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「松山市の地名・町名由来」・ 「正円寺・伊台町」 16

松山市の地名・町名由来」の第16回目は、「正円寺」(しょうえんじ)と「伊台町」(いだいちょう)の町名由来をご紹介しましょう。


この二つの町名を同時にご紹介するのは、何れもそれぞれの地にある”寺院”が町名の由来となっているためです。


先ずは、松山市の東部にある「正円寺」(しょうえんじちょう)です。なお「正円寺」も町名の最後に””が付かない町となり、1丁目から4丁目まであります。

正円寺バス停19
上の画像は、「正円寺」の町名が付いた伊予鉄バスのバス停標識です。


正円寺」と言うのですから、どなたでも容易に町名由来は”正円寺”という寺院名ではないかと想像が付くと思います。


ところが、では今の「正円寺」のどこに、由来となったであろう”正円寺”があるのか?をご存知の方は少ないと思います。また、現に「正円寺」にお住まいの方でも、最近お住まいになられた方はご存じないと思います。

由来となった”正円寺”は、正円寺1丁目にありますが、県道からちょっと西に入っているので見つけにくいかもしれません。

正円寺山門
この画像が現在の”正円寺”山門です。


場所は、久米の八幡神社から石手寺に向かう県道松山東部環状線沿いにある”伊予銀行東野支店”の南側の住宅地内にあります。画像の”正円寺”が今の町名の由来となったお寺です。


この「正円寺」は江戸時代”松山城”の初代藩主”加藤嘉昭”の庭園があった地域で、今でも古い建物が多い地域です。


正円寺の山門”は、”加藤嘉昭”が松前から松山に移った際に寄進したもので由緒ある寺院ですが、今では往時(おうじ=昔の)の面影はありません。


またこの”山門”が当時のままのものか、再建されたものかは分かりません。なお、本堂や庫裏(くり=寺院の僧侶の居住する場所)は昭和48年に再建されたものです。

伊台町町バス停21
さて、次は「伊台町」(いだいちょう)です。上の画像は「伊台町」の町名を示す伊予鉄バスのバス停標識です。「伊台町」は、現在「上伊台町」「下伊台町」に分かれています。


この「伊台町」の由来には、諸説あるといいます。


その諸説の一つに、ここ「伊台町」にある”薬師如来”を祀った”西法寺”(さいほうじ)がありますが、その”薬師如来”の台座を”医王の台”(いおうのだい)ということから「伊台」になった説があります。


その他にも、天正年間(1573年から1592年までの期間をいい、時代は室町時代から戦国時代初期)この地を統治していた、伊代伊左衛門(いだい いざえもん)の名前を採って”伊代”から”伊台”になったという説もあるそうです。

ただ歴史的常識から言えば、”在地姓”(ざいちせい=自分が所在していた地名を、自分の姓とした)を踏まえて考えますと、”伊代伊左衛門”も「伊台町」に居たから自分を”伊台姓”で名乗ったと考えるほうが自然でしょう。

伊台町町西法寺22
そして上の画像が、「伊台町」の由来になったと言う説がある”西法寺”(さいほうじ)です。

この”西法寺”は歴史と由緒がある寺で、この寺が開かれたのは平安時代のことです。今からおおよそ1000年も前のことです。

当時は、今”西法寺”がある位置から約2kmも山奥にあって、七堂伽藍(ひちどうがらん=寺院の主要建物群が7棟あったという意味)と22の支院を要する一大精舎(いちだいしょうじゃ=寺院・僧院のこと)でした。

ただ、度重なる戦火に焼かれ、戦国時代末期に子院の一つ十蔵坊があったこの地に移転されたものです。


次回の「松山市の地名・町名由来」の第17回目は「居相」をご紹介しましょう。



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おはようございます♪

自分の生活圏の地名は興味惹かれますね。
今日の伊台などは、葡萄を購入する時に行った事が有るぐらいで、
正円寺は全く知りませんでしたね(^_^;)

次回の居相は、24歳の頃から8年ほど住んで、
楽しい子育て期間を過ごした場所です。
借り上げ社宅でしたが、民間の家だったので広かったです。

その後は西石井に引越し、約11年間・・・
ココも民間の家を借り上げてもらってました。

定年後香川へ帰り、母親の家を建て替えて暮らす予定でしたが、
認知症の母親を引きとった為に、香川へ帰る必要がなくなり、
リフォーム増築して現在に至ります。

子供達にとって松山は離れられない地なので、一番長く暮らした松山を
終の棲家としました(*^^)v

住めば

ベル様
昨日は、久しぶりに南予の実家に帰りました。人が住まなくなると、いけませんね。また雑草天国に。野村には、子供の頃に5年間しか住んだことがないので、余り馴染みがなく。

香川から愛媛に来られて、今は松山の人になられた。住めばそこが馴染みになりますものね。私も松山での生活が人生のほとんどです。

そして、松山は城下町なので、城下町らしい地名があちこちに残っていることに気が付いたのが「松山の地名 町名由来」を調べるきっかけでした。次回は「居相町」古いいわれがある町です。

おはようございいます

正円寺の山門は嘉明が正木城から移設、寄進したとのことで、正円寺自体は古くからこの地にあるのでしょうね。

嘉明の松山進出の影響で、松前や伊予市にはいまだに松山市松前町や木屋町にあるお寺の檀家という家がたくさんあるんですよ。

正円寺

ファットマン様
お休みの中、コメントありがとうございました。

当然、「正円寺」の縁起を調べましたが、遂に分かりませんでした。
正式な寺院名は、「真言宗豊山派 宝林山 正園寺」で、京都の長谷寺を総本山とする寺院です。

しかし、現在祭祀を行う本堂などの建物は残っておらず、立派な山門と庫裏などが僅かに残っているだけです。画像の山門がある方向から見なければ、ここが寺院だとは見えません。

でも、加藤嘉明がワザワザ山門を寄進したくらいですから、当然に歴史と由緒あるお寺だったのでしょうね。

それと、現在の松前町と伊予市の方の菩提寺が松山の馬木町や木屋町に多いというのは面白いですね。加藤嘉明の影響は、伊予国中部に今持って色濃く残っていますね。嘉明が精魂を傾けて松山城を築いたことを感じさせてくれます。

No title

私の母の実家(伊予市)の菩提寺は木屋町にあって、祖母が「前は近かったけど、お寺さんが引っ越して遠くなったんよ」と言っていました。
大きくなってから、その引っ越しというのが400年前加藤嘉明の命によるものと知ったときはびっくり仰天しましたよ。

No title

前のコメントもワタクシです。すみません。

昔は

ファットマン様
江戸期以前は、それぞれの地域を支配ていた者がよく変わっていたので、時の支配者の都合で地域の菩提寺自体を動かしたという記録も多く残っています。
中には、その村落の庄屋クラス(実質支配者)が、自分の都合で菩提寺を変えたので、法事に行くのが遠くなってしまったという例も南予にあります。

そして、その事も含めて時の庄屋の圧政を領主に訴え出るという、一種の一揆すらも起こった記録が残っています。(今の伊方町)

ですから、ましてや他国から乗り込んできた新領主の力は絶大なものだったんでしょうね。

そういう歴史に埋もれた出来事や事件、事実を現代になって見聞きすると、それはたまげますよね。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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