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「茶房 ひょん」・「愛媛グルメ紀行」 466

今日は、喜与町1丁目にある”茶房 ひょん”さんをご紹介しましょう。

このお店、一番町1丁目交差点の国際ホテル南館から北上し日赤に至る道沿いにありますが、極めて目立ちにくい。

ワタシは、このお店を”ひょん”なことから知りました。それは、今年1月5日と6日に連続してアップした”兒玉高次・日南子「木と漆」展から”でご紹介した兒玉高次ご夫婦からの紹介でした。

玄関1
こちらがお店の玄関。

通りがかりの人が、フラッと立ち寄るようなお店では先ずないと思います。

ただし、ワタシがお店に入った午後1時、先客はワタシより遥かに先輩と思しき男性2人連れと、一人の青年客が食事をしていました。

ただ店内に入ってもメニューらしきものは、小上がり席の壁に手書きで書いてある喫茶メニュー以外は見当たりません。

店内2
「あのー、御飯を・・・・」、これがワタシの第一声。

「じゃあ今日のランチになさいますか。と言っても、コレしかウチにはありませんけど。お野菜ばかりの御飯です」と、これが問題の女将の第一声。

兒玉夫婦からは、博識でどういう分野でも一家言持っておられる、一種の文化人だと人物評を聞いていた女将です。

年の頃は、ワタシより年上だということ位しか分りません。

本3
店内にさり気無く置いてある、これらの書籍群をご覧下さい。

これはホンの一例。店内至るところに、あらゆるジャンルの本(一種マニアックとも言えるかも)が所狭しと並べてある。

ワタシも、一種の”本読み”で、家の書架には様々なジャンルの本が壁面一杯に置いてありますが、このお店の蔵書はワタシのものよりやや古い。しかも分野が幅広い。

今日は、いただいた食事のご紹介は二の次です。と言うのは、このお店の主役は何と言ってもカウンターの内側にいる”女将”であることに直ぐに気がついたからです。

先客の3人が勘定を払ってお店を出て、入れ替わりにワタシよりは年上とお見受けする女性が入ってきた。それから5分程度後に、同じくらいのお年頃の女性客が一人。ワタシを入れて3人が店の客になった。

ランチ4
これが、店主=女将が言うところの”野菜ばっかりのランチ”です。お値段は700円。

御飯以外に五品が並んだ。確かに動物性たんぱく質は、魚の佃煮だけで後は全て野菜類。

ベジタリアンが見ればありがたがるに違いない。

御飯5
御飯だって、ただの白米とは違う。黒米と小豆を炊き込んだ御飯で、色が黒い。

この辺りで、何時もならカウンター越しの女将からお話を聞きだしたいところ。

ところが、隣に陣取ったおばちゃん(大洲からわざわざこのお店に食事にやってきたと言う、自称”家庭菜園家”)と女将の話が延々と途切れなく続き、話に割って入れない。

「今はね、タマネギつくっとるのよ。ところがタマネギはね、肥料喰い、肥料をやらにゃ、玉が太らん。この前持ってきた”四角豆”ねー、あれはもう作るの止めたんよー」と、この手の話が延々と続く。

里芋6
これは”里芋”(あるいは小芋?)の煮っころがし。味付けは上々。

ワタシが食べ物屋さんで、細かく食材の事を書くのは私に食材の知識が特別豊かにあるからではない。全てお店の方から詳しい話をお聞きして、それを書いているだけ。

特に野菜は好きな方ではないので、野菜食材の知識は余りない。

つまり、お店の方からお話をお伺いできなければ、食材の詳細は書けない。ところが、大洲から出てきたおばちゃんと女将の話に割って入る隙がない。

大洲のおばちゃんと女将との話は、やがて大洲のおばちゃんが飼っているという”ミドリガメ”に話題が移った。

「主人がね、一昨年”ミドリガメ”を道で何匹か拾って帰ったのヨー!それを池や川に逃がすとセイタイケー(生態系)を壊すユーヤロー!ソヤケン、ウチでこーとるんよー!」と、大洲のおばちゃんの話は途切れることはない。

「”ミドリガメ”の餌ってナニやるーん?」と女将。

「うん、キャットフードよー。そやけどねー、ミドリガメってちっとも懐(なつ)かんのよー!餌やってもね、フーゆうて、ワタシを脅すンヨー!可愛くないやろー」と大洲のおばちゃん。

ここで空(す)かさず、二人の話題に強引に割って入った。もう一人のおばちゃんはニコニコ笑いながら、大洲のおばちゃんと女将の話を聞いていて、一切会話には加わらなかった。

