「東洋のマチュピチュ・別子東平」その 4(最終章)

今日は、”東洋のマチュピチュ”として全国的に有名になった”別子・東平(とうなる)”の第四弾(最後)として、”東平地区”にある遺跡ではありませんが、”マイントピア別子”の前に残っている”発電所跡”を中心にご紹介します。


年明け早々から、4日連続でのご紹介、正月気分には相応しくなかったかも知れません。

川1   この川は、”マイントピア別子”の施設の横を流れている、二級河川”国領川”の水系となる”足谷川”です。


清流です。


”マントピア別子”の施設がある辺りを”端出場”(はでば)地区といい、”水力発電所”があった場所です。


採掘現場への最前線本部があった”東平地区”への入口にも当たります。

発電所跡2   こちらが、”マイントピア別子”側から見た”旧水力発電所跡”です。


今でも息をしているかのような雰囲気があります。

発電所跡3   明治45年に完成した水力発電所跡です。


当時としては東洋一の落差(596m)を利用して発電が行われました。


中には、ドイツのシーメンス社製発電機、フォイト社製のペルトン水車などが、当時の姿のまま残されています。


ですから、この施設はまだ生きているかのような””を感じるのかも知れません。

発電所跡4   こちらは県道47号線から見た”旧水力発電所跡”です。


煉瓦造りの建物は、第三広場にある”変電所跡”に通じるものがありますね。

発電所跡5   お金さえ掛ければ、幾らでも巨大施設が作ることは可能でしょう。


ですが、幾らお金をかけてもこういう”味のある施設”はもう二度と作ることができないかもしれません。


施設に維持にはお金がかかるでしょうが、このままの状態で保存して欲しいですね。


この辺り一帯は、住友グループの所有になるものが多いことは事実です。


ただ、江戸時代から昭和の時代まで生き続けて、””を産出し続けた遺産です。


やはり歴史的な遺産として大切に保護していただきたいと思います。

炭焼き窯6   こちらは”炭宿釜”と呼ばれる施設で、皆が共同で”炭焼”をしていたところです。


施設前には、今でも”炭宿釜”使用上の注意が張り出されています。まるで、生きているように。

大壁7   ”別子・東平”のご紹介の最後は、この屹立(きつりつ)する大壁です。


これは、”端出場(はでば)にあった、大正8年完成の”貯鉱庫跡”です。


貯鉱庫の上には、第四通洞からの”軌道敷き”が延び、鉱石運搬車が貯鉱庫の上から鉱石を落として鉱石を貯める仕組みになっていました。


1893年に開業した”日本最初の山岳鉄道”が、断崖絶壁をぬって”鉱石”をこの”貯鉱施設”まで運んでいたのです。



年明けに、4日連続で”東洋のマチュピチュ”と呼ばれる”別子・東平”をご紹しました。


永遠に発展し続けると信じられていた”別子・東平”の諸施設群も、今はこの通りの遺跡と化しています。


生あるものには、必ず寿命がありますが、それは化学の粋を集めた施設や建築物に至るまで、例外ははあり得ないということでしょう。


原子力を完全にコントロールできると信じ、プルサーマルの完結で原子力エネルギーの炎が、決して途絶えることなく燃え続ける・・・・一時期、そう錯覚していたこともあります。


でも、この”別子・東平”の今を見ていますと、江戸期から昭和期まで続いて栄華を誇った施設にしてしてすら、今のこの姿です。


「人間は、自然を完全にコントロールできる」などと思い上がってはいけないという、当たり前のことを考えさせられた時間でした。


そして、つい目に前に起こる出来事だけに気を取られがちな自分に対する、一種の”時間軸”を考え直すきっかけにしたい、との思いで4回のシリーズを綴ってみました。


最後までお付き合い頂きありがとうございます。


今年が皆様にとって意義ある年になるよう祈りつつ、今年もこのやや理屈っぽいブログを綴り続けたいと思います。


なお、本日で”お正月バージョン”を終わり、明日から普通のバージョンに戻ります。


明日は、”愛媛グルメ紀行”の今年の第一号で、通算”200号"目をアップします。





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こんばんは☆

見応えが有りましたd(^0^)b グッ!
私が見た東平は、駐車場近辺だけでしたので、この発電所跡も
見たかったと、帰ってから思った事でした(^_^;)

何時だったかこの東平を特集した番組が有って、一般の人が
見る事の出来ない、鉱山関係の施設の紹介で、この発電所の中と、
瀬戸内の有る島の見学風景を写していました。
その島は今も住友の持ち物で、上陸は出来無いらしいのですが、
施設はそのまま保存されている様なのです。

その島の事が何所かに書かれてないか、調べて見ましたが分からず仕舞いです。
もっとちゃんと見て置けば良かったと、後悔しきりです(^_^;)
後世まで残して欲しいですね(^_^)

私は煉瓦の建造物が好きで、今治の小島まで、行きました。
車の入らない島で歩いて散策、沢山の戦争の遺物を見てきました。
煉瓦は歴史を語ってましたよ、この島は必見ですよ(^_-)-☆

おはようございます

ベル様
ベルさんが、レンガ作りの建物が好きだということはお聞きしていました。そこで、今回は集中的にレンガ作りの建物の画像を一杯撮ってきました。
喜んでいただけて何よりです。

瀬戸内海の小島で、今も住友が所有している島の名前は、「四阪島」(しさかじま)でしょう。
別子銅山の銅の産出が盛んであった頃は、銅の精錬所でした。でも煙害がひどく、社会問題となり閉鎖されました。「四阪島」で検索すれば詳しいことが分かります。
今は無人島で、上陸が禁止されていますが、現実には上陸を会社は黙認している様子です。
一度、冒険と探検を兼ねて上陸してみたいですね。

過去があるから今がある。

今があるから、未来がある。
東平が日本一の銅産出を誇り、日本の産業を支えていたからこそ
今の生活があり、これからの生活へとつなげることが出来るんですよね。
そういう時間軸という意味では、正月に相応しい記事です。
はじまりとは終わりへ進む事であり、
終わりとは次のコトをはじめることですから♪
東平地区の栄華と衰退を見るコトで、清々しい気持ちになれました。
遅くなりましたが、長期シリーズ、大変お疲れ様でした♪
素敵な記事をアリガトウございますm(_ _)m

来週あたり、東平に行くかも知れません。
ケータイでこの記事を見ながら散策したいと思います(*´∀`*)

ぜひ

ジンズゴンズ様
コメントありがとうございました。

今週、東平に行かれるかもしれない!
それは、是非現地に足を運ばれて、時間の流れの中に身を漂わされてはいかがでしょう。

見る人によって感じ方は様々でしょうが、そこで多くの方達が生活していたという、声にならない声を聞くことができると思います。

そして、ジンズゴンズさんらしい記事を期待しています。
プロフィール

じゅん

Author:じゅん
愛媛の松山から、「愛媛グルメ紀行」や「愛媛の歴史」など、幅広いテーマで情報発信しています。日曜日を除く毎日更新。画像も豊富。
長いサラリーマン生活に終止符を打ち、還暦をとうに過ぎた2014.12.1に起業して社長になりました。

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