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「松山市の地名・町名由来」・ 「星岡町・天山町」 18

松山市の地名・町名由来」の第18回目は、前回にご紹介した「居相町」の近くにある「星岡町」(ほしおかまち)と「天山町」(あまやままち)の町名由来をご紹介しましょう。

なお不思議な事にこの二つの町は、「星岡町」(ほしおかまち)と、「星岡1丁目~5丁目」と二つの呼び名に分かれています。「星岡町」という町は、国道33号線をまたがって、国道の西と東に広がっています。

また「天山町」(あまやままち)も、それとは別に「天山1丁目~3丁目」という別の地域があります。なぜこうなったのかは分かりません。恐らく、人口の拡大に継ぐ拡大で、急遽”丁目”が付く町を作ったのでしょう。

なお、松山市には上の様に元の町名と、元の町名の””という表記を外してその後に”丁目”が付く町名が並存しているところが全部で11ヶ所もあります。

それぞれ元の町名を揚げますと、上の2つの町名以外に「今在家町」・「祝谷町」・「小栗町」・「竹原町」・「畑寺町」・「古三津町」・「南江戸町」・「室町」・「山越町」です。


ここでは便宜上「星岡町」と「天山町」を採り上げます。

星岡町標識1
先ずは「星岡町」(ほしおかまち)です。

なお、現在の町名の呼び名は「星岡町」(ほしおかまち)ですが、かつては”天山”の一部に属していた時期もあって、その当時は”ほしのおか”と呼ばれていました。今でも地元の人に中には”ほしのおか”と呼ぶ方もいらっしゃいます。


さてその「星岡町」は、この地域が五つの丘から成り立ち、その様が星の形に似ていることからこの地名になったといいます。

星岡2
でも不思議ですね、その話。上の画像は、石手川沿いに立つあるマンションの10階ベランダから”星岡山”(ほしおかやま)を含む五つの山(丘とも言えます)を臨んだものです。

山(又は丘)が五つ、星の形に点在していると見えるのは、かなりの高度から見ないと分からないことです。

最低、ヘリコプターで上空を飛んでみないと”星の形”には見えないでしょう。昔の人は、この”五つの山(丘)”をどうやって眺めて”星の形”だと見たのでしょうか?

でも、コレぐらいで不思議がっていてはいけないのかも知れません。と言いますのは、南米はペルーにある有名な”ナスカの地上絵”です。

サルやリャマや魚の形をしたり、”ハチドリ”の絵など、かなりの上空から見なければ何の形なのか判別が付かないものばかり。

人間は、昔からとてつもない力や想像力を持っていたと考えるほうが却って自然かも知れません。

星岡山3
この画像が「星岡町」の中心を占める”星岡山”(ほしおかやま)で、標高74mです。

この周辺は愛媛でももっとも初期に古代文化が興った場所のひとつで、天山・星ノ岡古墳群と呼ばれ、土器や銅鏡・鉄剣など多くの出土品が発見されています。

上の画像は、”星岡山”の南の麓にある”雲門寺”(うんもんじ)を臨んだ画像です。画像の道路の一番奥に”雲門寺”があります。

雲門寺”の側の山頂近くには”岡薬師堂”があります。更に岡薬師堂の奥にある山頂には、鎌倉幕府終焉のきっかけともなった”星岡古戦場”を記念した石碑が建っています

鎌倉時代末期(何北朝に分かれていた時代)、この地方の豪族(この時代は河野氏が守護大名でした)も天皇側と幕府側に分かれて血で血を洗う激しい戦乱に巻き込まれました。

その時の主戦場が、愛媛に於いてはここ”星岡山”だったのです。この闘いで河野一族の土居道増 (南土居)と得能道綱(丹原)が天皇側に付き、結局天皇側が勝ったので”鎌倉幕府”は終焉を迎えました。

そういう日本の歴史の流れを変える大きな闘いが、この地であったことを知らない方は多いでしょう。

天山町標識4
さて、話を「天山町」(あまやままち)に進めましょう。上に書いた「星岡町」も関係する話です。

伊予風土記”の逸文には「天から山が降ってきて、一つは奈良の”天香具山”(あまのかぐやま)、もうひとつが伊予の”天山”になったという記録が残されています。

奈良の”天香具山”は、”大和三山”の一つで、他には”耳成山”(みみなしやま)と”畝傍山”(うねびやま)です。中学校の歴史で習ったのでは?もう忘れました?ワタシは最近のことは直ぐ忘れるのですが、昔習ったことは覚えている性質(タチ)です。

特に”天香具山”では、神話時代の神々がこの山で様々な合議をしていたなどの話が残っています。

なお、奈良の大和の”大和三山”に比して、伊予には”伊予三山”が存在していて、北に”天山”、東に”星岡山”、西に”東山”があります。その中を小野川が流れていて、政治をするには絶好の地形だったのです。

