「父を偲ぶ」 2

昨日に続いて今日も「父を偲ぶ」と題した、父を追悼する記事とします。


今日を持って、このブログで両親を採り上げる事の一区切りとします。


背景の画像は”廃屋の風景”と名づけたカテゴリーですが、本文には直接関係しませんので画像の説明はいたしません。


なお今日の”廃屋”は、郷里の野村町の実家の直ぐ近くの風景です。

廃屋1
昨日の最後からの続きです。

 
父は、凍てつく大野ヶ原で、怯え苦しみ淋しがり、ひとりで『零下十
  三度』
という詩を詠みました。

  
この後に、夫婦は悶え苦しみ抜いて新しい世界を自ら切り開いていくことになります。


世間を前に、膝を屈した大きな挫折


しかし、その大きな挫折が2人の世界観を大きく変え広げることになりました。


フッと力が抜けたのです。


世間との真っ向勝負では勝てっこないことに気が付いたのです。
  
廃屋2
2人の「川柳」は、絶望の淵から2人で這い上がった2人の強力な武器となったのです。


それからの2人は、競い合うかのように作句にのめり込んでいきました。


2人の作風は全く違っていました。


母は、鋭利なカミソリのような観察眼で、言わば「知」の力で力作を連発しました。 

廃屋3
父は、当初は母に一歩遅れながらも、母とは全く別の作風で独自の世界を築き上げていきます。


父は、「情」と「周りを包み込むような笑顔、ユーモア」で自分の世界観を詠んでいきました。


父は本来持っていた「情」と「ユーモア」という能力で、母を遥かに凌ぐ才能を開花させました。


父の「情」と「ユーモア」は、戦地から奇跡の生還を果たした時、生き残った自分に出来ることを考え、更に極寒の地で孤独と寒さと戦いながら世界観を広げた父らしい方法だったのです。 

廃屋4
次に2人が取り組んできたのが、任地任地での「川柳文化」の啓発と「川柳文化」の底辺の拡大です。


父の行く先々で「〇〇の和」というグループを立ち上げ、地域の輪を広げ強めていきました。


その過程の中で、父と母は実に多くの知己を得ました。

壁5
そして、父が「野村小学校」の校長を勤め60歳で定年を迎えた後に、現役の一時代を遥かに超える友人を得ました。


父は二つの教え子を持ちました。一つは、教師の時代に心血を注いで教育に当たった生徒さんたち。


もう一つは、教員を退職した後で「川柳活動」を続けてきた中で育った「川柳の生徒さんたち」です。


90歳を過ぎた後まで「先生!」と呼ばれ続ける人が、世間には一体どの位いるでしょう。


父は終生教育者でした。

句碑
(上の画像は、野村ダム朝霧湖湖畔に建つ2人の句碑です。句碑の文字は父自身が書いた文字です。朝霧湖に相応しく、この画像を撮った日も2人の句碑は濃い霧に包まれていました)


野村川柳吟社の多くの方々の想像に絶するご尽力をいただいて、野村ダムの朝霧湖畔に「2人の句碑」が建てられました。


無宗教で戒名などを持たない夫婦にとっては、あの野村ダム朝霧湖湖畔に建つ2人の句碑が、2人の墓碑銘になりました。

父と娘
また平成22年2月の叙勲では、学校教育の功績によって「瑞宝双光賞」を授与されました。


父自身は「叙勲なんて・・・」とつぶやき、「それよりハヨ・・・焼肉食べに行こう」と言っていましたが、妹から叙勲に対する祝電を見せられグループホームの職員さんに読み上げてもらったた途端に、声を上げて泣きました。



  「勲章より娘」、そういう父でした。



最後に、父の墓碑銘の川柳(うた)です。



  北風の 

        中で育った

             親思い







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自分の生き方(*^_^*)

じゅん様
昨日 今日と本当にありがとうございました

父の事を思い家族の事を…自分の人生の事を…
色々考えました(*^_^*)
子供達や孫に私の事どう語り継いでくれるのか
今の自分の生き方を楽しく明るい人生でいなければと思いました
よく食べ笑いおもろいばあちゃんだったと言って欲しいです

