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「新年 大野ヶ原から」 1

「新年 明けましておめでとうございます」

とは、ちょっと書けません。昨年の6月に90歳の父を亡くしましたので。

そこで今日から4日までは、父を偲んで「大野ヶ原」の冬の景色をご紹介します。

実は2010年12月4日から10日まで、7日間連続で「大野ヶ原」の風景をアップしたことがあります。

でも、全くウケませんでした。

ただ一人だけ、小学校4年生の時以来の幼友達がワタシのメールアドレスにメールをくれました。「よかった!風景や動物たちを見ていると何故か涙が出た」と。

魚1
ですか今日からの4日間は、ワタシのブログを読んでいただいている皆さんと、とメールを頂いた幼友達に捧げます。

大野ヶ原に向かう県道36号線は、肱川の支流”舟戸川”沿いに高度を上げてゆきます。

先ず最初に出迎えてくれるのは”森の番人”です。

文字通り”森の番人”役を引き受けてくれているのが、”藤部吉人”さんの作品群です。石で出来た巨大魚が大野ヶ原の原野に溶け込んでいます。

霜と石灰岩2
大野ヶ原は”四国カルスト”の西端に位置しています。

大野ヶ原は、三つの盆地とゆるやかな丘陵で囲まれていて、東西に細長く帯状に広がっています。

海抜975mから1402mと、高低差の大きい丘陵地です。

昨年夏、父と母の納骨を済ませた後、父が大野ヶ原小学校校長として赴任して「零下13度」という詩を詠んだ場所に、兄妹弟の3人で立ち、父の苦闘の跡を偲びました。

その後、ワタシ一人で再び大野ヶ原の地を訪れたのは今年の11月下旬でした。

その前日まで、実は大野ヶ原は雪で埋まっていて、ワタシのちっちゃな車では立ち入ることができなかったのですが、その前日の夜の大雨で雪が解かされ、入山することができました。

それでも、地面には一面に霜が降り、水溜りには氷が張り、大野ヶ原の自然環境の厳しさを垣間見ることができました。

霜3
この画像と上の画像は、大野ヶ原の”源氏ヶ駄馬”という場所の風景です。


”源氏ヶ駄馬”という地名の由来は、この地に言い伝えられた”平家の落人伝説”から生まれました。


壇ノ浦で敗れた”平家”の残党は四国山地の隅々にまで落ちていき、それぞれの所で様々な”落人伝説”を残しています。

石灰岩と牧場4
これもその一つで、安住の地を求めて平家の落人たちは「大野ヶ原」にまでやってきた。


ある朝、平家の見張り番が遥か彼方を眺めると、おびただしい数の源氏が白馬にまたがり周囲を取り囲んでいた。


驚いた平家の残党はすぐさまこの地を退散したと言い伝えられている。


これは、この地にある白い石灰岩を白馬の武者と見誤ったとされ、その古戦場とされるところに”源氏ヶ駄馬””平家駄馬”という地名が残ったと言い伝えられた。

霜と牧場5
「大野ヶ原」については、第一期入植者の「黒川高茂」氏が、平成22年12月に「四国カルスト開拓一世の証言 大野ヶ原に生きる」という本を出版なさっています。


本日と明日の記述の中には、その本の一部を引用させていただいたことを記しておきますとともに、「黒川高茂」氏のご奮闘・苦闘に敬意を捧げますと同時に謝意を表すものです。

霜と牧場6
その本の中では「大野ヶ原」という地名がついた由来にも触れられています。


それによりますと、室町時代末期に、土佐の長宗我部元親の軍と、久万山大除城主(くまやま おおのけじょうしゅ)である”大野直昌”(なおしげ)が、笹ヶ森ともいう伊予と土佐の国境にある高原で合戦をしたという記録が残されています。


それによりますと、土佐の長宗我部軍と久万山の大野軍との合戦は、大野方の勝利となったことからその陣地を「大野ヶ森」と呼び、「大野ヶ原」の地名は、この大野一族にちなんだとされると記されています。