この地が、農耕に適し優れた土地であったことを示しています。

天山神社石段2
さて、この”天山”の山頂に”天山神社”があることをご存知の方は、地元の方ぐらいに絞られるでしょう。

国道33号線の天山3丁目にある四国電力天山変電所から東に進んで突き当たった山が”天山”です。”天山”の西側に”天山神社”に至る急な石段があります。

上の画像がそれです。このシリーズも18回目を数えますが、取材は実に大変なんです。記念になる神社仏閣は、ほぼ例外なく山頂にあります。そこを喘ぎながら歩いて上らなければ取材にはなりません。

天山神社3
この画像が、”天山神社”社殿です。ここには”天照大神”(あまてらすおおみかみ)と”天櫛真智命”(あめのくしまちのみこと)が祀られています。

”天櫛真智命”(あめのくしまちのみこと)というのは聞きなれない名前かもしれませんが、鹿の骨を焼いて占う”太兆”(ふとまに)を始められた”卜占”(ぼくせん=うらない)の神様だそうです。

天山香具山交流碑4
この画像は、奈良の”天香具山”と伊予の”天山”の起源伝承が同じであることから、お互いに交流を持たれておりその”交流20周年”を記念して立てられた石碑です。


多分、松山のお住まいの方で、この地の”天山”と、奈良大和の”天香具山”の起源伝説が同じであり、互いに交流をされていたことをご存知の方はゴク少数でしょう。

かく言うワタシも、今回の調査で初めて知りました。

天山から市内5
奈良の大和は、日本の朝廷の起源を語る上では欠かせないところです。


つまり神話の時代から、史実として記録が残っていて様々な伝承が確認できる時代に至る狭間(はざま)で、重要な役割りを果たしたところが”奈良大和”です。

実は来週、弟の長男(ワタシにとっては甥)の結婚式が京都であります。ワタシは松山から、妹は千葉から参加します。そして結婚式の後、兄弟妹の3人で京都と奈良を旅する予定です。

兄弟妹の3人だけで旅をするのは初めてです。昨年と一昨年に相次いで父母を亡くしましたので、残された兄弟妹の3人水入らずで子供の頃に帰って4泊5日の旅です。

その時、大和(奈良)も訪れて”天香具山”の姿も見に行く積りです。その準備を兼ねて、松山の”天山”に登ってみたという訳です。

こうやって、その大和の伝承に思いを馳せながら松山市内を”天山神社”から眺めていますと、自分がその時代にタイムスリップして吸い込まれるような錯覚を覚えました。

歴史を身近に触れることの意義が、そこにあるのではないかと思った瞬間です。



次回19回の「松山市の地名・町名由来」は、「桑原」をご紹介します。




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おはようございます

星岡の地名が、5つの山が星の形に並んでいることに由来するというのがとても興味深くて、今グーグルマップで見てみましたら、なるほど現在の松山幼稚園のあたりを中心にして天山を含むいくつかの丘が取り囲む形になっているんですね。その中を小野川が蛇行しながら流れていて。なんだか古代のロマンを感じますねえ。
天山と天香具山が同時に天から降ってきて分かれたという話は以前耳にしたことがあって、こちらも愛媛の歴史はどれだけ古いんだろうという感慨に駆られます。だいぶ前ですけど天山神社にも登ってみたことがあります。

歴史ロマン

ファットマン様
そうなんですか、グーグルマップで上空から見る!それって、ちょっと気が付きませんでしたねー。
私も早速、同じ方法で5つの山(丘)の位置を確認してみます。

記事を書く前にその発想があれば、もうちょっと違った書き方が出来たのかも知れませんね。いいヒントになりました。

天山の伝説を以前聞いたことがある!しかも天山神社にも登ったことがある!
さすがファットマンさんですねー。私は今回調べる前までは、そういう知識はありませんでした。

でも、このシリーズを書き始めて、色々なことを自分の知識とすることが出来て、良かったと思っています。
貴重なヒントとコメント、ありがとうございました。

こんにちは

じゅん様

甥御さんのご結婚おめでとうございます。仲の良い弟さんのお子さんとなれば嬉しさもひとしおでしょうね。

今回の町名由来はなかなかロマン溢れる内容でしたね。こんな雅な由来とは全く知りませんでした。

このシリーズで私がいつも気になるのが「町」の読み方です。
私の地元では「ちょう」と読む場合が多く、間違って「~ちょう」と思い込んでいる場合があります。「まち」と読むと知ると「あぁそうだったのか」と驚きます。まさに今回の2つの町がそうでした。
松山では「まち」が主流なのだと思いきや、たまに「ちょう」と読んでいたりで全然慣れません。こんな事で戸惑っている人は少ないかもしれませんが(^_^;)

来週はご兄弟妹水入らずでご旅行とは素晴らしいですね♪
香具山と言えば「春過ぎて~」の一首があまりに有名ですが、夏に行かれるならぴったりかもしれません。
盆地の夏は暑いと聞きますが、思い出深い良いご旅行になりますようお祈りしています。

ちょうと、まち

百蔵様
おやおや、お久しぶりですね。でも、もう驚かなくなりました。ずっと、謎の人物だったので、コメントいただく度に、誰なんだろう?っと、そればっかりを思っていましたので。

さて、甥っ子の結婚の事でお祝いの言葉、ありがとうございました。妹は1学年年下ですが、弟はかなり年が離れていますので(何歳離れているかは、今回弟に聞いてみようと思っております)、今となっては私が親代わりということになります。でも、3人とも性格が全く違っていて、却ってそれが仲が良い原因かも知れません。奈良と京の都を楽しんできます。帰った時、その歴史ロマンの経験が、記事に反映出来ますかどうか?

さて、「ちょう」と呼ぶのか「まち」と呼ぶのにつきましては、このシリーズを書くときに一定のルールを自ら決めました。そのルールにつきましては置いておくこととしますが、私はある基準と記載を元に「ちょう」と「まち」を意識して区別して書いております。なぜそう呼ばれるようになったのかは、現時点では分かっていない町名のほうが多いですね。

松山市は周辺の村を呑み込んで合併に継ぐ合併を繰り返して来ましたので、合併を経て出来た町名の呼び名は分かるのです。ところが、それ以前からある町名については、一定の法則などはなく、慣習によるものだと思いますが、それぞれの根拠は分かりません。

さあ、暑い暑い旅になると思います。老骨に鞭打って楽しんで参ります。^^

おめでとうございます。

じゅん様

このたびは弟様のお子様が京都でのご結婚されるとのことですねー。
心からお喜びだと思います。

ご両親を亡くされて、なおさら嬉しさもひとしおですねー。
ご結婚式の後、ご妹弟との4泊5日の旅を満喫してきてくださいねー。
きっとご両親もお喜びと思います。

町名の呼び方ですが、所変われば品変わるではありませんが関東地方では私の勘違いかもしれませんが、例えば東西南北の後、東町(ひがしちょう)西町(にしちょう)、南町(みなみちょう)北町(きたちょう)というふうに、ちょう、と呼ぶことが多いように思います。

不思議ですねー。
私の勘違いでしたらm(_ _)m

身近な所ではのことです

でも、歴史を紐解けばどこかで、繋がりがあるものなんですねー。

大和の旅、今からワクワクでしょうねー。
お話も尽きないでしょうねー。

お気をつけていってらしゃいませ。

ありがとうございます

ぴんくモッチー様
お早うございます。そしてお祝いの言葉、どうもありがとうございました。
昨年夏、父と母の納骨を同じ日に済ませて(亡くなったのは1年違いですが、母は献体していましたので、遺骨が帰ってきたのは丁度父が亡くなった直ぐ後でした)、3人で父が赴任していた学校がある高原にドライブしました。

そうしますと、今まで弟とは余り話したことがありませんでしたが(年が離れていますので)、3人の話題は尽きることがなく、車中でワイワイガヤガヤゲラゲラ、それは騒々しいドライブとなりました。その時です、父の一周忌が終われば3人で旅しようという話が出たのは。

そこで、大阪に住んでいます弟が綿密にスケジュールを組んでくれて宿泊などの世話も一手に引き受けてくれました。弟は教師をしていますので、夏休みや冬休みになると、両親を車に乗せて全国を旅してくれていました。

父と母が亡くなりますと、今度は年の離れた私と妹が恐らく両親代わりになったのでしょう。イソイソと準備をしてくれました。妹と私は何も考えず、弟に手を引かれるように旅するばかりです。

古都の京都と奈良で歴史ロマンを感じ取れたらいいな!って思っているところです。
コメントありがとうございました。

天山

昔松山の天山に住んでいた事があって、一度だけ星ケ岡温泉に行った事があり、その時読んだ由緒書きの立札の内容が気になって検索してました。ほどすぐこのブログの記事が見つかり、詳しくも楽しく説明していただいていて疑問が解けて嬉しく思いました。FBで紹介させていただきたいのですが、宜しくお願いします。(*´◒`*)

松本さま

松本さま
初めてまして、じゅんの娘のSacHiと申します。
このブログにたどり着いていただいたこととても嬉しく思います^^
父 じゅん は前日亡くなってしまいましたが、良かったらFBへ投稿してあけでください。父も喜ぶと思います!!


SacHiより


> 昔松山の天山に住んでいた事があって、一度だけ星ケ岡温泉に行った事があり、その時読んだ由緒書きの立札の内容が気になって検索してました。ほどすぐこのブログの記事が見つかり、詳しくも楽しく説明していただいていて疑問が解けて嬉しく思いました。FBで紹介させていただきたいのですが、宜しくお願いします。(*´◒`*)
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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