「松山市の地名・町名由来」・「浄瑠璃町・畑寺町・太山寺町」 32

今日は、四国八十八ヶ所のお寺に因んだ3つの町の町名由来をご紹介いましょう。それは「浄瑠璃町」(じょうるりまち)と「畑寺町」(はたでらまち)、そして「太山寺町」(たいさんじちょう)です。


なお、松山市内には札所が8ヶ所あります。46番の浄瑠璃寺、47番八坂寺、48番西林寺、49番浄土寺、50番繁多寺、51番石手寺、52番太山寺、53番円明寺です。


今日採り上げる3つの町以外にも、八十八ヶ所のお寺に因んだ町名では51番札所”石手寺”があり、「石手」(いして)1丁目から5丁目がありますが、余りにもよく知られているので今回は触れません。


また「畑寺町」は、町名の下に町がなくなり「畑寺」の1丁目から4丁目までに別れた町になりました。

浄瑠璃町バス停表示
上の画像は”浄瑠璃寺前”というバス停表示です。この町はかつては浄瑠理寺村と表記されていた時代もあったそうですが、現在はストレートに「浄瑠璃寺町」となりました。


この町は、松山市でも東南部に位置していて”九谷地区”の中にあります。町のすぐ南側には高い山があって、久万高原町を結ぶ遍路道があります。

浄瑠璃寺山門
さてこれが”浄瑠璃寺”です。寺伝によれば、和銅元年(708年)に大仏開眼を前にした布教に訪れた”行基”(ぎょうき)が建立したとされます。


この僧”行基”とは、奈良時代”聖武天皇”が”東大寺”を建立(こんりゅう)し、”盧遮那仏”(るしゃなぶつ=東大寺の大仏)の造立を発眼(ほつがん)されたとき、諸国に勧請(かんじょう=今の募金活動)し民衆とともに大仏造立に尽力した名僧です。


つまりこの”浄瑠璃寺”は、東大寺建立と大仏造立という、奈良時代の”大国家事業”がなければ生まれていなかったかも知れません。


更に寺伝によりますと、その後、大同2年(807年)に”空海”(弘法大師)が本寺を再興したとあります。


しかし、正徳5年(1715年)の山火事で焼失してしまいました。

浄瑠璃寺本堂
こちらの画像が”浄瑠璃寺本堂”の現在の様子です。


この本堂の再興に力を発揮したのが、江戸時代の天明期(1781年~1789年)にこの寺の住職であった”堯音”(ぎょうおん)師です。天明5年(1785年)に”堯音住職”(ぎょうおん じゅうしょく)の尽力により復興しました。

立花橋
この”堯音”(ぎょうおん)師は、久万高原町にある”岩屋寺”から松山まで八つの橋を架けたことでも有名です。


八つの橋で、特に有名なのは上の画像の”立花橋”です。


なお現在のこの”立花橋”は、昭和39年に架橋されたものです。

畑寺バス停表示1
次は「畑寺」です。上の画像は「畑寺」のバス停表示です。


「畑寺」の由来は、この町にある50番札所”繁多寺”です。


”繁多寺”の別読みとして、書きやすい「畑寺」となりました。

繁多寺山門2
この画像は”繁多寺”山門です。傷みが激しかったので、1993年に改修されています。


ここ”繁多寺”は”淡路山”(あわじやま)の中腹にありますので、この山門から見渡せる松山市内の景色は絶景です。


特に桜と紅葉の時の景色は見ものです。

繁多寺本堂4
この”繁多寺”も名僧”行基”(ぎょうき)の開基(かいそ=寺を作った)として有名です。


寺伝によれば天平勝宝年間(749年から757年)、”孝謙天皇”の勅願(ちょくがん=天皇自らの願い)により”行基”が開基し、孝謙天皇の勅願所となったとされています。


その後”源頼義”によって再興され、更には”後宇多天皇”の勅命(ちょくめい=天皇の命令)を受けて、公安2年(1279年)”蒙古襲来退散”の祈願を行ったという記録も残っています。

太山寺バス停表示4
最後は「太山寺町」の由来となった”太山寺”です。上の画像は”太山寺バス停表示”です。


なおこの”太山寺”については、2011年12月4日に一度採り上げています。(「太山寺」の風景


この”太山寺”には”一夜建立の御堂”という、有名な説話が残っています。それは豊後国(今の大分県)の真野長者が、高浜の沖合で暴風雨にあった時の事です。


船が大波に呑まれて正に沈まんとしたその時でした、”太山寺”の裏山の経ヶ森から一筋の光が見えたといいます。長者は光を便りに岸にたどり着き、九死に一生を得たというのです。


感激した長者は寺の建立を思いついて、豊後に帰り木組みをさせていたのですが、ある夜、木材が全てなくなっていたのです。


不思議に思った長者は、伊予の情報を集めました。すると、伊予のこの地に寺が建っていたというのです。これが”太山寺”の”一夜建立の御堂”伝説です。

太山寺山門5
この画像は”三の門(四天王門)”です。作りは、入母屋造楼門となっています。


この”四天王門”には持国天、増長天、広目天、そして多聞天が入っています。


この”四天王”は”帝釈天”(たいしゃくてん)の元で仏法を護持する役割を持った守護神ですね。


有名なのは”東大寺・戒壇院”の”四天王”で、今年の夏、妹と弟の兄弟旅で見てきました。その時の事は、正月に特集します。

太山寺本堂6
この画像が”太山寺本堂”で、八十八ヶ所の中では二番目に古い本堂で、”国宝”に指定されています。


なおこの”太山寺”の寺伝のよると、天平5年(733年)”聖武天皇”の勅願により”行基”によって本尊の十一面観音が安置され、天平勝宝元年(749年)に現在の地に移転されたと伝えられているそうです。


ここでも、また”行基”の登場です。行基は、聖武天皇発願の”東大寺”と”大仏”の建立のため、全国を勧請(勧請=寄付集め)の為に飛び回っています。


つまり松山の寺院の中には、奈良時代に行われた”東大寺と大仏”建立という国家的プロジェクトに深く関わっていたお寺が多く残されているということでしょう。


この当時の仏教は、”国家仏教”であったことを示すエピソードですね。


次回の「松山市の地名・町名由来」33番目は、「束本町」「樽味町」の町名由来をご紹介します。




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プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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