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「松山市の地名・町名由来」・ 「姫原」 27

松山市の地名・町名由来」の第27回目は、古代の記録”古事記”に因む「姫原」(ひめばら)の町名由来をご紹介しましょう。

なお今の「姫原」は、下に町が付かず1丁目から3丁目まである町になっています。

姫原公民館1
上の画像は「姫原」の公民館。

ここ「姫原」は、”木梨軽太子”(きなし かるのみこ)と”軽大郎女”(かるのおおいらつめのみこ)の”悲恋物語”が町名由来といわれています。

古事記”(こじき)は、日本最古の”歴史書”と言われ、712年(和銅5年)に天皇に献上されたと言われますが、歴史的事実を集めたというより、天皇と祭神を結びつけ、天皇の権力の正統性を証明するために書かれたものという見方もあります。

その”古事記”に拠りますと、”軽太子”(かるのみこ)は”允恭天皇”(いんぎょうてんのう)の皇太子でした。

木梨軽太子”(きなし かるのみこ)は、天皇系図で言えば第19代天皇とされる”允恭天皇”の第一子です。允恭天皇には全部で9人の子供がいました。

この”軽太子”(かるのみこ)に”軽大郎女”(かるのおおいらつめのみこ)という妹がいました。

” 軽大娘皇女”は(かるのおおいらつめのみこ)允恭天皇の第二皇女です。

軽大郎女”(かるのおおいらつめのみこ)の肌の美しさは特別で、着物を着ていても内側から輝きを発したと伝わっています。

軽之神社入り口2
その美しい”軽大郎女”(かるのおおいらつめのみこ)に恋してしまったのが、兄の”軽太子”(かるのみこ)です。

この当時、異母兄妹の結婚は許されましたが、同母の兄と妹は当然に結婚できません。禁断の関係に陥ったのです。

当然に、罪を得ることを覚悟の上のことです。遂に二人の関係は隠しきれないものとなりました。人々から非難されることとなったのです。

天皇後継者も”軽太子”(かるのみこ)から、弟の”穴穂御子”(あなほのみこ)に代わるという事態に、”軽太子”(かるのみこ)は兵を起こし失敗します。

軽太子”(かるのみこ)は捕らえられ、”伊余の湯”(いよのゆ)(現在の道後温泉)に流罪となりました。

当時の伊予は”伊余”と書かれていたと”古事記”には記されていますし、罪人の流刑地に選ばれる程の辺境の地だったんですね。

軽之神社3
軽太子”(かるのみこ)は悲嘆の内に、伊予に流されますが、その時”軽大郎女”(かるのおおいらつめのみこ)に、自分の思いのたけを””(和歌)に託して届けさせました。

軽大郎女”(かるのおおいらつめのみこ)とて、兄に対する思いは同じです。”軽太子”(かるのみこ)のいない京での生活など考えられない、との思いを抱いていました。

そして遂に京を逃げ出し、兄の”軽太子”(かるのみこ)を追って”伊予”に入り、二人はこの地で心中し果てました。

その”軽大郎女の名前に因んで名づけられたのが、画像で示した”軽之神社”(かるのじんじゃ)の脇にある”姫池”(ひめいけ)です。

悲恋に終わった二人を偲んで建てられたのが、画像の”軽之神社”です。

軽之神社扁額4
そういう悲恋物語がこの地に伝わっていますが、その二人を偲ぶ神社が”軽之神社”(かるのじんじゃ)であることをご存知の方は多くないかも知れないですね。

第一”姫池”の土手の上に、”軽之神社”があることすら知らない方が多いでしょう。

なお、どういうわけか”軽之神社”は安産の神様ということになっているそうです。

この近くに”姫山小学校”が新しく出来ています。そこに集う児童達に、この地名の由来を教えることは難しいかも知れませんね。

姫池6
この画像の池が、”軽大郎女の名前に因んで名づけられた”姫池”です。

そしてそれが「姫原」の町名由来となりました。

画像の池の向こうの土手の中央付近に、赤い屋根が見えると思いますが、それが”軽之神社”です。

この地以外にも、同様の言い伝えが残っているところもあり、その伝承が事実かどうかは今は知る由(よし)もありません。

比翼塚7
なお、この”姫池”から100mほど山に入りますと、”比翼塚”があります。

上の画像がそれです。

この”比翼塚”は、別名”姫塚”とも呼ばれますが、室町時代に作られたものだそうです。

比翼塚8
この画像が、悲恋に終わった兄妹を悼む二つの”輪塔”です。

現在でも、ここをお参りする人は後をたちません。

ちゃんとお供え物やしきびなどがお供えしてあります。室町時代から連綿と続いているこの地の伝統でしょうか。

比翼塚からの眺望9
比翼塚”から見た、西の方角の風景です。

二人は、この地に立って(実際に立ったかどうかは定かではない)この画像の右手を仰ぎ見たのかも知れません。

右手の方角に、二人が生まれ育ち、幼き頃は手に手を取り合ってじゃれあいながら遊んだ””での記憶が蘇ったでしょうか。

その兄妹の無邪気な遊びが、何時のころ命に代える恋に変わっていったのでしょう。

今日は”古事記”に事寄せて、古代の”悲恋とロマン”をご紹介しました。



なお次回の”松山市の地名・町名由来”シリーズ第28回目は、「小野町」をご紹介します。この「小野」という地名由来も、今日の「姫原」同様に大変古いお話が残っています。



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プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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