「愛媛グルメ紀行」を振り返る 97

今週の土曜日の”愛媛グルメ紀行を振り返る”シリーズは、一作年(2012年)の春頃にアップした289号から291号までのお店です。

先ず最初”に振り返るお店は、2012年5月17日にアップした289番目のお店、大街道2丁目の三越松山店の向かい側にある”らあめん 花月嵐”さんです。(「らあめん 花月嵐」・「愛媛グルメ紀行」 289)現在も存在しているかどうか?は、確認しておりません。

このチェーン店、日本では既に250店舗ものお店を展開されていますが、最近では台湾で日本の”ラーメンブーム”を引き起こした立役者としても有名です。

このチェーン店の看板商品は”嵐げんこつらあめん”で、豚の足首から先の骨の部分”げんこつ”と呼ばれる豚骨と野菜をじっくり煮込んだスープに豚の”背油”を加えた、一種のギトギト系ラーメンでしょう。

玄関1
こちらが大街道に面した玄関です。ところが吹き出しそうになりました。

それは”「コリャー何だ!」と思わせるのが、ひげ男が腕組みして辺りを睥睨(へいげい=にらみつけて勢いを示すこと)するポスターが、大々的に玄関に張り出されていたからです。

肉そば4
ということで、「どうだー!美味いだろう!参ったかー!ラーメン」を注文した。それがこの画像。”肉そばけいすけ”720円。

キャッチコピーは「圧巻の肉の旨味」と「先鋭的な醤油油!!」と「稀代の肉そば」だ。

まあこの店内のうるさい事と言ったらありませんでした。このお店BGMの合間合間に”肉そばけいすけ”の宣伝文句を大音量で流し続ける。

いかに「竹田敬介」という人がすごい人(ラーメン界のカリスマ)で、彼の名前を冠した”肉そばけいすけ”がラーメン界の革命的商品か、ということを”これでもか!”という風に流し続ける。

思わず「やかましいわい!黙って食わせろ!!」っと言いたくなるしつこさ。

もうこの手の、犬のスピッツのようなお店、間違っても再訪しません。気が小さい犬に限ってやかましくキャンキャン吠える。


次、二番目にご紹介するお店は、2012年5月18にご紹介した290番目のお店、県道松山松前伊予線(旧国道56号線)沿いの余戸南4丁目にある”男前ちゃんぽんの店 とらや”さんです。(「男前ちゃんぽんの店 とらや」・「愛媛グルメ紀行」 290

場所は、今の国道56号線の西側(河口側)に走っている県道の”出合橋”を200m程松山に寄った辺りです。

玄関2
このお店の玄関の上に差し掛かっている屋根には”石原裕次郎”の看板絵がかかっている。

この県道を通ったことがある方なら、一度や二度は目にしたことがあるでしょう。

その”裕次郎”の看板絵には、第二のお店の名乗り”嵐を呼ぶ ちゃんぽん”とある。

ちゃんぽん4
この画像がお目当ての”ちゃんぽん


スープは乳白色の色をしていて、いい出汁の香りが鼻腔をくすぐる。お値段は600円(内税)です。

「ウーーーン、スープが旨い!」っと、自然に声が出た。

「ふふふ、ウチは”熊本ちゃんぽん”やケンナー!”長崎ちゃんぽん”は鶏がらで出汁を取るンよー、」と、ご主人が語り始めた。

「ところが”熊本ちゃんぽん”はナー、鶏がらに加えて豚骨、野菜などをたっぷり入れて長い間煮詰めて出汁を取るンよー」

従ってこのお店は既に再訪しました。更に再訪を続けるかというと、それは微妙です。


今日最後にご紹介するのは、2012年5月19日にシリーズ291番目にご紹介したお店、東温市西岡の”手打うどん らく家”さんです。(「手打うどん らく家」・「愛媛グルメ紀行」 291

ある方が、ワタシの訪問するお店選びを”マニアック”(いい意味でのという注釈つきではありますが)と表現されました。

開店して今年で5年目のこのお店などは、間違いなく”マニアック”なお店選びに入るでしょう。

看板1
播磨塚池”を過ぎると、古くからある喫茶店の”キッサ ビッグディッパー”さんの道路を挟んだ向かい側に画像の小さくて目立たない”看板”があります。

この地域が、何故”播磨”という地名を名乗っているのか?につきましては、昨年40回に渡って連載しました”松山市の地名・町名由来”シリーズの23番目で採り上げております。(「松山市の地名・町名由来」・ 「衣山町・水泥町」 23

車で通っていて、この小さな看板を見つけることが先ず第一に困難でしょう。でも、この目立たない看板が目印です。

釜揚げ5
”釜あげうどん”と注文しますと、「うちは手打ちですから、茹でる時間、そう15分くらい待っていただければ”釜揚げうどん”が・・・」と。

なるほど、シンプルな味わい方こそがそのお店の力量を図れるというわけです。

そこで迷わず”釜揚げうどん”を注文、お値段は500円(内税)です。

確かに手打には違いない。でも、見た目ほどの弾力がない。それに漬け汁が濃いくて辛すぎる。

ため息が出た。

このお店、とても再訪する気にはならない。その意欲を全く感じさせてくれませんでした。


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「愛媛の歴史特別編」・「滋賀 比叡山延暦寺」 14

今日が”愛媛の歴史特別編”の最終回です。最後は滋賀県の”比叡山延暦寺”をご紹介しましょう。


延暦寺”(えんりゃくじ)は、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院です。


また”延暦寺”は、日本”天台宗”の本山寺院です。住職(貫主)は”天台座主”と呼ばれ、末寺を統括しています。


延暦寺”の開基は、よく知られている通り平安時代初期の名僧”最澄”(さいちょう)です。

比叡山から琵琶湖1
この画像は、”比叡山”から眼下の”琵琶湖”を臨んだものです。


愛媛の歴史特別編”の最終回は、”比叡山延暦寺”の諸施設を画像で見ながら、その時代が生んだ世界的な宗教家であった”最澄”と、その終生のライバルであった”空海”の辿(たど)った宗教上の歩みを対比しながら見ていくことで締めくくりとさせていただきます。


なお”空海”は、四国においては”弘法大師”、つまり”お大師さん”として親しまれていますが、日本における”真言宗”の開祖です。


また、”空海”の出身地は現在の香川県善通寺市であることも、四国内ではよく知らてれいることですね。”空海”の姓は”佐伯”で、幼名は”真魚”(まお)、つまり本名は”佐伯真魚”(さえきのまお)と言います。


また”弘法大師”という名前は、”空海”が亡くなった後921年に”後醍醐天皇”から贈られた”諡号”(しごう=主に帝王や大臣などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のこと。「諡」の訓読み「おくりな」は「贈り名」を意味します)です。


そして”最澄”は、767年~822年の人であり、”空海”は774年~835年に生きた人です。

比叡山全景図2
さて、”最澄”と”空海”が生きていた時代はどうう時代であったのか。時の天皇は”桓武天皇”(かんむてんのう)でした。


桓武天皇”が望んだ、或いは期待した”仏教”とは”鎮護国家”(ちんごこっか=時の政権が内政の安定を図ろうと仏教を利用した政策)、を目的としたもので、具体的には仏教の護国の呪力(じゅりょく=まじないの力)でした。ですから、仏教の教義や論理は問わないというもの。


つまりその僧の、読経(どきょう=お経を唱える)の効験(こうげん=祈って、実際の効果を引き出す力)が高いことが宗教界に求められていました。


そういう時代に登場したのが”最澄”でした。既に比叡山に延暦寺を開き、そこで天台教学を講じていました。また”桓武天皇”の信任も篤く、天台教学の専門家として僧界の声望を集めていました。


その”最澄”は、中国の天台山国清寺に出向いて、最新の教学を学びたいと思い桓武天皇に入唐留学を願い出て認められました。


桓武天皇は、最澄自身が天台山で護国の呪力を増して帰国してほしいとの願いを持っていたのです。読経で国の危機を救うだけの呪力を磨いてきて欲しいと思ったのです。


ところが、最澄自身は純粋に最新の天台宗の教学を学びたい一心でしたから、桓武天皇の期待とは微妙に違っていたことに、最後になって最澄は悩まされることになります。

最澄業績絵巻3
さて”最澄”が唐に渡った遣唐使船に、実は”空海”も学問僧として乗船していたのです。


最澄”は請益僧(短期留学僧)としての乗船でした。ジックリ勉強研究する時間のない入唐だったことが、後の最澄の運命に大きく影響します。


一方”空海”は学問僧ですから、唐に滞在して研鑽を積むことが可能な立場でしたので、その立場を最大限生かしました。ここが”最澄”との明暗を大きく分けることになります。


最澄”とその弟子は、明州(寧波=ニンポー)に到着し、急ぎ天台山に向かいます。時間がないんです。そして天台山に入って天台宗の戒を受けます。(天台宗の僧としての資格を得ること)


そして帰国までの僅かな時間に、密教の教えも受けました。ただし、あくまで密教のさわりを少しだけ学んだにとどまりました。ここに”空海”との大きな差が生まれます。

最澄業績絵巻4
一方”空海”は入唐当時は31歳、若い頃に既に純蜜経典である「大日経」に触れ、四国の奥深い山中で厳しい修行をした時に得た神秘体験をきっかけに、真言密教の体系に到達したことを自覚していたのです。スタートラインが既に違っていました。


空海”は青龍寺で「大日経」と「金剛頂経」を中心とする密教を学び、その他の教義も学びました。


空海”の学識と能力と卓越した語学力(空海は、日本語・中国語・梵語の3ヶ国語ができた=トリリンガル)は直ちに、教えを受けた師である真言宗第七祖”恵果”から認められ、空海が滞在中に師の”恵果”が亡くなると、一挙に弟子の代表という立場に踊り出て、しばらくは”恵果”の代教(代わって講義する)を務めます。


そして教わることはもう無くなったとばかりに帰国の途につきました。

根本中堂5
画像は延暦寺の”根本中堂”です。国宝です。


さて唐から帰国した”最澄”と”空海”、以降ライバルとしてこの当時の宗教界を牽引していくことになります。


最澄”は”桓武天皇”の期待を一身に集めて、内裏(天皇の御所)に召されて密教の修法(しゅうほう=密教で行う加持祈祷<かじきとう>の法。よく映画やテレビで見る、壇を設けて護摩<ごま>を炊き、手に印を結び、口に真言を唱える祈祷の方法です)を行っています。


最澄”は、桓武天皇の期待が呪術力にあることに薄々気がついていて、入唐した際に、その期待に応えるためにには密教を身につけなければならない必要性に気づきます。


でも付け焼き刃的にしか触らなかった”最澄”の密教は、ジックリ修行を積み、遅れて帰国した”空海”の前では、色あせたものになることを、”最澄”はこの時まだ気づいていませんでした。

根本中堂6
上の画像も、別の角度から見た”根本中堂”です。多くの参拝者でした。


さて、”最澄”は、それまで日本に3箇所(その一箇所は東大寺戒壇院)しかなかった”戒壇院”(かいだんいん=僧侶になる人が戒律を守る誓いをする神聖な儀式を行うところ)を”延暦寺”に作ることに奔走します。


そうしますと、それまでの宗教界を牛耳ってきた奈良仏教会(南都仏教)との激しい対立が生まれます。”最澄”は、それに愚直なまでに真っ向から対立していきます。


南都宗教界との激しい宗教論争に自ら乗り出し、宗教論争を延々と繰り広げました。その中で、それについていけない”延暦寺”の僧(最澄の弟子たち)は、一人去り、二人去り、最後は弟子が一人だけという状況に追い込まれます。


その一方、”空海”は自信がありますから、余裕を持って既存勢力である南都宗教界とは協調路線を採ります。


そして柔らかい方法で南都仏教会と友好関係を築いた上で、先ず宮中に密教を持ち込むことに成功します。


更に南都宗教界で唯一の戒壇院を持つ”東大寺”の中に、”灌頂道場”(かんじょうどうじょう=東大寺真言院)を設立することに成功します。


最澄”とは、決定的な格差がつき、更に拡大していきます。

文殊楼7
上の画像は、”文殊楼”です。 寛文8年(1668年)の火災後に再建されたものです。


二階建ての門で、階上に文殊菩薩が安置されています。根本中堂の真東に位置し、他の寺院における山門にあたるものです。


さて”最澄”です。最澄の最大の支持者で支援者でもあった”桓武天皇”が亡くなります。


それからも、”最澄”は正に孤軍奮闘の戦いを挑み続け、最後は”売り言葉に買い言葉”の世界にまで論争の次元が落ちてきて、もはや南都宗教界からも相手にされなくなります。


弘仁13年(822年)6月、皮肉なことに”最澄”が亡くなった7日後に、”延暦寺”に大乗戒壇を設立する勅許(ちょっきょ=天皇の許可)が降ります。


既に仏となった”最澄”は、その勅許をどう思ったのか?

鐘楼8
上の画像は、”鐘楼”です。


この間に、”空海”は”高野山金剛峰寺”を開いて、山中での修行による法力昂進の場を設定します。


他の教義とは柔軟に共存を図り、宮中行事にも深く根を張っていきます。当時の朝廷が期待していた護国修法を密教で行うという方法で。

大講堂10
ほとんど同時代に生まれ活躍した”最澄”と”空海”の全く対照的な生き方に焦点を当ててみました。

唐から帰国した当時から”最澄”は日本を代表する宗教家として著名人でした。一方、帰国した”空海”は、まだ全く無名の僧でした。

しかし、時は”密教”を求めていました。”密教”の奥義をとことん身につけていた”空海”と、ほとんど触っただけに終わった”最澄”との差が先ずここでついていました。

そして教義の進め方です。常に孤高を選んだ”最澄”と、柔軟な協調路線に徹した”空海”、この世の中での身の処し方でも差が出ました。

今、四国を廻っておられる”お遍路さん”たちの背中に書いてある言葉。「同行二人」(どうぎょうににん)とは、一人で廻っていると思っても、実は必ず”お大師さん”(空海)が、目には見えなくても一緒に付いて廻ってくれていることを意味します。

空海”は、実は民衆の心をも掴んでいたのです。

今年は、時あたかも「四国八十八ヶ所霊場開創1200年」に当たる年です。そういう大きな節目となった年に、この”愛媛の歴史特別編”で、”最澄”に事寄せて”空海”を採り上げることが出来ましたのも、何かの”ご縁”でしょう。

さて、これでお正月、1月1日から書き始めた”愛媛の歴史特別編”の14回シリーズの筆を置くことにします。最後の8回は、気軽に読める”名所旧跡案内”にしようと思っていましたが、自然にキーボードで指が走ってしまいました。

こんな長い長い、しかもほとんど馴染みのない歴史をテーマにしたこのシリーズ。最後まで目を通して頂いた全ての方に深甚なる感謝の意を表します。

ありがとうございました。っと、ここでこのシリーズを終えるつもりでした。

ところが、この後4回に渡って”出雲国の歴史”を書いてしまいました。正に「ゴメンナサイ!」の世界です。

ここまで書いてきまして、”古代出雲”の歴史に触れないと、日本国の成り立ちが説明しきれないことに気が付いたのです。

そして”古代出雲”の歴史を4回に分けて書いていまして、今まで1月1日から書き綴ってきた14回の”愛媛の歴史特別編”の内容と、大きく関係し重なることに気が付きました。

大変恐縮に思いますが、後4回だけ、この”歴史シリーズ”にお付き合いいただければ幸いです。但し、残り4回を持ちまして、ワタシが胸の内に温めてきました”日本の夜明け”に関しますことは全て書き切りました。

もう当面の間は、歴史をテーマに書くことはないでしょう。もう少しの辛抱です。お付き合い下さい。




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「再訪 212 てっちゃん」・「愛媛グルメ紀行」 685

今日は、高浜観光港前にある”てっちゃん”の二度目のご紹介です。(「てっちゃん」・「愛媛グルメ紀行」 512


このお店の直伝の味に自分らしい工夫をこらして、息子さんが、道後一万町、勝山町の電車通りを北上して平和通と交差する交差点を、そのまま更に北上した県道松山北条線沿いにある”泰州ハイツ1階で””ちゃんぽん食堂 てっちゃん”を営業なさっています。


息子さんのお店は、既に4回記事としてご紹介しています。


考えてみれば、今回のお父さんとお母さんがやっておられるお店の2回目の訪問で、息子さんのお店と合わせると都合6回ご紹介することになります。

玄関1
こちらが、高浜観光港前にある”玄関”です。


上に書きましたように、親と子のお店を延べ6回紹介したということは”異例”なことではありますが、考えてみれば他にも同じような例が無いわけではありません。


辻町にある老舗の食堂”まるなか 彩りキッチン”から端を発した、母子4軒のお店の紹介です。母親のお店と3人の息子さんのお店を、延べ9回ご紹介しています。(「お食事処 まるなか」・「愛媛グルメ紀行」 638


3人の息子さんの内2人が”清龍園”という屋号で、湯渡町と南堀端町で、もう一人の息子さんは柳井町の河原学園近くで”お食事処 まるなか”をやっておられます。

店内2
こういう”繋がりを持った”お店のご紹介が、ワタシのブログの一つの特徴かも知れません。


一歩も二歩もお店の内側に入り込まなければ、そういう人間関係につながらないからです。


この日、お店にお伺いしたのは土曜日の午前11時丁度。開店直後で、その日のお客さん第一号でした。

メニュー3
店内を見回しながら「息子さんのお店には、既に4回行きました」っと、お母さんに告げますと思い出して頂いたようです。


「ああ、あの時の・・・・息子の店を贔屓にしていただいて、ありがとうございます」っと笑顔。


「前回お伺いした時はこのお店の名物”チャンポン”をいただきましたので、今回は”皿うどん”にしましょう。麺は固いタイプですか?」っとおうかがいしました。


するとお父さん、キッパリと「はい、ウチは揚げ麺の固いやつです!」っと。

皿うどん6
上の画像が、息子さんのお店”ちゃんぽん食堂 てっちゃん”で頂いた”皿うどん・やわ”です。(「再訪 138 ちゃんぽん食堂 てっちゃん」・「愛媛グルメ紀行」 566


息子さんのお店は、画像の様な”皿うどん・やわ”と、お父さんが仰った”揚げ麺タイプの皿うどん”の両方を出しておられます。


この辺りに、親子の微妙な違いが出ていて面白いと思いました。但し、共通点は明確で、お父さんが作り上げられた”チャンポンの出汁”を”皿うどん”にも使っておられることです。

皿うどん4
さて、上の画像がお父さんとお母さんのお店”てっちゃん”で出されている”皿うどん”です。お値段600円(内税)は嬉しい価格です。


見事な”パリパリ揚げ麺”です。息子さんのお店でいただいた”皿うどん・やわ”と、似ているようで微妙に違っています。


先ずは”野菜の量”です。画像の”皿うどん”は、明らかに”野菜優先形”の皿うどんです。

皿うどん5
具材で言いますと、野菜類はタケノコ、椎茸、キクラゲ、人参、キャベツ、ピーマン、コーン、モヤシなどです。


一方、魚介類等の具材は、海老、イカ、豚肉、かまぼこ、ウズラの卵等です。道後一万で営業されている息子さんが出される”皿うどん・やわ”と、具材の種類に於いてはほとんど同じです。


ところが、野菜の量と迫力は圧倒的にお父さんのお店の方が大きくて重い。愚直なまでに野菜の力で押し切った!という感があります。


息子さんのお店の”皿うどん”は、見た目も鮮やかで魚介中心の艶(あで)やかさがあります。ここが、時代の違いでしょう。


味の伝統”というものは、ただ単に愚直に先代の味を再現することだけでは果たせないし、生き残れません。”老舗の味”というものは、緩やかなスパンで少しずつお客さんには感じ取れない形で変わっていっているのです。

皿うどん6
この父子(おやこ)の間のメニューの変化と、彩りの変化に”老舗の味”が守られ成熟している秘密を見る思いがしました。


お父さんが厳しい表情を崩しながら、こう仰っいました。「息子のお店を贔屓にしていただいて、ありがたいです。ところでお客様のお名前をお聞きしていません。お客様が来ていただいたことを息子にどう伝えたらいいのでしょう?」っと。


そこで、「息子さんのお店では、既に顔と名前を覚えて頂いていると思います。息子さんには”じゅん”さんって呼ばれています」っとお答えしました。

アップ7
すると、そのやり取りを聞いておられたお母さん「アッ”じゅん”っていう人が、ブログでこのお店のことを凄くいいように書いていて、私が何時も行っているお店なので嬉しかった!」ってお客様に言われた事があります。


「あの”じゅん”さんですか??」


「エエ、恐らくその”ジュンサン”だと思います」っと、ここで三人が大爆笑。普通のオッチャンだったことに、意外感があったのかも知れません。


「そう言えば息子さん夫婦が、お孫さんたちはおじいちゃんとおばあちゃんのこのお店にくることが楽しくて!」って仰っていましたよ。


「そうなんです、孫達は何故かこの”ジージ”が好きで好きで!私達、仕事してるでしょう、だから何時も相手にしてやることなんて出来ないのに好きで好きで!」っとお母さん。


その時、端正なお父さんの顔が、瞬間にクシャクシャに歪み微笑んだ時のお顔。ウフフ、幸せを絵に描いたような笑顔でした。

麺8
さて”皿うどん”です。先ず、トロミ餡の加減が申し分ありません。片栗粉の加減が多すぎず、少な過ぎず。


それに、その”トロミ餡”のベースとなっている出汁ですよ。このお店の看板商品であり、息子さんのお店を力強く支えている”チャンポン”のスープが、ウフフフ・・・・タマンない!


