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「松山市の地名・町名由来」・「道後」 40

今日でこの「松山市の地名・町名由来」最終回とします。最終回の地名由来で選んだのが「道後」地区です。


このシリーズは、今年の3月25日「久米町・来住町」を第一回として書き始め、今日で40回となりシリーズを終えます。(「松山市の地名・町名由来」・ 「久米町・来住町」 1


書き始めた当初は、何回のシリーズにするのか?どの町を採り上げるにか?などを決めておらず、ただ漠然と年内いっぱいは書き続けようと思っていた程度でした。


ところが、いざ書き始めると次第に面白くなって、一回の記事に盛り込む情報量がドンドン増えてきました。でも書き続けている内に、ここらが限界かな?って考えてシリーズを終えることにしました。

道後公園駅1
上の画像は、今日ご紹介する「道後地区」の表玄関、伊予鉄市内電車の”道後公園駅”です。「道後町1丁目」にあります。


この”道後温泉駅”は、1895年(明治28年)8月22日に開業されました。今から118年前のことです。


そして1986年(昭和61年)5月31日に、 駅舎の老朽化に伴い、一部建材を再利用・旧駅舎を忠実に再現する形で新築された駅舎完成しました。それが画像の駅舎です。

道後公園放生園2
この画像は、道後温泉駅の正面、道後温泉商店街の入り口にあります”放生園”(ほうじょうえん)です。


建武年間(1326年~1334年)に、伊佐爾波神社が現在の場所に移転された時、境内の御手洗川の引水をたたえて池がつくられました。この池を”放生池”と言い、清浄の池とされていましたが、道後公園駅前の整備に伴ってその”放生池”は埋め立てられました。


道後温泉の始まりという伝説に基づく”鷺石”や、明治24年から昭和29年まで使われていた”湯釜”があります。


なお、道後温泉伝説とは、一羽の傷ついた白鷺が湧き出る湯で傷を癒やしたというものです。

道後公園本館玄関3
こちらが”道後温泉本館”の正面です。逆光でしたからちょっと見えづらいのですが、ミシュランの観光版(ギード・ベール)日本編では二つ星に選定され、”松山城”とともに松山市のシンボルとなっています。


また、この”道後温泉本館”の”神の湯”は、1994年に国の重要文化財(文化施設)に指定されています。


今日はこの”道後温泉本館”周辺を巡りながら、「道後」の地区名由来をご紹介しましょう。


既に一度、「道後」の由来については今年の1月31日に簡単に触れています。(「茶房 ひょん」・「愛媛グルメ紀行」 466


その中でも触れています通り、「道後」という言葉は、”大化の改新”(655年)の翌年に出された詔(みことのり=天皇の命令)で、都と地方の国府(こくふ)を一本の道で結ぶという命令から付いた言葉です。

道後温泉本館4
その道は七街道設けられました。つまり、東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道で、伊予の道はその中の”南海道”でした。


その一本の道には”駅馬伝馬(えきばでんま)を置き、鈴契(すずしるし=駅馬・伝馬を利用する際の証明)をつくる”ことが定められました。


四国への”南海道”は、都から紀伊、淡路、阿波、讃岐と通じ、現在の今治・桜井にあった”伊予国府”とつながっていました。当時の伊予国の”国府”は松山ではなく、”今治”にあったのです。


ですから、”国府”を中心に、都側を”道前”といい”みちのくち”を表し、「道後」は”みちのしり”を表わした言葉です。都から遠い地域をそう呼びました。


これらの駅路は官道(かんどう=現在の国道)ですから、現代の高速道路のように2車線~4車線幅のまっすぐな道でした。地形によって曲がった道を作ったほうが安上がりに出来たはずですが、愚直なまでに直線で貫いて作られました。当時の道幅は16mです。


なおここ”道後”を含む”伊予国”は、今の奈良地方で”ヤマト政権”が誕生するまでは、日本海側の今の島根県にあった”出雲王国”の影響を長らく受けていた時代がありました。そのことは、来年3月に予定しています”出雲国の歴史”で再度触れるつもりです。

道後温泉本館5
「道後」は今治にあった国府の西側の広い地域全体を示していました。そして中世には”道後七郡”として、松山周辺から今治周辺までを含んでいました。


「道後」が温泉周辺の地域を指すようになったのは、伊予国の中世期に守護大名であった”河野氏”が"道後湯築城”をつくって、その一体を支配するようになってからのことです。


それまでは、今の”道後温泉”は、”伊予の湯”とか”熟田津の石湯”(にきたつのいわゆ)などと呼ばれ記されていました。


なお6世紀から7世紀の初頭、時代区分から言えば”飛鳥時代”に、”聖徳太子”は太子の師であった高句麗僧の慧慈(えじ)らとともに、この地に遊行(ゆうこう=旅行)しています。

道後温泉本館6
そして”聖徳太子”は太子自身の政治に対する考え方や覚悟を記した”碑文”をここ道後の地に残しました。(ただし現在、現物は残っていませんが、その原文が「続日本紀」<しょくにほんき>に残されています)


その頃の風土記(ふどき)によりますと、伊予の道後温泉は”湯の郡”(ゆのこおり)と記されています。


道後には伝説によりますと”神功皇后”(じんぐうこうごう)が来たとか、様々な王族が来たことになっていますが、正史に記されている人物で道後に初めて来たのは”聖徳太子”とされています。


