「珍珍軒」・「愛媛グルメ紀行」 389

今日は勝山町の愛媛銀行本店の南向かい側にある中華料理の店、というか中華そばのお店”珍珍軒”さんをご紹介しましょう。


このお店の開店時刻は、一応午後6時になっているのでワタシの守備範囲ではないのですが、たまたまその日は事情があって夕食を外食することになり午後6時30分ごろお伺いした。


ところが、お店の中に灯りはあったが暖簾はまだかかっていなかった。

玄関1
暖簾の上がっていない玄関を開けて、店内を覗くと既に客が一人入っていた。


店主に「このお店は何時からやるのですか?」とお尋ねした。


いたずら坊主が、親にいたずらを見つけられたような照れ笑いをした店主「ウフ・・・・本当は午後6時やけどもうエーヨー」と。


普通なら、自分が決めた開店時刻を守れないような店なら、店主にそのことを一言告げて去り、店に入ったりはしない。

看板2
ところがこのお店に限って言えば、ワタシにはそれが出来ない。


なぜかと言うと、先客の注文した品を忙しく作っている店主がまだ子供の頃からワタシはこのお店に通っていた。


このお店の創業者は今の店主のオヤジさんで、そのオヤジさんがこの場所でまだ”屋台”だった時代から通っている。創業は概ね昭和32年ごろ、今から54年か55年前のこと。


ワタシは郷里の野村町から松山に出てきて、高校2年の時からこのお店から歩いて3分くらいの御宝町に下宿していて松山E高校に通っていた。


普通のご家庭の2階を間借りし、同じ郷里の3人、ワタシとワタシの1年後輩E君が6畳の部屋をカーテンで仕切って。そして1年先輩のNさんが隣の3畳の部屋に間借りして同じ高校に通っていた。


その御宝町の下宿で体験した、血も凍る”恐怖の体験”のことは、このブログの2010年4月2日に書いた。

メニュー3
さて、御宝町の下宿から近かったこの”珍珍軒”さんと、松山商業高等学校近くのお好み焼き屋”桃園”さん(今はそのお店はない)と、柳井町のかき氷屋”あたりや”さん、それにちょっと遠かったけど千舟町通りにあったお好み屋の”平和”さん(平和さんも千舟町から来住町に移転された)、この4軒がワタシたち3人の縄張りだった。


この”珍珍軒”は、先も書いたとおりまだ”屋台”の時代で、その後ビルを建てられ、更にもう一度ビルを拡張して立て直され今日に至っている。今の店主など、まだオヤジの周りでチロチロ走り回って遊んでいた子供だった。


だから「開店時刻くらい、きちんと守れ!」と怒鳴りつけたいところを、「マア、あの子がこうやって料理してるんだから仕方ないや」になってしまう。


創業者のオヤジは80歳で他界した。

餃子4
その当時から食べていたのが、画像の”餃子”450円と、何時も頼んでいた”中華そば”600円。(値段は、当然当時とは違っている)


この店は、今は中華料理屋の体裁になっているけれど、当時はおでんと中華そばと餃子くらいしかなかった。


餃子を焼く時、冷凍庫の中から凍った餃子を取り出して焼いたので、このお店も業務用冷凍餃子を使っているのかと悲しくなったけど、食べてみると昔の味のままでホッとした。

チャーシュー5
中華そばを頼んだ時、まだ具材などの準備が出来ていなかったので、煮豚(チャーシュー)の大きな塊を冷蔵庫から取り出して切り分け始めた。


考えてみたら、高校生の分際で中華そばを啜りに屋台に通っていたというのだから贅沢なものだった。


親の仕送りと奨学金で、中華そばを食べ、お好み焼きを頬張り、夏にはカキ氷を食らっていた。


そのありがたい親は、もうどちらもこの世にいない。

中華そば上6
これがこの店の”中華そば”。


どこと言って特筆するほどのものではないが、とにかく懐かしい。


堂々とした人工調味料、”味の素”でしっかり味付けされた中華そば。


サトウキビから人工調味料の”味の素”が開発発売されて以来、日本は元より遠く東南アジアや中国、台湾、韓国に至るまで、飲食業界を席巻(せっけん)するのにそう時間を要しなかった。


ワタシたちは”味の素”で育った年代なんです。

中華そば7
先ほど切り分けられたチャーシューと、モヤシとシナチク(メンマ)、と大量のキクラゲ、刻みネギに胡麻と盛りだくさんに具材が入っている。


屋台当時に、こんなに豊富な具材が入っていただろうか・・・・・記憶にない。


ここのオヤジは、当時流行ったボーリングにのめりこんだ。


オヤジだって、ボーリングに熱中して店を開ける時間がズレたかも知れない。

麺8
オヤジさんと奥さんと、後には今の店主とその妹かお姉さんと、家族総出でお店をやっていた。


屋台当時のことを店主と話していたら、先客が「何イヨーーン、今のヒメギン本店がある辺りは、ずーーーっと田んぼやったんよー」と話に加わった。


「そしてナー、ヒメギンのところには魚屋が店を出しとったんよー」と続ける。


「ソーイヤー、ウチの隣は小さい本屋やったし、この狭い界隈に何軒も店がひしめいとったんヨー!」と、昔話は尽きることがない。


店を出たのが丁度午後7時。店のテレビはNHKの7時のニュースを映し出していた。


ワタシが店を出た時、店の暖簾がやっと上がった。




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おはようございます

フードブロガーさんが好んで使う用語に「無化調」というのがあります。化学調味料を使っていない、という意味だと思います。
「さすがに無化調のお出汁はスッキリしてて全部飲み干しちゃいました」みたいな感じですね。

