「肱川あらし(肱川おろし)」・「過去記事を振り返る」 86

今日は、2011年12月26日と27日にアップした記事を振り返ります。

この頃は、86歳でこの翌年2012年の1月に亡くなった”母を看取る”毎日を過ごしていた頃です。母の枕元に付き添って、母の命が燃え尽きかけようとしているのを、まんじりともしない気持ちで見ていました。(記事記載当時)

以下の記事を含めて全6回で”母を看取る”をお届けしています。(<母を看取る①>)~(<母を看取る⑥>最後

今回この時期に”過去記事を振り返るシリーズ”でこの記事を選んだのは、その時のワタシの心境を説明するのに、一番適した光景だと思ったので振り返ります。

今回は寒風吹きすさぶなかの、”肱川あらし(肱川おろし)”を振り返ります。年末が迫る、ある寒い朝です。

大洲盆地で発生した霧が、肱川河口から一気に瀬戸内海に流れ出します。

肱川下ろし5縮小
これが”肱川あらし(おろし)”です。冬の長浜名物ですね。

川の両岸が深い霧に包まれます。霧は、すさまじい勢いで河口方向に向かいます。

肱川下ろし7縮小
この嵐のような寒風を衝いて、肱川河口を散歩する人がいました。

時刻は6時過ぎですよ。まあ、ナント・・・二の句が継げませんでした。物好きというか・・・・

肱川下ろし9縮小
水面を見てください。

この荒波ですよ。激しい風が吹きすさびます。

肱川下ろし13縮小
でも、東の空には夜明けが迫っています。

この画像は、夏にも一度アップした”長浜大橋”です。別名”赤橋”です。可動橋として全国的に有名ですね。

長浜大橋4縮小
霧が河口に押し寄せ、両側の谷と谷の間を舞っています。

温暖な愛媛でも、冬場にはこういう風景が出現する地域があるんですね。

長浜大橋32縮小
あまり大きな橋ではないので、昼間なら向う岸が見通せますが、この”肱川あらし”では無理ですね。

長浜大橋20縮小
烈風が吹きさらしになります。普段は穏やかな肱川の表情が一変します。

油断すると自然が牙をむいて襲い掛かる、そういう風が吹きまくっていました。

長浜大橋28縮小
こんな冬空の早朝です。気温は2度。

シャッターを押す手が、かじかんで、うまく押せないんです。

長浜大橋34縮小
ところが、こういう日にもいるんです。カメラの砲列が出来ていました。

まあ、”お好きですねー”って、言ってやりたくなる。というワタシも、そうなんですが。

なお、ある方から「肱川下ろし」とは普通は言わず、「肱川あらし」と言っているというご指摘をいただきました。ありがたいコメントに感謝します。

調べてみましたら、大洲市広報などにも「肱川あらし」と表記されていました。そして、古くは「肱川おろし」と言っていた時代もあるとか。

図らずも、自分の年齢が出ちゃいました。










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貴重な映像

じゅんさん、おはようございます。いやぁ〜この映像の、「 肱川おろし 」は、とても貴重ですね❗️マニアの方が、狙って映像にしようと思っていても〜その時の気象状況によって、出たり〜出なかったりと、なかなか思い通りにならないものです。だから、じゅんさんがこの映像をキャッチ出来た事は〜 「 じゅんさんも、持ってらっしゃる❗️」という事でしょう。かなり、寒かったでしょうね。今現在〜このシャッターチャンスを狙って、好きな方は毎日出掛けているでしょうね。お疲れ様❗️って、言ってあげたい気持ちです。じゅんさん、大変貴重な映像〜ありがとうございました。朝から、気持ちがシャキッと引き締まりました。

寒かった

むらちん様

この様子を撮影した朝は、とっても寒かったですね。
母の看取りを、大洲市の医師会病院でしていた頃で、病院で朝早く目が覚めますと、外は辺り一面霧に包まれていました。

直ぐに長浜の肱川あらしの事を思い出し、肱川を急ぎ下りました。すると、既に大勢のカメラマンの大砲のような超望遠カメラの砲列が待っていました。手がかじかんで、シャッターが上手く切れなかった事を覚えています。

初めてニュースで見た時に、『肱川おろしじゃなくて、肱川あらしなの?』と思いました。赤橋は偶然、車で通りましたが、なかなか味のある橋ですね。感動しました。
うちの子が「この橋、可動式の橋だよね」って、渡ってる時に言ってました。ニュースで言っていたのを覚えていました。
肱川あらし目当てに行く事が、なかなか出来ないので、画像をアップして下さってありがとうございました。
お母様のお話、読みました。延命させた方が良いのかどうか、難しい選択ですよね。

愛媛の冬の季節の風物詩

わたうさぎ様

この記事の画像の「肱川あらし」は、かつては「肱川おろし」と言っていた時代もあったようです。

この画像を撮影した時の実感から言えば、正に「あらし」でした。


母を看取った時は、最初は親子の情、そして途中から母の強固な意志を見た時から、母の生前の意志を尊重すべきだと思いました。

母も父も、私達子供の意志を遥か超えたところで、自分の生死感を持っていました。私達子供は、父と母の生死感に寄り添っただけです。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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