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「大洲城」①

今日からはしばらく”大洲城”をアップしていきます。


昨年の暮れ、28日に「松山城余話」と題して”松山城”と”今治城”そして”大洲城”の3つの城に共通する人物として”藤堂高虎”を挙げました。


そこで、”大洲城”のことを次のように書きました。

「大洲藩は、江戸時代に米子藩から”加藤貞泰”が入り、明治まで12代に渡って続いた藩です。ところが、今の”大洲城”を実質的に築城したのは、やはり”藤堂高虎”でした。もともとあった大洲城を大幅に改築し今の威容を形作ったのです」と。
大洲城遠景5縮小
先ずは”大洲城”の遠景です。


大洲藩は6万石の藩領でした。


作家の司馬良太郎氏は、その著書「街道をゆく」の”南伊予・西土佐の道”で大洲城のことをこう書いています。


「日本の旧城下町で、これほど美しい一角を持った土地はないと思った」と。


肱川が大きく湾曲して美しい淵を作っているところに大洲城は立っています。
大洲城遠景9縮小 この「画像は、国道56号線が肱川を越える”肱川橋”の橋脚の間から撮った画像です。


画像の上部に横切の黒い部分は、肱川橋の橋脚の桟です。


この日も大洲には深い霧が巻いていました。


冬場は毎日のように午前中は霧の中です。
逆光の大洲城縮小
逆光の中の大洲城です。暗くて見え辛いですね。


でも、東の空から太陽が顔を出しそうになっていました。






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プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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