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「松山市の地名・町名由来」・ 「御幸・一草庵」 12

松山市の地名・町名由来」の第12回目は、松山市中心部に近い北部にある「御幸」(みゆき)と、「御幸町」にある”一草庵”(いっそうあん)をご紹介しましょう。


先ず”御幸”(みゆき)という地名は、松山の地名の中でも最も古い地名の一つです。


つまり”御幸”(みゆき)というのは、639年に”舒明天皇”(じょめいてんのう)が道後温泉を”行幸”(ぎょうこう=天皇が外出すること)された時、現在の”御幸町”を”行在所”(あんざいしょ=天皇が外出したときの仮の御所)としたことから付いた地名です。

御幸町標識1
上の画像は、現在の”御幸”の地名を表わす標識です。なお「御幸」も町名の最後に””がつかない町になり、1丁目と2丁目があります。


いきなり”舒明天皇”(じょめいてんのう)と言われても、馴染まないかも知れませんが、”推古天皇”の次の世代”聖徳太子”の更に次の世代の、日本の第34代天皇のことです。

御幸寺
上の画像が”御幸”にある”御幸寺”(みゆきじ)です。


この寺は、もともと”三木寺”(みきでら)というお寺でしたが、”舒明天皇”の”行幸”を機に”御幸寺”(みゆきじ)と改名し、それがこの地を”御幸町”と呼ぶようになった由来です。


当初の御幸の読み方は”みき”と言っていましたが、次第に”みゆき”に変わっていったのだろうと言われています。

一草庵2
さて、上に書いてきた”御幸寺”(みゆきじ)の境内に”一草庵”(いっそうあん)が建っています。


この”一草庵”が、”放浪の俳人”として有名な”種田山頭火”(たねだ さんとうか)の終焉の地であることは、ご存知の方も多いと思います。


ところが、”種田山頭火”や”一草庵”の名前は知っていても、それがどこにあって、現在はどういう状態で保存されているかを知っている方は、松山在住の方でも意外に知られていないかも知れません。

一草庵とお城3
上の画像は、”一草庵”から”松山城”を臨み見た光景です。”種田山頭火”は終生、この風景を愛しました。


種田山頭火”は明治15年(1882年)に、山口県佐波郡西佐波令村(現在の防府市)に生まれました。


本名は”種田正一”(たねだ しょういち)です。近隣でも有名な大地主の家に生まれました。ところが、地租改正条例など時代の大変革の波に飲まれて、”種田家”は一気に衰退していきました。


おまけに、父の政治好きや女道楽で”種田家”は崩壊してしまったのです。

一草庵扁額4
さらに、それに追い討ちを掛けるように”正一”少年が11歳の時に、母が自宅の井戸に身を投げて自殺すするという悲惨な状態を迎えました。


この悲惨な出来事は、正一少年の生涯を左右する出来事となりました。


種田山頭火”55歳のときの日記に「ああ、亡き母の追慕!私が自叙伝を書くとするならばその冒頭の語句として   私一家の不幸は母の自殺から初まる」と記しています。



種田山頭火は、早稲田大学をノイローゼ状態となって中退し、防府市に帰り結婚し一児を得ますが、彼自身が酒に溺れ、破産し妻とも離婚します。


ところが縁あって出家得度(しゅっけとくど=世俗社会から離れ、僧になること)し、放浪の旅に出ます。

一草庵室内5
そして、彼が終焉の地として選んだのがここ松山の、”御幸寺”が納屋として使っていたこの”一草庵”でした。この一草庵が、彼の終(つい)の住みかとなりました。


ひょいと四国へ晴れきってゐる」”種田山頭火”が、松山に居を構えた時の句です。


”種田山頭火”が敬愛する”自由律俳人”野村朱鱗洞”(のむら しゅりんどう)の墓参を願った松山で、高橋一洵(たかはし いちじゅん)や藤岡政一(ふじおか まさいち)など多くの俳友に温かく迎え入れられ、放浪の旅を締めくくる幸せに恵まれました。

山頭火6
この画像が、”一草庵”に飾ってある”種田山頭火”です。


彼の終(つい)の住みかとなった”一草庵”入居第一句は、「おちついて死ねさうな草枯るる」でした。


享年59歳、山頭火の望みどおりの「コロリ往生」でした。


次回の13回目の「松山市の地名・町名由来」は、「東雲町」(しののめちょう)と、”立花”(たちばな)をご紹介しましょう。



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知識が豊かに!!!

じゅん様

”御幸町”を”行在所”(あんざいしょ=天皇が外出したときの仮の御所)とした。
なんと由緒ある地名でしょう

松山には歴史上の人物に近しい方が沢山いらっしゃいますから
じゅん様のリポートを拝見するたびに松山が一歩ずつ近づいてきました。

ありがたい

ぴんくモッチー様
違った分野の記事にまでコメントいただき、恐縮です。

松山は歴史ある町なので、随分古くから記録として残っています。私はそういう専門家ではありませんが、やはり自分が住んでいる町について、もっともっと知りたいと言う好奇心で書いております。

調べていますと、住んで居ながら今まで知らなかったことの何と多いことか!自分で自分を呆れています。ここは徹底的にこのシリーズに拘って書いていきたいと考えています。
コメント、ありがとうございました。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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