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「松山市の地名・町名由来」・ 「和気町・興居島」 36

今日の「松山市の地名・町名由来」36番目は、 「和気町」(わけまち)と、それに関連する「興居島」(ごごしま)のご紹介です。


今の「和気町」は、1丁目と2丁目に分かれております。


この町の”町名由来”にも、歴史の重みを感じます。

和気町バス停表示1
この画像は「和気町」を示すバス停表示です。

この町の由来をご説明する前に、6世紀前半に”倭王権”(わ おうけん=この当時の国名は「倭国 わこく」と言っていて、それを治める中央政権の主は”大君”(おおきみ)という称号で呼ばれていました。”天皇”という称号を名乗るようになったのは後のことです)の”氏(ウジ)”と”姓(カバネ)”の仕組みを説明しておく必要があります。

なおこのことは、来年のお正月に予定しています”愛媛の歴史・特別編 日本の夜明け”にも関係します。ここで、”日本の夜明け編”に先行してご説明しておきましょう。”日本の夜明け編”では、詳しく触れるスペースが確保出来ないからです。

さて6世紀前半の”倭国”(今の日本)の状況と言いますと、倭王権の列島支配が構築されてきた時代でした。

その事により、倭王権に直接使える中央に有力豪族のあり方も大きく変わってきました。それが”氏(ウジ)”と”姓(カバネ)”の成立です。

円明寺八脚門2


さて、”氏(ウジ)”と”姓(カバネ)”という制度の説明を続けます。”氏(ウジ)”とは、蘇我(そが)・物部(もののべ)・大伴(おおとも)氏などの、主にヤマトとその周辺に拠点を置く中央の氏族集団のことを言います。

”氏(ウジ)”とともに、王権の職務分担組織の発展を示すものが”姓(カバネ)”の成立です。
  
姓(カバネ)”とは、蘇我(そが おみ)・物部(ものの べむらじ)などのように、”氏(ウジ)”の名称の後につく臣(おみ)連(むらじ)君(きみ)造(みやつこ)直(あたい)音(おびと)史(ふみ)などの称号のことで、”氏(ウジ)”の王権内の政治的地位を示すものです。

円明寺阿像3
画像は、四国八十八ヶ所の第五十三番札所”円明寺”の”阿像”(あぞう)です。「和気町」にあります。

さて、本題の「和気町」の町名由来に話題を戻しましょう。6世紀前半に、”倭王権”(これを”ヤマト政権”と呼ぶ人もいます)は中央集権化を図り、地方豪族への支配を強める為に”氏姓制度”(しせいせいど=ウジとカバネの制度)をすすめていきました。

松山地方では”和気氏”(わけし=和気ウジ)・”久米氏”(くめし=くめウジ)・”味酒部”(うまさけべ=味酒ウジ)などの豪族が力を持ち、それぞれの地域を支配していました。

なお”久米氏”(くめし=くめウジ)・”味酒部”(うまさけべ=味酒ウジ)のことは、このシリーズで以下に採り上げています。(「松山市の地名・町名由来」・ 「久米町・来住町」 1)・(「松山市の地名・町名由来」・ 「味酒町・萱町・味生地区」 10

その中で”和気氏”の先祖は、景行天皇(けいこうてんのう)の皇子である”十城別王”(ときわけのおう)だということが”日本書紀”に出ているそうです。

その子孫が”伊予別君”(いよわけのきみ)となって、伊予の「和気地区」に定住したというのです。

円明寺吽像4
画像は、四国八十八ヶ所の第五十三番札所”円明寺”の”吽像”(うんぞう)です。


ある学説によりますと、4世紀から5世紀にかけて、現在の天皇をはじめとする豪族、地方豪族などの首長を””(わけ)と言っていて、天皇は以降”大君”(おおきみ)となり、”天皇”の称号を初めて使ったのは”天武天皇”(てんむてんのう)だとされています。


この”別(わけ)”が和気氏の由来となって、その和気氏の子孫が定着した「和気地方」を「和気」と呼ぶようになったというのです。

円明寺キリシタン5
画像は、四国八十八ヶ所の第五十三番札所”円明寺”の”キリシタンとうろう”です。隠れキリシタンの信仰に使われたとも言われる珍しいものです。


また全く別の説として、この地には、”和気姫”が”彦狭島命”(ひこきしまのみこと)という”孝霊天皇”(こうれいてんのう)の皇子と結婚し、越智・河野氏の始祖が誕生したという、伝説が残っています。あくまでも伝説の世界のお話です。


その伝説によって、「和気」は”和気姫”の名前をつけたという話もあります。


しかし、これは神話の世界より更に曖昧な世界での伝説でしょう。

円明寺鬼瓦5
上に書きました”和気姫”に関する伝説は、松山地方の他にもあります。


それは「興居島」(ごごしま)の由来です。「興居島」の船越にある”和気比売神社”(わけひめじんじゃ)にも”和気姫”伝説が残っています。


話せば長くなるので要点のみ。「興居島」沖に昔”うつぼ舟”が漂流していて、その舟の中に十二歳頃の少女が乗っていたといいます。名前を聞くと”唐土”(もろこし=中国の唐)から流れてきて、名前は”和介姫”(わけひめ)と名乗ったそうです。


その娘を地元の漁師が育てて、年頃になると、その美しさが評判となり、その評判がついに都(この時の都がどこにあったのかは分かりません)にまで届き、”孝霊天皇”(こうれいてんのう)の皇子と結婚し、”越智”・”河野”家の始祖”子致命”(おちのみこと)を生んだという伝説です。


でも、史実ではありません。後世の人が作った伝承です。

円明寺八脚門7
画像は、四国八十八ヶ所の第五十三番札所”円明寺”の”八脚門”(やつあしもん)です。この”八脚門”は、愛媛県の重要文化財に指定されています。


先の続きです。「興居島」は”子致命”(おちのみこと)の母親である”和気姫”が住んでいたので”母子島”(ぼごしま)と呼ばれ、それが後に「興居島」となったという由来が、伝説として伝えられています。


また全く別の説では、「興居」という言葉は、”凝し”(ごごし)といい、岩石のごつごつした様子を示した地名だと説明しております。こちらの方が信ぴょう性があるような気がします。

円明寺本堂8
なお昭和15年の合併までは、「和気」は「和気村」でしたが、この年に松山市に編入合併されてお隣の「堀江村」などとともに松山市の「和気町」になりました。


なお「和気」という地名のついた”ことわざ”があったのをご存知でしょうか?それは”闇夜の太山寺参り”と名付けられたことわざです。


松山から太山寺への参拝へは、「和気」を通って参拝に行くのですが、闇夜になれば「和気」がどの方向にあるのか分からなくなります。


つまり”闇夜の太山寺参り”とは、””(わけ)がわからないという意味を表すことわざです。

円明寺遍路9
さて”円明寺”本堂前で”般若心経”を唱和しているのはお遍路さんたち。


この”円明寺”の由来は、8世紀半ば”聖武天皇”(しょうむてんのう)勅願寺として、名僧”行基”によって開祖されました。ここでも”聖武天皇”の”東大寺建立・大仏造立の発願”という世紀の大事業の影響が残っています。


僧”行基”が”東大寺建立・大仏造立の発願”という大事業を成功させるために、諸国に勧請(かんじょう=今の募金活動)を行っています。その際に建立されたという伝承が残ってる寺院は全国に数多く残っています。


当地松山でも、”浄瑠璃寺”・”繁多寺”・”石手寺・”太山寺”、そしてこの”円明寺”などなどです。


日本という国が、初めて国家単位で動き出し、それが地方にも波及していった証が全国に残っているということです。今回決まった2回目の東京オリンピック開催などの比ではない、国家的大事業が”東大寺建立・大仏造立の発願”だったのです。


次回「松山市の地名・町名由来」の37番目は、 「神田町・宮田町・久米窪田町・宮西町」 の由来をまとめてご紹介します。




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No title

たしか和気清麻呂は備前の人だったような。遠い遠い親戚ってことなんですかね。

和気姫の伝説は、河野氏の血統を権威付けるためのある種の貴種流離譚みたいなものだと思いますが。モロコシから関門海峡をすりぬけて松山沖まで流れ着いたという強引さがシュールです!
私はこっちの説の方が楽しくて好きですね。興居島出身の友人がいるので今度聞いてみよう。

歴史の土台

ファットマン様
書かれた様に、和気清麻呂は備前国の出身ですが、奈良時代末期の人で、都に出て大きな働きや波紋を残した人ですね。お正月の1日から書き始めて、連続で6回の「日本の夜明け」編と「京都案内」の7回シリーズで、和気清麻呂のことも学びましたが、記事にはしませんでした。

本文でも書きましたように「和気」は元々「別」(わけ)から出てきたという風にも解され、地方豪族の雄に、別=和気を名乗るものがあったということではないでしょうか。ですから、一族というより、当時の地方に置ける位置づけでは同じ地位といいますか、立場だたっと解するのが自然ではないでしょうか。

越智氏の謂れは、仰る通りだと思います。

日本の歴史を語る上で、中国や朝鮮半島の歴史を無視はできないのですが、今回のワタシがブログアップする1月~3月までの歴史シリーズでは、それらの関係を意識して外して書いております。片手落ちになることを承知の上で。

なお、私の本来の得意分野といいますか、歴史を学ぶ上でのスタートであり基礎となったのは、実は「中国史」です。でも、書きません。不本意で不幸なこととは思いますが。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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