(じとうてんのう)が飛鳥から都を移した”藤原京跡”(ふじわらきょうあと)です。


1回目~4回目にかけては、現在の”日本”の基本が出来上がった時代を書きますが、その大きな契機となった”壬申の乱”(じんしんのらん)以前とそれ以降に書き分けて、そこでの”人間模様”に焦点を絞って書きました。


それに続く2回は、”東大寺”と”盧遮那仏”(るしゃなぶつ=奈良の大仏)に関することを書きます。


この2回の記事は、第212世元東大寺別当をつとめられ、現在は東大寺長老をつとめられています”筒井寛秀”(つつい かんしゅう)氏の著作である:「誰も知らない東大寺」を参考にさせていただきました。

東大寺南大門下から
上の画像は、”東大寺南大門”の、大きな柱から、門の軒下を見た画像です。その巨大さがお分かり頂けますでしょうか。



これら6回のシリーズが終わった後は、「京都」の名所旧跡を8回のシリーズでお届けします。


この8回のシリーズの第1回は、1月13日(月曜日)にスタートし、以降毎週月曜日に1号づつ書いていきます。

線香立て
この画像は、”東大寺大仏殿”前にある”金銅八角灯籠”です。


1月13日 「愛媛の歴史特別編」・「仁和寺・知恩院」7 をご紹介します。


1月20日 「愛媛の歴史特別編」・「南禅寺とインクライン」8 をご紹介します。


1月27日 「愛媛の歴史特別編」・「平安神宮と京都御所」9 をご紹介します。


2月3日 「愛媛の歴史特別編」・「下鴨神社」10 をご紹介します。


2月10日 「愛媛の歴史特別編」・「鹿苑寺(金閣寺)」11 をご紹介します。

木の根1
この画像は、東大寺境内の歴史を感じさせてくれる”木の根”です。時代の重みを感じます。


2月17日 「愛媛の歴史特別編」・「北野天満宮」12 をご紹介します。


2月24日 「愛媛の歴史特別編」・「本能寺」13 をご紹介します。


3月3日 「愛媛の歴史特別編」・「比叡山・延暦寺」14 をご紹介して、「愛媛の歴史特別編」全シリーズでは通算14回のご紹介を終えます。


またまた長いシリーズになりますし、今回は愛媛には直接の関係はありません。

木の根2
ただ、それぞれの記事の中で、「松山の地名・町名由来」で書いてきましたことが、古代の飛鳥・奈良・平安時代の様々な出来事や制度と密接につながっていることに気が付きます。


今まで書いてきた”愛媛の歴史の視点”は、横へ横へとつながりを求めての””でした。


今回の”愛媛の歴史特別編の視点”は、縦へ縦へという”時空旅”をします。


さあて、これらの視点の広がりで、歴史を”立体的”に見ることはできないものか?


来年しょっぱなの、ワタシの新たな”挑戦”です。




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今年一年、ありがとうございました・今年を振り返って

今年も余すところ、今日一日になりました。


ブログを書き始めて5年目に入っています。通算で”1700号”をとうに超えました。


これも一重に、ワタシのブログを見て頂いた方々、全てのお支えあってのことです。

大波1
今日は、”出雲”への取材を兼ねた小旅行をしました時の、”日本海”の画像をご紹介しながら今年1年を振り返ってみようと思います。


従って、画像と本文とには直接的な関係はありませんので、画像の詳細な説明は省きます。

大波2
なお、”出雲”への取材旅を思い立ったのは、お正月から書き始めます(つまり明日から)”日本の歴史”シリーズの中の、”日本歴史の夜明け・外史”と題しましたシリーズで書き切れなかった”出雲国の歴史”を勉強したいと思ったからです。


日本の歴史と”出雲国の歴史”を対比させて考えてみたら面白いのではないかと示唆していただいたのは、ブログ友:”ファットマン”さんです。(ファットマンの松山B級グルメ日記