一朝一夕(いっちょういっせき)に出来るお味ではありません。


パリパリの揚げ麺との相性も、完璧な”ラブラブ”ですよ。無心でいただきました。

完食9
その間に、お互いの子どもたちの結婚感の話、消費税増税の話、地域の老齢化・過疎化の話など、話題が尽きることはありませんでしたが、全ては紹介し切れません。


かくして、画像の様に”完食”しました。最初は多すぎるかな?って感じましたが、スルスルと入っていきました。


完食した頃合いから、顔ぶれのお客さんがこのお店に集うように来店されました。それが潮時とばかり、お勘定を済ませました。


地域でのこのお店の存在感の大きさと、果たしている役割の重さを今回も感じさせて頂きました。「ご馳走様でした!」



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「再訪 213 龍花(りゅうか)」・「愛媛グルメ紀行」 686

今日は、会社から歩いて行ける中華料理店”龍花(りゅうか)”さんを再訪しました。


初回は、2012年1月26日でした。(「龍花(りゅうか)」・「愛媛グルメ紀行」 213)


<注>この記事と、前回の記事で”龍花”さんの読み方を(りょうか)としていましたが、(りゅうか)の誤りでした。お詫びして訂正させて頂きます。読者の方からの貴重なご指摘です。Mさん、ご指摘ありがとうございました。>


場所は、枝松5丁目にある愛媛飼料ビルの建物の中にあります。同じ敷地内には”くら寿司”や”マクドナルド”がありますし、南環状線から東環状線にかけては、市内でも有数の”飲食店最激戦区”です。

玄関1
近辺には会社の事務所も多く、”ランチ需要濃度”の濃い地域です。


つまり、飲食店として”好立地”にあると同時に、激戦に勝ち残れなければ早期撤退に追い込まれるという所にあります。


そしてこのお店、そういう立地にあって開業5年目に入ったというところでしょうか。

カウンター席2
お店自体は小体(こてい=小ぶりな)なお店ですが、昼時は店内に入れないこともしばしばという繁盛店でもあります。


そして、このお店の最大の”ウリ”は、”日替定食”です。メインディッシュがあって、スープとご飯とコーヒーが付きます。


おまけに、そのボリュームが凄い!日常は、コーヒー抜きで650円であるものが、”日替定食”となるとコーヒーが付いて600円というのですから、サラリーマンにとってはありがたいお店です。

客3
昼時になると”立錐の余地”なく、画像のような状況になります。(この画像は前掲)


それでも、このお店に来るお客さんはかなりしたたかです。漫画の単行本を3冊位テーブルに積んでいて、混みあう中でも悠然とランチを食べながら漫画を読んでいます。


どうやら、客は「お互い様」とばかりに、”泰然自若”(たいぜんじじゃく)の感あり!です。

メニュー3
さて、”日替定食”を含めて、このお店の”定食メニュー”のライナップは、量から言って今のワタシでは刃が立ちません。


従って”麺メニュー”の中から”ちゃんぽん麺”を注文しました。お値段は嬉し涙が出そうになる500円です。


このお店のメニューは、総じて驚くほど安いんです。そして、決して”安かろう悪かろう”ではありません。

ちゃんぽん4
上の画像が”ちゃんぽん麺”です。これが500円ですよ!


ラーメン店や街の食堂の”チャンポン”では決してなく、これぞ中華料理店の”ちゃんぽん麺”です。


まず”地味”ですよねーー!チャンポンのイメージって”野菜てんこ盛り!”っではありませんか?


皆さんの”チャンポン”のイメージって・・・・いかがでしょう?

ちゃんぽん5
恐らく、上の画像の”ちゃんぽん麺”ではないと思います。


スープが先ず、中華料理店のスープです。


ワタシの認識で言えば、中華のスープを””で分ける認識法しか知りません。


つまり、”清湯”(チンタン)と言って澄んだスープです。最高級は”上湯”(シャンタン)と言って、金華ハムと丸鶏等の高級素材を使ってあります。


最後に”白湯”(パイタン)という白いスープで、主に豚骨などを強い火力で長時間煮込んで作りますので、白濁しているのが特徴ですね。スープの種類については、今までも何度も書いてきました。

アップ6
ところが、この”アップ”になったスープの種類が、今までのワタシの知識では分かりません。



白湯”(パイタン)でないことは確かです。スープには微かにニンニク臭が。


でも、理屈抜きで美味しい。何というスープなのかは実はどうでもいいことで、美味しいんだから文句ありません。

具材7
具材だって、決して”てんこ盛り”という派手さはありませんが、野菜類で言えばモヤシ、キャベツ、ピーマン、タケノコ、人参、キクラゲと多彩です。


魚介も、海老と豚バラとがしっかり入っています。どの素材も、その素材の持味を活かしきっています。


いや、派手さはないんです。ええ!地味なんです。寡黙なんです、多くを語りません。

ピーマン8
このお店の調理には、中華料理の基本である”油通し”という下仕事がきちんとなされていると感じました。


例えば画像のピーマンです。この”色と艶”を見て下さい。もし、このお店で実際にコレを食べていただくとお分かりだと思いますが、食感が生の素材の食感を保っています。


これが”油通し”という下仕事をなされた結果です。


油通し”とは、油で”揚げる”のとは全く異なった調理法です。


中華鍋にタップリの油(大豆油)を熱した中に、僅か30秒ほど潜らせて素早く油から引き上げる。


これで野菜がシャキッと甘みを増し、魚介もプリプリに仕上がる。素材を油でコーティングする技術です。ただし、ワタシは調理の素人なので、間違っているかも知れません。間違っていたらごめんなさいです。

麺9
スープもいい!野菜や魚介の調理もビシッと決まっている!


でも・・・・・・でも””がいけませんでした。


艶も弾力もありません。他が全て完成しているのに・・・・”画竜点睛を欠く”(がりょうてんせいをかく)とは、正にこの事を言うのだと思います。


しかし、”500円でこのお料理”がいただけたのですから、ワタシに全く不満はありません。それどころか、”大満足”でした。ありがたいお店だと、つくづく再確認致しました。


さすがは”繁盛店”だけのことはあります。ただ単に安いだけではありません。ぜひぜひ、地域の中で頑張り続けていただきたいと切に祈りました。





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「らーめん 吉田屋総本店」・「愛媛グルメ紀行」 687

今日は、一番町2丁目にある”らーめん 吉田屋総本店”さんをご紹介しましょう。


その西隣は、人気ラーメン店”周平”さんです。ラーメン屋さんが2軒並んでいます。


この”吉田屋総本店”をお訪ねした理由は、ブログ友:”乱 駆郎”さんの以下の記事に背中を押されました。(背脂系豚骨「らーめん吉田屋総本店」

玄関1
一番町の電車通より一本南に入った、東西に伸びる道路にありますが、目立つとは言えない場所です。


乱さんの記事をお借りすれば、2012年12月オープンとありました。


店内は、「・・・・・ン???・・・・少年と少女が・・・・ン???・・」っと、二人の若い男女。少年のあどけなさを残した男性が厨房、少女の幼さを面影に残した女性がフロアー係を。

店内2
お店には午前11時30分に入りましたので、当日のランチ客第一号の様でした。


店内を入ったところの看板には、大きく”能書き”が書き出されています。ワタシが好きなタイプのディスプレイではありません。


軽くやり過ごしてメニューを探した。カウンターには、ご飯物との”ランチセットメニュー”を書いたシートが置かれていた。


今日は”胃袋の助っ人”がいないので、ラーメンの単品メニューを目で追った。

メニュー3
見る限り、単品メニューは全6品のようだったので、当然にお店の名前を冠した”看板吉田屋らーめん”を注文。お値段は650円。


但し、11時30分からのランチタイムには、大盛り或いはご飯が無料サービスと書かれたシートもあったので、量を求める方には嬉しいに違いない。


どうやら”豚骨系ラーメン”の様で、それに”豚の背脂”を加えたところがミソらしい。


「和食職人だからこそ出来た味・・・・・・・・」っと能書きが続く。

高菜4
少女の様なフロアー係さんが、”高菜”がドッサリ入った画像の容器を持ってきて、「ご自由に幾らでもどうぞ!」っと言った。


そう言われても、幾らなんでも全部は食べられない。でも、美味しそうな色艶と香りだった。


座ったところが、厨房の真ん前のカウンターだったし、他に客もまだいなかったので「吉田屋総本店とありますが、他にはどこにお店を出されているのですか?」って聞いてみた。


すると、少年のあどけなさを色濃く残した男性が、とたんに”はにかんだ”。


久しぶりに”はにかむ”と表現するしかない表情に出会って、新鮮な感動さえ覚えた。

看板吉田屋ラーメン5
これが店名を冠した、文字通り”看板商品”である”看板吉田屋らーめん”。


赤い容器に乳白色のスープがヒッソリと佇んでいる。”背脂系”とあったので、”ギトギトラーメン”を予想していたので、ちょっと拍子抜けした。


香りだって、苦手な”久留米ラーメン”が放つワイルドな匂いはしない。


そう、その”はにかんだ”ままの彼はこう言った。「あの・・・・・・イエ・・・・そ・・・まだ他にお店は・・・・・」消え入りそうな声だった。

看板吉田屋ラーメン6
”は、このスープに合う”麺”を求め歩いた・・・という風な能書きだった・・・か?


極細麺のストレート麺でした。スープを啜ってみた。”和食を極めた者でないと生まれない極上スープ・・・”っというキャッチコピーだったように思うけど、それなりに普通に美味しかった。


背脂系”と言っても、”背脂系元祖・ホープ軒”の”チャッチャ系”の様に、豪快に金網に背脂を乗っけて、力強くチャッチャと背脂を、丼からはみ出るほどに振りかけるスタイルでもなさそうでした。


つまり、背脂特有のギトギト感はなく、マイルドなスープとして、何の抵抗もなくスルスルと胃に収まった。


「和食職人が・・・・・っとありますが、それでは”吉田屋”さんという和食店があるのですね」っと問いかけた。

高菜7
すると、その少年更に激しく”はにかんだ”。


そしてこう言った。「イエ・・・・ヨシダヤ・・・ッテーカ・・和食店が何店舗かあって・・・・・」っと、そこから先の言葉が消えていった。


「ここは”高菜”に専念したほうが良さそう!」っと、ここで路線を変えて、高菜を投入してみた。


発酵した高菜のいい香りが周囲を充満した。どちらかと言うと、大人しい感じのスープが大人の味になった。無意識にどんどん食が進む。

チャーシュー8
チャーシュー”は、豚の三枚肉を圧力鍋で煮込んだもののようで、目の前の厨房の圧力鍋に、その時ちょうど豚三枚肉の塊を押し込んでいるところだった。


綺麗に三層の脂身が入っていて、油の甘みを感じた。そして、口中でホロリと解けた。


2枚のチャーシューは、全体のバランスから見れば過不足なかった。ただ、感動して言葉が出ないといったものではないが、よく出来たチャーシューには違いない。

麺9
こちらが、製麺所を漁りに漁った結果出会ったという”極細ストレート麺”。確かにスープによく絡んで、スープをまとった麺が、あっという間にお腹に収まった。


こじんまりとまとまっていて、強烈な個性は余り感じないけど、完成された美味しいラーメンだった。


「隣に、強力なライバルがいるから、競争は大変ですね!」っと声を掛けた。


すると、今度ははにかむことなくしっかりこう言った。「ソウナンッスヨー、大変ッスヨー!」っと。

完食10
食べ始めた当初は、「これはスープを残しちゃうかな?」っと思っていたのに、気がついたら”完食”していた。


それだけの魅力があったが故のこと。是非に健闘していただきたいと思った。


勘定を済ませるとき「美味しかったです。頑張ってネ!」って声を掛けると、二人に自然な笑顔が広がった。


店を出ると、直ぐ後に事務服を着た女性会社員風の二人がお店に入った。定着されていることを感じた。





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「再訪 214 四川旬菜 アスター」・「愛媛グルメ紀行」 688

今日は、国道11号線からちょっと西に入った南久米町にある中華料理店の老舗”四川旬菜 アスター”さんの、三度目のご紹介です。


最初のご紹介は、2011年8月22日でした。(「アスター」・「愛媛グルメ紀行」 112


二度目のご紹介は、2012年7月26日でした。(「再訪9 四川旬菜 アスター」・「愛媛グルメ紀行」 340


なお、お店の方に確認できていませんので確かだとは言えませんが”アスター”という言葉は、ギリシャ語・ラテン語で””という意味ですから、お店が目指されている方向性を感じます。

雪の玄関1
今まで2回お訪ねした季節は、何れも真夏でした。


ところが今回お訪ねしたのは厳冬期、2月6日は”椿祭り”の初日で、日中でも小雪が舞い散る寒さの中です。


お店に着いたのは、午前11時20分。つまりこのお店の開店時刻の10分前です。この画像で、玄関前の立看板が”準備中”となっているのはその為です。


ただワタシはこのお店への過去の訪問で、開店時刻11時30分より前”準備中”の中を入っていっても、「ええ、いいですよ!」っと受け入れてもらえることを知っていますのでお伺いしました。

店内2
しかしさすがに小雪が止まないその日、開店時刻から正午までにお店に入られたのは、結局ワタシ一人でした。


もちろん、何時ものように”出前”の注文は入っていました。このような天候ですから、何時もはお店に出向く近所のお客さんも”出前”を頼みたくなるのは人情です。


広い店内にはワタシ一人なので、注文した品が届くまで厨房内では、目の前に迫った”消費税増税”にどう対処すべきか?という深刻な議論がなされていました。


消費税増税⇒全ての事業者は増税分を価格に転嫁する。企業業績が上がる⇒全ての労働者の賃上げがおこなわれる。従って、景気の好循環は拡大する・・・・・・・


この国の政策責任者の”無邪気”さには呆れます。税金というのは所得の再配分という大きな機能を持っていますが、そこに歪みがあることに見て見ぬふりをしているのでしょうか?


ワタシは、決して「一将功成りて万骨枯る」という政策であってはならないと考えています。(一人が生き残るために、犠牲になった庶民がその人の周りに死屍累々と横たわる様)


ワタシがブログでこういうことを書きますと、眉をひそめる人もいらしゃるでしょう。ワタシのブログから離れる読者さんもいらしゃるでしょう。


でも「世の中、全てパッピー!なんでしょうか?エライ人に間違いや”曲心”(まがごころ=こういう日本語はありません。ワタシの造語です。曲がった心という意味です)はないのでしょうか?」


ワタシは今後も巻き返し繰り返し、「当たり前・当然」とされていることの裏に潜ませた”曲心”に疑問を呈し指摘し続けるでしょう。それがワタシなんです。

メニュー3
さて、このお店”四川料理”を得意とした本格的な中国料理店、メニューはバラエティーに富んでいます。


今までの2回に頼んだお料理は”冷麺”と”ジャージャー麺”です。何れも夏向きのお料理でした。


当日の気候を考えて、体の芯から温まることを期待して”タンタンメン”とこのお店で読んでいるお料理を注文しました。お値段は750円です。


メニューには、お店の”オススメ”とありました。

タンタンメン4
この画像が”タンタンメン”。担々麺・担担麺などとも書きますね。四川料理を代表するメニューの一つです。


これまでにも散々”担々麺”を頂いてきました。その時に何時も書いてきたことですが、四川省における”担担麺”の発祥時のものは、”汁なし担担麺”でした。


天秤棒の片方には”豆炭入の七輪と鍋など”、もう片方には”麺、調味料、食器など”を入れて肩で担いで歩き、路地で売っていましたので、””を多くすると天秤棒が重くなって担げなくなるからです。

タンタンメン5
ですから、この画像の物を含めて日本で多く出回っているのは、日本における四川料理の父といわれる”陳建民”氏が日本人向けにアレンジしたもの、というのが定説になっているようです。


何れにせよ、唐辛子が効いたラー油がたっぷり入ったこの”タンタンメン”体の中心から汗が吹き出します。


具材は、甘辛く炒めた豚のひき肉とモヤシと刻み葱というシンプルさ(ザーサイも刻みこんであったかも知れません)。色彩的に見ても、赤と黄と緑、鮮やかです。


唐辛子たっぷりのラー油の香りだけで、体がほんのり温まってきます。

スープ7
先ず”スープ”を啜ってみました。もちろん唐辛子の辛さはあるのですが、スープの土台の味がしっかりしていますから、辛いけど旨い。


”担々麺”の味のもう一つの特徴を形作る”花椒”(山椒の同属異種)は、余り入っていないようで、痺れる辛さはありませんでした。


でも、スプーンで一掬い飲み進む程に、体中の血管の血液にエネルギーが行き渡っていくのを実感出来ました。

アップ6
一般の家庭であれば、豚のひき肉はスーパーで豚ミンチを買ってくることが普通ですね。


中国料理店では、あの大きな中華包丁を使って、分厚いまな板の上で、トントントントンとみじん切りされたりしますが、このお店は厨房が見えませんのでそれを確かめることは出来ませんでした。


でもこの豚ひき肉、甘辛く味付けがなされていて、麺を食べ進む内にスープ全体に混ざっていきます。


すると、麺や野菜類の食感とは全く違った食感で、チャーシューとは違った役割をしっかり担っていました。

麺8
麺は太麺の縮れ麺でした。カンスイタップリ目の麺で、弾力があってプリプリです。


しかも縮れ麺ですので、担々麺特有のタップリラー油が麺に絡むは絡むは!スープは、麺に絡んでほとんどが口に入っていきます。


ところが、豚ひき肉はそうはいきませんので、レンゲが活躍します。体が求めていたのでしょう、一心不乱にいただきました。

完食9
で、ハッとして気が付くとこの有り様ですよ。


恐らく、結構唐辛子の辛さが効いたラー油まみれのスープを、ここまで完全に飲み干す客は多くはないかも知れませんね。


「開業なさって、もう25年は越えましたね!」っと勘定を済ませるとき声を掛けました。


すると「アッ!前のお店からのお客様ですね!ええ、もうその位経ちましたねー・・・・こちらに移ってからでも、もう14~15年は経ちましたから!」っと、笑顔全開で応えて頂きました。


これから予想外の環境の変化があるかも知れません。それは、どの業態のどのお店にも言えることです。


でも25年間もの長きに渡って、地域のお客様を惹きつけてやまないという重みを十分に発揮されて、これから先もご活躍頂きたいと、切に祈りました。


お店を出ますと、まだ小雪が降りしきっていました。春にはまだ間があるようでした。




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「愛媛グルメ紀行」を振り返る 98

今週の土曜日の”愛媛グルメ紀行を振り返る”シリーズは、一作年(2012年)の春頃にアップした292号から294号までのお店です。

先ず最初”に振り返るお店は、2012年5月20日にアップした292番目のお店、大手町の市内電車と郊外電車が交差する辺りの北側にある”めん吉”さんです。(「めん吉」・「愛媛グルメ紀行」 292

もうこの場所にお店を出されて20年以上経つ老舗に入ります。

玄関1
こちらがお店の玄関です。一般的に考えて、松山の””となるべき地域のはずです。

ところが、大手町の道路を歩いている人の、まあ少ないこと。もちろん観光客を見ることは難しい。

店内の様子も、大手町という町の雰囲気をそのまま引きずっていました。

五目うどん6
注文したのは”五目うどん”。お値段580円。

で、”五目うどん”の出汁を先ずすすってみた。・・・・・・・

味が・・・・しない・・・・薄いというより、出汁の味がしない・・・

でも、薄味好みの方なら味を感じるかも知れないと、気を取り直してうどんを食べてみた。

・・・・・ン??・・エッ?・・・・うどんの味が・・・・・しない・・・

ワタシにとっては不思議な味というか・・・味わったことがない味というか・・・・風味など無縁の味というか・・・・

従って、このお店は再訪しません。再訪する魅力が全くないからです。


次、二番目にご紹介するお店は、2012年5月21にご紹介した293番目のお店、大街道2丁目、二番町の西向き一方通行の道沿いの三越松山店の南向かい側にある”麺屋 十銭”さんです。(「麺屋 十銭」・「愛媛グルメ紀行」 293

このお店は”尾道ラーメン”を出すお店です。

玄関1
こちらがお店の玄関。目の前は三越です。

このお店の基本路線は、お酒を飲んだあとの〆に食べる”中華そば”をウリにされているようですが、お昼も午前11時30分からやっておられます。

でもこのお店、自分が決めた開店時刻が守られません。しばしば開店が遅れます。お店としては失格です。

中華そば5 
さて、これがこのお店の一番のお薦めというか、”尾道ラーメン”の特徴を一番良く表わした”昔ながらの白麺”です。お値段は600円(内税)です。

先ず”尾道ラーメン”の特徴は、麺は”平打麺”を使用しているということ。

また”白麺”とは、玉子麺のように麺の表面をコーティングしておらず、麺がスープの旨味を吸収しやすいという特徴があります。

ですから麺を一見すると、白っぽくて名古屋の”きし麺”を細くした感があります。一方スープの特徴は、瀬戸内の小魚(イリコ)を出汁に使い、アッサリ味というところにあります。

さらに、”尾道ラーメン”を決定付けるのが豚の”背油”です。その”背油”がアッサリスープに深いコクを与えています。

飲んだ後に軽く〆るには、実に優しく胃に収まるでしょう。

でも、この店は再訪出来ません。既に別の場所に移転されていて、その移転先では夜だけしか営業されていないからです。


今日最後にご紹介するのは、2012年5月22日にシリーズ294番目にご紹介したお店、二番町3丁目、三越の南玄関お向かいの”銀次郎”さんから真っ直ぐ南に下った”こまどりビル”の2階にある”うな牛 小椋”さんです。(「うな牛 小椋」・「愛媛グルメ紀行」 294

このシリーズで採り上げたことがある”博多一風堂”さんと”一天張”さんのちょうど中間にあります。

玄関1
こちらがお店の玄関。なおこのお店、祝谷3丁目、護国神社通りの愛媛銀行湯築支店から白水台に向かう県道松山北条線の西側に”懐石料理 小椋”という立派で格式の高い本店があります。

その”懐石料理 小椋”さんが、昨年7月(記事を書いた当時)に満を持して”江戸前・天然うなぎ”をメインとするお店を出されたのがこちらというわけです。

昨今、”うなぎ稚魚”の激減枯渇で”うなぎ屋さんはどこも存亡の危機に立たされているといって過言ではありません。

その最中(さなか)に、何と”江戸前・天然うなぎ”を扱うお店を出すとは、中々の大冒険かも知れません。

うなぎランチ4
この画像が注文した”うなぎランチ”で、お値段700円(内税)です。

「ホッツほー・・・天然うなぎが・・・3切れ!」っと、”うな丼”でも”うな重”でもない”うな椀”を眺めて一人声が出ました。

このときフト頭をよぎったのが学生時代の思い出。貧乏でした。食費を倹約するしかやり過ごせない時代だったころのことです。

皆さん”カレーうどんライス”というメニューをご存知でしょうか?

