「過去記事を振り返る」 28

ワタシが書いています”じゅんのつぶやき”というブログのカテゴリーには、”愛媛の歴史”と題した分野があります。ワタシにとっては”愛媛グルメ紀行”に次いで重要なジャンルです。

今日は、その”愛媛の歴史”にカテゴリーした記事を振り返ります。この頃は、まだそれほど”歴史”に特化した記事のカテゴリーを書こうという意思はありませんでしたが、自然自然と”歴史”について語っていました。


「重信川とおたたさん」 (2010年5月13・14日掲載)

重信川”は豊臣時代までは、伊予第一の川ということで”伊予川”とよばれていた。

重信川”の名の由来はよく知られているように、この川を改修したときの普請奉行(ふしんぶぎょう)であった”足立重信”の名を採った。

全国の河川で人名がついているのは重信川だけではないかと、司馬遼太郎は「街道をゆく」の「南伊予・西土佐の道」で書いている。

重信川
(佐古ダムに集められた水は、この礎石で水流を調整され”重信川”下流域に向かいます。)

関が原から三年後に当時の城主”加藤嘉明”が家康に乞い、道後平野に新城と新城下町を築くことを許可される。

時に旧城の松前(正木)城下に”おたた”という魚を行商する女がいて、陽気で頭がよく、唄がうまかった。

伊予川の改修に当たって、加藤嘉明自身がこの行商女に地元を賑わすことを頼んだ。

おたた”は普請用の砂を松前で採取し、桶に入れて頭に載せて、道中唄を唄いながら松山まで運んだ。

当時は城主自らが“もっこ”を担いで普請に参加したというから、”おたた”の活躍は、普請作業の盛り上がりに大きな役割を果たした。

重信川下流再縮小
(夕日に沈む”重信川”です。下流の方向に砥部の山々が見えています。)

それ以降、松前からお城下に魚を行商に来る女達を優遇した。

今も、三津浜の港に上がる魚を軽トラックに乗せて行商のおばちゃんが、お城下の街々のおなじみさんを回っている。

その他、松山で有名なのはトラックで流す”飴にギョーセン”のおばあさん。

今は二代目が回っているが、あの売り声は先代のおばあさんの声をテープに残してスピーカーで流している。

松山の行商は昔から女性が担っていた。

重信川と電車縮小
(間もなく瀬戸内海。予讃線が重信川をまたぎます。電車は伊予市に向かいます)


これが”重信川”と、松前町の”おたた”さんの由来です。


この記事を書いた頃には構想にありませんでしたが、ワタシはこの3年後の2013年3月25日から40回のシリーズで「松山市の地名・町名由来」を書くことになります。


結局、”104町名”と”9地区名”の、合計”113町・地区”で、今の松山市にある町名・地区名の由来を書きました。この”重信川”の由来を書いた頃から、”地名シリーズの芽”が、地中からそーーっと、顔をのぞかせていたのかも知れませんね。


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おはようございます♪

魚の行商のおばさん達の呼び名は、各地方で異なってますね(^_^;)
ベルさんは讃岐でしたから、お魚を売りに来るおばちゃんの事は、
いただきさんと呼んでました(^^)
世間の話に長けてて、旦那さんが漁師って方が多かったです。
常連客を持ってて、魚を触るのが苦手な方には、頼もしい
調理人でしたね(笑)

此方では、おたたさんって言うんですね。
スーパーでしか買わなくなった魚ですから、おたたさんのことは
初めて知りました、40年も住んでるのに(^^ゞ

最近では

ベル様

そう言えば、最近、魚の行商のおばちゃん見かけなくなりましたねー。

「おたた」さんの時代には、松前漁港が松山の台所を担っていた時代もありましたが、何時しかそれが三津浜漁港に移っていきました。

恐らく魚市場の関係ではないかと想像しています。ただ、いずれから出発しようとも、松山では古来、魚の行商のおばちゃんの総称を「おたた」と呼んでいた時代があったのでしょう。

今でも、松前町のある飲食店にお伺いしたときは、「昔の行商の中心はこっちやった!おたたさんの時代から、それが決まりやった!」って言う女将さんん出会って、驚き、歴史は生きている!っと感じたものでした。

口八丁手八丁の多くの「おたた」さんが活躍した時代、人々も声を掛け合える距離の中で生活していたんでしょうね。

ギョ~センアメ・・・老婆の歌声が子供心に不気味でしたが、今となっては懐かしいです。

昔はいろんなものをオリジナルソング流しながら売りに来てましたよね。お気に入りだったのは、本物のロバが引いてたロバのパン。
おじさんに追い払われながらずーっと後をついて歩いてました♪
懐かしいな~( ´ ▽ ` )

ノスタルジア

読女様

読女さんも、「飴ニー、ギョーーーー^^セン^^」の売り声を知っている口なんですか! ホッホーーー! ある意味で驚きです。

ロバのパン屋さんもいましたねー。当初は本物のロバが車ひいていた。

時代が下ると「たこ焼きハッチャン」の売り声とか。

でも、そもそもは、江戸時代、文化が爛熟した文化文政時代に庶民文化が花開いた頃からの伝統ですから、古い話ですよね。

そういう物売りの声って、どこか物悲しくて哀愁を帯びていて・・・好きです。

身体に優しい

じゅんさんこんばんは!

「ぎょうせん」懐かしいですね。
子供の頃、祖母がたまにアメ湯を作ってくれました。これも好きでしたが、そのまま箸やスプーンに巻き取って食べるのも好きでした。当時、大人たちは箸を器用に使って「ぎょうせん」を真っ白になるまで練ってから食べていました(その意味は?)

今考えると「ぎょうせん」は砂糖ほど甘さがキツクなく、食べた後でも歯がシクシクしなかったような気が……。

ところで「ぎょうせん」ってどんな漢字で書くとどういう字なんですかね?

ぎょうせん

ガド様
「ぎょうせん飴」の「ぎょうせん」を漢字でどう書くのかは、私が調べた範囲では分かりませんでした。

また「ぎょうせん飴」の起源も、平安時代からあった、江戸時代に生まれたなど様々です。

愛媛・松山だけのものではなく、香川県や広島県、愛媛県など瀬戸内海沿岸部に昔から作られ続けている飴です。

その材料も各地で微妙に違うようですが、共通項は「麦芽」です。麦芽はご承知の様に「水飴」の元ですし、ビールにもウイスキーにもなります。また、甘さの源です。

麦芽に加えるものが、各地によって米の澱粉か、さつまいもの澱粉か?

愛媛の今日話題にした「ぎょうせん」は、麦芽にじゃがいもやさつまいもから採った澱粉を加えて作られています。砂糖は一切使われておりません。

甘さは昔から貴重品でしたから、時代によっては薬代わりに使われたこともあるようです。大人が混ぜに混ぜたのは、麦芽の特徴ですが、練れば練るほど甘味が増したからでしょう。白く変わったのは、ぎょうせん飴に空気が加わり内部に気泡となって白く見えたと思われます。

何れにしても、懐かしい味ですね。^^
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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