ファットマン”さんに、改めまして深甚なる謝意を表するものです。ありがとうございました。

大波3
またこの”出雲国取材旅”には、同行していただいた”畏友”(いゆう=尊敬する友人)の存在があります。この”畏友”の綿密な旅の手配あってこそ成り立った”取材旅”、改めて深く深く感謝の意を捧げます。

その”畏友”とは、ブログ上の知り合いからのスタートでしたが、今やワタシの現人生の最大の理解者の一人であり心の友の一人になって頂いている”ジンゴズンゴ”さんです。

ジンゴズンゴ”さんとの出会いは、初めてコメント頂いたことがキッカケでした。(「あたりや」 真っ当な「B級グルメ店」 101)この記事のコメントから全てが始まりました。今では無くてはならない”心の友”です。

なお、”出雲国の歴史”につきましては、来年の1月13日から3月3日までの8回シリーズで、毎週月曜日にアップします”京都の歴史ご紹介”に続いてアップいたします。

今のところは、来年の3月10日と17日と24日と31日(何れも月曜日)の4回に分けて、出雲旅行で学んだことも含めまして、例によって歴史の素人が語ります”出雲国の歴史・外史”としてアップする予定です。

ただし、偶然といえば偶然なのでしょうが、この”取材旅”を行い、ここまでの記事を書きましたのは”11月”でした。

11月は”神無月”(かんなづき)です。日本全国の”八百万神”(やおよろずのかみ)は、全てこの月に”出雲”に集結していて、全国各地の神様は空っぽになる月だったんです。

なお、11月には全国各地から全ての神様たちが出張されて”出雲大社”に集まります。ですから出雲を除く国々には神様が全くいなくなるので、その出張月を”神無月”(かんなづき=かみさまがいなくなる月)とよびます。

また、全国各地から出張なさった神々の宿泊場所は、”出雲大社”の”本殿”左右に”西十九社”と”東十九社”、合計三十八の宿舎がちゃんと現在も用意されています。(詳しくは、”出雲国の歴史”で触れます)

ですから、愛媛に神様が空っぽだった”神無月”に、記事をチョロチョロとまとめようとしていたら、12月に入って、出雲から愛媛に帰ってきた神様に「コラーー!」って叱られるかも知れません。

ですから、上に書きました”出雲国”に関する記事アップは、内容と日程が変わるかも知れません。悪しからずご了承下さい。

波4
さて今年1年の”じゅんのつぶやき”の内容といえば、一番長く、そして多く書いていますのが”愛媛グルメ紀行”です。今年は、448号から653号まで合計206回を書きました。


その間に、”500号”と”600号”の節目も迎えました。500号は3月22日でした。(「とうとう500号 リストランテ バル ヴァリオ」・「愛媛グルメ紀行」 500


そして600号は9月20日でした。(「再訪160 愛 LOVE ハンバーグ」・「愛媛グルメ紀行」600 ・「朝生田町由来」26


そして、今年の”愛媛グルメ紀行”シリーズの全206回の中で、ワタシが個人的に強く印象に残った号と言えば、前月11月7日にアップしました”バーチャン”との出会いでした。(「再訪 177 お食事処 アイダス」・「愛媛グルメ紀行」 627


ワタシのこのシリーズは”縁探し”の旅路を綴ったもの。その旅路を象徴するような強烈な出会いでした。

荒波5
また”愛媛グルメ紀行”シリーズに次ぐ回数をアップしたのが”愛媛グルメ紀行を振り返る”シリーズでした。


今年は34号から89号まで書きました。合計56回書いたことになります。1回3店舗ですから、延べ168店を振り返ったことになります。


このシリーズは元々、書いたワタシさえ昔のことを忘れてしまうために、時々振り返ってみたいと考えて書き始めたものです。


しかしこのシリーズを書いていまして、意外な意味があることに気がついたのです。と言いますのは、過去に訪れたことを振り返った際に、既に閉店されているお店や移転されて再出発されたお店など、近況の情報が多くの読者の皆さんより寄せられるようになったということです。


