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村上水軍と河野氏、そして土佐の長宗我部氏との関係 3

今日と来週の土日では、日本史上の”中世期”の四国の状況を、お隣の「土佐国」”長宗我部元親”の事に触れながら概観していきます。


昨日までの2日間で”村上水軍”と”河野氏”との関係を”家紋”をキーワードにして書いてきました。


今日は、「伊予国中世期」を語る上で決して外すことが出来ない、お隣の「土佐国・長宗我部元親」(ちょうそかべ もとちか)について触れます。


この”長宗我部元親”は伊予の中世期に大きな影響を与えた人物なので、また別の機会に詳しく書く機会があるかも知れません。


今日のところは伊予国に大きく影響を与えたということについて概観しておきましょう。

善応寺屋根11
(上の画像は、北条にある”善応寺”の屋根です。”折敷に縮三文字”の寺紋が瓦に見えます。この画像は、本日の本文とは直接的関係はありません)

まず江戸時代が終わり明治維新がなり、江戸末期、全国に300余りの諸藩がありましたが、明治4年に明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革の一環として”廃藩置県”が実施されます。


その明治4年の廃藩置県の時、四国はどういう状況であったのかを示しておきます。


つまり、阿波国は徳島県に、土佐国は高知県に、讃岐国は高松県と丸亀県の2県に、そして我が伊予国は何と8県が配されました。


具体的には、 西条県、小松県、今治県、松山県、新谷県、大洲県、吉田県、宇和島県です。なぜこのことを敢えて書いたのか。


それは、四国の愛媛を除く他県は江戸時代が始まるまでに既に一国ないしは二国に統一されていたという事実です。


しかし、伊予国は江戸期の幕藩体制が固まった頃に8国に分立したままで、伊予国一国に統一されたことは一度もなかったということも意味します。


但し、たった一度だけ、本稿の最後に書きますが、秀吉の四国攻めが成功し、伊予の豪族河野氏が引退に追い込まれた後、秀吉は”小早川隆景”に伊予一国を与えました。隆景は2年間だけ伊予国を全部統治しましたが、それも2年で終わり、江戸期に入って8国体制が固まりました。


伊予国が実質的な意味で日本史上初めて統一されたのは、明治6年2月20日、石鉄県宇和島県とが統一され”愛媛県”が誕生したときでした。


石鉄県”などというケッタイな県名が作られた経過は、『「愛媛県」は、当初何県だった?』という題で、今年の3月24日に詳しく書いています。(「愛媛県」は、当初何県だった?

宝巌寺本堂15
(この画像は、松山道後にある”宝巌寺本堂”です)

上に書いた、四国内の他の3県は一国ないし二国に統一されていたけど、愛媛県は八国に分立していたということの意味です。


他県も中世期までは各地の有力豪族たちが小さな砦や城を築き、お山の大将的に分立していましたが、戦国時代に一国に統一する有力豪族が現れて、江戸時代が始まる頃はほぼ一国に統一されたいました。(もちろん、他県でも愛媛県のように小国が分立していた県はありました)


例えば、土佐国には”長宗我部元親”が現れるに及んで、土佐一国に統一され、更には四国のほぼ八割までを支配した時代もありました。


つまり土佐は日本史に名を残す英雄が現れ土佐を統一したけど、伊予には遂に一国統一を成し遂げるほどの英雄豪傑が歴史上登場しなかったということです。


それがいいことか悪いことかは別にして、土佐は四国統一を目指して2万人の兵を失うという大きな犠牲を支払う事になりました。


一方、伊予国は他国にまで侵入して他国を呑み込もうなどとは考えたことがなかったために、現在の”温厚”という言葉に象徴されるような県民性を持ったのではないでしょうか。


来週の土曜日は、土佐の”長宗我部元親”のことを、もう少し掘り下げて書きます。


そしてこの5回シリーズの最終回である来週の日曜日には、”織田信長”から”豊臣秀吉”に引き継がれた大事業である”四国攻め”の様子を概観します。



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初めまして

じゅん様

いつも楽しみに拝見しています。

「この3連休は歴史シリーズ」と予告されていたので先週から楽しみにしていました。
日頃はコメントするのはちょっと恐れ多い?のでお邪魔するだけでしたが、「歴史物は人気がない」とじゅん様が言われるのも気がかりでしたし、この日のブログにコメントがないのはいかん!と思い勇気を出してコメントしました。(余計なお世話ですみません)

歴史物も好きですが「ご両親の事」は何度も読み返しています。心に沁みます。
来週の続きも楽しみにしています。突然失礼しました。


初めてのコメント

百蔵様
初めてのコメントありがとうございます。

しかも、この「歴史シリーズ」に。この分野は、多くの方にとっては、あまり馴染みがないでしょうし、歴史的な用語がゴロゴロ出てきますので、読みづらいと思います。
ですから、コメントのあるなしから考えれば、食べ物ブログが皆さんにとっても気安く見れるので、そちらのほうが書く側にとっても楽です。

ただ、愛媛に住んでいまして愛媛に育って、そして愛媛の地で眠る、永眠もするものとして、愛媛の歴史について、少しでも触れておきたい一心で書いております。その意味で読んでいただいた上にコメントまで頂けるとは望外の喜びです。

今年自宅のサクラの下で父と妹の3人で花見をしました。その父ももう亡くなりました。来年も咲くであろうサクラの下で父のことや母のこと、さらには愛媛の歴史についてゆっくり思い起こしたいと思っております。
お気遣いのコメント、ありがとうございました。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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