じゅん様にはステキな御両親がいて本当にお幸せですね
お人柄にも出ているように思いました(*^_^*)
文章には人の気持ちやまるでそこに居るみたいでした
学のない私には引き込まれてしまいます(*^_^*)
形のない物にも素晴らしい物があるのですね
これからも御両親から頂いた文章表現大切にして下さい
私は楽しみにしております(*⌒▽⌒*)

心に染み入る

ココヒロ様
この二日間、更には先週の二日間、胸に染み入るコメントをいただきありがとうございました。心より感謝しております。

書く前は、こういうことはブログと言う表現形式に馴染むのか?と随分迷いました。

でも、書き終えた今、ココヒロさんを初めとして温かいコメントをいただきました。

別の方からも、別の場所で「ブロガーであるじゅんさんが、自分の気持ちをブログで表現しないでどこで表現するのか」というコメントをいただきました。

両親の「死に方」を書いたということは、「生き方」を書いた事に他なりません。

その意味で、ココヒロさんの「子供達や孫に私の事どう語り継いでくれるのか」という言葉は大変嬉しく思いました。そうなんです、どう生きるかという、自分の問題に収斂せざるを得ないと思ったのです。

これからも、両親の表現力には遠く及ぶところではありませんが、せめて毎日書き続けることはワタシにも出来ます。自分の出来ることを続けていきたいと思います。

こんばんは

今週もきちんと読ませていただきました。ありがとうございました。
今週もとりあえず歌の感想で失礼します。

私はこの歌の北風は「象徴(または暗喩)としての北風」でなく、現実に吹いている北風のように思いました。その方が味わいが深い気がします。
自分が戸外で北風に吹かれていてふと、「そういえば子どもたちはこのような環境下に育ったわけだが、それにしては優しい連中だな」と感じた、というような。そこにこのブログの前半で登場した大野ヶ原の自然などもイメージとしてかぶさってくる気がしました。
その場合は北風は冬の季語であって、これは厳冬の俳句のような気がします。
ジャンル分けすることにあまり意味があるとは思えませんが、川柳をする人たちはどのような解釈なのか聞いてみたい気もしました。

写真のお父さまの笑顔が、
美味しいものの話をされているじゅんさんの笑顔と
とーってもよく似ていらして(^-^)

先週、今週と記事を読ませていただき、
私も大学の講義でご献体のお世話になったこと、
母が「子どもは家で育ててやらないとかわいそう」という
働く女性への非難を浴びながら、
私を保育所に預けて働きに出てくれたこと、
自分自身が「二度と子どもたちを戦場に送るな」という
活動に参加していたこと。
その時の仲間のこと。
他にもたくさんの人や出来事を思い出しました。

遠く足元にも及びませんが、
私も言葉と人としっかり向き合っていかなくっちゃと、
そんな気持ちになりました。

まずは両親に電話してみようかな〜。

こんばんは☆

最後の腕組みされたお父様の、すごく幸せそうなお顔・・・
私の父は52歳から年を取りません、それも悲しいですね(^^ゞ

年取ってシミだらけの、皺くちゃな父の顔も見てみたかったと、
無理な事を思ってみたりもします(^^ゞ

川柳や俳句が直ぐに浮かぶような、柔らかい頭じゃないので、
返歌も出来ない自分が情けない(ノ_-;)ハア…

鳥追いて 秋の夜長に 船を漕ぐ

お粗末ぅ~恥ずかし(--)

これが

ファットマン様
このような記事にまでコメントいただきありがとうございました。

ファットマンさんが仰るように、「北風」は具体的な風と言うより、世間で吹き荒れる、あるいは吹き荒れた、冷たい風、厳しい風に負けることなく子供達は育ってくれた。

それぞれが、寒い厳しい風を経験し乗り越えてくれたからこそ、親の心が分かる子供達に育ってくれた。

だからこそ、あの大野ヶ原で吹き荒れた雪や風に耐えた甲斐があったというものだ。

そういう意味だと思います。

これが川柳なのか俳句なのかは、ワタシには分かりませんが。
コメントありがとうございました。

二週の記事が

くく様
先日は、やっと再会できましたね。嬉しかったです。
優しい笑顔が素敵なご主人、大盛りをペロリと平らげる健康・壮健なお体。
何時も笑顔を絶やさず、周囲の人たちを温かくて優しい気持ちにさせてくれる「くく」さん。ほのぼのとした空気が心地よかったです。

