「「東洋のマチュピチュ・別子東平」 その 1・「過去記事を振り返る」 88

今年に入って最初の”過去記事を振り返る”シリーズは、2012年1月2日から4回に分けてご紹介したシリーズを、今日を含めて毎週月曜日に4回分けて振り返ります。

それは、新居浜市にある旧別子銅山跡の”別子・東平”(べっし・とうなる)です。

2011年の秋に撮影したものですが、お正月というタイミングを選んでアップしたものです。それは、”お正月”のちょっとの間、時間の流れを忘れて様々に思いをめぐらせてみるにはいい題材(素材)かな?と思ったからです。

この頃は、こうやって遠方に早朝足を運んで取材する元気がありました。

旧別子銅山跡”でも特に”東平(とうなる)”は”東洋のマチュピチュ”と呼ばれ、近年人気を集めています。

マチュピチュ”とは、ご存知の通りペルーにあって”世界遺産”に登録されている”インカ帝国の遺跡”で、別名”空中の楼閣”あるいは”空中都市”とも呼ばれる遺跡です。

夜明け前1
ワタシの朝は早いので、夜明けを、新居浜に向う国道11号線途中で迎えました。

概ね西条市辺りです。見えているのは別子の山々です。

昔の東平説明板0
一番最初に着いたのが”東平(とうなる)地区”です。

そこには、別子銅山の胴の産出が盛んな頃の”東平地区”の諸施設群を紹介する”銅版”があります。

そもそも、”別子銅山”は、元禄3年(1690年)に鉱脈が発見され、その翌年から採掘が始まり、昭和48年(1973年)までの280年余り続いた、日本屈指の銅山でした。いえいえ、一時は”世界最大の銅山”であったこともあります。

銅山開発は、当初から”住友家”によって進められ、住友を日本屈指の財閥に築き上げた基礎となったところです。

策動跡2
標高750mの山中にある”東平”は、大正5年から昭和5年までの間、別子鉱山の採鉱本部が置かれ、社宅・小学校・劇場・接待館が建てられるなど、昭和43年に休止するまで町として大変な賑わいをみせていたそうです。

その”東平”地区でも有名な施設跡が、この”索道基地跡”(さくどうきちあと)です。

画像の煉瓦造りの施設は、その”索道基地”にあった”中継所跡”です。

策動跡太陽3
この”索道基地”は、採掘した鉱石を搬出する輸送路を充実させるため、ドイツ人の索道技師ブライヘルトによって”自動複式索道”が設置されていました。

その当時、ここには26基の支柱が立ち、80器の搬器が吊るされて、分速150mで回転していたというから壮観だったことでしょう。

策動跡太陽4
索道”では、鉱石だけでなく、生活物資、生産資材、木材なども輸送していて、東平地区の中心的施設でした。

太陽の光を受けて輝く”索道中継地跡”のレンガ造りの施設です。

標高が1000m近い山中に、しかも険しく狭い道路で煉瓦などの資材を上げたのでしょうが、人力に頼ること大であったろうと想像できます。

これらの諸施設と人員を総動員して、住友家は胴の産出を続け、日本の近代化に大いに寄与しただけではなく、今日の”住友グループ”の出発点である”住友財閥”にのし上がっていきます。

今でも、この辺り一体の土地や山林を”住友グループ”が所有しています。

石見銀山”が2007年(平成19年)にユネスコの”世界遺産(文化遺産)”へ登録が決定されたこともあって、”別子銅山”も世界遺産登録をという声があります。

日本を代表する金銀銅の産地である、新潟県佐渡市(金山)、島根県大田市(銀山)、愛媛県新居浜市(銅山)の3市長が集まって「金銀銅サミット」が2006年5月開催されました。

策動跡上から5
さて、”索道基地跡”から下を見たこの風景が、”インカ帝国遺跡”の象徴である”マチュピチュ”を彷彿(ほうふつ)とさせることから、一躍脚光を浴びることとなりました。

新聞や雑誌、さらにはこういうブログの画像としてよく登場する風景です。確かに、空中に浮かぶ西洋式楼閣の跡を思わせますね。

策動跡上から2
愛媛の地に、こういう歴史的遺産と遺構があることはご存知の方が多いと思いますが、実際に訪れてみたと言われる方はまだまだではないでしょうか。

やはり、テレビの画面等を通して見るより、はるかに歴史の重みと、日本の近代化の一端をここが担っていたのだという実感が沸いてくることは保障します。

貯蔵庫と策動跡6
この画像は、来週月曜日にご紹介する”貯蔵庫跡”から見上げた”索道基地跡”です。

重層な煉瓦造りに、手作り感が残っていて、コンクリートの塊のような無機質な質感を感じさせません。

この東平地区を流れる”足谷川”の谷間に、江戸期から明治期、そして大正、昭和と続く人の営みの声が木霊してくる思いがしました。

静かに、静かに、時間が過ぎていく・・・そして、その時間は過去から連綿と続いていることを実感させられました。

と同時に、栄華を誇った世界一の産銅基地”別子・東平”にも、”永遠はなかった”という現実にも思いが至りました。

そのことは、残りの3回で思いを振り返りたいと思います。




今年に入って最初の”今日は、2011年12月30日にアップした記事を振り返ります。
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歴史の重み

じゅんさん、おはようございます。別子銅山が、世界最古の銅山とは知りませんでした。歴史の重みを感じさせますね。今の時代に、この様な歴史的建造物( 遺跡と言った方が、正しいかも… ) が残っている新居浜は、素晴らしいですね。この場所に行くと〜一瞬にして、時間がタイムスリップして〜その最盛期に飛んでいるでしょうね。そして、その雰囲気に入り込む事が出来るでしょう。風景に、引き込まれる事間違いないでしょう。週の始まりに〜良いものを觀れた気がします。貴重な映像を〜

これは

むらちん様
これは4年前の記事-画像ですが、その時の取材した状況は、今でも鮮明に覚えています。
現代から、タイムスリップした様に感じて、丸々1日ウロつきました。時間と言う重み、永遠と言うもののあり様などを考えに考えました。

愛媛の地に残った貴重な歴史遺産を前に、次から次へと様々な思いが頭を駆け巡りました。多くの方に、ぜひ見て頂きたい遺産ですね。

貴重な

じゅん様

初めてコメント致します。何時も、ずっと拝見していますファンです。
でも、いざコメントするとなると、中々出来ませんでした。

今日の画像と文章に感動しました。名前は聞いたことありますが、実際に見たことはありませんでした。

愛媛にもこんな貴重な遺跡があったんですねー!スゴイことだと思って、思わずコメントしました。これからも、こういう貴重な記事に期待しています。頑張って下さい。

初めての

西田様
初めてのコメント、本当にありがとうございます。しかも、ずっと見て頂いていたようで、嬉しいです。

さて、今日の記事は過去記事の再アップです。この当時は、腰がまだ軽くて、思い付いたら直ぐに現地に行っていました。ところが、最近はいけません。すっかり行動力が落ちてしまって、取材旅行に行けなくなっています。
幸い妻が順調に回復していますので、回復振りを見ながら、再び取材旅行に挑戦したいと思っています。励まし頂き、ますます決意を新たにしているところです。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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