「愛媛の歴史特別編」・「出雲国の歴史・外史」 2

今日は、「出雲国の歴史・外史」の2回目です。今日は主に「出雲神話」の内容を書きます。


さて「出雲神話」です。「出雲神話」の根幹をなす部分は三つあります。


その一つは、「ヤマタノオロチ伝説」です。

出雲大社中鳥居1
上の画像は”出雲大社二の鳥居”です。


古事記では次のように書かれています。大筋の話ですが、”スサノオ”が高天原から出雲の国の斐伊川(ひいかわ)に降り立ちます。


「高天原」(天上の国)にいる父”イザナギ”の怒りに触れて、地上にある日本の「根の国」(今の島根・出雲)に流罪となった結果です。


その斐伊川(ひいかわ)に”国つ神”(クニツカミ=その地方の神)の子で”アシナヅチ”という老人がいて、その妻の老女とが一人の少女を前にして泣いていました。


少女は二人の娘で”クシナダヒメ”といいます。

出雲大社中鳥居から外鳥居2
上の画像は”二の鳥居から一の鳥居”を臨み見た光景です。


老人が言うには、毎年”高志(こうし)のヤマタノオロチ”がやってきて娘を食べてしまい、今年は目の前の”クシナダヒメ”が食べられるというのです。


ヤマタノオロチ”とは、八つの頭と八つの尾を持つ大蛇です。


そこで”スサノオ”が知恵を出し、大蛇を酒に酔わせて”クシナダヒメ”を助け、斬った大蛇の尾から「草薙剣」(くさなぎけん)を取り出したという伝説です。

出雲大社参道3
上の画像は”出雲大社参道”です。


普通の神社に見られる”上り”の参道ではなく、”出雲大社の参道”は”下って”います。普通の神社とは”あべこべ”です。この””は・・・ハテ?


さて、この「草薙剣」が、後に「ヤマト王朝」に伝わる三種の神器の中の一つである「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)=「草薙剣」となります。


なお、三種の神器の残りの二つは「八咫の鏡」(やたのかがみ)と「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)です。


「ヤマト王朝」、現在の天皇家の三種の神器の内、「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)=「草薙剣」と、「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)が「出雲王朝」に関係しています。


関係しているというより、「ヤマト王朝」が、「出雲王朝」から”国譲り”に伴って引き継いだのではないでしょうか。”国譲り”については後で書きます。


如何(いか)に、「出雲王朝」「ヤマト王朝」が、濃厚な関係にあったのかを示すものでしょう。


さて、”スサノオ”は助けた”クシナダヒメ”を妻として、”ヤシマジヌミ”を生みますが、このヤシマジヌミの子孫が以降代々に渡って「出雲王朝」の主(ヌシ)となりました。


その子孫の中の6代目に、「因幡の白兎伝説」(いなばのしろうさぎ でんせつ)で有名な”オオクニヌシ”がいます。

出雲大社石碑4
この「ヤマタノオロチ伝説」の中で出てくる”高志(こうし)のヤマタノオロチ”について、「高志」「越」(こし)であり、「越の国」であるという説があります。(越の国=現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に至る地域を指します)


つまり、”スサノオ”は「出雲王朝」をたてるに当たって、当時強国であった「越の国」(越前、越中、越後など)が出雲にやってきて無理難題を吹きかけていた現状をみて、苦しめられている出雲の民を助けようと思い立ちます。


そこで”スサノオ”は、「出雲の国」を支配する為にやってきていた「越の国」の連中を、機略を使って皆殺しにしました。これが「ヤマタノオロチ伝説」の元ではないかと考えられます。


更に”スサノオ”から6代後の”オオクニヌシ”の時代になって、その支配地が広がっていきます。隣の伯耆(ほうき=今の鳥取県西部)や因幡(いなば=鳥取県鳥取市辺り)の国を支配下に収めました。


次に”オオクニヌシ”が狙いをつけた国が「越の国」です。「越の国」は日本海側にあって、大陸との交流や、糸魚川で取れる”ヒスイ”を独占していた豊かな国でした。


そこで「越の国」を攻め、支配下におきます。その戦いの成果として「越の国」の女王であった”ヌナカワヒメ”を娶り、縄文時代以降”翡翠”(ヒスイ)の生産で豊かで強い国であった「越の国」まで勢力下においた、という説です。


当時「越の国」の糸魚川で採れていた翡翠(ヒスイ=緑の宝石)は、玉造(まがたま)の材料として重視されており、後に出雲国の遺跡(命主社の社殿)で、糸魚川産の“ヒスイの勾玉”と“青銅器”が発見されています。このことによって出雲国と越の国との関係が深かったことが実証されています。

