県外特別編・奈良「三輪そうめん 山本」・「愛媛グリメ紀行」 579

今日は、毎週土曜日にアップしています”愛媛グルメ紀行を振り返る”シリーズをお休みします。

そして、”県外特別編”として奈良県桜井市箸中にある「株式会社三輪そうめん山本」さんの本社内にある”麺ゆう館”でいただいた”三輪そうめん”(みわそうめん)をご紹介しましょう。

一昨日と昨日に2軒連続で”そうめん”のメニューをご紹介しました。一昨日の8月15日には””北斗七星”さんで使われている”三輪そうめん”のことに触れ、その中で”三輪そうめん山本”さんの事にも触れたばかりです。

また昨日の8月16日には、寛永12年(1635年)の創業(創業以来378年)を誇る「五色そうめん株式会社森川」さんの”五色そうめん”を採り上げました。

今日はその流れで、一気に”そうめん発祥の地”である奈良県桜井に飛びまして、その中でも一番の老舗「株式会社三輪そうめん山本」さんをご紹介します。創業は亨保2年(1717年)で、戦前は宮内庁御用達として名高い会社です。

普通は、幾ら”そうめん”を2日続けてご紹介したからといって、続いて”そうめん発祥の地”の奈良県までは飛べません。ただ今回は偶然にも、父の一周忌と母の二周忌を兼ねて、ワタシと妹と弟の3人で、初めての旅行をしました。

その旅行先が京都と奈良だったという訳です。この”兄弟旅”の事は、一つは”愛媛グルメ紀行”シリーズの県外特別編として、また”日本の歴史”についても”愛媛の歴史”シリーズの特別編として後日改めまして記事アップの予定です。

三輪そうめん屋根裏看板1
こちらが「株式会社三輪そうめん山本」さんの本社内にある”麺ゆう館”さんの入り口です。

奈良県天理市から桜井市に向かう、国道169号線沿いにあります。奈良県桜井市は、”三輪山”の西側に広がる平野部にあって、古くから歴史が開け、”ヤマト政権”誕生の地域の一角にあります。

周囲は、有名な”古墳だらけ!”と言った土地柄で、この地に中国から”そうめん”が伝わりました。

その件は”北斗七星”さんの記事の中でも触れましたが、日本の”そうめん”発祥の地である奈良県桜井市三輪(みわ)地区に、中国から今の”そうめん”の元となる”索麺”が伝わっていたと思われ、それを和名で”麦縄”(むぎなわ)と呼んだと言われています。

その三輪地区にあって、創業が享保2年(1717年)(創業以来296年)というのが、画像の”三輪そうめん山本”さんです。

なお”三輪そうめん”は、かつて忌まわしい”産地偽装事件”が生じました。生産量全国第二を誇る”島原そうめん”との間にです。このことは、昨日コメントを頂いた:”健介”さんのコメントへの返信で詳しく書きました。

”健介”さん、”三輪そうめん”の負の遺産について触れることが出来たこと、感謝致します。

三輪そうめん山本暖簾2
この画像が”三輪そうめん山本”さんの暖簾です。恐らく日本で一番有名なお店です。

そのお店の看板商品が、暖簾に染め抜かれている”白龍”と名付けられた極細のそうめんで、平成21年から今年にかけて3年間連続の”モンドセレクション最高金賞受賞”商品として有名です。

極細の麺ですので、茹で時間は60秒です。”頼りなげに細いのに腰がある”麺です。

その”白龍”は、伝統的製法の”手延べ”に拘って作られていて、11月から3月にかけての寒期に36時間の工程を経て作られています。

しかもその後、そうめん蔵に収め保存されます。これはそうめんが高温多湿の梅雨期を越すことで、コシや風味が高まる効果を利用したもので“厄をこす”と言うそうです。

更に我々の口に入る商品は、この夏に二回目の梅雨を越す古物(ひねもの)と、三回目の梅雨を越す大古物(おおひねもの)だけなので、優れた伝承の技と長い長い時間をかけたられたものなのです。

三輪そうめん古都3
さて、これがこのお店では”三輪そうめん古都”と名付けられたメニューで、そうめんとくず餅と柿の葉寿司で構成されています。


ワタシが注文したのは冷たいそうめんですが、”にゅーめん”と呼ばれる温かいそうめんも選べます。


冷たいそうめんは、中に氷が入った冷水に浮かされて出されます。普通ですと、そうめんは麺類の中では一番細い麺なので、直ぐに伸びてしまいます。


ところが、このお店のそうめんは伸びないのです。ワタシが例によって写真を写してモタモタしていても、キチンとしたコシを保っていました。

三輪そうめん4
日本で一番細い麺を作られるのが、この”三輪そうめん山本”さんで、製品名は超極細麺で有名な”白髪”と言います。


手延べそうめんの基準で「直径が1.7mm未満」とされているのに対し、”白髪”は約0.3mmです。


この”白髪”は、この会社でも特別に契約している”素麺師”さんだけしか作れないと言います。


ワタシは”素麺師”という特別な技能を受け継いだ職人さんがいることを、この旅で初めて知りました。


なお、画像の麺はこのお店の代表的なそうめんである”白龍”を使われています。僅か10gの中に130本の麺が入っています。

麺5
まあ、この真っ白でか細いそうめんをご覧になって下さい。これが、こんなに細いのに”コシ”がシッカリあるんです。


口に含んで麺を噛んでみると「あ、アアア、アレ?・・・・コシがあるではないか!!エーーー!」っていう声が漏れ出るのは必定です。


この麺が、ワザワザ奈良にまで行かなくても、ここ松山でもいただけます。


それは、、国道33号線沿いの東石井2丁目、スーパーセブンスター石井店の敷地内にある”北斗七星”さんに行けばいただけます。


もし、ワタシが”北斗七星”さんの国道33線沿いに揚がっている”幟旗”(のぼりばた)を目にして、そこで”そうめん”を食べていなかったら、ここ奈良県桜井市三輪地区のこのお店に寄ることもなかったでしょう。


ワタシの”愛媛グルメ紀行”は”縁探し”の旅です。様々な””に、旅を重ねる毎に出会って参りました。その意味では、これも一種の””でしょう。

くず餅6
この画像は”くず餅”です。”葛粉”(くずこ)を原料にしています。


ひょっとしたら、”くず餅”の原料である”葛粉”は何から作られるのか?知らない方が増えてきたかも知れません。


葛粉”は、葛(くず)というマメ科の多年草で、そのクズの根(これを塊根と言います)の肥大した部分を、秋から冬にかけて掘り起こしたものを砕いて洗い、精製し”澱粉”(でんぷん)を取ります。これが”葛粉”になります。奈良県の名産特産品です。


抹茶のパウダーが掛けられた”くず餅”は、ホンノリとした上品な甘さで、これならワタシでもいけます。表情が崩れました。

柿の葉寿司7
この画像は”柿の葉寿司”です。この”柿の葉寿司”は、全国でも奈良県と和歌山県と石川県の3県に見られる地域特産です。


奈良と和歌山では、寿司ネタは主に””(さば)を使います。その他には鮭や小鯛なども使います。


保存性を高めるために塩漬けされた”柿の葉”に包んで出されます。


海のない奈良県では、生の鯖を食べることはできませんでした。そこで、鯖に一塩したものを運んできて酢締めにし、殺菌効果がある”柿の葉”に包みました。


すると腐敗が極めて早い””でも、数日間は保存が効くようになります。古来より作られてきた郷土料理です。

鯖寿司8
まあこの鮮やかな”鯖寿司”(さばずし)の色艶をご覧になって下さい。

美味しそうでしょう?ええ、実際に美味しいんです、旨いんです。

鯖からねっとりとした魚の旨味が出て、それが酢飯に実によく馴染んでいます。今でこそ、寿司といえば江戸前の”握り寿司”を思い浮かべますね。

ところが、寿司は元々”なれ鮨”から生まれたもの。”なれ鮨”とは、元々魚を塩と米飯で乳酸発酵させた食品で、今のような酢飯ではありませんでした。

なれ鮨”の原型は、滋賀県琵琶湖周辺で今でも残っている”鮒寿司”(ふなずし)です。

それが、江戸幕府が開かれた時に、江戸前(東京湾)の寿司ネタを使って、握ってその場で食べることが出来る”早寿司”が生まれました。

江戸っ子は、じっくり旨味が増す乳酸発酵など、まどろっこくて待てなかったのです。それが、飯に酢を混ぜて酢飯として生魚を一緒に握る”握り寿司”となり、握られてから直ぐに食べることが出来る寿司になったのです。

江戸時代に生まれた”握り寿司”は、当初は屋台で握られ庶民の味として発展して来ました。今の”回転寿司”は、高級な食べ物に成り果てていた握り寿司”を、本来の姿に戻らせた”食文化の功労者”だと思います。

さて、奈良県は未だに”なれ鮨文化”が生き続けています。歴史の重みが、東京は全く違うのです。

卑弥呼の墓10
さてこの画像は、”三輪そうめん山本”さんと国道169号線を挟んだ向かい側にある、小高い丘です。

実は、この画像は”纏向遺跡”(まきむくこふん。まきという文字はパソコンでは表示出来ないかも知れません)で、この一角にこの所にわかに話題を呼んでいる”箸墓古墳”(はしはかこふん)があります。(詳しくは後日)

つい先ごろ、この古墳は”卑弥呼”(ひみこ)の古墳ではないか?っと、全国に衝撃が走った古墳です。真相はまだ分かりません。

日本の歴史が記録され始めた頃は”倭国”(わこく)と言っていたものを、”日本”というようになったり、それまでは”大王”(おおきみ)と呼ばれていたものを”天皇”と呼ぶようになったのは、ここ大和国(今の奈良県桜井市付近)で”ヤマト政権”が誕生したときからです。

つまり、この場所は日本という国が出来上がっていく原点となった場所です。このことは、後日”愛媛の歴史”シリーズの特別編として、様々な画像を交えて”日本の歴史・夜明け”というテーマで書きたいと考えています。

今回の妹と弟との3兄弟旅で、おおよその取材はできました。これからは、膨大な文献を読み、それを自分の言葉として語れるようになるまで、頭のなかで熟成させていく期間です。

さて何ヶ月かかるのやら、自分でも想像ができません。でも”日本の歴史・夜明け”を語る中で、今までワタシが書いてきた”愛媛の歴史”との相互の関連を考えることができればいいと考えています。

余り面白い話ではありませんが、日本という国の成り立ちを一度整理して考え、皆様にもご紹介したいと考えているところです。






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No title

じゅんさんこんにちは
 昨日の、で、今日が、その三輪そうめん山○だったので
ちょっと笑ってしまいました。
 三輪山は、さすがに連なる大和の山の中でも、独特の
神厳さがある山ですね。形も美しいですし、古代からの
信仰の対象であった、ということはとてもよくわかります。
 最近は、古墳ガールという女の人たちがいる、と聞きました。
私は文学部だったのですが、文学部の中でも考古学研究室
だけはちょっと異質でした。
 やたら汗臭くて、工具が置いてあったり、発掘した
土器が置いてあったり、酒瓶もずらずらとおいてあったり、
という感じで、女の子の多かった国文科の部屋と比べたら
ずいぶん違うなぁ、という印象でした。(笑) 
 おととしの夏に箸墓古墳に行きました。去年は飛鳥の
牽子塚古墳に行ってきました。 奈良の南東部のそう
広くない地域に、それぞれの時代の遺跡が重層的に
あるので、整理が大変ですが、それでも、あの辺を
歩くと、古代の人々と交信しているような気持になりますね。
またじゅんさんの研究成果、楽しみにしています。

国文科

健介様
そうんなんですよ。幾らなんでも、いきなり奈良の三輪地区に話が飛ぶだなんて、五色そうめんの記事を書いた当時は予想もしていませんでした。それが、今日「三輪そうめん山本」さんを記事に出来るだなんて、古都に吸い込まれた感があります。

健介さんは国文科だったんですか!私は全くその方面は専門外の素人です。「愛媛の歴史」を書いていなければ、奈良と京都巡りはしていなかったと思います。

古墳の知識もありませんが、今猛勉強中です。書くからには基礎から勉強し直そうと思って、参考書籍を読み漁っている最中です。これが自分の頭の中でまとまって、自分の言葉として書けるようになるまでは、熟成期間です。

でも、現時点では「愛媛の歴史」や「松山の地名・町名由来」を書いてきてよかったと思っています。そこにつながりそうな予感がしています。国文科出身の健介さんに対しては、やや面映い思いもありますが、敢えて冒険してみようと考えているところです。

No title

先日の天山と天の香久山の話ではないですが、奈良時代以前まで遡って愛媛と大和を関連付けた記事が書けたら面白いですね。愛媛はそれだけの歴史のある地域だと思いますし。
個人的には、出雲系の神社と大和系(高千穂系?)の神社の勢力図などとても興味があります。それらは邪馬台国の謎等と同じく未だ結論の出ていない分野だけに自由に想像力を働かせることができるように思います。そこに素麺もからんだりしたらなおさら面白いですけどね(笑)。

何度もすみません

じゅんさんこんばんは
 じゅんさんの松山の地名史話を拝読していると、本当に
いろいろな本をお読みの上にお書きになっているのが
わかります。それだけでもすごいことだと思いますし、
素晴らしいことだと思います。
 今年は伊勢の式年遷宮の年ですね。
それが不思議なことに奈良には古い天皇家のお社は
ありません。橿原神宮なんて、歴史的にはごく最近ですからね。
おそらくは大和の大王家の信仰してした太陽神の信仰を
大和のどこも受諾してくれなかったのでしょう。
それで東に東に行って、ようやっと伊勢の渡会氏がそれを
受け入れてくれた、ということだろうと思います。
よろしかったら、「日本人の一生」という本があります。

http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%B8%80%E7%94%9F%E3%80%80%E5%90%89%E7%94%B0%E6%B8%85&rh=n%3A465392%2Ck%3A%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%B8%80%E7%94%9F%E3%80%80%E5%90%89%E7%94%B0%E6%B8%85

私の恩師の本ですが、私が編集担当しました。
古本のほうで出ていると思いますので、よろしかったら
目を通してみてください。

余り期待されても

ファットマン様
今回の旅で、日本の原型が定まった次期や過程を記事にしようと思っています。そして、今まで書いてきました「愛媛の歴史」や「松山の地名・町名由来」と関連付けた記事が書ければいいと思っています。

ところがヤマト政権に比類するほどの大きな政治力を持っていた出雲政権との関係にまでは筆を広げる知識と余裕がありあせん。

私はあくまでも歴史好きの素人なので、余り期待されると期待はずれに終わってしまいます。そのうち出雲政権についても書きたいと思っていますが、今回は間に合いません。また卑弥呼についても同様です。なお、」私は卑弥呼九州説です。

早速購入させていただきます

健介様
貴重な情報提供に感謝いたします。早速本屋で注文して入手して読みたいと思います。現在は、多数の書籍から使える記述を必死で選りだしている最中です。多数の観点からの記述は、私にとってありがたいことです。

さて「不思議なことに奈良には古い天皇家のお社はありません」という記述についてです。健介さんのほうが、この点に関しましても系統的な知識がお有りでしょうから、書かれた内容に付いてはなるほどと思います。

ところが、日本が国家として成り立ったこの頃は仏教と出会った頃です。その当時の仏教は国家仏教でした。そのころから天皇家に於いては神仏混交が始まっています。奈良(ヤマト)の地に、何故天皇家の社がなかったのか?

年末までには記事にまとめたいと思っていますが、その辺りにも触れることができますかどうか?私の得意分野は日本の中世史ですので、今回全く未踏の分野を書こうとしています。所詮素人ですので過大な期待は、期待はずれに終わります。予めそのことはご承知おき下さいね。

おはようございます

わたしは「健介さん」が指摘されている伊勢巡幸、伊勢神宮の成立過程にこそ、それまで大和の地を治めてきた(!)出雲政権と制服王朝である大和政権のせめぎあいが垣間見える気がするのです。古事記の出雲の国譲りの裏側みたいな感じで。もちろん素人のロマンチックかつ無責任な想像に過ぎませんけど。
じゅんさんが書かれる歴史ブログとは直接関係のない話でスミマセン。

うーーん

ファットマン様
健介さんの話も、日本の成立に関わる深い謎に満ちたお話で、出雲政権とヤマト政権、及び伊勢神宮との相互関係を示した考古学的知見も歴史学的知見も、今までは接したことがありません。

出雲政権は、朝鮮半島や中国大陸に距離的に近いので、太古から多大な影響を受けた当時の先進国だったのでしょう。

出雲大社の神主家である「千家」家は、天皇に匹敵する歴史と家系を守ってることで有名です。「神無月」の由来も出雲の神に対する畏怖でしょう。

それらを探求することはロマンだと思いますが、残念ながら基礎的知識に欠けます。でも、いつの日か「出雲国」のことも書いてみたいと考えています。今回は間に合いませんが。

柿の葉寿司

こんにちわ!!

僕も2年前、高野山周辺で柿の葉寿司を頂きました。
山村で塩鯖を味わうというのは、とても感慨深いものがありますね。
今では色々なネタが売っていますが、やっぱり鯖ですよね柿の葉寿司は!

柿の葉すし

miyatom 様
そうですか、高野山付近で柿の葉すしを食べられた!

高野山は和歌山県ですから、京都と奈良同様、柿の葉すしが名産ですね。そして何れも、寿司ネタは鯖が一番でしょう。

なお京都の柿の葉すしと、奈良・和歌山の柿の葉すしの「鯖」は産地が違います。
京都の柿の葉すしは若狭湾の小浜市から鯖街道を通って運ばれたもの。一方奈良・和歌山のそれは熊野灘で捕れた物。三県とも柿の葉すしは、県内のそれぞれ山間部において名物となっています。海から一塩して消費地へ運んで翌日が一番食べごろになるからです。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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