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母の納骨と郷里の秋 1

今日と明日の二日間は、11月3日に行った”母の納骨”と、それに伴って兄弟3人で郷里の野村町に帰って最後の遺品整理をしたとき、久しぶりに自然の風景を撮りましたので、それをお届けしましょう。


なお、母は昨年1月5日に亡くなりました。


ところが、母は自身で愛媛大学医学部に”献体”を登録していましたので、亡くなったその日に愛媛大学から遺体を引き取りに来て、今年に入って医学生の”解剖”に付されやっと”遺骨”になって返還されました。


今年6月に亡くなった父が眠る石手寺霊園で、父の遺骨の隣に母の遺骨を納骨し、二人はやっとあちらの世界で対面を果たしたことでしょう。

日没1
上の画像は、納骨を済ませて兄弟と甥や姪と共に郷里に帰ったときに、自宅から見た”日没”です。


今日と明日は母を偲んで、母が亡くなった時の様子をブログでアップしたときの記事を再録してみたいと思います。


父が亡くなった今年の6月16日も、何時も変わることなく記事をアップしました。母が亡くなった日も同じです。

日没2
普通の感覚で言えば、親が亡くなった日にブログを何時もと変わらずアップする方などはいないかもしれませんね。


でも、ワタシは敢えて何時もどおりにアップし続けました。


それは、ワタシに文章を通じて表現する事の大切さを、自分達の生き方を通じて教えてくれたのが両親であったからです。


両親は、自分の人生を閉じる瞬間まで文章、特に”川柳”という表現形式で自分達の生き様を表現し続けてきました。県内では有名な”川柳おしどり夫婦”でした。

アザミ実3
ですから、ワタシも両親から受け継いだ”表現者”としての自分を全うしたい、そういう思いで両親が亡くなったその日も何時もどおりに”ブログ”という表現形式でアップし続けました。


丁度父が亡くなった日の前後は、偶然にも郷里の風景を連続してアップしていました。


ですから、母の納骨を機に、母を偲ぶ記事を書こうと思ったとき、その時に使用する画像は郷里の風景、実家の風景などにしたいと考えました。


今日は、そういう意味で”画像”についての説明はしません。

蝶4
昨年1月5日に母が亡くなった後、母が亡くなるまでの様子を、昨年1月17日から22日までの6日間、6回に分けて文章だけのブログをアップしています。


今日と明日はその中から抜粋して再録し、母を偲びたいと思います。


  松山にいるワタシの携帯に連絡があったのは、昨年の暮れに近いある日の午前

  5時16分でした。

  母はその時、狭心症の持病で地元の病院に入院して1週間目でした。

  「お母さんが心臓発作を起こしています。今、手術ができる他の病院を探して

  います。直ぐに帰ってください」という病棟の婦長さんからの電話でした。

  予期していたこととはいえ、動揺しました。

  大洲市のある病院で心臓の手術を受ける事になり、ワタシはその病院に急行し

  ました。

  寒風が吹きすさぶ中を救急車が着いたのが午前7時5分。

  意識はありませんでした。

  直ぐに手術室に運ばれました。

紫実5
  運ばれる途中の廊下で、手術を担当する主治医から慌(あわただ)しい説明を

  受けました。

  「心筋梗塞の疑いがあります。今から至急、手術ができるかどうかも含めて心
  
  臓にカテーテルを入れて検査をします。それに当たっては、2点確認していた

  だきたいことがあります」

  「お母さんは、先ず肺炎を起こしています。今から直ぐに人工呼吸器をつけな

  ければ検査も出来ませんし、生命が危険です。二つ目は、お母さんは一度心臓

  が止まったので多臓器不全の状態になっています」

  「また腎臓はほとんど機能しておりません。カテーテル検査をすると腎臓に負

  担がかかり、病状が回復しても直ちに人工透析を続けることになります。同意

  いただけますか」

朝霧6
  「はい。先生お願いします」

  動転していましたので思わずそう答えました。

  ワタシの、このとっさの判断が後々ワタシを悩ませることになろうとは、この

  ときは全く理解できていませんでした。

  この瞬間からです、母の看取りが始まったのは。

朝霧7
  様々な緊急処置が終わり、担当していただいた医師から説明を聞きました。
  
  説明を受けた後、集中治療室の母を見ました。

  86歳も半ばを越えた母です。

  口には人工呼吸器が取り付けられ、規則的に呼吸を続けています。

  体中に10本に余る点滴用の管をつけられベッドで意識のない状態で横たわって

  います。

  手足を見ると、ベッドに拘束されていました。

  看護師さんの説明によると、人工呼吸器の装着は本人には強いストレスとな

  り、無意識に呼吸器を外そうとするので拘束せざるを得ないということで

  した。

  時折顔をしかめて苦痛の表情をしますが、人工呼吸器が口に入っているので声

  は全く出せません。

  まんじりとも出来ない夜が過ぎました。




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おはようございます♪

今頃お父様とお母様は、近況を川柳で語り合っているかもですね(^O^)
うちはまだ母が88歳で健在ですので、長寿のお祝いを考えています。

反対に父は52歳、私が10歳の時に逝きました。
父の分まで長生きしてくれてるんでしょうね、母は(^^ゞ

そうだ、今日母に電話してやろう(笑)
じゅんさんの記事で、親孝行を思い出させてくれて良かった(o^-^o)

おはようございます

今ごろ、再会の川柳をつくっておられるでしょうね。

ご両親とも社会的貢献を多々されていらしゃったんですね。
敬服します。

さて、

ベル様
今は同じ納骨室に並んで入っていますが、母は結構個性が強くて、自己主張も強い人でしたので、果たして仲良く「川柳」のことを語り合っているでしょうか?疑問です。(笑)

でも、間違いなく生きている間にしか、接触できません。母も、妹を随分頼りにしていて「やっぱり女の子じゃなければ、役には立たない」と言っていました。

ぜひお母様にお電話して、元気なお声を聞かせてあげてください。それだけでも、お母様の心は満たされると思います。

コメントありがとうございます

せい爺様
あちらの世界の、どこかの「川柳句会」にもう2人とも入っているかも知れません。

あるいは、生前がそうでしたように、父(教員でした)の任地任地で、地域に「川柳句会」を立ち上げ、川柳文化の普及と啓発に生涯を費やした二人でしたから、今頃はあちらの世界でも「新しい川柳句会」を立ち上げるために奔走しているところかも知れません。(笑)

とにかく、一生を創作と表現活動で駆け抜けました。

明日も(*^_^*)

じゅん様
おはようございます(^o^)
じゅん様 御兄弟3人ステキな御両親の環境の中で
居られたのですね(*^_^*)
幸せですね(*⌒▽⌒*)
じゅん様の言葉の端々には御両親から受け継いだ
表現者と云うのを感じました
きっと御両親お喜びだと思います(*^_^*)
明日も見せて頂きます(^o^)

ありがとうございました

ココヒロ様
コメントありがとうございました。

実は今日と明日の記事として、このようなテーマはブログという表現形式に合うものかどうか、ずいぶん悩みました。迷いました。

テーマがテーマだけに、似つかわしくないのではと。

でも、人生楽しいハッピーなことばかりではありませんし、私たち団塊の世代に属するものは両親の死という現実に向き合わざるを得ません。

こうやって、ひたすら書く事で自分を表現する生き方を教えてくれたのは両親なので、思い切って書く事にしました。

来週の土日は「父を偲ぶ」と題したものをアップする予定です。この4回で、一応一区切りにしたいと思いました。

コメント、本当にありがとうございました。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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