耕して天に至る「水ケ浦の段々畑」 2

今日も、宇和島市遊子蒋渕(ゆすこもぶち)の”水ケ浦の段々畑”をご紹介しましょう。


昨日は、”段々畑”の全容をご紹介しました。


今日の主役は、”段々畑”を支える”石段”です。

石垣1   江戸期の”元禄時代”から始まったとされる段々畑の造成は、宇和島藩の財政を支える政策の一環としてなされてきた歴史があります。


ここ三浦半島は、宇和島伊達藩の領地でした。


その当時三浦半島一体で盛んだった”鰯(いわし)漁”に目をつけた宇和島藩は、獲れた鰯を干して”イリコ”にして大阪商人に売ることで藩の財政基盤を強化しようとしたのです。

石垣2   その”鰯漁”を安定させるためには、漁村が必要なばかりでなく、漁業の担い手が決定的に重要です。


当時は私有の田畑の開墾は厳しく制限されていましたが、漁業を支える人口を養うために宇和島藩が狭い山地の斜面に自給用の畑を作ることを奨励しました。


そういう事情から、地元の漁師達が自然石を一個、また一個と積み上げていきました。

石垣3   気が遠くなるような作業です。


エジプトのピラミッドの傾斜よりもっときつい傾斜ではないでしょうか。


その斜面に、一段ずつ、根気良く石を積み上げていきました。


重機などありませんから、すべてが漁民達の家族による手作業です。


少し積み上げると、下が崩れる。そうするとまた最初から愚直にやり直す、その連続です。

石段4   その結果がこれです。


人間って、途方もないことをやり遂げることが出来るものだ、と感嘆の声が漏れてしまいます。


江戸時代から始まった段々畑の造成は、第二次世界大戦後も続きました。


当時の食糧難救う切り札として、当時は”サツマイモ”を植えていました。


でも、現在は畑一面に”ジャガイモ”が植えられています。

石段5   どうですか?この整然とした畑の佇まいは。


日本人の勤勉さを象徴するような様子だと感じます。


ところで、”ジャガイモ”の原産地をご存知でしょうか?

石段6   この優美な曲線に詰まれた石段は宇和島市遊子の”水賀浦の段々畑”です。


そして、下の小さい画像を見てください。


この小さい画像に移っている”段々畑”は”どこ”のもので、段々畑に植えられている”作物”は何か?

マチュピチュの段々畑   この画像は、”マチュピチュ”の画像です。


ワタシのブログでも、今年の年の初め、1月2日から4回のシリーズで”東洋のマチュピチュ”を採り上げ、新居浜市にある別子銅山の跡地”別子・東平地区”をご紹介しました。


マチュピチュ”は南米はペルーにある世界遺産ですね。


そうです、”ジャガイモ”はペルーのアンデス山脈が原産地です。


上の小さい画像は、現在の”マチュピチュの段々畑”で植えられているのは”ジャガイモ”です。

右から石段7   宇和島市三浦半島の”水ケ浦の段々畑”を見て、”東洋のマチュピチュ”がここにもあったことを発見したのです。


ジャガイモの原産地のペルー”マチュピチュ”付近は平地が全くない山岳地帯です。


その山地の斜面に石段を築き、”耕して天に至る”段々畑を造成して”ジャガイモ”を古来より植えてきました。


アンデス山脈に住む民族は、アジア大陸からアラスカを超え、アメリカ大陸を縦断して南米大陸に渡ったと言われています。


この”遊子”の地で、マチュピチュと同じ光景が広がっていたとは、ちょっと想像していませんでした。

カメラマン1   当日も何人ものカメラマン達が、”段々畑”に取り付いて写真を撮っていました。


ワタシが、”マチュピチュ”に思いを馳せていたその時に、彼らはどういう思いを胸に”段々畑”を狙っていたのでしょう。






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プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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