「宇和島城」③

今日は”宇和島城”の内部をご紹介します。


天守閣には200円の拝観料を支払えば入れます。
宇和島城模型縮小
先ず目に入るのは、宇和島城の骨格模型です。

  
さて、”秀宗”は、生まれたときから人質としてではありますが、豊臣家の奥で、”豊臣秀頼”の遊び友達として栄華に囲まれて贅沢に育てられていました。


時の天下人”豊臣秀吉”に可愛がられ、秀吉の名の一字をもらって”秀宗”と名乗ります。


そういう育ち方をした長男の秀宗です。
宇和島城窓縮小
「贅沢な暮らしに慣れた息子に、四国の田舎暮らしができようか?」


そのことを父の正宗は心配したのでしょう。


正宗は、家老から家臣団まで全てを自らが人選し”秀宗”に付けてやりました。


その家老団の下に、財務長官的な役柄に大抜擢された”山家清兵衛”(やんべ・せいべい)がいました。
宇和島城内5縮小
山家清兵衛は、元はといえば仙台伊達家の”算用頭”(さんようがしら=今で言う経理課長程度)です。


位はせいぜい中級家臣でした。


正宗は「山家清兵衛の言うことはわしの言葉と思え」と皆に言い渡して、多くの家臣団とともに宇和島に送り込んだのです。


筆頭家老は桜田玄蕃(さくらだ・げんば)、他に有力家老として桑折左衛門(こおり=さえもん)の名前が見えます。


余談ですが、桑折(こおり)氏の末は医者になりました。
宇和島城内8縮小
天守閣は思った以上に狭く、階段などは上り下りに苦労するくらいに急です。


当時は大名でも、暮らし向きは質素でした。


ましてや農民や町民の暮らしは、現在の感覚でいえば貧しいを通り越したもので、山家清兵衛は民政者として心を砕きました。


領民達の山家を慕う気持ちは日増しに募りましたが、それは同時に山家の上役達の嫉妬をかうことにもなりました。


そこにも”悲劇”の芽が育っていたことを山家清兵衛自身は気が付いていませんでした。






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プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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