「過去記事を振り返る」 24

今日のお話は、ワタシがまだ”若き時代””のお話です。


「東京→愛媛 1,000km(後編)」 (2010年4月13日掲載)

私がまだ”大学生の頃”のお話。大学時代の夏休み、自転車旅行7日間、先週アップしたものの続きです。


3日目は、愛知県”岡崎市”の荒寺の床の下で野宿しました。

鈴鹿峠
4日目は、全行程の中で”箱根峠越え”に次ぐ二番目の難所”鈴鹿峠”を越えて”大阪府枚方市”の妹の寮に泊めてもらいました。

妹は高校を卒業しその時は既に社会人で、貧乏旅行のワタシの姿を見かねて、そっと”小遣い”をくれました。妹を拝みました。


5日目に兵庫県の姫路から”小豆島”に船で渡りました。

小豆島2
港の雑貨店”2階に、夕食風呂付で”無料”で泊めてもらいました。

お金は殆ど持っていませんでしたから、野宿か人の情にすがるしかないのです。

宿泊代は7日間で0円。


翌朝早く、雑貨店でおにぎりを頂き出発しました。

小豆島の”草壁港”から高松に向かうつもりでした。


フェリー乗り場に着いたときには、既にフェリーは出船して港の中で方向を高松方面に舵を切るところでした。

あーあ、間に合わなかった・・・」と溜め息を付いた、その時です。


港の切符売り場にいたおばちゃんが「ニーチャン、あの船に乗りたかったン?」って私に話しかけたのです。

「ウン、でも・・・・間に合ワナンダ」という私を尻目に、”ドラ”を持ったおばちゃん、急に桟橋に走って叫んだ。


ドラをジャンジャン叩き鳴らし「オーイ、戻ってコーイ!」っと大声で。

「えー?オバチャン、もうエエンヨ、次まで待つから」

「あんた、アレに乗りたいンヤロ?」と、二人でやり取りをしていると、汽笛を「ボー!」と鳴らしたフェリーがゆっくり港に引き返して来たのです。

小豆島フェリー
乗船客は、怒るどころか、皆さん「ガクセーサン、良かったナー!」って。

本当に信じられないくらいノドカな時代があったのです。


6日目は松山、7日目に当時の東宇和郡野村町の郷里に着きました。


かくして、6泊7日、全1,000Kmの”自転車ミニ冒険旅”は終わりを告げました。

人と人の”善意”で、社会全体が支えられていた時代のお話でした。



にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

いい時代ですね〜。
あ、でも私も卯之町駅で特急列車にちょっと待ってもらったことがあります。列車に並走する形で猛ダッシュしてたら車掌さんが気づいてくれたんです。ありがたかったです。

子どもたちに安全指導をする時に「見た目は優しそうでも悪い人かもしれない。」って話をしないといけないこのご時世。悲しい指導よね、という話になります。疑わずに善意を受け取れたらいいのになぁ。

No title

こんばんは、こういう時代に戻ってほしいな♪
内の父も車で出かけるとよく、真っ黒な青年を連れて帰ってきました
母もなにも言わず一泊、夕食がいろんな話で盛り上がりました♪
父曰く、自分の息子も(当時二男が東京の大学で歩く同好会に入ってまして、あちこち歩き回ってましたので)どこかで誰かのご縁に助けられてるかもと思っていたようでした(^_-)-☆
いつの頃からか、信用という言葉薄れてきましたが、四国はお接待というご縁がありますよね♪
穏やかでゆったりした心を持ちたいものです♪
私も学生時代、一人旅が好きで近場ですがうろうろしてました
京都に住んでましたので関西・中国地方足を延ばして金沢・長野くらいまでですが♪もち、泊まるところだけは決めて、ロッジとか友人宅・牧師館などにただで泊めていただきました♪
今、孫が行くと言ったら止めるかも(>_<)
良き時代に青春しましたね(^^♪

サクラ止めるなと、金もないのに着の身着のまま旅に出る兄

「お兄ちゃん、お金ないんでしょ。」と、がま口からそっとお金を渡してくれる優しい妹

困った時にはお互い様と、人と人が支え合っている風景

……まさに古き良き昭和時代のお話ですね。

寅さんならきっと途中で行き倒れになって、助けてくれた御宅のお嬢さんに恋に落ちてそこに居着いてフラフラしてる内にふられるんだけど、じゅんさんにも甘酸っぱい出会いがあったんでしょうか♪

同感です

くく様

そうなんですよね~。もう、今では、全国津々浦々、この時代のようなシーンには出会えないかも知れません。悲しいことです。

子供への教育の方向が、そう教えなければ自分を守ることが出来ないだなんて。一体どうしたんだ!って言いたくなります。

でも私が今書いていますブログの根底にあるのは、この時代の経験と感覚と人間観なんです。

それは「愛媛グルメ紀行」でも「愛媛の歴史」においても同じスタンスで書いている積もりです。通用するかどうか?などとは考えないままに書いています。^^

お父様も

ちーばば様

あれれ、お父様もそういう世話を焼かれていたんですね。お互いに、世話を焼き、焼かれながら世の中が収まっていた時代が間違いなくありました。

それを我が身で体験してきた私としては、同じ立場に立てば、事情が許すなら同じことをしていると思います。

このブログを頼りに神奈川から訪ねて来られた青年には、県内を案内し、ご飯も一緒に食べた思い出があります。このブログで繋がったのも何かの「ご縁」ですからね。

さてお孫さんになると、事情が違いますか?ウフフフ、そうかも知れませんね。でも、ぜひ冒険させて上げて下さい。大きく育って欲しいですもの。

ウフフフ

読女様

まさに、「さくら」が、お小遣いをそっと握らせてくれた。妹ってありがたいですよ。寮にも泊めてもらった。ご飯も食べさせてくれた。兄は親の仕送りで大学に行き、そうやってフラフラ遊んでの自転車旅行。

妹は高校出て就職して、一人で生活して、馬鹿兄に小遣い渡す。よく似た構図ですね。

ところがこの兄ときたら、ま~~何と言いますか、「女にもてない」兄でした。妹の結婚式に出た時も「にーちゃんも、はヨ結婚しーな!」って説教されましたもん。

行き倒れになりかけたこともありましたが、救いの手を差し伸べて頂いたのは皆おばあちゃんばかりでした。ハイ、おばあちゃんにはモテる青年でした!

その時のおばあちゃんより、いつの間にか年上になっちゃった!

今は

遅くに失礼します。

僕が1~2才の時のお話しですね。
今は、小中学生が自転車で中年男性に追い越されたり、夕方に見知らぬ人に「早く帰りなさい」と声を掛けられただけで親が警察に報告するような時代になってますから
良い時代だったんですね。

僕にも妹が居ますが、女性はなぜああも経済観念がシッカリしてるんでしょうか?
不思議です(笑)

女性は

ガド様

妹と私は、学年が1つ違いですが、妹のほうが早くからずっと大人でした。

私と弟は、どちらかと言うと個性の強いタイプの子供でしたが、妹は大変に常識的な子で、何時も家族間の調整役を引き受けていたように思います。

ですから、今でも頭が上がりません。もちろん、兄の私をたててくれるのですが、しっかりしていて真っ当なアドバイスをしてくれます。

そういう意味で、私は、女性は子供の時から、男よりはずっと大人で在り続ける存在だと思っています。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード