FC2ブログ

道後「宝厳寺」の春

今日は、”時宗”の開祖”一遍上人”の生誕地で知られる、道後湯月町にある”宝厳寺”の風景をご紹介しましょう。


お寺の境内には、既にソメイヨシノが開花し春を告げていました。


場所は、道後の”ふなや”の北側の道を登り、それを突き当たると”伊佐爾波神社”に至る石段が見えますが、それを左折し、直ぐに右折したところに見える坂道が、有名な”ネオン坂”です。


この”ネオン坂”は、道後の有名な歓楽街でしたが、今は当然のことその面影も残っていません。


その”ネオン坂”、今は”上人坂”と呼んでいますが、それを上りきったところに”宝厳寺”があります。

山門1   こちらが”山門”です。


一遍上人”と言っても、今の方は「何のこと?それはダレ?・・・」でしょうね。


一遍”は鎌倉時代の人で、「南無阿弥陀仏」と唱えながら”念仏踊り”を勧め、農漁民など各層に広く支持され、”時宗”を起こした高僧です。


愛媛の地が生み出した高僧で、仏教界の当時は一種の革命的異端児的な存在でした。


念仏踊り”を踊りながら「「南無阿弥陀仏」を唱えさえすれば極楽浄土に行けると説き、学問のない農民たちの支持を集めたのです。

石碑2   その”一遍上人”が生まれたとされるのが、ここ”宝厳寺”です。


一遍上人”は、伊予(今の愛媛)の中世の豪族”河野通広”の第2子とされていて、そのことを示すものとしてこの石碑が建てられています。


建てたのは、伊予の豪族である河野一族の”得能通網”であることが寺の説明板に書かれています。

本堂3   こちらが”本堂”です。


”宝厳寺”の寺伝によれば、668年斉明上皇の勅願で創建されたといいます。


1297年に寺が再建され、その時に”時宗”に改められ今に至っています。

本堂全体4   実に威風堂々とした木造建築物ですね。


700年余り前の木造建築は、威厳すら感じます。


昨今の住宅のように、30年以上たった住宅は無価値だとする風潮が何とも薄っぺらに思えます。

一遍上人像6   本堂の中に収められている”一遍上人立像”(いっぺんしょうにんりゅうぞう)”は、明治34年に国の”重要文化財”に指定されています。


寄木作りで出来ており、鎌倉時代中期の優れた肖像彫像です。


太い眉、きゅっと引き締めた口元、裾の短い僧衣から見える力強い足は、”遊行上人”と尊ばれ全国を”衆生済度”の為に旅した”一遍上人”の姿を現しています。

松山城8   寺からは、春霞にかすんでいる”松山城”が望めます。


これが、空気が澄んだ日には青空にくっきり浮かび上がる”天守閣”が間近に見られます。


松山に住みながら、意外と知られていない空間ではないでしょうか。

ネオン坂9   こちらが、寺の山門から見た”ネオン坂”。


この坂を整備して観光客を呼び込もうと、旅館業者や住民らでつくる「道後温泉誇れるまちづくり推進協議会」が「上人(しょうにん)坂」と命名しました。


坂の一角に今夏の大雨で全壊した夏目漱石と正岡子規ゆかりの建物「愚陀仏庵(ぐだぶつあん)」を誘致することも決めっと報道されていま。


さて、「愚陀仏庵(ぐだぶつあん)」再建の行方はどうなりますでしょうか。




にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 写真ブログ 四国風景写真へ
にほんブログ村
愛媛のクチコミ情報サイト「ひめぶろぐ」
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

ネオン坂の思い出

じゅんさん、おはようございます。

伊佐爾波神社には何度か足を運んだ事がありますが、宝厳寺は知りませんでした。
もうそろそろ神仏に興味を持っても良さそうな歳なのに・・・、お恥ずかしい限りです(汗

このネオン坂、私が高校生の時分に新聞配達をしていた時の担当エリアだったんですよ。薄暗いうちにこの坂をスーパーカブで登って新聞を配っておりました。
早朝にネグリジェ姿の艶やかなおねえさんが居たりして、高校生の自分にはかなり刺激的だったのを思い出しました(笑)

じゅんさんのブログを拝見し出してから、昔の些細な記憶を思い出す機会が増えました。普段はまったく頭に出てこないことが、あるキーワードを見たらスッと出てくるんですよね。
この時間、実はとても大切なんじゃないのかなぁ。ありがたいことです♪

おはようございます♪

週末花見の予定でしたよね・・・(^^ゞ
今日のお天気、悪そうですね。
昨日まで予報を見る限りでは、良いお天気だったのに・・・
お花見で濡れない様にね(^_-)-☆

それと、飲み過ぎにも注意ですよ(^^ゞ

おはようございます

乱駆郎様
おはようございます。
そうですか、ネオン坂が配達エリアでしたか。それは、確かに高校生には刺激的過ぎたでしょうね。(笑)
松山で一番の「盛り場」だったと書いても、その本当の意味が理解できる方が、もうどのくらい残っているか?
私はその種のお店に入ったことはありませんが、同級生ではまっていたやつがいたことを思い出しました。

昔の面影が少しでも残っている風景を見ますと、それをきっかけに普段は思い出すこともない光景がフラッシュバックのように鮮やかに蘇る。
少し年をとってきたという証なのでしょうか?
でも、ワタシの記事がそれにお役立ちするとしたら光栄です。

お天気が

ベル様
おはようございます。
朝からお天気を気にしていますが・・・
先ほどは雨が落ちてきました。トホホ・・・・ワタシが雨男なのか?

今日の花見も明日のアップの材料にする予定というのに、カラッと晴れ渡ってくれません。でも、その中でも使える画像を取りたいと思います。
カワセミは無理でしょうが。

画像の件

山口様
コメント頂きありがとうございました。早速、コメントに示されておりましたメールアドレスに、メールを書き送信しましたが、メールアドレス不備となって、メールが送れません。

再度、管理者のみ閲覧可で結構ですから、正確な、或いは送信可能なメールアドレスをご連絡下さい。 

貴重な写真です。

両新田神社のことを調べていたらここにたどりつきました。
今となっては実物が見られない宝厳寺の貴重な写真を
見ることができて有難いです。
火事で全焼してしまったことは、本当に残念なことでした。

本当に残念でした

あこ様
偶然でしょうが、昨日。道後の「宝厳寺」の再建に関わっている方からコメントいただき、ワタシが「宝厳寺」さんの記事で使いました画像を、再建に向けて活用させてほしい旨のコメントが届いたばかりです。

その方とは、その後連絡が取れまして、そういうことで役に立てていただけるならと、快諾させていただいたばかりです。

すると、それと同じ日に、「あこ」様から「宝厳寺」に関するコメントを頂きました。

伊予の歴史を様々な観点から素人として綴ってまいりましたが、ここでこういう形で愛媛のためになる、あるいは私の記事を喜んで下さる方がいたということが、私にとっては望外の喜びです。

「宝厳寺」焼失は本当に残念なことです。ですが木像建築物の持つ一種の運命みたいなものではなかったか、そう思う他ありません。

奈良の東大寺「大仏師」と「大仏」や、京都にある「金閣寺」も過去に悲しい事情で焼失しました。
しかしそれを惜しむ方々の声や力で立派に再建され今に至っています。

今回の「宝厳寺」さんも多くの方のご努力やご支援を得て、立派に再建されんことを祈っているところです。その一助に、私ごときが書いておりますブログが少しでもお役に立てるなら、ブロガー冥利に尽きるというものです。

そういう意味で、私のあの記事を見て頂いたこと、またそれを喜んで頂いたこと、ありがたいことです。お礼を申し上げなければならないには私の方でしょう。
初めてのコメントありがとうございました。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード