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「愛媛の歴史特別編」・「京都 下鴨神社」 10

今日は、京都の”下鴨神社”(しもかもじんじゃ)をご紹介しましょう。


日本の神社では、神話時代の神”天照大御神”(あまてらすおおみかみ)を祭神とする”伊勢神宮”が有名ですね。神話を作った時、”天照大御神”(あまてらすおおみかみ)を天皇家の始祖としました。


ただ、”伊勢神宮”の創祀(そうき=ひらかれた)は、”日本書紀”によりますと、垂仁天皇25年3月に、皇女”倭姫命”(やまとひめのみこと=垂仁天皇の四女)が”天照大御神”の神魂・八咫鏡(やたのかがみ)を鎮座させる地を求め旅をして、最終的には近江から美濃を過ぎて、現在の伊勢に至ったとされています。


ただ、なぜ天皇家の祖先とされている”天照大御神”が、京都ではなく三重県にある”伊勢神宮”に祀られているのか?という疑問に対しては、3月にアップします”出雲国の歴史”で触れます。ただし、そのことが史実かどうかは、ワタシを含めて誰にも分かりません。


つまり”伊勢神宮”を作ったのは、”垂仁天皇”(すいにんてんのう=皇室の系図から言えば第11代の天皇)の第四皇女である”倭姫命”(やまとひめのみこと)とされています。(ただし、何代目の天皇から実在したのかは分かりません)


一方”下鴨神社”(しもかもじんじゃ=正式には賀茂御祖神社<かもみおやじんじゃ>)の創祀(そうき=ひらかれた)は、”日本書紀”によると、神武天皇2年(紀元前685年頃)に”下賀茂神社”の祭神である”賀茂建角身命”(かもたけつぬみのみこと)を既に祀っていたとありますので、神社としての創祀(そうき=ひらかれた)は、”伊勢神宮”より大幅に古いことになります。


なお上に出てきた”神武天皇”(じんむてんのうとは、皇室の系図から言えば初代の天皇)です。神話の世界と思われます。また”上鴨神社”は”下鴨神社”の祭神である”賀茂建角身命”(かもたけつぬみのみこと)の娘である”建玉依姫命”(たけたまよりひめのみこと)を祭神としている神社で、その両方を”賀茂社”と総称します。

下鴨神社世界遺産石碑1
ここ”下鴨神社”は、”ユネスコ”に平成6年に登録された”世界遺産”でもあります。


”世界遺産”登録を記念して石碑が建てられていますが、その石碑にもここ”下鴨神社”が、発掘調査によって縄文時代からの史跡が見つかっていること、平安造営に際しては国家鎮守の神社として、朝廷の”尊崇”(そんすう)を集めていたことなどが記されています。


ところで、”尊崇”という言葉で、最近特に気になることがあります。


国家のためという、全く曖昧な概念で赤紙が舞い込み、その瞬間から国家の名のもとに他国の人を殺し犯し、自分も国家という虚構に命を奪われた、ワタチ達の親や親の兄弟や配偶者たちのの思いとは何処にあるのか?


そのことを冷徹に見つめる事こそ、国家に命を奪われた(捧げたのではない)者に対する”尊崇”の念の表し方ではないでしょうか。


そういう国家から強制された罪を、”尊崇”などという美辞麗句で軽々に誤魔化してほしくはありません。


戦争”というものの実像は、国家の為に、国を守るためにという曖昧な概念で、”普通の人を殺人者に仕立てあげる”ということなんです。


さて、話題を戻しましょう。日本サッカー協会のシンボルマークである”八咫烏”(やたがらす)は日本国家成立に関わる伝承を持っていることでも有名です。


つまり、この”下鴨神社”と”上鴨神社”の始祖となった”賀茂建角身命”((かもたけつぬみのみこと)が”八咫烏”に化身して”神武天皇”を導いたとされる神話を持ち、後に子孫は上鴨・下鴨の両神社の祠官家となったという伝承を持っています。

