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松山には古墳、まだまだあります

昨日、このブログでは初めての古墳を採り上げました。

実は、松山には他にまだまだ古墳があるのです。

少しづつ取材してアップしていきます。荏原城跡入り口1   これは、古墳とは言えませんが、よく知られている”荏原城跡”(えばらじょうせき)です。

この”荏原城跡”は愛媛県の県指定史跡です。

建てられたのは、戦国時代末期と言われていますが、詳しいことは分かっていません。

戦国末期に、この辺りを支配していた河野氏の重臣の”平岡氏”の居城であったそうです。堀   豊臣秀吉の四国統一によって、河野氏の支配が終わり、平岡氏の居城も廃城の運命をたどりました。

城跡の周囲には、およそ300m程度の堀があり、当時の面影を忍ばせています。古墳2   こちらの古墳群は、恵原町に残っている”八ツ塚群集古墳8基”と呼ばれているものです。

上に書いた”荏原城跡”の直ぐ近くにあり、松山市指定史跡です。

作られた時代は、古墳時代後期(今から約1,400年ほど前)のものです。古墳3   縦に七つの古墳が並んでいる様は、古墳時代にタイムスリップしたかの感があります。

”八ツ塚群集古墳8基”とありますから、8基が並んでいるのかと数えましたが、ワタシには7基しか見えませんでした。

この古墳群は個人の所有で、きちんと整備し管理されています。古墳4   それぞれの古墳の頂(いただき)には、小祠が置かれ、石地蔵が安置してあります。

円墳と方墳が混在して見えます。古墳5   一説によりますと、四国遍路の元祖といわれる衞門三郎の8人の子供を祀ったとの伝説も残っているようです。

また、弘法大師の怒りにふれ、次々と亡くなった衞門三郎の8人の子供を祀ったという言い伝えもあるようです。古墳6   いずれにしても、身近なところに、古墳時代から続く遺跡が点在しているという、松山の地は見所のある都市ではないかと思います。


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じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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