「その”ミドリガメ”ですけどねー、正式には”アカミミガメ”ゆーてね、アメリカから入ってきた外来種なんですよ!」と、ここで二人の話に加わった。

二人はキョトンとした目でワタシを見つめた。

「それでね、彼等が懐(なつ)かんのは、日本に入ってきてまだ80年位しか経っていないんで、多分彼らは、まだ日本語が分らんと思うんよー!」と続けた。

二人は不思議な生き物を見るようにワタシをみて「あああー、ソーーナン!」と納得顔になった。

ここから、ワタシも女将との会話にスムーズに加われるようになった。

佃煮7
これが唯一の動物性たんぱく質の魚の佃煮と奈良漬け。

この辺りから、地名や人の姓に話題が移った。

すると、今まで話題に加わらなかったおばちゃんが「ワタシの姓は”越智”ゆーんよ!」と、一言ポツリと言った。

ここから、このお店の女将のタダモノではない”快女”(怪女では決してない)の面目躍如の”舞台”が幕を開けた。

「”越智”さんて、愛媛県では多い姓よねー、どこのご出身?」と女将。

「うん、元はと言えば大三島の”大山祗神社”に関係しとるらしいんよー。大三島から流れに流れて愛媛に散らばっとるみたい!」とおばちゃん。

「いえいえ、”越智”さんは、伊予では古墳時代から記録が残っている最古の”名族”ですよー。奈良時代には愛媛の大半を支配していたという記録もある」と、ここでワタシの得意分野に話題を引き込んだ。

「ワタシは昔の東宇和郡の出身ですけど、その”宇和の庄”からも、”越智氏”に貢物を送っていた記録もあるくらいなんです」と、ワタシが得意な分野で話を続けようと思った瞬間でした。

青菜煮物8
この料理の材料名は分らないけど、実に上品に煮付けられていて美味しい。

女将がワタシの話しに加わった。「そういえば、”越智”っていう姓は、言葉で聞くと”オチ"やけど、漢字で書くと、昔は”小市”とか”乎千”と書いていた時代もあったそうね!」と驚くべきことをサラッと言った。

コレには内心「ゲーーー!」と思った。「オオーーー!」ではない「ゲーーー!」だ。

”越智氏”が”国造(くにのみやつこ)”であった時代には、確かに”小市”とか”乎千”と表記されていた時代があった。

それは、昨年11月23日から五話に渡って書いた”村上水軍と河野氏・「家紋」を巡って”の第一話で書いたばかり。

この”歴史好き”を自認するワタシですら、上の事を知ったのは、”村上水軍と河野氏・「家紋」を巡って”の五話を書くために調べて初めて知ったこと。

それを、このお店の女将は、さも当たり前、常識の様にサラリと言われた。快女たる所以(ゆえん)だ。

今まで話題には加わらなかった”越智”さんは、「我が意を得たり!」とばかりに、女将の話に微笑みながら大きく頷(うなづ)いた。

こんにゃく9
これはこんにゃくと何かの豆を酢味噌で和えたもの。全体の味付けのポイントとして、味を締める酢の物の役割りを担っている。

それ以降の話題は、ワタシが目をシロクロとさせるものばかり。

「”道後”って、都に通じる道路から出来た言葉らしいわね」

「”道前”(どうぜん)という地域もあって、それは都に近いから””を使って、都から遠いほうを””と言ったらしいの」

「じゃあ”道中”という地名ってあるのかしら?」と、誰もは先ず知らないであろう”地名の由来”などの話題が自然に女将の口から放たれる。

確かに、”道前”と”道後”という言葉は、”大化の改新”(655年)の翌年に出された冷で、都と地方の国府(こくふ)を1本の道で結ぶという命令から付いた言葉です。

四国へは、都から紀伊、淡路、阿波、讃岐と通じ、現在の今治・桜井にあった”伊予国府”とつながった。当時の伊予国の”国府”は松山ではなく、今治にあったのです。

ですから、”国府”を中心に、都側を”道前”といい”道中”は「みちなか」を表わし、”道後”は「みちのしり」を表わし、都から遠い地域をそう呼びました。

従って、”道中”は今の今治周辺を指していました。

当時は”道後”は今治以西の広い地域を示す言葉だったのです。では、なぜ今の”道後”が、松山市内の”道後温泉”一帯を現すことになったのかは、別の機会があれば書きます。

つまりワタシ自身は、女将がその話題を出した時その内容を知っていましたが、あの時ワタシがしたり顔で「道後というにはですねー!・・・・・」と話してしまうと、女将に失礼と思い、話しませんでした。

兒玉夫婦が、「様々な文化人と親しく交わり、その話題の広さと深さは比類を見ない!」と称していたことが肌身に染みました。

コーヒー10
ワタシをして「お若く見えますね!」と、これもアッサリ言われた。圧倒されっぱなしの一時間は、あっという間に過ぎた。

勘定を済まそうと立ち上がると「アレ、コーヒー入れたのに召し上がらない?」と女将。

「アッ、ええ、いただきます!」と、もう女将の言うがまま、成すがまま。

このお店、今年で12年目を迎えます。ということは、この女将、このお店を始められたのは一体お幾つの時からなんだろう?

また、珍しい店名”ひょん”は”正岡子規”の句「「我見しより久しきひょんの木実哉」から採られた。

ひょん”は柞(ゆすのき)の別名で木質が非常に硬く、そろばんの玉などに使われる常緑樹です。店名からして、常人では推し測れません。

完敗でした、エエ

でも、実に心地いい”完敗”でした。

なお、このお店で松山の地名の由来が話題になりましたので思いついたのですが、例えば”斉院”(さや)の由来など、地名に関わるお話も、今後機会があれば書いてみたいと思っています。




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No title

じゅんさんおはようございます。
道後はまぁ「みちのしり」ですしね。 伊予は、松山平野で古代文化が一度開花した後、国庁・国分寺が今治のほうに置かれましたから、政治の中心が移動している、と考えていいのですね。(じゅんさんに確認ということでお伺いしているのですが。) 

No title

ひょんさんは私も一度のぞいてみたいと思ってました。今日の記事でお店の様子がヒジョーによく分かりました。
けっこう平均年齢が高そうですねえ(笑)。

地名の由来トークはとても興味があります。愛媛には面白そうな難読地名がたくさんのこってますよね。ぜひじゅんさんのブログで取り上げていただきたいです。
「余戸」が大宝律令の記載に由来する地名だってご存知でしたか。なんでも1集落50戸という取り決めがあって、そこから余った家を集めた集落なんだとか。先日の愛媛新聞で読みました。
郷土愛媛の歴史の深さに思いを致したところであります。

おはようございます

謙介様
今治に国分寺が置かれたのは聖武天皇の時代です。古墳時代の終わりから飛鳥朝の時代ですね。ですから、全国の国府と中央を一本の道で繋ぐという時代と重なります。
この時代、伊予国において一番繁栄していたのは国府の周囲、今治市周辺です。その時に伊予の越智氏が国造を担い権力を掌握していました。
今の松山市周辺が歴史の舞台に登場するのは鎌倉時代以降です。
ただし、松山の道後温泉には天皇が行幸された記録もありましから、権力の中心ではなかったものの、文化の芽吹きはあったということです。
そして、それが完全に松山に移るのは、秀吉の四国侵攻後の四国国分け以降と言うことになります。

余戸の由来

ファットマン様
まず「ひょん」さんは、非常に個性的なお店で、他に類例を見ないと思います。
中々に手ごわいですよ。生半可な知識では太刀打ちできません。でも、私の場合どうやら気に入っていただいたようで名刺までいただきました。

それから「余戸」という地名の由来も知っています。ファットマンサンが書かれていた通りです。条理制が制定された時代を示す言葉ですね。
知っている地名の由来を、その地域の代表的風景や背景となった寺社仏閣を画像に収めて紹介しようと想を練っているところです。

松山には、古代から付いていた地名と、合併に次ぐ合併で新しく出来た地名とが混在しています。今や消え去った地名もあります。消え去った地名を紐解きますと。、その地域の歴史が見えてまいります。
新たな分野としてブログでもシリーズ化しようと思っているのですが、まだ準備が間に合いません。乞うご期待と書かせていただきましょう。

じゅんさんのオヤジギャグwww

じゅんさん、こんにちは。

みなさんが知的で高尚な話題に花を咲かせておられますので、私は違う角度で・・・。というか、じゅんさんが珍しくもオヤジギャグをかましておられるので、そこに触れない訳には参りませんwww

ひょんをひょんなことから・・・・・。 ( ´,_ゝ`)プッ
じゅんさんが言うから笑ってしまいましたよ♪

そうそう、カメが言う事をきかない理由も秀逸でした( ^ω^ )





たまには

乱駆郎様
たまにはね・・・・・
「ひょん」なことでと書いて、アレ?これは!って思って、つい太文字にしちゃった。あれでオヤジギャグになっちゃった。
ちょっと気恥ずかしながら・・・・・・

ミドリガメの挿話は、あれは実際に使った会話ですよ。お二人が最初はキョトンとされていて、あれ?この人たちのほうが日本語通じなかったのかな?って思っちゃった。
後の話につながってホッとしましたよ。
世の中、豪傑がいるものですねー!
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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