下鴨神社参道2
まあ鬱蒼と茂る森に囲まれて”下鴨神社”はあります。


この”下鴨神社”を取り囲む森のことを”糺の森”(ただすのもり)とよびます。


この”糺の森”(ただすのもり)は、平安遷都以前にはこの地は湖と森に覆われていたことの面影を残していて、古代遺跡を数多く包蔵しています。


なおこの”糺の森”(ただすのもり)の広さは、東京ドームの約3倍の広さです。その広さの中に、古代から連綿と続いてきた自然林が今でも残されているのです。

さざれ石3
さて皆さんは、この画像の””を何の石だと思われますか?この石が、国歌で歌われている”さざれ石”なんです。

さざれ石”の元々の意味は”小さな石”という意味です。ワタシのブログに時々コメントを下さる”謙介”さんから紹介された、謙介さんの恩師が書かれた”日本人の一生”(著者・吉田清)に依りますと、””について以下のように書かれています。


「石は、祀るものが海岸や川辺、あるいは産土神社などの神のおいでになる所から拾ってきて祀るという共通する側面を持っている。したがって、石は寄り来るタマの象徴であり、それ自体が神なのである」


また「日本国歌<君が代>は、小さな石が大きな岩に成長するという意味であり、石の成長をいう。人のタマの成長と共に、その容れ物である石も成長していくものだと、昔の人達は考えた。」とありました。


日本各地に”子持ち石”とか”赤子石”など、”石”を神として祀る信仰が残ってます。古来、日本人は”生石伝説”(いきいしでんせつ)を持っていたということです。

石拾い神事用石6
古来より続いてきた、””を神として祀る信仰がこの神社では伝統行事として今も生きています。


それが、現在21年に1度行われている”式年遷宮”(しきねんせんと)の歳事に”石拾い”という神事として残されています。画像の石が、その神事の際に使われる””です。


”下鴨神社”の次の(第34回)式年遷宮は、平成27年4月27日に斎行される正遷宮です。その時に式年遷宮の最初の神事として行われる”石拾い”、画像の石はその時の神事を待つ、お清めの期間に入っています。


なお”下鴨神社”の”式年遷宮”は、長元9年(1036年)を第1回として式年遷宮の制度が確立しているものです。また”伊勢神宮”の式年遷宮は20年に1度行われるもので、昨年に第61回式年遷宮が行われたことは記憶に新しいところですね。


また、神社としての創祀(そうき=ひらかれた)は”伊勢神宮”より”下鴨神社”の方が古いとされているのに、式年遷宮の通算回数においては”下鴨神社”ほうが少ないのは、下鴨神社の式年遷宮が過去にその間隔を長くとっていた時期があったからです。


更に、”式年遷宮”が始まった時期が、”伊勢神宮”は藤原京時代の持統天皇4年(690年)から始まっていて、既に1300年も続いているからです。もちろん”伊勢神宮”においても過去にその間隔を長くとらざるをえない時期もありました。

下鴨神社楼門7
この画像は、国の重要文化財に指定されてる”楼門”です。この門の奥に本殿などがあります。


なお”下鴨神社”の諸施設は、国宝が東本殿と西本殿の2棟、後のほとんどの建造物は重要文化財に指定されています。


また”賀茂神社”の事は、昨年40回に分けて書きました「松山の地名・町名由来」の中の第6回で書いています。現在の「斉院町」の由来となったのが”賀茂神社”です。(「松山市の地名・町名由来」・ 「斉院町・垣生町」 6


