「松山城お壕の春と忘れられた歴史 ②」・「「過去記事を振り返る」 60

今日も、2012年3月18日にアップした記事を振り返ります。(「松山城お壕の春」と忘れられた歴史 2


、”松山城のお堀の危機”を乗り越えた、ある出来事に付いて振り返ります。今日はその第2回目です。



昨日に続いて、”お壕”の初春の風景を背景に””「松山城お壕の春」と忘れられた歴史””の第二段をお届けします。


松山市民でも、”お壕が埋め立てられる”危機に直面した歴史を知っておられる方は少ないかも知れません。


当時関係された方々の一部のご家庭では話継がれている歴史かも知れませんね。

紅梅アップと白鳥1
さて、強行に反対していた市議会も松山市長の”米軍司令官命令”という錦の御旗を掲げての説得に、最終的には全会一致で賛成してしまったのです。


当時、進駐軍である”米軍司令官命令”に逆らえる人や勢力はありませんでした。


ところがです。ところが、その”錦の御旗”米軍司令官命令に反対の声を上げた方々が、松山にはいたのです。

白梅アップと白鳥2
松山城のお濠を埋立の危機から救った最大の功労者は、元横浜地方裁判所判事、元衆議院議員、弁護士の”岡井藤志郎氏”でした。


岡井藤志郎”氏は、明治28年に愛媛県で生まれ、東京帝国大学を卒業後しました。


戦前は、広島や松江、横浜などの裁判所判事を歴任、戦後は弁護士となり、昭和22年に衆議院議員に当選されていた時代の話です。

白鳥紅梅水紋3
松山市議会の全会一致の可決を受け、いよいよ”お壕”は埋め立てられようと準備が進められていました。


お壕”の運命は”風前の灯”と化しました。


その時に、岡井藤志郎氏は「松山城濠埋め立てに対する反対同盟」を結成し、決然と立ち上がったのです。

白鳥紅梅水紋4
岡井藤志郎氏は8月15日付愛媛新聞に反対意見を投書して市長及び市民に訴えました。


それを受けて、長坂親和氏、田井能重雄氏等は「松山城濠埋立反対期成同盟会」を結成して猛烈に反対するための運動にとりかかりました。


当時参議院議員であった久松定武氏(歴代”松山城藩主”の子孫)もシアルス中佐、レイ少佐に貴重な文化財の保護を訴えました。

紅梅越の白鳥5
立ち上がったのは、それら当時の松山の著名人たちばかりではありませんでした。


お濠”の水を灌漑用水の唯一の水源としている”朝美地区”百五十戸の農家で組織する”城濠水利組合”の組合員も水田耕作農家の死活問題であるとして猛然と立上がったのです。


ワタシは、”国守る”という美名の裏に潜んでいる、”国民の生命と財産を無条件で国に捧げよ!”という”策謀”には、断固反対し続けます。更にこの”松山城お堀”を守らなければならないと立ち上がった先人の方々の勇気に深甚なる敬意を表します。

紅梅越の白鳥二羽6
今、お壕には”白鳥”がその姿を優雅に舞うように泳いでいます。(最近生まれた白鳥の雛は5羽)


早春とはいえ、吹き抜ける風は冷たい。


白鳥たちは、二羽が仲良く日向ぼっこです。

紅梅と白鳥二羽7
お壕が埋め立てられていたとしたら、彼女達の日向ぼっこ風景も見ることは出来なかったでしょう。


明日、「お壕埋め立て事件」の結末を書いてこのミニシリーズを終わることにします。(過去記事再アップ)





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プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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