既に6世紀から7世紀初頭には、京(当時はヤマト、中でも飛鳥)でも聞こえていた地であった訳です。ただ、この地が「道後」と記されたには江戸時代になってからのことです。

道後温泉本館7
そして「道後」の名前を全国的に広め有名にしたのは、当時の道後町長であった”伊佐庭如矢”(いさには ゆきや)氏の功績です。


まず伊佐庭如矢氏が取り組んだのが養生湯の改装と有料化です。当時は無料でお遍路さんや湯治客や地元に人々に開放されていました。


有料化するに対しては、”松湯”という無料の温泉を事前に作っています。有料化反対論への配慮です。


そして”道後温泉本館”である”神の湯”の改築を行いました。また温泉の改築だけではなく、道後と城下を結ぶ軽便鉄道を開通させたり、道後公園に日本庭園を作るなどしています。


なおこの画像の”道後温泉本館”は1894年(明治27年)に建築されたものです。来年で筑後120年を迎えます。老朽化も進んでおり、改築計画も持ち上がっています。ただ、この雰囲気を残した建物が再現できるのでしょうか、危惧しております。

道後温泉白鷺8
この”道後温泉本館”には、道後温泉を象徴する”白鷺”が青空に映えるように天高く掲げられています。


なお、全国的には”愛媛”という県名よりは「道後」という名前のほうがよく知られているのです。


「道後」をここまで全国的に有名にしたのは、”夏目漱石”の”坊っちゃん”効果でしょう。夏目漱石は、必ずも「道後」を印象のいい町とは書いておりません。


むしろ、江戸っ子である漱石には「道後」の伊予人たちとのテンポが合いませんでした。ですから散々に伊予人をこき下ろしています。でも、その内容よりも、「道後」という名前を全国区的な地名とした功績は否定できません。

道後温泉湯釜9
なおこの画像は、愛媛県有形文化財に指定されている”石造 湯釜”です。道後公園の北口、湯築城跡に至る登り口にあります。


この石造りの”湯釜”は、浴槽内の温泉の湧出口の設置されるもので、現在の道後温泉本館が出来た明治27年(1894年)まで使用されていたものです。


花崗岩でできているこの”湯釜”は、奈良時代の天平勝宝年間(749年~757年)に作られたものと伝えられています。

湯築城跡から松山城10
この画像は、”道後湯築城跡”から、”松山城”を臨んだ光景です。


さて、今日までにご紹介してきたのは、今日も含めて”104町名”と”9地区名”の、合計”113町・地区”で、今の松山市にある町のホンの一部をご紹介したに過ぎません。


ただ取材の為に様々な町や地区をお訪ねし、自分でも知らなかった事実や施設や寺社などを見聞きすることが出来ました。このシリーズを書かなかったら、生涯知ることはなかったでしょう。


また書き進めていく過程で、多くの方から貴重な情報提供やアイデアをいただきました。感謝の念でいっぱいです。


と同時に、こういう地味で退屈なシリーズにまで目を通していただきました皆様に対しましても最後に熱く御礼申し上げて筆を置くことにします。


ありがとうございました。


<追記>

「松山の地名・町名由来」シリーズの34号「生石町と生石地区」(「松山市の地名・町名由来」・「生石町・生石地区」 34)の記事の内容の中で、「生石町」(いくしまち)の町名由来は間違っているというご指摘を「O氏」から頂きました。

更に、「生石町」の町名由来となったとされている<阿弥陀如来像>は、写真文章とも完全に間違っていて、伝承されてきた石仏は、建物の中に置かれている」というご指摘でした。

そういうご指摘を頂いたこと自体、ワタシの書きました記事を真剣に読んでいただいたということであり「O氏」に、深甚なる謝意を表するとともに、以下の文章を付け食わせさせていただきます。

①「町名由来」に関する説は諸説あって、ワタシが紹介したのはその中の一つに過ぎないことを、改めまして書いておきます。

②「阿弥陀如来像」の写真と画像とも違っているというご指摘があったことをご紹介しますとともに、では伝承されてきたという「阿弥陀如来像」はどこに保管されているのかは分からず仕舞でした。

以上2点を追記させていただきます。




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No title

じゅん様

久しぶりに”道後温泉本館”を拝見させていただきましたぁ~

そうでしたか~やっぱり趣がありますねー。
残念なのですが~一度も道後温泉には訪れたれたことがありませんm(_ _)m
もう5年くらい前には『ふなや』さんに家族でお邪魔させていただいたときの正面で写真だけは頂きましたよー。

ミシュランでの二つ星に選定されたのは素晴らしいですね~
松山城にも、お邪魔した時はキャンドルライトがステキだったのを思い出しました。

実家には近いので直ぐにでも行けそうなのですが、母ともう一度は無理かなぁ~善き思い出にしまっておきますねー。

懐かしき”道後温泉本館”でした
ありがとうございました。

実は

ぴんくモッチー様
コメントありがとうございました。

そうでしたか、松山城にも道後にもいらっしゃったことがある!
それは嬉しいですね。

道後温泉が筑後120年を迎え、建替えの話が起こっています。でも、今の風情ある建物は、何とか保存していただきたいと思っております。

なお、実を言いますと、私も道後温泉には1回しか入ったことがありません。温泉は好きで、近くにある温泉にはよく行くのですが。

何か観光客の為の温泉という感じがして。ところが、早朝は地元の馴染み客で一杯になるそうですが。

お母様のその後のご様子ですが、特に言及されていたいということは、特にお変りないと信じます。いたわってあげて下さい。
コメントありがとうございました。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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