愛媛・松山は飛鳥・平城京と続く古代”ヤマト朝廷”との関係が様々な形で生きているということの証(あかし)です。

下鴨神社神服殿8
この画像は、重要文化財に指定されている”神服殿”です。


元々は、夏と冬の御神服を縫製する御殿でしたので、”神服殿”という名が付いています。


近世は、勅使殿(天皇の使いを迎えるところ)又は到着殿として使われていました。


この建物も21年に一度の式年遷宮では解体修理されます。

下鴨神社本殿内9
この画像が、国宝である”本殿”の内側を覗いたもの。


急いでシャッターを切って、慌てて離れました。オソレオオクテ・・・

下鴨神社舞殿10
この画像も重要文化財に指定されています、”舞殿”です。”下鴨神社”の有名な祭事・行事に、5月15日に行われる”葵祭”(あおいまつり)があります。


その”葵祭”のとき、天皇から派遣された勅使(ちょくし)が御祭文(おさいもん)を奏上するところが、ここ”舞殿”です。


なお”葵祭”とは、、”賀茂御祖神社”(下鴨神社)と”賀茂別雷神社”(上賀茂神社)で、5月15日(陰暦四月の中の酉の日)に行なわれる例祭のことで、平安時代、”祭”といえば賀茂祭のことをさしていました。


石清水祭、春日祭と共に三勅祭の一つであり、元々貴族の祭だったという歴史を持っています。一方、庶民の祭りと言われるのが”祇園祭”ですね。何れにせよ、現在では京都市の観光資源として、”京都三大祭り”の一つとなっています。





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すごい\(^o^)/

こんばんは、いつも拝見していますが・・・
凄いですね!!博識で!!
学生時代京都に住んでいましたが、なにも学習せずにいました(>_<)
今にしてもったいないことしたなって!!
一番の幼友達が下賀茂神社の近くに4年ほど住んでましてよく行ってましたが・・・この知識があったらなって後悔してます(・_・;)
ゆっくりもう一度京都を散策しなくては!!
いつもありがとうございます(^^♪

恐縮です

ちーばば様
お早うございます。博識だなんてとんでもありません。

私も学生時代には、こういう知識もなければ興味もありませんでした。

これは、ブログを書き始めて以降、還暦前後からのニワカ知識に過ぎません。社会人になってからの積み重ねもありますが、ほとんどはここ最近勉強し始めたものです。

還暦を迎えて、自分が何も知らないことに気がついた結果です。
京都は、残りで「金閣寺」・「北野天満宮」・「本能寺」、そして最後は「延暦寺」で最澄と空海にふれて、シリーズを終える予定です。

また、ちーばばさんにとってどこかで懐かしいポイントと重なれば嬉しいです。

No title

じゅんさん こんにちは
本のご紹介ありがとうございました。
石のことに関連して、なのですが、
四国の古墳、まだ畿内の影響を受ける以前の古い形の
古墳は、山の上にあって、盛り土の上に石で覆った形状の
古墳があります。 これなどもただ単に石で覆ったら
木が生えにくい、ということもあるかもしれませんが
やはり古墳ですから石の呪術性、ということに
着目して考えないといけないかもしれません。
15日にその吉田先生に会うので、ちょっとその辺のことも
聞いてみます。
京都御所、おそらく昔はお公家さんの邸宅が並んでいたところ
今ではグランドになっています。 野球はさすがにダメですが
バレーとかテニスとかバトミントンであればオッケーだったので
よく授業の空き時間に京都御所でバドミントンとかやっていました。
すいません、アホなコメントで。

貴重な資料

謙介様

昨日12月30日に、「愛媛の歴史特別編」で予告しました通り、ご紹介して頂いた吉田先生の著作は、私にとっては馴染みの薄い世界でしたので、この記事の一部に引用させて頂いたことに留まりました。

ただ、健介さんが例示されたように、古来、日本人は「石」に対する特別な思いを持っていたことを、最近になって実感しているところです。

その意味で、吉田先生の著作は私の中の様々な認識に対する一指針として大変に有益でした。改めて、著作のご紹介を感謝いたします。

この後、3月には4回シリーズで「出雲神話」の世界を語ります。お目通し頂ければ幸いです。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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