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県外特別編・京都「京料理 六盛 手をけ弁当」・「愛媛グルメ紀行」 591

今日から6回続けて”県外特別編”と題しまして、京都と奈良に妹と弟との3人兄弟旅をした時の”食べ物編”をご紹介します。


既に8月17日に県外特別編として、奈良県「三輪そうめん 山本」と題しましたものをご紹介しましたので、都合7回の記事になります。(県外特別編・奈良「三輪そうめん 山本」・「愛媛グリメ紀行」 579


これらの記事は、読んでいただいた方にとって、「おおそうか!じゃあ行ってみよう!」ということにはなりにくいでしょうから、”愛媛グルメ紀行”の本来の趣旨からは外れますが、「ほー、そういうお店もあるのか」という位に気軽に目を通して頂ければ幸いです。


今日ご紹介しますのは、京都市左京区岡崎西天王町にあります(平安神宮西横を流れる疏水の北側)”京料理 六盛 手をけ弁当”というお店です。

玄関1
こちらが、そのお店の玄関です。このお店は、元々”仕出屋”さんからスタートされたお店で、今は料亭になっています。


創業は明治32年と言いますから、今から114年前です。やはり京都ですね。これでも「ウチなんか、まだ100年をちょっと過ぎたばかりですから、新しいお店です!」って言われるに違いありません。


現在は二代目さんの代になっています。特に二代目(当代)さんは、伝統の”京料理”の研究に熱心で、様々な”創作京料理”を生み出されています。


特に若い世代の和食離れを危惧されて、学生さんを対象に和食のマナー教室も実施されているそうです。伝統の継承というものは、生半可には出来ないのです。


平安神宮”から歩いて10分ほど、お店の前には琵琶湖から水を引いた”琵琶湖疎水”が静かに流れています。


弟が今回の旅で、唯一予約していてくれたお店です。それ以外のお店は、その時の状況次第で決めました。ただし、その中の何店かは弟の推薦で決まり、ワタシが唯一希望したお店は”三輪そうめん山本”さんでした。

琵琶湖疏水
上の画像が、お店の南側を流れる”琵琶湖疎水”です。

この”琵琶湖疎水”は、明治18年6月に着工され、明治27年9月に完成したもので、実に9年の歳月を要した大工事でした。

当時の京都市の、年間予算の十数倍という膨大な費用を投入した大事業だったそうです。

この”琵琶湖疏水”の途中にあるのが、”南禅寺”近くで今も保存されている有名な”インクライン”(傾斜鉄道)です。この”インクライン”については、改めまして後日”南禅寺”をご紹介するときにふれる予定です。

手をけ弁当2
さて上の画像が、このお店の代名詞ともなった”手をけ弁当”です。


”手をけ弁当”も、8種類のメニューを用意されています。


手をけの中に、様々な料理を盛り込まれたものを中心に、ご飯と汁椀と塩昆布という構成です。

手をけ弁当3
この画像が”手をけ”の中身です。


どの料理も手の込んだ仕事がなされていて、さすがに完成度の高い品々でした。


でも普通にこれをお昼ご飯とすることなど、ワタシの感覚ではできませんが、でもいるんです、これを当たり前のように食べに来るお客さんが。世の中、広いですね。


ワタシの経済的感覚では、「スミマセン!ワタシのような庶民が行くことなどあり得ないお店を記事にして」という感覚です。


ただ今回は、ひょっとすると3人兄弟の最後の”兄妹弟旅”になるかも知れません。兄弟は、50代の弟以外は還暦を越しました。記念として、ありがたくいただきましたし、特別に記事にもさせて頂きました。

蛸飯4
これがご飯物の”蛸飯”(たこめし)です。

蛸を煮た時に出る、ピンクに近い茶の色がご飯を彩っています。

ところが残念なことに、手桶の中身だけで満腹になってしまい。この蛸飯には箸一つ付けることができませんでしたので、味は?分かりません。

なお”我が松山”には、西垣生町”今出港”(いまずこう)前に”たこめし三原”という名物があり、松山で”蛸飯”というと典型的な”漁師料理”です。

今出港の真ん前で獲れる”真蛸”(まだこ)を、まだ生きている状態から料理するものです。さて、海から遠い京都の”蛸飯”と比べて、お味はいかがでしょう。

ごぼう巻き6
これは、鰻で巻いた牛蒡(ごぼう)を煮た料理です。


上品にほんの一切れですが、口に入れた瞬間に唸りました。牛蒡の力強さ、土臭さを殺すことなく生かし切って料理されています。


海のものと野のものを、出汁で見事に合わせられています。只者ではありません。

サワラ西京焼7
さてこちらは”鰆の西京焼き”(さわらのさいきょうやき)です。鰆(さわら)料理の代表的な調理法ですね。


サワラは、スズキの仲間で白身の魚に見えますが”赤身魚”です。瀬戸内でも日本海側でも獲れる魚です。


西京焼き”とは、”西京みそ”(京都で作られる甘い白みそ)に味醂・酒などを加えた漬け床に魚の切り身などを漬け込んで焼いた料理で、京料理の代表選手でしょう。


サワラは美味しい魚ではありますが、身は淡白。ですから、京味噌でキチンと味の方向性を決め、醸造された酒や味醂の旨味を乗せる。すると、サワラ本来の旨さがギリギリまで引き出されています。これも唸る他ありあせん。

さつま揚げ8
竹串に刺されているものは、”さつま揚げ”です。


ちゃんと彩りを計算されて配されています。


魚のすり身を上品に調理されています。

海老10
海老の手前にキヌサヤの煮物を配して、その更に手前にあります長方形のものは何だか分かりますか?


これは”鱧(はも)魚卵のゼリー寄せ”です。鱧の魚卵は、梅雨明けから一斉に脂が乗り始めて””を迎える瀬戸内の”鱧(はも)”の卵のことです。


実はこの料理、最近松山の”土佐長寿司”さんでいただいたばかりです。(「再訪 139 土佐長寿司」・「愛媛グルメ紀行」 567


この料理のことは、”土佐長寿司”さんで詳しく書いております。地元贔屓(じもとびいき)ということではなく、正直に言って”土佐長寿司”さんの”鱧(はも)魚卵のゼリー寄せ”の方が美味しかった。

冬瓜と里芋煮11
この画像、やや白くて六角形に切ってあるのは”里芋”の類でしょう。やはり京料理の特徴は、こういう煮物にあるのかも知れません。


その左手にあるうぐいす色をしている野菜は何だか分かりますか?分かった方は、京野菜に詳しい方。


これは”冬瓜”(とうがん)の煮物です。平安時代に京の都に入ってきて、それ以来”夏野菜”の代表として広く栽培されています。


この”冬瓜”は、ほぼ水分だけでできているので味は殆どありません。要するに、冬瓜という身をを借りて”出汁”を食べさせる料理なのです。出汁が勝負です。もちろん文句なく美味しい。


いやーー、確かな”京料理”を心ゆくまで堪能出来ました。弟に感謝!です。そして、私達3人を産んでくれた、今は亡き両親に心から「ありがとう!」を捧げたい。





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非公開コメント

おはようございます♪

多分ご両親は、空からこの兄妹三人を笑いながら見ている事でしょう(^^)
親が亡くなった後、兄妹が仲良くするって意外と難しい・・・周りを見ていても、
そんなご家庭が有るんですよ、親が居なくなったら一緒に旅行なんて行けないと思うわ(^^ゞ

でも涼しくなったら一度香川へ行って来ます、此方からも歩み寄らなくちゃね(^_-)-☆

ありがとうございます

ベル様
コメントをありがとうございました。

確かに、両親が亡くなった後、兄弟間でもめるお家はありますが、我が家はモメるほどの資産があったわけでもなく(笑)、妹が仲を取り持ってくれるので、仲良くやれています。

子供の時代には、弟とは年が離れていたので、まともに話した経験はなかったのですが、今回は話が途切れませんでした。

この調子なら、今後も何度か楽しめるかもしれませんね。

No title

こんばんは、先日は大変失礼なコメントしてすみませんでしたm(__)m
読み返し、恥ずかしいやらうれしいやら・・もう少し性格変えないと・・・
ありがとうございました♪
京都の手桶弁当懐かしいです♪学生時代3年住んでまして、おばんざいをよく叔父叔母たちに連れっててもらいました(^^♪
下宿のおばちゃんに、これはおじゃこで炊かんといかん、これはこんぶでと料理の基礎を、そして月に1度季節のお膳をいただきました。卯月には卯月弁当など、季節の楽しさ教えていただき、口癖は「おきばりやす」でした。
懐かしく拝見しました(^^♪感謝!!

お疲れの所を

ちーばば様
深夜でお疲れのところをコメントいただき、恐縮しております。
単なる勘違いは誰でもありますし、私などはその代表選手。お気になさらずに。

ところで、京都に住んでおられたとは、そうでしたか。首都は東京に移りましたが、日本文化の伝統、背骨のような文化はやはり京都ですねー!

特に関西の文化圏のお臍のようなところで、お料理においては、味付けなどで京都の伝統は脈々と受け継がれているように思います。

その伝承の仕方も、かたや料亭料理の分野で受け継がれている他、おばあちゃんから娘へ、娘から孫へと家庭料理としてもきちんと受け継がれているのですね。京料理の奥行きを感じます。

そのお料理がぐリーンM2さんの基礎になって、愛媛にも伝わった。感動的なお話ですね。そのことを踏まえまして、今後とも心して味あわせていただきたいと思いを新たにいたしました。
コメントありがとうございました。

No title

こんばんは、お返事ありがとうございましたm(__)m
私の学生時代は、自炊でして、なるべく安く食費を上げるために市場で一盛りいくらの旬の野菜を買ってきて、最初は生で次は炊いて最後は炒めて1週間同じ食材を食べきる知恵を教わったくらいかな(・_・;)旬を大切にそれが美味しいし、安いからだけです。京都料理を教わったではないかもです。たまにご馳走をいただく、それは贅沢な楽しみで真似はできませんでした(^_-)-☆が、季節の楽しみ京都の方はなぜか仕出しでしたね~、お弁当文化の発祥の地でしょうか・・・?
京都は少し高いと思いませんでしたか?京都に住む息子家族が松山に帰省すると食べたい物は魚ですね♪常に鯛めし・タコ飯・お寿司など松山の魚が好きみたいです♪ちなみに名前が淳じゅんです(^_-)-☆

旬の大切さ

ちーばば様
そうでしたか、京都で「旬の野菜」の味わい方を教わった!
ご承知の様に、季節用語の「旬」は10日間を意味する言葉です。

それぞれのお野菜が一番美味しい時期は、年間に僅か10日間しかないという意味です。その間でしたら、生で齧(かじ)って良し、煮炊きしてもなお良し、更に炒めれば野菜に不足している脂分が補えるから一層良しですね。

今の人は、スーパーでパックしてあるものが、しかも年中出回っていますから、自然のものである素材(野菜でも魚でも)の「旬の味」を知らずとも生活出来てしまいます。

それを、ちーばばさんは、自然に身につくように教わった。幸せなことだと思います。

また「弁当文化」についてのご感想、当たっていると思います。京都は平安時代以降王朝文化が花開いたところです。そうしますと、上は天皇の行幸(外出)から始まって、貴族たちの野遊びと、自然の移ろいを肌で感じる喜びを見出しました。その席につきものなのが「弁当」でした。小さな容れ物に、旬のモノを綺麗に盛り込み、野点(のだて)で頂いた。その文化が伝統として残ったのではないでしょうか。

当初は、食品の保存技術がありませんでしたから、生でも美味しく頂ける「旬のものを盛り込んだ」ものでしょう。その内、塩をすることによる食品鮮度の管理、発酵させることによる食品鮮度の管理と熟成したものの味(旬のものにはない)を見出しました。

そこに京料理の奥行きが生まれた。私は素人なりにそう考えています。

淳さんが帰省されたとき、瀬戸内の海の幸を味合われる。よく理解出来ます。京都は内陸国ですから、保存技術が発達しても、瑞々しい生の味、魚の鮮度から得られる食感はまた格別ですよね。

一つのご家族の食生活にも、長い長い歴史の経過が染み込み織り込まれている。
今日はいいお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

No title

遅くに(>_<)
さすがのコメント、勉強させていただきます\(^o^)/

コメントの一部訂正と補足説明

ちーばば様
昨日のコメントの一部に誤解を招きかねない表現がありましたので、一部補正させていただきます。

食品の保存技術で塩蔵と発酵という2つの技術は、実は紀元前から既にあったものです。ワインやヨーグルトなどは、4000年以上前に、既にあったと言われていますから。塩蔵に関する知識も紀元前です。

平安京時代に食品保存技術がなかったという表現は誤りでした。もちろん保存技術はあったのですが、それが普及し「弁当文化」など、様々な文化に波及し、庶民にまで広がったのは、王朝文化が花開いたことが大きな要因になったという意味です。

紛らわしい表現で失礼しました。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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