何の変哲もない、”カレーうどん”に”ライス”が丼に入って付いているというもの。

食べ方は、ライスを手前に置き、カレーうどんをその向こうに置きます。そして、カレーうどんを2~3本づつ箸ですくってライスの上を通過させながら食べるのです。

当然、カレー出汁がボトボトとライスの上に落ちます。そのカレー出汁の染みたライスの表面を箸ですくって、カレーうどんを”おかず”にカレー出汁の染みたライスを食べるというものです。

最後は、カレーうどんの中に肉片を数片とうどんを2~3本、それにカレー出汁を三分の一ほど残したものをライスにかけて、更に混ぜてグチャグチャと味の染みたライスをかっ込む。

このお店も、ウナギのタレの匂いを嗅ぎながら、ご飯を忙しくかっ込まなければなりません。味?さて?匂いはウナギでした。

従って、このお店は再訪しません。ワタシの財布事情では到底ムリです。”豚丼”を出すお店が、どこやらにあるらしい。



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「愛媛の歴史特別編」・「出雲国の歴史・外史」 1

今日の10日を皮切りに、以降毎週月曜日の17日・24日・31日の4回は、1月1日から書き始めました「愛媛の歴史特別編」の、全14回のシリーズの続編としまして、「出雲国の歴史・外史」を書きます。(なお”外史”とは、何時も書きますように歴史の素人が書いた歴史モノを言います)


今日はその1回目です。この後3週間後の最終編を持ちまして、「愛媛の歴史特別編」と題した、全18回のシリーズを書き終えることに致します。


この4回のミニ・シリーズ”「出雲国の歴史・外史」”を書くに際しては、今までは単なる”神話”であるという決めつけられ方をしていた”出雲神話”を、先ず先にご説明しておく必要があります。


出雲神話”に限らず、日本古来の様々な”神話”や”説話”などは、ワタシの年代の者にとって子供時代に”絵本”で慣れ親しんできました。ところが、年代が若い方は”神話”に一度も接したことがない方が圧倒的でしょう。


この4回のミニシリーズで、古来より伝えられてきた”神話・説話”を、より身近に接していただけたら本稿の本分とするところです。

出雲大社大鳥居1
なお”出雲大社”には4つの”鳥居”があります。上の画像は、神門通りの手前の宇迦橋に堂々とそびえる大鳥居で”一の鳥居”と呼ばれるものです。コンクリート製で、大正時代に立てられました。日本一大きい鳥居です。


過去の歴史家は、「出雲神話」を全くのフィクション(作り話)としていました。それは、出雲神話ばかりか日本の神話そのものの多くはフィクションとした”津田左右吉”説に大きく影響されたことによります。


津田説の影響のみならず、当時”出雲神話”は単なる神話ではなく、歴史的事実に基いているという科学的根拠もありませんでした。


つまり、その神話を裏付ける考古学的遺跡がなく、40年ほど前までは、出雲にはそのような遺跡は存在しないと考えられていました。


ところが、上に書いた今までの通説の方が実は間違いであったことが分かってきました。遺跡の発見により、通説が間違っていたことが明らかになったのです。以下に、その経緯と事実を書きます。

出雲大社参道2
出雲大社”には、上に書いた”一の鳥居”の他に”ニの鳥居”(勢溜(せいだまり)の木の鳥居、”三の鳥居”(松の参道の鉄鳥居)、”四の鳥居”(境内へと結ぶ銅鳥居)があります。


この画像は、”二の鳥居”をくぐって”三の鳥居”を目指す参道です。この参道は、本殿に向かって下り坂になっています。下り坂の参道は大変に珍しいものです。(なぜ参道が下っているかの考察と書きますと長くなりますので、省略します)


今日は主に、日本最古の歴史書である”古事記”と”日本書紀”が”出雲神話”をどう書いているのか?をご紹介します。


712年(和銅5年)に、”天武天皇”の命を得て、太安万侶(おおのやすまろ)によって朝廷に献上されたとされる日本最初の”歴史書”が”古事記”です。


なお”古事記”の原本は存在していません。”写本”が幾つか残っているだけです。


一方”日本書紀”は、、奈良時代に成立した日本の歴史書で、日本に伝わり残っている”最古の正史”です。。神話の時代と言われる”神武天皇”の時代から”持統天皇”の時代までの記録です。


なお”持統天皇”につきましては、1月1日から7日までの全6回に分けて書きました”日本歴史の夜明け・外史”の中の、第4話で詳しく触れ、全6回の主役としてご紹介しています。(「愛媛の歴史特別編」・「日本歴史の夜明け・外史」 4

出雲大社祓社3
上の画像は、”出雲大社大祓社”です。


さて過去の歴史家は、「出雲神話」を全くのフィクションとしていました。ところがそれまでの通説が、昭和59年(1984年)の「荒神谷遺跡」(こうじんだにいせき)の発見によって吹き飛んでしまったのです。


この「荒神谷遺跡」の詳細は、24日の3回目で詳しく書きます。


しかし、この発見によって、「出雲」には壮大な神話に相応しい考古学的遺跡はないという通説は見事にひっくり返り、「出雲神話」は全く架空の物語とした過去の説は意味を成さないことになったのです。

大国主大神と幸魂奇魂4
上の画像は”大国主大神と幸魂奇魂”(オオクニヌシと、さきたま・くしたま)です。詳細な説明は省きます。


そこで今日は、それまでは架空の物語、単なる「神話」だとされてきた「出雲神話」とはどういう話なのかを振り返ることから「出雲国の歴史・外史」の筆を起こすことにしましょう。


なお、今回書きます「出雲国の歴史・外史」の主要参考文献は、黒岩重吾氏の「古代史への旅」と梅原猛氏の「葬られた王朝」を参考にさせて頂きました。その他にも何冊か読みましたが、取るに足りませんでした。


ワタシは古代史を含めて”歴史”を正式に学んだり研究したりした経験がありませんので、当然に”古事記”の写本であろうが、”日本書紀”であろうが、その原典を読み下す知識と能力はありません。従って、「記紀」を論じた書籍を参考に記述する他ありません。


さて日本最古の歴史書である「古事記」「日本書紀」は、何故その記述の3分の1を占める程に「出雲神話」にこだわったのか?

大国主大神5
上の画像は、「出雲王朝」を開いた”スサノオ”から6代目の”オオクニヌシ”(大国主大神)です。


「ヤマト王朝」の正当性を述べるために書かれた「記紀」なのですから、自分たちの王統(大君家<後の天皇家>)の正当性に絞った記述をするのが自然だと思いますが、でも延々と「出雲神話」を語っています。


そうせざるを得なかった理由があるはずで、そのことは最終回の4回目に書きます。


「出雲神話」を書く前に、「記紀」(きき=古事記と日本書紀を総称するときに使います)が書いている「高天原神話」(たかまがはらしんわ=地上の神話ではなく、架空の天上の神話)の内容に触れます。


何故かと言うと、そこには「ヤマト王朝」(天孫民族<てんそんみんぞく>とされた)と、「出雲王朝」とは関係が深いということが書かれているからです。

大黒様と白兎6
上の画像は、”因幡の白兎伝説”を表したものです。


「古事記」・「日本書紀」、つまり「記紀神話」「高天原神話」(たかまがはらしんわ)、「出雲神話」「日向神話」(ひゅうがしんわ)の三つの神話から成り立っています。


その内の一つ「出雲神話」です。「記紀」の中でも特に「古事記」にその記述が集中しています。


それ以外でも、「出雲国風土記」及び「播磨国風土記」、更には「伊予国風土記」の逸文にもその一部が記されています。「出雲神話」の具体的内容は次回で触れます。

出雲大社銅鳥居7
上の画像は”出雲大社銅鳥居”です。


その「古事記」によれば、”アマテラス”を開祖とする「ヤマト王朝」の前に、”スサノオ”を開祖とする「出雲王朝」が、この日本の国を支配していたとされています。


この”スサノオ”には、「記紀」によれば、出雲の神となる以前に、高天原(たかまがはら=天上の国)を舞台とした前史があるとなっています。


その前史を語ると長くなるので省略しますが、「出雲王朝」の祖先神”スサノオ”と「ヤマト王朝」の祖先神”アマテラス”は姉弟という関係だと書かれています。


「高天原神話」には多くの神々が登場しますが、それら多くの神々の最後に現れた”イザナギ”(男神)という神と”イザナミ”(女神)という神が日本という国と、日本国にいる様々な神を産んだとされています。

出雲大社拝殿8
上の画像は”出雲大社拝殿”です。


アマテラス”も”スサノオ”も「イザナギ・イザナミ」が産んだ神です。”イザナミ”が産んだ”アマテラス”(女神)が一番上の姉、二番目が”ツクヨミ”(男神)、そして三番目が”スサノオ”(男神)です。


しかし、兄の”ツクヨミ”は影が薄い神だったので、事実上は”スサノオ”が、「イザナギ・イザナミ」の嫡男とも言える神でした。


ですから”スサノオ”が日本国を支配する神とされていましたが、”スサノオ”は黄泉の国(よみのくに=死者の国)で暮らす母”イザナミ”を慕って、父”イザナギ”から命じられた日本国の支配に立ち上がりませんでした。

出雲大社拝殿しめ縄9
上の画像は”出雲大社拝殿しめ縄”です。


スサノオ”は父に従わなかった罪で「根の国」(ねのくに=今の島根=出雲地方)に流罪となり、「出雲王朝」を作り上げます。


なお”スサノオ”を漢字に当てると「素盞鳴尊」と書きます。松山にも多い「素鵞神社」「須賀神社」「素盞鳴尊」(スサノオ)を祀っている神社で、この事は4回(最終回)で触れます。


このように、「イザナギ・イザナミ」はその子孫によって二つの系統の神に分かれました。

出雲大社西十九社10
上の画像は”出雲大社西十九社”です。他に”出雲大社東十九社”があります。


これは10月”神無月”(かんなづき)には、全国の神々が縁結びなどの相談をするために”出雲大社”に出張してきますが、この合計三十八社で全国の神々をお迎えする、とされています。


なお全国で”出雲国”(今の島根県)だけは、10月に全国の神々が出雲国に結集しますので、10月を”神在月”(かみありづき)と称します。


上に書きました2つに分かれた系統の、その一つが”イザナギ”⇒”アマテラス”⇒アマテラスの孫の”ニニギ”の「ヤマト王朝」です。


もう一つは”イザナミ”⇒”スサノオ”⇒”オオクニヌシ”の「出雲王朝」の系統です。


上に書きました”ニニギ”が、”アマテラス”の寵愛する孫神として高天原から「葦原中つ国」(あしはらなかつくに)である日本の国に降り(これを天孫降臨<てんそんこうりん>という)、そしてやがて”カムヤマトイワレヒコ”、つまり”神武天皇”を初代とする天皇家の祖先となる。これが、記紀に書かれている話です。


この話、次回に続きます。




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「再訪 215 ラーメン 一興」・「愛媛グルメ紀行」 689 

今日は、立花3丁目の住宅街の中にある”ラーメン 一興”さんの三度目のご紹介です。このお店、今年に入ってたて続けにご紹介しています。


初めてご紹介したのは、今年に入った1月10日でした。(「ラーメン 一興」・「愛媛グルメ紀行」 656


二度目にご紹介したのはその1ヵ月後、2月11日でした。(「再訪 201 ラーメン 一興」・「愛媛グルメ紀行」 673


元々このお店は、ブログ友:”乱 駆郎”さんの記事を拝見して駆けつけたというお店です。(じわじわマイブームな一杯

玄関1
ワタシのブログでは、もうすっかりお馴染みになったお店の”玄関”です。


お店に車が到着した時から、或いは徒歩でお客さんがお店に近づいた時から、店内ではその様子を観察していてお迎えの準備に入るというお店です。


ですからこのお店のフロアー係の男性の目と意識は、常に”360度の視野”を捉えられています。これはこれで、素晴らしいと思います。

店内2
店内の整理整頓も、それはまあお見事という他ありません。一本筋の通ったお店とは、このお店を指すのだと思います。


ワタシは例によって一人ですから、何時もの厨房の真ん前のカウンター席に座りました。


ワタシの右手には、若いお母さんと小学低学年の男の子が、左手には痩せ型の若い男性一人客が陣取っておられました。


若いお母さんは、ラーメンと炒飯の組合せ、男の子は炒飯。お母さん、いとも簡単に両メニューをこなされていて、その食べっぷりの良さに思わず目を見張りました。

メニュー3
メニューはテーブルの上と、厨房の上の両方に掲示さています。実は、お店に入る前から注文するメニューは決めていました。


それはブログ友:”乱 駆郎”さんから頂いたコメントで「味噌ラーメンもオススメです」とあったので、”伊予路のみそラーメン”を注文しました。お値段は650円です。


愛媛グルメ紀行”もこの号で689号。その中で”ラーメン”にカテゴリーしたお店はこの記事を書いています時点で”101店”にのぼります。


でも数多くのお店をお訪ねし、様々な種類のラーメンをいただいてきましたが、”味噌ラーメンは実は初めて”のことです。


味噌ラーメン”は、”北の大地・北海道”という気候と風土が生み出した北海道の”郷土料理”だと思っているからです。

すみれの味噌ラーメン
ただし、北海道札幌には2回行っており、その2回とも”味噌ラーメン”をいただきました。


初めて札幌に行ったのは学生の頃で、札幌で”味噌ラーメン”の生みの親と言われている”元祖札幌味噌ラーメン”という名乗りを持つ”味の三平”さんで”味噌ラーメン”をいただきました。衝撃的な出会いでした。


「これは・・・・・”ラーメン”なのか・・・??」っと思って、呆然として食べた記憶が未だに鮮明に残っています。今のように”札幌味噌ラーメン”が全国区になる前の時代です。


2回目は50才を過ぎてから、札幌に行きました。今では北海道を代表すると言っても過言ではない”札幌ラーメンの雄”である”すみれ”さんをお訪ねしました。このお店でも”唸りに唸り”ました。


上の画像は、その”すみれ”さんの”味噌ラーメン”の画像です。なお、元々”すみれ”さんは、”すみれ”の店主さんのお母さんが”純連”(すみれ)として、昭和39年に開業なさっています。


なお、今も”純連”(すみれ)さんというお店はありますが、”すみれ”の店主さんのご兄弟が後を継いでおられます。詳しい経緯は省略します。

伊予路の味噌ラーメン4
これが”ラーメン 一興”さんの、”伊予路のみそラーメン”です。


一つ上の、札幌の”すみれ”さんの”味噌ラーメン”とは、全く違った”伊予路のみそラーメン”であることは、先ず外見からでも容易に分かります。


最近ワタシのブログ記事を見て、そのお店に行っているという方が増えているような気がします。初めての方から、そのような内容のコメントを頂くことがあるからです。ありがたい反面恐れ多いことです。


その意味で、このお店に所謂(いわゆる)”札幌味噌ラーメン”の味を期待して行かれると、見事に肩透かしをくいます。


味も香りも外観も食感”も、全く違います。でも、違って当たり前という立場でこの記事を書いていますので、誤解のないように願います。気候風土以外にも、使っている味噌も麺も全て違うからです。


だからこそ、敢えて”伊予路の”と銘打たれているのです。ここは正に”伊予路”なのですから、札幌の味噌ラーメンを真似る必要はないと思います。

伊予路の味噌ラーメン5
北海道の”味噌ラーメン”で使われる”北海道味噌”の特徴は、”辛口の米みそ”であって、麹の割合が本土のものより多目です。北海道の寒さ故に作られた味噌です。


なお寒冷な気候は、”長期熟成”と”切返し”という作業も必要とされ、その為に”すっきりとした温和な香り”が特徴となりました。


一方、愛媛は”はだか麦”の生産量が25年連続日本一という”麦の王国”なんです。皆さん、知っていました?


その”日本一の麦”を使ったのが”伊予味噌”の特徴で、国産大豆と愛媛産の麦を100%使用した”麦味噌”です。


その味の特徴は、何と言っても”甘口”だということ。これは、各県でも”麦味噌”は各種作られていますが、伊予の麦味噌の特徴は”麦こうじ”を多く使うことにあります。麦こうじの使用割合も日本一です。

アップ7
この”伊予路のみそラーメン”は、言わば”日本一の麦みそ”を使って作られています。


そして画像でも分かるように、チャーシューの代わりに”豚バラ”スライスを炙ってあります。これが実に香ばしいんです。


更に、松山名物の”松山揚げ”もきちんと入っていて、”オール愛媛県産品”!っという意気込みが感じられます。もちろん麺で使われている小麦は愛媛産ではないと思いますが。

スープ8
この”スープ”をまあ見て下さい。


これが伊予路ならではの”甘口麦みそ”をふんだんに使ったスープです。懐かしい味です。


東京で暮らしている娘が、未だに「愛媛の麦みそを送って!」っと、時折電話で催促があります。「甘い愛媛の麦みそでなくっちゃ、お味噌汁が出来ない!」っと。


甘い香りが周囲に充満します。幸せ感で満たされます。「ウフフフ・・・伊予人でよかった!」っと思う瞬間です。

松山揚げ9
これが、愛媛ではお馴染みの”松山揚げ”です。


”松山揚げ”の歴史は古く、江戸時代にその起源をもつ”干油あげ”です。


明治15年に、今の”程野商店”創業者が商品化されました、全国でも例を見ないという”干油あげ”=”松山揚げ”です。日持ちしますので、貴重なタンパク源として県内に普及しました。

麺10
麺は、前回ご紹介した”角煮のせしょうゆラーメン”に使ってあるものと同じ””です。


中太のストレート麺”です。


北海道の”札幌味噌ラーメン”の麺は、カンスイがよく効いた”やや太麺の縮れ麺”で、”味の三平”と”西山製麺所”で開発されたもの。プリプリとした弾力と、スープによく絡むことが特徴です。


その点、このお店の”伊予路のみそラーメン”、”麺”にややパワーが足りないように感じました。


決して札幌ラーメンの物まねは必要ないと思いますが、”日本一の麦みそ”を使ったスープにやや負けている印象でした。


でもさすがにこのお店、随所にオリジナリティーを感じさせてくれた見事な”伊予路のみそラーメン”を創りだして頂きました。お見事だと思いました。



ワタシの左隣りに座った、やや痩せ型の青年「替え玉、硬めで!」っと、4杯目の替え玉注文です。





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「再訪 216 本手打ちうどん 白川」・「愛媛グルメ紀行」 690

今日は、国道56号線沿いの伊予郡松前町にある”本手打ちうどん 白川”さんの2回目のご紹介です。(「本手打ちうどん 白川」・「愛媛グルメ紀行」 587


元々このお店は”一草庵”という店名でしたが、商標権の問題で現在の店名になさいました。


その”一草庵”さん時代から言えば、実質4回目のご紹介です。つまり、ワタシの好きなおうどん屋さんです。

玄関1
こちらが、国道56線から見える”玄関”です。


なおこのお店、中央卸売市場の北側の久万ノ台にある”手打ちうどん やしま”という名店のお弟子さんに当たります。


従って、””の特徴は松山では珍しい”平打麺”が共通項であり特徴でもあります。

店内2
こちらが店内の様子で、ちらっと見えるのが店主さん。


店主さんに話しかけました。「小麦粉が値上がりして大変でしょう!」っと。すると、「ええ、小麦粉も上がりました。でもそれより大きいのは”海老”です。昨年の2倍に跳ね上がっています」


「それに、消費税の引き上げやセルフうどん業態との競争、どれも頭が痛いのではありませんか?」っとワタシ。


「ええ、確かに!でも結局は”王道”を目指すしかないと思っているんですよ。セルフと価格競争して、勝ってっこありませんし!」っと店主さん。

メニュー3
「結局は、麺と出汁を徹底的に磨くことだと思っています」っと、潔(いさぎよ)く分かりやすい。


お師匠さんである”やしま”の店主さんも「セルフうどん業態の、メニュー開発力には敵わない。愚直に麺道を進むほかない、という意味のことを仰っていました」っとワタシ。


今日はこのお店の”鍋焼きうどん”をいただきたくて、お訪ねしました。お値段1200円です。これは高い!悲しくも高い!(それは、今日論じません・・・・と、言いながら、論じてしまいました、ゴメンンナサイ!それは後ほど)


実は昨日”ラーメン 一興”さんをお訪ねして”伊予路のみそラーメン”をご紹介したばかりです。”味噌ラーメン”の本場と言えば”札幌”ですね。


でも”一興”さんは札幌のモノマネではなく、文字通り”伊予路のみそラーメン”を創りだされました。そこで、うどんの本場”讃岐”のモノマネではない”うどん”を求めてこのお店をお訪ねしたという訳です。

鍋焼きうどんフタ付き4
しかしその”意気込み”は、画像の”鍋焼きうどん”を見た瞬間、瞬時に萎えてしまいました。


・・・・ナ、・・・・・ナベ・・・・鍋が・・・・大きい!」っと。


ウーーーン、完全に意表を突かれました。予想していたサイズを、大きく逸脱していました。今日は”食の助っ人”がいない!