ゲンジガダバ7
ここ「大野ヶ原」の開拓の背景は、太平洋戦争敗戦後、職を失った戦災者や都会から疎開してきた人、旧軍人、外地からの引揚者などが、食料を求め、農村に押し寄せ始めたことにあります。


そういう時代を背景に、戦後の食糧事情が良くなるよう、また職を失った人たちや復員してくる人たちが新たに農村を建築できるようにと、大規模な開墾や干拓、土地改良事業を実施しようという国の開拓政策が打ち出されました。

石灰岩8
愛媛県でも昭和23年から五カ年計画で、県内で開拓が可能な土地一万町歩を開墾し、そこへ、開拓農家二千戸と、増反農家三万戸を入植させる方針が出され、ここ「大野ヶ原」もその対象地となりました。


その当時は未知の高原であった「大野ヶ原」開拓は、先ず気象観測からスタートされたといいます。


この地の気象条件で、どういう作物が適しているのかを調べることから開拓が始まったのです。


今でこそ、その当時に入植された方々の血の滲む、命を削りながらの苦闘が芽を結び緑豊かな牧草地が広がっていますが、当時は熊笹とカヤの生い茂る石灰岩だらけの不毛の高原でした。

牛9
当初入植した農家からは次々と脱落者を出し、僅かに残った開拓農家の方たちで開梱が進められました。


先ず、生い茂った大木を切り倒し、熊笹や背丈より高い笹との格闘。


また自分たちの家も、皆自分で立てました。道路も水の確保も、全部力を合わせて家族の手で作っていきました。

サイロ10
その間、父が苦しめられた「零下十三度」、酷寒の高原で厳冬期を乗り切りました。


それには、遠くの医者に見せられず命を落とした幼子の命も犠牲になりました。


医者に見せたときは手遅れで、冷たい骸(むくろ)を再び背に追い、冷たくなった我が子を背にとぼとぼと山道を再び登った親たちもおりました。酷い思い出がいっぱい詰まった開拓の地なのです。




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ご挨拶

年が無事に明けましたね(*^_^*)
 今年も宜しくお願い申しあげます。

おめでとうとは申せませんが、新年はそれなりに気持ちを
引き締める時ですので、けじめとしてご挨拶だけはしてないと、
物事が始まりませんね(*^_^*)

と言う事で、今年の鳥撮り第一弾は、お山へ行きました(^o^)v

えーーー!

ベル様

新年おめでとうございます。

今日は穏やかな日だったとは言え、正月の初日から山に?

これは、今年も一年、数々の傑作が堪能できるということですね。

大いに期待して、正月第一弾のショットをお待ちしましょう。

今年もよろしくお願いいたします。

じゅんさんすばらしいです。

新しい年を迎えました。
沢山の苦悩を抱えたつもりでいる自分の身を恥じます。
本当に素晴らしい文章です。大野が原のことをたくさんの方々に
知っていただきたいですね。。。苦しみの土地。
自然の猛威に命を賭して立ち向かい、向かうところ敵なしの
長宗我部にも打ち勝った、勇者の息づく土地なのですね。
すてきなところですね。。。

お久しぶりです

リンジーズ様
ご無沙汰しております。お元気でしょうか。

大野ヶ原に、昨年の夏、チーズケーキを食べに行くと仰っていましたが行かれましたか?

大野ヶ原の苦闘・苦悩の歴史を知らない方が多いので、お正月に相応しいかどうか迷いましたがアップしました。高知にいらっしゃったから長宗我部の強さはご存知ですね。伊予勢が長宗我部勢に勝った数少ない記録です。その地がまさに大野ヶ原です。

お褒めいただき、書いた甲斐がありました。週明けの月曜日には再度チーズケーキの記事も再訪記事としてアップします。ご覧になってください。
そしてチーズケーキまだでしたら、今年の夏にはぜひどうぞ。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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