出雲大社亀甲紋5
さて「出雲神話」の2つ目は「国引き伝説」です。


出雲の神の”ヤツガミヅオミツノ”が、出雲の国は小さいので、朝鮮半島の新羅の岬に余分な土地があると言って、大綱で国を引っ張ってきて出雲にくっつけ出雲の国を広げたという伝説です。内容は省略します。


越の国を征服した”オオクニヌシ”は、次にヤマトを征服しようと「ヤマト」に出かけます。つまり、一時的にはヤマトも「出雲王朝」の勢力下に置かれていた時代(弥生時代)があったということです。

出雲大社社殿周囲6
それが証拠に、奈良をはじめとして近畿圏には「出雲系の神」を祀る神社が数多くあります。


その勢いは、中国・四国にまで及んでいました。(北九州には別の勢力がありましたが、今回はそれには触れません)


オオクニヌシ”の時代に「出雲王朝」は日本のおおよそ3分の1をその勢力下においていて絶頂期を迎えました。

出雲大社社拝殿7
上の画像は”出雲大社社拝殿”です。


しかし、絶頂期の後には衰退期がやってくるというのが歴史の常です。その後、広大な勢力圏を支配し続けることが困難になってきます。


そういう時代背景を織り込んで「出雲神話」の3つ目の「国譲り伝説」があります。



これは、「高天原の神々」が、天孫降臨(てんそんこうりん=”アマテラス”の孫の”ニニギ”が日本に降りた)させた「天孫民族」である”高天原系民族”に日本を支配させようと、高天原から色々な神を出雲へ遣わします。


「出雲国」を説得したり脅したりしたのですが、全部失敗して、出雲は国を譲ろうとしません。

出雲大社神楽殿柱8
上の画像は”出雲大社神楽殿柱”です。


そこで最後に、高天原は”タケミカヅチノカミ”(建御雷神)を出雲に派遣し、「天孫民族に国を譲れ」と迫りました。


その時の出雲の主は、絶頂期を過ぎた”オオクニヌシ”(大国主命)でした。


高天原から遣わされた”タケミカヅチノカミ”(建御雷神)を前にして、”オオクニヌシ”は二人の息子に相談してみたいと言います。


絶頂期の”オオクニヌシ”であれば、息子に国の行く末を相談したりはしなかったことでしょう。オオクニヌシは、既にその時老いていたのでしょう。


長男の”コトシロヌシノカミ”(事代主神)は「分かりました、おっしゃるとおり、国は譲りましょう」と言いました。

出雲大社神楽殿しめ縄9
上の画像は”出雲大社神楽殿しめ縄”です。

ところが次男の”タケミナカタノカミ”(建御名方神)は譲らないと主張したので、”タケミカヅチノカミ”(建御雷神)と力比べをすることになりました。

ところが、この力比べです。”タケミナカタノカミ”(建御名方神)は”タケミカヅチノカミ”(建御雷神)に全く刃が立ちませんで、命からがら”信濃国”に逃げてしまいます。

ところで、”タケミナカタノカミ”(建御名方神)が命からがら逃げた”信濃国”は、今の”長野県”です。

この”長野県”で一番有名な(一宮)神社は”諏訪大社”です。


その”諏訪大社”の主祭神は、出雲国から逃げてきた”建御名方神 ”(たけみなかたのかみ)なんです。そして”諏訪大社”のお祭りは、日本三大奇祭の一つとして有名な”御柱祭”(おんばしらさい)です。

この”御柱祭”、巨大な樅の木の巨木16本を、それぞれ4本に束ね、社殿の四方に建てて神木とする勇壮な大祭です。この巨木に関する祭りのことを覚えておいて下さい。最終回の4回目の記事に、微妙に重なることに驚かれるでしょう。

さて、”オオクニヌシ”(大国主命)は「わかりました。おっしゃるとおり、国は譲りましょう。ただ、私に天に届くように高く地の岩を貫くような柱で大きな社(やしろ)を造ってください。私はそこに隠れましょう」と答えました。

これが「国譲り伝説」であり「出雲大社」建設の謂(いわ)れです。

2回に渡って、「記紀」には「出雲神話」はどう描かれているのか?またその「出雲神話」とはどういう内容であるのかを書いてきました。

次回は「荒神谷遺跡」発掘の衝撃と、発掘された内容をご紹介しましょう。

この話、第4回の最終回で、全ての謎の答えが”暗示”され、又は”解き明かされ”ます。その意味で、第4回の最終回は、お正月から書いてきました全16話の”ジグソーパズル”の、最後の”ワンピース”を埋めるお話となります。



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プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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