「長浜フェリー食堂」・「愛媛グルメ紀行」 470

今日は、大洲市長浜町の旧フェリー乗り場にある”長浜フェリー食堂”さんをご紹介しましょう。


場所はJR長浜駅近くの、長浜港港湾施設内にあります。


このお店の情報は、お互いのブログをリンクし合っている:”大洲のひで”さん(ブログ名:hideのgo for broke)からいただきました。


昨年末、下灘のお客様に年末の挨拶をしに行った際に長浜まで足を伸ばして訪ねてみました。

玄関1
長浜フェリー食堂”さんが入っているのは、画像でも分るように”港湾センター・長浜港務所”の1階に入っています。


この”港湾センター”の施設が出来たのが昭和44年(今から43年前)と、”長浜フェリー食堂”さんの女将さんにお伺いしました。


「そしてね、ウチがこの施設にお店を出したのが昭和48年なんよ!主人と二人でお店を始めたの。でももう40年になるもんねー」と、女将さん感慨深げに語っていただきました。


「昔はねー、ここの長浜フェリーには下関航路があってけっこう賑わったのよー。でもその航路は廃止され、今では”青島”便が一日2便だけ」と語られた。


青島は、長浜港の沖合い13.5kmに位置する有人島で、2012年現在では16人にいるそうです。島には車はもちろん、自転車の一台もないという。

入り口2
こちらが、”港湾センター”の施設内にあるお店の入り口です。


地元で知っている方でないと「え?ここに食堂があるの???」って思われかねない雰囲気でしょう。


かつては、同じ1階に別のお店もあったようですが、今では”長浜フェリー食堂”さんだけが営業されているのではないかとお見受けしました。

店内3
店内に入りますと、丁度お昼時とも重なりましたので、ほぼ満席。ですから相席は当たり前という雰囲気でした。

地元で働いておられる方が、「今日は何にしようか?」と言いながら、次々とお店に入ってこられます。

ここ長浜では貴重な食堂だということが見て取れます。お店で食べるだけではなく「お弁当」も作って店頭に置いておられますので「今日は弁当2つ買って帰って、家でカーチャンと食べヨーワイ!」」というお客さんの姿も。

店内には、このお店の店主さんの”ふぐ調理師免許”の額が掲げられています。その額には”久松定武”愛媛県知事の名前が見えます。

もう愛媛県でも”久松定武元県知事”の名前を覚えている方は少なくなったでしょう。元の”松山藩藩主”であった久松家の子孫で、愛媛県知事を4期務められました。

その話を女将にすると「そーよ、ほやけん、うちも古るーなったもんよねー」と懐かしげ。

「店の奥には座敷があって、今でもシーズンになると”ふぐ料理”を出しとるんよ!」と目を輝かされる。

実はこの長浜、ふぐの水揚げでは県内でも有数を誇った。最盛期は昭和40年代で、このお店が開業した頃に重なります。

その当時は、長浜沖で採れたふぐのほとんどが、全国でもふぐ集積地として名高い”下関”に送られていました。

フェリーが下関港と長浜港を結んでいたのは、そういう物流に伴う人の流れがあったということです。

今では漁獲高が激減。激減したことが、皮肉にも”下関”に送るだけの量が確保できず、地元で消費されることとなりました。

昔は下関に送ったほうが高く売れるので、地元では高嶺の花だったものが、今では手軽な値段で地元で食べることが出来るようになったと言う訳です。

長崎チャンポン上4
さて、お目当ての”長崎チャンポン”が運ばれてきました。お値段は580円です、嬉しい値段ですね。


そして見た瞬間「ああ、これは食べきれない!」と、顔が引きつりました。野菜の山また山です。


女将さんに「こんなに大盛りって・・・・これは食べきれないかも知れません・・・」と言い訳の伏線を張っておきました。


すると「何イヨルン!このくらい。これほとんど野菜やけん、食べれる食べれる!」と言い切るんです。


メニューの名前は”長崎チャンポン”と銘打たれていますが、麺は中華の”蒸麺”(むしめん)を使っておられます。つまり、カンスイを使った普通の中華麺を使われているということです。


長崎県で使われる”チャンポン”の””は、小麦粉を唐灰汁(とうあく)でこねたものです。従って、カンスイを入れた中華麺のような黄色い色はしていません。ですが、今では恐らく長崎県以外は、全て中華麺を使っていると思います。

長崎チャンポン5
ですから、愛媛県で”長崎チャンポン”と名乗る意味はないのですが、やはり本場にあやかりたいということでしょう。


まあ見て下さい、丼の上に積み重ねられた野菜の山。小高く聳え立っているようにさえ、今のワタシには見えてしまいます。


具材は、大量のキャベツとモヤシをベースにしながら、更にニンジン・ピーマン・シイタケ・キクラゲの各線切り、揚巻、豚バラ肉、イカ、イカげそ、干しエビなどです。


これらの大量の具材が、大きい中華鍋で一気に煽(あお)られ炒められます。野菜のシャキシャキ感を残すことが調理のポイントです。野菜のそれぞれの持ち味を殺さないように注意します。


具材が炒められたら、大きい寸胴鍋に入っているスープを中華鍋に投入し、茹であがった麺を入れた丼にどっと注ぎ込みます。

アップ6
美味しい香りが鼻腔を刺激します。でも、驚くほど大量に掛けられた”胡椒”に少々たじろがされます。くしゃみが出そうになります。


スープは思った以上にアッサリ味です、優しい味です。もう少し、スープの味付けに芯が欲しいと思わしめるほどのアッサリ味です。


多分、このスープを松山に持ってきて勝負をしたら、濃厚な味のスープに慣れた人には物足りなさが出て勝負にはならないでしょう。


でも、ココではコレでいいんです。これが40年に渡って慣れ親しんだ”長浜フェリー食堂”さんの味なのです。皆さんこれに満足なさって、お客さんの概ね半分が注文されるという看板メニューなのです。