ときどき、そんなに目の敵にしなくてもいいんじゃないかなあと思います。たしかに私たちは化学調味料で育った世代ですしね。まあ体によくないと言われればそれまでですが。
じゅんさんのように料理に詳しい方に言っていただくととてもうれしい気がしますよ。

まさにノスタルジック、じゅんさんの青春時代が目に浮かびますよ。
「マア、あの子がこうやって料理してるんだから仕方ないや」っていうのがほほえみをさそいます。
こういうお店がずっと存続してくれているのはうれしいことですよね。

無化調ね

ファットマン様
「無化調」なんていう言葉は全く知りませんでした。
でも、化学調味料を入れるといっても、耳かきのような小さいスプーンで一掬い、そんなにこだわる必要なんてないと思います。

基本は鶏がらや豚骨や、あるいはカツオや昆布や煮干で出汁を採っていないお店はないと思います。そのベースとなる出汁にほんの一掬い。

ワタシにはごく自然に思えます。それより「能書き」を大きくベタベタ張り巡らす感覚のほうが余程恥ずかしい。

このお店は、ワタシの「外食」の原点のようなお店。ほろ苦い思い出とともにあるお店です。そういうお店は、どうしても感傷的に甘く甘くなってしまいます。 オヤジのギョロッとした大きな目玉が印象に残るお店です。

花鳥(化調)風月www

ここは私も二十代の頃、松山商業出身の先輩に連れられて何度か食べに来たことがあります。飲んだ帰りによく・・・www
じゅんさんの足元にも及びませんが、私なりにも懐かしいです。

無化調・・・、もちろん私もこの単語を知っていますがそういえば私は使いませんね?意識した事がないのになんでだろ・・・。
もしかしたら、無意識に違和感を感じているのかな。
じゅんさんが「デフォルト」に違和感を覚えられるのと同じようにwww



デフォルトか・・・

乱駆郎様
そうですか、20代のころ通っておられた。その頃も紅顔の美男子だったことでしょう。
でも、その時代でしたらまだ今の店主のオヤジ時代ですね。
時代にズレはありますが、同じ空間で同じ中華そばを啜っておられたんですね^^

まあ、こじ付けかも知れませんが「ご縁」があったのでしょう、古(いにしえ)から。

それと「無化調」ということに関しては、今日まで言葉すら知りませんでした。ですから使いようがありません。
一方「デフォルト」は、乱さんと知り合って直ぐにその意味も調べました。ですから経済用語ではなくコンピューター用語だということは調べて分かりました。
意味を知っても、ワタシのブログの世界では似合わないと思いました。なにしろパソコン音痴のオヤジですから^^

それぞれの世界にはその世界にしか通用しない専門用語がありますね。でも、多分ワタシのブログを読んでおられる方は普通の方でしょうから、専門用語は使わないほうがいいという判断です。

でも、時々書いている歴史モノ、あれって専門用語だらけ・・・・大きなことは言えんけど!

懐かしい

こんばんは!

私は桃園にはよく行ってました。毎週、近くで用事があった頃、20年くらい前かな。いつも団体で行って、ご迷惑をおかけしてました。お店がなくなったのはさみしいです。
ちなみにその頃、少しですが、じゅんさんの母校に部活動を教えに行ったりしてました。じゅんさんの母校の高校生は純粋な子が多く、こちらが習うことが多かったのを思い出しました♪

桃園さんを知っている!

M様
お忙しい中、何時もコメントいただきありがとうございます。

そうですか「桃園」さんを知っておられたとは、懐かしいです。
大将が同志社大学の出身で、奥さんも明るい方でした。いい兄貴分のような大将でした。

その後「フレッシュ桃園」といって、元お店があった場所の向かい側(道路の北側)にお店を移され大きくましたが、大将が若くして亡くなって、娘さんが後を継がれましたが閉店されました。

Mさんがご存知地言うには恐らくお店が道路の北側に移って以降のお店でしょう。
あの界隈を、高校時代に過ごしましたので、今でもあそこを通ると当時のことが頭に浮かびます。

ワタシは母校ではブラスバンドに入っていて、ユーホニュームという金管楽器をやっていましたが、誰に教わっても無駄と言うくらいに下手でした。

下宿

おはようございます!

私の親戚が此花町で学生さんを下宿させてたって聞いてるんですが、まさか、じゅんさんしりませんよね。

残念ながら

M様
ワタシが下宿していたのは御宝町でしたから、お近くではありますが、コリアンのはな町ではありません。
まあ此花町も、ゴゾゴゾ動いていた範囲内ではありますが。

あの辺り一帯にはその当時、附属中学の生徒さんや松山東高、さらには松山商業の生徒さん目当ての下宿やアパートが密集していた地域でもありますね。

いずれも懐かしい地域です。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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