鍋焼きうどん全体5
いや、普通の方だったら”何でもない量”なのかも知れません。


昨日だって、隣に座った痩せ型の青年、”とんこつラーメン”の替え玉の”4玉”目に静かに入っていました。ワタシが席を立った後、更に替え玉を重ねたかも知れません。


それが証拠に、ワタシがこの”鍋焼きうどん”の量に立ち往生していた頃合いに、ワタシの親世代の御夫婦2人がお店に入られ「鍋焼きうどん2つ!」っと注文されました。


すると、お店の女性が「ウチの鍋焼きは、量が多いので、””もありますが・・・・・」っと、その老夫婦に言った。


するとそのお二人、声を揃えてこう言った。「いやいや、”フツー”でええんよ!!」っと。

鍋焼きうどん縦6
ワタシが””のことをこのように書きますと「量を求めている客もいるはず!あまり小食であることを書かれると鼻に付く。まるで”老人の独り言”ではないか!」っと、コメント頂いた方がいました。


マア、ワタシは老人には違いないのですが、仰るとおりでもあります。量のことは、この位にしてっと・・・・・


頼もしいとも言えるでしょう。この存在感なのですから。そして、出汁のいい香りが周囲に充満しています。喉が自然に動きます。


麺と出汁に磨きをかける!」っという店主さんの覚悟が、見事に表出している出汁であり麺です。

鍋焼きうどん7
メインエベント”の主役を張る”海老天”が、先ず鍋焼きうどんの中央に斜めに横たわっています。確かに、お店のメニューにある通り”巨大海老天”は、誇張ではありません。


この巨大海老の”仕入れ値が倍加”した。つまり、”円安”の進行で、1$のドル通貨を買うのに、”円高”の時は80円とか90円で買えた。


ところが”円安”が進行して同じ1$のドル通貨を買うためには110円(前後=為替レートは毎日変わる)以上払わなければ買えない。


つまり”輸出”という観点に立てば、”円安局面”では、手取り円貨がどんどん増えます。


自動車産業を筆頭に、日本の主力産業は”円安”効果で、史上空前の収益をあげています。


その一方で食料品や原油を初めとして、日用品の殆どを”輸入品”に頼っている日本は、庶民が直接的に影響を受ける食料品を筆頭に消費財の世界では、仕入れコストの急騰という現実が進行します。


これは、輸出で空前の巨大利益を上げている日本の主要産業の収益を、”賃上げ”、或いは”下請けコストの引き上げ”という目に見える形で還元させないと、日本の産業の二重三重構造経済構造の歪を克服できないばかりか、庶民の生活に密着している中小零細企業と、輸出に支えられた大企業の経済格差は広がるばかりです。

なお、ここでワタシは単純に”円高”がいいと言っているのではありません。日本は輸出で成り立っている国ですから、”緩やかな円安”が理想には違いありません。ただ、その場合輸出型の大企業に集中する利益を国民や中小零細企業に還元する仕組みがいるということです。


なぜなら、日本のGDPの最大要素は”国内消費”にあるからです。皆がお金を使える環境作りが国内経済の発展に決定的に重要です。

海老天アップ8
うどん”を食するのに、一般の方はほとんど実感出来ない”外国為替”の問題や、”日本の経済構造”の問題を書いたのは如何(なぜ)か?


上に書きました経済の基本構造を知らないと、「世の中の景気は持ち直した、好循環に入ってきたという”偉い人”がいるのに、何故目の前の生活が改善しないのか?」っという、経済の本質は理解出来ません。


イヤイヤ、それは置いといて・・・「この海老・・・・でかい!・・・・・・・」


フフフ 小僧!俺が喰い切れると思うなら、喰ってみやがれ!」っと凄まれた。その恫喝(どうかつ=おどし)に、すっかり怯んでしまった。

薬味9
気を取り直して、巨大鍋焼きうどんに食らいついた。


その時、この生姜と刻みネギの頼もしいことと言ったらなかった!


生姜の清新な香りが、この時くらいありがたいと思ったことはなかった。あれほど巨大な壁であった、うどんの塊が、ドンドンワタシの胃袋に収まっていく。


第一、うどん全体が旨いんですから!出汁だって麺だって、それは極め付きなんです。

麺10
まあこの””を見てくださいよ。


前回の記事で、この””をワタシは以下のように描写しました。


<まあ、この麺の”色艶と照り”をご覧になって下さい!どうですか!>


<この麺こそ、”愛媛の官能的な麺”に相応しいと実感しました。>


その感を、今回も一層強く持ちました。大変に優れたお店であることは、間違いありません。喉ほって言います。


このお店のうどんは”讃岐うどん”に、決して媚びていません。これこそ”伊予うどん”の典型だと思います。お訪ねした目的は達しました。




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「オ・ノン・ドゥ・ルパ・ジュウィール」・「愛媛グルメ紀行」 691

今日は木屋町2丁目にある、フレンチ或いはイタリン(?)、広い意味で”洋食”のお店”オ・ノン・ドゥ・ルパ・ジュウィール”さんをご紹介しましょう。


場所は、木屋町南向き一方通行の城北交番から南に降った道路の東側にあって、向かい側が中華の”雁飯店”さんです。


お店の規模から言えば”ビストロ”に近いお店です。

玄関1
こちらが、木屋町通りに面したお店の玄関です。


このお店を知ったのは、ブログ友:”乱 駆郎”さんの以下の記事でした。(aux nom de repas jouir


その記事を拝見したのは昨年12月初めでした。直ぐにiPhone5にメモしました。ワタシは、通常他のブロガーさんの記事を拝見したら、その当日か若しくは翌日にはお店に行っています。


ところが乱さんの記事を見る限り、かなり本格的なフレンチのイメージがあって敷居が高いのでは?っと感じていました。

店外メニュー2
たまたま、会社の若き同僚と食事をする機会があって、二人で連れ立ってお店に入りました。開店時刻の5分前に。


気軽に開店前でもお店に入れてもらいました。メニューを見ると、本格的な”フランス料理”のお店と言うより、地中海料理をメインに、ワイン等を飲みながら気軽に仲間と語りながら食事を楽しむといった風でした。


店名の意味をシェフに聞きますと「フランス語で、”食事を楽しむ場”と言う意味です」っと。

店内3
そして開業して7年になるそうです。この木屋町通りはよく通りますが、気が付きませんでした。


どうやら、旧店名は”がむしゃら”だった時代もあったようですが、それがいつ頃の話なのかは確認できませんでした。


この画像は厨房の方角の店内の様子で、非常に小ぶりなお店です。でも正午前後には後2組、4人のお客様が入ってきました。


それで店内はほぼいっぱいという感じで、どこか”隠れ家”的な雰囲気を醸し出しています。

ワンプレート4
若き同僚と行った日は土曜日だったので、土曜日の”ランチメニュー”は、画像の”プレートランチ”だけです。お値段は1000円。


当日のメニューは、肉料理と当日のパスタでした。


これ、見た目以上にボリュームがありました。パンの一個は同僚に食べてもらいました。

サラダ5
こちらは、プレートの中央に収まっている”サラダ”です。


同じ時刻に、若い男性2人組がいましたが、彼らは”赤のワイン”に”チーズ盛り合わせ”で軽く一杯やっていました。


ナルホド、土曜日のランチにワインとチーズ片手に、後はプレートランチという客もいるんですね。

パスタ6
こちらは、”鶏ミンチトマトソースパスタ”です。


パスタはスパゲッティよりやや細めに感じましたが、トマトソースと鶏ミンチが絶妙にマッチしていて、美味しくいただけました。


パスタの量は、標準タイプの100gでしょうか?でも、ボリュームを感じました。


と言っても、若き同僚は目にも留まらぬ早さで平らげてしまって、量的にはやや物足りないといった雰囲気でした。

パスタアップ7
コッテリし過ぎず、アッサリでもない。


特別な食材を使ってあるわけでもないのですが、何故か美味しい。


酸っぱさに弱いワタシは、どちらかと言うとトマトソースが苦手ですが”完食”しました。

ポークソテーマスタードソース8
こちらは当日の肉料理で”ポークソテーマスタードソース”です。


こちらは、喉ほって美味しかった。ソテーの加減がいいのと、マスタードソースとの相性が抜群でした。


付け合せの温野菜は、今が旬の””とブロッコリーでした。茹で加減、塩加減も申し分ありません。


彩りも鮮やかです。蕪の葉を、面白く巻いて””にされています。

ポークソテーアップ9
そしてこの”ポークソテー”ですよ。中はまだ赤い。肉汁がタップリ。


黒胡椒も効いていて、焼けた部分は飽くまでも香ばしく、肉の内部はポークの味をタップリ楽しめる半生。


さすがにプロの手技の鮮やかさには、唸る他ありませんね。

パン10
そして、マスタードソースもこの”パン”で掬って舐めたように食べ尽くせます。


ソースに全ての旨味を凝縮させたのですから、一筋でも残してはもったいない。


いやしい餓鬼のように、貪(むさぼ)っていただきました。ご馳走様でした。




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「愛媛グルメ紀行」を振り返る 99

今週の土曜日の”愛媛グルメ紀行を振り返る”シリーズは、一作年(2012年)の春頃にアップした295号から297号までのお店です。

先ず最初”に振り返るお店は、2012年5月23日にアップした295番目のお店、国道56号線の”犬寄峠”にある”手打ちそば 峠茶屋”さんです。(「犬寄峠 手打ちそば 峠茶屋」・「愛媛グルメ紀行」 295

ワタシの実家は南予ですから、高速道路が宇和町まで延伸してからは、国道56号線を通ることが少なくなっています。

それ以前は、この”犬寄峠”を越えて南予に帰るのが定期のコースでしたから”峠茶屋”さんにも時折寄って、このお店の名物”手打ちそば”を食べていたものです。

玄関1
こちらがお店の玄関です。

犬寄峠のトンネルを抜けた辺りの、海側の斜面にやや広くなっているところがあり、お店は斜面の上に立っています。

閑散としているのかと想像してお伺いしたのですが、国道沿いの駐車場には車が8台もとまっていて、ほぼ満車状態でした。

そば6
この画像が名物の”手打ちそば”です。お値段は450円(内税)です。

蕎麦(そば)”が日本の文献に登場するのが”続日本紀(しょくにほんき)”で、養老6年(722年)の頃です。

当初は、そば粉を水に混ぜて、煎餅のようにして炭火で炙って食べていたという記録が残っています。

その次に登場するそばの食べ方は、そば粉に水を加えて食べる”そばがき”です。

なぜワタシがこんな古い話を持ち出すかと言えば、このお店の”手打ちそば”の味は、”そばがき”の味に極めて近いと思ったからです。

このお店の”手打ちそば”は、そばを喉越しで食べたり、そばを啜(すす)るというのではなく、「出汁ごとかき込むように食べる」と表現する方が正しいのかも知れません。

このお店、再訪したくてお店の前を何度か通るのですが、どういう訳か何時も閉まっています。辛抱強く通ってみましょう。


次、二番目にご紹介するお店は、2012年5月24日にご紹介した296番目のお店、北条府中の国道196号線沿いにある”中国彩館 仙楓”(せんぷう)さんです。(「北条府中 中国彩館 仙楓」・「愛媛グルメ紀行」 296

場所は、北条バイパス沿いにある”ラーメン 豚太郎”さんのちょっと手前にあります。

玄関1
国道196号線を今治方面に走ると、”夏目”に”パルティーふじ”が見えてきますが、それを通り越したあたりにこのお店が道路の左側に見えてきます。

周囲は市街化調整区域なので、お店は田んぼのなかにポツンと立っています。

店内は雑然としていて、手当たり次第お店の中に置いてある。

五目ラーメン6
こちらが注文した”五目ラーメン”。お値段520円。

文字通り五目の野菜と豚肉が卵とじにされている、マアこれもごく普通の”五目ラーメン”。

ところでその汚れていたテーブル、手を触れるとベットと油が手に付く。ニチャニチャ・ネトネト・・・・

「ん???」と思って、先ずテーブルに出してある紙ナプキンでテーブルをゴシゴシ拭いてみた。

ところが依然として油ベトベトが取れない。そこで今度は出されたお絞りで更に力をいてれゴシゴシ・ギュッツギュッツとテーブルをこすった。

テーブルに腕を付こうものなら、スーツがテーブルに張り付いて剥がれない・ベリッ・・・あ、剥がれた。

油の匂いが充満した店内で、お店の方に気づかれないようにして悪戦苦闘したけど、途中で諦めた。

このお店は再訪しません。味以前の問題です。


今日最後にご紹介するのは、2012年5月25日にシリーズ297番目にご紹介したお店、東温市横河原にある”Cafe Rest mars(カフェレストマーズ)”さんです。(「横河原 Cafe Rest mars(カフェレストマーズ)」・「愛媛グルメ紀行」 297

場所がちょっと分かりづらいところにあります。


愛媛大学医学部付属病院の広い敷地の東側を巡る外周道路沿いにあり、お店の直ぐ東を伊予鉄横河原線の電車が通っています。

玄関1
お店のある場所も分かりづらいのですが、お店の玄関も分かりづらい。お店に入ると、既に数組のお客さんが。

その方々の服装などからか判断すると、全員愛媛大学医学部の関係者のようでした。

このお店のホームページにも「愛媛大学病院の横でひっそりと営業しております。知る人ぞ知る大学生の隠れ家的カフェレストラン♪」とあります。

ランチ4
フロアー係りのお兄さんに、自分は見かけによらす小食であることを説明すると、”ミディアムサイズ”を薦められたのでそれを注文しました。お値段888円。

そして出てきたのがコレ!!見た瞬間「シマッタ!」と後悔しました。

画像で分かるでしょうか?半端な大きさではないのです。

腹を空かせた”学生サイズ”です、これではまるで。これに”レギュラーサイズ”だとどうなるのだろう??

空恐ろしいに違いない。世に言う”デカモリ”なのです。

味はとっても美味しかった。”量という拷問”さえなければ。

このお店の再訪はとても無理です。到底敵いっこありません。


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「愛媛の歴史特別編」・「出雲国の歴史・外史」 2

今日は、「出雲国の歴史・外史」の2回目です。今日は主に「出雲神話」の内容を書きます。


さて「出雲神話」です。「出雲神話」の根幹をなす部分は三つあります。


その一つは、「ヤマタノオロチ伝説」です。

出雲大社中鳥居1
上の画像は”出雲大社二の鳥居”です。


古事記では次のように書かれています。大筋の話ですが、”スサノオ”が高天原から出雲の国の斐伊川(ひいかわ)に降り立ちます。


「高天原」(天上の国)にいる父”イザナギ”の怒りに触れて、地上にある日本の「根の国」(今の島根・出雲)に流罪となった結果です。


その斐伊川(ひいかわ)に”国つ神”(クニツカミ=その地方の神)の子で”アシナヅチ”という老人がいて、その妻の老女とが一人の少女を前にして泣いていました。


少女は二人の娘で”クシナダヒメ”といいます。

出雲大社中鳥居から外鳥居2
上の画像は”二の鳥居から一の鳥居”を臨み見た光景です。


老人が言うには、毎年”高志(こうし)のヤマタノオロチ”がやってきて娘を食べてしまい、今年は目の前の”クシナダヒメ”が食べられるというのです。


ヤマタノオロチ”とは、八つの頭と八つの尾を持つ大蛇です。


そこで”スサノオ”が知恵を出し、大蛇を酒に酔わせて”クシナダヒメ”を助け、斬った大蛇の尾から「草薙剣」(くさなぎけん)を取り出したという伝説です。

出雲大社参道3
上の画像は”出雲大社参道”です。


普通の神社に見られる”上り”の参道ではなく、”出雲大社の参道”は”下って”います。普通の神社とは”あべこべ”です。この””は・・・ハテ?


さて、この「草薙剣」が、後に「ヤマト王朝」に伝わる三種の神器の中の一つである「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)=「草薙剣」となります。


なお、三種の神器の残りの二つは「八咫の鏡」(やたのかがみ)と「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)です。


「ヤマト王朝」、現在の天皇家の三種の神器の内、「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)=「草薙剣」と、「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)が「出雲王朝」に関係しています。


関係しているというより、「ヤマト王朝」が、「出雲王朝」から”国譲り”に伴って引き継いだのではないでしょうか。”国譲り”については後で書きます。


如何(いか)に、「出雲王朝」「ヤマト王朝」が、濃厚な関係にあったのかを示すものでしょう。


さて、”スサノオ”は助けた”クシナダヒメ”を妻として、”ヤシマジヌミ”を生みますが、このヤシマジヌミの子孫が以降代々に渡って「出雲王朝」の主(ヌシ)となりました。


その子孫の中の6代目に、「因幡の白兎伝説」(いなばのしろうさぎ でんせつ)で有名な”オオクニヌシ”がいます。

出雲大社石碑4
この「ヤマタノオロチ伝説」の中で出てくる”高志(こうし)のヤマタノオロチ”について、「高志」「越」(こし)であり、「越の国」であるという説があります。(越の国=現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に至る地域を指します)


つまり、”スサノオ”は「出雲王朝」をたてるに当たって、当時強国であった「越の国」(越前、越中、越後など)が出雲にやってきて無理難題を吹きかけていた現状をみて、苦しめられている出雲の民を助けようと思い立ちます。


そこで”スサノオ”は、「出雲の国」を支配する為にやってきていた「越の国」の連中を、機略を使って皆殺しにしました。これが「ヤマタノオロチ伝説」の元ではないかと考えられます。


更に”スサノオ”から6代後の”オオクニヌシ”の時代になって、その支配地が広がっていきます。隣の伯耆(ほうき=今の鳥取県西部)や因幡(いなば=鳥取県鳥取市辺り)の国を支配下に収めました。


次に”オオクニヌシ”が狙いをつけた国が「越の国」です。「越の国」は日本海側にあって、大陸との交流や、糸魚川で取れる”ヒスイ”を独占していた豊かな国でした。


そこで「越の国」を攻め、支配下におきます。その戦いの成果として「越の国」の女王であった”ヌナカワヒメ”を娶り、縄文時代以降”翡翠”(ヒスイ)の生産で豊かで強い国であった「越の国」まで勢力下においた、という説です。


当時「越の国」の糸魚川で採れていた翡翠(ヒスイ=緑の宝石)は、玉造(まがたま)の材料として重視されており、後に出雲国の遺跡(命主社の社殿)で、糸魚川産の“ヒスイの勾玉”と“青銅器”が発見されています。このことによって出雲国と越の国との関係が深かったことが実証されています。

出雲大社亀甲紋5
さて「出雲神話」の2つ目は「国引き伝説」です。


出雲の神の”ヤツガミヅオミツノ”が、出雲の国は小さいので、朝鮮半島の新羅の岬に余分な土地があると言って、大綱で国を引っ張ってきて出雲にくっつけ出雲の国を広げたという伝説です。内容は省略します。


越の国を征服した”オオクニヌシ”は、次にヤマトを征服しようと「ヤマト」に出かけます。つまり、一時的にはヤマトも「出雲王朝」の勢力下に置かれていた時代(弥生時代)があったということです。

出雲大社社殿周囲6
それが証拠に、奈良をはじめとして近畿圏には「出雲系の神」を祀る神社が数多くあります。


その勢いは、中国・四国にまで及んでいました。(北九州には別の勢力がありましたが、今回はそれには触れません)


オオクニヌシ”の時代に「出雲王朝」は日本のおおよそ3分の1をその勢力下においていて絶頂期を迎えました。

出雲大社社拝殿7
上の画像は”出雲大社社拝殿”です。


しかし、絶頂期の後には衰退期がやってくるというのが歴史の常です。その後、広大な勢力圏を支配し続けることが困難になってきます。


そういう時代背景を織り込んで「出雲神話」の3つ目の「国譲り伝説」があります。



これは、「高天原の神々」が、天孫降臨(てんそんこうりん=”アマテラス”の孫の”ニニギ”が日本に降りた)させた「天孫民族」である”高天原系民族”に日本を支配させようと、高天原から色々な神を出雲へ遣わします。


「出雲国」を説得したり脅したりしたのですが、全部失敗して、出雲は国を譲ろうとしません。

出雲大社神楽殿柱8
上の画像は”出雲大社神楽殿柱”です。


そこで最後に、高天原は”タケミカヅチノカミ”(建御雷神)を出雲に派遣し、「天孫民族に国を譲れ」と迫りました。


その時の出雲の主は、絶頂期を過ぎた”オオクニヌシ”(大国主命)でした。


高天原から遣わされた”タケミカヅチノカミ”(建御雷神)を前にして、”オオクニヌシ”は二人の息子に相談してみたいと言います。


絶頂期の”オオクニヌシ”であれば、息子に国の行く末を相談したりはしなかったことでしょう。オオクニヌシは、既にその時老いていたのでしょう。


長男の”コトシロヌシノカミ”(事代主神)は「分かりました、おっしゃるとおり、国は譲りましょう」と言いました。

出雲大社神楽殿しめ縄9
上の画像は”出雲大社神楽殿しめ縄”です。

ところが次男の”タケミナカタノカミ”(建御名方神)は譲らないと主張したので、”タケミカヅチノカミ”(建御雷神)と力比べをすることになりました。

ところが、この力比べです。”タケミナカタノカミ”(建御名方神)は”タケミカヅチノカミ”(建御雷神)に全く刃が立ちませんで、命からがら”信濃国”に逃げてしまいます。

ところで、”タケミナカタノカミ”(建御名方神)が命からがら逃げた”信濃国”は、今の”長野県”です。

この”長野県”で一番有名な(一宮)神社は”諏訪大社”です。


その”諏訪大社”の主祭神は、出雲国から逃げてきた”建御名方神 ”(たけみなかたのかみ)なんです。そして”諏訪大社”のお祭りは、日本三大奇祭の一つとして有名な”御柱祭”(おんばしらさい)です。

この”御柱祭”、巨大な樅の木の巨木16本を、それぞれ4本に束ね、社殿の四方に建てて神木とする勇壮な大祭です。この巨木に関する祭りのことを覚えておいて下さい。最終回の4回目の記事に、微妙に重なることに驚かれるでしょう。

さて、”オオクニヌシ”(大国主命)は「わかりました。おっしゃるとおり、国は譲りましょう。ただ、私に天に届くように高く地の岩を貫くような柱で大きな社(やしろ)を造ってください。私はそこに隠れましょう」と答えました。

これが「国譲り伝説」であり「出雲大社」建設の謂(いわ)れです。

2回に渡って、「記紀」には「出雲神話」はどう描かれているのか?またその「出雲神話」とはどういう内容であるのかを書いてきました。

次回は「荒神谷遺跡」発掘の衝撃と、発掘された内容をご紹介しましょう。

この話、第4回の最終回で、全ての謎の答えが”暗示”され、又は”解き明かされ”ます。その意味で、第4回の最終回は、お正月から書いてきました全16話の”ジグソーパズル”の、最後の”ワンピース”を埋めるお話となります。



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「再訪 218 中華料理 縁中縁」・「愛媛グルメ紀行」 693

今日は、通称中央通りから三津に繋がる国道437号線沿い、”ナンカイゴルフガーデン”の入り口に、2012年11月初めにオープンした”中華料理 縁中縁(えんちゅうえん)”さんの三度目のご紹介です。


初めてご紹介したのは、2012年12月7日でした。(「中華料理 縁中縁」・「愛媛グルメ紀行」 433


そして2回目のご紹介は、2013年8月2日でした。(「再訪 142 中華料理 縁中縁」・「愛媛グルメ紀行」 570


3回目の訪問は、ブログ友でありツイッター仲間であり”畏友”でもある”ジンゴズンゴ”さんのお薦めもあったからです。

店舗1
こちらが中央通りから三津に向かう、国道437号線沿いにあるお店の玄関です。


このお店が誕生した経過や、店名の由来は1回目の記事でご紹介した通りです。中国から来日され、生活習慣や言葉や味覚の違いを乗り越えられてこのお店にたどり着かれました。


顔形は中国人と日本人は似ていますが、これ程”似て非なる”民族はないでしょう。言葉など、目に見える違いは些細な違いです。


それより大きい違いは、”価値観・人生観、更には国家感”でしょう。天と地の違いが厳然としてあります。そういう目に見えない部分の違いのほうが圧倒的に大きいので、誤解やすれ違いを生みやすい間柄でしょう。


どちらが良くてどちらが悪いなどという、”矮小”なことを言っているのではありません。この所の”嫌中国”、”嫌韓国”という、”狭くて愚かなナショナリズム”は、日本人として国際的な””です。


歴史に学ぼうとしない、、学ぶという謙虚さのない一握りの”偏狭で矮小な日本人”の存在が、ワタチ達の子や孫にどれほど深刻な悪影響を及ぼすか!


些細な”想像力”さえ持てない人が何と多いことか。身の回りにウヨウヨいるでしょう。彼らに存在こそが、愛する日本を具体的に不可避的に危うくします。例え彼が”善意”であっても、”無知”は我が身と子孫を滅ぼします。


ワタシは自分のブログで、”歴史”もテーマに採り上げていますが、書いています内容は”日本の歴史”です。


ただ、専門といいますか、主に勉強した分野は実は”中国史”(今も勉強を続けております)です。ただそれをテーマにブログを書きましても、読んでいただいている方には退屈なだけだと思い書きません。

店内2
さて様々なメニューがありますが、ランチタイムに注文が多いのが”中華ランチ”でしょう。


その中で、ワタシが頼んだのが四川料理の代表選手である”麻婆豆腐”のランチです。お値段は730円です。


同じ”麻婆豆腐”のメニューにも二種類あって、四川本場物の味を活かした”四川”と、日本人向けにアレンジされた”北京”タイプがありますが、ここは敢然として本場の味”四川麻婆豆腐”を選びました。

メニュー3
すると、フロアー係の女性は「え・・えええ・・・・!!」っと驚かれた表情で「あの・・・・かなり辛いですが、大丈夫ですか?」っと念を押されました。


この”念を押された”ことに大きな意味があったことは、最後に”痛い程”よく分かりました。


辛い!」という言葉の裏に隠されていた”地雷”を、全く不用意にも何の覚悟もなく”踏んでいた”事に気がついたのは最後の最後でした。

麻婆豆腐セット4
これが”四川麻婆豆腐”のランチです。


内容は、もちろん”四川麻婆豆腐”であり、他には”サラダ”、”スープ”、”ザーサイ”、そしてご飯です。


この画像の量は、実は「ご飯少なめに、という以外にも麻婆豆腐の”豆腐も少なめに!”」っと注文しています。


最初から、まともな”四川麻婆豆腐”の量では、ワタシは敵わないと思っていたのです。


ところが・・・・ところが、この予測すら”甘チャン”だったことに気付かされたのです。

スープ5
さて、これは”スープ”です。


このお店の”スープ”は、それ自体に価値があるレベルです。”溶き卵”を入れたスープです。


ただし、この日の”スープ”はワタシには塩辛かった。

ザーサイ7
さて、これが本場の”ザーサイ”です。”ザーサイ”とは、カラシナの変種植物で、茎の部分が異様に肥大している植物です。


おそらく、”ザーサイ”の現物を目にされた方は、茨城県や神奈川県の一部の農家さん以外には少ないでしょう。


その”ザーサイ”の肥大した茎の部分を天日に干し、一度塩漬けにしてから搾って塩分を抜き、調味料(塩、唐辛子花椒、酒など)と共に甕(かめ)に押しこんで本漬けして作られたものです。


この”ザーサイ”にも、実は今回ワタシの前に巨大な壁として立ちはだかった”花椒”(ホアジャオ=日本語では一般的にはカショウ、但しお店の方は中国山椒と呼んでいました)がタップリと仕込まれていました。

肉味噌ジャアジャア麺4
この画像が、2回目にいただいた”肉味噌ジャアジャア麺”で、今回頼んだ”四川麻婆豆腐”と色はよく似ていますね。


この”肉味噌ジャアジャア麺”にも、問題の”花椒”が使われていますが、そのレベルがまるで違っていました。


この画像の”肉味噌ジャアジャア麺”をこなせたことが、ワタシの”慢心”を生んでいたことに、その時私はまだ気がついていなかったのです。


このお店の”肉味噌ジャアジャヤ麺”の色の濃さは、”豆豉”(とうち)を使った”豆豉醤”(とうちじゃん)の色でした。

麻婆豆腐8
この画像の”四川麻婆豆腐”にも”豆鼓醤”(とうちじゃん)が使われていると思いますが、何と言ってもその主役は”花椒”でした。


辛い”と表現される元は、もちろん”唐辛子”ですし、その”唐辛子”をタップリ使った”ラー油”の辛さも際立っています。


この”四川麻婆豆腐”は、”ラー油”をタップリ飲むためのものか?と錯覚するくらいにラー油が多くて、言わば”ラー油の大海に豆腐が浮いている”状態です。


お店の女性のフロアー係さんが「私でも、この”四川麻婆豆腐”は辛すぎて食べることが出来ません。せいぜい、辛さを控えた”北京麻婆豆腐”がやっとです!」っと仰いました。

スプーンで9
そのフロアー係さんが、ワタシが”四川麻婆豆腐”に挑んでいる姿が気になるらしく、何度も何度もワタシが食べている様子を振り返って見ておられました。


そして、ワタシが顔を歪める度に「ホラホラ!・・・・ヤッパリ・・・・・ダ カ ラ・・・・」っと、呆れ顔に変わりました。


その不安顔には「このまま”四川麻婆豆腐”を食べ進められて、店内で昏倒(こんとう=ぶっ倒れる)されてもコ マ ル・・・・」っという意味が隠されているかと思うほど、真剣にワタシの食べる様子を見ておられるのです。


でもワタシは「食べ残すと、食べ物を作ったお百姓さんに申し訳ない!」っと、厳しく育てられた世代です。必死で食らいつきました。

残った10
上の画像が、惨めにも敗れ去った証拠、半分以上食べ残したお皿です。でも、”辛い”なんて生易しいものではないのです。”痺れる!”んです。強力に”痺れて感覚を失う”んです。

先ず、自分の”胃と食道と舌”とが一斉に叫びました。「痛い!!痛いよー!痺れて・・・・モウこれ以上俺たちを苦しめないで!」って。

「オイオイ!まだ半分も食べていないんだぜ!」って、ワタシがレンゲで”麻婆豆腐”を掬って口元に持って行くと、舌が唇に命令して口を閉じさせました。

胃袋が叫びます。「俺達を殺すっていうことは、アンタも死ぬっていうことだぜ!アンタ、それを分かっているのか?」っと。

結局、自分の”胃と食道と舌と唇の四者連合”の壁に阻まれ、フロアー係の女性に「ギブアップです!」っという宣言をせざるを得ませんでした。その時のフロアー係の女性の安心した笑顔が印象的でした。

唐辛子の辛さは克服できます。でも”花椒”の強力な痺れには抗することが出来ませんでした。日本にはない食品なので、その痺れを形容することが難しいのですが”痛いほどに痺れる”とでも言いましょうか。

水など、何の助けにもならないのです。

これで三番町3丁目にある”一天張”さんの”汁なし担担麺・赤”に挑戦することは諦めました。(「再訪34 一天張」・「愛媛グルメ紀行」 377

その日、食後の3時間ほどは、お腹に”ホッカイロ”を3個位飲み込んだように、体が温まりました。





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「春夏秋冬 創食 飯台」・「愛媛グルメ紀行」 694

今日は来住町、通称農免道路沿いのサークルKサンクスから西に入った田んぼの中に建っている”春夏秋冬 創食 飯台”さんをお訪ねしました。


この目立たない立地で既に10年だそうで、町中の”スカイホテル”にもお店を出されているそうです。


広い駐車場を用意されていて、送迎用のマイクロバスまで控えているお店です。

玄関1
ここにお店があったのは知っていましたが、このお店がどういうお店なのかは知りませんでした。


道路から玄関までが遠いので、敷地に入って中を覗き込むこともできません。


午前11時からお店を開けられていて、私は午前11時15分にお店に入りました。その日の第一号客のようでした。

店内2
店内に入ると、驚きました。おっそろしく大きなお店でした。


ワタシの後に、1階の和室に30名近い若いお母さんのグループが一斉に入店されました。そのほとんどが、まだちっちゃな子供連れ。


2階にも広い席かあって、正午前後には2階にも予約客が埋まりました。何と、70人~80名は収容できるでしょう。

メニュー3
ランチメニューは全部で5種類です。


一番良く出るという”季節の膳”を注文しました。お値段、何と!”1,260円”ですよ。


5種のメニューの内、4種が1,260円。残りの1種は1,575円ですから、逃げようがない。このお店のメニューの組み立ては、飲み物とデザートが予め組み込まれていて、それを頼みたくない”客には優しくありません”。


しかも、”季節の膳”メニューを含めて、そのお料理内容はきちんと印刷されている。つまり、明日来ても同じメニューということでしょう。(或いは毎日、当日のメニュー”として印刷され、お店に表示されているのかも知れませんが、それを再確認する意欲がわきませんでした)


このお店は、毎日お客さんに通ってほしいという考えはないようで、たまにグループで会食するとき、思いついてくれる客を中心にメニュー構成ができているのでしょうか。


このお店お直ぐ近くにある”ダイニングキッチン たゔぇるね”さんなら、このお店のお料理より明らかに質は上で、そしてスープとサラダとメインディッシュで”780円”ですよ!


比較する意味はありません。元々お店が目指している方向がまるで違います。

前菜盛り合わせ4
こちらが”前菜盛り合わせ”と呼ばれているもの。


なお結果的に言えば、どのお料理も美味しくいただいた。但し、お値段が高いのですから、美味しいのは全く当たり前。旨くなければ”金返せ!”の世界でしょ。


それを前提にお料理を考えないと、バランスが取れません。

生ハムロール5
こちらが”生ハムロール”と呼ばれている前菜です。


野菜(ピクルスか?)とチーズを生ハムで巻いたお料理。


こういうメニューは、「まあ、それなりに美味しい」としか評しようがありません。お値段なりです。

海老とブロッコリーのマヨネーズ和え6
こちらも3種の前菜の一つ、”海老とブロッコリーのマヨネーズ和え”と呼ばれているもの。


確かに、間違いなく”海老”は新鮮で、プリプリしていました。


マヨネーズとの相性は、既に中華の世界では常識の範囲です。ブロッコリーについては、特に記述する内容はありません。

魚介のユッケ風7
こちらも前菜3種の内の一つ、”魚介のユッケ風”と呼ばれています。


何かの生魚を、生卵と和えて出されたもの。ユッケ風と言っても、刻み海苔で和風に演出したかったのか?


それともワインビネガーを利かして”カルパッチョ風”にしたかったのか?その意図は、素人のワタシには分かりませんでした。

鰆の香草パン粉焼きガーリックバターソース8
こちらがメインディッシュの”鰆の香草パン粉焼きガーリックバターソース”というもの。


もちろん”鰆(さわら)”は、旬の魚ではありますが、瀬戸内海では多く見かける魚。


身が柔らかいので、一般には”焼き魚”として調理されます。


それをこのお店では”パン粉”をまぶして、フライにされました。アイデアでしょう。大勢のお客さんに対応するには適した調理かも知れません。もちろん、素人考えではありますが。


個人的な好みでは、味付けに物足りなさは残りましたが、それは好き好きの範囲でしょう。

紅茶9
後の飲み物とデザートは、ワタシのように何時もは頼まない者にとっては”夾雑物”(きょうざつぶつ)でしかありません。


言わば、余計な物です。


それを予めメニューに組み込んで、客に選択の機会を与えず値段を稼ぐ。あざといと言えなくもない。

カラメルプリン10
こちらも同じこと。


飲み物とデザートは客の選択に任せて、それで値段を取るのが真っ当な道ではないか!


それ以外に選択肢がないメニューの組み方に、お店の””を垣間見させて頂きました。


その意味では、勉強・経験させて頂きました。


もっとも、この種の経験は”一度で結構だ!”と思いました。



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「再訪 219 お好み焼 樂」・「愛媛グルメ紀行」 695

今日は和泉3丁目の”コーポタカオカ 1階”にある”お好み焼 樂(がく)”さんを再訪しました。


初めてお伺いしたのは昨年3月で、記事にアップしたのが4月30日のことでした。(「お好み焼 樂(がく)」・「愛媛グルメ紀行」 518


再訪したのは、それから約11ヶ月後のことでした。実は、冒頭に初回訪問から再訪するまでの期間を書いたのには訳があります。それは後ほど。

玄関1
お訪ねしたのは、平日の午前11時45分でした。なお、取材の為にお店をお訪ねする時刻は、”判で押したように”この時刻です。


この時間帯でないと、店主さんからお話が聞き出せないからです。逆に言いますと、この時間帯を外れる場合は”取材の為の食事”は断念し、既に4回記事アップして、もう記事にはアップ出来ない”お馴染みのお店”をお訪ねします。


どのお店も、既にワタシの顔と名前が分かっているお店で、ワタシにとっては”安らぎ”が叶えられるありがたいお店です。


さて、店内には既に2組の家族が入っていました。どうやら、店主さんのお知り合いのご家族のようで、2組とも小さなお子さん連れでした。


ワタシは例によって一人ですので、長い長い鉄板を取り囲むようなカウンター席の一番奥に陣取りました。


店内は、若い店主さんとその奥さんの2人で切り盛りされています。

メニュー2
このお店は、”広島お好み焼き”のお店です。広島弁が飛び交いますが、店主さんは愛媛のご出身です。


注文したのは”オムそば”です。これなら、何とか食べ切れるのではないかと思ったからです。お値段は650円。嬉しい価格です。


注文を終えた瞬間、店主さんが開口一番、”仰天すること”を話し始められたのです。

モヤシ3
画像は、ワタシが注文した”オムそば”用に、一番最初に投入された”モヤシ”です。ここからは、”オムそば”が出来上がる過程を画像で追いながらお話しましょう。


店主さんの”仰天する話”というのは、こうです。


「この前教えていただいた”ストロベリーキャンド”さんネーー!あれ、本当に美味しかったですよーー!」っと、いきなりでした。


「私はハンバーグを食べて、妻はドリア食べたんですよ!妻もおいしかったって!ネーー!お前、そうだったろう?」っと奥さんを見ながら、こう続けられます。


ワタシはこのお店、二度目の客です。しかも前回は約11ヶ月前。それを、昨日も来たかのように、いきなりその話題に。面食らいました。

そば投入4
ここで、モヤシの上に一度湯掻いた麺を投入されました。湯気が勢い良く、一斉に舞い上がります。


「それにねー!あの”サラダ”ですよ!あれは凄かった!キャベツなんて、あんなに細く綺麗に切られて。ウチもキャベツ刻むでしょう!だから、ああいう切り方が難しいこと、分かるんですよ。しかもあの””!」っと言って、コテを使いながら、サラダの高さに手を上げられた。


ここで、ここでやっと思い出したんです、ワタシ。前回店主さんとどんな話をしたのかを。気軽に行ける”洋食屋”さんを教えてほしいと言われたので、何軒かの店名を挙げました。


その中に、立花にある”ストロベリーキャンドル”さんのお料理の素晴らしさをお話しました。でも話した当人が、完全に忘れていました。

混ぜる5
ここで、そばとモヤシを鉄板いっぱいに広げられました。ソースを満遍なく回し掛ける為です。


店主さんのコテ捌(さば)きは、それはもう見事という他ありません。体全体の動きにも全く無駄も隙もありません。


そういう店主さんに言いました。「それにしても、たった1回しか来たことがない客で、それもかなり以前に来た客とどういう話をしたか!まで、よく覚えておられますね」っと。


すると、「お店に入ってこられた瞬間に、アレ!どこか見覚えがあるな!って思ったんです」っと店主さん。

まとめる6
あれだけ鉄板の上に広く広がっていたそばに、2種類のソースを回し掛けると、大きなコテ2枚で力強く煽(あお)りながら、最後は画像のようにまとめられました。


見事なコテ捌きを続けながら、話も平行して続きます。「そして、あああの時の!直ぐに思い出しました」って。


「教えてもらった後、直ぐに夫婦で行ったんですよ。あそこは美味しかった。ご家族でやられていて」


「じゃあ、別の美味しいお店をお教えしましょう。それはね、来住町にある”たう゛ぇるね”って言います。スープとサラダとメインディッシュで構成されていて”780円”ですよ!」っと、ワタシ。


「そのお店の”サラダ”も見事ですよ!ただ単に野菜を切ってドレッシングを掛けただけではない。きちんと一手間仕事をされています」っとワタシ。


「その意味分かります。それに安いですね!オーーイ、忘れたらイカンけん、メモメモ!」っと奥さんに指示されます。

卵広げる7
その間に、オムそばの卵を片手で割って鉄板に広げられます。丸く浮き上がっている生卵が、あっという間に平らな円に変わります。


右手に持ったコテ一本で、瞬時に丸い円ができる。まるでマジックを目の前で見せられている様でした。


2組の家族連れの注文も、同じ鉄板で同時進行で焼かれていきますから、その動きに見惚れてしまいます。奥さんとの連携も見事。

乗せる8
さて、焼きそばを巻く卵が出来上がりました。卵をよく見ると、”内側は半熟”状態に仕上げてあります。卵の厚みは、せいぜい2~3mm程度でしょう。


それだけの厚みしかない卵の外側はシットリと、内側は半熟に!コテ一本で。


プロの手業”を目の前で見ているだけで、一種のディナーショーの進行を見ているようです。

オムそば9
さて、”オムそば”が出来上がりました。出された瞬間には一瞬息を詰まらせました。これは・・・・・タベキレルカ・・・・?


どうです!この圧倒的なボリュームなんですよ。ソースの、ちょっと焦げたいい香りが食欲をソソります。”アオノリ”の磯の香りが懐かしい。


無心で食らいつきました。「アフフフフ・・・・アフイ・・・・アフ・・・」でも、笑顔が溢れる。不思議に箸が進むんです。


予め用意されているマヨネーズもちょいと掛けてみて、味の変化も楽しみました。

麺10
これが”オムそば”を頬張る直前の姿。卵の巻き方が絶妙デショ!


そばとモヤシと豚バラとが、うまく混ざり合っていて、そこに”アオノリ”の香りが・・・・言葉になりません。


アレほどの量が、気が付いてみたら全部胃袋に収まっていました。「あ~~~~~美味しかった!」っと、自然に声が漏れ出た瞬間です。ふと気が付くと、カウンター席のワタシの目の前には、新しいお絞りと爪楊枝がスッと出されました。


そのタイミングの良さ、気配りの見事さにまた唸らされました。”完食”できたことも嬉しかった。


勘定を済ませると「来住町の”たう゛ぇるね”さんですね!必ず夫婦で行ってみます。楽しみです!」っと店主さんの溢れんばかりの笑顔。


また、虜(とりこ)になったお店が増えました。




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「再訪 220 地恵地楽ダイニング 青空食堂」・「愛媛グルメ紀行」 696

今日は、県道松山東部環状線から今治へ向かう国道317号線へと向かう道路沿いの、樽味2丁目にある”地恵地楽ダイニング 青空食堂”さんの2度目のご紹介です。


初めてご紹介したのは、2013年3月14日でしたからほぼ1年ぶりです。(「地恵地楽ダイニング 青空食堂」・「愛媛グルメ紀行」 495


結論から先に書きましょう。このお店ほど、1回目訪問時の印象と、2回目のそれとでは様変わりしたお店は、間もなく延べ700回を迎えようとしている”愛媛グルメ紀行”では初めての経験です。これは、選んだメニューの間違い?っということなのか??????


端的に言えば、1回目は”激賞”、2回目は”???”でした。


なお、あくまでも個人的感想であって、味に対する評価は千差万別であるという前提に立っての記述であることを予めお断りしておきます。私の食後感が絶対だ、などとは”絶対”思ってもおりません。

メニュー1
何故(なぜ)”???”っと、疑問を感じたきっかけは、上のメニュー画像の記載方法でした。


このメニューの記述方法と内容を覚えておいて下さい。


注文したのは”本日のハンバーグランチ”、お値段980円というものです。


この”本日の”という表現に、ン???と戸惑ったのです。


本日の”と表記された部分の色が、メニュー全体とは変わっていますね。これは、ワタシが名づけた”紙芝居”表示に似ています。


この”似ている”という所ばかりに目が行ってしまって、そこがワタシの”思い込み”に繋がった事が分かったのは、余り日をおかず更に再訪したときでした。その事は、後日アップします。

メニュー2
この”メニュー表”は、先月、つまり2月27日にアップした”トラットリア ヴェント・ディ・マーレ”さんのものです。(「再訪 210 トラットリア ヴェント・ディ・マーレ」・「愛媛グルメ紀行」 683


この”メニュー表”こそが、ワタシが名づけた”紙芝居”表示です。メニュー自体はカラー印刷されたものですが、白い円の窓が開いていて、その窓に裏から”本日の”というペーパーを毎日入替えて表示してあります。


一つ上の”青空食堂”さんのそれと、よく見比べてみてください。似てはいますが、全く別物でしょう。毎日変わるメニューが予めメニューに”色違い”で印刷されているように観察しました。

本日のハンバーグランチ2
つまり、”本日の”と銘打ったメニューですから、前日と全く同じメニューを出されるはずがありません。これだけの人気店なのですから、そんな小細工はされないでしょう。


ところが・・・・・・・このお店”本日のハンバーグランチ”と銘打ったメニューの中で、本当の意味で”本日の”と言える内容が、これ以降の画像の中のどの部分に実現しているのか??????そこが謎でした。


もちろん、980円に相応しい味なのか?????????

西条黒ばら海苔のお味噌汁3
上の画像の味噌汁、”西条黒ばら海苔のお味噌汁”とネーミングされています。


味も結構なお味なので、これはこれで何ら問題はないと思います。


もっとも、殊更に”西条の・・・・”っと銘打つほどのものでもありませんでしたが。

本日の旬野菜料理3種盛り4
当日いただいた”本日のハンバーグランチ”のメインの問題点は、メインディッシュである”ハンバーグ”そのものにあります。決定的な問題点が。それは後ほど。


先ずは上の画像の”本日の旬野菜料理3種盛り”とネーミングされたものです。このお料理だけが、メニュー表の中で色が変わっています。(やや黒い色)


ではこれが”本日の”という内容を示している表示なのか?


毎日その部分を紙芝居の様に一枚を抜き、次の別のシーン(内容)を表しているのか?何度メニューを見ても、そうは見えませんでした。


この部分の謎が、当日は解けませんでしたので、数日後に再確認するために訪問しました。再訪したところ、その””は簡単に解けました。それは、後日記事アップした時に。


もちろん”本日の”という表示に、厳格な意味での”誤魔化しや過り”はありませんでした。


でも、その裏に”言葉のマジック・トリック”、このお店の”ネーミング戦術”。


決して”戦略”というレベルではありませんが、敢えて厳しく言えば”あざとさ”を垣間見ることができました。それは、後日の記事と併せ読んでいただければお分かりいただけるかと。

じゃが芋バジルマヨネーズ5
この画像が”じゃが芋バジルマヨネーズ”とネーミングされたもの。不思議な表示法でした。


「じゃが芋バジルマ」という部分だけが、まるでホワイト修正液を塗った上に書き換えられたかのように表記してありました。


本日の”という内容を担保するために「じゃが芋バジルマ」だけは本日のメニューで、「ヨネーズ」というメニューがあるとしたら、その部分は毎日同じもの?なんでしょうか????不思議です。


この謎も、後日分かりました。簡単なことでした。ただ単に印刷物に間違いがあったのでホワイト修正液を塗って、その上に正しく表示しなおしただけでした。


なお、このメニューに関してはジャガイモが美味しくてそれにスパイシーでした。調理に工夫の跡が見えて好感を持ちました。

旬野菜たっぷりオムレツ6
上の画像は”旬野菜たっぷりオムレツ”とネーミングされたもの。


イタリアンのオムレツで、”フリッタータ”と呼ばれるものだと思います。味は薄味で、素材の野菜の味を巧みに引き出されていました。


それに、このお料理目で見ても鮮やかで綺麗ですね。


本日の旬菜青空サラダ”とネーミングされたものも出ましたが、もちろん当日朝取りした新鮮なものですし、野菜の種類も多彩でした。

ハンバーグ皿7
さて”本日のハンバーグランチ”のメインのお皿の画像です。


このお料理のメインディッシュが”ハンバーグデミグラスソース”とネーミングされたものです。


問題はその”ハンバーグデミグラスソース”でした。それ以外のお料理はそれぞれに創意の跡があり、素敵に作られていると思っていただきました。

ハンバーグデミグラスソース断面9
ところがこの”ハンバーグデミグラスソース”だけは、大きく期待が外れました。


当然に半分に切り分けたら、美味しさの根源である”肉汁”がトロトロ流れ出る・・・・・・っと期待していました。


ところが、全く流れ出ない!


「ン・・・・・ン・・・・アレ・・・・・・エッ・・・・・マサカ・・・・・????」


辛うじて、水で喉に流し込むようにして”ハンバーグ”だけ、いや間違った”ハンブン”だけ・・・・食べた・・・


残りの半分は・・・・・・喉を通りませんでした。残念です。前回の印象はすこぶる良かったというのに・・・・・。


これじゃ、最近愛媛に初上陸して地域の話題を独占している”セブン-イレブン”の”金のハンバーグ”というレトルト食品には遥かに届きません。セブン-イレブンの尻尾すら踏めないと思いました。(実際に食べてみて)

丹原石鎚米の白ごはん10
また、これが”丹原石鎚米の白ごはん”とネーミングされたものですが、ちょっと残念に思ったものの一つです。


美味しい白米ご飯に共通しているはずの、”噛めば噛むどど甘味が出る”という部分が全く、全くありませんでした。


ワザワザ、殊更に”丹原石鎚米の白ごはん”とネーミングした意味があったのか??????


客席も駐車場も満員・満車の状態がほぼ毎日続いているお店です。


今回の訪問は、幾つかの謎と味に対する物足りなさが残ってしまいました。


そこで、その疑問を晴らし味も再確認したかったがために、数日置いて再訪しました。その結果は、4月2日にアップします。





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「愛媛グルメ紀行」を振り返る 100

今週の土曜日の”愛媛グルメ紀行を振り返る”シリーズは、一作年(2012年)の春頃にアップした298号から300号までのお店です。

先ず最初”に振り返るお店は、2012年5月28日にアップした298番目のお店、東温市横河原で30年を越える洋食屋さんの老舗”マッケンジー”さんです。(「横河原 マッケンジー」・「愛媛グルメ紀行」 298

場所は旧の国道11号線沿いにあって、”水天宮”の目の前です。

玄関1
お店の前と、地下に駐車場があります。お店の席数は概ね40席程度、比較的大型の洋食屋さんです。

このお店の”ウリ”は、この”今日のランチ”と呼ばれるものでしょう。

シンプルというより、上に書いた”今日のランチ”以外のメニューは、このメニュー板に書いてある3種のみ。

ハンバーグ6
”今日のランチ”は、洋食屋さんの定番が3つ並んだ。

ハンバーグ”と”ヒレカツ”、更に”とりから”。一日限定15食とあった。お値段は800円。

近寄ってよく見ると”ハンバーグ”結構デカイ!

ヒレカツ”は、薄かったけど、”とりから”は7個も付いていた。

大盛りとか中盛りとか注文した人の”ライス”は、一瞬腰を引きたくなるほどの量だった。

「そうかこの店は、”デンプン系”で土台を作り、その上に普通のお店の1.5倍ほどのサイズの”たんぱく質系”でヤルお店なのかー」っと。

ハンバーグを食べてみた。それで上のことに更に納得がいった。味が濃いー、ご飯がどんどん食べられるように。

でも、このお店も再訪しません。メニュー数が少ないことと、量がとてつもなく多いからです。


次、二番目にご紹介するお店は、2012年5月29日にご紹介した299番目のお店、東雲町にある”毘沙門天ビル”の2階に入っている新しい麺を食べさせるお店”馳走革命 88”さんです。(「馳走革命 88」・「愛媛グルメ紀行」 299

場所は、歩行町の通りを日赤に向かって北上する道路と、ロープウェイ街の通りを北上した道路が交差するところから、やや南に下ったところにあります。

看板1
このお店が抱えている困難の一つに、ビルの2階にお店があって、そのお店はどんな種類のお店かが分かりにくい点があげられます。

この画像が”毘沙門天ビル”にテナントとして入っているお店の”看板・告知”です。

この看板・告知が、歩いている人にも分かりづらい。ましてや、走っている車からが先ず見えません。

アップ7
シェフお薦めの”濃厚トマトソース”の”まぜそば”なるものを注文した。

温製と冷製が選べるというので”冷製”を選んだ。お値段は680円(内税)です。

ナポリタン風のトマトソースに、蒸し鶏を少し炙ったもの、同じく炙ったレンコン、それに彩り鮮やかな野菜類、一際大きいオクラが目立っていた。

緑・白・赤の縦三色模様は、完全にイタリア国旗の”三色旗”(トリコローレ)のそれです。

「麺は、具材の下にあります。全体を掻き混ぜて食べてください。”まぜそば”ですから」と、シェフ。

非常に面白いアイデアで、味も個性的な美味しさがありました。

ところが、このお店再訪できません。ワタシがお訪ねしてから1ヶ月も経たない内に閉店されたからです。やはり、2階立地という壁は厚かったようです。残念です。期待していました。


今日最後にご紹介するのは、2012年5月30日にシリーズ300番目にご紹介したお店、喜多郡内子町にある老舗中の老舗”片岡食堂”さんです。(「内子町 片岡食堂」・「愛媛グルメ紀行」 300

ここまで、同じお店に複数回お邪魔してお昼を頂いても、アップするのは1回と決めてご紹介してきましたので、このお店が”300店舗目”となります。

しかし、全部違うお店をアップし続けるのは次第に限界に近づいていますので、これ以降は”再訪”したお店もアップして、初回のアップとはまた違った面をご紹介できればと考えています。

玄関1
さて、内子の”片岡食堂”さんです。

場所は、国道56号線内子町内に入ったら、内子の”町並み保存地区”から一本北に入ったところ、県立内子高校正門からは20mほど東にいったところにあります。

メニューは8つ。中華そば系が3つ、うどん系が4つ、後はいなりだけです。お店に入るなり「御そば?」っと、お店の方に声を掛けられます。

このお店に来られるお客さんのほとんどが”中華そば”を注文されますので、お店も心得たものです。

アップ5
これが”中華そば”、お値段は500円(内税)です。

この画像を見て、「アア・・・懐かしい!」っと思われる方は、それなりの年齢の方でしょう。

町の、街の”食堂”の”中華そば”です。奇をてらったところなど何一つない、真っ当な”中華そば”です。

いりこで丁寧にとった出汁に、製麺所から仕入れた普通の”中華麺”、具材は、かまぼこ、す巻き、モヤシ、ネギに海苔1枚です。

メンマもチャーシューもありません。透明なスープ、やや甘めですがスッキリと味わえます。

店主7
これが二代目の女将。ワタシを取り囲んで、過去の談義にふけった。

途中からは、二代目女将のご主人も、そして周りのお客さんもその談義に加わった。

300号”の記念号は、”ワタシらしい記事”の方向をつけて頂いた感がある。

当然にこのお店は再訪しました。しかも、横浜からの”旅人君”と一緒に。愛媛は初めてという”横浜の旅人君”の、たっての要望でした。



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「愛媛の歴史特別編」・「出雲国の歴史・外史」 3

今日は「出雲国の歴史・外史」の3回目です。


今日は、昭和59年(1984年)に発見された”荒神谷遺跡”(こうじんだにいせき)の画像を見ながら、「出雲国」は神話に過ぎないとされていたものが、実はそうではなく”弥生時代”において、”日本国内では大勢力を持っていた国”であったことをご説明します。


そして、これら”荒神谷遺跡”から発掘された大量の”銅剣”・”銅鐸”(どうたく)、そして”銅矛”(どうほこ)などを見ながら、この遺跡が物語る意味と、次回に書きます「出雲大社」に秘められた謎の一端をお示ししたいと思います。


更には、そのことが「古事記」及び「日本書紀」とどう結びつき、「記紀」(古事記と日本書紀の総称)には、実はどういう意図と秘密が隠されているのか?ということを次回に書きますが、今日の記事はその下敷きです。


荒神谷遺跡”は、島根県簸川郡斐川町神庭字西谷(ひかわぐん・ひかわちょう・かんば・あざさいだに)にあります。


この場所は、”出雲風土記”に書かれている”出雲郡”(いずものこおり)の”神名火山”(かんなびやま)とされている”仏経山”の北東3キロメートルのところです。

荒神谷遺跡案内板1
遺跡発見のきっかけは、偶然でした。昭和58年に、この辺り一体に広域農道を造る計画が持ち上がった時、農道予定地の発掘調査が行われました。


その時、付近から”須恵器”(すえき=弥生時代の土器)が発見されたことがきっかけとなりました。本格的発掘調査が必要ということになり、59年に”荒神谷遺跡”の試掘調査が始まったのです。


町に大騒動を引き起こしたのは、その時の試掘調査で”銅剣”の一部が発見されたからです。急遽、奈良文化財団研究所や島根大学から考古学者が加わって本格的発掘調査が行われました。

荒神谷遺跡2
すると、何と”358本の銅剣”が出土したのです。それまで日本で出土していた”銅剣”は約300本。ここ”荒神谷遺跡”の”銅剣”の出土によって、銅剣の数は一挙に2倍以上になりました。


上の画像は、その”銅剣”が発掘された現場です、小さな丘の中腹に掘られた穴に埋められていたものが発掘されたのです。


予め銅剣を埋めるために平らなテラス状の段が加工さてていて、その下に穴が掘られ、その穴に銅剣が4列に規則正しく並べられて埋められていました。


この発見は、日本の弥生時代の青銅器研究の根底的見直しを迫る大きな出来事となりました。

荒神谷遺跡3
上の画像の左側部分の中腹に、白く見える部分がありますが、あの場所に358本の銅剣が埋められていました。


しかも、”荒神谷遺跡”に埋蔵されていたのは銅剣だけではありませんでした。これ以降も驚愕する埋蔵物が次々と発掘されました。


それは、昭和60年には銅剣358本が埋められていた傍で、”銅鐸”6個と”銅矛”16本が発見されました。一箇所で16本もの”銅矛”が発見されたのは初めてでした。


前回書いた”国譲り伝説”を思い出してください。「古事記」には、”オオクニヌシ”が葦原の中の国(=日本)の支配権を”アマテラス”の孫”ニニギ”に譲り、自らは「黄泉の国の王として、広大な”出雲大社”に隠れ住もう」と言って、”銅矛”をニニギに捧げて引退したということになっています。


銅矛”は、弥生時代の国の元首の宗教的・政治的シンボルでした。それがこの場所に埋められていたという意味と謎。


また”荒神谷遺跡”発掘の12年後(平成8年)に、”加茂岩倉遺跡”で39個の”銅鐸”も発見されました。358本の銅剣、16個の銅矛、39個の銅鐸は、平成10年に全てが”国宝”に指定されました。


さて銅剣と銅矛は元々武器であったことはその形から容易に想像できます。後に、武器の役割から”祭祀”の道具、”祭器”となります。


ところが”銅鐸”(どうたく)は不思議な形をしています。これは元々は””であったとされています。鈴は神を喜ばせるための音を響かせるものだったのでしょう。今でも神社に行けば、拝殿の前には大きな鈴があって、ジャラジャラ鳴らしますね。


銅鐸”には”怨霊鎮魂”という”呪力”を持っているとされていたと思われます。


この”怨霊鎮魂の呪力”が、”出雲大社”建立の決め手と言えますし、「古事記」「日本書紀」をどういう目的でどう編集したかったのか?


編集したのは誰か?を推察する重要なポイントになります。覚えておいて下さい。

荒神谷遺跡4
画像の左手中腹の白く光っている場所が、358本の銅剣が埋められていたところ、右手の梯子の上に見えるのが6個の銅鐸16本の銅矛が埋められていたところです。


これら多くの”宝器”を所有していたのは、間違いなく「出雲国」の大王であった人物でしょう。


それが”オオクニヌシ”だというのです。(もちろん、全く違った説を唱える人もいます)


前回に書きましたように「出雲国」の絶頂期は”オオクニヌシ”の時代であり、同時に日本の主権が「出雲国」から「ヤマト王朝」へと変わった時代でもありました。


その”歴史的事実”が前提にあって、「ヤマト王朝」は「出雲国」から国を譲られたということを「記紀」に書きました。空想の結果を物語に仕立てて”神話”として書いたのではありません。

銅剣発掘現場5
この画像が、”銅剣”が発見されたばかりの様子を伝える画像です。


規則正しく、4列に並べられて埋められていました。その並べ方にも意図が感じさせられます。西側から言えば、第一列と第二列は、剣の峰(刃の部分とは反対側)の方向が1本づつ、ほぼ交互に埋められています。


ところが、第三列と第四列は、剣の峰は東の方角(ヤマトの方角)に向けて埋められています。何かの意図を感じさせられますが、明確な理由は分かっていません。


しかも、そもそもこれだけ大量の”銅剣”や”銅鐸”・”銅矛”が、なぜ地中に埋められていたのか?


当時の”銅剣”等は、権力の象徴でしたし、大変貴重なものだったはずです。様々な説が今日まで提起されてきましたが、これが真実だ!とは、誰にも言えない謎です。


ただ明確に言えることは、これだけ大量の青銅器を有していた地方が「出雲国」であり、その「出雲国」は日本の大方を勢力圏に治めていたことがあったということです。架空の”神話”などではなく、「出雲王朝」は存在していたということです。

銅鐸画像6
この画像が、”銅鐸”6個と”銅矛”16本が発見された時の現場写真です。


左側が”銅鐸”です。日本で過去に発掘された”銅鐸”の中でも最古の型が埋められていました。丁重な儀式を行った上で、ある意図をもって埋められたに違いありません。


誰のために、誰が指示して埋めたのか?それと「出雲大社」建立の理由や、「記紀」の中で語られた「出雲神話」との関係はあるのか?ないのか?


これら”銅剣”などが埋められた原因と、倭国から日本に国号を変えた頃に建てられたと想像できる「出雲大社」という、とてつもなく大きくて高い建造物が建てられた理由とは、リンクしている


それが、全4回を通じて書きたかった内容です。

☓印のある銅剣画像
そしてそれらの謎を解く鍵が、上の画像です。


荒神谷遺跡”で発見された”銅剣”の殆どに刻まれている「☓印」です。”銅鐸”にも同じ「☓印」が刻まれています。


具体的に言えば、”荒神谷遺跡”から出土した”銅剣”358本の内、344本の”銅剣”の同じ部分に「☓印」が刻まれています。


また”荒神谷遺跡”と”加茂岩倉遺跡”のほとんどの”銅鐸”に「☓印」が刻まれていますが、この「☓印」が刻まれている”銅剣”と””銅鐸”は、全国でも”荒神谷遺跡”と”加茂岩倉遺跡”から発掘されたものだけに限られます。

銅剣等一覧9
この画像は、出土した”銅剣”類を補修して蘇らせたものの一部です。全て「国宝」です。


これは、”ある方への鎮魂”の意思を示すものではないか?


何らかの意図があって、貴重な宝物であり権力の象徴でもあった”銅剣”と”銅鐸”に「☓印」を刻印して、大切に埋めた。その意図が、”ある方への鎮魂”の意思であったというのが、次回、最終回に書く内容の一部です。


同時に「出雲大社」と「記紀」」の秘密に迫ります。






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「月島もんじゃ お好み焼き ありんこ」・「愛媛グルメ紀行」 697

今日は、樽味町のフジの商業施設内に入っている”月島もんじゃ お好み焼き ありんこ”さんをご紹介します。


今日は、間もなく”700号”を迎えようとしている”愛媛グルメ紀行”でも、異例なご紹介方法となります。


どこが異例かと言いますと、洋食や中華料理を別として、日本の食の分野で一度も食べた経験のない”もんじゃ焼き”を採り上げます。


従って、通常の10枚の画像を越えて13枚の画像のほとんどを、”もんじゃ焼き”の出来上がる過程を現場中継的にご紹介します。

玄関1
こちらが、焼肉屋と回転寿司屋の間で、小じんまりと佇むお店です。


ここに開業なさって2年が経過しました。店名の由来は、両側に大きな規模の飲食店が既にオープンしている間を割るように入って開業なさいました。


両側の巨大店に比べれな”蟻の子”の様な規模でしかりません。でも”ありんこ”はありんこで、”ありんこ魂”を発揮して頑張る!との決意が込められています。

明太子とチーズ2
何時もなら店内の様子やメニューをご紹介しますが、今回は全て省略します。


注文したのは”明太子もちチーズもんじゃ”というメニューで、”餅”を抜いてもらったもの。お値段は850円でした。これが高いのか?安いのか?分かりません。


粉モン”のランチメニューとしては、ベラボーに高い!でしょう。

具材を混ぜる3
もんじゃ焼き”の起源は諸説ありますが、このお店の店主さんが語った起源とは以下の通りです。


「”第一次世界大戦”で荒廃した東京下町で、焼け残った鉄板を下から火に炙り、薄く伸ばした小麦粉を焼いて食べた時、「い・ろ・は」の文字を子供に教えるようにコテを使って焼いたから”文字焼き”が”もんじゃ焼き”となった」っと。


安土桃山時代に千利休が始めたという説もあり、真偽は分かりません。


もんじゃ焼き”が、後に東京下町から地方に”伝播”(でんぱ=伝わり広がる)するに従って、その地方地方で変革・改良・変容を遂げたものが、今の”お好み焼き”です。


ただ”お好み焼き”と”もんじゃ焼き”との大きな違いは、もんじゃ焼きの生地の方が随分”水っぽい”。それと、お好み焼きでは、生地に具材を混ぜて焼きますが、もんじゃ焼きは画像のように、先ず具材から鉄板で焼いていきます。なお、全て店主さんが目の前で実演していただきました。

土手を作る4
店主さんの説明によれば、東京は下町の”もんじゃ焼き”にも二通りあって、一つがこのお店の”月島流”。月島は東京都中央区の沿岸部です。もう一方が”浅草流”とか。


両方の大きな違いは、具材の取扱の違い。”月島流”は、先に具材のキャベツと天カスとアミエビと裂きイカと明太子を鉄板で焼きます。そして焼いた後、月島流は、焼いた具材で丸い円を描くように”土手”を作ります。


浅草流”は、どうやら最初から具材と生地を混ぜて焼くらしい。(違うかも知れませんが)

土手に注ぎ込む5
焼いた具材の”土手”が出来上がったら、生地になる画像の物を土手の内側に流し入れます。


もんじゃ焼きの生地の成分は、水・出汁(だし)・小麦粉・片栗粉・ウスターソースです。特に、水多目なので、流動的なスープといった感じです。

土手が固まってきた6
熱した鉄板をそのままにして、”土手”が固まるのをじっと待ちます。ワタシはただ、黙って店主さんのコテ捌きを見つめるだけ。


画像の様に、”土手”がやや固まりかけてきていますが、土手の内側の生地はまだスープ状態が続いています。

土手を壊して混ぜる7
上の状態から、一気に全てを突き崩して、大きなコテを2本操って、土手と生地を鉄板の上で混ぜに混ぜて焼いていきます。


ここが、”浅草流”との違いらしい。

チーズを投入8
この段階で、やっと”チーズ投入”です。


店主さん「チーズを初めから入れるお店もありますが、そうしたらただ単にチーズが焦げてしまうだけ!」っと、明快。

焼きあがった9
チーズを投入したら、鉄板の上に広く薄く混ざった生地を広げていきます。


店主さんは、この段階で「後は焼きあがったら、コウ食べて下さい!」っと、食べ方の説明をして、ワタシの目の前の鉄板から離れられました。


但し再三再四、鉄板まで戻って来られ”もんじゃ焼き”の焼き上がり加減を確認に来られ、その都度鉄板のガスの加減を調整されます。それはもう、気忙しい位です。

切り取る10
さて”もんじゃ焼き”の食べ方です。画像の”小さなコテ”或いは”ヘラ”だけで食べます。


先ずは、焼き加減のいい生地の下に”小さなコテ”を差し入れます。画像の通りです。

切り取る11
差し入れた”コテ”を、手首を使って裏表にひっくり返します。画像の”小さなテコ”の上下が入れ替わっているのが見えますか?


コテを返したら、全体の生地からコテを使って、鉄板上を手前にコテを引いて生地から切り離します。

鉄板に抑える12
次に、手首を使って返した”小さなテコ”を鉄板に押さえつけます。


この段階で、まだ、生地が柔らかいので、鉄板に生地を押し付けて焦がして固めます。そうしないと、コテに乗らないからです。ここが、やや難しい。

食べる13
ここで、やっと口に入れることが出来る状態まで来ます。


鉄板一杯に広がった生地を、1回1回、小さなコテで抑えて手返しし、手前に引いて生地から切り離し、鉄板に押さえ付けて生地を焦がし、やっと口の運ぶ。モタモタしていたら、生地の水分が蒸発して、味全体が濃厚、いや塩辛くなります。


水を飲みながらでないと、食べおおせません。これは”せわしない”食べ物です。東京下町人は、鉄板の上で小さなコテをカチカチとリズミカルに音を立てながら、小さな塊をただひたすら口に運んで食べます。


かろうじて”完食”はしましたが、これは”関西人気質”には全く合わない食べ物のように思いました。


店主さん「ウチが店を出した時、松山には”もんじゃ焼き”を食べさせるお店はありませんでしたが、今ではもう5軒も出来ました!」っと言われました。


でも、それは「まだ5軒しか出来ていない」と言い換えることも出来るのではないか?っと思いました。関西風お好み焼きや広島風お好み焼きのお店の多さと比較すれば、それは明らかでしょう。




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「再訪 221 松屋」・「愛媛グルメ紀行」 698

今日は本町7丁目にある老舗食堂の”松屋”さんをご紹介しましょう。3回目のご紹介です。


初めてご紹介したのは、2012年2月17日でした。(「松屋」・「愛媛グルメ紀行」 228


二回目は2013年5月24日です。(「再訪 111 松屋」・「愛媛グルメ紀行」 529


またこの日にこのお店を訪問した動機は、ブログ友:”ファットマン”さんの以下の記事でした。(松屋でオムライス(まさかの大盛リベンジ)

玄関1
こちらがお店の玄関です。


ワタシは前前職の仕事の関係上、20代の頃と40代の頃、通算10年間この地域を担当していました。


従って、このお店に出入りしたのは20代半ば。今から40年ほど前です。女将は先代でした。懐かしいお店の一つです。

オムライス6
ですからこのお店に一歩足を踏み入れると、瞬時に時間が遡ってしまいます。


今日の目的は”オムライス”でしたが、出された途端にそれは”セピア色”に霞んで見えました。


何しろこのお店の創業は、”創業明治38年”です。来年は創業”110周年”の節目を迎えるお店なんです。

店内2
さて、時間軸を現在に戻しましょう。


これが現在の店内の様子です。女将と女将のお姉さん、お姉さんのご主人の3人でお店を守られています。


お姉さんのご主人は元々寿司職人、また女将のお姉さんが調理師です。 

ショーケース3
お店の玄関を入ると、画像の”稲荷”と”巻き寿司”ケースが置いてあります。これが売り切れて残りません。


ワタシがお店に入って、このショーケースをiPhone5で撮っていると「アレアレ、まあ懐かしい。前回来たんは、昨年じゃったかなー。元気やった?」っと女将。


そして写真を撮っているワタシを見て「そういえば、最近急に店に入ると写真撮る人が増えてね!あれって”ツイッター”とかに出すんやろ!」っと。


「ウンウン、ツイッターの人とか、ワタシみたいにブログの人とか色々おるんよ!」っとワタシが言うと「そう言えば、お陰で最近お客さんが増えたんよ”!」っと女将。

巻き寿司4
これがこのお店の隠れたる名物、但しこのお店をよく知っている人にとってはよく知られた名物の”巻き寿司”です。


寿司職人である、お姉さんのご主人が巻いて切り分けておられます。売り切れている時は、注文すれば巻いていただけます。


ワタシのような世代には”巻き寿司”は”ハレ”(めでたい日)の食べ物で、子供の頃は、お祭りと春の遠足、そして秋の運動会にしか食べることが出来なかった。もちろん母の手作り。


だから、松山で社会人になった時”巻き寿司”は買って食べることができる事に気が付いて、それ以降松山の名だたる”巻き寿司”を買い漁って食べました。(寿司屋の巻き寿司を除く)

巻き寿司5
先ず、個人的に”松山一美味しい!”っと思うのが、堀江港にある”みなと食堂”さんのそれです。喉掘って言います。


また、”松山一甘い!”っと思うのが、ここ”松屋”の画像の巻き寿司。これは半本分で、お値段350円。


具材に、かんぴょう、三つ葉、椎茸、でんぶ(海老のそぼろ)、海老のすり身入り卵焼き(?)です。食べてみる価値十分だと思います。

オムライス7
さあて、目的の”オムライス”です。今までこのお店では”オムライス”を注文したことがありませんでした。


ファットマンさんの記事に接しなければ、恐らく生涯食べることはなかったと思います。ワタシは気に入ったメニューが出来ると、同じメニューを何十年でも続けて食べるタイプなものですから。


ファットマンさんは、普通サイズを食べてみて”大盛り”の量に興味がわき、リベンジするための後日”大盛り”に挑戦されたと。大盛りは150円増し。なお”中盛”は100円増しだと記事にありました。


ワタシは、普通盛りでも自信がないので、「ご飯少なめでお願いします!」っと注文して出てきたのが画像のもの。「クス」っと笑ったのは、このお値段、普通650円のところを100円引いてくれて550円でした。


「大盛りはなー!150円増しやけど、ご飯は二倍の量が入っとるケン、お得なんよ。それでな、と言っても、ご飯半分やないで!ちょこっと減らしとるだけヤケン!」っと女将。

オムライス8
確かにレストランで食べるオムライスではない。間違いなく、街の食堂でいただく”オムライス”でした。


「上に掛けてある”ケチャップ”あるやろー!これなー、トマトだけで作っとる特別製なんよ!えーーーっと、長野県やったかなーー・・??何処やったかは忘れたけど、トマトが出来る時期だけに作っとって、それを取り寄せて使っとるんよ!ジャケン、酸っぱくなかろー?」っと女将。


なるほど、そう言われればワタシの苦手な酸っぱさが弱いような・・・。チキンライスを包んでいる卵のガワが香ばしい。

断面9
オムライスの中身は、”愚直”な程の”チキンライス”でした。こちらは、普通の市販のケチャップを使われている。


でも、コレだって懐かしくって。レストランでナイフとフォークを使って上品に食べる、アレとは別種の食べ物ですね。


香ばしく焼かれた卵のガワと一緒に口に運ぶと、ケチャップの酸味が和らげられてちょうどいいバランスになっています。

チキンライス10
しかもチキンライスの中身です、鶏肉がまあコレでもか!っと言うほどゴロゴロ入っています。


原価率を落として儲けようなどとは、恐らく一度も考えたことがないに違いない。これが、街を支えてきた”食堂”なんです。手を抜いていたりすれば、100年以上も継続できるはずがありません。


勘定を払うとき「最近、仕事忙しいン?」っと女将。「そうよねー、この年になって仕事の注文が急に増えてね。でもね、声が掛かりよる時が””よ!っとオモーーテね」っとワタシ。


「そうよそうよ!私ら3人の平均年齢、70を越したけどなー、3人の体が動く間はこのお店続けたいおも~てな、頑張りよるんよ!」っと。


お互い、頑張れる間は頑張ろな!」と言葉を掛け合って、お店を出ました。




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「再訪 222 中国料理 彩華」・「愛媛グルメ紀行」 699

今日は溝辺町にある”中国料理 彩華”さんの4度目のご紹介です。

愛媛グルメ紀行”シリーズで、同じお店を”4回ご紹介するの14番目のお店”になりました。それだけ気に入っているお店ということです。

初めてご紹介したのは、2012年2月23日でした。(「中国料理 彩華」・「愛媛グルメ紀行」 232

2回目は、2012年9月12日です。(「再訪32 中国料理 彩華」・「愛媛グルメ紀行」374

3回目は、2013年7月25日。(「再訪 137 中国料理 彩華」・「愛媛グルメ紀行」 565

玄関1
場所は、スーパーのセブンスター石手店の前です。


何時も書くことですが、このお店が南久米にあったときからのファンです。


この地に開店されて、はや3年が過ぎました。今ではすっかり、地域に定着して常連客も増えたようです。

エビチリ定食4
このお店に初めて来た時は、上の画像の”エビチリ定食”をいただきました。


<フランス産のエビの食感は、正に”プリプリ”で、エビの身に歯を立てるとその弾力で歯が跳ね返されるほど。>っと、初回記事に書きました。

メニュー2
メニューは、その内容も値段も変わっていません。玄関前の黒板には、メニューランキングが書いてあります。


何時もの様に、厨房に一番近いカウンター席に座りました。シェフと話せるチャンスが一番高い席なので。


席に着くまでは、このお店のメニューランキング2位の”麻婆豆腐定食”を注文するつもりでした。なお、一番人気は”エビチリ定食”です。

日替わり定食3
ところが、席についた途端にシェフが「今日の日替わり定食は”イカの四川風炒め”です。ちょっとピリ辛です!」っと声を掛けられました。


それにフッと釣られるように「そ、ソレお願いします!」って頼んじゃった。こういう注文の仕方って、ワタシには珍しいことです。


お値段は、通常の定食類が850円のところを、”日替わりメニュー”にすると700円と割安になっています。但し、普通の定食には付いている”小鉢”は付いていません。

サラダ4
こちらが”サラダ”です。特にどういう事はない、普通のサラダです。


ただし”生野菜”の新鮮さは折り紙つきです。シャキシャキ感満載のサラダです


日替わりメニュー”が安く提供できる理由は、一定数の注文が見込めるので食材のロスが少なくて済むからです。

スープワタリガニ5
こちらは”スープ”ですが、何とも贅沢に”ワタリガニ”から出汁をとられていています。


スープに”カニ”独特のコクと旨味が乗っています。その”ワタリガニ”もちゃんとスープの身として入っています。


やはり、スープ(汁=タン)には力が入るのでしょう。

イカの四川風炒め6
され、フト引きずり込まれるように注文した”イカの四川風炒め”です。


具材の中の”茄子”を御覧ください。綺麗な面取り包丁が入っています。手抜きなんて決してされません。


四川風”とありますから、唐辛子のピリ辛感はありますが、そのピリ辛感が胃を刺激してくれて食欲が増すというレベルのピリ辛感です。


ワタシは調理は素人ですから、このお料理の調理法は分かりませんが、中華料理の基本である”油通し”という下仕事がきちんとなされていますので、野菜の全てがシャキっと仕上がっていて甘みが引き出されています。

アップ7
野菜は、エノキ、ブロッコリー、玉ねぎ、茄子等です。


ブロッコリー”だって、決してシンナリとはしていません。まるで生野菜の食感で、尚且つ甘い。


玉ねぎもエノキも、いい仕事をしてくれています。主役の”イカ”をメインステージに担ぎ揚げる大仕事です。

ミズイカ8
さてコレが”イカ”です。調理の合間、瞬時を捉えてイカの種名を尋ねました。すると「はい、イカは”ミズイカ”を使っています!」っとのお答えです。


なお”ミズイカ”とは、”アオリイカ”のことで、日本の沿岸部に生息するイカで大型の部類に入ります。


松山周辺でも岸壁などでよく釣られるイカです。ワタシは子供の頃、当時の東宇和郡明浜町に住んでいましたので、このイカはよく食べました。


ミズイカ”(アオリイカ)は、”柔らかい厚い身質と甘味がある”のが特徴ですが、このお料理、そのミズイカの特徴を余すところ無く引き出されていて”絶品”でした。


やはりこのお店、4回ご紹介するだけの価値があることを実感させられました。




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今日で700号 「Fortuna(フォルトゥーナ)」・「愛媛グルメ紀行」 700

愛媛グルメ紀行”というシリーズを書き始めたのは、2011年1月24日のことでした。(「梁山泊」 真っ当な「B級グルメ店」①

それから概ね3年2ヶ月たった今日、”700号”を迎えました。当面の目標は”1,000号”ですから、単なる通過点に過ぎません。

通過点に過ぎないと言いましても、その過程で様々なご批判コメントも頂きましたし、ワタシ自身がこのようなブログを書くに相応しい人間か?否か!と悩んだこともあります。

事実、つい最近になって”ブログ”も”ツイッター”も閉鎖しようと思ったこともあります。

でも、考えました。もうここまで来てしまうと”ワタシ一人のブログ”ではなくなっていると。不義理・不誠実・傲岸不遜な部分があるでしょうけど、多くの方の日課の一部となっていることも事実でしょう。

ワタシの一時的な感情の揺れで、ブログの存続を考えることは到底許されない、無責任の極みだと考え、従前どおり1000号目指してアップし続けることにしました。

さて通過点に過ぎませんが、一つの節目には違いありません。そこで”700号”に相応しいお店として選んだのは、一番町2丁目の”土居ビル2階”にありますイタリアンのお店”Fortuna(フォルトゥーナ)”さんです。

店名の”Fortuna(フォルトゥーナ)”はイタリア語ですが、英語の”Fortun”の語源であり、ローマ神話に出てくる”運命の女神”を意味する言葉です。

今までの”愛媛グルメ紀行”は、ほとんど一人でコツコツとお店を回ってきました。ところがここにきて、ブログやツイッターで知り合った方とお昼をご一緒する機会が増えてきました。(又、一人で回る事になるかも知れませんが)

このお店を”700号”に選んだのは、ブログ友であり”畏友”(尊敬している友人)でもあり、ワタシがツイッターを始めたきっかけを作って頂いた”ジンゴズンゴ”さんとご一緒したことがその理由です。

ジンゴズンゴさんは男性ですが、彼を”運命の女神”と見立てて700号の記事とさせていただきました。

つまり、700号を迎える当たりから、お昼をいただくシーンが少しづつ変わってきましたが、このお店はそのことを象徴するに相応しいと考えたが故です。

玄関1
2階という大変難しい立地にあるお店ですが、ワタシとジンゴズンゴさんがお店に入った午前11時30分の開店時刻以降、次々とお客さんが押し寄せて、正午前にはほぼ満席となりました。


もちろん女性客が9割以上を占めるという、”グルメ女子御用達”のお店です。

店内2
店内は大変にオシャレで、このお店の”ウリ”である”キッシュピザ”を、オーブンで注文がある都度焼いていきますから、注文をしてからお料理が出てくるまで時間が掛かります。


店内には”時間制限があるお客様はご遠慮ください”の文字が見えました。


皆さん、それを承知の上でトコトン気の合った友と語らいながらお料理を堪能するというお店でした。

メニュー3
ランチメニュー”は2種です。”パスタランチ”と”ピザランチ”で構成されています。それぞれに日替わりです。


日替わり”の部分だけ手書きされています。


先ず”パスタランチ”は、”前菜”と”自家製パン”と”本日のパスタ”という構成で、お値段は780円です。これに飲み物とデザートを付けると980円です。


次に”ピザランチ”は、”前菜”と”本日のキッシュピザ”という構成で、お値段は1080円。焼き時間に20分程かかりますという注意書き付きです。


これに飲み物とデザートを付けると1280円です。


二人で行きましたので、両方のランチメニューを注文し、出されたものは小皿に分けあってシェアすることにしました。


なお今回は”記念号”なので、飲み物とデザート付きを注文しました。

前菜4
こちらが”前菜”です。

サラダ右下に見えるのが”トマトのフリッタータ”です。”フリッタータ”とは、イタリア式のオムレツです。

ふんわりと焼かれた卵料理が、ウフフフ、って笑みが漏れるほど美味しい。味付けはアッサリしていて、あくまでも素材のトマトと卵の味をストレートに味わえます。

サラダ下の真ん中にあるのは、ブランド名は聞き忘れましたが、甘さが際立っていた”サツマイモ蒸し物”です。サツマイモのブランド名を聞きながら、それを忘れてしまうなんて、ワタシのブログではあり得ないことです。お聞きしたら、その場でメモするからです。

その”あり得ないこと”が、親しい仲間と一緒に行くと起こってしまいます。悩ましい問題です。

ワタシはほとんどのお昼を、取材の為に様々な飲食店をお訪ねしてこの”愛媛グルメ紀行”を書いています。

取材”するためには、一歩も二歩もお店に内側に迫り、お料理の特性や本質に迫りたいがために神経を研ぎ澄ましています。

でも親しい仲間と行くと、それが出来ません。取材より”楽しい会話”が優先されるからです。これも”またアリかな!"って思っています。

ベーコンとほうれん草オイルベース
上の画像が、2種の”パスタランチ”のウチの一つ、”ベーコンとほうれん草(オイルベース)”と名付けられたメニューです。


オイルベース”とは、フライパンで焦げ過ぎないように”ニンニク”をオリーブオイルの中で慎重に炒めて、オリーブオイルに”ニンニクの香り”を移したオイルが掛かっています。


この”出汁”と”ニンニクの香りを封じ込めた”、”オリーブオイル”がこのパスタの味の決め手です。

ベーコンとほうれん草オイルベース取り皿6
こちらが”ベーコンとほうれん草(オイルベース)”を、各自の取り皿に移したものです。


こうやって、二人が取り分けて食べることを想定なさって、取り皿とパスタを取り分ける為の大きな櫛状の”トング”が最初から用意されています。用意されていたのは”スパゲッティトング”です。


ワタシはこれまでの”愛媛グルメ紀行”を、ほぼ全て一人で食べ歩いてきましたので、様々なメニューを注文してお互いが”シェア”するという食べ方を知りませんでした。


でも”シェア”しあうことで、一度に少なくとも2種以上のメニューが楽しめることに気づきました。単純なことではありますが。


もちろん会社の同僚と一緒にランチすることもありますが、それぞれが注文したものを各自で食べるというだけでした。

アンチョビとトマトのキッシュピザ7
この画像は、このお店の最大の”ウリ”である”キッシュピザ”です。


なおこの画像は”当日のキッシュピザである”アンチョビとトマトのキッシュピザ”です。初めて目にする”ピザ”でした。


キッシュピザ”の”キッシュ”というのは、卵とクリームを使って作るフランス、アルザス・ロレーヌ地方の郷土料理です。


一見すると、”クロワッサン”の生地(層状態に幾重にも織り込まれて作られている)の中央部分を薄く伸ばして、その上にピザ食材を乗せてオーブンで焼いた、という感じのメニューです。

