「松山市の地名・町名由来」・ 「住吉町・祓川町」 4

松山市の地名・町名由来」の第4回目は、三津にある「住吉」(すみよし)と「祓川」(はらいがわ)をご紹介しましょう。


今日ご紹介する2つの町名は、2つの”お宮”が由来となっています。また2つの町とも町名の最後に””がつかず、1丁目~2丁目がある町です。

住吉町標識1
かなり年季の入った町名標識ですが、ここが「住吉」であることを示しています。


「住吉」は南北に流れる”宮前川”の西岸にあって、三津湾に臨んだ位置にあります。


かつて中世期に”毛利家”に伊予一国が与えられ、”毛利輝元”の伯父にあたる”小早川隆景”が伊予国の国主となりましたが、その”小早川隆景”は、ここ「住吉」から見れば三津湾を挟んで対岸にある”湊山”の”湊山城”を大改装・補強し、伊予国を支配しようとした歴史を持つ町でもります。

住吉神社4
この「住吉」の町名由来となったのが、この画像の”住吉神社”です。


今では、宮前川に向かってヒッソリと佇んでいる”住吉神社”は、大阪に総本社”住吉大社”があり、全国に約2,300社あります。


三津のこの場所に何故”住吉神社”があるかと言えば、”住吉大社”は海の神様として信仰されているからです。


つまり、”住吉大神”(すみよしおおみかみ)を祖とする一族として”住吉海人族”(すみよしあまぞく)があり、九州を拠点として瀬戸内海などで古来から海上交通や漁業に携わっていたといわれ、瀬戸内海にある港でも重要な港であった三津地区に相応しい神社なのです。

なお余談ですが、”住吉神社”の南側にある”喫茶アルプ”がある建物の2階には”愛媛グルメ紀行”で二度採り上げたイタリアンレストランの名店”リトルイタリア FLOR(フロア)”さんがあります。採り上げたのは、2012年2月9日と2012年10月18日です。

このお店の”パスタ”は絶品です。そしてこのお店の”デザート”も、普段甘いものを食べないワタシですが笑顔が自然にこぼれてしまいます。

祓川標識1
さて、次は概ね「住吉」と宮前川を挟んだ対岸にある町「祓川」(はらいがわ)の由来をご紹介しましょう。


祓川」は宮前川の東岸にあって、町内に”宮前小学校”がある住宅地です。

三津厳島神社1
祓川」の町名由来となったのが、上の画像の三津地区「神田町」にある”嚴島神社”(いつくしまじんじゃ)です。


”嚴島神社”は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある”厳島神社”を総本社とする神社で、全国に約500社があります。


三津の”嚴島神社”も古い歴史があり、元々は文武天皇の時代(7世紀後半)、東山の地(現在の古三津地区新屋敷方面)に神殿が新築されました。


その後、応仁元年(1467年)、湯築城にいた河野家宗家”河野通教”(こうの みちのり)と鋭く対立ししていた”河野氏”の分家”河野通春(こうの みちはる)が神殿を造営し、更に慶長7年(1602年)、現在地へ移転されました。

禊橋2
その”嚴島神社”の東側に南北に流れる宮前川に架かっているのが、上の画像の”禊橋”(みそぎばし)です。


”(みそぎ)とは神道用語(しんとうようご)の一つで、自分自身の身に穢(げが)れのある時や重大な神事などに従う前、又は最中に、自分自身の身を氷水、滝、川や海で洗い清めることを意味します。


祓川」の””(はらい)にも身を清めるという意味があり、”嚴島神社”前の宮前川で身を洗い清める”お祓い”をしたことに因(ちな)んだことが町名の由来となりました。


次回、第5回の”松山市の地名・町名由来”でご紹介するのは「別府町」(べふちょう)です。




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おはようございます♪

この宮前川のもう少し上流(総合公園近く)にカワセミがいて、
何度も通った事が有ります(^_^;)
川の名前なんて知らない事が多いけど、興味の有るものが関わると
覚えるものですね(笑)

今日は良いお天気です、早く用事を片付けて何時もの鳥撮りです(^_-)-☆

三津のあたりにも

ベル様
おはようございます。今日はお休みして、郷里の野村に帰っています。今から雑草対策です。

三津の方にもカワセミ君がいるんですねー。海に近いから、ちょっと発想できませんでしたが。

ワタシは仕事柄、河川の名前は覚えているのですが、それも次第に記憶が薄れてきています。

昨日と今日は「南予の歴史」の記事を書くために取材で帰っています。今日も何箇所か取材する予定です。お天気が良さそうですから、気分よく活動できそうですね、お互いに。^^

No title

禊とか祓とかちょっと禍々しい雰囲気のあまり地名向けとは言えない漢字で、色々と妄想が浮かんだりしますが、実際に住んでいる人もおられるのであまり無責任なコメントはするべきではないんでしょうねえ。
いかにも毛利氏と関係が深そうな厳島神社が1600年前後に三津で勢力を伸ばしているように見えるのは、小早川氏の入城と関連があるのでしょうか。こちらも妄想かもしれませんが。

嚴島神社

ファットマン様
三津に「嚴島神社」が出来たのは、記事でも書きましたように7世紀末ですから、広島を根拠地とした小早川隆景はまだ存在していませんでした。

ただ、前回「港山」の時に書きましたように、その当時勢力を確立していた湯月城の河野氏本家と、分家である河野通春が激しく争った主戦場がこの辺りでした。河野通春は、東山の地(現在の古三津地区新屋敷方面)から、わざわざ自分のお膝元である現在地に「嚴島神社」を移し替えたのは、自分の武運長久を願ってのことでしょう。ところがその願いも虚しく湊山で矢に当って戦死しました。

この地には実に多くの地が流された歴史があります。禊は意味があることではなかったのでしょうか。

小早川隆景の影は、この地を一瞬にして通り過ぎたに終わりました。小早川隆景も、豊臣秀吉にとっては戦の為の「駒」でしかなかったということでしょう。

No title

港山から渡し船で対岸へ渡り、住吉、祓川へ、子供のころよく遊びに行った場所でもあり、昔を思い出しながら記事を読ませてもらいました。
ところで、現在の地名が使われだした以前はなんと呼ばれていたのでしょうね。。ふと気になったりもしました(^^;

うーーーん

やきものがかり様
うーーん、意表を衝いた疑問ですねー。

実は、江戸期や明治期、更には昭和の時代に合併を繰り返しながら都市は育ってきましたので、その時代になりますと、〇〇町と△△町は合併して新しく□□町になったいう記録は多く残されています。
例えば、今の千舟町はそれ以前は四番町でした。これも江戸期の記録です。

ところが、もっと古い地名になると記録が残っていないケースがあったりして、文献に記録として残った地名を一番古い地名と言うしかない時代もあったと言う事でしょう。もちろん、その前から地名はあったのでしょうが、文字として記録に現れ始めた地名を一番古い地名としか言いようがないということです。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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