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「松山市の地名・町名由来」・ 「別府町」 5

松山市の地名・町名由来」の第5回目は、松山の西部にある「別府町」(べふちょう)をご紹介しましょう。

今日ご紹介する「別府町」は、”律令制度”の整備に関係した町名です。

日本で”律令制度”が始まったのは、645年の”大化の改新”以降とされていて、当時の中国””の制度をモデルにしたとも言われています。

律令制度”の根幹は、""(そ)という"口分田"(くぶんでん)からの収穫や””(よう)”調”(ちょう)という特産物、布、衣などを今の税金のように朝廷に納めることから成立っています。

また、土木工事や”官衙”(かんが)や”国衙”(こくが)などの地方役所の雑用を手伝う”雑徭”(ぞうよう)、その他”兵役”(へいえき)などに付くことが定められました。

これは”公地公民”(全ての土地と人民は公 - すなわち天皇に帰属するとした制度)の考え方による”班田収受法”(はんでんしゅうじゅほう)(戸籍・計帳に基づいて、政府から資格を得た貴族や人民へ田が貸し与えられる制度)を政治の根幹に置くと言う制度です。

つまり、土地は朝廷が人民に貸し与えるが、その代わりに”租庸調”や”雑徭”や”兵役”の義務を負わせるというものです。

別府町標識1
この画像は”別府集会所”に書かれている「別府町」(べふちょう)を示すものです。

上に書きました”班田収受法”(はんでんしゅうじゅほう)は直ぐに破綻しました。過酷な義務から免れたいために、多くの人々は、朝廷から貸し与えられた”口分田”から逃げだしたのです。当然、全国の田畑は荒れ放題になります。

そこで、朝廷は一時的に土地の私有を認めざるを得なくなりました。口分田は荒れ果てて、朝廷に税収が届かなくなったからです。

こうなりますと、有力貴族や寺院、有力農民が”荘園”(しょうえん)の開墾に力を入れ始めます。また開墾した”荘園”は、有力な貴族や寺院などに寄付し、寄付した貴族などに一定の年貢を納めて、朝廷への納税義務や兵役義務から免れるものが続出しました。

別府”は、その”荘園”に関係する地名です。つまり”別府”は””のことです。

”の””は””のことであり、その””とは朝廷に納める租税が免除されたことを示す”国司の約束状”のことを意味する言葉です。

愛媛では、松山に2ヶ所「別府町」(その一つは旧北条市)があり、今治にも「別府町」があります。みな同じ地名・町名の由来を持ちます。

今治にある「別名」(べつみょう)という地名も同じ由来です。

なお、今日は”律令制度”の概要を説明したためにやや難しい話になりましたが、実は松山には”律令制度”が整備される過程で付いた地名・町名が多いのです。これ以降は、”律令制度”の詳しい説明は省略します。

浄明院1
ただ、松山市のここ「別府町」(べふちょう)には、上に書きました由来以外に全く別の由来も言い伝えとして残っています。

それは、奈良時代、僧の”行基”(ぎょうき)がこの地を訪れたとき、”飯岡山”(いいおかやま)を見て”浄梵の霊地”(じょうぼんのれいち=きよらかな土地)であると思って、”浄明院”(じょうみょういん)を建てました。上の画像が、その”浄明院”です。

そして僧”行基”(ぎょうき)は、他の地とは違うという意味で「別府」(べふ)と名づけたといいます。

飯岡神社2
同じ”飯岡山”には”飯岡神社”も建っています。

浄明院”の住職さんにお話をお伺いすると、”飯岡山”一体が聖地で同じ山の山裾にお寺もお宮も建てられているそうです。

飯岡神社扁額3
上の画像は、”飯岡神社”の”扁額”(へんがく)です。

飯岡山4
そして、上の画像が”飯岡山”です。位置的に言いますと、”松山市市民運動公園”の南東部に間近に見られる山です。

この画像は、県道砥部伊予線沿いにある”スーパーセブンスター別府店”の駐車場から南西部に見える”飯岡山”です。

なお全国的に見た「別府」という地名の由来は、荘園の租税を特別扱い(寄進した神社仏閣や貴族には年貢を払う代わりに、朝廷からの税や兵役負担は免状される)にすることを表す””に由来します。

ですから、松山市のここ「別府町」(べふちょう)の由来が””であるのか”飯岡山”にあるのかの真偽はワタシには分りません。

また、「別府」は、”べっぷ”とも”べふ”、更には”びょう”とか”びゅう”と読む地名もあります。

読みでは「べふ」が最多で、兵庫県に集中しているそうですが、地名「別府」は全国19道府県に散在しています。

その中で、全国で一番名が通った所は大分県の「別府市」(べっぷし)でしょう。

大分県の「別府市」は、宇佐八幡宮(皇室の崇敬をうけていた有力な神社)の荘園があったところで、石垣荘と称していたものが、鎌倉時代に豊後の国の国司が「」にしていたという記録があることによるといいます。

」が「」となって地名として今日に残ったことになります。

次回の”松山市の地名・町名由来”は第6回目、「斉院町」と「垣生町」を採り上げます。



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こんばんは♪

じゅん様からの返信にコメントさせて頂こうと思いましたが、日曜日はゆっくり休んで頂きたかったので遠慮しました(^^)

福岡市城南区に別府と言う地名がありますが『べっぷ』と読まず『べふ』と読むんですよ。
じゅん様ならご存知かもしれませんね(^^;

福岡は変わった読み方をする地名があるので、福岡に来た当時は不思議だらけでした。
今でも知らない地名があったりします(>_<)

松山から福岡に来てる方が周りにいます(^^)
仕事関係の方と話している時に松山出身って聞くと親近感が湧きます♪

次回の斉院の話、楽しみにしています♪
北斉院に住んでた方が知人にいます。
『さいいん』と書いて何て読む?と、聞かれ『さや』です♪と自信気に答えましたよ(^-^)v

太宰府も道後と縁があるとは知りませんでした(^-^;

優しいご配慮を

博多っ子様
お早うございます。そしてコメントと、そのタイミングに関するお優しい配慮に感謝いたします。

さて、福岡市城南地区には2ヶ所の「別府」がありますね。福岡県全体では8ヶ所の「別府」がありますが、その中の築上郡吉富町にある「別府」だけは「びょう」と呼びます。残りは全て「べふ」と呼びますね。つまり、愛媛県の「別府」も福岡県の「別府」も、ほぼ同時期に田園として発達していた歴史を持ち、その地名の由来も時代も同じだということです。

この様に、「地名の由来」というキーワードで都道府県を眺めてみますと、全く違った景色が見えてきます。そこが歴史の面白いところではないでしょうか。
「斉院」という地名も、福岡県にあったとすれば由来は同じでしょう。

最後に「菅原道真公」に由来するエピソードは、道真公が京から大宰府に送られたその行程にあたる地方には多く残されています。地域の人の道真公に対する尊敬の念がそうさせたのですね。お楽しみにお待ち下さい。

こんばんは♪

じゅん様、詳しくご説明して頂いてありがとうございます(^^)

今まで同じ地名があるのは単なる偶然と思っていましたが、ちゃんとした理由があって付けられた事を知りました。

漢字が同じでも読み方が違うのも驚きです。
日本史を真面目に勉強しておけば良かったと後悔しています(>_<)

じゅん様の知識の豊富さに驚いています! 尊敬しています(^^)
たくさん色々な事、教えて下さいね!

次号も楽しみにしています♪
じゅん様に比べて薄っぺらいコメントで申し訳ありません(^-^;

ただ好きなだけです

博多っ子様
一つの記事で複数のコメントをいただき、ありがとうございました。

博識というわけではなく、先ずは好きな分野であることだからでしょう。
第一、つい先ほど起こったことは直ぐに忘れてしまう癖に、中学校や高校で学んだことは不思議に覚えています。これも好きだからでしょう。

また、一つのシリーズ(歴史物)を書こうと思いますと、事前に徹底的に勉強します。それが楽しいのです。勉強すればするほど、歴史が横と縦に広がっていきます。

日本の学校教育に於ける歴史分野で言えば、歴史を縦軸でしか教えません。そこが決定的な欠点だと思うんです。歴史は横に広げて考えてこそよりリアルに迫ってきます。

私が書く歴史シリーズは、縦軸に横軸を加える視点、それを意識して書いております。一度そういう目でもご覧になっていただければ嬉しいです。

なるほど~

おはようございます♪

確かに授業で教わる歴史は縦の流れだけですね…
じゅん様のように縦の流れだけではなくて違う目線から見る事は想像もしてなかったので、とても尊敬しています!

いくつになっても勉強する事は大事ですね(^^)
いつまでも好奇心を失わず毎日を過ごしていきたいと思っています♪

今日もがんばろ~(^^)/





この地名シリーズも

博多っ子様
地名シリーズも、横に横に広げようと意識して書いています。

横に広げていくと、横移動した先にも縦軸の歴史があります。

歴史を点の連続だと捉えようとすると、記憶を競うだけのつまらない分野になってしまいます。

点と点を結んで考えてみると線としてつながります。その線の縦軸の歴史を遡って、その辺りの景色を想像してみると、初めて歴史が立体的に捉えられます。

幾つになっても好奇心は失いたくないですね。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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