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「松山城お壕の春」と忘れられた歴史 3

今日が”「松山城お壕の春」と忘れられた歴史”シリーズの第三弾、最終回です。


先週の土日(17日と18日)に、第二次世界大戦敗戦直後という時代に進駐軍の米軍司令官の野望で”松山城のお壕”が埋め立てられる危機に直面したことを書きました。


進駐軍米軍司令官”などと言っても、何のことか分からない方のほうが多いかも知れないですね。


日本は無謀・悲惨な第二次世界大戦に突入し、それに破れ、1945年(昭和20年)8月15日に”ポツダム宣言”を受け入れ連合国に無条件降伏しました。


それ以降日本には自国を統治する主権は無く、1952年(昭和27年)4月28日の”サンフランシスコ講和条約”の発効をもってやっと独立国の立場を回復したのです。

白鳥羽広げ1   ですから、まだ独立を果たしていない時代の”進駐軍米軍司令部の命令”は、錦の御旗、あるいは”天の声”とも言うべき絶対的命令で、それに逆らえるなどとは誰も考えられなかった時代の出来事です。


当時の松山市長も議会も、司令官の命令には逆らうことが出来ず、議会で全会一致で埋め立てを決議し、予算計上もしたのです。


ところが、この絶体絶命の時に立ち上がった人物がいたことは前回書きました。


ちょっとおさらいですが、その立役者は、愛媛県出身の弁護士兼衆議院議員であった”岡井藤志郎氏”氏でした。

白鳥首巻2   その他、松山の経済界の著名人や当時の参議院議員であった”松山城藩主の子孫・久松定武氏”なども反対の声を上げました。


そればかりではなく、”朝美地区城濠水利組合”の組合員も水田耕作農家の死活問題であるとして猛然と立上がったことは前回までで触れました。


今日は、その結末です。


ただ、このような松山市民挙げての反対運動は進駐軍司令官から完全に無視され、内濠の埋立工事は既に完成してしまいました。


更に、事態は悪化します。

白鳥と水紋3   外濠の埋立工事も着々として進捗し、堤防上の松は次々に伐採され、歴史ある”松山城のお濠”にも土砂瓦礫投入が準備され、お濠の運命ももはやこれまで、という事態になったのです。


この緊迫した事態を目前に見た岡井藤志郎氏は決死の覚悟で米軍司令官に直接面会し、文化財と灌漑用水源の保護を訴えようと決意しました。


そして昭和24年8月29日に、”城濠水利組合長”以下役員組合員150名の先頭に立ち米軍民事部に乗り込み司令官に面会して埋立命令の撤回を訴えたのです。

白鳥とブルー水紋4   敗戦国の国民に大挙して押しかけられたものですから、愛媛軍政部司令官シアルス中佐は激怒し、先頭に立っていた岡井藤志郎氏を階段から突き落としかねない剣幕だったといいます。


それはそうでしょう、日本はその時”統治権”を放棄した国。


統治権をもって乗り込んできた”戦勝国アメリカ”の司令官にとっては、”敗戦国”の国民が自分の出した命令に逆らうことなど想像もしていなかったでしょう。


正に、彼にとっては「オーーマイ・ゴッド!」だったことでしょう。


しかしここで、岡井藤志郎氏の決死の覚悟の熱弁が繰り広げられました。


死を賭して、声を振り絞らんばかりに岡井氏は”松山城とその壕”の歴史的文化遺産の尊さと、朝美地区水田農家の死活問題を訴えたのです。

白鳥と噴水5   その余りの熱弁に、愛媛軍政部司令官シアルス中佐も遂に心打たれ、「よし分かった。諸君の味方になろう」と言って岡井氏に歩み寄って握手を求めたのです。


ここがアメリカ軍の冷静さでしょう。アメリカは、広島・長崎に原爆を落とし、日本中の都市部を焼夷弾で焼け野が原にし戦争に勝利しました。


しかし、決して”古都”である京都や奈良、そして全国の神社仏閣や城郭などには焼夷弾を落としませんでした。


日本敗戦をとっくに見越して、敗戦後の日本経営を綿密に計算していたのです。


愛媛軍政部司令官”シアルス中佐”の心情までは分かりませんが、一歩手前で思いとどまったことは紛れもない事実です。


陳情団の面々は、思わず「萬歳!」を連呼しました。


岡井氏は直ちに水利組合員と共に市役所に乗り込み、安井市長や村上議長に面会し、司令官の意向を伝え、埋立中止を訴え、市長も埋め立ての中止を約束しました。

白鳥と噴水6   こうやって”松山城お壕埋め立て事件”は連合軍占領下の日本の歴史において他に類例を見ない終わり方をしたのです。


今お壕では何事も無かったかのように、白鳥が壕を自由に泳ぎまわり噴水と戯れています。


堀の内を、散歩を日課とされている方々が行きかいます。

ヒヨドリ7   それもこれも、まだ占領下にあった時代に決死の覚悟で立ち上がった岡井氏を始めとする勇気る人たちの行動のおかげです。


お壕の松も伐採を免れ、もう直ぐソメイヨシノは花びらを咲かせます。


堀の内の木々を住み家としている”ヒヨドリ”も、今日は静かにお壕を見下ろしていました。


松山城の春は、もうそこにやってきています。


これで、”「松山城お壕の春」と忘れられた歴史”のミニシリーズを終えることにしましょう。


なお、この稿は元埼玉県監査第一課長、「高麗博茂氏」の稿を参照し一部引用させていただきました、深く感謝するところです。




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おはようございます♪

お城のお濠には、こんな歴史が有ったんですね。
勉強になりました(*^^*)
そしてこのお濠の水で、生活していた地区が有った事も、
初めて知りました(◎-◎;)!!

今度から、濠を見る目が変わりますね(笑)

今でも

ベル様
今でも朝美地区推理組合はお壕の水が生命線です。

意外な所に意外な歴史が埋まっているものですね。

コレからがお壕の見ごろになる季節ですね。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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