生きた愛媛の飲食業の動向”を、反映するシリーズになりました。

荒波6
三番目の回数で書きましたのが「松山市の地名・町名由来」シリーズです。1号から40号まで、予告を入れますと合計41回書いてシリーズを終えました。


その40回の中で触れた町名は104町、触れました地名は9、合計113の地名・町名を採り上げました。


一番思ったことは、ワタシは高校時代から(大学時代の4年間を除く)還暦をとうに超える今まで、ここ”松山市”に住んでいて、それぞれの地区や町の歴史を何一つ知らなかったという事実です。書きながら呆然としたことを覚えています。


こういう地味なシリーズも、見ていただいた方が結構いらっしゃって、書いて良かった!っと思っているところです。

荒波7
そして、”愛媛の歴史”のカテゴリーで今年書きましたのは、予告も入れて12回でした。


上に書きました「松山市の地名・町名由来」も、カテゴリーで言いますと”愛媛の歴史”に入りますので、実質的に歴史的なことは53回触れたことになります。ワタシのブログの中でも重要なジャンルだと位置づけております。


もしワタシのブログ”じゅんのつぶやき”の特徴は?と問われましたなら、”複数のジャンル”を同時に書いていることかも知れません、っと答えるでしょう。老人には余された時間が少ないのです、欲張りなんです。


さて、その歴史モノの中でも特に、強く印象に残っているのが5月11日から18日に渡って、予告も入れますと8回に渡って書きました「南予史探訪」シリーズです。


このシリーズは、それまで様々に書いてきた”愛媛の歴史”の、ワタシなりの一種の集大成の思いを込めて書きました。


このシリーズの中で一番印象に残っていますのは、やはり最終回です。(「南予史探訪」・「吉田 武左衛門一揆」 2


最後に、吉田町”安藤神社に祈る少年”の姿に、全ての思いを込めて書きました。今までのブログ歴の中でも、最も時間をかけ、現地調査を重ね、過去の知識と新しい知見を交えまして、心を込めて書きました。

夕日8
そしてこの1年、実に多くの方々から”コメント”を頂きました。本当にありがたいことだと、感謝しております。


中には”耳の痛い”コメントもいただきました。しかし、それもワタシのブログに興味を持って読んでいただいたからこそのことです。どういうコメントであれ、ワタシにとってはありがたく貴重なものです。


日曜日を除く毎日、必ずその日の午前7時にアップを続けることが今年も出来ましたのは、コメントを書いて下さった、あるいは書くことはしなかったけれど、目を通して頂いた多くの読者様の支えがあったればこそです。


一人孤立無援では、到底”ブログ”は継続できないことをワタシはよく知っております。

夕日9
その意味で、今年1年、ワタシのブログを、例え1回でも覗いてみていただいた方々全てに深い謝意を表させていただきます。


また、ワタシのブログの取材対象となった多くのお店や公民館や、貴重な情報をお寄せいただいた全ての方々に対しても、心から感謝していることをお伝えさせていただきます。


お忙しいお時間にお邪魔して、様々な質問をぶつけましたが、それらに丁寧にお答えいただき写真も撮影させて頂きました。どれほどの謝意を表しても表しきれないものと考えておりましす。


皆様、本当にありがとうございました。

夕日10
さて、もう間もなく新しい年が開けようとしております。


先月11月17日に行われた、”第5回横浜国際女子マラソン”で2位(日本人1位)に入ったのは、女子マラソンで初めてプロ宣言をした”野尻あずさ”選手でした。


この”野尻”さん、「私にとって走ることは生きること」と。


「なるほどなあ!」って思いました。次元もシーンもレベルもまるで違いますが、ワタシにとっても「このブログを書くことは生きること」に他なりません。


来年も、コツコツと、ただひたすら愚直に書き綴ってまいりたいと決意を新たにしたところです。


皆様にとって、来年という年が実り多き年となり、皆様方の周囲には笑顔があるれている、そういう年をお迎えいただくことを祈念しまして、今年を振り返る記事とさせていただきます。


皆様、どうか良いお年をお迎えいただきますよう。




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プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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