麺7
”麺”にしても、先ほど書いたように製麺所から仕入れた”蒸麺”です。


同じ製麺所から仕入れても、お店の好みで”蒸麺”を使ったり”生麺”を使われます。


蒸麺”の方がスープを吸い込んでふやけることが少ないのでしょう、大量の具材と一緒にいただくには優れています。

残った8
「もう40年経って、主人ももう還暦!孫が5人出来てね!」と女将の笑顔は続きます。


「ワタシも還暦をトウに過ぎたけど、孫の声は当分聞けそうもないんですよ、いいですねー!」と声を掛けた。


「でもなー、その5人の孫に引っ張りまわされて、そりゃあーもう大変なんよー!」と、ちっとも大変そうではない笑顔がはじける。


遂に残ってしまった。「ごめんなさい、残してしもーーて!」と謝った。


すると「それでも、ヨーー頑張ったやない!エライえらい!」と逆に褒められた。


いい気分にさせていただいて、お店を後にできた。嬉しくありがたいお店でした。




にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村
愛媛のクチコミ情報サイト「ひめぶろぐ」
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

おはようございます

もう10年以上前だと思いますが、私もこのたっぷりちゃんぽんをいただいたことがあります。まるで裏口のような出入り口の写真を見て、これやこれやと懐かしく思い出しました。
のしうめさんのブログによれば、こちらのカツカレーも昨年のベストファイブに入る逸品とのことで、機会があればぜひいただいてみたいと思ってました。

それとその当時は長浜には河豚料理屋さんが何軒か残ってましたよね(今でもあるんでしょうか)。
廃止された下関航路や河豚の流通を通じての交易など、あらためて感慨深く思いを致したしだいです。


既に行っておられた

ファットマン様
えーーー!このお店に、もう10年前に既に行っておられた。そうですかー。
このお店は、誰かに情報を聞いていないと行けませんよね。あの建物の中にああいうお店があるって、外からではうかがい知れませんもの。

ワタシも南予出身なので、南予訛りも含めて、初めてお伺いしたのに懐かしく感じました。おばちゃんのキャラクターも素敵で。

今も長浜にはフグを食べさせてくれるお店は何軒かあると思います。ワタシも一度だけ長浜にフグを食べに行った記憶があります。べらぼうに安かった記憶とともに。

25年前・・・

じゅんさん、こんにちは。

私もここへは25年前に来たことがあります。ただし、この建物へトイレを借りに・・・ですがwww

当時、長浜への道は今のように整備されているものではなく、グネグネ細く舗装も継接ぎでエラい走り辛かったのを思い出します。

私も何かの用事でこちら方面に行くことがありましたら訪ねてみたいと思います。


No title

こんにちは。

私は10年ほど前に4年程、長浜駅前で働いていました。
その時に昼と夜の食事はフェリー食道の出前でした。

値段のわりに大変豪華だったことを今でも懐かしく
思っています。

懐かしく見せて頂き、有難う御座いました。

トイレ・・・・・・・

乱駆郎様
そうですか、ちゃんぽんではなくてトイレに・・・・・・・
確かに行った経験には違いないですね。エエ。

今の海岸寄りの道路がつくまでは、山沿いの離合も難しい細い道でしたねー。覚えています。

高校2年生の夏休みの時、松山の御宝町の下宿を自転車で出て国道56号線を南下、犬寄峠手前から下灘に入り、長浜→八幡浜→三瓶町→東宇和郡明浜町狩江まで走りに走りました。曲がりくねった道路を呪いながら。

明浜町の田の浜という村で、腹が減って動けなくなり(朝から何も食べずに出ました)、村の雑貨屋のおばちゃんが、チキンラーメンを作って食べさせてもらいました。旨かった!

夜中に狩江と言う村の友人の家に転がり込んで一晩泊めてもらい、翌日は小学校4年生の時に子供自転車で越えた野福峠を越えて野村まで2日掛かりで帰ったことを思い出しました。

若くて元気で、そして無鉄砲な少年だった頃の「曲がりくねった道」の思い出です。

コメントありがとうございます

星様
そうでしたか、長浜駅前で働いておられた。

その当時から、あの地域の貴重な食堂だったのですね。地域には無くてはならない存在だったのですね。

今回初めてお伺いして、上に書いたことがよく理解できます。完全に地域に溶け込んだお店ですからねー。

そこは相席が当たり前で、皆が世間話をしながら食事をされていましたし、お弁当を買って帰って、家で奥さんと食べるという方もいらっしゃいました。

いつまでも続いて欲しいお店ですね!

今日は思いがけないコメント、ありがとうございました。

No title

文中でのご紹介、大変恐縮です!

じゅんさん、流石の取材力ですね~。
中身の濃い内容には感服しますです。
私も知らなかったものもあり、大変勉強になりました!

お客さんに対しお店の人の想いが伝われば、普段食べているものでもその美味しさが違ってくるような感じですよね。

そして、ほとんど完食じゃないですか!
次回は、私も苦労した「中華丼」、いかがですか?
美味しさは保証付きですよ~。
でも量が・・・

量は

大洲のひで様
大洲界隈のお店のアップを数多くされていますが、やはり距離の関係で中々行けません。
でも、春先までには、大洲地方の歴史をテーマに書くつもりですので、集中的に大洲地域を取材に行きます。その時は、ひでさんが書いていただいたお店を選んで訪問したいと思っております。

今のワタシには量が大敵です。このお店でも、女将さんが目に前にずっと立たれてお話をしていましたので、やっとあそこまで頑張っていただきました。でも、中華丼はまともに量がありますからねー。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード