FC2ブログ

「愛媛の歴史特別編」・「京都 南禅寺とインクライン」 8

今日は、京都の”南禅寺”と、その近く”哲学の道”を通って直ぐの所にある”南禅寺水路閣”をご紹介しましょう。

先ずは”南禅寺”です。


南禅寺”は、京都市左京区にあって臨済宗南禅寺派の大本山です。開基(創立者)したのは”亀山法皇”です。


日本最初の”勅願禅寺”(ちょくがんぜんじ=天皇の命令で開かれた禅寺)であり、日本の全ての”禅寺”(ぜんでら)のなかで最も高い格式をもっています。

南禅寺三門1
この画像は、南禅寺の”三門”です。国の重要文化財です。


この”三門”、南禅寺の中でも掉尾を飾る(とうびをかざる=南禅寺の一種のスター的な施設です)ものです。


この”三門”は、愛媛とも関係が大変深い”藤堂高虎”(とうどうたかとら=宇和島城や大洲城、そして今治城を築城した戦国時代を代表する武将)が、今治城主から転封となって”伊勢伊賀藩主”時代に築いたものです。


藤堂高虎”は、大阪夏の陣で戦没した藩士の霊を弔うために、寛永5年(1628年)にここ南禅寺に建立寄進しました。


なお、愛媛にとっても大変の縁の深い”藤堂高虎”については、”南予史探訪”と題した6回のシリーズで採り上げ書いております。(「南予史探訪」・「大洲地蔵ヶ嶽城を巡って」 2

南禅寺三門2
また”南禅寺の山門”を一躍有名にしたのが、歌舞伎の「楼門五三桐」(さんもんごさんのきり)の二幕目です。


この二幕目の返しで、江戸時代の大泥棒”石川五右衛門”が「絶景かな絶景かな……」という名科白(めいせりふ)を残したのが。こ”南禅寺三門”です。


なお”石川五右衛門”は江戸時代に実在した大泥棒ですが、その”石川五右衛門”はこの”三門”が出来る30年以上前に刑死していますから、ここ”三門”を大舞台に出来たわけではありません。

南禅寺法堂3
この画像は、”南禅寺法堂”です。


法堂”というのは、法式行事や公式の法要が行われる場所で、”南禅寺”の中心となる建物です。

南禅寺法堂4
創建当時のものは、”応仁の乱”で焼失しましたが、文明11年(1479年)頃に復興されました。更にその後、慶長11年(1606年)になって、”豊臣秀頼”の寄進により大改築されましたが、明治26年(1893年)の火災によって焼失しています。


現在のこの”法堂”は、明治42年(1909年)に再建されたものです。




次は”哲学の道”を歩いて、近くにある”南禅寺水路閣”を目指します。

哲学の道案内板5
この画像は”哲学の道”への案内板です。


この”哲学の道”という名前がこの小道についた由来は、日本を代表する哲学者であ”西田幾多郎”氏がこの道を散策しながら思索にふけったことからこの名がついたと言われています。ワタシも若いころ、”西田幾多郎”氏の著作を読んだものですが、見事に忘れています。


さて、西田幾多郎氏に因んで”思索の小径”と呼ばれていたものが、いつしか”哲学の道”と呼ばれるようになり、昭和47年(1972年)に正式な名称となりました。なお、”日本の道100選”にも選ばれている散歩道です。

南禅寺水路閣6
さて画像で見えてきたのが、”哲学の道”を歩いた先にある”南禅寺水路閣”とよばれているものです。


この”南禅寺水路閣”は、明治18年に着工され、日本最初の水力発電所を稼動させた人口水路です。


日本初の路面電車の開業など、京都復興に大きな役割を果たしました。

南禅寺水路閣7
この”南禅寺水路閣”は、”琵琶湖疏水”(びわこそすい)の一部で、琵琶湖の湖水を京都市へ流すために作られた水路(疏水)です。


なお”琵琶湖疏水”とは、第1疏水(1890年に完成)と第2疏水(1912年に完成)を総称したものをいいます。

南禅寺水路閣8
南禅寺水路閣”は、この疏水事業の一環として施工された水路橋で、延長93.17メートル、幅4.06メートル、水路幅2.42メートル、煉瓦造、アーチ構造の優れたデザインを持っていて、京都を代表する景観の一つになりました。毎秒2トンの水が、現在も流れ続けています。


また、”琵琶湖疏水”の一部には”インクライン”とよばれている施設があります。


琵琶湖疏水”は先ほども書きました通り、琵琶湖と京都、さらに京都と伏見・宇治川を結んでいます。

南禅寺水路閣9
その中で落差の大きい蹴上(けあがり)と伏見(ふしみ)にはケーブルカーと同じ原理の”インクライン”が設置され、船は線路上の台車に載せて移動されていました。


水運の変化によって”インクライン”はいずれも廃止されましたが、蹴上(けあがり)では一部の設備が静態保存されています。


なおこの”インクライン”は、愛媛でも作られ活躍していた時代と場所があります。


それが、”東洋のマチュピチュ”とよばれる”別子東平”にありました。(「東洋のマチュピチュ・別子東平」その 2

蓮池10
さてこの画像は、”南禅寺”前にある”蓮池”です。奈良の”藤原京跡”でも、画像として採り上げました。


昔の”都城”の跡や、寺院にはなぜ”蓮池”が多く見られるか?


それは”蓮の花”が、汚泥(おでい=池の中の泥)の中から伸び育ち、汚泥に染まらず水面に清らかな花を咲かせるからです。

蓮の実11
つまり、泥水に咲く”蓮の花”は、汚濁(おだく=水質の汚れのこと)にまみれた世間(現社会)にあっても。超然としている”君子”の姿であって、知性の象徴とされてきたからです。


また””が極めて多く、しかも乾いた池の中にあっても、必ず将来実をつけることから、子孫繁栄や長寿の象徴などのシンボルとして、昔から尊ばれてきたからです。


この画像に見られる”蓮の実”は、一輪の花からこれだけ多くの種子を育(はぐく)んでいるのです。


この中の一つでも、将来(何百年先であっても)実を結んで花を咲かせれば、””にとっては本望なのでしょう。


日本の古都である”奈良・京都”に立ちますと、そういう悠久の時間を感じさせてくれます。


さて次回1月27日は、「愛媛の歴史特別編」「平安神宮と京都御所」9 をご紹介します。





にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

No title

じゅん様

これは私にとっても本当にうれしい記事ですねー。
一年に一度はお邪魔している地が南禅寺ですm(_ _)m

静寂の中にも植物たちが生き生きと自分を誇らしげに咲いてる姿を見るのが好きです。

私は個人的には紅葉の南禅寺です。
きっと皆様も断然、秋が好まれることでしょうねー。

哲学の道へも何気なく足を運んでいますが、見落としていましたねー

こういう歴史の礎にも、愛媛とのかかわりがあるとは、素晴らしいです!

このように、みなさまに広く再認識のきっかけ創りを
じゅん様の努力で実を結び、伝承出来れば素晴らしいですねー。

改めたじゅん様のご努力にv-424を贈ります

連続しての

ぴんくモッチー様

昨日から、連続してのコメント恐縮です。

そうだったんですね~。ぴんくモッチーさんにとって「南禅寺」は、そういう位置づけだったとは!存じませんでした。

実は私も若い頃(大学生時代)、この「南禅寺」さんは、特別の思い出があって、どうしてももう一度は訪れてみたいと思っていた所でした。

そうでしょうねーー!夏の盛りの時でさえ、あの紅葉の群生は得も言われぬ存在感を放っています。

これが一斉に色づく。全山紅葉で染め抜かれる。息を呑む光景でしょう。容易に想像できます。さあて、もう一度、秋の南禅寺を訪れるチャンスがございますか。

こうやって、奈良や京都を旅したものをまとめていますと、如何に愛媛という一地方であっても、都の様々な影響がある、つながりがあることを実感しています。当時から、都と地方をつなぐ官道があって、人や物、更には文化の往来があったということでしょう。

2月一杯は京都案内で、3月はお正月以来書いてきました「日本の夜明け」の歴史の締めくくりとして、「出雲国」の歴史を採り上げてエンディングとしたいと思っています。

コメントにシミジミ感謝いたします。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード