北久米と桑原の「古墳」
今日は、北久米にある古墳をご紹介します。
場所は国道11号線を南下すると、北久米に複雑系の信号があります。牛丼の「吉野家」が近くにあります。
その交差点を、福音寺の方向に北上すると、すぐそこにあります。 これが”北久米二つ塚古墳”です。
目立たないし、墳丘はかなり破壊されていますので見過ごしてしまいがちですね。
でも、これでもれっきとした古墳で、日本独特の形である”前方後円墳”です。
つまり、墳丘の前部は方形(四角)で、後部が円形をしています。
松山市は小野川水系と石手川水系沿いに、古墳が点在しています。
”北久米二つ塚古墳”の近くにも記録の上では、桑原町には”経石山古墳”が、畑寺町には”三島神社古墳”があることになっています。
いずれも前方後円墳です。 これが桑原町に現存している”経石山古墳”です。
ちょっと分かりにくいのですが、立派な前方後円墳です。今は公園になっています。
また、畑寺町にあった”三島神社古墳”は、今は形は残っていません。
三島神社の宮司さんの話では、今は現存せず記録だけが残っているのだそうです。
3世紀後半から7世紀後半に、全国で古墳が作られていまが、”北久米二つ塚古墳”が出来たのは古墳時代後半。
今から1300年位前には、この辺りに一種の権力を持った人が住んでいたのでしょう。 この”納屋”は、”北久米二つ塚古墳”のまん前にあります。
特に古墳とは関係ないのですが、古墳があって、廃れた納屋があて、その置くにはマンションが建っています。
そのコントラストが、ワタシには”松山らしい”と映ったのでシャッターを切りました。
納屋の壁は土壁。
竹で組んだ桟に藁(ワラ)を塗り込めています。
湿気の多い日本の気候的特徴を考え、納屋に収めた農産物の腐敗を防いだ知恵が形として残っています。 こういう何気ない田舎の風景が、松山の中心部からわずか10分程車を走らせると目に飛び込む、この”田舎力”が例えようもないほど好きです。
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場所は国道11号線を南下すると、北久米に複雑系の信号があります。牛丼の「吉野家」が近くにあります。
その交差点を、福音寺の方向に北上すると、すぐそこにあります。 これが”北久米二つ塚古墳”です。
目立たないし、墳丘はかなり破壊されていますので見過ごしてしまいがちですね。
でも、これでもれっきとした古墳で、日本独特の形である”前方後円墳”です。
つまり、墳丘の前部は方形(四角)で、後部が円形をしています。
松山市は小野川水系と石手川水系沿いに、古墳が点在しています。
”北久米二つ塚古墳”の近くにも記録の上では、桑原町には”経石山古墳”が、畑寺町には”三島神社古墳”があることになっています。
いずれも前方後円墳です。 これが桑原町に現存している”経石山古墳”です。
ちょっと分かりにくいのですが、立派な前方後円墳です。今は公園になっています。
また、畑寺町にあった”三島神社古墳”は、今は形は残っていません。
三島神社の宮司さんの話では、今は現存せず記録だけが残っているのだそうです。
3世紀後半から7世紀後半に、全国で古墳が作られていまが、”北久米二つ塚古墳”が出来たのは古墳時代後半。
今から1300年位前には、この辺りに一種の権力を持った人が住んでいたのでしょう。 この”納屋”は、”北久米二つ塚古墳”のまん前にあります。
特に古墳とは関係ないのですが、古墳があって、廃れた納屋があて、その置くにはマンションが建っています。
そのコントラストが、ワタシには”松山らしい”と映ったのでシャッターを切りました。
納屋の壁は土壁。
竹で組んだ桟に藁(ワラ)を塗り込めています。
湿気の多い日本の気候的特徴を考え、納屋に収めた農産物の腐敗を防いだ知恵が形として残っています。 こういう何気ない田舎の風景が、松山の中心部からわずか10分程車を走らせると目に飛び込む、この”田舎力”が例えようもないほど好きです。
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