アンチョビトマトのキッシュピザ1ピース8
どうです!この”軽やかな生地”。


土台は飽くまでも薄く粘りを持った生地であり、その周囲はちょっと力を加えれば、ハラハラと崩れてしまう”軽やかで香ばしいクロワッサン”の様でした。


2種類の、味も食感も違う”ピザ生地”を同時に味わう。しかも、アンチョビをベースにモッチリと伸びるチーズに赤いトマトがさり気なく自己主張している。その上に、少しだけオリーブオイル(下の画像)を垂らして風味を高める。


繰り返しになりますが、”アンチョビ”の塩分と”チーズ”の塩分が、複雑な塩味の層を作っていて、その上にトマトの微かな酸味が効いているのです。”塩味が層をなす”と感じたのは、初めての経験です。


周囲を見回すと、皆さん”アンチョビとトマトのキッシュピザ”を楽しんでおられました。皆さん、お目当ては同じだったんですね。このお店に来なければ味わうことが出来ない”煌めく個性”を持った”キッシュピザ”です。

オリーブオイル9
この画像は、”アンチョビとトマトのキッシュピザ”の上にお好みで掛けて食べる”オリーブオイル”です。各種香辛料が中にたっぷり入っていて、ちょっと表現が難しい副層的な香りを楽しめます。


そのベースとなっているのは、オイルの薄い緑色からして”エキストラヴァージンオイル”ではないか?と、想像しました。違っているかも知れませんが。風味が際立っているのです。


ワタシはイタリアン大好き人間なので、東京に出張した時など、イタリアの名店が東京進出!などと聞くと居ても立ってもおれなくなって、深夜にタクシーを飛ばして”ピザ”をいただきに行ったこともしばしばです。


でも、生涯を通して今まで食した中では”最高のピザ”の一つであることは間違いありません。喉ほってお薦めします。

なめらかプリン10
通常は頼まない”デザート”も、勢いで注文しました。単価的には100円です。


画像の物は”なめらかプリン”と呼ばれているデザートです。以前なら考えられないオーダーです。


友人の影響は大きくて深い。でも、お陰でワタシの”愛媛グルメ紀行”の幅がやや広がるかも知れません。


それと同時に様々な方々から多くの”コメント”を頂くようになったことも、ワタシのこのシリーズの幅を広げる大きな支えとなっています。ワタシに頂くコメントの特徴は「初めてコメントします。以前から読んでいました」っという言葉で始まるコメントが多いことかも知れません。


もちろん、ずっと読んで頂いている多くの”読者さん”の存在も然(しか)りです。感謝の意を忘れたことはありません。


当面”1,000号”を目指して、これから先も書き続けたいと考えております。これから先も、どうか末永くお付き合い下さい。






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「愛媛グルメ紀行」を振り返る 101

今週の土曜日の”愛媛グルメ紀行を振り返る”シリーズは、一作年(2012年)の初夏頃にアップした301号から303号までのお店です。

先ず最初”に振り返るお店は、2012年5月31日にアップした301番目のお店、愛媛では一番人気のラーメン屋さん”らーめん工房 りょう花”さんです。(「らーめん工房 りょう花」・「愛媛グルメ紀行」 301

お伺いしたのは、西部環状線沿いの南江戸3丁目、”大阪大将”のお隣で目立つお店ですから大抵の方はご存知でしょう。

こんな人気店、有名店を今まで採り上げなかったのは、今さらワタシが採り上げなくても既に数え切れない方に紹介し尽くされていると思っていたからです。

玄関1
こちらが南江戸にあるお店の玄関です。市内に何店舗も展開なさっている内の一つです。

さて、お店の玄関を入る前に、さりげなく”禁煙”を掲げておられます。

力まず、実にさりげなく、しかし明確に。飲食店は、ぜひこうであって欲しいですね。

このお店のユニークなところは、お絞り袋にお店の”人気メニューランキング”が刷り込まれているところでしょう。

特塩味玉ラーメン7
さて、こちらば人気メニューランキングで二番目にランキングされている”特塩味玉らーめん”です。お値段は880円(内税)です。思わず「高い!」って声が出ました。

すると、たまたま同席していた千葉県に嫁いでいる妹が「千葉じゃ当たり前の値段よ!」と。

ラーメンを含めて、予想していた味の水準でしたから、もちろん文句のつけようもない美味しさでしたが唸ることはありませんでした。

従ってこの後何度も再訪しました。やはり、大変優れたお店だと思うからです。


次、二番目にご紹介するお店は、2012年6月1日にご紹介した302番目のお店、柳井町(正式な所在地は湊町3丁目)にある”らーめん 一直”さんでです。(「らーめん 一直」・「愛媛グルメ紀行」 302

場所は、大街道と銀天街が交差するL字型地域、大街道を更に南下して中の川を跨いで石手川付近まで伸びる古い歴史を誇る”柳井町商店街”の一角にあります。

中の川通りから大街道(北方面)を見ると、柳井町交差点に路上に果物を広げている”浅岡果物店”が目に入りますが、その北隣です。

玄関2
さて、こちらがお店の玄関。赤い看板と暖簾に、お店の名前が黒く染め抜かれています。

このお店、”豚骨ラーメン”の系譜のお店のようです。

この地にお店を出して10年、もうすっかりこの地域に馴染んできています。(記事をアップした時点で)

ラーメン5
これがお店イチオシの”一直らーめん”です。お値段は550円(内税)です。

スープは、浮き上がった油でやや黄色がかった豚骨スープです。

具材は至ってシンプル、チャーシューにメンマに木耳(きくらげ)とネギとモヤシ、それに赤い刻み生姜が一つまみ。

スープを啜ると、あれマア・・・上品と言うか洗練されているというか。

ストレートの細麺との相性もピッタリ。具材も、それぞれが自己主張しすぎることなく、全員でこの味を支えている、そういう感じの出来具合です。

あっという間に完食です。スープも、椀を両手で持ち上げて全部すすりました。

このお店は再訪したいと思っています。素朴で好感が持てる味だったからです。


今日最後にご紹介するのは、2012年6月4日にシリーズ303番目にご紹介したお店、西石井6丁目の普通の住宅街に昨年6月にオープンしたばかりの”お好み焼・鉄板焼 HARU”さんです。(記事アップした時点で)(「お好み焼・鉄板焼 HARU」・「愛媛グルメ紀行」 303

場所は、朝生田町にある”ジョー・プラ”の西側の道を上吉木橋を通ってどんどん500mほど南下していますと、道路の東側にあります。

車で通っているとフイと見過ごしがちになる、目立たないお店なので、知っている方か近所の方が今のところお客さんの中心。

玄関2
店の前には駐車場がありますが、せいぜい3台程度しか置けません。

しかも3台駐車してしまうと、お店の玄関が車に隠れて見えなくなりますので、余程注意していないと見過ごしてしまいます。

店内は、4人掛けの席が3つと、後はカウンターだけ。

母親と娘さんの2人でやっておられます。清潔で、自然光が入って心地いいお店です。

ホルモンうどん6
そこで注文したのがこの”ホルモンうどん”、お値段800円(内税)です。

でも、このお店の”炎の管理”には感心させられました。

しばらくすると、鉄製の画像の鍋に入れられた”ホルモンうどん”がジュージュー音をたて湯気を上げながら運ばれてきて、点火された鉄板に乗せられます。

ニンニクとお母さん秘伝のタレの焦げた匂いの、まあ香ばしいことといったらありません。

ちょっと真似の出来ない秘伝のタレの旨さと、野菜のまだパリパリした食感が残る甘さ、そしてホルモンの濃厚な油の旨さ、しっかりとしたうどんと相まって、複雑で奥深い味わいです。

「これは美味しかった!と言って、家に帰って真似してみようと思っても、ちょっとやそっとでは、コレ、真似できない味ですね!」とお2人に言った。

するとお母さん、静かにしかも自然に笑みがこぼれた。「そりゃあ、長年かかって・・・・・・」っと。

このお店はその後再訪を繰り返しています。スッカリお気に入りのお店になりました。



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「愛媛の歴史特別編」・「出雲国の歴史・外史」 4

今日は、1月1日から書き始めました「愛媛の歴史特別編」の、全18回のシリーズの最後として「出雲国の歴史・外史」の最終編です。


この最終編を持ちまして、「愛媛の歴史特別編」と題した全18回のシリーズを書き終えることに致します。


昨年は「出雲大社」において、60年に1回の”式年遷宮”(しきねんせんと)が行われた年です。


その年に”出雲”を旅できましたことも、歴史をテーマの一つとしてブログを書き綴っておりますワタシにとっては、何かの”ご縁”があったのではないかと思います。(この旅は、畏友:”ジンゴズンゴ”さんの協力があってこそ実現できました。ここに、改めました深甚なる謝意を表するものです)


今日ご紹介する「出雲国の歴史・外史」の最終編は、その60年に一度の”式年遷宮”があった”出雲大社”の画像に乗せてご紹介します。


ただし、本文と画像とは直接的な関係はありませんんで、画像の説明は省きます。

出雲大社中鳥居1
さて「古代出雲王朝」が滅びたことから、最終回のお話に入ります。実は、「古代出雲王朝」が、どのように滅びたか、史実として確かなことは分かりません。


「古事記」にも「日本書紀」にも、また「出雲国風土記」にも”国譲り”の話が出てきますが、それぞれ内容が微妙に違っています。


その中で「古事記」においては、”オオクニヌシ”は国譲りを承諾して、この国を“ニニギ”(アマテラス=天照大御神・アマテラスオオミカミの孫)に譲って自らは稲佐(いなさ)の海に隠れたということいなっています。


「出雲大社」の本殿に”オオクニヌシ”は祀られていますが、”オオクニヌシ”は人が手を合わせる方角を向いておらず、社殿の右端にいて、海の方を向っておられるそうです。

出雲大社
上の画像は”出雲大社古代の御本殿の模型”の画像です。(画像出典:ウィキペディアより)


有名な建築史家の説では、出雲大社本殿には巨大で長い階段がついていたといいます。それを元に復元したのが上の模型です。


その階段はおそらく、”オオクニヌシ”のお隠れになった海に向かうもので、”オオクニヌシ”の魂が宮殿と海の間を自由に行き来できるようにするために造られたものではないでしょうか。


その巨大で長い階段のことは、「出雲大社」の宮司家である出雲国造(いずもくにのみやつこ)”千家家”(せんげけ)に「金輪御造営差図」(かなわのごぞうえいさしず)が残されております。


なお「出雲大社」の宮司家である”千家家”は、古来”出雲国造”(いずもくにのみやつこ)を兼ねていた時代が長く続き、日本においては、現”天皇家”に並び称される家系を現在に伝えていることで有名です。


「出雲大社」本殿には直径1.35mの杉の大木を3本束ねて1本の柱としたものが9本建てられていたことが書き残されています。


それが現実のものであったことも、平成12年の調査で巨大な柱根が発見されたことで証明されました。


造営当時の「出雲大社」本殿の高さは、現在の「出雲大社」の2倍の高さの”16丈(48m)”もあって、奈良の大仏殿の高さ”15丈”を上回っていたといいます。

出雲大社参道3
さてオオクニヌシから国譲りを受けた「ヤマト王朝」の地上での始祖”神武天皇”は、日向から東征をして、紆余曲折あってヤマトの地にたどり着き土着の氏族連合を滅ぼしてヤマトを占領しました。


ところがその後、前王朝の祟りと信じられていた疫病や災害が次々と「ヤマト王朝」を襲います。


つまり「出雲王朝」の祟りと考えられた厄災は、第10代の天皇”崇神天皇”(すしゅんてんのう)の時代にも及び、悪性の疫病がヤマトを襲いました。


更に”垂仁天皇”(すいにんてんのう)の世も祟りは続き、「古事記」が作られた”斉明天皇”(さいめいてんのう)の時代にまで及びましした。

出雲大社拝殿4
なお「古事記」は、”天武天皇”の命によって”稗田阿礼”(ひだのあれい)が「誦習」(しょうしゅう=声に出して読むこと)していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)を”太安万侶”(おおのやすまろ)が書き記し、編纂(へんさん)したものとなっています。


ところが、ワタシは「古事記」を実質的に、”ある意図”をもって裏で編集した者がいる、という見方で本編を書いています。”ある意図”については最後に書きます。


上の見方は「古事記」編集の段階において「出雲大社の鎮魂」ということが、”重要な国家的課題”となっていたということを前提にそう考えたということです。


つまり「出雲大社」は何のために造られたかという謎は、そこに秘められているのでないでしょうか。

出雲大社拝殿しめ縄5
ここで、話を一旦前回の”荒神谷遺跡”から出土した”銅剣”や”銅鐸”に「☓印」が刻まれていた事を思い出して頂きたい。


その時、「ある方への鎮魂」の意味が込められているのではないか?ということを示唆しました。


これは、当時の日本人は「あの世」信仰を持っていて、人は死ぬと祖先たちの住むあの世に行き、お盆やお彼岸にはこの世に帰ってくるという信仰があったということを前提に書いています。


後に仏教の”浄土宗”が日本に入ってきて、素直に日本人に浸透していったのは、仏教(とりわけ浄土宗)が入る前の”縄文時代”から日本人は「あの世」信仰をもっていたからではないかと考えられます。


その「あの世」「この世」はどこがどう違っていると考えられていたか?

出雲大社楼門6
「あの世」は「この世」とほとんど変わりはないけれど、一つだけ大きく違うことがあって、あの世とこの世は万事があべこべとされています。


この世が夏であればあの世は冬、この世が昼であればあの世は夜。そこから、この世で完全なものはあの世で不完全。この世で不完全なものは逆にあの世では完全だと考えられていました。


ですから、「ある方への鎮魂」とは、あの方が大切にしていた銅剣や銅鐸を不完全なものにして(本来はバラバラに壊して埋葬する)地中に埋めたことを意味します。


つまり「ある方」とは、不本意にもヤマトに”国譲り”して稲佐の海にお隠れになった”オオクニヌシ”を指します。


不完全なもの、つまりバラバラに壊す代わりに「☓印」を刻んだのではないでしょうか。


あの世、つまり”黄泉の国”(よみのくに=死の国)を、銅剣や銅鐸を使って治めて下さいと祈り誓った行為が”荒神谷遺跡”等の遺跡の意味だったと思います。


現代においても、お葬式をする時、斎場にご遺体を送るとき、生前その方が使っていたお茶碗等を地面に叩きつけて割る風習が残っていますが、それも同じ意味合いです。


つまり”荒神谷遺跡”に大量の銅剣や銅鐸、更には銅矛を丁寧に埋めて、”黄泉の国”にいる”オオクニヌシ”の心安らぐ鎮魂の祈りとしたということだと思います。


この「出雲国の歴史・外史」の1回目に、「出雲大社の参道」は普通の神社とは異なり、”下り坂”という構造になっていることを書きました。その理由には諸説ありますが、「あの世」の世界では”万事があべこべ”という考え方が、ここにも示されているのではないでしょうか。

出雲大社楼門7
さて、次に「出雲大社」の建立の意味です。


ヤマト”(今の奈良県)に朝廷を開いた”ヤマト王朝”は、前王朝の祟りと考えていた様々な疫病や災害に悩まされていました。


そこで、国家的事業として「出雲大社」を建立し”オオクニヌシ”を祀り、鎮魂の意を込めた。その「出雲大社」建立の立役者は”藤原不比等”ではないかと想像しています。


そして「古事記」「日本書紀」の編集に、裏で大きく関わり指揮したのも”藤原不比等”ではなかったか?


さてここで”藤原不比等”について、もう一度おさらいしておきましょう。”藤原不比等”は、645年の”乙巳のクーデター”(世に大化の改新とも言う)で”中大兄皇子”の黒子として筋書きを練り実行に導いた立役者”中臣鎌子”(後に中臣鎌足、更に後に藤原鎌足=藤原氏の祖)の次男です。


藤原不比等”についての詳細は、1月7日にアップしました<「「愛媛の歴史特別編」・「日本歴史の夜明け・外史」 6>で詳しく触れています。ご参照頂ければ幸いです。(「愛媛の歴史特別編」・「日本歴史の夜明け・外史」 6

出雲大社神楽殿正面8
藤原不比等”は、”大宝律令”を実質的に自分が主導して作って政治の実権を掌握します。


その後ろには、”天武天皇”の后で跡を継いだ”持統天皇”と”元明天皇”及び”元正天皇”という3人の”女帝”の存在を背景にしていました。


3人の女帝は、”藤原不比等”の緻密で広大な構想力という頭脳と、それを着実に実行仕切る実行力に頼りました。


その3人に後押しされて、先ず”大宝律令”を作り政治の実権は”太政官”(だいじょうかん)が一手に握り、天皇はただ藤原氏政治の看板に仕立てあげたのです。今の象徴天皇制の萌芽はここにあるのではないでしょうか。


藤原不比等”は、次に”藤原京”から”平城京”への遷都も実現させました。


その次に手がけたのが「古事記」「日本書紀」編集への介入でしょう。


藤原不比等”が「古事記」と「日本書紀」の編集に意図的に介入したという証拠は「記紀」の内容です。


「古事記」に出てくる様々な神(例えば、”タカミムスビ”とか””オモイカネ”等の神々)は、当時政治を支配していた”藤原不比等”を思わせる神々が登場しますし、それ以外でも”藤原氏”に関係が深いとされる氏族を思わせる神が沢山登場しています。


それとは逆に、”藤原不比等”にとっては敵対者と思われる神も登場しますが、この世では実権を握れないことを暗示させる役割しか与えていません。

出雲大社神楽殿正面9
不比等”は、藤原家を1000年先まで永続させるために「古事記」などに、その意を密かに滑りこませ、それが見事に成功し実を結びました。


「記紀」は、言わば「大嘘つき」の天才がなしたことです。


真の「大嘘つき」とは、”99%の真実”の中に”1%の嘘”をそっと潜ませることが出来る者です。


99%の真実とは「出雲神話」です。自分の嘘を薄めるために、「古事記」と「日本書紀」の3分の1にまで及ぶ「出雲神話」を挿入したのは、1%の嘘が見破れないようにする仕組みだった。



では1%の嘘とは?


それは、藤原不比等の直系に限られる”藤原氏”が、未来永劫に日本の政治の実権を握り続けることができるという”正当性”を「古事記」と「日本書紀」の記述の中で、様々な”神話”に塗り込めたことを意味します。


事実、藤原氏は1000年以上に渡って日本の政治の主導権を握り続けました。


今回の4回のシリーズで書きたかったことは、「古事記」と「日本書紀」と「出雲神話」及び「出雲大社」には濃厚な関係性があり、その証拠として浮かび上がってきたのが昭和59年の”荒神谷遺跡”などの大発見であったということです。

出雲大社神楽殿しめ縄10
なお”天孫降臨”の伝説を持つ天皇家の神は”アマテラス”(天照大神)ですが、ご承知の通り”伊勢神宮”に祀られています。何故、天皇家が長くいた奈良、或いは京都ではないのか?っという素朴な疑問があると思います。


それについては”日本書紀”に書いてありまして、”崇神天皇”(すじんてんのう=3世紀から4世紀に第10代天皇とされ、まだヤマトにいた)の時代に疫病が流行ったときに、崇神天皇は”天照大神”と出雲の神”倭大国魂”を宮の中に祀ったとあります。


ところが同じ宮の中に祀ったため神さま同士が喧嘩して、疫病が治まらなったとあります。そこで宮から出して、自分の娘たちに祀らせたが全く効き目がなかったといいます。


その時、夢で”オオクニヌシ”のお告げが出て、”オオクニヌシ”の子”オオタタネコ”(大田田根子)に祀らせれば収まると言った。早速”オオタタネコ”(大田田根子)を探しだして祀らせると疫病は治まった。


そこで、それまで”ヤマト”(今の奈良県)の”三輪山”に祀っていた”天照大神”を”伊勢神宮”に移したというのが、史実に近いのではないかと思います。


実際に伊勢に移したのは、”垂仁天皇”(すいにんてんのう=皇室の系図から言えば第11代の天皇)の第四皇女である”倭姫命”(やまとひめのみこと)とされ、”天照大御神”の神魂・八咫鏡(やたのかがみ)を鎮座させる地を求め旅をして、最終的には近江から美濃を過ぎて、現在の伊勢に至ったとされています。

出雲大社神楽殿しめ縄11
なお、”ヤマト王朝”ができる以前の「伊予国」は、「出雲国」の影響を大きくうけていました。そのことは、松山地区に多く残っている「出雲系神社」の存在でも裏付けされています。


昨年40回に分けて書きました「松山市の地名・町名由来」でも、「出雲系神社」の存在を幾つか採り上げています。まずは以下の記事です。(「松山市の地名・町名由来」・ 「祇園町・中村」 14)の”「松山市の地名・町名由来」・ 「枝松町・拓川町他」 30で書いた”素鵞神社”等々です。


北条市などと合併する前の「松山市」には”愛媛県神社庁”によりますと、全部で125の神社がありますが、その内で”素鵞神社”が10社、”須賀神社”が1社、合計11社あります。


様々な神を祀る神社な多い中で”素盞鳴尊”(スサノオ”を祀る”出雲系神社”が一割近くを占めていることでも、その濃厚な関係がうかがえます。


さて、1月1日から書き始めました”愛媛の歴史特別編”の全18回のシリーズを、この号を持ちまして書き終えることに致します。


最後は、駆け足での説明になってしまい分かりにくかったかも知れません。ただ遠い過去から現代まで、連綿として続いている人の営みの結果が”歴史”です。


歴史”は決して無味乾燥な言葉や年代の羅列ではなく、その行間にあふれている”人の息吹”をたどることに他なりません。


長いシリーズに目を通していただいた全ての方に深甚なる謝意を表して筆を置きます。ありがとうございました。


これでワタシが書きたいと考えていた”主な歴史的テーマ”は、ほぼ書き終えることが出来ました。従って、当分の間、”歴史”をテーマに語ることはないと思います。


また語りたい”歴史的テーマ”が見つかるまでは、この分野はお休みします。





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プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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