さて、コメントありがとうございます。最近、父に似てきたと言われる様になりました。父方の親戚は父に似てきたといい、母方の親戚は母の兄(伯父にあたります)の顔そっくりだと言います。
間違いなく2人の血を引いているようです。

また、二週に渡っての記事が「くく」さんの頭の中に様々な思いを飛来させたことになった。そのことは、ありがたいことだと思います。
若き日の授業風景、母として、社会人として様々な障壁があり、それらに立ち向かってこられた日々のこと。
「二度と子供達を戦場に送るな」という視点。

どうか、日々、宝物の子供達に、「くく」さんが様々な経験や思いを経て身についたことを、伝え継ぐことをお続け下さい。「くく」さんの笑顔に乗せて。

今日はコメントありがとうございました。

52歳、余りにも

ベル様
昨日は絶好の鳥撮り日和でしたね。さぞや傑作を多数モノにされたことでしょう。それらの成果も楽しみにしております。

さて、52歳、余りにも若い、絶句です。でも男盛りで精気に満ち満ちたお父様の印象をお残しになったのではないかと思います。

父の笑顔の画像、亡くなる2ヶ月前、自宅の樹齢60年のソメイヨシノの木の下で、父とワタシと妹の3人で花見をした時の画像です。
愛して止まなかった娘を前にすると、それはもう心の底から込み上げてくる嬉しさで、顔をクシャクシャにしてただただ娘の顔を見入る父でした。

そして、あの愛して止まない娘にずっと手を握られて、満足げな笑顔を見せた直後に旅立ちました。幸せな逝きかたであったと思います。

最後の俳句(川柳?)、いかにもベルさんらしい秀句だと思います。しっかり頂きました。ありがとうございました。

No title

じゅん様
 教育者として、文化人として地域に尽力されていたのですね。
 いまは、このようなリーダーがいなくなりました。
 地域にも、そして日本にも。

 それにしても、じゅんさんの文章力はご両親から受け継がれたもの
 ですね。
 敬服します。

コメント

せい爺様
コメントありがとうございます。

二週に渡って、この様な記事をアップすることに迷いがありましたが、多くの方が、それぞれのお立場で自分の親の事に思いを馳せるきっかけにしただけたようで、それが何より嬉しかったです。

どなたでも身近なものの死は、様々な思いを湧き上がらせます。どなたでも避けて通れない問題なので。

そして、ワタシのこの「ブログ」のルーツは両親にあることも書きたかったことでした。間違いなく、両方の血を濃く受け継いでいることを、最近になってつくづく感じているところです。

ですから、両親が亡くなる直前まで表現活動を続けたように、ワタシも両人には到底及ばないものの、せめてこのブログという表現形式を見出しましたので、書き続けていきたいと思っているところです。
コメントありがとうございました。

世間の目が北風のように冷たいというフレーズだとすれば、『北風も 時には優し 君思い』であって欲しいですよね。
松山は俳句王国と言われてますよね。川柳も育ちやすい環境なんだと思います。
香川は、例えば学校で俳句や川柳を教える事はあまりないです。
俳句や川柳を教えるサークルもあるようですが、年配の方が多い気がして、私は入っていません。(検索もしていないですが)
入らない理由は、他人の句と比べられるのが嫌だからです。

君思い

わたうさぎ様

なるほど、

北風も
   時には優し
     君思い

ですか。ええ、いい句ですね。

父は、父の背中に北風を見てきた子どもたちが、北風を知っているからこそ、それに耐えしのいできた親を思う気持ちを持った子どもたちに育つに違いない、と確信しました。

そして、私達3人の私と妹弟は、一入(ひとしお)親を思う子に育ちました。

両親2人をおくる会では(読経などとは無縁の会にしました)、私達3人で両親を偲ぶDVDを作成して、皆さんに見て頂きました。両親の魂が乗り移ったDVDが出来ました。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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